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今回の元ネタは、剣客商売一巻「雨の鈴鹿川」より
(に、いくつか混ぜています。タイトルだけを取ったに等しいです)
どうぞ、ご笑覧ください
秋山大治郎は困っていた。
豪雨が続いていた。
旧友との果し合いの前に命を落とした兄弟子嶋岡礼蔵の遺灰を届けるため、その生家を大治郎が訪れたのは三日前のことになる。
家を継いでいた礼蔵の兄は大治郎を快く迎えただけでなく、未だに礼蔵を忘れず慕う子弟や友人を招き、大治郎に礼蔵の最後を語らせた。
大治郎も包み隠さず答え、礼蔵の果たせなかった約束の顛末を聞いたある者は静かに頷き、ある者は大治郎の手を握り感謝の意を告げた。
二日の滞在の後、渋る教え子たちを振り切って帰途についた大治郎を迎えたのは、その夜からの生憎の豪雨であった。
取るものもとりあえず入った宿を出ることもままならず、仮に無理やり出たとしても、この雨では動きがとれぬのである。
慰めは、この辺りでは珍しい温泉付きの宿であることと、客の数自体が少なく、静かに時を過ごすことができるということだった。
その日、昼食を終えた大治郎は、明日にはさすがに雨も止むであろうという宿の女将の話を聞き、明朝早く出立するために今のうちから湯に入ろうかと、一度部屋に戻ったところであった。
部屋に入り、数少ない荷物に手をかけたところでその動きが止まった。
「何か、私に御用ですか?」
昨夜、宿に入った時から感じていた視線であった。
それが今、声の届く距離まで近づいたと大治郎は感じたのだ。
わざと締め切らずに開けておいた扉の向こうに気配があった。
「昨夜から、私を見ているようですが」
嶋岡礼蔵、あるいは礼蔵を討ち、今では大治郎に恨みを持つ元瑞鳳たる深海棲艦に関する者かとも思ったが、この宿屋で大治郎を待ち受けていたとは思えない。
昨夜の急の豪雨で慌てて飛び込んだ通りすがりの宿だ、待ち受けていると思うほうがどうかしている。
「私の名は秋山大治郎です」
気配に変化があった。
「この宿には、急な雨でたまたま飛び込んだに過ぎません」
気配が遠ざかり、消えた。
少し待ち、大治郎は廊下に出たが、人のいた形跡はない。
(やはり、人違いだったのか)
周囲を見回すと、大治郎は風呂へと向かった。
脱衣場へ入ろうとしたところに、先客が中より姿を見せた。
む、と一瞬先客は大治郎を睨んだ。
それがいかにも威圧的に感じられ、大治郎はやや顔をしかめた。すると、その仕草が気に障ったのか、男は大治郎に挑むように身を寄せてくるではないか。
「失礼」
大治郎も男の無礼に思うところがないわけではないが、無用の争いなどもとより望むものではない。
一言詫びて身を逸らすと男は拳の下ろしどころを失い、何やら口の中で呟きながら、それでも腹いせか大治郎に肩をぶつけるように、乱暴に通り過ぎていった。
(昨夜からの視線の主とは別人か……)
そう、考えながら湯につかる。
ゆっくりと、しかししっかりと温まっていく身体に、宿の売りにしているだけあって、温泉そのものは良いと大治郎は感心していた。
湯に入っているのは自分とは別にもう一人。こちらに背を向けてはいるが、それなりの偉丈夫に見える男が一人。
じっくりとつかろうかと身体を伸ばしたところに声がかかった。
「もし。失礼ながら大治郎、秋山大治郎ではないか?」
聞き覚えのある声の主は湯をかき分けるように大治郎に近づいてきた。
「おお、やはり大治郎か」
「源之進殿ですか?」
「いかにも。久しぶりだなあ、こんな処に湯治でもあるまいに」
渡部源之進。年こそ大治郎のほうに近いが、亡き嶋岡礼蔵の知古であり、また、弟子というわけではないが道場にも出入りしていて、大治郎とは友人のように付き合っていた男であった。
「嶋岡先生の生家を訪れた帰りです」
その言葉に、年にも似合わぬ人懐っこい笑顔であった源之進の表情が引き締まった。
「嶋岡さんに何があったのだ」
大治郎は再びそこで嶋岡礼蔵の最後を語ることになった。
「そうか……」
