鎮守府商売   作:黄身白身

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遅筆ですが、第二話です




元ネタは、剣客商売一巻「剣の誓約」より

 どうぞ、ご笑覧ください


剣の戦場(いくさば)

 

「ごめん」

 

 町へ向かう一本道に面した正門から聞こえる声に、秋月は庭を掃く手を止めた。

 

「秋山大治郎殿は御在宅か」

 

 急ぐ秋月に聞こえてくる声は、無論独り言ではない。

 正門には長十糎砲ちゃんが門番をしているはずだった。

 艤装生物である二台“せい”と“せん”は言葉を話せないが、艦娘と提督には意思を伝えることができる。

 そして聞こえてくるのは男の声。つまり、提督である。

 

 大治郎は不在だった。

 とある鎮守府に頼まれ、そこの艦娘に出稽古をつけているのだ。

 

 提督とは非凡な力を何かしら身につけているものだが、それが必ずしも武力であるとは限らない。武力を持たないーー剣客でない提督も存在しているし、艦娘たちもそれを受け入れて従っている。

 それを当然と考える提督もいれば、自分自身を不甲斐ないと感じる提督もいる。

 では、不甲斐ないと感じた提督はどうするか。

 自分をごまかす者もいる。するとおかしなもので、自分をごまかすために他人を誹る。鎮守府で当てはまるのはこの場合、艦娘である。

 自分の無力を自分にごまかすため、艦娘への当たりを強くする。その情けなさに気づかない。そうなってしまえば、提督としての寿命は自然短くなる。

 ブラックと呼ばれる鎮守府の生まれる一因である。

 だがしかし、己の限界を知った上で、それでも少しでも、己を引き上げようとする者もいる。

 そのような提督であれば、己の限界を素直に受け止め、他の提督に素直に教えを請おうとする。また請われた提督のほうも、その鎮守府に対して好意的に教授しようとするだろう。

 

 今の大治郎がそれであった。

 

 招かれた鎮守府では、艦娘に並んで提督が一緒に汗を流していた。

 大治郎に比べれば剣士としては格段に落ちる提督を、しかし蔑ろにする艦娘は誰一人いない。

 

「ファイトですわ、提督」

 

「頑張ってんじゃん、提督」

 

 全身に汗を噴きだしながら竹刀を握っている提督。その両脇を固める位置で太い木刀を振っている熊野と鈴谷の軽口にも、軽侮の響きは全く感じられない。

 むしろ、自分たちとともに身体を動かそうとする提督への、信頼と親愛が見え隠れしていた。

 そしてそれは、教える立場となった大治郎も同じだった。

 提督と艦娘が互いを尊重し、信頼する姿に大治郎は深く感銘していたのだ。

 

「本日はありがとうございました」

 

稽古を終え帰り支度を調えていた大治郎のもとを、秘書艦妙高を伴った提督が訪れた。

 

「誠に勝手ながら、これからもぜひお願いしたい。無論、秋山提督の鎮守府の負担にならぬようにですが」

 

 大治郎はすでにこの鎮守府に好感を抱いていた。

 武力や鎮守府規模とはまた違う、学ぶべきところのある鎮守府だ、とも。

 

 大治郎とこの鎮守府との出会いは、口入れ屋の手抜かりが切っ掛けであった。

 本来なら大治郎の鎮守府へ来るはずだった駆逐艦朝潮が、この鎮守府へと配属されてしまったのだ。

 口入れ屋を訪れてそれを知った大治郎は、秋月とともにすぐさまその鎮守府へと向かった。

 そこで見たのは馴れ合いとは明らかに異なる、それでいて和気藹々とした、一つの見事な鎮守府であった。

 

「いかんな、これは」

 

 提督に話を通すよりも早く、大治郎は朝潮の所属を諦めていた。

 

 大治郎が最初に口入れ屋の紹介で出会った時の朝潮は、疲れ切った目の持ち主だった。

 大治郎の問いには普通に応えるものの、どこか怯えた雰囲気を漂わせていた。

 以前の鎮守府でどのような扱いを受けたかは定かではない。ないが、その目を見れば容易に想像はできた。無論、良い想像ではない。

 ゆえこそ、大治郎は秋月と語らい、多少の無理をしてでも朝潮を迎えようと決意していたのだ。

 

 その朝潮が笑っていた。他の駆逐艦と語らい、笑っていたのだ。

 

 そしてとどめは提督との話し合いだった。

 つい最近所属したばかりの朝潮について、と問いを入れるとすぐに大治郎と秋月は客間へと通された。

 

「うちの子に、何か御用かね?」

 

 ちょうど大治郎と小兵衛の中間くらいの歳に見える提督。その背後に並んだ熊野、鈴谷、妙高、青葉、衣笠が大治郎を睨んでいた。

 

