鎮守府商売   作:黄身白身

6 / 17
なんとか第六話です


剣客商売一巻「御老中毒殺」が元ネタです



どうぞ、ご笑覧ください


提督毒殺

 

 

 まるゆは、あきつ丸の手足となって働いている。

 同じ陸軍由来の艦歴を持つ者同士として、この組み合わせは珍しいものではない。多いといってもいいだろう。

 あきつ丸は町の治安に一役買っていて、住人からの信頼も篤い。なにかしらの相談を受けている姿も、まるゆはよく見かけていた。

 

 まるゆはそんなあきつ丸を尊敬していた。大戦が小康状態となり、行き場を失って転落しかけたまるゆを救ったのもあきつ丸であり、それ以来、まるゆはあきつ丸のため働くと心に決めている。

 

 あきつ丸が心服している秋山小兵衛には、まるゆも一目置いていた。

 小兵衛自身のことをまるゆはほとんど知らぬ。知らぬが、あきつ丸が心より信頼し、また頼みにもする元提督である。その一点だけでまるゆが信ずるには足るのだ。

 

 そのまるゆは今、賭場に足を踏み入れていた。

 

 初めてのことではない。表に流れぬ情報を得るためには非常に都合が良く、また、まるゆにとっては良い小遣い稼ぎにもなる場所なのだ。

 

 そこでまるゆは知り合いの顔を見つけた。

 重巡那智。かつてはあきつ丸と同じく小兵衛に師事していたが、現在は悪に手を染めたはぐれ艦娘を狩る専門職、艦賊改方の一員であった。

 その那智もこちらに気づいたようだが、何も言わずにそっぽを向いている。

 

 なるほど、とまるゆは納得した。

 

 ここはもぐりの賭場である。

 そこにあきつ丸配下の自分と艦賊改方の那智が行きあった。となれば挨拶の一つも、と考えるほうが阿呆である。

 

「まるゆもお願いします」

 

 那智を無視して馴染みの締役に札を渡すと、代わりの木札が渡される。

 

「まるさん、久しぶりだねえ」

 

「カツカツでしたよぉ」

 

「ははっ、それじゃあこれはちょいとおまけだ」

 

 木札が数枚増えた。

 

「ありがとうございまーす」

 

 素知らぬ顔をして場に参加すると、那智がかすかに目くばせしたように見えた。

 

 困った、とまるゆは思う。

 

 捕物に巻き込まれるのは正直勘弁してほしいが、だからといってこの場から突然消えれば、それはそれで今後がやりにくい。

 うまく逃げ延びた者に「そう言えば直前に逃げたまるゆがいたような」と言われては困るのだ。

 

 まるゆは腹をくくった。一緒に捕らえられても、那智が相手ならうまく運んでくれるだろう。

 こう見えても、いざというときの度胸は戦艦並みだと大戦中から言われてきたのだ。

 

 勝負が進むとやや場が荒れ始め、まるゆの札も増え始める。

 

(これは、感謝ですぅ)

 

 どうも、那智がまるゆの知らない誰かと組んでわざと場を荒らしている気配があった。それもまるゆが勝ちやすい方向に。

 ならば、である。

 まるゆはさらに大きく賭け、場を乱すことにした。勿論ついでに自分が勝つことも忘れない。

 

(那智さんの所には、占守ちゃんもいましたね。あとで奢ってあげましょう)

 

 まるゆ、ほくほく顔である。

 

 少し負けて、次に大きく勝つ。それを三度ほど続けたところで誰かに手を掴まれた。

 

「艦娘さん、こっちにもツキぃ回しちゃくれませんかい?」

 

「まあ、確かに、まるゆを食べれば運が良くなるなんて与太話もありますけれど……」

 

「なんだあ? いいからちょいと回してくれりゃあいいんだよ」

 

 要は、儲けた分を吐きだせ、ということだ。

 予想していたとはいえ、それでもまるゆは小さくため息をついた。

 

 そしてまるゆは納得した。艦賊改方の那智がいるのはやはりこういうことかと。

 

 艦娘はいかに地上では艤装の加護を受けられないとはいえ、提督でもない常人が簡単にどうこうできる相手ではない。

 それを平気で絡んでくるのだ、堂々と。

 

 つまり、艦賊……無法に手を染めた艦娘が後ろにいるのだろう。

 まるゆは艦娘ではあるが、戦闘よりも輸送に特化しているタイプだ。軽巡以上の艦賊に出てこられると勝ち目は薄い。いや、駆逐相手でも本音を言えば御免被りたい。

 剣客秋山小兵衛のもとで剣を習ったあきつ丸とは違うのだ。

 

 また、那智と目があった。しかも、期待のまなざしだ。

 

 占守に奢るのはやめようと思いつつ、まるゆは男の伸ばしてきた手を掴み、ひねりあげた。

 大げさに悲鳴を上げる男を強引に振り向かせ、博打場の真中へ突き飛ばした。

 

「輸送潜水艦だからってなめないでください、まるゆだって艦娘です」

 

「てめえ、つけあがりやがって!」

 

 男を無視してちらりと那智を見れば、見覚えのある軽巡の姿もある。

 準備は万端ということか。

 

 そこからは素早かった。

 

 男に応じて出てきた艦娘を取り押さえる名目で那智が出張り、瞬時に艦賊を捕縛したのだ。

 

「すまんな、まるゆ」

 

 しばらくして後、とある居酒屋にまるゆたちの姿があった。

 

 軍鶏鍋五鉄という。

 

 元鎮守府所属の艦娘北上と大井が営むこの店の名は、二人に言わせれば球磨型五姉妹由来だというが、店を切り盛りしているのは二人だけであった。

 そしてこの店は艦賊改方の馴染みの店であり、まるゆのいるのも店の奥、那智とともにいる姿を誰にも見られぬ位置でもあった。

 公に町の治安を預かるあきつ丸ならばまだしも、政府直属の艦賊改方とともにいる姿などをおおっぴらにしていては、まるゆの立場も苦しいのである。

 

「まあ、いいですけど」

 

 言いながらも、まるゆは軍鶏鍋で痛飲していた。ここの払いくらいは那智に任せてもいいはずだと決め込んでいた。それくらいは貢献しただろう、と。

 

「ついでと言ってはなんだが、一つ聞いてくれ」

 

「聞くだけですよ」

 

「今日捕まえた男は元々、ある旗提督の鎮守府で資材管理をしていてな」

 

 鎮守府には大治郎や昔の小兵衛のように私設で立ち上げるものと、政府の後ろ盾で立ち上げる公設の二つがある。

 今でこそ私設の鎮守府は数も増やしているが、大戦中はほとんどが公設であった。

 その公設鎮守府の内、ごく政府に近いものを旗鎮守府と呼び、運営する提督を旗提督と呼ぶ。この旗鎮守府の名は、規模の大きさを意味するものではない。

 

