ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

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VOYAGE:09 武蔵救出作戦 Ⅰ

 

 武蔵救出作戦の開始予定時刻まで、後30分。晴風と、並行して浮上航行中のクリムゾンオルカは目標の海域に到達した。

 

<距離35000。確認しました、武蔵と東舞校の教員艦隊です>

 

 伝声管からマチコの声がブリッジに響く。それを聞いて、双眼鏡を持つ明乃の手にもぐっと力が入った。

 

「もかちゃん……」

 

「艦長……艦長!!」

 

 二度目はほんのちょっぴりだけ語気を強くして、ましろが言った。

 

 親友が乗っている武蔵に注意が行っていた明乃だったが、すぐに自分の役目を思い出した。

 

「……あ、そうだね。晴風はこの位置で停船。ただしいつでも離脱できるよう、エンジンはアイドリング状態を保って。りんちゃん、舵はしっかり握っていて。のまさん、遠くて分かり難いとは思うけど武蔵の主砲の動きに注意を!!」

 

<合点!!>

 

「はいぃ!!」

 

<お任せあれ>

 

 ブリッジに緊張が立ち込める中、頭に響くベル音が鳴った。幸子が受話器を取る。

 

「はい、こちら晴風……艦長、クリムゾンオルカ・ママさんからです。代わりますね」

 

「はい、ママさん。明乃です」

 

<あぁ、ミケ。あたしらは予定通り、これから教員艦隊の支援に向かう。そっちはどうだい?>

 

「こちらも準備が整いました。晴風は主戦場からの距離を保ちつつ、作戦の監視・記録を行います」

 

<よろしい>

 

 ビッグママはここで一呼吸置いた。

 

<……ミケ、もう一度確認するよ。ここでの晴風の任務は戦闘の様子を記録し、収集出来る限りのデータを持ち帰って報告する事だ。無論、この作戦で武蔵を停船させ、生徒達を救出できれば万々歳だが……もし失敗した場合、晴風がもたらすデータが次の作戦の正否を決定する事になる。ましてや、今の晴風ではみなみちゃんがネズミのウィルスだか病原体に対する、抗体を開発している……つまりこの戦闘では、何があっても晴風は沈んではならないという事だ。操艦は生存・逃げ延びる事を第一優先で行うように>

 

「は、はい……」

 

<……極端な話、ここで東舞校の教員艦もクリムゾンオルカも全て沈んでも、データを記録した晴風一隻さえ生き延びれば、作戦は成功。この戦いはあたしらの勝ちだ。だからミケ、あんたは何があっても晴風を沈めるな。艦長の義務を果たせ>

 

「ママさん、そんな……」

 

 縁起でもない事を言い出す恩師に明乃は上擦った声を上げる。ましろ達艦橋要員の表情も厳しくなった。

 

<なぁに、あたしは後150年は生きるつもりなんでね。今度、あたしのタブレットを見てみるかい? 予定は三年先までビッチリだよ。今のは心構えと勝利条件の話さ……それに……>

 

「……それに、何ですか? ママさん……」

 

<あんたはこれぐらい言っとかないと、一人で飛び出して行きかねないからねぇ>

 

「うっ……」

 

「『二度とここへは帰れなくなるよ!!』」

 

 すかさず、幸子がいつもの芝居が掛かった声を上げる。ブリッジの面々はもう「また始まった」という呆れ顔をしなかった。みんなすっかり慣れっこになってしまっている。

 

「『分かってる!!』」

 

 と、ここで少年のような声で合いの手を入れたのは意外や意外、ミーナであった。これには、明乃もましろも鈴も驚いた顔になった。

 

「『覚悟の上だね!!』」

 

「『うん!!』」

 

 更に、期待に輝いた二人の目がスピーカーへと向いた。見えている訳もないがそれに呼応するように<はぁ……>と小さな溜息が聞こえてきて、

 

<『40秒で仕度しな!!』>

 

 ぱちぱちと、拍手する幸子とミーナ。通信機越しでも、小芝居の呼吸はぴったり合っていた。

 

<……と、こんな具合に思い詰めてぶっ飛んでいきそうだからねぇ。先に釘を刺させてもらったよ>

 

「ミーちゃん、今のは……」

 