 朝潮を護る。誰もが無言でそう宣言していたのだ。

 あんな目に遭わせた提督を許さない。

 朝潮はうちの子だ、仲間だ、僚艦だ。

 誰にも渡さない。傷つけさせない。

 絶対に。

 護る。

 ゆえに、大治郎は頭を下げた。

 秋月もともに頭を下げている。

 長十糎砲ちゃんたちも、慌てて真似をしていた。

 

 予想外の行動に戸惑う艦娘たちに、大治郎は言ったのだ。

 

「私と秋月では、こんなに早くあの子の笑顔は見られなかっただろう。感謝する」

 

 そして自分の鎮守府もまた、朝潮を受け入れようとしていたのだと語った。

 

「ですが、時を逸したようです。あの子は、この鎮守府であんな風に笑っている。これもまた、縁というものでしょう」

 

 提督は大治郎の言葉に大きく頷き、笑った。

 

「我ら、勇み足でしたか」

 

 妙高たちは目に見えて緊張を解いていた。青葉などは、記念写真を撮ろうとして衣笠に止められていた。

 

「ときに、秋山大治郎殿と申されたが、失礼ながら秋山小兵衛先生とはご縁が?」

 

「秋山小兵衛は私の父です」

 

「おお、そうでしたか」

 

 この提督の名は牛堀といった。剣客提督でこそないが、鎮守府を運営、艦娘を指揮する能力は並以上のものを持っている。

 そしてまた牛堀も、かつて知る人ぞ知る名提督とうたわれていた小兵衛のことを耳にしていた。

 

「何度かお目にかかったこともありますが、まさに、提督たる者かくあるべし、というお方でした」

 

 実のところ、父に対するこのような風評は大治郎にとっても初めてのものではない。現に、そう呼ばれるにふさわしい父の姿も記憶にはある。

 しかし、今の隠居を決め込んだ小兵衛からその姿を想像するのは難しい。龍驤とともに悠々自適と暮らす姿は、小金を貯めた楽隠居の身、としか見えないのだ。

 

 その戸惑いを見抜いたか、牛堀は即座に話題を変えた。

 

「ここでお会いしたも何かの縁、昼間ではあるが、一献いかがかな?」

 

 大治郎、飲めぬ身ではない。修行中、師に誘われ酒の相手をしたこともある。

 が、実はいまだに酒をうまいと思ったことはない。まずいとは思わぬし、悪酔いをするわけでもないのだが、それでも今の大治郎は酒を不得手としていた。

 

「提督、まだ陽は高いですよ。秋山提督が困っておいでです」

 

 妙高のたしなめに、牛堀は自らの頭を叩きながら笑った。

 

「ならば、飯でもどうか。無論、秘書艦殿もご一緒に」

「馳走になります」

 

 酒席から飯席へと変わったことにむしろ安心して、大治郎はそう答えた。

 

 牛堀と大治郎が向かい合い、それに並ぶように艦娘たちが席を揃えると、当番の艦娘が作ったという膳が運ばれてきた。

 急なことなのであらかじめ準備していたものではないが、心尽くしのものを大治郎と秋月は馳走になった。

 その席で、牛堀は言った。

 

 艦娘とは、水上で戦うものである。深海棲艦と戦うものである。

 つまり、砲撃雷撃のみでよいのか。空母は艦載機の操作だけでよいのか。

 牛堀は問い、大治郎は否と答えた。

 

 人すら、近づけばその手の刃で深海棲艦を屠るのだ。言わんや、艦娘にそれができぬ道理が、理由があるのか。

 伊勢型戦艦は何故腰に刀を差している。

 天龍型軽巡は何故刀を、薙刀を持っている。

 艦娘が剣客でいられぬ理由などない。

 

 ならば、と牛堀は言う。

 

 剣客提督の教えを請いたいと。

 

「私が戦場に立てば、守られることしかできない、ただの足手まといだ。だから私はその寸前までに、あの子たちがあの子たちの戦場に立つ直前まで、全力で支援する」

 

 大治郎とは違う、しかしそれもまた、提督のあり方だった。

 

 大治郎は、牛堀鎮守府への出稽古を引き受けた。

 

 まずは一度。

 

 しかし一度で終わらぬことは、互いにわかっていたといっていいだろう。

 

「お願いできぬか、これからも。些少なりとも礼金は出すつもりだが」

 

 帰り支度を調えていた大治郎にそう切り出した牛堀に、

 

「私でよければ、定期的に出稽古に来ましょう」

 

 答えた大治郎はこの前日、小兵衛に一連の出来事を話していた。

 

「その出稽古。今後も頼まれるようなら行ったがいい」

 

 話を聞いた小兵衛は、牛堀の名を出すと即座にそう言ったのだ。

 