聞き終えた源之進は激しく頷きながら、自らにも言い聞かせるように言った。
「嶋岡礼蔵は、剣士として逝ったのだな」
「俺にはとうてい真似できぬし、しようとも思わん……が、見事なり」
「源之進殿はどうしてこちらに」
大治郎の問いに、源之進は肩をすくめ、答えた。
「なに、すまじき宮仕えというやつでな」
「逃亡艦娘の探索だ」
「お一人で、ですか?」
大治郎が咄嗟に聞き返すのも無理はなかった。
逃亡艦娘とは、所属していた鎮守府から無断脱走した艦娘であった。
それは仕えていたはずの提督だけでなく、仲間、同種であるはずの艦娘からも唾棄すべき恥だと嫌悪される行動であった。
逃亡艦娘に比べれば、素行の悪さで放逐されたはぐれ艦娘や厭戦派のほうがまだましだ、と公言するものも少なくない。
それだけに、実際に逃亡する艦娘は折り紙付きと考えられていた。
でたらめな強さを誇るか、あるいは狡猾か。どちらにしろ、一筋縄ではいかない相手という意味である。
「そうとは限らん」
しかし大治郎は小兵衛に聞いたことがあった。
「愚かな提督であっても妄信するのは、艦娘生来の病のようなものでな」
「阿呆に従い、目が曇り、自分にも周りにもどうにもならんようになってから醜さに気づく」
「それでも、相手は提督。艦娘にできるのは、逃げることぐらいじゃろう」
「そりゃあ、艦娘は強い。そこらの木っ端提督など主砲一つ向けるだけで泣きが入るわえ」
「しかしそこで逃げを選ぶのが、艦娘よ」
「だがなあ、それを周りの艦娘は決して許さぬよ」
「声をかけ、手を貸し、涙を見せ、あるいは圧をかけ、逃げ出さぬように気を張る」
そこで小兵衛は、しみじみと言ったものだ。
「それでも、逃亡艦娘は生まれる。情けないのは逃げた艦娘、逃げられた提督、どっちじゃろうな」
小兵衛の言葉を思い出していると、
「いや、一人ではない」
実は、と源之進が語り始めた内容に大治郎は驚いた。
源之進は未だ提督ではないというのだ。
大治郎の知る限りにおいて、源之進には提督の素質があると見えていた。剣客提督でなくとも、何らかの形で提督にはなれると。
しかし、源之進は言った。
「大治郎、嶋岡さんの弟弟子であるあんただから言うのだ」
源之進は提督ではなかった。提督ではないが、鎮守府とは縁深い、世間一般では多少の揶揄も込めて鎮守府憲兵と呼ばれている役職についていた。
それは、鎮守府内での犯罪を主に取り締まる役である。ある意味においては、提督よりも重い役である。
「俺と、逃亡艦娘のいた鎮守府の剣客提督、そこの艦娘で追っているところだ」
ならば先ほどの男か、と大治郎は考えた。
すると、視線の主は艦娘か。
そう考えてみれば、なるほどあの気配は艦娘のものであったか、という気もしてくる。
「嫌な男だ」
「何か失礼を」
「いや、あんたのことではない」
「提督にも様々な者がいる、ということだ」
どういう意味かと尋ねかけ、大治郎は口を閉じた。
答えられるのであれば、最初から源之進は名を出している。
名を出せぬから、このような物言いになる。
「艦娘たちは、宿も取らずに雨ざらしよ」
「そして俺は、良い気になって湯につかり、酒を食らう」
「それは」
たまらず言いかけ、やはり大治郎は口を閉じた。
その様子に源之進は言った。
「構わぬ。あんたに言われるのなら、仕方ない」
「何故、ですか」
「戦場に宿などない、との提督の仰せさ」
「提督ではなく、源之進殿の存念を聞いています」
源之進は「それでこそ」とでも言うように、嬉しげに笑った。
「俺は提督についている、それだけのことだ」
言うべきことは言った、そうも見える唐突さで源之進は腰を上げた。
「先に上がらせてもらおう。あまり提督を待たせるとうるさくてかなわぬし、暇に任せてうろつかれても困る」
その背を見送った後も大治郎はしばらく湯につかり、源之進の言葉を考えていた。
艦娘に対する提督の扱いには頷けぬものがある。あるが、鎮守府の運営法などは千差万別、他所の提督が口出すようなものではない。
源之進の言葉も理屈は通っている。
だが、
「嫌な男」
「暇に任せてうろつかれても困る」