「以前、アドミラル・オーマーがシュペーに乗艦されていた時、漫画やジャパニメーションのDVDを色々持ち込まれての……訓練が終わった後にはよく皆で集まって上映会をやっておったのじゃ。お陰で我が艦の乗員はすっかり日本通になってもうた」

 

「日本が誤解されそうだ……!!」

 

 頭痛が襲ってきて、ましろはこめかみを揉みほぐす。

 

 とは言え、これまで緊張でカチコチだったブリッジの空気が、ほどよくリラックスできたようにも思える。図らずもこの通信には良い効果があったと言えるだろう。

 

<……ミケ、一つ言っておくよ>

 

 ビッグママが会話を再開する。既に声色は、真剣なものに戻っていた。

 

<戦闘記録を見たが、あんたには良い艦長の素質がある……何十人と艦長を育ててきたあたしが言うんだ、間違いない。猿島との戦闘時も、結果的に艦と乗員を救う為に最善の選択が出来ていたしね。だからあんたが艦の指揮を放棄するもしくは誰かに任せて飛び出す事はあんた一人の問題じゃあない。艦と乗員全員の生存率を下げるのと同義である事を覚えておくんだ>

 

「……」

 

 これは明乃の独断専行を戒める目的の方便でもあるのだろうが、ましろは少しばかり複雑な心境だった。自分が適性や能力で劣ると言われたようだったからだ。そんな事を考えている間にも、ビッグママの話は続いている。

 

<そしてこれを聞いてる晴風の皆にも言っておく。艦長とクルーはどうあるべきかってのについてね。これはレッスン8『信頼について』だ>

 

「艦長とクルーがどうあるべきか……ですか?」

 

<そうだ、あまり時間が無いから手短に言うが……良いかい? クルーってのは、艦長の方針には好きなだけ文句を言って良いし、自分の意見もガンガン言って良い。むしろ言うべきだ。だがそれらは全て、艦長にとってはあくまで『判断材料』でしかない事を覚えておくんだ。だから仮にクルー全員がプランBを推していても艦長がプランAで行くと決めたなら、クルーはそれに従うべきだ>

 

「…………」

 

 ちと極端ではあるが、正論でもある。艦の指揮系統が確立されて上意下達の体制がしっかりしていなければならないのは当然だし、クルーとしては艦長の判断を立てるべきなのも確かだ。ブリッジの全員が、黙って聞いている。ちなみにこの会話は現在、晴風全体に流れている。機関室にも、調理室にも。

 

<だがミケ……艦長はそこまで反対を押し切って決めたんだから、その決断には責任を持って、必ず成功させるんだ。そして……>

 

「クルーの方は『これだけ言っても艦長は意見を曲げなかったんだから、何か成功の確信があるんだ』と信じて付き合う事……信頼というのはそういうもの……でしたよね、アドミラル・オーマー」

 

 途中からは、ミーナが引き継いだ。彼女もまたビッグママから、教えを受けた一人なのだ。スピーカーから<ほう>と感心したような吐息が聞こえてくる。

 

<おお、良く覚えていたね、ミーナ>

 

「……この一年、ワシはシュペーの副長として常にそれを心掛けてきましたので」

 

<……本当なら、もっと段階を置いて教えていきたかったけど……ここからは監視・記録の任務とは言え実戦だからね。艦の安全の為にも、この心構えは持っていてもらいたかったんだよ……どうか皆これを忘れずに、事に当たってもらいたい。以上だ>

 

 これを最後に、ブツッという耳障りな音と共に通信が切れた。それとほぼ同時に、水測室と見張り台から報告が入る。

 

<クリムゾンオルカ、10ノットで前進開始。艦内に注水音が聞こえます>

 

<見張り台からも確認。ゆっくりと潜行していきます>

 

 艦橋からもその様子は見えていた。やがて艦全体が水中へと姿を消したのを見届けると、明乃はすうっと深呼吸して両手で自分の頬を叩いた。パン、と気持ちいい音が鳴る。

 

「よーし……!! まりこうじさん、採音を始めて!!」

 

<承りましたわ>

 

「のまさん、ビデオカメラ回して!! 作戦の様子を記録!!」

 

<了解!!>

 

「つぐちゃん、艦隊や武蔵から何か電信が入るかも知れないから、それを見逃さないように!!」

 

<分かりました!!>

 

「めぐちゃんも、周辺を航行する船舶の様子には常に注意して!! 近付く艦があったらすぐに知らせて!!」

 