「牛堀さんの鎮守府ならば、お前にも学ぶところは大いにあろう」

 

 そしてなによりも、と笑う小兵衛。

 

「お前の鎮守府の、初めての稼ぎじゃろう。お前が勝手に貧乏を耐え忍ぶのはさて置いて、秋月もこれで一安心じゃ」

 

「金を取るのですか?」

 

「当たり前だ、おかしな遠慮をしていては牛堀さんも困るわえ」

 

「ですが」

 

「ですが、なんじゃ?」

 

「飯が、つきます」

 

 じろり、と小兵衛は大治郎をにらんだ。

 

「これ、龍驤や」

 

「なぁに?」

 

「どう思う、今の倅の言葉」

 

「アホがおる」

 

 端的な一言に、大治郎は絶句した。

 

「……そのような、ものですか」

 

「そのような、ものじゃ」

 そのやり取りがあったため、大治郎は素直に答えたのだ。

 

「かたじけない。では、これは些少だが」

 

 差し出された礼金を、大治郎は素直に受け取った。

 受け取ると決めたからには、ここで固辞する意味など無い。それでは却って困惑させるだけである。

 

 礼を言い、大治郎は牛堀鎮守府を後にした。

 

 鎮守府の正門前まで戻ってきたところで、大治郎は異変に気づいた。

 

 門前で、長十糎砲ちゃんの一台“せい”が手を振っていた。まるで大治郎の帰りを待ちわびていたかのように。

 ある種愛嬌のある艤装生物とはいえ、普段の“せい”の態度ではない。

 

「何があった?」

 

 駆け寄った大治郎を、今度は秋月が出迎えた。

 

「司令にお客様です」

 

「客?」

 

「嶋岡礼蔵とおっしゃる提督です」

 

「なに、嶋岡先生」

 

 大治郎の表情に浮かんだのは懐かしさだった。

 

 提督を志した少年時代の大治郎はしかし剣客の、そして提督としての師に小兵衛を選ばなかった。

 小兵衛が内心これをどう思ったかは、大治郎にはわからなかった。

 大治郎が選んだのは、父小兵衛の恩師でもある老提督、辻平右衛門であった。

 当時すでに中央を離れ、西国筋で鎮守府を開いていた辻平右衛門は大治郎を快く受け入れ、修行を積ませた。

 そこで出会ったのが平右衛門の弟子であり、小兵衛の兄弟子ともいえる存在、嶋岡礼蔵であったのだ。

 いわば嶋岡は大治郎にとって父小兵衛、辻提督に並ぶ第三の師であるのだ。

 

「久しいな、大治郎」

 

「嶋岡先生。ご無沙汰しております」

 

 大治郎は道場に落ち着いていた礼蔵へと一礼して、秋月に向き直った。

 

「秋月、このようなときは、“せい”や“せん”を使いに出すなりして知らせてほしい」

 

「大治郎、秘書艦を責めるな。連絡無用、ただ待つと言ったのはわしだ」

 

 大治郎はそこで初めて気づいたように懐に手をやり、今日受け取ったばかりの給金を取り出した。

 

「秋月、これで夕餉の支度を頼む。それから、父上に使いを。嶋岡先生が参られたと」

 

「無用」

 

 静かであるが峻烈な声。

 

「小兵衛殿への連絡は無用じゃ」

 

「しかし先生」

 

 礼蔵は大治郎を正面に見据えるように姿勢を変えると、その拳を自らの胸元へとあてた。

 

「この度は、お主に死に水をとってもらいたい」

 

「先生、今、なんと」

 

「剣客、いや、人生最後の果し合いをする」

 

 大戦中、礼蔵は小兵衛と同じく鎮守府の提督を務めていた。

 多くの艦娘を失いつつ、同時により多くの深海棲艦を沈め、勝利した。

 提督として恥ずべき行為はなかった。それでも多くの艦娘を失ったことは事実であり、その責めを逃れる気も礼蔵にはなかった。

 

「わしは多くの艦娘を死地に送ったよ」

 

 轟沈させるために送ったわけではない。が、それは言い訳である、とも感じていた。

 それを言うのなら、艦娘たちも轟沈するために抜錨したわけではないのだ。

 

「提督がお悩みになる必要はありません」

 

 そう言ったのは、秘書艦である翔鶴だった。

 

「私たち艦娘にとって海こそが、深海棲艦を相手取ることこそが生きる道、戦場なのです」 

「われらに戦場をお与えください。そのための砲、そのための艦載機です」

「お命じください、提督。抜錨せよと、深海棲艦を打倒せよと」

「そして、帰って来いと」

 

 艦娘を送る先は死地ではない。戦場である。

 その思いに震えたのは礼蔵だけではなかった。大戦中、人間の娘としか見えない少女たちを死地へと送る現実に心を病んだ提督は決して少なくはない。

 その提督を鼓舞したのが、他ならぬ艦娘たちだった。

 