 旗提督の鎮守府で資材の横流しをしていた、と那智は語った。

 そこまでは珍しい話ではない。旗鎮守府といえど全てが規律正しく運営されているとは限らない。

 ただ、横流しの証拠があるのなら何故それで捕まえたのかと疑問が生まれる。わざわざ賭場の喧嘩に見せかける必要はない。

 

 いや、ある。

 

 まるゆは箸を置くと、嫌そうに確認した。

 

「資材の横流しに関しては、皆さんは気づいていないふりなんですね?」

 

「うむ」

 

 悪びれる風もなく頷く那智。

 それを見たまるゆは即座に中座しようとして止められた。

 

「酒も軍鶏鍋もまだあるぞ、なんなら間宮羊羹も出してやろうか」

 

「まるゆは帰りますよ、これ以上聞きたくありません」

 

「諦めろ、あきつ丸には話を通してある」

 

 半分嘘だ、という確信がまるゆにはあった。間違いなく事後承諾させる気だと。

 しかしそこまで言うということは那智は、いや、艦賊改方は本気だ。

 どちらにしろ、簡単に断ることは出来まい。ならば、だ。

 

「羊羹は貰いますよ」

 

 ただの羊羹ではない、間宮羊羹である。艦娘にとっては神聖犯すべからずの甘味なのである。あだやおろそかにできるものではない。

 

「聞いてくれるな?」

 

「聞きますよ」

 

 盃を放して座りなおしたまるゆに、那智は当然だと言うように大きく頷いた。

 

 男が関連しているのは資材の横流しだけではなかった。

 

 艦娘建造に必要とされる特殊な触媒がある。建造の際に備えておけば、本来無作為に生まれる艦娘が望みの艦娘として生まれるといった代物である。

 提督の間では呪い、験担ぎの類だとも言われているが、確定とは言わぬまでもある程度の方向性を与える触媒は実在していた。

 さらに、確実な触媒も実在してはいるのだが、危険を伴ったり入手困難を極めるものが多いのでそのほとんどが機密とされている。

 

「詳細は言えぬがな、資材とともに触媒も流れた形跡がある」

 

「大和さんや武蔵さんの触媒ですか?」

 

「あるいは、アイオワかウォースパイト、ビスマルク辺りか?」

 

 那智は笑った。

 

「ならば悩みはせぬ、捕らえて終わりだ」

 

 間宮だ、と那智は続け、まるゆは息をのんだ。

 

 間宮、伊良湖、明石などの特殊艦娘の触媒は正に秘中の秘、御禁制であった。横流しどころか、無闇に口にしただけで懲罰、下手をすれば極刑ものである。

 この三人は一定の大きさの鎮守府を動かすには決して欠かせない艦娘である。極端な話、駆逐、巡洋、空母、潜水、戦艦の誰であろうと、この三人との交換なら喜んで受ける提督は多いだろう。

 

「那智さん、御禁制の触媒が何か、ご存知なんですか」

 

「私は知らん、知っていたのはうちのお頭だ」

 

「長谷川様ですか……」

 

 泣く子も黙る鬼の提督、通称鬼提と呼ばれる艦賊改方長官長谷川平蔵の名はまるゆも知っていた。人間艦娘に一切の区別をせず、ただ悪を誅する者と悪を行う者を区別する、悪党を追うところ果敢にして苛烈と言われている人物である。

 そして納得した。なるほど、噂の一端を聞くだけでも端倪すべからざると思わせる手腕の持ち主だけはあると。

 

「そこで、だ。まるゆ」

 

「なんでしょう」

 

 ここまで聞けば一蓮托生である。それに、那智とて秋山小兵衛の教えを受けた身。ならば無茶無理は言っても無謀無法は言うまい、とまるゆも開き直ったところがある。

 

「今聞いたことを頭に入れて、何かあれば教えてくれ」

 

「はい」

 

 那智が懐から細長い包みを取り出した。

 

「小ぶりで済まんが」

 

 間宮羊羹であった。艦娘の間ではまさしく垂涎の逸品であるが、人間が食しても絶品である。

 

「最近無沙汰で失礼をしているが、先生にもよろしくと伝えてくれ」

 

 

 

******************

 

 

 

 間宮の姿を見かけた田沼長門は、ほう、と小さく呟いた。

 

 先日秋山大治郎の鎮守府で引き合わされた艦娘、重巡足柄の住家へ向かう途中のことであった。

 

 このところ、長門の機嫌はあまりよろしくない。

 

 小兵衛に歯が立ちそうにない。これは良い。小兵衛の腕は知っているし、師事すべき御方だとも決めつけている。その小兵衛が自分より強いのは当然であろう。むしろ、弱ければ困る。

 

 大治郎にも今のところ、負け続けている。

 これもまあ、わからないではない。相手は小兵衛の息子であり、教えも受けている。さらに、現在長門が客艦として抜錨もする鎮守府の剣客提督である。こちらも、弱くては困るというものだ。

 

 それでも艦娘相手ならば、と心中秘かに自負していたところに引き合わされたのが重巡足柄である。

 

「この度、わが鎮守府の客艦として所属することになりました」

 

 それが、強いのである。

 艦娘としての演習では辛うじて勝った。しかし、地上では勝てない。

 

「あたしはこっちが本筋みたいなものだから。長門ちゃん、あんまり気にしないほうがいいわよ?」

 

「足柄さんのあれは反則みたいなものですよ」

 

 足柄本人からの、そして普段はあまり話さない秋月からの慰めも、長門にはあまり効果はなかった。

 

 よって、長門の機嫌は良くない。いや、はっきりと悪い。

 

 ここで甘味の自棄食いなどにでも赴けば可愛げがあるとも言われるのであろうが田沼長門、そのような艦娘とは違った。

 より、稽古に打ち込んだ。というより、より苛烈になった。いや、なろうとした。

 

 もともと、長門は決して弱くない。艦娘としての水上戦は元より、剣客としても生半可の相手には引けを取らぬだけのものを持っている。ただ、比較対象が小兵衛、大治郎、足柄である。相手が悪すぎた。

 

 つまり普段の稽古では、苛烈になれる相手がいない。

 明らかに劣っている者に対して苛烈となっても意味は無い。それは無意味に荒ぶっているに過ぎない。艦賊、暴れ艦娘とどこが違うのか。

 そこを無視して通すほど、長門も荒れてはいなかった。

 

 そんなところで見かけたのが、間宮であった。

 無論、見ず知らず通りすがりの間宮ではない。長門が本来属する田沼鎮守府の田沼間宮である。

 