<了解>

 

 てきぱき指示を飛ばしていく明乃を見て、ましろは「うん」と一つ頷く。

 

「いいぞ、艦長」

 

 今日の明乃は、今まで見てきた中で一番艦長らしく見える。

 

 先程のビッグママの物言いには少しばかりプライドが傷付いたものだが……だが確かに猿島との遭遇戦で魚雷を撃って逃げようという明乃に対して自分は敢えて反撃せず、砲撃に耐えるべきだと進言した。もし明乃がその意見に同意して反撃しなかったら、自分達は今頃ここには居ない……どころか晴風が浮かんでいるかどうかすら怪しいものだ。結果オーライな面も多分にあるが、しかし教本通りに動いて轟沈しては意味が無い。艦と乗員の安全が最優先である以上……ビッグママの評価は間違っていない。

 

 明乃は艦長として、正しかったのだ。

 

 ならば自分も副長として、とことんサポートせねばなるまい。

 

 腹を括ったましろは今し方明乃がそうしたように、深呼吸して顔を叩くと気合いを入れ直す。

 

「よしっ……各部署に連絡!! 戦闘行為が禁止されているとは言え、これは実戦だ。一瞬も気を抜くなともう一度徹底させるんだ!! ……ですね、艦長?」

 

「うん、ありがとうシロちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

「しばらくは潜望鏡深度を維持。レッドオクトーバーを使って、距離を置きつつ武蔵に気付かれないよう艦尾に回り込むんだ。取舵50度」

 

「了解、ママ」

 

 潜望鏡を覗き込みながら、艦の動きを指示するビッグママ。

 

 ナインがコンソールを叩くと同時にクリムゾンオルカの外部ではスクリュープロペラが停止し、代わりに艦首と艦尾両舷の一部がスライドして左右合計で4つ、魚雷発射扉よりも倍ほど大きな”穴”が現れる。僅かな時間を置いて、後部の”穴”の周りの水が揺らいだ。高圧水流が噴出されている為だ。

 

 これがクリムゾンオルカに搭載される3つの特殊兵装の一つ、トンネル式無音航行システム『レッドオクトーバー』であった。

 

 アメリカやロシアの海軍ではキャタピラー・ドライブとも呼ばれ研究が進められている装置であり、極々簡単に言えば”水中のジェットエンジン”である。前方の扉から海水を取り込み、高圧を掛けて後方の”穴”から噴出する事で推進力とする。従来のスクリュー推進との相違点は、その静粛性にある。

 

 この推進機関はスクリューと比べて動く部分が無い上にスクリュー推進につきものの気泡・キャビテーションノイズが発生しないから、遥かに音が静かなのだ。よってビッグママが言ったように、本職のブルーマーメイドであっても水測が音を拾えない。よしんば拾えたとしても鯨の声や海底火山の音だと誤認する可能性が高い。

 

 海中に姿を隠す潜水艦とは、恐ろしいほどに相性の良い装備であると言える。

 

 艦がエンジンを動かしていてソナー効力が落ちている状態でありながら、水中聴音に違和感を覚えた楓が優秀だと評されたのはこういう理由からだった。

 

 今回の任務でクリムゾンオルカが果たす役割は、予想外の事が起こって東舞鶴校の艦隊が武蔵を保護するのが困難となった場合に、無弾頭魚雷でスクリュー・シャフトを破壊して航行不能にする事である。

 

 だがありとあらゆる所に手が入ってベース艦の伊201とは最早ガワが同じだけの別の艦と化しているクリムゾンオルカでも、後方へと魚雷を撃つ事は出来ない。よって、まずは武蔵に気付かれないよう背後を取り、スクリューを狙えるポジションを確保する必要があった。

 

「ママ、艦隊に動きあり。一隻が、武蔵に近付いていきます。予定通り、まずは保護しに来たという旨を伝えるようです」

 

「あぁ、リケ。あたしからも見えてる」

 

 さてどうなるか……

 

 何事もなく停船して保護を受け入れるか、それとも撃ってくるか。

 

 潜望鏡のグリップを握る手に汗が滲んでいるのを、ビッグママは自覚していた。僅かばかり期待はあるが、正直前者は望み薄だと彼女は見ている。

 

 恐らく、武蔵は撃ってくる。問題はそこからだ。そんな事を考えていると……

 

「ん!!」

 

