ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

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VOYAGE:08 ビッグママの教え子達

 

 伊201を撃退した後、周囲50キロに他の艦船の存在が無い事を確認すると晴風は一時停船、クリムゾンオルカもそのすぐ脇に浮上して停船した。

 

「え、ミーナの意識が戻ったって?」

 

<はい、今は食堂で食事を摂っています>

 

「分かった。すぐにあたしもそっちへ行くよ」

 

 通信でこうした会話を経た後、すぐにビッグママは晴風へと移ってきた。

 

 食堂に入ってみると、今まで意識を失っていたせいで空腹だった分を取り戻そうとするかのように、空の皿を量産している少女が目に入った。ビッグママがヴィルヘルミーナと呼んでいた、アドミラルシュペーから脱出してきた小型艇の乗員だ。

 

 ビッグママの大きな体を認めたミーナは、食事の手を止めると弾かれたように立ち上がってカツンと踵を揃えると、ビシッという擬音が聞こえてきそうな程に完璧な敬礼を行う。

 

「お久し振りです、アドミラル・オーマー!!」

 

「久し振りだねぇ、ミーナ」

 

 ビッグママも同じように、こちらは気安く敬礼して返した。

 

 案内してきた明乃は少し戸惑ったようだが、タイミングを見計らってビッグママへ尋ねる。

 

「あの、ママさんはこの……ドイツ艦の子と知り合いなんですよね?」

 

「ああ、そうだよミケ。知っての通り日本とドイツは友好国。あたしらクリムゾンオルカは日本政府の依頼を受けて、演習の敵艦役として派遣された事があるんだ。この子と知り合ったのもその時さ」

 

「じゃあ、アドミラル・オーマーというのは?」

 

「あぁ、それね。いや、最初の内は普通に対潜水艦のノウハウを教える為に学生艦相手の演習を繰り返してたんだが……いくら乗員が学生とは言え、潜水艦の本場であるドイツの艦が一度も勝てないから段々上の連中が熱くなってきてね……」

 

「我がアドミラルシュペーも、5回も撃沈されてしまっての……それで最終的には教官艦や本職の軍艦まで繰り出して、総勢20隻からなる艦隊でクリムゾンオルカを迎え撃ったのじゃが……結果は惨敗。全艦撃沈されてしもうた」

 

 語るミーナは、さばさばとした様子だった。

 

 話を聞く限り負けようが無いような状況で、それでも負けたのである。そこまで完膚無きまでに負けると、悔しくも何ともないのかも知れない。

 

「い……1対20……!!」

 

 明乃と共にビッグママを案内してきて、話を聞いていたましろは頭痛を感じて頭を押さえた。上体がくらっと揺れる。

 

 曾祖母のクルーであったこの老婆が百戦錬磨の古兵という事は十分理解していたつもりだったが……まだ自分の認識が甘かった。母が校長を務める横須賀女子海洋学校に入る為、操艦術や海戦についても猛勉強したものだが……そんな常識を超えた真似が出来るなら、自分が勉強してきたのは一体何だったんだという気分だった。

 

「……シロちゃん、別にあたしがやったのはそこまで凄い事でもないよ?」

 

 と、ビッグママ。知らずに俯いていたましろは、はっとして顔を上げた。

 

 しかし1対20で勝つのが凄くなくて何なのか。謙遜も過ぎれば嫌味だとましろは思ったが、ビッグママの言葉には続きがあった。

 

「良く言うだろ、過ぎたるは及ばざるがごとしって。薬も飲み過ぎれば毒になる。あたしはそこにツケ込んだだけさね」

 

「……そう、なのですか?」

 

「そうとも、大体シロちゃんが読んだ教本や体験したシミュレーションには潜水艦一隻を大艦隊で相手するようなシチュエーションがあったのかね?」

 

「それは……無かったですが」

 

 そもそも想定する意味が無い。艦を動かすのだってタダではない。そんな戦力の過剰投入は通常なら作戦を司令部に進言した時点で無駄の一言で片付けられてしまうからだ。

 