そう、源之進は言ったのだ。
(源之進殿はなにを考えているのか……)
(父上ならば、いかにされるのか……)
(嶋岡先生ならば……)
「いかん、な」
首を振ると大治郎は立ち上がり、湯を後にした。
部屋へ戻る途中、大治郎は再び視線を感じている自分に気づいた。
前に感じたのと同じもの、である。
思わず立ち止まった大治郎は視線のもとへと目をやった。
かすかに開いた扉の奥に彼女はいた。
「先ほどは失礼いたしました」
大治郎は小さく頷くと周囲を窺った後に部屋へと入った。
「重巡熊野、か」
「わたくしと、鈴谷さんが一緒ですわ」
重巡鈴谷。熊野の姉妹艦であるが、姉妹というより親友のように振舞う方が多いとされている二人であった。
「私に何の用件がある?」
この二人が逃亡艦娘であることに、大治郎は疑いを持たなかった。
自分を追手ではないかと疑い、様子を見ていたのだろうこともわかる。
しかし、それならそれで、熊野から大治郎に接近する理由は何もないのだ。
「まずは、こちらに」
熊野は部屋の奥へと大治郎をいざなうが、一瞬、大治郎は躊躇した。
「熊野、いいよ。鈴谷がそっちに行くから」
「いけませんわ、無理をなさっては」
怪我か、と大治郎が尋ねるより早く、熊野が言を継いだ。
「鈴谷さんは、目が見えませんの」
「ぶしつけだが、高速修復材ならばなんとかなるかもしれない」
大治郎は即座に言った。
確かに、逃亡中の艦娘が高速修復材を手に入れる可能性などほとんどない。あるいは闇で手に入れるにしても、法外な代金をとられるだろう。
大治郎は当然真っ当な提督であり、入手もできない話ではない。
初対面の艦娘であるが、そう言わせたくなる雰囲気を二人は持っていた。
わずかなやり取りを目にしただけとはいえ、鈴谷を気遣う熊野の姿は大治郎にとっても快いものであったのだ。
「お気持ちはありがたいのですが、無意味ですわ」
「無意味、とは」
「それは」
言いすぎたと思ったか熊野は口を閉じ、俯いた。
そこで口を開いたのが、鈴谷であった。
「鈴谷の眼は、怪我じゃないんだよね」
「鈴谷さん」
「怪我ではない、と?」
ならば天龍、木曾のような生来のものか。
しかし、盲目の鈴谷など聞いたことはない。
「うちの提督はね、改修提督だったんだよね」
提督であれば、それが生来のものか修行で得たものかは問わず、何らかの非凡な才能を持っている者がほとんどだ。
その才能が改修に特化している提督が、いわゆる改修提督と呼ばれている。
艦娘の性能を上げることを目的に艤装、あるいは本体に改造を行うことを近代化改修という。
修理や補給は艦娘の周囲にどこからか現れる妖精によって行うことができる……ちなみに妖精の存在は艦娘の証言から類推されているものであり、現認した人類はいない……のだが、改修には提督の存在が必須である。
「それは」
「鈴谷の眼は提督に改修されたんだよ、見えなくなるようにね」
「提督がさ、いうこと聞かない軽巡や役立たずの駆逐を沈めろなんて言うからさ、そんなの見たくないって言っちゃったんだよね」
「そしたらさ、『じゃあ見なくていい』って」
無論、普通の改修ではそのようなことは不可能だ。しかし改修提督と呼ばれるほどの特化能力であれば……
「鈴谷さんは、何も悪くありませんわ」
「悪いのは……悪いのは………」
この期に及んでも、「悪いのは提督だ」とは言えない。
それが、艦娘であった。
「秋山さま」
声を改め、座ったままではあるが姿を正し、鈴谷は言った。
「悪いのは、熊野を唆した私です」
「鈴谷さん」
「そう、憲兵殿にお告げくださいませんか」
「もはや提督の追手からは逃れられません。せめて熊野だけは」
「なぜ、私に」
「第三者の証言ならば、憲兵殿も無下にはできないかと思います」
「提督に直接捕まれば、訴えは無視されると?」
「恐らくは」
「初めて会った私をそこまで信用するのですか」
「最初は、昨日の無礼をただ謝るつもりでした」
「しかし、私の眼のことを知り……」
鈴谷は笑った。
「いきなりバケツをくれるって言われたのは、鈴谷も初めてだよ」