 死地ではなく戦場ならば、提督にできることは一つ、その道筋を照らし、無事帰らせること。

 それが提督のあり方であると。

 

「今思えば、小兵衛殿はまさに見事だった。わしと同じに悩み、しかし、わしとは違う答えを出していた」

 

「違う答えとは?」

 

「知らぬ」

 

 つい問い詰めるようになった大治郎の問いを、間合いを外すがごとく答えた礼蔵。

 

「それでも、今の生き方を見ればわかる。小兵衛殿は良い答えを出していたのだろう」

「あの境地に、わしは至れぬ」

 

 それを悔いるでもない口調の礼蔵は、大治郎をまっすぐに見ていた。

 

「だが、悔いはない」

 

 艦娘の戦場は海である。

 ならば提督の、いや、剣客の戦場はどこにある。

 提督としての嶋岡礼蔵は納得しても、剣客としての自分は納得していない。

 

 大戦を終え、翔鶴を失った礼蔵の前には一人の剣客が立っていた。

 

 柿本源七郎、彼もまた、大戦を戦い抜いた提督であった。

 二人はともに、戦場を欲していた。秘書艦たる艦娘を戦場へと送り出した己の戦場を。礼蔵にとっての翔鶴、源七郎にとっての瑞鳳を死地へと送った己の死地を。 

 

「余人を交えず二度切り結んだが、決着はつかなんだ」

 二度目の果し合いの後、五年後の再戦を約束したのだ。

 そして、三日後がその約定の日だと、礼蔵は言った。

 

「互いにここまで年を経たのだ。これがおそらくは最後となろう」

 

 艦娘にとっての戦場が海ならば、戦場の相手が深海棲艦ならば、剣客の戦場はどこにある、戦場の相手はどこにいる。

 礼蔵と源七郎は、その答えを互いに見出していたのだ。

 

「小兵衛とは道を違えた身だ。なればこそ、お主に見届けてもらいたい」

 

 礼蔵は妻も子もない、天涯孤独の身である。弟子をとることもなくただ鍛え、提督として辣腕をふるった。

 師である辻も既に亡く、ただ唯一、剣を教えたのは大治郎のみ。

 

「秋山大治郎、しかと見届けます」

 

「頼む」 

 

 その夜、食事を済ませると二人は久しぶりに真剣を合わせ、互いの型を使った。

 道場脇で正座して見ている秋月が気に当てられ汗みずくとなるほどの集中であったが、満足した二人は風呂に入り汗を流すと就寝。残った秋月は提督秋山大治郎への敬意を新たにしたという。

 

「司令も嶋岡提督もすごいね、せいちゃん、せんちゃん」

 

 長十糎砲ちゃんたちは、秋月の艤装の中で眠っていた。

 戦闘態勢下にない艤装生物は自由に生きている。自分や主に向けられていない気など、彼らの知ったところではないのだ。

 

 翌朝、大治郎は果たし相手柿本源七郎のもとを訪れようとする礼蔵に付き添っていた。

 それは、立会人としての義務でもある。

 

 川を遡上した深海棲艦による艦砲射撃で壊滅した、大戦前の高級住宅地を抜けたところにその建物はあった。

 

「大戦前からの館ですね」

 

 補修もなく風雪にさらされ、かろうじて建っているような古屋敷である。

 

「我らにはいっそふさわしいかもしれんな」

 

 礼蔵は屋敷正面に立つと、屋敷の者はいるかと声を掛けた。

 返事はない。返事はないが、明らかに人の気配はある。

 

「先生、私が」

 

 大治郎が前に出ると礼蔵は頷き、一歩退いた。そして、一枚の書状を大治郎に託す。

 

「果し合いの日時の確認だ。頼む」

  

 書状を受け取ると、大治郎は屋敷の門をくぐった。

 

 門を抜け、屋敷の扉の前に立つ。中には確実に人の気配があると大治郎は感じていた。

 

「嶋岡礼蔵が使いの者、秋山大治郎と申す。柿本源七郎殿に書状を預かってきた」

 

 別方向からの人の気配に振り向いた大治郎の前に、艦娘が姿を見せる。

 

 屋敷のさらに奥に裏口でもあるのか、そこから出てきたらしい艦娘は無言で自身の喉を指していた。

 

「口が……いや、話すことが出来ぬのか」

 

 頷く艦娘。フードのようなものを被っていて、表情どころか顔のほとんどが見えない。

 

「源七郎殿に取り次いでいただきたい」

 

 艦娘は静かに首を振り、手を伸ばした。

 書状を寄越せ、というように。

 

 大治郎はこの艦娘に何か嫌悪を感じている自分に気付いた。

 初対面である。ならば、この嫌悪感はどこから?