「だろ? 例えるならハエを落とすのに戦艦の主砲を使うようなもんだ。上の連中が意地になって現場に強要しただけの、対潜作戦のセオリーを無視した大愚策だよ、あれは。教官時代のあたしなら、作戦を立案した奴には赤点をプレゼントしてた。実際ミーナ、あの最後の演習で、あんたらは途中から殆ど自滅レベルで指揮が乱れてたろ」

 

「うっ……」

 

 話を振られて、これについては恥ずべき過去と捉えていたのかミーナの顔が赤くなった。

 

「数だけ集めても逆効果。あたしとあたしのクルー、そしてクリムゾンオルカならあんな艦隊は20隻が50隻でも、100回やって100回勝てる。寧ろあたしには、統制がしっかり取れた5、6隻ぐらいの艦隊のがよっぽど恐ろしいね」

 

「コホン……まぁ……それは兎も角として1対20という絶対的な数的不利を覆した事で軍上層部も遂にシャッポを脱いでな……この方に提督の称号を贈る運びとなったんじゃ。そこでビッグママというコードネームと合わせて、誰ともなくアドミラル・オーマー(おばあちゃん提督)と呼ばれるようになった。その後は、アドミラルシュペーに乗艦されてワシや艦長のテアの指導にも当たってくださったのだ」

 

「ママさんは、他の国でも先生をやってたんですか?」

 

「あぁミケ。この年まで生きてると、どこの国に行っても教え子の一人や二人は居るものでね。ロシアの高等潜水艦学校で教鞭を取った事もあれば、アナポリスに派遣された事もある。それに、日本では東舞鶴校にもね」

 

 老艦長の隻眼が、優しく細められる。

 

「色んな子が居た……特にユキちゃん、つまりシロちゃんのお母さんだね。あの子はあたしの最も優秀な教え子、誇りだよ。赤ん坊の頃からの付き合いだが、今では立派になって……グス」

 

 にじんできた涙を、ビッグママは慌てて袖で拭き取った。

 

「おっと、年を取ると涙もろくなってかなわないねぇ……まぁ、昔話はこれぐらいで良いか」

 

 そう言うとビッグママはミーナの対面に着席した。明乃とましろもその両脇を固める形で着席する。

 

「ミカンちゃん、スパゲッティーを頼むよ」

 

「あ、はーい」

 

 厨房から明るい声が返ってきて、そしてミーナに向き直るビッグママ。

 

「ミーナ、実はこの晴風は以前に、教官艦・猿島がシュペーと同じような行動を取るという事態に遭遇している。だから、あんたの話が聞きたいんだ。あの日、シュペーで何があったのか? 聞かせてくれるかい?」

 

「はい。我がアドミラルシュペーは横須賀女子海洋学校の合同演習に参加する為、鳥島沖へと向かっていました」

 

「ふむ、ミケやシロちゃんはこの話は聞いていたかい?」

 

「いえ……」「初耳ですね」

 

「……と、すると学校側のサプライズ企画か。時々あるんだよね、そーいうの。続けておくれ、ミーナ」

 

 ミーナはスパゲッティーと一緒に運ばれてきた紅茶を一口飲んで間を置き、そして話を再開した。

 

「はい、それで当初の予定通り、横須賀女子海洋学校の艦隊が到着するまではそこで待機する手筈となっていたのですが……あの時、突然電子機器が動かなくなり、原因を調べようとしたら乗員の誰もテアやワシの指示に従わなくなり、接近してきた晴風に攻撃を行おうとしたのです。テアもワシも何とか止めようとしたのですがどうにもならず……それでテアはワシだけでも脱出し、他の船に知らせよと……」

 

「……乗員が命令に従わなくなったとは、具体的にどんな感じだったんだい?」

 

「ワシも緊急事態で子細を観察している余裕は無かったですが……少なくとも全員、明らかに正気ではありませんでした。呼び掛けても返事を返さず、視線も虚ろで……まるでホラー映画に出てくるゾンビのようでした」

