ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

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VOYAGE:07 クリムゾンオルカVS伊201

 

「さて……伊201の相手は俺達がする事になりましたが……どんな風に相手しますか、ママ?」

 

「クライアントからはこの任務の遂行中に起きるいかなる被害についても我々に責任を問わないと約束してもらってるし……ここはサクッと沈める?」

 

「いや……確かに依頼条件はそうだけど、相手は未来ある学生で何も知らず命令に従っているだけ……流石に殺すのは忍びないし教え子である真雪校長に撃沈・乗員全員死亡の責任を負わせるのも心苦しい……ここは一人の死傷者も出さず、スマートに圧倒的実力差を見せ付けて戦意を喪失させる……ですよね、ママ」

 

 クリムゾンオルカの発令所ではリケ、ロック、ナインのクルー達がそれぞれ接近する伊201に対して選択するオプションについて話し合っていた。最後に出たナインの意見を受け「ああ」とビッグママは頷くと、左手のマジックハンド型義手をガチンガチンと鳴らす。

 

「後学の為、潜水艦戦のお手本を見せてやろうじゃないか」

 

 ビッグママはそう言うと、懐から一枚のCDを取り出した。

 

 

 

「!?」

 

 晴風の水測室。万里小路楓はヘッドホンから聞こえてきた音に自分の耳を疑って、音量を調節してもう一度耳を澄ましてみる。しかし聞こえてくる音はやはり間違いなかった。信じられない事だが、彼女は水測員の役目として耳で聞いたありのままを、艦長へと伝えなければならない。

 

「か、艦長……」

 

<どうしたの? まりこうじさん>

 

 伝声管から明乃の声が聞こえてきて、楓はそれでも少しだけ躊躇ったが……意を決して報告する。

 

「艦長……クリムゾンオルカから音楽が聞こえます」

 

<音楽?>

 

<僚艦のスクリュー音やキャビテーション・ノイズじゃないのか?>

 

「いえ、間違いありません……クリムゾンオルカは先程まで後方500、深度100を10ノットで航行中でしたが……急に大音量でミュージックが流れ始めました。この曲は……『夢の渚 ~the silent service~』です」

 

<……潜水艦が自ら音を出すとは……ミス・ビッグママは何を考えているんだ!?>

 

 ましろの疑問も尤もである。

 

 洋上艦と潜水艦の違いは、物凄く大雑把に言えば装甲と隠密性だ。

 

 つまり、海上に姿を晒している代わりに装甲が厚いのが洋上艦。潜水艦はその逆で、海中に姿を隠せるから隠密性には優れるが装甲は薄い。魚雷もしくは対潜弾の一発でも直撃すれば沈没は免れない。故に可能な限り音を抑えて行動し、その存在を隠す事こそが潜水艦操艦の基本にして奥義。

 

 だが今のビッグママの行動はその基本に真っ向から反逆するような暴挙である。

 

<大丈夫だよ、シロちゃん>

 

<艦長?>

 

 伝声管越しに聞こえる明乃の声は、臨戦態勢にあるとは思えぬほどに落ち着いていた。

 

<ママさんは、晴風には逃げる事を最優先とした操艦を行うようにって言ってた……それなら必ず、この状況から晴風が逃げるチャンスを作ってくれる筈。私達はその時を逃さないように、離脱する準備を整えておくべきだと思う。マロンちゃん、機関はどれだけの速度を出せる?>

 

<出せて第三戦速(19ノット)まで。それ以上は今は無理でぃ!! ぶっ壊して良いなら話は別だけど!!>

 

<分かった、じゃあそれまではこのままの速度・針路で航行。何か状況に変化があった時、出せるだけの速度を出して逃げるよ!! まりこうじさん、水中の様子をよく探って。何か変わった事があったら、すぐに教えて!!>

 

「……承りましたわ」

 

 明乃の指示を受け、ヘッドホンの音量を調節する楓。変化はすぐに読み取れた。

 

「……? 艦長、少し前から……ミュージックの音量が少しずつ小さくなっているように思えます」

 

+

 

+

 

 クリムゾンオルカの発令所。

 

 各所に据え付けられたスピーカーからビッグママお気に入りの曲がフルボリュームで鳴り響いていた。

 

 ビッグママはキャプテンシートにふんぞり返ってご満悦という顔だが、クルー達は戸惑ったような表情だ。やはりサブマリナーとして、自ら存在をアピールするような艦長のこの行動は理解の範疇を超えているらしい。

 

「ロック、動力をメインのレーザー核融合炉からサブのバッテリーに切り替え、針路はこのまま。速度を少しずつ落としていってくれ」

 

「了解よ、ママ」

 

「ナイン、今から少しずつ、スピーカーの音量を小さくしていくんだ」

 

「分かりました」

 