 

「これは、嶋岡礼蔵から柿本源七郎への書状だ。その上で対処していただきたい」

 

 再び頷く艦娘。大治郎に伸ばした手とは別の手で、もう一度自分の喉を示す。

 やはり、話すことが出来ないと訴えているのか。

 

 しかし。

 

 艦娘であれば生きている限り、高速修復材によってほぼ全ての損傷は短期間で全快する。

 少なくとも、喉の負傷も同じである。

 

 何らかの理由でわざと治さぬのか。

 あるいは、それなりに高額な高速修復材を準備できないほどに困窮しているか。

 それとも、工廠から生まれた時点で既に喉に障害を持っていたか。

 工廠から出た段階での不具合は艦娘に固有の特徴とされ、高速修復材でもどんな名医でも治すことは出来ない。

 例えば天龍、木曾の眼、朧の絆創膏がそれだ。治すとすれば、それは治療ではなく改造の域である。

 

 訝る大治郎をよそに、艦娘は書状を受け取って裏口へと帰っていった。

 やや間が空くと、怒鳴り声が聞こえた。声そのものはさほど大きくはないが、苛立ちと怒りは十分にわかる口調である。

 

 屋敷内から聞こえる切れ切れの言葉の中に、病という単語を大治郎ははっきりと聞いた。

 

 やがて荒々しい足音が近づいたかと思うと、突然扉が引き開けられ、一人の老剣客が姿を見せた。

 

「柿本源七郎である。嶋岡礼蔵の書状を持ってきたはお主か」

 

「……秋山大治郎と申します」

 

 老いた、と言うよりも病に荒れた姿に、大治郎の返事は一瞬遅れていた。

 

「嶋岡礼蔵に伝えよ、委細承知と」

 

「よろしいのか」

 

 思わず出た言葉を、大治郎は後悔した。

 

「お主も提督か」

 

 源七郎は大治郎の問いには答えず、言った。

 

「近頃の深海棲艦は、提督が病といえば退いてくれるらしい」

 

 それは強烈な面罵であった。

 

 大治郎にしてみれば、直接罵られたほうが楽だっただろう。

 しかし、言われても仕方のない失言をした、とも感じている。

 

 大治郎はただ深く頭を下げた。

 頭を上げたとき、源七郎は既に屋敷の中に消えていた。

 

「大治郎」

 

 鎮守府への帰り道、その様子を語った大治郎に礼蔵は一言、こう言うだけだった。

 

「我らの戦場、しかと見届けよ」

 

 その翌日、牛堀鎮守府の出稽古を終えた大治郎を待っていた者がいた。

 

「昨日、妙なところでお見かけしたでありますな」

 

 あきつ丸であった。

 

「あきつ丸殿、妙なところとは?」

 

 あきつ丸は大治郎に語った。

 大治郎と礼蔵が源七郎を訪れた屋敷の近辺で、深海棲艦の噂が流れていること、噂だけで被害らしい被害は出ていないこと、それでも放ってはおけないので周囲を探っていたあきつ丸が大治郎たちを見かけたこと。

 そして、

 

「柿本源七郎は一年ほど前より得体の知れぬモノに憑かれている、との噂であります」

 

「あきつ丸殿、柿本殿は……」

 

「自分たち艦娘は、想いを抱いて轟沈すると深海棲艦になる。……これもまた無責任な噂でありますな」

 

「噂、か」

 

「噂、でありますよ」

 

 あきつ丸は言葉を重ねた。

 

「深海の放つ気に当てられ続けた人間は病を発する、というのも」

 

 

    ○

 

 

 源七郎は横たえていた身体を苦労して起こすと、枕もとの水差しに手を伸ばした。

 

「トドカ、ナイ」

 

 大治郎に応対してた娘が水差しを持ち上げると、源七郎の口元へ運ぶ。

 

「ミズ」

 

「まだ、教えてはもらえんか?」

 

 水を飲み、源七郎は尋ねる。

 

「お前は、瑞鳳なのか?」

 

「シンカイ、セイカン」

 

「ふふふ、結局、最後まで付き合わせてしまったな」

 

 不思議な縁だ、と源七郎は思った。

 

 嶋岡礼蔵との二度目の果し合いの後、この深海棲艦は源七郎の前に姿を見せたのだ。

 

 恐れはなかった。害意を感じなかったせいもある。仕草にどこか懐かしさを覚えたせいもある。

 なにより、源七郎自身が死を恐れていなかった。

 これで死ぬのなら、これはこれでいい。

 

 近づく深海棲艦を見つめつつ、源七郎は覚悟を決めていた。

 

 いや。

 何かが囁いた。

 お前は何かを忘れている、と

 

 うむ、と源七郎は思いなおす。

 