 

「ふぅむ……」

 

 ビッグママは脂肪で消えかけた顎をさする。

 

 明乃とましろは、ビッグママの大きな体越しに顔を見合わせた。

 

 乗員が異常な状態になり、電子機器が異常をきたす。これはどちらも、件のネズミもどきがもたらす影響として考えられていたものだ。異常が起きた艦から脱出してきたミーナのこの証言によって、ビッグママの推理に裏付けがなされた形になった。

 

「異常な状態になる前に、何か前兆はなかったかい? 高熱や吐き気、体のだるさを訴えていたとか」

 

「いえ……何も、これと言った事は」

 

「ふーむ」

 

 腕組みするビッグママ。猿島やシュペーに起こった異常の原因がネズミだとして、ミーナの知る限り前兆が無かったというのは厄介だ。体に湿疹が出来てかゆみを訴えるとか昏睡状態に陥るとか何らかの前兆があれば、仮にネズミが入り込んでいてもそうなった者を隔離する事で被害を最小限に留められる。その手が封じられたとなると、ネズミを一匹たりとも艦に入れないか、艦に入ってきたとしてもすぐ退治するしかない。自分達は厳しくなってきた。

 

 一つ、幸運があったとすれば、

 

「この艦に五十六が乗っていた事かね」

 

 補給艦ではネズミ退治の為に、猫を飼っている艦も多いと聞く。話では出港時に偶然乗り込んできたという話だが、無理矢理下ろさなかった明乃の判断は結果的に正しかった訳だ。ツキはある。

 

「アドミラル・オーマー、ワシはテアから預かった艦長帽を彼女に返したい。どうか力を……貸して……くれとは、言えない状況らしいな」

 

「私も心情的には協力したいが、今はこの晴風の方が助けが必要な状態だからな……」

 

 ましろは申し訳なさそうにそう言って、明乃とビッグママへと交互に目をやる。この件については、二人とも同意見のようだった。

 

「そう、じゃな……」

 

 意気消沈したミーナは残念そうに顔を伏せるが、ビッグママは両手でがしっと彼女の頭を掴むと、首の関節がぐきっと鳴りそうな勢いで上を向かせた。

 

「マ、ママさん?」「ア、アドミラル・オーマー?」

 

「ミーナ、あんたは今のシロちゃんの言葉、良く聞いていなかったのかい?」

 

「は?」

 

「シロちゃんは、今は晴風の方に助けが必要って、そう言ったんだよ。今は、ね」

 

 ちらっとましろの方に目配せして「そうだな」とビッグママは確認する。言質を取られたましろは迫力に圧され、思わず背筋をぴんと伸ばした。

 

「それにあたしの考えでは、今後はシュペーに起こっているのと同じ異常が近くの海域を通る船や、学生艦・教官艦にも広がる。だからシュペーを助ける為に動く事が、他の艦を助ける事に繋がる……艦長・副長共にそれは理解しているね?」

 

「はい、ママさん」「そう、ですね。ミス・ビッグママ」

 

 多少強引な所はあるが、確かにビッグママの言う通りでもある。明乃にしてみれば「海の仲間はみんな家族」であり家族を助ける事に思考を挟む事自体有り得ないという認識だし、一方でましろからは「そういう考え方もあるな」と、様々な可能性を考えるきっかけになったようだ。

 

「……しかし、アドミラル・オーマー、一つお聞きしてよろしいですか?」

 

「ん?」

 

「先程までの口振りだと、あなたはシュペーの乗員がおかしくなった原因をご存じのようでしたが……この件について、何か知っておられるのですか?」

 

「ああ、それなら……」

 

「艦長!! ママさん!! 大変、大変です!!」

 

 言葉を遮る形で食堂に飛び込んできたのは、応急長兼美化委員長の和住媛萌だ。

 

「どうしたんだい、ヒメちゃん」

 