 発令所にジャンジャンと響く音楽が、少しずつ治まっていく。最初は耳を塞ぎたくなるような大音響だったが、漸くバックミュージックとして心地よいぐらいのものになっていく。

 

 ビッグママはしかしもう、音楽を楽しんではいないようだった。懐から取り出した懐中時計をじっと睨んでいる。そして分針が動いたその瞬間、伏せていた顔を上げた。

 

「リケ、アクティブソナーを打ちな!!」

 

「は? でもママ……それじゃあ本艦の位置が伊201に……」

 

 パッシブソナーによる水中聴音は、こちらから音を発さないので存在を知られる心配は無いが、その分精度に欠ける。逆にアクティブソナーは音波を発して反響音を捉えるので高い探知力を持つが、こちらから音を発するので使えば自艦の位置も知られてしまう。故に普段は周囲の状況をパッシブソナーで探り、ここぞという時にアクティブソナーを使うのが潜水艦戦の鉄則。

 

 ビッグママのこの指示は、またしてもセオリーから逸脱するものだった。

 

「教えてやるのさ、晴風にも伊201にも。今、このクリムゾンオルカがどんな位置に居るのか」

 

「そうか」「成る程」「面白い手ですね、ママ」

 

 艦長がここまで言った時、3人のクルー達もやっと合点が行ったようだった。リケが、アクティブソナーのスイッチを押す。

 

 ピン!! と発信音が鳴って、ほぼ同時にカーン!! と反響が返ってきた。

 

 

 

 晴風の水測室。

 

 このアクティブソナーは、当然晴風からも捉えられていた。

 

 楓が、思わず耳を押さえる。しかし今は鼓膜の心配よりももっと大変な事が起こっていた。

 

「か、艦長!! 大変ですわ!!」

 

<どうしたの? まりこうじさん!!>

 

「クリムゾンオルカは……伊201の真横にくっついています!!」

 

<真横!?>

 

「はい、伊201と同深度・左舷距離30!! 接触するほど近距離です!!」

 

 

 

 晴風の艦橋。

 

 ましろは楓の報告がにわかには信じがたいようだった。目を白黒させている。

 

「い……一体どうやって、そんな距離にまで? そこまで近付く前に、伊201のパッシブソナーが接近を感知する筈では……!!」

 

 疑問も当然である。艦橋要員を見渡すが、何が起こったか理解している者は誰も居ないようだった。ある者は押し黙って、ある者はふるふると首を横に振る。しかしこの時、明乃だけが「そうか」と、顔を上げた。

 

「音楽だよ」

 

「音楽って……さっきまで水測が捉えていたミュージックですか?」

 

 明乃は「そう」と頷く。

 

「まずクリムゾンオルカの中でフルボリュームで音楽を鳴らして、少しずつ音量をダウンさせていく……と、同時に無音航行で伊201へと近付いていく。そうする事で、距離は縮まっていくけど音が絞られていくから、伊201のソナーからは同じボリュームで音楽が聞こえている状態が続く……」

 

「そうか……音楽が同じ音量で聞こえてくるイコール、クリムゾンオルカが同じ距離を保っているという思い込みを利用したんですね」

 

「成る程、頭良い!!」

 

 これは幸子と芽依のコメントである。

 

 音を出さずに存在を隠すのではなく、敢えて音を出して存在を誤認させる。逆転の発想と言えた。

 

 それにしても、いくら微速であったとは言え30メートルという至近距離にまで艦を近付けるなど異常とも言える勘と度胸と操艦技術である。一歩間違わなくても、衝突事故を引き起こしかねなかったのだから。無茶苦茶な真似と言い切れる。

 

「そのムチャを平気でやるのがクリムゾンオルカ……ミス・ビッグママという事か……」

 

 ごくりと喉を鳴らして、ましろが呟く。その声に滲む感情は、畏怖とも感嘆とも付かなかった。

 

「……しかし、ミス・ビッグママはこれからどうされるつもりでしょうか? 確かに横にぴったり付いてしまえば、心理的な意味でも伊201への牽制にはなるでしょうが……艦長、今から出せるだけの速度を出して逃げますか?」

 

「待って、シロちゃん。多分だけど……ママさんはここから何かすると思う」

 

「何か……とは?」

 

 ぎゅっと、明乃は手を握った。

 

「分からないけど……でも、分かるの。今の状況でも牽制の効果はあるけど、まだ決定的じゃない。ママさんなら必ず何か、決定的に状況を変える一手を打ってくるよ」

 

 

 

 クリムゾンオルカの発令所。

 

 ビッグママは依然、懐中時計とにらめっこを続けていた。時計の秒針が、そろそろ文字盤を一周する頃だ。

 

 老艦長の顔には、にんまりと不敵な笑みが浮かんでいる。

 