 間宮という艦娘は特殊な艦娘であった。ほぼ戦闘には参加しない。というよりも、できないと言っていいだろう。

 なぜならば、間宮は給糧艦だからである。

 ある程度以上の規模の鎮守府に必須とされるのが、鎮守府の事務作業に通じた軽巡大淀、工作艦の明石、そして給糧艦間宮と伊良湖であった。

 間宮の最大の特徴は、間宮だけが持つ給糧艤装にあった。その艤装を発現展開させることにより、間宮は数百人分の食事を同時に作り、提供することができるのだ。

 また、その艤装の中には必要とするだけの食糧を保管することも可能であり、菓子、飲料なども同じく調理、保管、提供ができる。

 この能力無くては、大規模鎮守府を運営していくなど出来ぬ。平時ならば人を多数雇うことで凌げようが、いざ戦時となればそう簡単にはいかぬこともある。さらに、戦が始まれば決まった食事の時間など取れなくなる。それにも十分に対応できるのが給糧艦間宮の能力であるのだ。

 

(ふむ……ここであったも縁、冷やかしついでに間宮羊羹でも所望してみるか)

 

 声を掛けようとして長門は、その足を止めた。

 

(なんだ?)

 

 男が一人、間宮に近づいていた。

 

 暴漢の類ならば懲らしめてくれんと長門が手ぐすねを引いていると、男は間宮の脇をぶつからぬように器用にすり抜けた。

 

 このとき、長門の目は確かに見た。男の手に握られた間宮の財布。男に掏りとられた財布を。

 

 秋山親子との交わりを持たぬ前の長門であれば、この時点で大声を上げ、男を追い詰めるように駆けだしていたことであろう。現に今も、とっさに飛び出しそうになっていた。

 しかし、長門は足を止めると間宮の歩く先を確認し、男に目を向けた。男は、その場から去ろうともせず、間宮の財布を開く。

 

 長門がこのとき思い出したのは、駆逐艦娘の卯月と如月である。

 

 いたずら好きの卯月と大人びた雰囲気の如月は、外見からはそうは見えぬが姉妹艦であり、仲は悪くない。

 

「うーちゃん、財布はとらないぴょん」

 

 ある日、財布を落としたと探していた如月に、卯月はそう主張していた。

 

「いたずらはするけれど、盗みはしないぴょん」

 

「そうよねぇ」

 

「盗むふりをして、探し始めてから元に戻す方が面白いぴょん」

 

 そちらも十分に質が悪い、と横で聞いていた長門は思ったものだ。

 

「あら、どうせ元に戻すのなら、恋文の一つも忍ばせてはどうかしら。うふっ、いい手ね、使ってみようかしら」

 

「そういうのは如月だけでやればいいぴょん。ぷっぷくぷー」

 

「司令官、は駄目よね、奥方がいらっしゃるもの」

 

 確かに、男の行動は再び間宮に近づこうとしているようにも見える。

 

(間宮に恋文、か)

 

 艦娘にちょっかいをかける人間は少なくない。それが興味本位や淫欲だけのものでないというのならば、長門とて野暮をいう気はなかった。

 ただ、やや頬が赤くなっていることに長門本人は気づいていない。

 

(私も小兵衛殿に……、い、いや……)

 

 気を取り直して再び男を目で追うと、やはり男は財布の中になにやら小さく折りたたまれた紙を入れていた。

 

(文、ではない?)

 

 海戦にて超長距離の砲撃を放つ長門の目は、それが折りたたまれた文というよりも紙包みであることを見抜いていた。

 それもただの紙ではない。いわゆる、薬包紙である。

 間宮といえば給糧艦。しかもこの間宮は、今や押しも押されもせぬ旗提督である田沼鎮守府の間宮であり、鎮守府の食事を差配しているのである。その間宮の手元に渡されようとする薬。

 長門でなくとも、怪しむは当然であった。

 

 そこからの長門の行動は早かった。

 再び間宮に近づこうとする男を背後より捕らえ、振り向く暇すら与えず鳩尾に拳を入れ、気絶させた。

 慌てる周囲の人々に対しては、

 

「私は田沼長門。今、掏摸を捕まえたところだ。近くの番所へ連れて行く。案内を頼めるか」

 

 その言葉で間宮が振り向くが、

 

「私だ、間宮。今聞いたとおり、掏摸を捕まえてな。ほら、貴女の財布、盗られておるぞ」

 

「え、長門さん? 私の?」

 

 突然のことに判断のつかぬ間宮に、薬包紙を抜いた財布を手渡した。

 

「後は私がやっておく。自分の用事を済ませてくれ」

 

「は、はい」

 

 さて、と長門は周囲を見回す。

 そして見つけた見知った顔に、ほっと一息をつくと名を呼んだ。

 

「あきつ丸殿、こちらだ」

 

「何事かと思えば、長門殿でしたか」

 

 騒ぎを聞きつけて駆けつけたあきつ丸は、詳しい話を聞くと即座に言った。

 

「これは、大先生に相談が必要であります」

 

 このところあきつ丸は大治郎を先生と呼び、小兵衛を大先生と呼ぶようになっていた。

 

 一旦あきつ丸の仕事場……自警団の詰所に入った二人は、そこにいたまるゆに男を預けると、今度は小兵衛の隠宅に向かって歩き出す。

 

 詳しい話は小兵衛のところで、と告げたあきつ丸に従い、長門は何も言わない。

 あきつ丸が艦娘がどうかとは無関係に信用のおける相手であるというのは、これまでのつきあいでわかっていることだ。

 

 隠宅には、いつものように小兵衛が縁側に佇んでいた。

 龍驤がその肩を揉むようにして甘えている。

 二人の姿を認めた龍驤は慌てて離れ、小兵衛が笑った。

 

「ほう、二人が一緒とは珍しいな」

 

「実は、大先生にご相談が」

「御用の筋で」

 

 小兵衛の目が一瞬、長門を見る。

 

「これは、長門殿にも関わりのあることであります」

 

「そうか。龍驤、すまんがちと外してくれ」

 

 嫌な顔一つせず、龍驤は頷いた。

 

「はーい。あきつはん、いつもの所におやつあるからな」

 

「お任せであります、龍驤殿」

 

「ほなウチは久しぶりに、ちょっち秋月の対空機動見てこうかな」

 

「お手柔らかにな、この前は秋月が目を回しておったぞ」

 

「ははーん、まだまだ甘いで。もっと鍛え上げへんと防空駆逐艦娘の名が泣くっちゅうもんや」

 

 龍驤が首を振ると、あきつ丸も頷いた。

 