 美甘が運んできたスパゲッティーをフォークにくるくる巻き付けながら、ビッグママが尋ねる。そのまま口に運ぼうとして、続く媛萌の言葉に動きが凍り付いた。

 

「今、海をさらってたら……!! 例の、ネズミもどきが釣れました!!」

 

 

 

「ネズミもどきが見付かったってのは本当かい!?」

 

 明乃、ましろ、ミーナを引き連れ、マジックハンド型義手で器用に皿を支えつつスパゲッティーをかき込みながら医務室に飛び込むビッグママ。凄い勢いでやって来て、鏑木美波は圧倒されたようだった。

 

「……ここに」

 

 机の上には密閉型の小さなケージが置かれていて、中に入れられている生き物は確かに、ビッグママが持っていた写真に写っていたネズミもどきと同じ特徴を持っていた。

 

「今、簡単な検査を行っているが……確かに、遺伝子構造が少しネズミと違っている……現在、血液から病原菌もしくはウィルスを抽出して解析し、可能なら抗体を作る作業に移ろうと思っている」

 

 見てみろと顕微鏡を指差す美波。促されて明乃とましろは代わる代わる接眼レンズに目をやるが、専門知識の無い二人には何が何やらさっぱりといった様子だった。

 

「確かに、このネズミには何か秘密がある……だから調べるのは賛成だが抗体を作るって……そんな事が出来るのか? この晴風の設備で」

 

「無問題(モーマンタイ)」

 

「成る程、確かにみなみちゃん、あんたならやれるかもだね」

 

 空になった皿を置いて、ソースまみれになった口元を拭いながらビッグママが言う。この発言を受けて明乃が不思議そうに、老艦長を見上げた。

 

「ママさんはみなみさんの事、知ってるんですか?」

 

 しかし問われたビッグママは、少し困ったように溜息を一つ。懐からスマートフォンを取り出すと何やらアプリを立ち上げて「ニュースぐらいチェックしなよ」と言いながら明乃へと渡した。ましろも明乃の肩越しに、画面を覗き込む。

 

「これは……」

 

 ニュースアプリには、アカデミックドレスを纏って表彰状を持った美波の写真が掲載されていて、見出しには「海洋生物医大にて、史上最年少で博士号を取得。天才少女・鏑木美波」と書かれていた。思わず明乃とましろは、スマートフォンの画面と実物の美波をそれぞれ見比べた。

 

「……飛び級していたので海洋実習はまだだったから……今回済ませようと思って、校長に頼んで乗せてもらった」

 

「す、凄いんだね、みなみさん……!!」

 

「後でクリムゾンオルカから防護服を取ってこよう。釈迦に説法だろうが、作業は細心の注意を払って行うように……」

 

 他にも細かい詰め合わせをしようとしていたが、そこで今度は伝声管から見張り台のマチコの声が聞こえてきた。

 

<艦長、接近中の艦艇2。ランデブー予定の補給艦、明石と間宮です>

 

 

 

 

 

 

 

 事前に乗員へと通達していた事もあって、合流した明石・間宮からの物資の補給並びに損傷箇所の修理は滞りなく進められていた。

 

「晴風艦長、修理した箇所や補給した物資の詳細なリストはここに」

 

 明乃とましろは明石艦長・杉本珊瑚からデータが入ったUSBを受け取り、現状の報告や作業終了時間の見通しなど細かい説明を受けていた。

 

 と、それが一段落した所で一人の女性が声を掛けてきた。明乃達の憧れの制服を纏った、正規のブルーマーメイドだ。珊瑚の話だと、明石に同乗してきたらしい。

 

「海上安全整備局、二等監察官の平賀です。早速ですが岬艦長、クリムゾンオルカ艦長のビッグママと連絡を取る事はできますか?」

 

 平賀の態度は事務的で、微妙に声のトーンから棘が感じ取れた。明乃とましろはそれぞれ複雑な表情になる。

 