「さて……どう動くか……」

 

 偶然だろうが彼女がそう呟いた瞬間、リケがヘッドホンに手をやった。何か異変を聞き取ったのだ。

 

「ママ、伊201のエンジン音が急に大きくなります。機関増速中、面舵を切ります」

 

「あーあ」

 

 ビッグママは「しょうがないなぁ」という顔で苦笑いした。

 

 この状況でいきなりエンジンをフル稼働させ面舵を切るという事は、左舷にぴったりくっついたクリムゾンオルカを引き離そうという動きだ。

 

「賭けは私の勝ちね、ナイン。あちらさんは、予想以上に慌ててるみたいよ」

 

「そうだな、ロック。俺はもう少し冷静に対応すると思ったんだが……これは悪手……ですよね、ママ」

 

「ああ、そうだよナイン」

 

 ビッグママはそう言って、ぱちんと懐中時計を閉じた。

 

 確かに少し前まで前方数キロを晴風と並んで航行していた筈の艦がいきなり探信音を打ったと思ったら、自艦のすぐ隣までジャンプしてきていたのである。衝撃を受けるのは当然だ。そしてこの状況では、いつ接触事故に繋がるかという心理的なプレッシャーも尋常ではないだろう。

 

 またこんな近距離にまで近付くという自殺行為にも似た真似を仕掛けてくるのである。下手に晴風へと魚雷を撃てば、クリムゾンオルカは体当たりしてくるかもしれない。

 

 そうした圧力を受ける状況から少しでも早く逃れたいと思うのは当然だ。

 

 しかしこの状況は、確かに伊201は迂闊に晴風を攻撃できないが、逆に晴風からもクリムゾンオルカからも伊201を攻撃できないのである。実際には五分かそれに近い程度の状態と言える。それに晴風を攻撃させない為にはクリムゾンオルカは常に伊201へとへばり付いていなければならないという制約もある。

 

 つまりもし伊201の艦長がビッグママであれば、艦を微速で動かしてクリムゾンオルカを誘導し、恐らくは近くまで来ているだろう教官艦の所にまで連れて行くという行動を選択しただろう。

 

「もっとも、それならそれで伊201を晴風から引き離せるし東舞鶴校の教員には教え子も沢山いるから、エスコートしてもらった先で事情を説明して交渉ができる……と、踏んでいたんだがね……まぁ、まだまだ学生、動揺した時の判断ミスもやむを得ないか。50点といった所だね」

 

 大きな体を揺らして笑うビッグママだが、すぐに真剣な顔になった。

 

「よし!! 速力20ノットまで増速!! 伊201の前に出ろ、進路を塞げ!!」

 

「了解、ママ!!」

 

 けたたましいエンジン音が鳴り響き、クリムゾンオルカはオリジナルである伊201を遥かに超える加速力を発揮、完全に追い越した所で大きく面舵を切り、同じ針路へと入った。

 

 

 

 晴風の艦橋。

 

<……!? 艦長、先程まで聞こえていた、伊201のエンジン音が聞こえなくなりました。聞こえるのは、クリムゾンオルカのエンジン音だけです>

 

 水測室からの報告を受け、艦橋要員はまたしても顔を見合わせる。

 

「聞こえなくなったって……消えたって事? そんなバカな……」

 

「バッフルズだ」

 

 何が起こったか、ましろは理解していた。

 

「シロちゃん、バッフルズって……」

 

「艦の航跡に発生するソナーの死角です。そこに入った艦はソナーでは捉えられなくなります。ただ……そこでは自らのソナーも使えませんから、よほど勘が鋭くないと衝突事故を引き起こしかねない危険な場所です……」

 

 ビッグママはクリムゾンオルカを伊201の針路へと割り込ませて強制的にバッフルズへ伊201を引きずり込んだのだ。

 

「ソナーが使えない……!!」

 

 明乃が、はっとした顔になる。

 

 待っていた決定的な瞬間とは、まさに今この時だ。

 

「今だよ、シロちゃん!! 今なら、伊201はソナーが使えなくて晴風を見失ってる!!」

 

「成る程……まさか、こんな手があったとは……!!」

 

「マロンちゃん、第三戦速出して!! この海域から可能な限り離れるよ!!」

 

<合点でぃ!!>

 

 

 

 クリムゾンオルカの発令所。

 

「ママ、晴風が転進、19ノットで現海域から離脱するコースを取ります」

 

「よーし、いいぞミケ。分かってきたじゃないか」

 

 この報告を受け、ビッグママは満足そうに眼を細める。以心伝心という言葉があるが、今のクリムゾンオルカと晴風のコンビネーションはまさにそれだ。十分な訓練も無しに、ここまでの連携プレイが決まるのは気分が良い。

 

 しかし、良い気分に浸ってばかりいる訳にも行かない。

 

