鎮守府商売   作:黄身白身

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11話まで来ました。

今回はタイトルですぐわかる通り
「井関道場・四天王」が元ネタです




井関鎮守府四天王

 井関鎮守府の筆頭提督が突然亡くなった。

 急なことではあるが心臓の病であり、この時代においてはさほど珍しいことではない。艦娘によってもたらされた別時代の知識の中にも、医学方面はそれほど多くないのである。それもほとんどが外科的処置であり、病に関する知識は少ない。艦娘本来の出自を考えれば、それも仕方の無いことであろう。

「お疲れ様でしたネ、提督」

 井関提督の最期を看取ったのは鎮守府最先任艦娘の一人、金剛である。現在では筆頭秘書艦の座こそ譲っているが、提督の懐刀として長年重用されていた重鎮。それがこの鎮守府における金剛であった。

 その金剛が四人の艦娘を密かに呼んでいた。

 駆逐艦雪風、航空戦艦日向、正規空母蒼龍、そして戦艦長門である。この長門は誰あろう、秋山小兵衛に師事を望み、今は秋山大治郎の鎮守府に出入りしている田沼長門その人である。

「話を進める前に、なぜ私が呼ばれたのか承っておきたいのだが」

 まず長門は問うた。それも当然であった。

 長門以外の四人はそれぞれ、井関鎮守府で重きをなす提督の秘書艦であり、井関の艦娘四天王とも呼ばれていた。

 提督一人で采配するには大きすぎる鎮守府がある。その場合は複数提督による運営が当然とされ、頭となる提督は筆頭提督と呼ばれる。当然その地位は高い。

 今回はその筆頭提督が亡くなったのである。その地位を、そして鎮守府を継ぐのはこの四人の仕える提督の一人であろうと想像されるのは必然でもあった。ちなみに筆頭提督の秘書艦であった叢雲は、自分は次の秘書艦になりたくない、これからは井関の墓を守りたいと明言し、事実上の引退を希望している。

「私は、あの人のための艦娘だったから」

 それは艦娘であれば誰もが理解する気持ちであった。故に、誰も異を唱える者はおらず、長門もその言葉を耳にしたときはさもありなんと納得している。

 だからこそ、この場に呼ばれたことを不思議に感じているのだ。

 今は鎮守府運営を学ぶために形の上では井関に所属する客艦の身であるが、長門は本来ならば井関鎮守府よりさらに上位に位置する田沼鎮守府の所属であり、この鎮守府の運営には関わりの無い、というより関わってはならない存在である。

 もっとも、今の長門が一番長い時間を過ごしているのは秋山鎮守府であるのだが。

「ここに来たばかりの長門のままであれば、呼びませんでしたヨ」

 あっさりと金剛は言う。

「ですが、今の長門は変わりましたネ。よくは知りませんが、今通っている鎮守府の提督の薫陶でショウ」

 なるほど、と長門は思う。

 確かに自分は変わっただろう。

 例えば今の金剛の言葉、昔の自分であれば愚弄されたとして表情を変えていたことであろう。偏狭であった自分を認め、長門は小さく頷いた。

「確かに。ですが、決してこの鎮守府を軽んじているわけではないことは、わかっていただきたい」

 ほぉ、と日向が息を漏らし笑う。

「なに、気にするな。そもそもそこで詫びの言葉が出るなど、昔の君からは考えられなかったことだ」

 金剛が我がことを褒められたように頷いた。

「素晴らしい提督デスネ。是非一度、どのような提督かお目にかかってみたいネ」

 日向がその言葉に応じる。

 実のところ、秘書艦の中でもっとも長門と親しいのがこの日向である。長門と共に何度か小兵衛、大治郎の元をも訪れている日向であった。

「秋山小兵衛殿は引退して久しいと聞いたが、秋山大治郎殿はまだ若い提督だな。なかなかの人物とみているが」

「いい男デスカ?」

 さらなる金剛の問いに、日向は意味ありげに笑って見せた。

「長門のお気に入りだ」

「なるほどデスネー」

「な、何を」

 慌てる長門に日向ははて、と

「良い提督を艦娘が気に入るのは自然だろう」

 わざとらしく首を傾げてみせる。

「日向、貴様」

「こういう冗談も言えるようになったと言うことだ」

 そう言われては、長門もそれ以上何も言えぬ。

「冗句ですよ、長門。さて、話を戻しましょうか」

 金剛が二人の間に入った。

「『沼濁れば川澱む』、聞いたことありませんカ?」

 ある。それも一度や二度ではない。長門にとって腹立たしいことではあるが、今の田沼の権勢を皮肉った言葉であった。

 田沼に事あれば、幕府本営、つまりは徳川が困る。そう戯れているのだ。

「川ですら澱むのに、井戸が無事とは思えませんネ」

 金剛の顔から笑顔は消えていた。

 望むと望まざるとにかかわらず長門は田沼長門であり、その意見は井関鎮守府としても無視はできぬ、それが田沼の地位であり権勢であるのだ。

 しかし、長門の答えは決まっていた。

「私としては無論、四人の意見を尊重したい、今言えるのはそれだけだ」

「充分デース」

 

 ここで、肝心の提督たちを見てみよう。

 まず、ある意味で最も次期提督にふさわしいと言われているのが金剛の仕える提督、井関慎之介である。金剛を秘書艦とし、指揮する艦隊に大きな特徴はなく平均的に構成されている。

