私は悲しいことに、妖精に愛される提督適性持ちとして生まれてしまった。
提督適性持ち。
それは妖精という20㎝ぐらいの人型をした生き物を見ることができることと、会話ができる能力。それと艦娘と仲良くなり従えやすくなる力だ。
それらは国や親、親族たちは神様からの贈り物だと喜んでくれた。
私は軍人として、新人類と呼ばれて人間の中から現れた、特殊な能力を持つ艦娘と呼ばれる彼女たちを指揮下に置ける力を使い、導いていくのが私の使命となる。
でも私はこんな力なんて欲しくなかった。
生まれながらにして人生が決まり、天才として誰からも期待される辛い日々。
親や親戚たちは、俺を使って国からどうやって金や権力を絞り取ろうかということばかり考えていた。
俺を将来的に使いたい国は、物心つく前から教育に口を出し、国や軍にゆるぎない忠誠心を持たす人格にしようとしていた。
国に尽くす。
幼い頃から、そう教育されて愛国心が強くなった。
一流の教師たちの授業を自宅で受けて勉強はできて当然。運動能力も高くて当然。
できないことがあれば怒鳴られ殴られた。上手にできても当然と褒められることはあまり多くなかった。
そういう特別扱いをされたためか、弟と比べられた2歳年上の兄は私のことをひどく嫌っていた。
実際は特別扱いなんてのは、私にとって辛いことばかりでいいことなんて何もなかったけれど"特別"というのはうらやましがられるものらしい。
10歳から15歳まで軍学校にて教育を受けた。同期は年上しかいなく、友達もできずにバカにされたりからかわれることが辛かった。
教育が終わった後は各戦線で働いたあとに大湊鎮守府のトップとなった。
仕事を始めたばかりの頃、軍からのおぜん立てを受けて派手な戦功をあげ、新聞やラジオでも褒められた。
その影響で与党の支持率や、軍に対する好感度がよくなった。私もメディアで褒められ、世間から人気が出た。
でも、そんな好意的な感情でも世間から向けられる目が辛かった。
小さな失敗で、その好意が途端にナイフのごとく冷たく痛いものになるから。
軍から多大なる援助を受けられるのは初めだけ。
これからは独力でやっていくことになる。その時に失敗して失望されるがとても怖い。
それは守るべき民間人たちから。戦友ともなる軍人から。うわべだけは私を応援する政治家から。
自分たちのことしか考えていない家族から。
一方的に期待し、10年以上続く長い戦争に勝つため、結果を求められ続ける強い怒りを感じた。うっとうしかった。悲しかった。戦果の数字だけを求められた。
個人的な感情は捨てる必要があり、部下である軍人や民間人、艦娘を犠牲にすることがあった。
悲しかった。でも私は受け止めることしかできない。それが辛くて次第に心は何も感じなくなった。
だから私はいつも思っていた。こんな国、なくなってしまえと。
その願いが実現したのは75人の艦娘がいる、鎮守府のトップになって9年。
29歳になった年、秋に入った頃の季節だった。
10月初旬、深海棲艦による電撃的侵攻は軍が気づかないうちに実行された。
本土海域の警戒線を素早く突破されて横須賀鎮守府の占領、陸戦による政府や軍の重要施設への破壊または占領を受けて日本は降伏した。
その速さは侵攻されていると聞いた2日後には、ラジオで降伏したことを知るぐらいの早さだった。
各戦線がそれほど押されているわけでもないのに、降伏宣言は非現実的に感じて私を含めた鎮守府内の軍人や艦娘たちは反政府活動のやったこととして信じなかった。
だが、妖精が全員いなくなってしまったことや1週間もしないうちに軍から待機命令の電話が来たこと。軍と深海棲艦が一緒にやってきて、自分たちが武装解除を受けたことでようやく現実を受け入れ始める。
初めて近くで見る、生きた深海棲艦の姿は不気味でありながらも目を引き付けられる不思議な魅力を持った外見をしていた。2足歩行で歩く者も歩かない者も。
深海棲艦が来てから知った国の降伏条件はゆるやかで、軍の武装解除と一部の軍施設を接収。軍の大幅な予算削減と艦娘を戦闘目的で使わないこと。深海棲艦と貿易をすること。
それだけだ。
表に出せない秘密の条約があるかもしれないけど、賠償金や領土請求はなしという優しいものに対して、勝者の特権を活かさないのはおかしくないかと疑問を覚えた。
でも、だからこそ、こんなにもこちら側に優しい条件なのは今までの多くの人たちが戦い続け、死んでいった者たちに意味があったのだと私は信じている。
そう、厳しい条件では降伏を断られて私たちが徹底抗戦されることを恐れて緩やかな条件にしたはずだ。
ひとまずは戦争が終わり、気持ちは複雑だが一応の平和が来た。
深海棲艦がここへ来たときは恐怖や恨み、怒りといった感情が鎮守府内を渦巻いていたけど、そのあとは皆が無気力になった。
軍からの待機命令があるということもだけど、目的がなくなり国が降伏して衝撃を受けた今、仕事や訓練をする人や艦娘たちは減り、いても以前ほどではない。
それは鎮守府のトップである私にも影響し、以前はよくやっていた市民と軍のあいだでの様々な問題解決の調整をする頻度が極端に減り、暇な時間が増えた。
時間があり、仕事をする必要がないのなら暇をつぶすために趣味をするしかない。幼い頃から親に厳しく教育されながらも唯一認められた読書という趣味を。
その趣味のために鎮守府の一室に艦娘や軍人たちも利用できる図書室を、私費で作るほどに私は本を愛している。
いや、辛い現実から空想へ逃げるために愛するしかなかった、というのがただしいのかもしれない。
