年末も近づいてきた12月中旬。
雪が降りそうな寒い日に、鎮守府内の会議室で朝からの長い会議が終わったのは日付が変わった午前0時過ぎ。
27歳という若さの俺でもひどく疲れた日だった。
そんなに疲れていても、自宅へ戻る前に資料が入ったバッグを置くために執務室の重い木の扉を開けて入ると、部屋には明かりがついていて、暖炉からは薪が燃えて部屋は暖かかった。
部屋にあるのは執務机、800冊ほどの本がある本棚にソファーとテーブルがある。
ソファーにはグラーフ・ツェッペリンがいて背をまっすぐに伸ばして小説を読んでいた。
テーブルには10冊ほど積まれた本とコーヒーを沸かすサイフォンなどの道具を入れておく木箱が置かれていた。
待たなくてもいいと言ったのに待ってくれた彼女に少しばかり嬉しくなる。
俺は読書の邪魔にならないように扉をそっと閉め、帽子とコートを脱ぎながら執務机へ向かう。
机のそばに脱いだものを投げ散らかして椅子へと座り、バッグから書類を机の引き出しにしまう。
その時に本を閉じる音が聞こえ、本を置いたグラーフが机越しに俺の前へやってくる。
20歳ぐらいの整った大人びた顔。軍帽の下にある、淡い金色の髪はツインテールにまとめられて肩まである。
もみあげのような髪は胸元まで伸びていて、動くたびにさらさらと揺れる髪は大きい胸よりも印象によく残る。
瞳の色は灰色。常に半眼でにらんでいるような目は、はじめこそ怖かったものの今ではだいぶ慣れた。
それは怒っているわけではなく、視力も悪いわけでもない。ちょっとした癖らしい。
白い肌は雪のように綺麗で見惚れてしまうことがよくある。
白を基調とした軍服の上には、赤色のケープを羽織っていてグラーフの髪や肌の色とよく似あう。
黒いミニスカートから見えるのはすらりとした長い足。
60デニールという厚さの黒タイツは、うっすらと白い肌の足が透けて見えるのがより魅力的になっている。
身長は168cmほどあって、男の俺とほんの数㎝ほど低いだけだ。
そんな彼女に俺は疲れていながらも、静かにだけれど元気なふうで声をかける。
「ただいま」
「
グラーフの低くも耳に心地の良い声を聞くと、なんだか安心するのは彼女の外見もあってからだろうか。
ドイツ語も少しはわかるため、彼女の気持ちが伝わってくる。
「なんとかね。別に待ってなくてもよかったのに」
「私が待ちたかっただけだ。気にしなくていい」
俺を気遣うと、投げ散らかしたコートと帽子を拾う。
丁寧に畳んだコートは机の端に置き、その上に帽子を置いた。
片付けが終わり、疲れている俺に対して何かを言おうとしてか、テーブルと俺を交互に1度見る。
「コーヒーは飲むか?」
「いただくよ」
緊張気味なグラーフにそう返事をすると、ほっとした表情でテーブルへ戻っていく。
こういう気遣いができる子を恋人に欲しいものだと思う。
彼女は秘書でもなく、読書仲間という間柄だ。
普段から会話は少ないが、こうして気遣ってくれるのは嬉しくなる。
読んだ本について語り合うほかに今のようにコーヒーを入れてくれることも何度かあった。
コーヒーができるまでに俺は椅子に深く腰掛けて、グラーフを眺める。
グラーフは、木箱からテーブルへサイフォンとコーヒーセットを出す。
次にフィルターとコーヒー粉末を準備し、アルコールランプに火をつけた。
真面目な表情で俺のために準備するその姿を見て、にやつくなというのは無理がある。
仕事で疲れたのも一時的に忘れてしまうほどに。
コーヒーができるまでの静かな時間。
時折こっちへ振り返るグラーフに微笑むと、彼女ははずかしそうにすぐ目を背けてしまう。
見つめつづけられるとやりづらいかな、と考えて机の引き出しを開けて書類整理をはじめる。