 名からもわかるように亡くなった井関提督の息子であり、本来であれば誰憚ることなく次の筆頭提督となっているであろう立場である。

 問題はその歳であった。井関提督が年を取ってからの息子であり、単純に若い。

 これが大戦中であれば問題はなかった。提督の素質を若いという理由だけで否定する余裕などない時代であった。

 幸か不幸か、今は深海棲艦との大戦も一息がつき、それなりの余裕も享受できる時代。そこには、若さを理由に筆頭提督就任を否定する余地があった。慎之介の意志に関係なく、である。

 それが現在の平穏を理由とするのならば金剛にも否定はできぬ。提督と艦娘が文字通り命をかけて勝ち取った平穏を否定することなど、できようはずもなかった。

 次に、雪風の仕える提督、尾形慶三郎。

 平常から表に出ることの少ない、優しげな細身の提督である。剣客としては中庸であるが、この多士済々の鎮守府においては下から数えた方が早い程度の腕前でしかない。しかし、慶三郎の真骨頂は剣の腕ではなく、その経営手腕と戦略眼である。

 要は、剣をとって戦の前面に立つよりも、背後から補佐することに才を持つ種の提督であり、指揮する艦隊には戦闘よりも輸送を得意とした駆逐娘、軽巡娘が多い。

 また、戦闘の不得手に関しては本人も認めるところであり、筆頭提督になる意志が最も低い候補ともいえよう。

 日向の仕える提督の名は志村藤助。四人の中では最も剣の腕がたち、道場での試合では戦艦娘たちですら次々と打ち込まれ降参する姿をみることができる。

 深海棲艦に対しても実に勇猛果敢であり、討伐において戦果を挙げることが多いのも藤助指揮下の艦隊であった。そのためか、指揮する艦隊には戦艦娘、正規空母娘、重巡娘が多数所属している。

 ただし、その性格は苛烈に過ぎ、自分より弱い者、欠点のある者に対しては容赦なく責め立てる。そのため、鎮守府内での人望はさほどにない。純粋に強さだけを求める一部の艦娘からはそれなりの支持を受けているのだが、他の艦娘、家人用人からは嫌われていると言ってもよいであろう。

 そして最後が蒼龍の仕える提督、土井善七である。善七は、志村藤助とは好対照と言える提督であった。鎮守府内での評判が非常に良いのである。

 深海棲艦の討伐数は芳しくないが、損害が最も少ないのもまた、彼の率いる艦隊であった。艦隊行動では軽空母娘、潜水艦娘を巧みに指揮し奇襲攻撃、あるいは戦闘回避を得意としているが、それを単なる弱腰と見る意見も皆無ではない。

 長門の見立てでは次期提督は志村藤助であるが、それが自分の好みに過ぎぬこともわかっている。人の上に立ち続けるには、あまりにも志村は苛烈すぎるのである。

 人気だけで考えるならば土井善七。血筋ならば井関慎之介。単純に平穏な鎮守府の存続を願うならば尾形慶三郎であろうか。

 わかることは、誰を選ぼうとも満場一致はあり得ぬこと。さらには、事と次第によっては複数の艦娘や家人用人が離反しかねぬということであった。

 だからこそ、四人の艦娘の話し合いの席が設けられた。まず、四人の候補者の代理とも言えるこの四人で話しあうことによって、できうるかぎり円滑に次の提督を決めたいというわけである。

 とはいえ、それぞれがそれぞれの提督を推すことにかわりはない。

「雪風、お前の提督はどうなんだ。筆頭になりたいという性根を持つようには見えんが」

「そうね、それに関しては日向に賛成するわ」

 雪風を、ひいては尾形提督を引き込めば四提督の半分が味方となるのである。日向と蒼龍は雪風を説得に動いていた。

「雪風もそう思います」

「それなら」と蒼龍は我が意を得たりと頷く。

 ところが雪風、そこはさすがに一端の秘書艦であった。

「ですが、どなたを推すか、それは雪風ではなく司令の決めることです」

「それはそうだ」と苦笑ぎみに頷くのは日向である。

「なあ、金剛。やはりわれらの談合だけで決まるものでもないだろう。どのみち、自分の提督を推さない艦娘などいないさ」

「それは日向の言う通りデスが。それでも」

「それとも、逆に提督としてふさわしくない御方を選ぶか?」

 日向の言葉に重みが乗った。

「どちらにしろ、提督自身のいらっしゃらぬこの場で話しつづける内容ではあるまい」

 意図的なものであり、日向のある種覚悟でもある。

(これ以上言葉にすれば、互いの暴露糾弾へと話が移りかねませんネ)

 それはこの場では無用の軋轢を生むだけだろう。

 あるいは実力を示すのもよい、艦娘とはそういうものだ。力が全てとは言わぬまでも、強さは一定の判断基準である。だが、この四人はいずれも鎮守府有力提督の秘書艦であり、それぞれが艦隊を率いる旗艦でもある。任務に支障をきたしては困るのである。大破中破など高速修復材を使えばすぐに完治するとしても、平時に易々と使うものでもない。

「まずは提督をお呼びする前に私達だけでと思っていましたが」

 金剛は立ち上がる。

「提督達も別室で協議中のはずです。行きまショウ」

 総勢九人となった話し合いで、まず井関慎之介が動いた。

 慎之介は長門を含めた八人を前にして姿勢を正し、座りなおす。

「まずは、これまで父と共にこの鎮守府を支えてくださった皆さんに感謝します」

 頭を下げ、話を続ける。

 自分が四天王を秘書艦とする提督の中でもっとも若輩かつ力不足であること。

 それでも、井関の息子という自負はある。今しばらくの間力を貸して欲しい。自分が一人前の提督として、井関を継ぐ資格を身につけるまで。

「一人勝手の願いだとはわかっています。ですが、今の自分にはこの規模の鎮守府を率いるなど無理だと言うこともわかっています」

「顔を上げろ」

 最初に答えたのは志村藤助であった。

「亡くなられた井関提督には恩がある。その息子が我らに頭を下げるところなど、見たくはない」

「若様は、ご自分が一人前になるまで私達に……いえ、私達の提督にどうしろと仰るおつもりですか?」

 藤助の言葉に日向が続ける。

「それは」

 慎之介の言葉は途絶え、金剛が目を伏せる。ここで慎之介が「自分についてこい」と言える性格であればどれほど良かったか。

 慎之介は亡くなった提督が老いてから産まれた一人息子である。金剛の見立てでは、幼さ故の経験不足さえなければ提督としての技量は充分にあると思える。しかし、その性格はこの場面においては柔らかすぎるのだ。