図書室で何を読もうか悩みながら本を借り、執務室へと持ってきて静かに読む。
この行動を繰り返すのもちょうど1週間になる。ひとり静かに執務机へ向かって読めるのはいいけど、普段やっていた仕事の何もかもがなくなるのは寂しいものだ。
普段は執務室の外から艦娘の訓練する砲撃音が聞こえてくるものだけど、今はとても静かすぎる。
部屋の片隅にある、灯油ストーブの燃え続ける火の音すらもよく聞こえてくるほどに。
秘書である古鷹は仕事をしていないと落ち着かない性格で、今でも鎮守府内を歩き回って施設の点検や見回りを熱心にやっている。
9年来の付き合いになるも、仕事熱心で頑張りすぎてしまう彼女が理解できない。仕事というのは給料分だけやればいいのに。
そもそも私と仲が良いと言える艦娘は、秘書の古鷹か読書仲間の電しかいない。
本を読むのに飽きた私は、シェイクスピアの詩集を机へと静かに置き、ひどく大きなため息をついて椅子に深く背を預ける。
かなり暇だ。いや、深海棲艦と殺し合いをする仕事がなくなったことを喜ぶべきだろうか。たとえ、敗戦での平和としても。
気分的には紺色の軍服をさっさと脱ぎたいところだが、まだ軍人という職だから仕方なく着ている。
近いうちに軍から通達が来て正式に辞めることになるだろうから、適度に引き締まった体を維持しつつ辞令が来るまでの辛抱だ。
そうすれば、俺は誰からも責められることなく自由だ。
親からの反抗心で18年ほど肩まで伸ばした髪を短いポニーテールにしたが、もうそれをする理由もなくなる。
最も今では長い髪にもなれて好きになったので、反抗という意味は持たなくなってしまったけど。
ともかく自由だ。
私は自由になれるのだ。でも、自由になった先の未来がわからない。
今まで軍しか知らず、一般的な仕事で使えるような技能はない。よくて鍛えた体による肉体労働が精いっぱいだろう。
それに人生経験が少ないために、それすらも人と揉めずに長期でできるかが不安だ。
特にその人生経験について実感したのは、今のシェイクスピアの詩集によるところも大きい。
こんなにも美しく、表現豊かに人や物を言葉にするのなんてできやしないし、恋愛経験もない私は女性相手にしたら苦労するに違いない。艦娘たちも女性ではあるけど、上司と部下という立場の違いで言うことは聞かせられる。
自分の状況を理解すると、何度ついてもため息が出てしまう。
今すぐ職を失っても貯蓄はあるし、わが国の食糧事情はまだ苦しくもなく、本土への被害も少ないために国内の状況はそう悪くない。
だからこそ、人生経験を積むのなら今だ。
でも何をやりたいかが思いつかない。こういうとき、若い人は旅に出て自分探しをすると小説で知った。ならば、自分も同じようにすればいいじゃないかと気づく。
今まで自由に出かけたことはなく、幼い頃からどこへ行くのにも軍の監視付きだった。だからこその旅だ。
旅に出よう。そう考えたものの、やり方がわからない。旅行をするエッセイを読んだことがあるぐらいの知識しかない。
以前、仲直りをしようと兄からプレゼントを送られたまま、工廠で放置していたバイクのことを思い出した。
もう6年ほど放置していたバイクのメンテナンスをして、それで旅に出よう。原付よりは大きかった気がしたから旅に使うのは悪くないはずだ。
そう決めると、もう使わない書類の裏に『工廠へ行く』と書置きを残して執務室を出ようとし、ふとある考えが思いついた。
それは指輪だ。
今まで妖精が作った、艦娘の能力をあげる指輪は戦艦や空母といった艦娘に優先的に配布していた。恋愛感情はなく、ただ能力の底上げとして。
でも指輪という装飾品を、純粋に送るなら今のタイミングだと思う。執務机の引き出しに1個だけある妖精が作った指輪は、もう戦争をしなくなった今は誰にあげてもいい。
だから今まで世話になった電にでも会ったプレゼントしようかと思い、指輪が入った小さな箱を上着のポケットに入れて執務室の外へと出ていく。
そうして出たときは、あと2時間と少しすれば昼時の時間だ。
空は爽やかすぎるほどに雲がほとんどなく青々としていて気分が良くなるも、冬に近い海から吹く冷たい風で体が震える。
戦争中は海に浮かんでいた警備艇やそこらへんで警備していた装甲車はなく、物資の輸送で人がたくさんいた港には誰もいない。
活気がなくなってしまった鎮守府内を歩き、小さな工場ともいえる工廠へとたどりつく。
暗い工廠の中にはグリスの匂いが感じ取れるものの、少し前まで妖精と艦娘たちでにぎわっていた場所からは何も音が聞こえてこない。
明かりをつけると、艤装や武器が何もなくてがらんどうの空間なのが強く認識できる。
そんな工廠の隅っこには、灰色のバイク用カバーに包まれたバイクがあった。
近づいてホコリをかぶっているカバーをはずすと、出てきたのはメタリックブルーとホワイトを基調とした色合いのバイク、スーパーカブ110だ。
使用感がある車体に張り付けられていた袋入りのマニュアルを取りはずして中のページをめくり、中に兄の手書きメモによるメンテナンスのやりかたを見つけた。
これに書かれていることなら、あまり機械いじりをしない自分でもできると判断する。まぁ、中にはわからない機材もあるが。
とりあえずは着替えだ。工廠の片隅にあるロッカー。そこに私専用の作業用ツナギがしまってあり、それに着替える。
そのあとはメモに従い、空気圧のチェックから始めようというところで誰かが工廠の扉を開けて入ってくる。