数分後、できあがったコーヒーをおそろいの白いマグカップに入れ、それを手に持ってグラーフがやってくる。
「ほら、できたぞ」
「ありがとう」
湯気が立ち上っているマグカップを受け取り、コーヒーを飲みはじめるもあまりの熱さにすぐ口を離してマグカップを遠ざける。
するとグラーフは自分の持っているマグカップへ、ふーふーと息を吹きかけて冷やしてから俺の持っているマグカップと勝手に取りかえた。
俺は代わりにそれぐらいじゃ冷えないはずのコーヒーを受け取ると、グラーフは机に腰かけて飲みかけのコーヒーを顔を赤くして飲んでいる。
そんなに熱いのを我慢して飲むものかな、と疑問に思いながらその理由に気付く。
俺が口をつけたところに口をあてて飲んでいることに。つまりは間接キスだ。
何を思ってそんな恥ずかしいことをしたか聞きたくはあったが、聞くと彼女のプライドを傷つける気がして聞かないことにする。
いつもは手が触れあうことさえ恥ずかしがっているのに、そうじゃないのは夜の執務室という落ちついた雰囲気だからかもしれない。
考えているあいだにちょっとだけぬるくなったコーヒーを飲んでいると、良い香りと深みがある味で気分が落ち着いてくる。
「さっきは何の本を読んでいたんだ?」
「ドイツが世界に誇る小説、宇宙英雄ペリー・ローダンの日本語版だ。この小説は日本語勉強にとても役立っている」
「原書で読むタイプだと思ってたけど」
「勉強もかねているからな。今は511巻まで出ているからそこまで読めば私もずいぶんと上達するはずだ」
「確かに上達しそうだ」
「原書のドイツ語版は2800巻ぐらいあってまだ続いているからな。どうしようもなく暇になったら私に言ってくるといい。100巻単位で貸すぞ」
「……それはありがとう」
俺が読むことはないとわかっていながらの言葉に、苦笑いしながら答える。
グラーフと同じように読書好きの俺だが、そんなにあるだけで読む気が消えてしまう。
「本がたくさんあるから、Admiral(提督)がどんなに夜遅くても私は待っていられるぞ?」
「肌に悪いので早く寝て欲しいけど」
「なに、早く帰ってくれればいいだけじゃないか」
部屋に帰ると誰かが待ってくれているのは嬉しいということをグラーフはわかってくれている。
わざわざ俺のためなんかに執務室で本を読み、コーヒーを準備してくれている。
改めて嬉しくなってにやけてしまう。
会話が止まり、俺とグラーフは静かにコーヒーを味わいながら飲んでいく。
お互いのコーヒーを飲む音、暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く。
もうすぐ飲み終わるという時、グラーフがふとあることに気付く。
「そういえばサイフォンで淹れるのは初めてだったな?」
「いつもは秘書のビスマルクにドリップコーヒーを淹れてもらってるからね。……ビスマルクには悪いけど、グラーフのほうがおいしい」
苦笑しつつ言うと、グラーフは静かに微笑んでくれてコーヒーの解説をはじめてくれる。
「サイフォン式のコーヒーは飲むよりも、淹れる過程を楽しむのが―――」
気分良く語り始めるグラーフの心地よい声をBGMにし、俺の意識は段々と落ちてくる。
だが、ここで寝てはいけない。
せっかくコーヒーを淹れてもらったというのにすぐに寝てしまうのはダメだろう。
グラーフは俺を待っていてくれてたんだからせめてコーヒーの解説は聞かなければ。
気合を入れて目を開けていたが、俺が眠いのに気付くとそっとマグカップを俺の手から取っていく。
「私がいるから安心して寝ていいぞ」