 ビッグママは「あたしらは多くのブルマーから良くは思われてないからね。顔を見せて余計なトラブルを招く事もないだろ」と、補給が開始される前にさっさとクリムゾンオルカへ引き上げていってしまっていた。彼女の言葉は正しかった訳だ。

 

 明乃にとっては幼少時から世話になった恩人だし、ましろにとっても最初はならず者の親玉という印象しかなかったが、実際に話してみればとても気持ちの良い人物であり、的確なアドバイスや大胆かつ沈着な判断と行動で晴風を助けてくれた事実もある。仕方のない部分もあるとは言え、そういった人物が風評から良く思われていないというのはあまり気分の良いものではなかった。

 

「はい、通信を入れたらすぐ出てくれるとは思いますが……ママさ……ビッグママ艦長に何か?」

 

「横須賀女子海洋学校の宗谷真雪校長と、安全監督室室長、宗谷真霜一等監察官両名からの伝言です。現時刻から30分後、1400に専用回線で会議を行いたいと」

 

「母さ……校長と、宗谷室長が?」

 

「何か……あったみたいだね」

 

 ビッグママのクライアントである真雪と、現在ブルーマーメイドのトップである真霜。この両名からの呼び出しとあれば、何かただならぬ事態が起きた事を悟らせるには十分だった。

 

「尚、この会議には晴風の艦長並びに副長も同席する事を要請されています」

 

 

 

 事情を話し、クリムゾンオルカの発令所へと通された明乃とましろ。

 

 先だっての中間報告の時と同じように、ビッグママはキャプテンシートにどっかりと腰掛け、その両脇のゲストシートに明乃とましろがちょこんと座っていた。

 

「時間ですママ。回線、開きます」

 

 報告と同時にリケが計器を操作してモニターがザッ、ザッと僅かな雑音を立てた後、人影が映り込む。

 

 中央の一番大きなメインモニターには真雪が、そのすぐ脇のサブモニターに真霜、更に今回はもう一つのサブモニターに、真っ黒に日焼けして髪とヒゲが白くなりかけている50代後半ぐらいの精悍な男性が映った。

 

<ご無沙汰しとります、潮崎先生>

 

 男性が、画面の中でペコリと一礼する。ビッグママも「久し振りだねぇ、テッちゃん」と気安く手を振って応じた。

 

「ユキちゃんもそうだが、ついこないだまでヒヨッコだと思ってた子達が、もう校長先生か……時が経つのは早い早い」

 

 しみじみと語るビッグママ。彼女の言葉に入っていた「校長先生」というキーワードで、ましろはこの男性の素性に察しが付いたようだった「あっ……」と声を上げる。

 

「ミケ、シロちゃん、二人とも挨拶しな。東舞鶴男子海洋学校の、永瀬鉄平(ながせてっぺい)校長先生だよ」

 

 ビッグママがそう言ったと同時に、晴風の艦長・副長は反射的な速さで立ち上がって敬礼した。

 

「晴風艦長の、岬明乃です!!」

 

「同じく副長の、宗谷ましろです!!」

 

<東舞鶴校の、永瀬じゃ。晴風の話は聞いちょる。嬢ちゃんら、初航海から大変な事になったのぅ>

 

 まさに海の男というイメージの永瀬校長は砕けた感じで敬礼すると、モニター越しに真雪と真霜を見ているのだろう、視線が少し動く。その動きに連動するように、真雪と真霜が頷きを返した。

 

<嬢ちゃんらは、何でワシがこの会議に顔を出したか気になっちょるな?>

 

「もしかして……先の伊201と交戦になった件でしょうか?」

 

 おずおずと挙手した明乃がそう尋ねるが、永瀬校長は「がっはっは」と呵々大笑してみせた。

 

<ウチの生徒共は運が良い。まさか潮崎先生直々に潜水艦戦の手ほどきを受けられるなんてな。ワシが知る限り、先生は最高の艦長じゃ。いくら大金積んだって、こんな経験は出来るもんじゃないけぇのぅ。生徒達の事なら嬢ちゃん達が気にする事ぁない。まだまだガキじゃが仮にもホワイトドルフィン候補生。心も体も、あれぐらいで折れるようなヤワな鍛え方はしとらんけぇ>

 

 伊201の航行能力を奪って強制浮上させた件ではないという事が分かって、明乃もましろもほっと胸を撫で下ろす。

 

 だがこれで分からなくなった。では何故、東舞鶴校の校長がこの会議に参加してくるのだ?