入り口には駆逐艦娘の電が私を見つけたからか、安心したような笑みを浮かべていた。
小さな体におとなしい雰囲気の彼女は淡い茶色の髪をアップにしてまとめており、中学1年生ぐらいの小さい体には軍支給のセーラー服のような制服をきちんと身に着けている。
そんな彼女の手には、以前貸したカントの『永遠平和のために』の本を片手で持っている。
「読み終わったか」
「はい。それで本を返そうと執務室に行ったら、ここにいるとメモがあったので来たのです」
直接返そうとする律儀な電は、私の隣に来るとバイクを興味深そうに見つめる。
「これから整備をするのですか?」
「ああ。だから本はそこらへんの汚れていないところに置いてくれ」
と、言ってから見回すもあたりは汚れているところしかない。
私は電から本を受け取ると、服をしまったロッカーへ入れる。
しまったあとにバイクのところへと戻ってくると、電が工廠の片隅から白色をしている反射式の灯油ストーブを両手で運んで持ってきた。
「何をしている?」
「このままだと風邪をひいてしまいますよ?」
スカートのポケットからマッチを取り出した電は、ストーブの前にしゃがむと慣れた手つきで火をつけていく。
私を心配してくれる電は、仕事という関係を除くともっとも仲がいい子だと思えている。
私が鎮守府のトップになってから9年。それはこの子と一緒に仕事をしてきた時間と同じだ。
初陣を私の指揮下でし、今まで戦い続けてきたベテランであり友人だ。出会った頃は幼く明るくてドジっ子であった彼女が、今では昔の面影を残しながらもすっかりと大人びて落ち着いた子になった。
信頼できる子がそばに来ると、このまま1人で作業をするのは寂しいなと思ってしまう。
「電」
「なんでしょう?」
「タイヤの空気圧を調べる道具がわからないんだ。時間があるなら、手伝ってくれないか?」
「はい、手伝わせてもらいます!」
私の言葉を聞いて嬉しそうに笑みを浮かべたことで安心した私は、電に頼んで空気圧を調べるエアゲージという道具を持ってきてもらって調べると、両タイヤとも圧力が低下していた。
兄の手書きメモではガソリンスタンドに行く必要があるものの、電が言うには自転車用の空気入れでできますと言ってやってくれた。
以前は妖精の手伝いをしていた電がとても頼もしい。
「よく道具の場所がわかるな。日頃から艤装整備を手伝っていたおかげか?」
「いえ、これは長門さんのおっきなバイクを手伝っていたからです。と、言っても簡単な整備しかわかりませんけど」
「それでも助かるよ。しかし、あの戦闘狂はそんなのを持っていたのか……」
深海棲艦相手に格闘戦するのが大好きな長門とは4年の付き合いだが、バイクを持っていたなんてことは知らなかった。
知らなくて当然かもしれない。長門とはそんなに世間話もせず、仕事と食事の会話ぐらいしかしたことがなかったから。
恋愛がわからない私でも、女性の美しさはわかる。あの顔は整っていて美しく、いい筋肉の付き方をして体形は良い。身長も高く、男装が似合いそうな美人にはきっとバイクは似合っていてかっこいいはずだ。
そんなことを思うもすぐに意識は手元の整備作業へと戻し、それから私は電に頼りながらオイル交換にヘッドライトや外装のチェック。それが終わったあとは外でエンジンをかける。
動作には問題ないため、残りはシートや部品の清掃だ。でもその前に一休みだ。
電のためにも、ジュースやお菓子を食堂から持ってこようとしたが、俺が動く前に気づいた電は「おやつを持ってきますね」と言って先に行ってしまった。
実によく気がつく子だ。
これからの時代、電にはいい仕事を斡旋したい。でも私は親や親戚とは仲がよくないため、頼れるのは鎮守府周辺である町だ。そこなら多少の伝手はある。電ひとりぐらいならどうにでもなるだろう。
他の艦娘たち、残り74人という数はどうにもできないから軍がなんとかしてくれることに期待したい。
おやつを食べる場所を作るために工廠脇の倉庫に行き、そこからパイプ椅子を2つを手に持つと、それらを工廠のストーブ前へと置く。
少しして電が戻ってくると、マグカップに入った温かいコーヒーを渡される。電はホットミルクだ。
体を温めながら食べるのは、電が持ってきた古鷹お気に入りのお菓子、南部せんべいだ。
ぱりぱりと音を鳴らしながら静かな時間を過ごすが、ふと貸した本の感想を聞きたいと思った。借りに来たときに、平和に関する本を欲していた電の話を。
「そうだ、貸した本はどうだった? 電が求める平和の参考にはなったか?」
「はい。恒久的平和になるにはどういうのが必要かというのがわかったのです。戦争をしないのは平和条約によって求めるものではなく、それがなくても争わない状態にするというのが大事なのです」
「私からすれば、平和条約による平和でもいいと思うんだが。それが戦争をする準備のための短い平和であったとしても」
「でもずっと平和が続いたほうが嬉しいですよ? カントさんは常備軍をなくし、戦争に関する国債発行はゼロですべての国は共和制。
永遠平和を作るための連合を作ろうとする意思が最も重要と書いてありました」
「求め続ければ、いつかは達成できるのかもしれないけど……」
人の意思はとても弱いものだ。深海棲艦という人類共通の敵でさえ一致団結できず、人間同士で派閥争や利権争いをしているというのに。
平和を求めるなら人の意思だけでは足りないと思っている。
「私は原始共産制というのが長く平和を続けられるかもしれないと思っているよ」
「……えっと、それはいったいなんなのです?」