「そんなの、信用するしかないじゃん」
しばらくして、
「鈴谷さんは何かとお疲れですから」
鈴谷を横にならせ、熊野と大治郎は部屋を出た。
「逃げる先はおありか」
「北へ。以前お世話になった提督が隠棲していると聞いています」
「いつまで」
熊野は俯き、寂しげに笑った。
「無理な改修は、艦娘の寿命すら縮めますわ」
しばしの無言を経て、大治郎は言った。
「私は旅先で少々気が高ぶっているかもしれない」
「はい?」
「肩がぶつかったなど、つまらぬことで喧嘩をしかねない」
「秋山さま?」
「幸運を祈ります」
当惑気味な熊野の表情にやがて理解の色が差し、何かを言いかけ、しかし熊野は無言で頭を下げた。
そして熊野は静かに、鈴谷の眠る部屋へと戻った。
この数年後、大治郎の鎮守府を重巡熊野が訪れるのだが、それはまた別の話である。
翌朝。
源之進は宿外で待機していた戦艦、正規空母と合流すると、道の端に陣取っていた。
「雨だというのに、朝から大変ですね」
そこに姿を見せたのは、大治郎であった。
雨はまだ、降りやむ気配もなかった。
「これも仕事だ」
「どなたかを待っているのですか?」
「宿の中で暴れると、色々うるさくてな」
「提督はどちらに」
「優雅に朝風呂だろ」
「待っているのは、鈴谷と熊野ですか」
「おい」
色めき立つ艦娘たちを手で抑え、源之進は尋ねた。
「どこかで見たのか」
大治郎は手を上げると、昨夜来た方向、西国へ向かう道を示した。
「ほう?」
源之進の口角が上がるのを、大治郎は確かに見たと思った。がそれも一瞬のこと。
「二日前、西へ向かう姿と行き会ったのを思い出しましたよ」
「我らの追う二人かどうかは……」
「鈴谷は目を患っていたように見えましたが」
「行け、俺もすぐに追う」
艦娘たちはかすかにうなずくと、大股で歩き出した。
それを目で追った源之進はややあって、
「ところで大治郎、失せ物はないか?」
「失せ物?」
大治郎は唐突な問いにおうむ返しに答えてしまった。
その様子に、今度こそ源之進ははっきりと笑った。
「この辺りでは、名の書いたものを拾うか盗むかした不届き者が、持ち主の名を騙って乱暴狼藉を働くと聞いた」
一瞬置き、大治郎もまた笑った。
「そういえば、大したものでもありませんが、書付を落としたような気がします」
「聞いておこう」
「変わってませんね、源之進殿は」
「なに、人のことは言えんぞ。では俺も、奴らを追わねばならん」
艦娘たちの後を追うように源之進は走り出していた。
見送った大治郎は適当な太さの棒を拾うと宿の軒先に入り、人を待った。
しばらくすると出てきた男の後ろを歩き、適当なところで声をかける。
「昨日のことだが」
振り向いた男は、昨夜睨みつけた男が待ち受けている姿にぎょっとした表情を見せるが、大治郎が丸腰であることに気づくと、咄嗟に自分の刀を抜いた。
ほとんど同時に棒を構えた大治郎は、無造作に足を進めると、刀を振りかぶった男の膝頭を殴りつけた。鈍い、明らかに骨折とわかる音が響いた。
悲鳴を上げ刀を放り出し、倒れ、泣き叫ぶ提督を複雑な表情で見下ろし、大治郎はその場を後にした。
大治郎は小兵衛の言葉を待っていた。
小兵衛からは、自分のいなかった間の「軽巡那珂の顛末」を聞いた。そして、今「重巡鈴谷と熊野」の話を終えたところだ。
長門は大治郎の鎮守府で入渠中、秋月と龍驤は付き添いのため、小兵衛の隠宅にいるのは父子二人のみであった。
「その源之進さんとやら、なかなかの御仁じゃの」
「おそらくは、それなりの腹積もりもあったじゃろう」
「私は余計なことをしたのでしょうか」
「さあな。なれど、大治郎よ」
小兵衛は視線を外へ向けた。
つられて大治郎も外を見た。
「ようやった」
いつの間にか、雨はやんでいた。
ちなみに私の嫁艦は龍田さん。
……まだレベル90だけどさ、最初のケッコンカッコカリと決めてます。
99が七人くらいいるんだよなぁ……
一巻の「芸者変転」と「四天王」は多分手をつけないと思います。
……とりあえず「御老中毒殺」をなんとか改変して、田沼提督と秋山父子引き合わせないとなぁ……