 

「ネズミもどきについて、何か分かったって訳でもないようだね?」

 

<はい、おばさま……現在各方面に働きかけて調査中で……もう暫くだけ時間が必要になります>

 

 声に申し訳なさを滲ませ、真霜が頭を下げる。

 

「じゃあ……この会議は一体?」

 

<岬さん、それについては私が説明します>

 

 と、中央のモニターに映った真雪が、口を開いた。そこから咳払いを一つして絶妙に間を置くと、語り始める。

 

<本日1030、東舞鶴校の哨戒艇が武蔵を発見しました>

 

「「!!」」

 

 この一言は、クリムゾンオルカ発令所に集まった面々へ衝撃を与えるには十分だったようだ。ビッグママはぴくりと片眉を動かし、明乃は思わず席から立ち上がってしまった。「座りな、ミケ」とビッグママに制されて再度着席するが、明らかに落ち着かない様子だった。

 

<既に武蔵の生徒達を保護すべく、ウチの教頭を司令に据えた教員艦の艦隊が動いちょるが……この事を宗谷校長に報告して話を聞いてみたら、今の武蔵は艦・乗員共にまともな状態ではない可能性があるらしいからの……それで、今はワシの命令で艦隊の動きを止めちょる。ンで、聞けば先生や晴風は、同じ異常が発生した猿島やシュペーと交戦経験があるらしい。それでワシもこの会議に顔出させてもろうたという訳じゃ>

 

「……つまりこれは、武蔵の生徒を保護する為の作戦会議、という訳だね」

 

<はい、その通りです教官。あなたが予想された通りあの後、武蔵や比叡など行方不明艦が続出しました。状況から考えて、各艦に猿島やシュペーと同じ事態が起こっている可能性が高いと見ています。そこで、実際にその場に立ち合った教官や晴風の生徒からも、参考の為に意見を聞かせてもらいたいのです>

 

「……それならココちゃ……晴風の記録員が作成したレポートがあります。これを見ていただけたら……イワさん、送信お願いできますか?」

 

「分かったわ、ミケちゃん」

 

 ロックは明乃から受け取ったUSBを計器に差し込むと、手際良くコンソールを叩く。ほんの十秒ほどでそれぞれのオフィスにレポートが届いたのだろう、モニターに映る3名の目線が左右に動く。そうして数分ほど掛けてレポートに目を通した後、まず口を開いたのは永瀬校長だった。

 

<……ほうほう、要点を押さえて良く纏まっちょる。専門の秘書官でも中々こうは行かんぞ。宗谷校長、そっちには良い生徒が居るようですな。羨ましいわい>

 

 かっかっかっと大笑いする永瀬校長。社交辞令……には見えない。これは彼の本心だろう。真雪はモニターの中で目礼する。明乃も少しくすぐったそうに体を揺らした。やはり自艦のクルーが褒められるのは、悪い気はしない。

 

<……しかしこれを見ると、猿島の時もシュペーの時も、晴風は殆ど視界に入ると同時に撃たれたとあるな? 武蔵も同じような状態だとすると……通信に出ないのを単に計器の故障か何かだと思ってノコノコ近付いたが最後、いきなり主砲をお見舞いされる可能性があるか……>

 

<ですが艦砲射撃の精度・連射速度共に本来のスペックを発揮できない……これも猿島・シュペー両艦に共通して見られた特徴とありますね……この点については、シュペーから脱出してきたヴィルヘルミーナさんの証言とも合致します>

 