「ママ、海上で発射音……この音は……!! 武蔵の主砲です!!」

 

「ああ、こっちでも見えて……!?」

 

 次の瞬間、ビッグママは言葉を失った。

 

 武蔵の主砲が火を噴いて、撃ち出された砲弾は東舞鶴校教員艦4番艦の機関部に、正確に命中したのだ。

 

「艦体破壊音及び、浸水音が聞こえます!! 当たりました!!」

 

「あぁ、見りゃ分かる!! あれじゃあ航行不能だ!!」

 

 予想はしていたが、動揺はあるのだろう。いつものビッグママより少しだけ語調が荒かった。だがそれも一時。体に染み付いた経験が、すぐに精神状態をニュートラルに戻す。

 

「初弾で当ててくるって……いきなり予想外の事が起こったわね。シュペーの時は、人の目で狙いを付けてるみたいに照準が大雑把だったのに」

 

「偶然やまぐれ……って考えるのはおめでたい……ですよね、ママ」

 

 いつも通り同意を求めるナインに対し、ビッグママは「その通りだよ」といつも通りに返す。

 

「命中したのは武蔵が狙ってやった事だ。最初の一発で当てるなんて、猿島やシュペーとは明らかに何か違う……まず照準は正確……では、連射速度は……?」

 

 答えはすぐに出た。

 

 スコープの中の武蔵は搭載された主砲・副砲を滑らかに動かし、照準し、東舞鶴校の艦隊へと圧倒的火力を雨あられと浴びせていく。見る限り砲塔の旋回速度・連射速度共にビッグママの脳梁に叩き込まれたカタログスペックとほぼ遜色は無い。

 

 教員艦隊はジグザグに回避航行を取っているが、夾叉や至近弾も多い。完全にはかわしきれずに何発か被弾してしまう。

 

「……こりゃダメだ」

 

 諦めたように呟いたビッグママはグリップを畳むと潜望鏡を収納するよう指示を出して、どかっとキャプテンシートに腰を下ろした。少しふてくされているようにも見える。

 

「……ロック、東舞校教員艦隊に打電を」

 

「もう送ってるわ、ママ。『武蔵の攻撃性能は万全にほぼ近い状態を維持している事を確認。これは本作戦の前提条件を完全に覆すものである。よって貴艦らは、速やかに当海域からの撤退を開始されたし。本艦はこれを援護する』とね。同じ内容を、横須賀女子海洋学校・東舞鶴男子海洋学校・海上安全整備局安全対策室にもそれぞれ送ってます」

 

「よろしい」

 

 仕事の早いクルーにビッグママは満足そうに頷き、その後で大きく溜息を吐いた。

 

 レッスン7『予想外の事が起こったら撤退しろ』。嫌な予感がしたからそう心掛けろと言っていたが、嫌な予感ほど当たるものだ。ちっと舌打ちする。

 

 そもそもこの武蔵保護作戦は武蔵が撃ってくる所までは想定内だが、同時に武蔵が本来のスペックを発揮できない事を前提として立案されている。東舞校の教員艦の装備は最新鋭のものがあり、クルーも生徒を指導する立場にある教員だから当然練度・経験値は高い。故に能力をフルに発揮できない武蔵であれば、向こうが撃ってくる可能性を念頭に置いて行動したのなら制圧できる見込みは十分あった。

 

 だが現状、その前提条件は根幹が吹っ飛んでしまっている。

 

 武蔵は艦のポテンシャルを十全に引き出して、正確な射撃を教員艦隊へと浴びせてきている。それでも、沈めていいなら数の差もあって五分以上に渡り合えたろうが、教員艦隊の目的はあくまで武蔵の生徒を保護する事。必然、選択し得る攻撃オプションは限定されてしまう。一方で武蔵はお構いなしに実弾を撃ってくる。この差が、そのまま海上での旗色の差となってしまっていた。

 

 正直な所、教員艦隊があまり長く持ち堪えられるとは思えない。

 

「ママ、東舞校と横女からそれぞれ通信が入りました。モニターに出します」

 

<先生、状況は把握しちょります>

 

<教官のカンが……当たりましたね>

 

 メイン・サブの2モニターに、深刻な顔をした永瀬校長と宗谷校長がそれぞれバストアップで表示された。

 