「長門殿」

 土井善七が矛先を変えた。

「この鎮守府が江戸防衛の要の一つであることは言うまでもありますまい」

 その通りであった。一時期に比べ減ったとは言え、深海棲艦は未だ脅威である。それに対する戦力として、井関鎮守府は重要である。

「ですが我らも頭を失ったとは言え、今すぐ通常の出撃に不自由するというわけではありませぬ」

 頭なき鎮守府はいつまで許されるのか。言い換えれば、幕府本営の介入はいつ頃になるのか。

 それが、善七の疑問であった。

「無闇に引き延ばすというのでなければ、私の言葉で抑えられる限りは抑えましょう。ですが、確とした期日の約束はできませぬ」

 長門の言葉に善七は下がる。

「我らとしても急な話。すぐに答えることはできません」

 尾形慶三郎の言葉がきっかけとなった。

「わかりました。今はここまでにしまショー。ですが、どちらにしろいずれ次期提督は決めなければなりませんヨ」

 一同が同時に立ち上がり、金剛は長門を横目でみた。

「ワタシたちが決めなければ、他の誰かが決めることになりマス」

 

 

 

「なるほど」

 長門の話をそこまで聞いた小兵衛は楽しそうに頷いた。

「長門殿は体のいい脅しに使われたか。さすがは井関の金剛、やりおるではないか」

「脅し、ですか」

「自分たちでとっとと決めねば、田沼さまの目もあるぞ。そう、金剛は思わせた訳じゃ」

「しかし私は、四人の意見を尊重すると最初に」

「それは長門殿の思いであって、筆頭旗提督としての田沼さまのお言葉とは別のものであろうよ。いや、これは長門殿を責めているのではない」

「未熟でした」

「なに、金剛が老練なだけよ」

 しかし、と小兵衛は腕を組んだ。

 提督の急死は小兵衛の耳にも届いてはいたが、その話が長門より直接持ち込まれるとは、さすがの小兵衛にも想定外であった。

 このところ大治郎の鎮守府に通いつめていた長門が久しぶりに顔を見せたかと思えば、井関鎮守府の後継者の話である。

(とはいえ、難問ではあるか)

 名門の後継者、という意味合いだけではない。これは直接、江戸の護りにも関わる問題である。その意味では筆頭旗提督田沼意次、ひいては幕府本営の直接介入も不思議ではない。

「正直なところ、長門殿は誰を推すのかえ?」

「志村殿を」

 間髪いれぬ答えではあるが、口調は弱い。

 昔の長門ならば、その口調にもなんの迷いもなく、いや、すでに談合の段階で日向の背を押し、志村藤助に決めつけていただろう。

 ところが、である。今の長門には強さとは一体何か、という迷いがある。それはとりもなおさず目の前の老剣客、くわえてその息子との交誼の影響であろう。そしてその変化を戸惑いこそすれ、長門自身も快く受け入れているのだ。

 強さだけならば申し分はない。はたして、その強さは誰かのためになっているのであろうか。志村藤助の強さは、ただ自分一人のための強さではないのか。それは一介の剣士としてはなんの問題もないであろう。しかし、鎮守府の提督としてはどうなのか。

 今の長門には、その迷いがあった。

「その四人の提督を直接は知らぬ。知らぬが、今言葉をためらった長門殿のことは、それなりにはわかったつもりでおる」

「先生」

「このような老いぼれに言われても迷惑かもしれぬが、今の長門殿のためらいの意味、時間の許す限り考えてみてはどうか」

「私なりに、四人の姿を追いたいと思います」

「それが良かろう」

 ところが小兵衛はこのやり取りを後に、一手遅かったと悔やむこととなる。

 その翌日、志村藤助が殺されたとの知らせが長門より届けられたのである。

「背後から斬られ、川へ転落したと」

 斬られた身体では満足に泳ぐこともできず、溺れ死んだという報告であった。

「酔っていなければ、川に落ちなければ助かっていたかも知れません」

 長門は悔しげに言い立てる。

 それはそうであろう。秋山小兵衛、大治郎と並び、長門がどうやっても剣では勝てぬ相手の一人が志村藤助であったのだ。

 その志村藤助があっさりと、酔ったところを背中から斬られ、それが直接の死因ではないとしてもその後溺死したと。

 長門にとっては、無念極まりのないことであった。

「長門殿。その件は他には」

「いえ、井関ではこの件は他に漏らすなと。酔って溺れ死んだという届けだけを出すと金剛が」

 小兵衛は別格であると慌てて付け足す長門。

 しかし、それは見方を変えれば犯人捜しを諦めろというようなものである。

 それでも小兵衛にはその様子が想像できた。名の知れた剣客提督が酔ったところを背後からとはいえ、刃を打ち合わせることもなくあっさりと斬られたなどと、物笑いの種である。これを恥として隠し通すなど、さほど珍しいことではあるまい。