<……これらのデータから総合的に判断するなら、武蔵が撃ってくる可能性を念頭に置いて行動すれば、十分な装備を整えている教官艦もしくはブルーマーメイド・ホワイトドルフィンなら対応は可能だと思いますが……教官は、どう思われますか?>

 

 真雪から意見を求められ、難しい顔で腕組みしていたビッグママは「ううむ」と唸り声を一つ上げた。

 

「確かにデータ通りで油断せず装備も十分ならば、学生を殺傷する訳にはいかないという縛りがあったとしても、それでもこちらに五分以上の利があるとあたしも思う。電子機器に異常が生じているなら、その影響は武蔵のような大型艦ほど、顕著に現れるだろうからね」

 

 この時代の艦船は高度に自動化されてはいるが、それでも船を動かすのは究極的には人間の仕事だ。これが本職のブルーマーメイドやホワイトドルフィンの艦なら、常に艦が最高のパフォーマンスを発揮できるよう三交代制を取れるだけの乗員を乗せているから、電子機器が利かなくなったとしても非番の乗員も駆り出して何とか対応も出来るだろう。

 

 しかし武蔵は学生艦で、今回の横須賀女子海洋学校の訓練航海に出た艦は、一艦につき乗員は1クラス30名。これは晴風でも比叡でも武蔵でも変わらない。そして電子機器に異常が生じれば当然、艦の自動化機能にも制限が生じる。この影響は乗員の数が同じなら、艦の大きさに比例して大きくなるだろう。一名当たりが行う仕事量が多くなるからだ。

 

 つまり今の武蔵はとても十全の機能が発揮できる状態には無い、と推測できる。ビッグママや真雪達が勝機と考えているのはその点だ。だが……

 

「やはり……ネズミもどきにはまだ未知の部分が多い……何にしてもこれがひっかかるね。あたしらが持っているのはあくまで猿島・シュペーの2艦のデータでしかない。たった2つ。武蔵がその2艦と何かが違うという可能性も十分に有り得る。そこが気になるねぇ。あぁいや、シモちゃんを責めてる訳じゃあないよ。まだ調査を始めたばかりだ。すぐに欲しい情報が見付かる訳はないさ。報告書にもあるがネズミのケージは「Abyss」の箱に入っていたらしいからね、その辺りから当たってみたらどうだい?」

 

 「Abyss」とは、昨今世界的に有名な通販会社である。ビッグママも何かにつけ利用している。

 

<分かりましたおばさま、その線で探ってみます>

 

<……ネズミの件は平行して進めるとして……武蔵の事に話を戻そうや。確かに、我々にはデータが少ない。ここは近隣のブルーマーメイドやホワイトドルフィンに招集を掛け、更に十分な戦力が整うまで待つべきかのう?>

 

「あの……」

 

 雲上人ばかりの会話に、萎縮しつつ挙手したのはましろだった。

 

「発言、よろしいでしょうか?」

 

<勿論よ、まし……宗谷副長。現場にいるあなた達の意見も聞きたいからこそ、この会議に出席してもらってるのだから>

 

 真雪からの許可を受け、頷いたましろはゲストシートから立ち上がった。

 

「招集を掛けるのは、拙いのではないでしょうか?」

 

「戦力を集中させる分、警戒網に穴が空くから……だね? シロちゃん」

 

 ビッグママの補足に、ましろは頷き返した。

 

<……確かに……現在学校の指揮を離れているのは武蔵だけではなく比叡、五十鈴、磯風、比叡、涼月も……それもこれはあくまで現時点での数。今後も増えるかも知れませんしね。これらの艦を発見した時に即応する為にも、艦隊の配置を崩すのは得策ではないわね……>

 

<警戒網を解いてしまったら、次に行方不明艦を発見した時には東京湾を航行中だったという可能性もある……永瀬校長、申し訳ありませんが……やはりここは貴校の艦隊のみで対応してもらう他はないかと>

 