「ああ……懸念していた事が起きた。やはり例のネズミもどきには”何か”がある。人を好戦的にさせたり電子機器を狂わせるだけじゃない。”何か”まだ……あたしらが知らない謎がある。それに武蔵の様子は、猿島やシュペーとは全く完全に違う。何でそんな違いが生じるのか? それも含めてネズミの秘密を全て暴かない限り、事態を収拾するのは難しいだろう」

 

 がちんと、煙管を噛み締めるビッグママ。これは不機嫌な時に出る彼女のクセだった。

 

<……艦隊の警戒網を崩す訳には行かないにせよ……宗谷一等監察官の調査が終わるまで待つべきじゃったでしょうか?>

 

<いえ……猿島・シュペーの乗員が暴走したのがネズミのせいなのは教官がお持ちの情報から考えても確定的……ならば原因として可能性が高いのはやはり何かの病原菌やウィルスの類……その感染が武蔵や他の行方不明艦にも広がっているとすれば、生徒達がいつまでも無事でいる保証もありません。保護の為には一刻も早く動く必要がありました>

 

「……ユキちゃんに同感だね。それに猿島とシュペーには相違点は無く、武蔵も同じである可能性はあった……と言うよりその可能性の方が高かった。作戦が成立するには十分なほどにね。これは単純に予想外の事態が起きただけ……よくある事だよ、実戦ではね……逆に何もかも予想通りで上手く行く方が、よっぽど珍しい」

 

 語るビッグママの目からは、既に苛立ちや悔しさの色が消えていた。今の彼女は完全にそうした余計な感情を排除して、この状況から得られる全ての情報を次の作戦に活かせるよう、脳内で分析とシミュレーションを進めているのだ。

 

「とにかく、こうなった以上は艦隊を速やかに撤退させるべきだ。だが武蔵がバンバン撃ってくるこの状況では、背を見せては退けないだろ。だからあたしらが、撤退を援護する。それであわよくば武蔵のスクリューを破壊して足を奪う。これで行こう。ユキちゃんは引き続き国交省や海上安全整備局に働きかけて時間を稼いでくれ。テッちゃんは負傷者の受け入れ体制を整え、艦隊の再編を急ぐんだ」

 

<了解しました。苦労を掛けます、先生>

 

<お気を付けて>

 

 通信が切れると、ビッグママはごっつい尻を少しだけ浮かして座り直す。

 

「ママ、これ以上潜望鏡深度は危険です」

 

「そうだね、深度200につけな。それとレッドオクトーバーを停止させて再びプロペラ推進に切り替え。後、アクティブソナーを打つんだ」

 

 無音の推進装置であるレッドオクトーバーは潜水艦に最適な足と言えるが弱点もある。その一つがスクリューと比較した時のエネルギー効率の悪さだが、ディーゼル潜ならいざ知らずレーザー核融合炉をメイン動力とするクリムゾンオルカはエネルギーなど有り余っており、これは無視できる問題と言える。

 

 ならば艦を軽量化する為にもスクリューをオミットすれば良いと考えるのが普通だが、ビッグママは敢えてスクリューとレッドオクトーバーの併用を選択していた。彼女は70年になろうという乗船経験からただ単に音を抑えて見付かりにくくするよりも、音を立てるスクリューと無音のレッドオクトーバーを使い分けて緩急を付けた運用を行う事で相対的に静粛性がより強調され、更に隠密性を高める事が出来ると考えていたのだ。

 

 そして今回のように、本来姿を現してはならない潜水艦が敢えて自ら存在をアピールするという運用すらも、彼女は自らの戦術に組み込んでいた。これは伊201との戦闘で行ったミュージックを利用した戦法からも証明されている。

 

「成る程、近くに潜水艦が居ると武蔵に教えてやるんですね」

 

「教官艦隊を追撃するか、こっちへの対策を取るかを迷わせる……ですよね、ママ」

 

「そういうこった」

 

「了解、アクティブソナー、打ちます」

 

 スイッチを押してすぐにピンと発信音が鳴って、ややあってカーンと反響が返ってきた。

 

 堂々と音を立てての移動と探信音波。これで武蔵は、確実にクリムゾンオルカの存在を知った。

 

「さて、どう出る……?」

 

「ママ、武蔵の動きが少しだけ鈍くなったようです。砲撃のペースが落ちています」

 