 おめおめと斬られた無様よりは、酔って溺れた方がまだマシでないか、と考えたのであろう。

 とはいえ、小兵衛には尋ねるべきことがあった。志村藤助の秘書艦日向とは、長門を通じた顔見知りでもあるのだ。

「日向はどうしておる。敵討ちなど考えかねんのではないか」

「知らせを受けて以来、床に臥せっております。姉の伊勢が面倒を見ておりますが」

 見た目と言動からはわかりにくいが、伊勢、日向は思慮も情も深いと言われている艦娘である。その反応も小兵衛にはよくわかった。

 そしてもう一つ、

「今、志村藤助を殺める理由のある者が他にいると考えておるわけではないのだな?」

 そのことである。

 どう考えようとも、この事件が井関鎮守府の後継者争いと無関係であるとは言えまい。

 むしろ、後継者争いの結果であると考えるのが自然である。

「ですが、酔っていたとは言え、あの志村藤助を他の三人に斬ることができるとはどうしても思えませぬ」

 ましてや、無関係の者によるとも考えづらい。確かに、志村藤助より腕の立つ者を探すことはできよう。しかし、誰も知らぬ間にその者を雇い、志村を斬ったとしてもその後はどうするのか。自分の弱みを握られるだけである。

 正面から勝負して確実に斬ることのできる達人がいるのならば、素直にその者を配下として紹介すればよいのである。それならぱ、腕だけで選ばれる藤助を次期後継者から引きずり下ろすことも難しくはないのである。無理に斬らねばならぬ理由などどこにもない。

「斬ったのが誰であろうと、動機は三人共にあるのだろう。その性根は別としてな」

 誰が犯人だとしても、実力の抜きんでていた藤助が邪魔であることは確かである。ただし、誰が犯人だとしても斬るのは容易ではない。

 だが、何かの手段によって陥れたのならば、無論話は別である。

 では、その手段とは。

 今の小兵衛にも長門にも、それに対する答はない。

 

 

 

 雪風は待っていた。

 雪風の司令……雪風を始めとして提督を司令と呼ぶ艦娘もいる……尾形慶三郎の言葉をである。

 何か言いたげに口を開こうとする姿を雪風は何度も見ていた。そして、すぐに諦めるように口を閉じる姿も。

 雪風の姿は幼い。しかし艦娘の場合、見た目の幼さは中身とは無関係である。その仕草や口調がどれほど幼く未熟に見えようとも、いざ戦場へ出れば問題なく深海棲艦を討ち取るのが艦娘というものである。それを知らぬ提督など勿論いない。

 それでも、やはり人間というのは外見に惑わされるものである。司令といえど例外ではない。雪風にもそれはわかっている。

 歯痒かった。

 これが日向や金剛、蒼龍、長門の姿であれば自分にも話してくれるのだろうか。

 井関四天王と呼ばれる提督たちの秘書艦の中で自分だけが駆逐艦娘である。その事実を悔やんだことはない。ないが、やはり何もないというわけはいかぬ。四人が並べば、自分が軽んじてみられることは仕方ないとは、雪風も割り切っているつもりであった。

「司令」

 その日も、稽古を終えた慶三郎を雪風は出迎えていた。

 慶三郎は雪風に麾下艦娘の様子を尋ね、雪風は特に報告すべき点は無いと答える。

「他の秘書艦と提督は」

「金剛さんと若様、蒼龍さんと土井提督はいつも通りです。日向さんは、まだ部屋で臥せっていると、伊勢さんが言ってました」

 秘書艦たちについても同様であった。この数日変わらずの、いつも通りのやり取りである。

 それでも雪風には不満が残る。

 慶三郎の顔には確かな憂いがあるのだ。隠そうとしてはいるが、秘書艦として長い雪風にはわかる。かといって、その詳しい内容までがわかろうはずもない。

「雪風は、司令にとってそれほど信用できませんか」

 思い切る。と雪風はこの日決めていた。それがこの言葉である。

「雪風は金剛さんにも蒼龍さんにも、日向さんにも及びません。それはわかっています。けれども、雪風は司令の秘書艦として」

 言葉を詰まらせる雪風。俯き加減に垂れていた頭の動きが止まる。

 慶三郎の手が、雪風の頭を撫でていた。

「私がそこまで言わせてしまったのだな。許せ、雪風」

 充分だ。と雪風には思えてしまった。

 その言葉だけで、司令のその言葉だけで充分だと。

 艦娘である自分にはそれで充分なのだ。しかし鎮守府の一員、さらには秘書艦である自分には、その言葉だけでは足りぬ。

 ゆえに雪風は、さらに言葉を繋げようと口を開く。

 しかし、

「すまん」と慶三郎は言った。雪風の言葉が発せられる前に。

 この雪風故に慶三郎は悟った。

「ここで許せというのは、私の未熟。私の卑怯であるな」

 自らの言葉の重さを。司令として雪風に、秘書艦にかける言葉の重さを。

「雪風、ついてこい」

 慶三郎は鎮守府奥に設けられた弾薬庫へと足を進めた。

 中で作業をしていた夕張たちが急ぎの作業中でないことを確認すると人払いを頼み、その姿を見送ると、雪風を招いて庫の扉を閉じる。

 前置きも無く、

「私は志村を斬った」 

 ただ一言。言い訳も謝罪も無く、慶三郎はそう言った。

 事実を述べたのだと、雪風にはわかった。

 どのように斬ったのか、力量差をどのように埋めたのか。それを聞く雪風ではない。

 尾形慶三郎が志村藤助を斬ったと告白した。その一事だけで雪風には充分である。

 理由があるのだ。語られぬ理由があると雪風は信じた。他ならぬ尾形慶三郎が斬ったと言った。ならば、志村藤助には斬られるだけの理由がある。それが雪風の理解であった。

「軽率であったかもしれん」

 しかし、と慶三郎は続ける。

「後悔はしていない。及ばぬとしても、斬るべきだと判断した」

 ただ、直接手を下したのが自分になってしまっただけのことだと。

 慶三郎は、志村を斬った夜のことを語り始めた。

 