「人類みんなが畑や家畜といった資産を持たない、つまりは縄文時代になればいい。狩猟と採集だけする生活なら毎日が忙しくて戦争をする余裕はないだろうさ」
「その、ずいぶんと極端な意見ですね?」
「こうでないと平和にならないと思ったんだ。あぁ、電の考えを否定するつもりはないよ。むしろ好感が持てる。
この世の中に電のような考えがたくさん広がればいいのにと思う。私はまだ、そういう考えまでいたっていないけど」
今までの人生は軍がすべてだった。だから私の考えは実に自由度が足りない。すべては軍事力があってこそという教育を受けたから。
だからこそ、新しい考えを入れるべく旅をしようと思ったんだ。
私はコーヒーを飲み終わると床へとマグカップを置き、バイクを見る。
初めての素人仕事だが、簡易的なメンテナンスは悪くないだろう。旅の途中で壊れてもどこかのバイク屋で直せば大丈夫なはずだ。最初から店に預けて全部任せればいいのだけど、最初だけは自分の手でやりたかった。
仕事にまったく関係のないメンテナンスというのは、やりきった満足感が強くていい。
バイクがひと段落したあとは旅向けの改造が必要だけど、その前に電へ渡したいものがあったのを思い出した。
まだホットミルクをちびちびと飲んでいる電の姿を微笑ましく感じながら、ロッカーへと行き、軍服のポケットに入っていた指輪の箱を取り出す。
その箱を手に持ったまま、座っていた椅子へと戻ると箱を電へと差し出す。
「今まで世話になった感謝の印だ。電がいなかったら、私の精神は今よりずっと悪くなっただろうからな」
「プレゼントですか? 電は司令官さんと一緒にいたかっただけなのです。感謝なら電のほうが」
そう言って受け取ろうとしなかったため、強引に膝の上へと置いた。
渡された電は困惑しているものの、飲み終えたマグカップを床に置いてから箱を手に取った。
「開けてもいいのですか?」
「もちろん」
電は小さな箱を開き、中の指輪を見て首を傾げなら取り出すと、蛍光灯の光にかざすようにして銀色の指輪を見つめる。
不思議そうに指輪を見続ける電を見ながら、なぜか緊張しはじめた自分の心を変に感じながら、あげた理由を説明する。
「元々はケッコンカッコカリ用の指輪なんだ。今では普通の指輪同然だけど、私は電にあげたかったんだ。戦艦や空母の艦娘にあげてきたけど、それは戦果をあげるためで――」
いつのまにか私をじっと、どこかうるんだ瞳で見てくる電がなんだか色っぽく言葉が途中でとまってしまう。
今まで子供か、よくて妹と思っていただけに、色っぽく感じるのはひさしぶりで見とれてしまう。
が、私は短く息をついたあとに心を落ち着けてから言葉を続けていく。
「能力や戦果なんて関係なく、ひとりの艦娘、いや、人として電にあげたかったんだ」
「あぁ、そういうことでしたか。感謝のプレゼントで……指輪? 指輪ですか? え、あ、えっと、指輪? その、電への純粋な贈り物としてです?」
途中から急に慌てはじめて電を変に思いながら、そうだと返事をする。
電は指輪を左手薬指につけようとし、でもその直前で右手薬指につけなおした。
どこにつけるかで指輪の意味はそれぞれ違ったはずだけれど、どうにも思い出せない。
別にどこへ付けようとも気にしないのだけど、そのことで古鷹から『乙女心を理解してください』とあきれた風に言われたこともある。
わからん。まったくもってわからん。けど、今回の乙女心はわかっていると思う。きちんと感謝の気持ちとはっきり言っているし、戦力としてでなく、人として渡している。
だから大丈夫だ。今まで複数の艦娘たちにあげた時とは違い、緊張感が強いものの友人に対するプレゼントなのだ、これは。
深呼吸してから電の指を見ると、妖精仕様の指輪は電の指にぴったりと収まっていた。
「最後の指輪ぐらいは好きな相手に贈れてよかったよ」
「……え、好きな人、ですか? 電を? その、こんなちんちくりんな体で胸も大きくなくて色気も何もないのに、ですか?」
ここ4年ほどは落ち着いた様子の電しか見ることができなかったけど、出会ったときと同じぐらいに慌てていて、顔を赤くして恥ずかしがる姿はなんだか可愛い。
「別におかしいことじゃないはずだけど」
「え、ですけど、その、それなら胸が大きい五十鈴さんや蒼龍さん。もしくは癒してくれるゴトランドさんや鳳翔さんのほうが――」
「それ以上言わないで欲しい。私は電が好きなんだ。一番大切な友人である電だからこそ渡したんだ。読書仲間で人に気を遣い過ぎるぐらい優しい電だからこそ」
「……大切な友人? 電がですか?」
「あぁ。友人だと思っていたのは私だけだったか?」
「いえ、そういうわけではないのですけど。ちょっと考え過ぎてしまって」
電に疑問を持たれると、上司と部下の関係にしか思っていてくれなかったのかと落ち込む。
同時に贈り物をしたのはまずかったか。
でも電はすぐに首を左右にブンブンと強く振って否定してくれた。
その動きでひどく安心したけど、私の目を見て恥ずかしそうに、または落ち着きなく髪の毛をさわるから、どうしたのかと聞こうとしたけど、電は立ち上がってはすぐに2人分のマグカップを持つと急いで立ち去っていったから。
次の日、軍から送られてきた書類は私の心を元気にさせてくれるものだった。
そう、それは希望退職を求める書類。軍なら強引に命令でもいいのに、わざわざこういう風なのは軍に反感を持たせないためだろうか。
でもそれが私にはありがたい。このときばかりは喜んで軍に従おうじゃあないか!!