「鬼の龍驤殿に見こまれては、秋月殿も苦労でありますな」

 

「鬼言うたら山城が相場や、ウチは違うで」

 

 ほな、と手を上げて龍驤はてくてくと歩き出す。

 それを見送りながら、小兵衛は二人に縁側へ座るように促した。

 

 長門がさきほど見た一部始終を話し終えると、紙包みを取り出して小兵衛に示した。

 

「これが、その包み紙ですが」

 

 受け取った小兵衛は、別の紙を取り出すとさらに包み、懐にしまう。

 

「知り合いの医者に見せてみよう。少し、預からせてもらおうかの」

 

 それで、とあきつ丸に促す小兵衛。

 

「自分、というよりも、まるゆの話なのでありますが」

 

 まるゆと那智のやり取りをあきつ丸が語り終えるまで小兵衛は待ち、まず一言、「那智がのう……」と呟いた。

 

「長門殿が捕まえた男からは、何か聞き出せたのかえ?」

 

「いえ、未だ気絶から覚めませぬので、詰所の奥でまるゆをつけてあります」

 

「いつもの詰所かえ?」

 

「いえ、念のため、別の詰所でありますよ」

 

「ふむ。さすがに抜かりはないか……」

「あきつ丸、これはとんでもないことになるやも知れぬ。お前さんの御用に妨げがあるやも知れぬぞ」

 

「御用と大先生を比べるならば、自分は大先生に従うだけであります」

 

「すまぬな」

 

「何を仰いますやら、司令殿」

 

「懐かしい物言いをするのう」

 

「自分もであります」

 

 ふむ、と小兵衛は腕を組み、首を傾げた。

 

「これから儂の予想を語るが、田沼鎮守府の実情と違うところがあれば、遠慮無く言うて欲しい」

 

 はい、と長門が頷いた。

 

「間宮が厨房を任されていることは聞くまでもないと思うが、田沼殿の口に入る物も同じかえ?」

 

「はい。提督は、皆と同じ物を口にすると常々から公言し、実行されています」

 

 艦娘は基本的に人間と同じ物を食べる。それで充分に生きていける。

 ただし、それだけで戦うことは出来ぬ。

 戦いに必要な「燃料・弾薬・鉄鋼・ボーキサイト」も補給せねばならぬ。それを食事と共に摂るか、別の方法で摂るか、それは鎮守府の規模にもよる。

 大治郎の鎮守府ほどの規模であれば、食事と補給が別であったとしてもさほど問題は無い。

 だが、大規模な鎮守府であれば、二つを分けてしまうのは相当の手間となるため、食事と共に摂ることが多いとされていた。

 大規模な鎮守府には専属の給糧艦がつくのが普通である。であれば、食事の準備と補給を同時に行うことは難しくないのだ。

 

 つまり、食事と補給を同時に行う鎮守府と、別々に行う鎮守府に分かれることとなる。

 

 さらに食事と補給に関しては、もう一つの分け方があった。

 提督を始めとした、人間の食事を誰が作るか、である。

 田沼鎮守府では、全てを間宮が仕切っていると長門は言った。

 

「ならば、間宮を籠絡すれば毒殺すら思いのまま、というわけか」

 

 長門が色をなして小兵衛に詰め寄った。

 

「田沼間宮はそのような艦娘ではありません」

「そも、いかな理由であろうと食事に毒を盛ろうなどと、艦娘間宮に出来ることではありませぬ」

 

「艦娘故に、かのう?」

 

「艦娘故に、です」

 

「自分たちは、艦娘。その由来に反する真似だけは出来ないのであります」

 

 あきつ丸が取りなすように言を続けた。

 

「自分たちは生まれついての戦船(いくさぶね)であります。故に、戦うことが出来るのであります」

「例え心歪んで戦う相手を間違え艦賊に堕ちようとも、それは戦いであり、本性は違えぬのでありますよ」

「ですが艦娘間宮、伊良湖は給糧艦。求められれば食を与えるが本性」

「その間宮に毒殺など、食に毒を混ぜるなど、決して出来ぬのであります」

 

「そこよ」

 

 小兵衛は静かに言った。

 

「建造時よりの、生まれついての気狂いを作り出す阿呆がおれば、なんとする」

「まるゆが聞いた話とは、そういうことではないのか」

 

 これには長門とあきつ丸が絶句した。

 

「間宮の配合と触媒を知り、極秘の建造を企み、筆頭旗提督たる田沼提督を毒殺せんとする者」

「なるほど徒者ではあるまい。要は、那智も簡単には動けぬ相手か」

「それほどの相手ならば、稀艦とはいえ艦娘一人犠牲にするも厭うまいよ」

 

 さらに静かに、しかしはっきりとした声で小兵衛は長門に尋ねた。

 

「長門殿。田沼提督の娘として思い当たる節は?」

 

 長門が答えたのは、次期筆頭と目される旗提督、一橋の名であった。

 

「確証はありません」

 

「なに、そう簡単に確証の出る方が怪しいというものよ」

 

 確かに、とあきつ丸が頷いた。

 

「ですが大先生。これは簡単には探れないのであります。万が一間違いでもあれば」

 

 一橋鎮守府は、純粋な勢力は田沼以上とも言われている。

 

「老いぼれの首一つくらいはどうとでもなるが、一つでは済みそうにないな」

 

「自分も含めて二つならば、どうでありましょう?」

 

「足りんな」

 

「足りませんか」

 

 饅頭を数えるかのように気軽に数える二人。

 

「なれば、よ。長門殿」

 

 小兵衛は長門にこれからの行動を告げた。

 田沼提督に全てを余さず伝えよ、と。

 

「し、しかし」

 

 その内容は長門を驚愕させたが、それ以上の案があるわけでもなく、よくよく考えてみれば他の案など出ようはずもない。

 

「相手が一橋の可能性があるならば、告げておかねばなるまいよ」

 

 立ち上がる小兵衛。

 

「じゃが、まずは行くか」

 

「どちらへ?」

 

「知り合いの医者のところへ。一緒に来るかい」

 

 言いかけて小兵衛は言い直した。

 

「いや、一緒に来てもらおう。その方が話が早い」

 

「あきつ丸、悪いが一足先に詰所に戻り、その掏摸とやらを見張っていておくれ」

「ただし、顔は見せぬようにな」

 

 悪い顔であきつ丸は口唇をつりあげた。

 

「大先生もお人が悪いであります」

 

「なに、人間というのは年を取るとこうなる。よく覚えておくが良いわ」

 

 小兵衛は懐からいくらかの札の入った紙包みを取り出した。

 

「それと、あきつ丸、これは少ないが小遣いじゃ、持ってお行き」

 

「大先生、それは……」

 