 ただ一つだけ、心残りがあった。

 

「五年、待ってくれぬか?」

 

 嶋岡礼蔵との決着をつけたい。今さら勝敗はどうでもいい、ただ、決着をつけたい。

 通る望みだとも考えていなかった。深海棲艦相手に通るはずもない、身勝手な望みだと。

 

「イイ、ダロ」

 

 これには提案した源七郎が驚いた。

 

「なんと……、良いのか?」

 

 思わず聞き返したのも仕方あるまい。

 

「ヨス、ミル」

 

 それからすぐに、源七郎は住まいを移すことになる。

 頻繁に訪れる深海棲艦の姿を人目に晒さぬためだ。

 

 源七郎が病に倒れた後も、深海棲艦は相変わらず訪れた。

 

「今のわしを屠るは容易かろう」

 

「ヤクソク」

 

「そうか。ならば嶋岡礼蔵との果し合いをすますまでは、わしも死ねぬな」

 

 そして今、五年経ち、約定の日が近づいた。

 

「瑞鳳」

 

 返事はない。違っていてもいい、と源七郎は思った。

 もう時間はない、体の中からそんな声が聞こえていた。

 

「お前を死地へ送ったこと、間違っていたとは今も思わん」

「だが、怨まれることは仕方ないとは思う」

「すまん、な」

「嶋岡礼蔵との果し合いがなければ、五年前に、お前に素直に討たれてやれたものを」

 

 決着など、もうどうでもよかった。果し合いさえ、どうでもいい。

 ただ、この深海棲艦に自分を討たせてやりたかった。

 今さら、という自嘲すら源七郎には湧きあがったが、もう、遅かった。

 

「戦場では……死ねぬ、か」

 

「マテ」

 

「瑞鳳」

 

「マテ」

 

「ずいほ……」

 

「テイトク」

 

 源七郎の声が途絶えた。

 

「テイトク」

 

 もう一つの声も、しばし途絶えた。

 

 やがて、

 

「ヲヲヲヲヲヲヲ!」

 

 周囲に響いた慟哭はまぎれもなく、深海棲艦空母ヲ級flagshipのものだった。

 

 

   ○

 

 

 大治郎は身体をぶつけるように走りこんできた“せん”を受け止めた。

 

「どうした、“せん”」

 

 身振り手振りとキュウキュウという鳴き声で意思を伝える“せん”。

 

「大治郎殿、鎮守府が襲撃を受けていると」

 

 大治郎とともにいるのは艦娘あきつ丸である。長十糎砲ちゃんの意思を察知する能力は、提督とはいえ人間に過ぎない大治郎に勝っていた。

 

 あきつ丸の言葉が終わらぬ間に大治郎は長十糎砲ちゃんを背に担ぎ上げ、走り出した。

 今の鎮守府には秋月と“せい”、そして嶋岡礼蔵がいる。艦隊決戦ならまだしも、はぐれの単艦襲撃ならば十分に撃退できる戦力だ。

 だが、単純に撃退したというのならば“せん”は慌てて駆けつけない。駆けつけなければならない何かが起きたのだ。

 

「まさか、柿本源七郎の」

 

 大治郎の呟きに後を追うあきつ丸が答えた。

 

「源七郎の所には見張りを残しているであります。何かあれば連絡が」

 

「あきつ丸殿、連絡を取ってみて欲しい」

 

 あきつ丸は艦娘同士の通信機能で、あらかじめ取り決めてあった周波数を呼び出す。

 艦娘の通信機は任意の相手を呼び出せる機能は持たない。あらかじめ周波数を伝えていないと繋がらないという欠点はあるが、現状ではもっとも信頼できる長距離通信方法であった。

 

 あきつ丸の通信機に反応はない。

 それだけで何があったかをあきつ丸は察し、その様子から同じく大治郎も察した。

 

「あきつ丸殿。龍驤殿との回線は繋げていますか?」

 

「いえ」

 

 基本的に艦娘通信は常時繋げているようなものではない。状況によって使用できる周波数が変わるため、同じ周波数を使い続けることは出来ないのだ。

 

「ならば、艦載機は今積んでいますか」

 

「烈風改を」

 

「父上の所へ飛ばしてください。龍驤殿になら着艦できるでしょう」

 

「了解であります」

 

 同じく、あきつ丸が懇意にしている鎮守府へも烈風改を既に飛ばしている。だが、この距離ならば秋山小兵衛の隠宅のほうが近い。

 そしておそらくは、連絡を受けてから初動までの身軽さも、並の鎮守府では小兵衛には及ぶまい、とあきつ丸は見ていた。

 

 鎮守府が見えはじめると、秋月、そして“せい”の高角砲の音が聞こえた。それと同時に、大治郎の背中から“せん”は飛び降り、対空砲の仰角をあげながら全速力で走り出した。