うきうき気分でやめたいということを書くと、秘書の古鷹に送るよう指示をした。
そのままのいい気分で昨日と同じく工廠にやってきた私。
簡単なメンテナンスは終わっており、今度はスーパーカブ110を長旅に使えるよう改造をする必要がある。
色々と荷物を積めるようにする必要はあるのだけど、よくわからない。艦娘の誰かが読んでいた、チャンプロードという古いバイク雑誌を参考にしようとしたけど、見た目重視の改造なために方向性が違う。
その雑誌にあるバイクの改造内容は大体が派手にすることが中心だった。自分の伝えたいことをバイクとして形にするのはいいと思うけど、この改造は旅に向いていない。
ではいったいどうすればいいかと悩むも、私の蔵書にはバイクに関する本はない。
旅に関する本なら耕運機で一人旅や、犬と一緒にカヌーで旅するのならあるのだけど。
……どうしようか。
電はバイクに関する知識がそれほど多くないようだし、頼ることはできない。バイク店で相談するのもなんだか恥ずかしい。
軍人や艦娘相手ならいいけど、一般人相手だとどう話をしていいかがわからない! ……もしかして、軍はこれを狙ってやっていたかもしれない。私が逃げ出しても民間に馴染めず、結局は軍に戻ってくるようにと。
なるほど、たしかに効果的だ。店で本を出して買うだけならできるんだけどな……。
仕方がない。こっそりとやりたかったが、仕方ない。電に相談しようか。
そういうことで艦娘寮に行って電に相談すると、助言を受けた私は個人的にバイクを持っている2人の艦娘を誘って執務室へと戻る。
その2人は長門(ハーレーのソフテイルモデル)と摩耶(カワサキの中型)だ。
長門の摩耶は能力向上のために指輪をあげた艦娘たちで、普段から右手薬指に指輪をつけている。その彼女たちとある程度は仲がいいからお願いはしやすかった。
そして執務机を囲むように椅子を3つ置くと、秘書である古鷹がお茶やお菓子を用意してくれて始まるバイク改造会議。
バイクの改造をしようとした途端、2人は元気に声を出した。「ハーレーと並んでもいいようにアメリカン系のパーツと交換し、シルバーメッキ改造をしようじゃないか!」「フロントとリアをノーサス(ノーサスペンション)にして、地面すれすれの車体にしようぜ!」
前者が長門、後者が摩耶の発言だ。そんな2人を私は無言で嫌そうに見つめる。長門と摩耶は他にも色々言っていたが、私の沈黙を感じて静かにしてくれた。
落ち着いたところで、改造の方向性は旅をするためと言う。3人から何のためにと聞かれ、1人で旅行をするためと言う。長門と摩耶は目を輝かせ、一緒に旅行へ行こうと旅行プランを語ってくるも、さっきと同じように目と沈黙で黙らす。
そうしてから、紙を一枚取り出して4人で話をしながら書いていく。
改造案はこうだ。
前に大型フロントキャリアを載せ、荷台の上にも同じく。キャリアにはそれぞれ大きいボックスを取り付ける。それと荷台部分には左右にサイドバッグを。
ハンドル下にはペットボトルジュースが入れられるようなメッシュのインナーラック。レッグシールドの中心付近にはセンターキャリアの取り付けと小さめなバッグ。
途中で古鷹も参加し、この中で唯一絵心のあった古鷹を連れてスーパーカブを見てもらったあとに執務室へ戻ると改造案の絵を描いてもらった。
ノーマル状態のカブが絵でわかりやすく表現されてとき、私の心はひさしぶりにウキウキと興奮してくる。
これほど興奮したのは、去年に摩耶1人で深海棲艦の艦載機を120機墜として以来だ。
4人の艦娘たちも改造案を考えるのは楽しかったらしく、朝から話し合ったのに全部が決まったときは夜になりかけるほどだ。
計画も決まり、すっきりした気分で夕食を食べ終えたあとは秘蔵していた酒や干物、缶詰を出しては5人で飲み会をした。
――翌朝、執務室に入ってくる朝日の光で起きたときは足でからみつくように摩耶に抱き着かれ、長門の足が腹に乗っかって息苦しい朝を木の床の上で迎えてしまう。
目が覚めるとなんで自宅じゃなく、執務室にいるんだと思うもたっぷり5分の時間をかけて理解していく。
鎮守府の外にある家に帰るのが面倒になり、流れで寝てしまったことを。
首をまわし、あたりを見回すと電は1人、ソファーで羽毛布団に埋もれるようにして気持ちよさそうに寝ていた。
私たち3人の体にも羽毛布団がかけられており、こんな気遣いができるのは古鷹だけだ。
古鷹の優しさに感謝しつ、長門の足を腹の上から強引にどかしたて摩耶から脱出したあと、ぼぅっとしていると執務室の扉を開けて入ってくる人がいた。
顔をあげると、そこには制服をきっちり着た古鷹の姿が。
「おはよう、古鷹」
「はい、おはようございます。食堂でご飯の用意ができましたので、起きたらみなさんで来てくださいね」
小さな声で話をすると、古鷹は静かに扉を閉めていなくなった。
私は体を起こすと服が乱れている長門、摩耶の頭を起きるまで軽くパシパシとそれぞれの手で叩き続ける。
2人が起きたあとは電の肩をゆすり優しく起こす。それを見た長門と摩耶はブーイングしてくるが、無視。
お前たちはがさつで丈夫だから適当に起こしていいんだ。電は繊細な子だから特別だ。
皆が起きたあとは顔を洗い、食堂でご飯を食べる。
その時に窓の外を見ると、空は昨日と同じように青空が広がっていた。こんなに天気がいいのなら、今日はバイクで出かけられる。
そう考えてから3人に今日の予定を聞くと、3人とも暇だから私が行くバイク屋についてくる流れになってしまった。