 

 

 現代で言うところのお台場から江東区にかけては、深海棲艦との戦が始まるまでは海であった。今では艦娘の多大な協力を得て幕府が造り上げた埋立地がある。

 元々は深海棲艦に対抗して江戸の街を護るための足がかりとすべく造られた地であったが、戦がある程度落ち着いた今では、流れ者達が集まり混沌とした地域と化していた。色町、博打場、酒場、食い詰め者、浪人者、はぐれ艦娘の集まったある意味活気溢れる歓楽街となっていたのだ。

 その街には藤助馴染みの店もある。もっともこれは藤助だけではない。提督たる者、馴染みの店の一つや二つならば、持っていないほうが珍しいと言えよう。余談ではあるが、秋山大治郎はこの珍しいほうに属している。 

「尾形。何も言わず俺につけ」

 慶三郎を馴染みの店に呼び出した藤助の物言いは居丈高であり、端的であった。

「貴様は俺にやや足りぬものを少しばかり持っている。貴様にまったく足りぬものは、俺が充分に持っている」

 良い取引ではないか、と藤助は決めつけた。

 慶三郎にしてみても、その言葉に反論はできぬ。というよりも理屈を考えるならば藤助の言うとおりなのである。

 自分が長としてやっていける人間であるかどうかは誰よりも自分が一番よく知っている。補佐役がもっとも似合う男だということは自分でもわかっている。藤助の言葉は決して間違ってはいない。

 だとしても、慶三郎が藤助の下につくことを是とするかどうかはまた話が別である。

 慶三郎は藤助の力は認めていた。認めてはいたが、ただそれだけである。力以外に見るべきものなどない。それが、決して余人は漏らすことのない、慶三郎の藤助評であった。

 さらに、問題がもう一つあった。

「俺につけば悪いようにはせぬ。善七は弱すぎる、慎之介では話にもならぬ」

「慎之介殿は井関先生のご子息ではないか」

 とっさに言い返していた。自分でも驚いたことに、慶三郎は井関慎之介を庇おうとしていたのだ。

「今は志村殿で構わぬとしてもだ、いずれは慎之介殿に譲り渡すべきでは」

 余人の目もある。井関の名を奪うと噂されては、上手くいくものもいかぬのではないか。

 そう、言を重ねる。どこまでが本音でどこまでが慎之介への庇い立てかは、自分でもわからぬ慶三郎であった。

「まあ、それはそうだ。しかしな、少なくとも今この時、慎之介殿が筆頭提督として立ったところで上手くやっていけるとは誰も思わぬさ。あの様子を見ただろう」

 ならば、と慶三郎は頷きかけ、藤助の表情にその動きを止める。

 藤助はニヤリと、薄気味の悪い笑みを浮かべていたのである。

「いずれ立てるとの名目があれば、今は俺が筆頭となっても文句は言えまいよ。それに慎之介殿もお若い身だ、ああは言うものの、時が経てば心変わりがあるやも知れぬ」

 嫌な笑いだ、と慶三郎は思った。だから、単刀直入に聞いた。

「譲る意思がある、と思って良いのだな」

「慎之介殿次第だがな。しかし、意思はあるとすれば当面の名目は立つ。それで充分だ」

「本当に、譲る意思はあるのだな」

 二度聞いた慶三郎を藤助はあからさまに鼻で笑い、睨みつけた。

「くどい」

 言外の言葉は言わぬでよい。それが藤助の判断であった。

 さすがに、言葉にできぬとは藤助も感じていたのだろう。

「まぁ、飲めよ」

 注がれた酒を慶三郎は飲むしかなかった。

 その夜の慶三郎には高価な酒肴の美味さも全くわからず、ただ考え続けていた。

 藤助に促され腰を上げ、店を出たときもそれは変わらなかった。

「貴様、まだ心が決まらぬのか」 

 断れば、藤助は善七に話を持ちかけるだけだろう。善七が断らなければ、自分は用済みである。

「言っておくが、俺は土井よりは貴様のほうがまだマシだと思っている。だから貴様に先に声を掛けた。しかしなぁ、俺は別に土井でも構わんのだ」

 どちらにしろ、慎之介は鎮守府を継ぐ可能性を完全になくすこととなるのだろう。

 そこで慶三郎は考えた。果たして、それで済むのであろうか。今、慎之介を跡目争いから退かせることはさほど難しいことではない。

 しかし、

「慎之介殿に心変わりがなければ、如何にする」

 慶三郎は尋ねた。尋ねるしかなかった。

「するさ」

 なんのためらいもなく、即座に藤助は答える。

「いずれ心変わりはする、いや、させる」

 さもなくばと続けると、酔っていた藤助の手が上がり、刀を振り下ろす真似をした。

 その時であった。後から考えても、慶三郎自身に上手く説明できないことが起こった。

 志村藤助を斬る。

 ただ、そう決意したのだ。

 斬れぬ、斬れるではない。ただ、斬る。慶三郎はそう決意していた。

 井関提督に恩はある。だからといって、一命にかけて慎之介を護り盛り立てていこうなどとは思っていなかった。それだけの技量も、そしてそれほどの想いも持ってはいなかった、はずだった。