 目に見える距離での短距離移動なら、艤装生物は人間よりも速い。当然の選択であった。

 

「あきつ丸殿」

 

 大治郎の言葉と同時に残った艦載機の全てを投影し、発艦させるあきつ丸。

 あきつ丸の発艦方式は普通の空母たちとは違う独特な方式であった。

 射た矢を艦載機に変化させる空母、式札を艦載機に変化させる空母とも違う、艦載機の影を空間に投影し実体化させるという方式であり、より神秘の度合いが増している。

 

「大治郎殿、ご存じでしょうが、自分の艦載機は対空戦闘専門。地表の敵にはほとんど影響ないのであります」

 

「承知」

 

 抜刀しつつ、大治郎は鎮守府正面の門を通過した。その背後を護るように続くあきつ丸。

 

「司令!」

 

 艤装より絶え間なく高角砲を放つ秋月と、その横で同じく高角砲を放つ長十糎砲ちゃんがいた。

 

「深海棲艦、空母ヲ級の奇襲です。嶋岡様が初撃を受け、中に!」

 

 剣客提督ならば、艦娘と地上で戦うことが出来る。それは深海棲艦が相手でも同じである。

 だが、どれほどの腕を持とうとも対応仕切れない相手がある。それが、空母だ。

 正確には、空母の放つ艦載機である。

 砲撃は避けることが出来るかも知れない。そして剣を当てれば、相手は傷つく。

 しかし、空の相手にはどう立ち向かう。矢を放てば当たるだろう、一機程度であればそれでもよいだろう。

 提督だけではない。艦娘とて、対空手段を持たない場合の敵空母は脅威以外の何物でも無いのだ。

 

 だからこそ、剣客提督は空母、あるいは対空特化の艦娘を身近に置く。その意味において、大治郎の秘書艦が秋月であることは正しかった。

 今も、秋月でなければ既に轟沈し、空母ヲ級は去っていただろう。秋月だからこそ、大治郎の到着までを保たせることが出来たのだ。

 

「来ます!」

 

「秋月、あきつ丸殿、頼む」

 

 二人は承諾の返事をし、それぞれの対空戦闘に入る。

 

 飛来する艦載機に対する第一陣はあきつ丸の烈風改。その空中戦を切り抜けたところへ、秋月と長十糎砲ちゃんによる対空高角砲。

 これによって地上への砲撃はほぼ防ぐことが出来る。

 

 嶋岡が初撃を受けたのは、あくまでも奇襲故の話である。

 

 ヲヲヲヲヲヲーッ

 

 深海の咆吼が大治郎の心肝を震わせる。

 

(これが、間近に見る深海戦艦flagship)

 

 深海との戦いは初めてではない。相手がflagshipでさえなければ。

 

 震えるのは心肝のみ。身体は、そして剣を握る腕に震えはない。

 それでこその剣客。それでこその提督である。

 

 航空戦が始まると、大治郎は頭上の戦闘に目もくれず走る、ヲ級へと。

 空母とは言え、単純な腕力なら深海戦艦は提督にも優る。

 振り下ろされる杖を紙一重で避け、下から上へと切り上げる。

 手応えはあった。深海戦艦の特徴である異質な血が、ヲ級の肩の切り口より噴き出していた。

 

 再びの咆吼と共に、背後へと飛ぶヲ級。追おうとした大治郎の足下の地面へ、艦載機が次々と突入する。

 艦載機自体を使った足止めに、大治郎、そして秋月、あきつ丸の足は止められた。

 

 逃げた、と判断した大治郎は道場へと入り、寝かされたままの嶋岡に駆け寄った。

 

「先生……」

 

 嶋岡の表情に無念は無かった。ただ、静かに目を閉じているように、大治郎には思えた。

 

「秋月」

 

「はい」

 

「先生はなにか……」

 

「初撃を受け、ここへお運びしたときに『世話を掛けた』と……」

 

「そうか」

 

「最後のお言葉でした」

 

「ありがとう」

 

 大治郎は刀を検め、鞘に戻した。

 

「秋月、“せい”“せん”と共に緊急補給を済ませ、抜錨せよ。柿本源七郎宅へ向かう」

 

「はい!」

 

「あきつ丸殿もお願いできるだろうか」

 

「承知であります」

 

 三人と二台が柿本宅へ向かうと、まずあきつ丸が顔をしかめた。

 その視線の先には、二人の艦娘が倒れている。一目で高速修復材も間に合わない、轟沈状態だとわかる惨状だった。

 

「……flagshipとはこれほどでありますか」

 

 外海からの侵略であれば、警戒網は充分にしかれている。しかし、内陸にいる艦娘が深海棲艦化したと仮定すれば、警戒網に意味は無い。

 