 リケの報告を受け、ロックとナインはぱんと手を叩き合わせた。武蔵の判断を迷わせるという作戦は、上手く行ったようだ。

 

「ママ、海上で発射音多数。教官艦が噴進魚雷を発射しました」

 

 噴進魚雷とはその名の通り、洋上艦から発射されるとまず噴射機構によって空中を推進、その後着水して通常の魚雷と同じように水中を進むという兵器だ。

 

「よーし、良い判断だ。無弾頭であろうと牽制ぐらいにはなる。これで武蔵の足が鈍った所で、全速を掛けて逃げるんだ」

 

 東舞校教員の判断を、ビッグママは賞賛した。確か司令官は教頭だと聞いていたが、流石の経験と練度だ。ほぼゼロ時間でこちらのピンガーの意味を完璧に読み取って、武蔵に生じた一瞬の隙を逃さずに最善手を打ってきた。そしてこのチャンスは、自分達も最大限に活用させてもらう事にしよう。

 

「ロック、一番二番発射管に魚雷を装填。噴進魚雷が当たって武蔵の動きが鈍った所を狙って発射する。照準は武蔵のスクリューシャフト、弾頭は外しておくんだ」

 

「分かったわママ。セットはどうします? やはり武蔵のエンジン音やキャビテーションを追尾するように? それとも有線誘導で?」

 

「いや……」

 

 ビッグママは僅かな時間だけ、判断に時間を割いた。

 

「……ここは敢えて直線セットで行こう。ミーナはシュペーで電子機器が使えなくなったと言っていた。武蔵にも同じ事が起こっていると考えると……魚雷が武蔵に接近したらセンサーが狂って迷走を始めるかも知れな……いか……ら………………」

 

「? どうしました? ママ」

 

「……武蔵に接近したら……魚雷のセンサーが狂って……迷走を始める……?」

 

 頭を伏せてぶつぶつと呟き始めるビッグママ。心配したナインが声を掛けるが、老艦長はいきなりばっと顔を上げた。

 

「ナイン、魚雷発射は中止!! リケ、海面の様子に注意しな。今、教員艦が発射した噴進魚雷の動きに気を付けるんだ!!」

 

 

 

 晴風の艦橋。

 

 武蔵が圧倒的な攻撃力を発揮し、東舞校の艦隊が撤退を開始しているのはこちらからも観測できていた。

 

「艦長、これ以上は……本艦も危険です」

 

「うん、そう……だね……」

 

 明乃の握り締めた手が白くなっているのが、ましろには見えた。

 

 武蔵には親友が乗っていると聞いていたが……大切な友であった事が、良く分かる。

 

 助けたいだろうが……それは任務に反する行動だし、この状況で晴風にそれは不可能だ。ビッグママのレッスン6にも反するし、作戦開始前にこんこんと諭され、戒められた。

 

 いよいよとなったら晴風だけでも逃げ延びろと。

 

「……りんちゃん、取舵一杯。まろんちゃん、機関最大戦速。最速で、現海域を離脱します」

 

 全ての感情を押し殺した能面のような顔で、明乃が命令する。いつもの彼女とはあまりにも違うこの様子にブリッジクルー達は戸惑ったようになるが……

 

「聞こえなかったのか、取舵一杯!! 一刻も早く安全圏まで脱出するんだ!!」

 

「は、はいぃ!!」

 

<合点!!>

 

 副長の一喝を受けて我に返ると、それぞれ自分の仕事をこなし始める。

 

 ましろは眼を細め、じっと武蔵を睨んだ。もしあれに乗っているのが、母や姉達だったとしたら……そう考えると、明乃の気持ちが良く分かった。

 

「……艦長、あまり一人で抱え込まないように。副長として、私もサポートします」

 

「シロちゃん……」

 

 振り返った明乃の瞳は、揺らいでいた。

 

「あ……ありが……」

 

<か、艦長!! 大変ですわ!!>

 

 言い掛けた声は、ソナー室から聞こえてきた楓の声に掻き消された。口調は少し噛み気味でいつになく動揺が感じ取れる。

 

「どうしたの? まりこうじさん!!」

 

<先程、東舞校教員艦から発射された噴進魚雷が着水、航走開始……クリムゾンオルカへ向かっていますわ!!>

 

「何だと!?」

 

「ママさん!!」

 

 

 

「ウオ!!」

 