「気は進まんな」

「なに、俺がやる」

「ならば、多少は気が楽になるというものだ」

 賛を得たと思ったか、藤助は気安げに笑うと川に向かい、慶三郎に背を向ける。

「誓いの連れ小便でもどうだ」 

 藤助の笑い声が止んだその瞬間、慶三郎は刀を振りかぶっていた。

 

 

 

「斬るというよりも刀をぶつけた弾みで離れ、次に構えたときは志村は川の中だ。恥ずかしい話だが、無我夢中で逃げたよ。志村が溺れ死んだと聞いたのは次の日だ」

「司令、手応えはありましたか?」

「刀から、私のものでない血を拭ったよ。それがどれほどの深手か、と聞かれればわからぬ。わからぬが、殺すつもりで斬ったことは確かだ」

 自分が斬ったことが致命となったかどうかは重要なことではない、と慶三郎は言った。

 殺そうとして斬ったことに変わりはなく、その結果として斬死でなく溺死であろうとも、藤助の死に間違いはないのだと。

「なるほど、そうだったか」

 突然の声に雪風と慶三郎は同時に構えた。

 声は閉じたはずの扉から。確かに聞き覚えのある声、それは、外でもない志村藤助の秘書艦、日向であった。

 片手で扉を開いた日向は腰の刀に手を掛け、臨戦態勢であった。

「日向さん」

「夕張は何も言わなかったか。私の瑞雲がそこにあるということを」

 航空戦艦日向に搭載可能である水上機瑞雲が、その倉庫には置かれていたのだ。となれば、瑞雲に憑いた妖精もそこにいてなんらおかしくはない。妖精がいるのであれば、二人の会話が日向に筒抜けであるのも当然であった。

「もっとも、口止めは頼んでいたのだが」

「日向さん、臥せっていたのではないのですか」

 雪風の口調は厳しかった。

「雪風。私が臥せっている姿を君は直接見たのか?」

 日向は雪風の返事を待たずに続ける。

「伊勢には嘘をついてもらったよ。どうやら、頼んだ甲斐はあったようだな」

「君の提督を殺したのは私だ」

慶三郎は雪風を庇うように前へ出た。

「下がってください、司令」

 同時に雪風も前に出る。

 自然、互いをかばい合うような体勢となった二人に、日向は脱力したように笑った。

 戦艦娘日向がその気になれば、慶三郎も雪風もひとたまりもないであろう。

 雪風とてただの駆逐艦娘ではなく、戦艦娘相手であろうとやりようはある。あるがこの場合、相手もただの戦艦娘ではない。井関鎮守府でも指折りの練度を持つ日向である。慶三郎を護りながら戦える相手ではないのだ。

「まずは、ゆるりと話しませぬか。尾形提督」

 日向は腰のものを置いた。敵意はないとの意思表示ではあるが、あくまでも儀礼に過ぎぬことは双方わかっていた。

 提督ではあるが武に縁のない慶三郎と、無手とはいえ現役艦娘の力と技を持つ日向。普段から佩いている刀を置いたところで、実力差に変わりはない。そもそも、日向が艤装を発現させればそれで終了である。

 それでも慶三郎は頷き、雪風を下がらせる。

「聞こうか、日向」

「まずは一つ。尾形殿に志村提督が斬れぬことなど、とうに承知しております」

 しかし、と言いかけた慶三郎に被せ、

「斬れたとするならば、それは尾形殿の腕ではなく、何か別の原因があるということ。要は、別人による横槍が」

 それは慶三郎に対する軽侮ではなかった。単なる事実であり、正当な推測であった。日頃の日向を知る慶三郎にとってもそれは納得できる。

 そもそも、日向は藤助の心積もりを知っていて反対していた。上手くいかない、と思っていたのではない。藤助が筆頭提督となる。それは良い。しかし、慎之介に対する意見の違いがあった。藤助は最悪の場合慎之介に対する実力行使をも視野に入れている。しかし、日向はそれを否定した。

 その意見の対立をそのままに藤助はあの夜、慶三郎へと話を向けたのだ。藤助にしてみれば日向の反対など押し切るつもりであったのだろうし、日向自身もそうなるのではないかという危惧を抱いていた。

そして、この結果である。

 日向にとっての問題は藤助の死ではなかった。悼む気持ちや怒りがないわけではない。ただ、それだけでは何の解決にもならぬと切り替えるのもまた、歴戦の艦娘日向の思考であった。

 この場合、横槍を入れるであろう別人に心当たりはある。動機もある。機会もある。だが、その方法はわからぬ。それは日向も慶三郎も同じであった。

 問い詰める証拠がないのだ。

「尾形殿。私の提案を聞いてもらえるだろうか」

 

 

 

 その三日後のことである。秋山小兵衛が足柄を伴い井関鎮守府を訪れたのは。

「秋原小太郎と申す。井関提督には大戦中世話になった」

 無論、これは偽名である。さらに今の小兵衛は弱々しい姿で杖をつき、身体は震えている。普段の小兵衛を知る者が見れば驚愕のあまり腰を抜かすか、あるいは龍驤辺りならば、腹を抱えて大笑するであろう姿であった。