そんな言葉をかけられ、自宅に帰れなくなりそうという心配もなくなり目が閉じる。
落ちていく意識のなか、グラーフが頭をとても優しく撫でてくる手が気持ちよかった。
◇
甘い匂いと温かいぬくもりに包まれているのを感じて目を開けると、そこは知らない場所だった。
フローリングの床、本がたくさん詰まった本棚、化粧台にぬいぐるみがある。
そんな女性らしい部屋で俺が寝ていたのは、隅にある2段ベッドでその1段目の外側だ。
俺はいつのまにか着替えていたパジャマに困惑しつつ、横から抱きついてくる感触に気付いて隣を見るとワンピースのネグリジェを着て、気持ち良さそうに眠っているグラーフがいた。
露出度が高く、素肌が見えるのが心臓に良くない。
頭を軽く振り、意識を変える。
ここはたぶん艦娘寮のグラーフとビスマルクの部屋。
記憶を探り、コーヒーを飲みながら寝たのは思いだせるがどうやってここに来たかが思い出せない。
あまりの眠気で何か変なことをやってしまったのかと冷や汗が物凄く出てくる。
あまりにも起きない俺を心配したグラーフが連れてきた、という可能性に思い当たるがここまで連れてこられた上に着替えさせられたことに気付かないのはおかしい。
まさか、グラーフにえっちなことをしていないだろうな、俺。
顔を両手で押さえ、低い唸り声をあげながら思いだそうとしていると視線を感じる。
顔から手をどけると、そこには2段ベッドの上から逆さになっている、パジャマ姿のビスマルクがジト目で俺を見ていた。
グラーフと同じ20歳ぐらいの美人だが、逆さなためにビスマルクの長い金髪は床についていて不機嫌な顔は結構怖い。
俺は何も考えれず動けないまま、ビスマルクの視線に耐えるしかなかった。
「……
ひどく冷え切った表情と声に、俺はどうすることもできない。
このままベッドに寝続けたい。現実逃避がしたい。
そう思っていると後ろから白い手が伸びてきて、俺の首元に腕を回してきて背中にはブラがついていない柔らかい胸の感触があたる。
「
いま起きたばかりらしく、普段とは違うぼんやりとした可愛い口調で耳元にささやいてくるグラーフ。
目の前にはビスマルクの恐ろしい顔。背中には幸せな柔らかさと幸せと不幸が一緒にやってきている今。
ビスマルクは深く呆れた溜息をついて説明をしてくれる。
「私とグラーフで連れてきたのよ。それと下着にパジャマ、替えの軍服は私がわざわざ部屋から取って来たわ。感謝しなさいよね」
「ありが―――下着?」
「大丈夫よ、パジャマしか着せてないから。下着はシャワーのときに自分でやってよね」
そういうとビスマルクは体を引っ込め、自分のベッドへ戻っていく。
下着まで交換させられたかと思ってびっくりした。
体の全てを見られなかったことに安心しつつも、秘書であるビスマルクに自宅の鍵を渡してよかったような良くないような複雑な気持ちになる。
俺の部屋や服をじっくり見られたことに。そもそもなぜここに連れて来られたんだろうか。
俺が寝たら起こすのが普通じゃないのか。
とりあえず起きるか、と体を起こすと首元に手を回したままのグラーフに抑えつけられる。
「手を離して欲しいんだけど」
「断る」
どうしたものかと悩んでいると、ベッドから飛び降りるようにビスマルクが降りてくる。
「よくやったわ、グラーフ。そのままにしておくのよ!」
勢いよく動いては部屋のカーテンを開け、タンスから素早く下着と制服を出すとシャワールームに入っていく。
すぐにビスマルクがシャワーを浴びる音が聞こえてくると、なんともいえない罪悪感がやってくる。
逃げ出そうにも体は動かせない。
俺の体に足を回してきたグラーフが抱き枕のように俺を抱きしめてくるからだ。