 先の会議でビッグママが言及したように猿島やシュペーの異常にネズミが絡んでいるとすれば、そいつらを乗せた艦が本土に突っ込んで内地に入り込まれでもしようものならもう事態の収拾は絶対不可能。奴等は文字通りネズミ算で増え続け、日本中どころか世界中にまでこの影響が広がる。それこそがまさに最悪のシナリオであり、何としても避けなければならない。その為にも、艦隊の布陣を変更する訳にはいかない。

 

<まぁ、やむを得ませんな>

 

「あたしらクリムゾンオルカも協力させてもらうよ。いざという時は無弾頭魚雷を武蔵のスクリューにブチ込んで動きを止める。その上で、ワクチンの開発なり情報の収集なり手を打てば良いだろ」

 

「あの、私達晴風も何か協力を……」

 

「艦長、私達は……!!」

 

 発言しかけた明乃を、ましろが制した。これは各校の教員並びに正規のブルーマーメイドやホワイトドルフィンの作戦だ。学生である自分達が介入できる余地は無い。彼女はそう言おうとしていた。

 

 しかし。

 

<いや……嬢ちゃん達にも、一つ仕事を頼みたいが>

 

 そう発言したのは、永瀬校長だった。

 

<先生が仰った通り、我々にはまだデータが足りん。武蔵に猿島・シュペーとは違うイレギュラーが発生している可能性は十分ある。晴風の現在位置は武蔵から近いけぇ、作戦の監視・記録を行う役目をお願いしたい。よろしいか、宗谷校長? ……無論、戦闘行為を行わせる気は毛頭無いけぇ……晴風の足なら遠巻きからの監視に徹すれば、いざという時は逃げ切れるじゃろ>

 

<……分かりました。そういう事でしたら……岬さん、聞いての通り晴風には東舞鶴校教員艦隊の作戦行動を記録する役目を命じます。戦闘行為は厳禁、危険だと判断したらすぐに撤退する事……良いですね?>

 

「あの……」

 

 明乃はまだ何か言いたげだった。ビッグママには今の彼女の胸中が、手に取るように分かる。武蔵には、無二の友であるもえかが乗っているのだ。艦長という立場さえ無ければ、すぐさまスキッパーで飛び出して行きたい心境だろう。ビッグママとて気持ちは同じだ。だが……

 

「ミケ、ここは聞き分けな」

 

「……ママさん……」

 

「それにこれはある意味、最も重要な任務だ。今まで話したように、武蔵が猿島やシュペーと同じなら、この作戦はまず成功する。逆に言うなら失敗するとしたら、まだあたし達が持つデータに無い”何か”が、武蔵に起こっているケースだ。その場合、晴風は全てのデータを記録し、持ち帰り報告しなければならない。それが、結果的に武蔵を……もかを……そして多くの人達を救う事にも繋がる。それが全て、晴風の働きに懸かっているんだ」

 

 ビッグママの大きな手が、明乃の頭に優しく乗せられた。

 

「艦長として、義務を果たすんだ。分かるね」

 

「……はい」

 

 完全に納得はしていないにせよ、了解の意を示した明乃を見てビッグママは「よーし、いい子だ」と頷き、モニター内の永瀬校長へと向き直った。

 

「テッちゃん、あたしは今や部外者であんたンとこの学校の艦隊に命令する権限など無いが……それでも一つだけ、艦隊への命令に付け加えてもらいたい事がある」

 

<……伺いましょう、先生>

 

「レッスン7だ。嫌な予感がする。こーいう時のあたしのカンは、良く当たるんだよ」

 

<<!!>>

 

<……レッスン7……!!>

 

 その言葉の意味する所を悟ったのだろう、真雪と真霜の表情が強張った。

 

 意図が掴めないましろが明乃に目をやるが、明乃も首を横に振るだけだった。

 

「ミケやもかにも、レッスン6から先は教えていなかったね」

 

 と、ビッグママ。その顔からは、既に先程まで明乃を諭していた時の柔和さは消え失せていた。

 

「レッスン7……『予想外の事が起こったら撤退しろ』だよ」

 


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