「気配はする。気をつけろ。ヲ級も補給を済ませておるやもしれん」

 

 それどころか、深海なりの高速修復材でもあれば、万全の態勢で迎え撃つこともあり得るのだ。

 

 あきつ丸と秋月はそれぞれ、大治郎を旗艦とするような配置についた。

 

「柿本源七郎、姿を見せよ。果し合い前に卑怯にも奇襲された嶋岡礼蔵の無念を晴らしに来た」

 

 答えはない。

 いや、答えに変わるもの、深海の艦載機が見える。

 

「この秋月が健在な限り、やらせはしません!」

 

「さぁ、烈風改、出番であります!」

 

 頭上の敵機を二人に任せ、大治郎は身を低くして走る。

 その先に見えるのは、片腕を失った空母ヲ級の影。

 

 両腕を伸ばし、切っ先を向ける瞬間、大治郎は身を翻す。

 

「司令?」

 

「大治郎殿!」

 

 二人の叫びには焦燥が混じっていた。

 秋月の対空砲火を受けながら、あきつ丸の烈風改と切り結ぶ深海の艦載機。

 それとは別の機種が大治郎を狙い、飛んでいるのだ。

 

「あれは、一式陸攻」

 

「しまった、基地航空隊でありますか!」

 

 柿本邸に作られていた基地航空隊による陸上攻撃であった。

 

 深海棲艦、という思い込みが、基地航空隊の存在を忘れさせていた。

 そこにいるのは深海化した艦娘であると予想しているにもかかわらず、である。

 

 彼我の戦力差は逆転した。基地航空隊の航空戦力を投入されれば、秋月とあきつ丸だけでは大治郎への攻撃を止めきれない。

 さらに、相手は陸上攻撃機である。

 

「司令! ここは退いてくださいっ!」

 

 秋月の叫びもむなしく、大治郎の位置では進むも戻るも難しい。

 庭の木の陰に隠れて、何とかやり過ごしてはいるが時間の問題である。

 基地航空隊の第二陣第三陣が現れないという保障はないのだ。

 

「秋月殿、こうなれば自分が一命を賭しても」

 

「間に合うた!!」

 

 第三の、しかし聞き覚えのある声にあきつ丸は振り向いた。

 

「艦載機のみんな! お仕事、お仕事!」

 

「龍驤殿!」 

 

「烈風改くんは、小兵衛はんとウチの家で一休み中や。秋月、あきつ丸、いってみよー!」

 

「大治郎、お前はヲ級を。わしは柿本とやらを追う」

 

 龍驤の背後から、これも低い姿勢で走り込む小兵衛。

 

「父上」

 

「抜かるなよ」

 

 再び走る大治郎。しかし、ヲ級は敗北を悟ったか、一声咆吼すると屋敷裏の川へと身を投げた。

 一旦水上に出てしまえば、人間の身でこれを追うことは出来ない。

 

「追うであります!」

 

 烈風改を戻したあきつ丸がヲ級の後を追って水上へと身を躍らせる。

 続いて飛び込む秋月。

 龍驤は念のためか、その場に留まっている。

 

「逃げに徹した深海棲艦捕まえんのは、ちょっち大変やからなぁ」

 

 そう言いながら小兵衛の後を追う龍驤に続き、大治郎も屋敷へと入った。

 

 そこでは、小兵衛が立ち尽くしていた。

 小兵衛の足下では、敷かれた布団に中に一人の老人が。

 紛れもない、柿本源七郎であった。

 

「父上」

 

「既に息はない。詳しいことはわからんが、病のようにも見えるな」

 

「もしや、柿本源七郎は」

 

「うむ。嶋岡礼蔵よりも先に、逝ったのかもしれん。それが、あの艦娘、いや、深海棲艦を刺激したやもな」

 

 言いつつ小兵衛は膝をつき、手を合わせる。

 

 大治郎も膝を突こうとし、気付いた。

 源七郎の枕元に一枚の皿が置かれている。そして、皿の中には。

 

「玉子焼き?」

 

「誰が置いたのか……何もかも、今となってはわからぬわ」

 

「あの深海棲艦は、捕まるでしょうか」

 

「逃げおおせるじゃろうな」

 

 龍驤と同じ事を言いながら、小兵衛は立ち上がった。

 

「大治郎、あの深海棲艦は、お前を恨んでおるぞ。再び、相まみえるやもしれん。覚悟はしておけ」

 

「はい」

 

「それも、提督のさだめよ」

 

「はい」

 

「敵を作るは、剣客のさだめでもあるが」

 

 やがて秋月とあきつ丸が戻ってくるまで、大治郎はその場に留まっていた。

 

 




以上、お粗末さまでした


長門さん出ないなぁ……(汗


次の元ネタは「まゆ墨の金ちゃん」の予定です。多分。

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