柔らかくてすべすべした体は俺に密着し、真面目なグラーフの甘い声が漏れる音は精神に非情に悪い。
「もう起きて欲しいんだけど」
「ビスマルクが来るまでこのままだ」
それからビスマルクがシャワーを終えるまで俺の理性は頑張って耐えた。
20分後、シャワールームから軍服を着たビスマルクが出てくるが、彼女の髪はしっとり濡れていて魅力が3割増しに見える。
「グラーフ」
「ん」
ビスマルクに呼ばれるとグラーフは俺から手を離し、服を持って入れ替わりにシャワールームへと入っていく。
今度こそ帰ろうとベッドから起き上がるとビスマルクに不機嫌な表情で手招きをされる。
無視したいところだが、従わないと今日、もしくは数日ほど不機嫌なビスマルクで艦隊運営に大きく影響が出るかもしれない。
溜息をついて近づくと、クシとドライヤーを渡してきたビスマルクは鏡の前にある椅子へと座り、俺に背を向ける。
服を取ってきてもらったりと迷惑をかけてしまったし、ご機嫌を取る必要があるか。
ビスマルクの湿っている髪にドライヤーを当てる。髪に手を当て、長い髪を上から下まで丁寧に。
しっとりとしていた髪はさらさらになり、朝の太陽の光があたっている金髪は麦穂のようでとても美しい。
日中に見るのと違い、こんな至近距離で触りながら見るのは初めてだ。
「あの子に頼まれたから2人であなたを運んできたのだけど、一体どういう経緯で連れてこられたのかしら」
「コーヒーを飲んだあとに寝て、目が覚めたらここにいた」
「なにそれ。てっきり同意の上で来たと思ってたわ」
質問され、素直に答えると苦笑された。事実のまま喋ったけど、なんで連れて来られたかさっぱり理由がわからないがグラーフならそのうち喋ってくれるだろう。
「それにしても」
「なによ」
「ビスマルクの髪、すげー綺麗だな」
「……あ、ありがとう」
小さい声で恥ずかしそうに返事をするビスマルクが可愛いな、と思いながらドライヤーのスイッチを切り、次は櫛を使おうという時だ。
シャワールームの扉が勢いよく開けられ、着ている服は水気を含み、髪からはまだ水がしたたり落ちていた。
そんなグラーフは俺の足を勢いよく踏んできて、痛さのあまりに俺はビスマルクから離れる。
「早すぎでしょ! まだ10分も経ってな―――押さないでったら!」
グラーフは椅子の上に座っているビスマルクを、ぐいぐいと押しだして、そのあとに満足そうに座った。
押しだされたビスマルクが文句を言いはじめるが、グラーフはそれをすぐに言い負かす。
「ビスマルク、あなたは以前言っていたはずだ。『この髪は私以外に誰も触れさせないわ』とその髪を自慢していただろう。だから助けてやっただけだ」
胸を張り、挑発するような物言いを聞いたビスマルクは悔しそうな顔をしながらも黙りこみ、俺から櫛を奪っては離れていった。
「ほら、早く私の髪をかわかしてくれ」
グラーフの勢いに押され、言われるままにドライヤーで髪をかわかしはじめる。
ビスマルクの金髪も綺麗だったがグラーフのもまた綺麗だ。
昨日の夜に見たのと違い、しっとりと水に濡れているのは光がそこからあふれているかと思うほどに輝いている。
しっかりと髪をかわかし、ビスマルクが使い終わった櫛を受け取って丁寧に髪を梳く。
「よし、終わった」
「まだ終わってない」
「あー、何か忘れてた?」
少し考え、それでも答えが出ないまま返事をするとグラーフはポケットから髪留めのゴムを手渡してくる。
これでツインテールを結え、ということだろうか。
でも髪を結った経験なんてないし。
断ろうとしたが、グラーフは鏡をまっすぐに見ている。
俺が何を言っても断る空気を出しているため、仕方がなくやることに。
「あとで文句言うなよ」