「なに、ただ働きというわけにもいくまいよ。まるちゃんに美味いもんでも食わせてやっておくれ」

「では長門殿、参ろうか」

 

 あきつ丸と別れ、町に向けて進むと大きな川がある。

 それに沿って上がっていくと、やがて大きな、しかし古い屋敷が見えた。

 

「もしかして、艦娘ですか?」

 

 長門は尋ねた。

 川沿いに遡上してくる深海戦艦は今や共通の悪夢であった。

 よほどのしっかりとした防壁が築かれた川で無ければ、人々は川沿いに住もうという気を起こさない。

 住処を選べぬ貧乏人か、あるいは自らも川を利用する艦娘か。

 後者の理由で、川沿いに造られた鎮守府も少なくはないのだ。

 

「ふむ、確かに艦娘よ。ただし、人間の医者でもあるが」

 

「珍しい」

 

「ふふふ。世の中にはいろいろな人間、いろいろな艦娘がいるものよ。お前さんとて、艦娘の中では少数派の部類じゃろう」

 

 田沼長門は建造でもドロップでもない、艦娘を母とし人間を父とする艦娘である。その数は決して多くはない。 

 

「世間というものは鎮守府を離れて以来、日々実感しております」

 

「それを身にするのが、田沼提督の望みであり、お前さんの今の仕事というわけじゃな」

 

「はい」

 

 屋敷の前で、小兵衛は足を止めた。

 

「あ、秋山先生! こんにちは!」

 

 小兵衛の姿をめざとく見つけた駆逐艦娘五月雨が、掃除の手を止めて駆け寄ってきた。

 

「先生は、先生に御用ですか?」

 

「うむ」

 

「えーと、こちらは」

 

 自分を見上げる五月雨に、長門は軽く頭を下げる。

 

「戦艦長門。秋山先生の付き添いだ」

 

 おおー、と口に出す五月雨。

 

「今日は龍驤さんではないのですね」

「それでは、お取り次ぎしますね。少々お待ちください」

 

 屋敷に入っていった五月雨を待つと言うほどもなく、すぐに屋敷の主は姿を見せた。

 その姿に長門は目を見開いた。

 

「最近ご無沙汰じゃないですか、小兵衛さん」

 

 艦娘明石の姿であった。

 

「龍驤さんが居着いたから身体の調子を崩すかと思っていたんですけれど、流石ですね」

 

「龍驤殿が何か?」

 

 訝しげに尋ねる長門に、

 

「あら、戦艦長門さん……小兵衛さん、まさか……」

 

 意味ありげに首を傾げる明石と、憮然と答える小兵衛。

 

「龍驤は息子の所に行っておる。年寄りをそう苛めるな」

 

「何言ってるんですか、そんな元気なお年寄りがそうそういてたまりますか。医者の商売あがったりですよ」

 

 小兵衛はいつの間に取り出したのか、紙包みを明石の眼前にかざす。

 

「今日はこれを見てもらいに寄らせてもらったのじゃが」

「こちらの御方は田沼長門」

 

 ほう、と明石は紙包みを受け取り、鼻先へと近づける。

 

「……五月雨、しばらくの間、急患以外は通さなくていいから」

 

「はいっ」

 

「小兵衛さん、長門さん、中で話しましょうか」

 

 明石は二人を屋敷内に案内すると、奥まった部屋へとそのまま招き入れ、すぐに戸を閉めた。

 

「小兵衛さん、この包みをどこで?」

 

「それは言えぬよ、明石殿」

 

「ああ、言えるようなら言ってますよね」

 

 仕方ないなぁと呟きながら、それでも明石は包みを置いた。

 

「これは毒です。食事にでも混ぜて出されれば、死にはせずとも一週間は寝込みますよ」

 

「やはり、か」

 

「心当たりが? って、これも聞けませんか」

 

「すまぬが、先生の安全のためでもある」

 

「ですよね、……私あんまし強くないし」

 

「艦娘明石」

 

 ここまで黙っていた長門が口を開く。

 

「失礼な質問かも知れぬが、人間相手の医者なのか」

 

 明石は頷き、笑った。

 これは初対面の相手からはほぼ間違いなく聞かれる質問であった。

 そして、その答えも決まっている。

 

「勿論。ちゃんと艦娘の補修も出来ますよ」

「昔は普通の明石でしたけど、いろいろあって、人間の医学を学びましたよ」

 

 小兵衛と知り合ったのは大戦末期の頃であったという。

 

「今は人間と艦娘、両方の医者ですから、よろしくね」

 

「さて、明石先生、ちょっと急ぐのでな。用件だけで失礼させてもらうよ」

 

 明石の差し出した包みを受け取った小兵衛は、長門を促すと立ち上がった。

 

「また、ゆるりと寄らせてもらうとするよ」

 

「はいはい、あー、今日私は小兵衛さんに会っていないし、包みも見ていない。五月雨にもそう言い聞かせておきますね」

 

「すまぬな」

 

「いえいえ、よくあることですから」

 

 

 

******************

 

 

 

「提督、お客様です」

 

 目を通していた書類綴りを置くと、田沼意次は秘書艦である重雷装艦大井を見た。

 

「客?」

 

「はい。応接室におられます」

 

 朝から客は通すな、と命じてある。

 それでも通したと言うことは、会う必要のある相手、ということだ。

 その程度の融通は利かせる秘書艦であった。

 

「長門さんです」

 

 娘か。

 一瞬、意次は顔を顰める。が、親子の情を言い立てて無理やり会おうとするような長門ではない。また、それを言い立てたところで相手にする大井でもないと思い至った。

 

「用件は」

 

「ご内密に、とのことです」

 

「なに?」

 

「父田沼意次ではなく、筆頭旗提督たる田沼様にお目通り願いたいと」

 

「ふむ」

 

 そのような物言いを、と一瞬感慨深い思いにも囚われるがそこは提督である。

 すぐに手を叩くと軽巡大淀が現れた。事務的な仕事も得意とする、秘書艦向けの艦娘であった。

 

「大淀。高雄と愛宕を呼び、この書類の件を進めさせよ。必要な人員は好きに使えと」

 

「はい」

 

「わしは一刻……いや、半刻ほど空ける、後は頼むぞ」

 

「承知いたしました」

 

 歩くすがら、目に付いた艦娘や部下に指示を与えながら、意次は応接間に入る。

 

「長門か」

 

 まさしく娘の姿があった。

 この数年、いや、それどころか生まれてこの方、ほとんど娘として接したことはない。

 意次が避けていたわけではない、愛情が無かったわけでもない。

 接することのできぬ訳があったのだ。そのわけは長門も理屈としては知っていよう。

 それでも納得しかねる部分は残っていた。それが、この父娘のぎくしゃくとした関係の主因ともなっている。

 