朝ご飯を食べ終え、1時間後に正門前でバイクを持って集合となり、そのあいだに私はシャワーを浴びる。その後は出かける服に着替え、手袋を身に着け軍服の上に厚手のジャケットを着る。
工廠前ではハーフヘルメットを2つ持っていた電がいて、ひとつを受け取ってかぶり、ほんの少しの時間だけ1人で運転練習をしてから荷台に電を乗せ、私の体を掴ませてから走り出す。
途中、正門付近でバイクに乗った長門と摩耶たちと合流し、そのままバイク屋へと向かう。
……そういえば、古鷹以外の艦娘と一緒に私的なことで外へ出るのは初めてじゃないかと気づく。戦争をしていた時は仕事以外で仲良くなると情が移り、それが作戦指揮の邪魔をすると考えて遠ざけていた。
当時はそれが正解だと考え、今でも正しかったと思う。
なぜなら、一緒に出掛けるだけでこんなにも楽しい気持ちになるとは思ってなかったから。
でも、それは市内に入るまでだ。軍服を着ている私と艦娘という姿を見ると、道行く人々から不快な視線を感じる。
それを言葉にするのなら、『お前たちがしっかりしないから負けたんだぞ』『負けた軍人のくせに何を楽しそうにしているんだ』というような。
市内の建物は破損がなく、敗戦したわりに元気に商売をしている光景なだけに、その差が心苦しい。
視線が辛く、ストレスで胃が痛くなっていると後ろにいる電が強く、けれども優しく抱き着いてくる。電の温かさは私の心を落ち着かせくれる。
落ちついた心でバイク屋に着き、2店舗ほどバイク屋をめぐって改造用の部品を手に入れた。
他にも旅をするときに必要なキャンプ道具を、長門と摩耶に言われるままに買う。時々長門と摩耶が個人的に欲しいと思って買わせようとしたものは、電が不必要と判断してくれるから助かった。
買ったのはバイク用のレインコート、2人用のテントに寝袋やマットといった寝具類。シングルバーナーなどの調理道具。これらはバイクで持って帰るには重いため、翌日配送してもらうことに。
全部が終わったあとは午後2時で、帰る途中にあったラーメン屋で少し遅い昼食をとった。
煮干しラーメンがうまかった。
3日後にはバイクの改造と調整が完了し、荷物さえ積めば今すぐにでも旅へ出れる状態となった。
自分だけの専用バイク。そう思うとなんだか興奮してしまう。
自分専用に改造した、というのは実に男心をくすぐられる。軍ではきちんと制式のものを使え、改造するなと教育されたからこういうのは新鮮だ。
バイクを目の前にして、そんなことを感じていると長門と摩耶が肩を組んできては、一緒に旅行をしようと言ってくるので適当にあしらっておく。
私は1人で旅をするんだ。
艦娘たちと一緒だったら、今までの生活と変わらない。旅をして新しい人生経験を得て人生に役立てる。これが私のやりたいことだ。
ブーイングする長門と摩耶に肩を掴まれたまま、俺は電を後ろに連れて2人を引きずりながら執務室へと強引に戻り、3人と離れて執務室の中で1人落ち着く。
そんなふうにじゃれあうのが楽しく、笑みが浮かんでしまった。もっと早くこうしておけばよかった、と思ってしまう。
でも同時にこんな心地いいのを感じていたら、誰かが怪我を、または死んでしまったら心に深い傷を負ったに違いない。
だから間違っていなかった。
それなら今回もそうしよう。この楽しい空間を感じ続けてしまうと、別れが辛くなる。すぐにでも旅へ出ないといけない。
軍から退職手続き完了の手紙は来ていないが、後の処理は信頼できる古鷹に任せよう。あの子は今まで私の命令を違反したことはないから安心だ。
早く出かけないといけない。そう焦る心で次々と予定を決めていく。
準備と引継ぎを急いでやると、あさってだ。あさっての早朝、静かに出ていくことにしよう。
やると決めたら、すぐに引継ぎ用の書類を書き始めていく。
そして夜には艦娘たちにばれないよう工廠で荷物を整えはじめ、誰にも見られないように工廠の鍵をかける。
そうして旅に出る日となった、太陽も出ていない暗い時間の午前4時。
昨夜の夜から分厚い雲が空いっぱいにかかり、今も空のどこを見渡しても星すら見えない。
鎮守府の明かりは街灯だけで、昼夜を問わず働いていた軍人や艦娘の姿はなく、私しかいない。
私服のズボンにジャケットを着て暖かくしても、肌を刺すような冷たさを感じ、自分の足音だけしか耳に聞こえないのは不思議なものだ。
……いや、不思議じゃない。戦争に負けたからこそ、こんな静かな鎮守府になったんだ。
心のどこかでまだ負けたのは実感できていなかったんだろう。国が負けたと知ったときでもなく、深海棲艦を近くで見た時でなく、ただ静かな時間が私に現実を教えてくれた。
でもこの静けさは平和の証拠である。たとえ負けたとしても、もう戦う必要はない。まぁ、心の底から喜べる平和ではないけども。
旅に出るという興奮があったものの、こうして体と共に頭が冷えて冷静になってくる。
工廠にたどり着き、鍵を開け、中へと入っていく。そこにある、スーパーカブの前に立つと、なにか忘れたことはないかと考える。
昨日のうちに古鷹には話をしっかりしたし、私の大部分のお金を自由に使っていいと渡した。なにかあったときは知人の軍人たちに頼るように言い、こっちからも定期的に連絡をすると伝えた。
少し後悔しているのは古鷹以外には、誰にも今日旅へ出ると言っていないことだ。
でもこれが正しいことだったと私は強く肯定する。やり方が極端かもしれないけど、これこそがお互いに苦しまず、別れる方法だと思う。