 その小兵衛と足柄を出迎えたのは三人の提督とその秘書艦である。

「提督の一人に不幸があったと聞いたが、秘書艦はどうされた?」

 答えたのは金剛である。普段にはない改まった口調で、その表情は厳しい。

「提督を失って以来、床に臥せっております」

「艦娘とはそういうものかのう」

「それぞれによりますかと」

「ふむ。そこは我らと同じよな」

 そこまで話した金剛の言葉を引き取り、慎之介が言う。

「秋原様、お久しぶりです」

 そして後ろに待つ善七と慶三郎に聞かせるように、

「大戦中は父が片腕として頼みにしていたと聞いております」

「そうか。それでは話は早いな」

 小兵衛と入れ替わるように、足柄が前へと出た。

「秋原鎮守府となりましょうか」

 突然のことにすわと身構える蒼龍を抑え、金剛は何事も無かったかのように答えた。

「どういう意味でしょうか」

 足柄は鼻で笑った。

「では、言い方を変えましょうか? 貴方たちは引っ込んでなさい」

「意味がわかりまセンネ」

 金剛の口調が普段の物に戻っていた。

「井関の金剛ともあろう者が、察しなさいな。ぐだぐだと次の提督も決めず、誰も動かず、挙げ句の果てには一人が死んだ。いい物笑いね。私の提督が代わりになってあげる、と言っているの」

「代わりとはどういうことデスカ」

「わしがこの鎮守府の提督となる。そういうことだな、足柄」

 小兵衛が言葉を挟んだ。

「そう気色ばむことはあるまい。何もむやみやたらにそちらの顔を潰そうというのではない。足柄の言葉は悪いが、慎之介殿が一人前となるまでの繋ぎと思ってくれればそれで結構。それ故の、この老いぼれの出番じゃよ」

「このことを長門殿は知っておられるのか」

 善七の問いに答えたのは足柄である。

「長門様は田沼鎮守府に戻ったわ。情が湧きすぎたのでしょうね、この鎮守府に」

「どちらにしろ、長門様は関係ないものとして話を進めてもらおうかの」

話を戻す小兵衛に、今度は慶三郎が尋ねた。

「それで、名前は奪うと?」

「別に構うまい。名前など。嫌と申すならば」

 小兵衛が三人の提督を試すように言う。

「吾こそはと手を上げ、井関提督の名に恥じぬ鎮守府を作り上げることができると言えばよろしい。そして証明すればよろしい」

「それ以前の問題デス」

 即座に答える金剛。

「仮に、貴方が代理の提督になる、というのなら考える余地はありますネ。だけど、名を変える、いえ、騙るのだけはダメです。ここは井関鎮守府デス」

 足柄は大きく笑った。

「我が儘ねぇ。たかが、お子様の御守のくせに」

「老いぼれの面倒を見るよりはマシですヨ?」

「よし、やりましょうか。倒すわよ、貴方」

 臨戦態勢の顔で、足柄は金剛を睨みつけた。

「倒すと言いましたカ? 重巡が戦艦を」

 金剛も負けてはいない。 

「ああ、ごめんなさい。言い直すわ」

 指を立てる足柄。

「沈めるわよ、貴方」

「蒼龍、雪風」

 金剛は二人を見ていない。足柄を睨みつけている。

「高速修復材を二つ用意してくだサーイ」

「金剛」

「提督」

 ここで金剛はようやく視線を足柄から外すと、慎之介に向き直る。

 慎之介を挟むように立つ二人の提督にも。

「ゴメンナサイ、提督。だけどこれだけは絶対に譲れません」

 慶三郎と善七に言葉は無い。しかし、慎之介は首を振った。

「金剛、ありがとう。だけど、無理はしないで欲しい」

「……はい!」

 金剛は足柄に地上での勝負を告げる。

「水上でなくて良いのかしら?」

「無論」

 水上での正面から一対一であれば、相手が潜水艦や空母で無い限り、戦艦は確実に有利である。しかし、地上ではそうはいかない。艦種の差では無く体格差がものをいう。足柄と金剛の場合は体格差はさほどに無い。

 そしてまた、艦種の差が無ければ地上での実力差はそのまま水上での実力差である。その逆はない。水上で強い者が地上で弱いことはあるが、地上で強い者が水上で弱くなることは、いくつかの例外を除けばない。

 実力だけで比べるならば、地上での勝負が公平ではあるのだ。

「一つ確認して良いかしら」

 足柄は金剛の背後、雪風と蒼龍に目をやった。

「貴方を倒したあと、そこの空母と駆逐も倒す必要があるかしら?」

「……私が代表ネ」

 被せるように蒼龍と雪風が肯定の声を上げる。

「なら、安心したわ」

二人は鎮守府内の道場に移動する。残りの者も当然それに従い動く。 

 足柄と金剛は、道場に入ると互いに木刀を構え向き合った。

 同時に動いた。

 数合の打ち合いの後、金剛の木刀が足柄の脳天に振り下ろされた、と見ていた者達は確信した。その瞬間、足柄の突きが金剛の胸元を貫いたかと見紛うほどの鋭さで放たれる。

 結果、倒れたのは金剛であった。

「何、今の」

「見えませんでしたか? 蒼龍さん」

「見えたの? 雪風」

 雪風も首を振る。

 慶三郎と善七も同様であった。

「急所を外したところをあえて打たれることによって隙を誘い、突いたように見えました」

 慎之介だけが辛うじてそう述べると、足柄が嬉しそうに驚き、頷く。

「やるじゃない。将来有望ね」

「足柄、失礼じゃろう」

 小兵衛も同じく頷き、一歩前へと出た。

「では、井関の当面の代理提督として、わしが務めさせてもらおうか。改めて、秋原小太郎と申す。見ての通り老いぼれで刀もろくに持てず、前線には既に出られぬ身ではあるが、よろしく頼む」