「お前がやってくれるのなら言わないさ」
かっこいいセリフを聞き、グラーフのツインテールの形や長さを思い出しながら一生懸命に結い始める。
途中、ビスマルクに手伝ってもらおうとしたが、グラーフの強い拒否によって最後まで自力でやり終える。
できたツインテールは高さの位置が左右それぞれちょっとだけ違い、長さはすぐわかるほどに違う。
罵倒されるのを覚悟したが、満足そうに頷く姿は俺に疑問ばかり浮かべた。
そして2人の用意が終わったあとシャワーを浴び、ビスマルクが持って着てくれた軍服に着替えた。
着ていた服は下着と一緒にビスマルクが洗ってくれる予定だ。
身だしなみを整え、2人から食堂に行こうと誘われたが、朝から一緒に部屋を出ると変な噂が出ると思って時間をずらそうとするも、グラーフの無言の威圧によって3人で朝食を食べるために一緒に食堂へ向かった。
◇
3人で一緒にやってきた食堂は、士官と艦娘共用の場所。
150人は1度に食事できる広さだが席は7割ほど埋まっていて、朝らしい賑やかな声が聞こえてくる。
食事は和食、洋食、ベジタリアン向けと3種類の中から選ぶことができる。
国籍や好みに広く対応しているのは素晴らしいものだ。
それぞれの注文し、食堂のおばちゃんから、食事を受け取って空いているカウンター席に座る。
まんなかに俺が座って左にはグラーフ、右にはビスマルクが。
ビスマルクは日本に充分に慣れていて、納豆や鮭がついている和食を頼み、グラーフはオムライスの洋食。
俺はというとベジタリアン向けのを頼んだ。理由は肉を食べないと体からの臭いが減ったり、胃が楽になるという実用的な面からだ。
手を合わせ、作ってくれた人に感謝をして食事を始めるが、美女に囲まれているとどうにも落ちつかない。
秘書であるビスマルクと食事はよくするから緊張はしないのだが、グラーフといると背筋をピシッとしないといけない気持ちになってしまう。
食事が進まず、一緒についていたコーヒーを飲む。食堂らしくコーヒーはそれほどおいしくなく、顔に出てしまう。
「あら、食欲がないのかしら」
「それは大変だ。朝はしっかり食べないといけない。ほら、Admiral。これを食べるといい」
俺を気遣うビスマルクと、スプーンですくったオムライスを口元に持ってくるグラーフ。
だが、手をあげて拒否の姿勢を出すとグラーフは不機嫌な顔になりながら自分でそれを食べた。
「提督はね、卵も食べない人なのよ。まったく提督が好きなら好みぐらい調べておかないといけないわ」
朝の仕返しなのか、妙に優越感に満ちたビスマルクが嫌みっぽく言うと、グラーフはグリーンピースをビスマルクのご飯茶わんの上に盛った。それが嫌いなビスマルクとグラーフのあいだでにらみ合いがはじまってしまい、俺の精神が疲れる。
グラーフは俺に好意的だが、恋愛的意味ではなく友情としての『好き』なんだろう。
俺はグラーフの髪や声、それに落ちついた雰囲気は好きだ。でも恋愛となると話は別だ。職場で部下相手に恋愛なんてすると、優遇してしまうし他の艦娘たちから嫌悪される場合もあるからだ。
「グラーフが淹れてくれたコーヒーなら毎日飲みたいものなんだけど」
続く2人のにらみ合いに気が滅入ってつぶやくように言うと、グラーフの顔は輝きはじめ、ビスマルクはうっとおしそうな顔になる。
そんな顔になって何かを言いたそうな2人を無視し、まずいコーヒーを飲みほして席を立つ。
けれど、立ち上がる前にグラーフに腕を掴まれ、顔をぐいっと近づけてくる。
「今、私のコーヒーを毎日飲みたいと言ったな?」
「……言ったけど」
強い気迫の勢いに押され、態勢が崩れたのを後ろからビスマルクが手で肩を支えてくれる。