「お久しぶりです」

 

「何用か」

 

「まずは、お人払いを」

 

 意次は背後に控えていた大井を下がらせた。

 

 長門は懐から紙包みを取り出した。

 

「命を狙われております」

 

「これは、毒か」

 

 長門は、間宮を見かけてからこれまでの顛末を話し始める。あきつ丸からの話も全て交えて。

 

 途中で意次は大井を呼ぶとその日の予定を変え、長門と共に一室に籠もり、食事も運ばせた。

 

「さて、長門よ」

 

 すべてを聞き終えた後、意次はそう言った。

 

「なんとする」

 

 予想外の問いに、長門は口を開けぬ。

 案がない、訳ではない。しかしそれは、自分の案ではなかった。

 

「いずれ筆頭旗鎮守府の旗艦ともならん身として、さて、なんとする」

 

 試されている、と長門は悟った。

 顔を上げた長門の眼に、意次と大井の視線が刺さる。

 

「捕らえた者から黒幕の名を吐かせ、直ちに鎮守府の総力を率いて出撃、これを討ちます」

 

 ふと、大井の視線が揺らいだ。

 

「と、愚考しておりました」

 

 意次は何も言わず、視線も揺らがなかった。

 

「愚考、とは?」

 

 大井の尋ねに、長門は答えた。

 

「黒幕の名など、その者は知りますまい」

 

「では?」

 

「間宮を放逐するべきかと」

 

「間宮無くては鎮守府の台所は回りません」

 

「新しい間宮は、すぐに見つかるでしょう」

 

「なるほど、艦賊改方の話はそういうことですか」

 

 大井が立ちあがった。

 

「間宮に言い含めてまいります」

 

「頼むぞ。詳細は後に、今は大略でよいわ」

 

「心得ています」

「それで長門よ」

 

 大井が部屋を出ると、意次は言った。

 

「間宮の隠れる先は、その案を出したであろう……秋山小兵衛殿のところでよいのかな?」

 

 一瞬、長門は言葉に詰まった。

 

「お気づき、でしたか」

 

「無論」

 

 父の笑う顔を、長門は久しぶりに見たような気がした。

 

 その翌朝、間宮は鎮守府より放逐された。

 

 

 

******************

 

 

 

 小兵衛は長門と別れた後、あきつ丸の詰所に到着すると、懐からくすんだ灰色の頭巾を二つ取り出した。

 頭巾をかぶりつつ、一つをあきつ丸に渡し、

 

「わしの名は、出すなよ」

 

 そう言えばあきつ丸も慣れたもので、

 

「なんとお呼びすれば?」

 

 と、返す。

 

「そうさな……、丸川小兵衛とでもしておこうか」

 

「では、自分は角津大治郎とでも。さあ丸川殿、こちらへ」

 

 あきつ丸は小兵衛を詰所裏へと案内し、物置小屋へと入る。そこには、地下に通じる穴が掘られていた。

 

 大戦時に深海棲艦の艦砲射撃から逃れるために掘られたものをあきつ丸が見つけ、再利用しているのだろう。

 

 穴の奥には明かりが置かれ、そこにはがんじがらめに縛られた男と、それを見張るまるゆがいた。

 男は意識を取り戻しているようでまるゆを、そして今現れた小兵衛たちを憎々しげに睨みつけていた。

 

「まるゆ、丸川殿がいらっしゃった」

 

 あきつ丸は意識して喋り方も変えていた。

 

「あ、待ってました。この人、どうしましょう?」

 

 丸川という名前を突然聞いたまるゆも、当たり前のように受ける。

 

「角津よ。こやつか、間宮と結託しておったのは」

 

 小兵衛の憎々しげな口調に、あきつ丸が知った顔で頷いた。

 

「間宮は知らぬ存ぜぬを貫いているのです」

 

「なんとしてもこやつに吐かせよ。田沼様の厳命じゃ」

 

「まるゆに括りつけて、沈めてみますか」

 

 縛られた男がギョッとした表情であきつ丸を見た。

 

「口を割る前に殺すなよ?」

 

「死にはしませんが、潜水艦娘の潜航深度に生身の人間が耐えられるかどうか……」

 

「それじゃあ、まるゆは準備してきますね」

 

 頭を下げるとまるゆは穴から出ていく。

 残ったあきつ丸と小兵衛は、男を挟むようにして動いた。

 

「深海では水圧で目玉が飛び出る、と聞いたことがあるな」

 

「口から五臓六腑が吐きだされるとも聞きました」

 

 ごふっ、と男が何か言いかけるが、さるぐつわを噛まされていては何も言えぬ。

 

「よしよし。飛び出ぬように、しっかりと目隠しを締めておこうか」

 

「さるぐつわも強くしましょう」

 

 あきつ丸がそう言いつつさるぐつわを外した瞬間、

 

「待て、話す、話すぞ!」

 

「いらぬわ」

 

 小兵衛が目隠しを男につけようとすると、さらに暴れ、

 

「話す、話すからやめてくれ!」

 

「聞こえぬよ」

 

 動く拍子に合わせて無造作に目隠しをまくと、男の悲鳴が上がった。

 

「頼まれたんだ、田沼なんざ知らねえ」

 

「嘘をつけ」

 

 声高ではないが、小兵衛が決めつけるようにびしりと言う。

 

「筆頭旗提督、田沼意次様を知らぬというか。痴れ者が!」

 

 男の眼がさらに見開くと、身体ががくがくと震え始めた。

 

「し、知らねえ、そんなの知らねえ、俺は頼まれただけだ」

 

「黙れ、貴様がどうやったか間宮と結託して田沼様に毒を盛ろうとしたことは明白。証拠は長門殿が押さえておるわ」

 

「丸川殿、角津殿、大井秘書艦がお呼びですよ」

 

 その時、穴の入り口からまるゆの声が届いた。

 

 あきつ丸がすぐ行くと答えると、小兵衛はいかにも腹立たしいと言うように、

 

「良いか、戻るまでに己の身の振り方をよく考えておけ」

 

 穴を抜け、詰所から出たところで小兵衛は頭巾を脱いだ。

 

「さて、まるゆよ。明け方くらいには抜かってもらおうか」

 

「はーい」

 

 翌朝、男はまるゆの隙を見て脱走した。

 

(では、行くであります)

 

 その後を尾行する、あきつ丸の姿があった。

 

 

 

******************

 

 

 

「私、この鎮守府に来て本当に良かったわ!」

 

 足柄の歓声に、大治郎は苦笑していた。

 

「すまぬが、預かってくれぬか。短ければ今日中。長くとも二、三日のことであるが」

 