 その夜であった。

「お考え直してはくださらぬか」

 土井善七の言葉を、小兵衛は聞いていた。

 志村藤助が溺死した現場の下流、同じ川沿い、そして慶三郎が刃を振るったのとほぼ同時刻である。

「考え直せ、とは」

「無論、鎮守府の行く末。我らに任せてはいただけませぬか」

「ほぉ」

 まずは一献、一席設けよう。と小兵衛を誘った善七であるが、小兵衛は体調を言い訳に酒はほとんど口にしていない。とはいえ善七から見れば、杖をついて足元不確かな姿は酔っているとさほど変わりなく見えているだろう。

「できませぬな」

 あっさりと小兵衛は答え、川を背にして善七に向き直った。

「というより、わしにそのようなことは決められぬ」

「では……」

「馬鹿者」

 善七の言葉を遮るように呟いた小兵衛の身体が浮いた。

 杖を地面に突き立てると同時に、これを支えに飛んだのである。

 瞬間、小兵衛の背後の川中より地面から僅かに浮いた位置を飛んできた何かが、杖に絡まりついた。

 杖が倒れた頃には既に小兵衛は脇差を抜き放ち、善七の真正面へと着地する。堀川国弘の脇差一尺八寸を突きつけられた善七は、ひっと呻いてその場を動けぬ醜態をさらしていた。

「なるほどな」

 倒れた杖を拾ったのは、隠れ潜んでいた所から姿を見せた日向であった。

 杖の先には、拳大ほどの石を一本の綱で繋げたものが巻き付いている。これを闇の中放られれば、たやすく足首に絡み身動きはかなわぬ。さらにその綱が更に伸びた先で、水中の潜水艦娘に引き摺られるとあっては一層である。

既に準備は整っていたものか、金剛を始めとする艦娘達が掲げた探照灯によって川面を照らし、一人の艦娘を浮きだたせている。水中より奇妙な道具を投げた潜水艦娘に逃げ場はなかった。

 善七はその様子に気付くと震えだし、やがて膝をついた。

「土井善七。お主が麾下の潜水艦娘に命じ、志村藤助を襲ったのじゃな。そのまま始末をつけるつもりが、尾形慶三郎の動きを見て利用したか。なるほど、小賢しいことよ」

 小兵衛の言葉は質問ではなく、確認であった。

 日向と雪風は慶三郎との話し合いの後、金剛、長門と共に小兵衛の元を訪れていたのである。

 犯人は土井善七である。と日向は確信していた。しかし、その手口が不明であった。

 そこで小兵衛が提案したのが、その日の次第であった。小兵衛が鎮守府を訪れたときより、この仕掛けは始まっていたのである。あえて土井善七に同じ手口を使わせるために。

 つまり、見事に善七は罠にかかったというわけである。これに乗ぜられないようであれば、それはそれで別の仕様があると小兵衛は決めていたが、その必要は無かったことになる。

 

 

 

「蒼龍を含め大多数の麾下艦娘は何も知らなかったと、土井善七も本人たちも認めております」

 後日、小兵衛の隠宅を訪れた長門はそう報告した。

 茶を出した龍驤も、そのままおとなしく話を聞いている。

「艦娘に関してはそうであろうよ、性悪な艦娘がそれほどいては困るわえ」

「恐れ入ります」

「それで、土井善七は」

「土井善七は直接志村藤助殺害に関わった艦娘とともに、腹を切りました」

「腹を切った、か」

 答える小兵衛は何か言いかけ、口を閉じる。

 自ら腹を切ったのか、あるいは〝切らされた〟か。それは小兵衛にとってはどちらでも構わぬことである。

「井関鎮守府の行く末は、本営の指示に任されるとのことです。新たな提督が本営より送られるでしょう」

「慎之介殿と慶三郎殿はどうされるおつもりじゃ」

「慶三郎殿は、自らにも罪はあると、江戸十里四方払を自らに科しました」

 江戸十里四方払とは、一言で言えば江戸近辺に立ち入りを認めぬという刑罰である。慶三郎は無論公式の刑罰を受けたわけではない。しかし、己の意思で同等の刑罰を受けようというのだ。

 慶三郎の意志は固く、金剛や日向、慎之介の説得も効はなかったという。

「秋山先生にお目にかからず去る無礼をお許しくださいと」

「なに、気にすることはない。ところで、慶三郎殿は一人ではなかったのではないか?」

 既に何事かを知っていたような小兵衛の言葉に、長門は微笑み、頷いた。

「雪風が、例え鎮守府を外れはぐれ艦娘となろうとも共に行きたいと。金剛は笑顔で承諾しました」

「さもあろう」

 そして井関慎之介は鎮守府を去り、自らの力でやり直したいと告げた。

「父の残した物をそのまま戴くのではなく、己の才覚で一人の提督として立ちたい、と」

「ふむ。そちらはやはり」

「はい。金剛と日向が共に行きました」

「日向も、か」

「結果がこうであったとはいえ、己の提督の汚名を返上したいと」

「そうか」

 ここでおかしな間が空いた。長門がなにやら言いあぐねているのである。

「どないしたん?」

 龍驤が尋ねると、長門は姿勢を正すとやや緊張の面持ちで言う。

「秋山先生。これで私の所属する鎮守府はなくなりました」

「ふむ」

「さすればやむなく、大治郎殿の鎮守府へと行くことになります」

「やむなく、と?」

「父……田沼提督もその方が良いと」

「田沼提督ともあろう御方がおかしなことを。他に適当な鎮守府もあろうに」

「い、いや。急に探すことは難しく。このうえは秋山鎮守府にお願いしたいと」

「他に無いのかえ」

「ありませぬ」

 即座に答える長門。

 横で聞いていた龍驤がたまらず笑いを漏らしたのは、仕方の無いことであろう。 






メロンブックスで、同人誌版発売してます。
書き下ろし付きです

二桁話数になったんで、人物紹介表とか作った方が良いですかね

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