私はヘルメットをかぶってからバイクを押し出して工廠の外へ出ると、そのままエンジンをかけずに押していく。
いくら人がいない時間だと言っても、エンジンをかけると気づかれるかもしれない。だから押していく。
あたりの様子を少し気にしながら正門へと行くと、私が出入りする時にちょっとだけ開けた正門の脇のところに誰かがいる。
でも距離があり、暗いこともあって誰かはわからない。電灯はあるものの、そこは光が届いていない場所だ。
誰かと疑いながら近づいていくと、小さい姿、女性と段々わかっていき、そこで警戒して立ち止まると電灯の明かりの下にその人は出てくる。
10mほどの距離でわかったのは、電の姿だった。
いつもの制服に前を開けた深い青色のパーカーを着て、青いリュックサックを背負っている。そして、その表情はいつものほんわかしたものではなく、感情を失ったような目で私を見つめていた。
目の前にいるのは、読書仲間で仲がよい電だ。だというのに、その姿を見て怖いと思うのはなぜだろう。
電が立っているだけで私は緊張し、冷や汗が出てきてしまう。
声が出せず、そのまま様子をうかがっていると電はパーカーの内側に手を突っ込むと脇のホルスターからオートマチックの拳銃を片手で私へと向けてくる。
指輪を薬指に着けた手の指は、トリガーガードにかけられているも
「こんな暗いのにどこへ行くのですか? 本屋さんはまだ開いていませんよ」
「今日は遠くの店まで買いに行こうと思ってね」
「それなら誰かを連れて行きませんか? 1人だと危険ですから」
「迷惑かけられないし、1人でいいさ。それに今すぐ本が読めないと私は死んでしまう」
「なんですか、そのRead or Dieみたいなのは。そこまでビブリオマニアではなかったと電は思うのです」
抑揚がない声、動かない表情と視線。
すべてがいつもと違い、電でありながら電ではない存在に感じた。
ああ、なんでバレたんだ。古鷹が裏切るわけはないし……考えなくても最近の行動を見ていれば予測はできるかもしれない。
でもなんで邪魔をする必要があるんだ。戦争が終わった以上、私が役に立つところはない。むしろ、いないほうがいい。市民から批判が向けられようとも、司令官が逃げたといえば多少は楽になるだろうに。
「私は旅をしたいだけなんだ。古鷹には引継ぎをしているし、電たちの悪いような―――」
「私たちを置いていくのですか?」
その静かな、けれど力強い声に背筋が冷える。
まるで私を裏切者と見ているような目で見つめてくる。
「あなたがいないと電は、艦娘である私たちは平和に暮らせません。私たちは軍しか知りません。殺すことしか知りません。
私たちは人に似ていながら人ではありません。だから導いてくれる人が必要なのです」
「退職願いを出している。受理される前に旅に出ることは悪いかもしれない」
「間違いなく悪いです。あなたがいてこそ私たちは平和に過ごせるのです。それは退職するまでの短い平和であろうとも」
戦闘や演習の時以外はそう聞くことがない電の怒鳴り声と共に、少しずつ私に近づいてきて、距離は手を伸ばせば届くような。
私の顔から30㎝もないほどの近くまで銃口が近づいてくる。
死を感じた。戦争が終わったというのに、敵からではなく部下である者から死を受ける気配を。
「戦争が終わり、少しは混乱している時期に1人だけ逃げ出して、平和な人生を送ろうと思っているのですか?
あなたが電たちを導いてきました。私たちは国ではなく、あなたのために戦ってきました。そんな私たちを捨てるのですか?」
「軍がこれからの生き方を教えてくれる。それが嫌なら自分たちで生き方を考えてくれ。自由を考えてくれ」
私に責任を負わせないでくれ、という意味を込めて言葉を口にすると、電は引き金に指をかける。
だからといって私は引き返せない。私はもう軍に縛られたくない。
自由になりたい。新しい生き方を、人生を探したいんだ。
それは私だけでなく、艦娘たちにも心からそう思っている。
「戦争ではなく、平和になった世界を生きて欲しい。軍しか知らない私がきっと邪魔になる。古鷹には金や権限を渡した。
それで許してくれないか?」
実に美しい見せかけだけの言葉。そう聞こえるだろうけども、これは本心だ。心からそう思っている。
私と艦娘たちが同時に幸せになるには、これがいいと思った。もう少し時間をかければ、もっといいのがあるかもしれない。
でも私はすぐにでも旅へ出たかったんだ。まだ敗戦直後のこの国を。あまり知ることがなかった、軍ではない、この世界を見たいんだ。
緊張と冷や汗が流れ続けるなか、緊張した空気で私と電は見つめ続ける。
でもそれはすぐに終わった。
あきれたように深くため息をついた電が銃を下げたから。
「……電たちに司令官さんの人生を縛る権限はありませんね」
「すまないな」
「司令官さんの好きなようにさせよう、それが電たち艦娘の考えです」
「気づいていたのか」
「はい。あなたが何をするのか、電たちはずっと見ていましたから」
電は銃から弾倉を取り出し、パーカーのポケットから弾丸を取り出して弾倉に詰めていく。
弾を詰め終えた弾倉を銃に入れると、電はパーカーの中のホルスターに戻す。
事前に準備していたことへ驚くことも当然ながら、ずっと見られていたということに衝撃を受ける。
……人の気配なんて全然感じなかったのに。いったいどこからなんだ。いや、そもそもずっと見ていただなんて。監視されるほど悪いことはしてない。
戦争が終わったあとの艦娘がどうなるか心配だったから?