 そう言って小兵衛が艦娘間宮を秋山鎮守府へ連れてきたのが今朝方のことである。

 何もせずに世話になるのは性分ではない、と間宮は厨房を手伝うと申し出た。

 

 その日いつものようにやってきた足柄に早速食事を出したところが、この反応である。

 

「まさか、こんなところでまた間宮さんのご飯が食べられるなんて」

 

 こんなところ呼ばわりであるが、足柄が一時とは言えこの鎮守府に腰を落ちつけているのは、小兵衛への義理でもあるため、大治郎としては何も言えぬ。

 

「こんなところってどういう意味ですか」

 

 いつもならさらに噛みついているであろう秋月も、今は昨日突然訪れた龍驤による対空機動訓練の疲れが抜けきっていないため、勢いがない。

 さらにその隣には、いつも以上の勢いで間宮の用意したエサを食べている長十糎砲ちゃん。

 加えて、秋月の懐には牛缶がある。これは、

 

「つまらないものですが」

 

 間宮が如才なく差し出したものであった。

 

 つまりやってきた当日にして、田沼間宮は秋山鎮守府を掌握したことになる。

 

 それでも大治郎はあまり気にすることなく、一人稽古に精を出していた。

 

 その翌朝、再び小兵衛が姿を見せた。

 

「思ったより、早く騒動が終わってな。間宮を連れて行くぞ」

 

「秋月と足柄殿が寂しがります」

 

「ほう、お前の口には合わなかったかえ?」

 

「私には贅沢すぎます」

 

「馬鹿を言うな」

 

 冗談交じりではあるが確かな叱り口調に、大治郎は居住まいを正し向き直った。

 

「父上」

 

「貧乏飯は秋月も共に食っておったのじゃろう。ならば、間宮の飯も共に楽しめ」

 

 共に堪え忍ぶだけでは片手落ちだ、と小兵衛は言っていた。

 堪え忍ぶときは共に堪え忍び、奢るときは共に奢れ、と。

 

「至りませんでした」

 

「よいわ。せめて昼飯なりと振る舞ってもらえ」

 

「父上はどうされます?」

 

「儂は、龍驤の用意した飯を食べてきた。この歳じゃ、飯を二回は食えぬわ」

 

 間宮の飯を食えば龍驤の機嫌が悪くなる、とは小兵衛も言わない。

 

「では、茶なりと準備してもらいましょう」

 

 そのまま、厨房にいる間宮へ声をかける。

 一人二人の増減や献立違いなど、間宮の手間にさほどの差はない。材料とて、田沼鎮守府を出る時に積み込まれているのだ。

 給糧艦間宮の艤装には、その気になれば数千人を養うだけの食糧を新鮮なまま積むことができる。

 秋山鎮守府における数人分の食事など、まさに無尽蔵に準備できるのだ。

 

「秋山先生にはこちらを」

 

 屋内へと戻っていく大治郎と入れ違いに出てきた間宮が小兵衛に差し出したのは、一杯の茶と一切れの羊羹であった。

 

「や、これはすまんな」

 

 小兵衛がゆったりと茶をすすっているうちに、長門があきつ丸とともにやって来た。

 

「どうであった?」

 

 まずは、あきつ丸に尋ねる小兵衛。

 

 あきつ丸は、逃げた男が駆けこんだ鎮守府の名を告げた。

 一橋ではないが、一橋麾下の支部とも呼べる鎮守府であった。

 

「なるほどのう。長門殿の首尾のほうはいかがかな?」

 

「はい、それが……」

 

 長門は語った。

 

 まず田沼は、間宮に疑いありとして放逐した。そして、中央に急使を送った。

 理由あって間宮を放逐したため、新たな間宮を派遣されたい、と。

 田沼からの要求は急であったため、本来なら中央も即座に応えることはできぬはずであった。

 しかしこの時、たまたま間宮が一人、空きを求めているとの話が通されていた。渡りに船とばかりに田沼のもとへ送られる間宮がいた。

 無論、実際には偶然などではない。これを狙いあらかじめ準備された間宮である。

 

「あまりにも見え透いてて、笑いをこらえるのに苦労したわよ」とは、後に大井が親しい北上などに語った言葉である。

 

 現れた間宮に、まずは簡単なものをと提督が告げたところ、いきなり毒入りの饂飩が運ばれてきたのだ。

 

「これは、一の字が直接手を下したわけではないようじゃな」

 

 一の字、一橋提督を示す言葉で小兵衛は言った。

 

「そこまでの阿呆でもあるまいよ」

 

 策と呼ぶにはあまりにも最後が稚拙であった。旗提督を狙うほどの人物が考えるような仕掛けではない。

 

「確かに父上、いや、田沼提督もそのように」

 

 現在、間宮は捕らわれ、艦賊改方に引き渡されるのを待つ身だと長門は続けた。

 

「今の艦賊改方長官である長谷川様であれば、お調べも公正であろうと」

 

 自ら調べれば、偏向捜査の誹りさえ受けかねぬ。そこまで筆頭旗提督が考えて、いや、考えねばならぬのかと、小兵衛は心中溜息をついた。

 

「さて、お調べで真っ当な名が出てくるか」

 

「一応、田沼さまのところにはまるゆを残したのでありますが」

 

 まるゆには自分の見たもの、場所をすべて伝えているというあきつ丸の言にも、小兵衛は首を振った。

 

「身内のはねっかえりの暴走。せめてそこまで持っていければ恩の字かのう」

 

 とかげのしっぽ。艦娘風に言うならば、レ級の尻尾である。

 切られた所で、大本にはなんら影響のない名前が出るか。

 今回の件、一橋が知らぬと一言言えば終いである。あるいは事実、本人ばかりは知らぬことかもしれぬのだ。

 

 そこへ大治郎が出てきて二人に気づくと、昼食を勧めた。

 

 いただく、という言葉と、田沼鎮守府で食べてきた、という言葉が重なり、あきつ丸は目を剥いた。

 田沼鎮守府から秋山鎮守府まで歩けば腹も減る。ととっさに早口で答えた戦艦長門の言葉に、あきつ丸はただただ頷くだけだった。

 

 

 その二日後であった。

 

「芝村に行ってくるよって」

 

 それぞれの理由で戦いからは身を引いた艦娘たちの住む村はいくつかあり、芝村とはその一つである。

 芝村の艦娘たちは畑を作っており、龍驤は気が向くと村を訪れ、農産物を買ってくるようだった。特に芋が美味い、というのは小兵衛の意見だ。

 

 その日も龍驤は朝から芝村へ出かけ、小兵衛は一人、隠宅で早目の昼寝を楽しんでいた。

 