 時を同じくしてクリムゾンオルカのブリッジでは同じ報告が、リケから発せられていた。

 

「ママ!! 教員艦の撃った魚雷が二本、こっちに向かってきます!! 距離0まで3分!!」

 

 味方から魚雷攻撃を受けるという想定外の状況に、ビッグママ自慢のクルーも流石に早口になっていた。口角には泡も見える。

 

「来たか……!!」

 

 ビッグママは臍を噛む。またしても嫌な予感が当たった。

 

 電子機器に異常が生じてセンサーが狂うなら、噴進魚雷とて例外ではなかったのだ。こっちへ向かってくるのは流石に偶然だろうが、まさか味方の魚雷に怯える事になるとは想定外だった。

 

 だが、ギリギリのタイミングとは言えその可能性に思い至れた。ならば対応策も打ち出せる。

 

「この距離とタイミングじゃデコイや囮の物体による攪乱は間に合わない。ここは回避だ、マスカー開始!!」

 

「「「了解、ママ」」」

 

 動揺しているとは言えクルー3名の練度は流石に高く、すぐに自分を取り戻すと艦長の指示に従い、素早く機器を操作していく。

 

「マスカー開始します!!」

 

 マスカーとは魚雷のセンサーを攪乱する為、気泡を発生させる装置である。艦体を気泡で包み、自艦が発生させる音をシャットダウンする効果がある。

 

「……!!」

 

 ごくりと、誰かが唾を呑んだ音が異様に大きく聞こえた。

 

 出航前の艦のチェックは万全だったし、このクリムゾンオルカに搭載されている装備は全て最新鋭の物だ。今頃は気泡が艦をすっぽり覆っている筈。これなら確実に魚雷のセンサーは狂う。だから大丈夫、の、筈なのだが……

 

 この時ばかりは、正直生きた心地がしない。深度200の海中に出て頭を冷やす羽目になっても、ちゃんとマスカーが作動しているかどうかハッチを開けて確認したい気分だ。

 

「魚雷到達まで、1分!!」

 

 ピン……ピン……

 

 魚雷が発するアクティブソナー音が、聞こえてくる。

 

「距離50!! 来ます!!」

 

 ピン、ピン、ピン……

 

「リケ」

 

「は!!」

 

 爆発音から耳を守る為、ヘッドホンを外そうとしていた手が止まった。

 

「掛けときな。こいつらは当たらない」

 

「……分かりました、ママ」

 

 下手をすれば一生音の無い世界の住人になりかないが……それ以上は何も言わず、リケはヘッドホンを戻した。

 

 少しは気休めになるのか、ナインは手足を突っ張るとショックに備えて体を固定する姿勢となった。

 

 ピピピピピピ…………

 

 ピピピ…………

 

 ピ……

 

 ……

 

 爆発音も、衝撃も襲ってこない。

 

 魚雷は、外れたのだ。

 

「ふうーっ……」

 

 ナインが大きく息を吐いた声が、発令所に響く。

 

 ロックが、汗でびっしょり濡れていた額を拭った。

 

「武蔵との距離が離れていきます。追跡しますか?」

 

「いや……武蔵の状態は我々が想定していたものとはあまりにもかけ離れていた。作戦の続行は不可能。ここは撤退して戦力を整えると同時に、宗谷真霜一等監察官の報告を待って十分なデータを揃えた上で、作戦を練り直してから挑むべき……ですよね、ママ」

 

「そういう事だよ、ナイン。残念ながらこの作戦は見事に失敗した。完膚無きまでにね」

 

 ビッグママは愛用の煙管を握力でへし折ってしまった。

 

 屈辱ではある。いち早く生徒の安全を確保する為とは言え、データ不足で突っ込むという愚を犯したツケを支払わされる形となってしまった。

 

「だが……あたしはまだ生きてる。息子(クルー)達も、この艦も健在……そして何より、晴風が生存している」

 

 手痛い打撃を受けはしたが、立て直せる余地はある。切り札も残っている。

 

 ビッグママはスマートフォンを操作すると、保存されている写真を呼び出した。9年前の、明乃ともえかと自分が写っているものだ。

 

『もか……必ず助けに行く。もう少し、もう少しだけ……待っていておくれ……』

 

 心中でそう呟くと、ビッグママはスマートフォンの画面を消した。

 

「機関全速!! 現海域より離脱後、晴風と合流する!!」

 


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