グラーフの頬は赤くなり、自分の口元を手で押さえながら独り言を言っているが小さい声だから聞き取れない。それから俺の目をまっすぐに見つめてくる。
その目で見つめられ、何をするかと怯えながら待っているとグラーフは俺の片手を優しくつかみ、ひざまづく。
「
突然の言葉に混乱する頭でその意味を考える。グラーフのまっすぐな視線を受け、愛の告白、いや結婚を申し込んだも同然の言葉に今すぐ返事をしないといけないと思う。こんなにも顔を赤くして情熱的に言われたたんだから。
いつのまにか周囲は静かになり、遠くの艦娘たちもこちらの状況に気付き始めている。
俺は彼女が恋人になれればいいと思ったこともあるけど、突然言われると、頭のなかがぐるぐると動く。
感情に素直に従えばいいのか、上司として言えばいいのか、戦いに勝つためには私情を入れないほうがいいのか。
様々な想いのなかで混乱していると、頭を撫でてくれる優しい手を感じる。
首を傾げて、後ろへ向くと、ビスマルクが優しげで穏やかな表情で俺を見つめ、撫でてくれていた。
そのことに頭は落ち着き、心の覚悟を決める。
問題はあるだろうが自分の気持ちに素直になったほうがいいと感じた。ここで世間体や評判を気にしての答えは一生後悔するだろう。
目をつむり、深呼吸をする。そうしてから目を開け、姿勢をただしてビスマルクから離れると頭を撫でてくる手が遠ざかる。
グラーフのまっすぐな目を見つめ、周囲の音が何も聞こえなく感じる。
その中で俺は、グラーフとこの先どうしたいかをはっきりと力強く言う。
「君と一緒なら、飽きることなくずっと読んでいけるだろうね」
告白の返事としてはかっこよくない。
今の言葉についてビスマルクはなんとなくわかっているようだが、周りの人はよくわからないといった空気になっている。
でも俺とグラーフには意味がわかる言葉。
返事を聞いて、グラーフの顔はますます赤くなっては俺の手を離し、ビスマルクへ抱きついた。
「ビスマルク、これは夢だろうか?」
「現実を受け止めなさいよ」
普段とあまりにも違うグラーフの様子に、笑いをかみしめながら言うビスマルク。
対してグラーフは困惑しているようだ。
「まったく、相思相愛じゃないの。私たちの部屋に連れてきたりしたときは嫌われる可能性もあったのに。大胆な子ね」
「それは違う。もし私の片思いだったら恥ずかしいだろう? だから胸を触ってきたりキスしてきたりしたら、それで強迫するつもりだったんだ」
胸を張って言ったことにちょっと怖くなる俺と、呆れるビスマルク。
ビスマルクは俺に聞こえないようにグラーフの耳元で何かを言う。話が続けば続くほど、グラーフは目をきょろきょろさせてから恥ずかしそうに俺を見つめて挙動不審となる。
俺は様子がおかしいので近づこうとして立ち上がると、背を向けて全力で食堂から走っていった。
あっけにとられる俺に、ビスマルクは大声をあげて笑いだす。
「笑ってないで説明して欲しいんだけど?」
腹を抱えて笑いが止まらないビスマルクを睨むと、さんざん笑って落ちついたあとに説明してくれる。
「あの子、初々しかったわ」
「……なんだって?」
「クールビューティーな雰囲気だけど、本ばかり読み過ぎたていたから知識と想像力が偏っていたようね。男をベッドに連れ込む意味を知らなかったのよ」
言ったときのことを思い出したのか、また笑い始める。
事実を知った俺はそのギャップさに可愛いと思いつつ、そういう純心なところを守ってあげないといけないという決心をする。
グラーフが出ていって、いつもの賑やかな様子に戻った食堂を俺は後にする。
これから長いあいだ過ごすであろう彼女、ドイツ娘のグラーフ・ツェッペリンを放ってはおけないから。