 ふと、何事かに気付いた小兵衛は身体を起こし、身なりを整えると湯を沸かし始めた。

 湯が沸くのを待つ間に、出がけに龍驤が昼食代わりだと用意していった団子を取り出し、焼き団子に仕立てる。

 

 焼き上がりを確認するころ、複数の足音と声が聞こえてきた。

 

「秋山小兵衛殿は御在宅か」

 

 小兵衛は団子を火からおろすと、軒先へと出迎える。

 

「田沼提督とお見受けした」

 

「いかにも。はじめてお目にかかる、田沼意次と申す」

 

「秋山小兵衛と申す。ささ、こちらへ」

 

 背後に控える艦娘を含めた供の者を制し、意次は小兵衛の案内に従い、隠宅へと入った。

 

「娘が世話になっております」

 

「いやいや、世話になっておるのは倅の鎮守府」

 

「このたびの……」

 

 一瞬、意次は言葉を切った。

 

「一の件、護国の要たる鎮守府とも思えぬ所業、お恥ずかしい限り」

 

「なんの。さすがは筆頭旗提督、見事な手配と、感嘆しておりました」

 

 小兵衛の勧める焼き団子を、意次はなんの衒いもなく一串つまむと、齧りついた。

 

「美味い。昔を思い出しますな。あの頃には、このように味などついていなかったが」

 

 味のない団子や雑炊、それが貴重だった大戦中を二人は生き抜いていた。

 

「艦娘が我らのもとに現れなければ、二度と口にすることもなかったろうに」

 

 意次の口調に小兵衛は聞きたかったこと……毒を盛った間宮の顛末を悟った。

 

「その娘らを未だわかろうとせず、物の怪、化生と蔑む愚か者がおる」

「ともに戦うべき我ら提督こそが、娘らの真の姿を知っておらねばならんというに」

「あまつさえ、心壊した艦娘を生みだすなど」

「わしに毒を盛った間宮は、艦賊改方に引き渡す前に自ら命を絶った」

「最後まで、己の所業と自分の提督を信じ、疑い、迷い、震えておった」

 

 自らの本性に反するものとして生を受けた間宮は苦しみ、それでも歪んだ使命を果たそうとし、破れ、心を壊した。

 

「わしの命を狙うに、なぜ娘を壊さねばならぬ、なぜ心を壊さねばならぬ」

 

 艦娘を配下とする提督の言葉ではない、実の娘を艦娘とする男の言葉であった。 

 

「秋山殿」

 

 再び意次が口を開いたとき、その口調は押しも押されぬ筆頭旗提督のものに戻っていた。

 

「噂にも聞いた秋山提督ならばわかってくれると信じ、この意次、語りたいことがある」

 

「秋山小兵衛、心して聞きましょう」

 

「まず、艦娘をむざと沈めるなど愚の骨頂」

 

「提督たる者、肝に銘ずべきことかと」

 

「なれど深海棲艦に抗するには、艦娘の戦は絶対の条件」

「せめて、陸にあるときは安寧を望みたい」

「それこそが、我ら提督の矜持」

「無駄な戦は避けねばならぬ、艦娘だけではない、国のため、万民のため」

 

 言葉を止め、意次は茶に手を伸ばした。

 小兵衛は無言で、しかしその姿勢は微動だにしていなかった。

 

「避けられるのなら、深海棲艦との戦さえも」

 

「戦を厭う深海棲艦、確かに噂は聞いたことがあります。が、見たことはありませぬ」

 

 同じく茶に手を伸ばし、小兵衛は続けた。

 

「しかし見たことがなければ存在はせぬ、などとは申せますまい」

 

「艦娘がいかなる場所よりこの地へ来たか、話を聞いても正直わからぬことだらけじゃ」

「しかし、この海の向こうにも国はある、人はいる。唐国でも琉球でも蝦夷でもない国と人があると艦娘たちは言う。わしは、その話を信じる」

「深海棲艦との戦を終わらせ、海を渡る。それが意次一代の夢でもある」

 

 後に小兵衛は大治郎たちにこう語った。

「まさに人物じゃ。さすがにそれほどのお方だとは思うてなかった」と。

 

 この世界と時代で、艦娘たちの本来の出自を知ることもならず、それでもその断片的な言葉から世界を垣間見る。

 それがどれほどの巨視眼か。秋山小兵衛にも当然、完全の理解などできるはずのないことであった。

 

 

 さらに、半年ほどの後、小兵衛の隠宅にはあきつ丸と那智の姿があった。

 

 間宮を狂わせた提督が艦賊改方に捕まったと、那智が報告に現れたのだ。

 

「小物ばかりをとらえてきましたが、ようやくに当人の尻尾を掴むことができました」

 

 辻斬りに襲われて近くの番所に保護された提督が、御禁制の触媒を懐にしていたのだ。

 提督は保護を拒否して逃げようとしたが、

 

「ちょうど番所には私とお頭、いえ、長谷川提督がおりまして」

 

「ふふ、鬼の提督の前では逃げるもできぬか」

 

「今さら間宮の件を言い立てるのは難しいかもしれませぬが、この度の御禁制については申し開きもできんでしょう」

 

「よくぞやってくれたな、那智」

 

「ところで先生」

 

「む?」

 

「その辻斬りですが」

 

「ふむ」

 

「灰色の頭巾で人相はわからなかったそうですが、なかなかに達人です」

 

「ほう」

 

「提督には戦艦娘が二人ついていたのですが、命に別状はないものの、切られております」

 

「その二人に責めはないのかえ?」

 

「戦艦娘に責を問うは御禁制破りをかばい立ててるに等しいと、長谷川様が」

 

「流石はお頭、かのう」

 

「そのお頭様ですが」

 

「ふむ」

 

「大きな声では言えないが、その辻斬りに礼を言いたいくらいだと」

 

「礼を、なあ」

 

「はい。男が御禁制に手を出したことを探り、辻斬りに伝えた者にも」

 

 ここで那智はあきつ丸を見た。

 あきつ丸は露骨に目を逸らした。

 

「辻斬り、か。いったい、どんな老いぼれかのぉ」

 

「見かけだけは若い軽空母娘にうつつを抜かすような輩やもしれませぬな」

 

「まったく」

 

 あきつ丸は茶を噴いた。

 

 






 正直、田沼さんがこんなキャラになるとは想像してなかった

 ……ちと暴走。

 ですが、逆にこの暴走でこちらの腹も決まって、少しぶれていた世界観もまとめることにしました。

 最初の話の一部を今後改定するかも知れません
 (世界観に関する部分のみ。話は変えません)



 次回予定は「鬼熊酒場」をメイン艦娘を球磨にして、できたらいいな、と。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。