「たぶん、司令官さんが考えているのとは違うと思いますけど」
そう苦笑しながら私のバイクに近づく。
そして背負っている、ふくらんだリュックサックを降ろすと中からドライバーを取り出して、荷台に取り付けた大型ボックスを外していく。
「何をしているんだ?」
「スタンドを立ててくれませんか?」
私の言葉を無視し、スタンドを立てるようにお願いしてきた電に、私は何もわからない状態で言われるままにスタンドを立ててバイクを止める。
電はリュックサックの中から折りたたまれたクッションとトラロープを取り出すと、大型ボックスを外した荷台に取り付けていく。
荷台にクッションをトラロープで縛り付け終わると、今度は大型ボックスの中身を取り出してリュックサックの中に入れていく。
それが終わると、大型ボックスを正門脇に置いて戻ってくる。
一連の作業の結果、荷台にはサイドバッグがあるものの、人が1人乗れるスペースができた。
「ついてくるのか?」
「好きな人と一緒にいたいと思うのはダメですか?」
私のすぐ目の前に来た電は、上目遣いで見上げて恥ずかしそうに言ってくる。
それをかわいいなと思ったけれど、ダメだ。ダメという理由はないし、ついてきてくれるなら嬉しくもあるけど、ダメなんだ。
感情だけが先走り、自分にも理由が説明できないのに否定の想いしか出てこない。
ダメの理由をいったいどうすればいい、とすごく悩んでいると電は右手薬指につけていた指輪を左手薬指につけ替えた。
その位置は愛している、と。
今まで指輪をあげても恥ずかしくなかったのに、愛の告白をして薬指につけられると物凄く恥ずかしい。
なんだ、この感情は。
「それにほら! 世間知らずな司令官さんは心配ですし、電は護衛としても使えますよ!」
「好きと言ってくれるのは嬉しいけど、恋愛感情がわからなくて返事ができない」
「大丈夫です。電を受け入れてくれるかはわかりませんけど、振られても一緒にいたいんです。……ダメですか?」
かわいすぎる。
電の言葉で頭がいっぱいになって恥ずかしさのあまり、自然と目元に両手をあてしゃがみこむ。
急な動きに電は心配してくれるけど、こんなに艦娘のことをかわいいだなんて思ったのは初めてだ。
いや、落ちつけ私。冷静に考えよう。
私は電と一緒に旅をしたいか? したい。
なぜ一緒に? 1人は寂しいし、それに自分のことを想ってくれている人をないがしろにすることはできない。
「……古鷹に言って、なにかしらの手続きを取らないと」
「そこは大丈夫です。脱走した司令官さんを追っていったということにしましたから」
「準備はできていたのか」
言葉に応じるように、電は小走りで行くと暗くて見えなかった正門脇へ行くとハーフヘルメットをかぶり笑顔で戻ってきた。
大きく深呼吸をすると、私はバイクに乗りエンジンをかける。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「はいなのです!」
こうして私は初めての旅で電と一緒に鎮守府を出ていく。
人通りがほとんどない道を走るのは新鮮で、気分がよくなりながら山へと向かう。
さっきまで目的地は決まっていなかったものの、今は決まっていた。
山を登っていく途中、見晴らしのいい場所があるのは前に車で通ったときに知っていた。
その場所で見たいんだ。私がいた鎮守府を。守り続けた場所を。
お互い会話もなく、ただ電の抱き着いてくる感触と温かさを背中に感じてたどりつく。
そこは木が切り払われている場所で草原になっており、以前牛でも放牧する場所だっただのろうか。
道路にバイクを停め、電と一緒にヘルメットを取ってバイクに置くと奥へ歩いていく。
鎮守府を出た頃は暗かったものの、今では太陽が灰色の重い雲越しにあたりを照らしてくれている。
せっかくの旅立ちの日に晴天でなかったのはちょっとばかり悲しくなるも、それ以上に今が自由だということのほうがすごく嬉しい。
眼下に見える景色は町と鎮守府。それらとの距離はかなり遠く、山という高い場所から見ることもあって、普段見慣れていた場所が新鮮だ。
それに海の匂いはなく、山の香りはよく感じる。
私は胸いっぱいに気分よく空気を吸うも、隣にいる電は私と同じ景色を見ているのに明るい顔ではなく、悲しみがあるような。
そんな寂しさが混じり、複雑な表情を浮かべている。
「いい気分にならないか、電」
「景色は綺麗ですけど……その、戦争に負けてすぐの時期に、これからの旅はどこへ行っても楽しくないと思いまして」
「そうかもしれない。でも多くのことは楽しめると思う。それが悲しいことや怒るようなことでも。軍に関係していないのならね」
そんな前向きの発言に電はため息をつくと、私より4歩ほど前へ歩いていって立ち止まると、憂鬱そうな顔を向けてくる。
「司令官さんは前向きですね。いつも落ち着いて冷静だったのはどこへ行きましたか?」
「そんなのは捨てた。もう軍や艦娘たちの人の目を気にすることなく生きていけるからね」
「ほんと、前向きですね。それだと騙されて身ぐるみをはがされちゃって、ぽいって捨てられちゃいますよ?」
「その時には電に守ってもらうさ。世間知らずの私は世話をしてもらわないとやっていけない」
そう言うと、電の憂鬱そうな表情は硬直し、なぜか視線をあちこちに動かし、手足を無駄にぶらぶらと動かしては挙動不審になってしまう。
その時に聞こえる小さな独り言は「電がお世話をしてもいいのですか? おはようからおやすみまで?」と。
にんまりと、または恥ずかしそうに嬉しそうに。
くるくると表情を変える電をほほえましく見つめると、そのことに気づいた電はほっぺたを両手で力強く叩いたあと、元の落ち着いた、憂鬱そうな表情へと戻る。
「そういえば、これから司令官さんの名前は何と呼べばいいですか? 今までどおりだと問題が起きると思いますけど」
「あぁ、それもそうだね。それじゃあ、これからは―――」
今までと違う呼び方を求める電に対し、私は自分の名前を告げて呼ぶようにする。
今この瞬間から上司と部下ではなく、友人としての新しい関係になる。
なるけど、電が好きだと告白してきたから近いうちに返事をしないといけない。
普通の友人関係とは違うから恋愛感情のある友人関係?
まぁ、そういうのは旅をしているときに考えていけばいい。
今までと違い、時間に追われることもなく戦闘のことを考える必要もないんだから。
源治さんのシチュリク小説。