 現在の伊201は艦首ソナーをクリムゾンオルカの航跡によってすっぽりと覆われ、完全な盲目状態である。そんな状態から一刻も早く逃れたいのは当たり前だ。

 

 そしてこの状態では、クリムゾンオルカとて自らの騒音と気泡で伊201の動きは探知不能。

 

 ……では、ないのだ。

 

「ママ、後方の伊201に動きあり。面舵50度を切ります。バッフルズを抜ける気です」

 

「同じく面舵50度!!」

 

 ビッグママが指示した針路は完全に、伊201と同じものだった。

 

 クリムゾンオルカは伊201をベースとしながらも3つの特殊兵装を初めとして内部的には原型を留めないほどの改造が施されている。現在、後方のバッフルズ内の伊201を捕捉している左右両舷6つのサイドソナーもその一つだった。

 

「伊201、今度は取舵50度を切ります!!」

 

「こっちも同じく取舵50度、合わせな!!」

 

 当然、針路を変えるだけではバッフルズもそれに応じて移動するので脱出する事は出来ない。

 

 バッフルズ内の伊201が、左右への動きを止めて直進航行へと移る。これは伊201の艦長及び乗員の戸惑いが操艦に現れているのだ。

 

「どうしてバッフルズから出られないか、疑問に思っているな……」

 

 いいぞいいぞと笑うビッグママは、出来の良い生徒を指導する教師のようだった。

 

 これまでの動きで左右への動きではバッフルズから出られないと、伊201は悟った筈だ。と、すれば次は……

 

「ママ、伊201のエンジン音が小さくなります」

 

「エンジンを止めて、距離を取ろうとする……ですよね、ママ」

 

「そういう事だよ、ナイン。よーしよしよしよしよし、ますますこっちの狙い通りだ」

 

 うぷぷっと、ビッグママは込み上げてくる笑いを噛み殺した。

 

 クリムゾンオルカから離れる為にエンジンを止めた事で、逃げる晴風との距離はますます開いていく。

 

 今のビッグママが第一とするのは伊201を沈める事ではなく晴風を遠くへと逃がす事。バッフルズ戦法は、この展開を見越しての操艦だった。

 

「!! ママ、後方の伊201から、魚雷発射管注水音が聞こえます!!」

 

「あっはっはっ」

 

 あっけらかんと、笑いを一つ。しかし先程と同じくすぐに真顔に戻った。

 

「そりゃあこんだけふざけた真似をやらかして任務を妨害し、挑発したら怒るだろうねぇ。あたしでも怒る。これであたしら、撃沈されても文句は言えなくなったねぇ」

 

「……では、どうします? 艦を反転、撃たれる前に撃って沈めますか?」

 

「まぁ落ち着きな、リケ。まだ互いの距離はせいぜい500メートルといった所。安全距離の関係で魚雷は撃てない。そして魚雷発射準備に取り掛かったという事は、完全にあちらさんの注意は晴風からあたしらへと向いたって事だ」

 

 つまり今の伊201はクリムゾンオルカを撃沈するか無力化を確認するまで、晴風を追う事はしないという事だ。いよいよもってビッグママの思う壺に嵌ってきた。

 

「ここは時間稼ぎが見破られないぎりぎりのスピードで距離を取ろうとしていると見せ掛け、晴風が逃げる時間を稼ぐんだ」

 

「了解、では針路このまま機関3分の1、15ノットで前進を続けます」

 

 ビッグママは再び懐中時計を開くと、時間をチェックする。

 

「ロック、向こうが撃ってくるとしたら距離5000だ。その距離に艦が達するまで後どれぐらいだい?」

 

「……後、30秒よ、ママ」

 

 再び、時計へと視線を落とす。

 

 25秒……15秒……5秒……

 

「!! 魚雷発射音2!! 真っ直ぐ向かってきます、ママ!!」

 

「ここは全速を出して魚雷を振り切りましょう!!」

 

「いや、それよりも距離2000まで引き付ける……ですよね、ママ」

 

「そういうことさ、ナイン!! 取り舵50度、回避!! 一番魚雷発射管、ノイズメーカー用意!!」

 

「了解!! ママ」

 

 発射された魚雷の速度は41ノット、クリムゾンオルカが現在の速度で逃げ続けるなら距離2000までおよそ3分45秒。

 

「魚雷が30度ターン、こいつはアクティブソナー・ホーミングです、ママ!!」

 

「分かった、速力はこのまま15ノット、十分引き付けるんだ」

 

 3分45秒まで……後、10秒……5秒……

 

「よし、今だ!! デコイ発射!! 同時にエンジンストップ!!」

 

「「了解、ママ!!」」

 

 訓練されたクルーの流れるような作業により、10秒と掛からずにスクリューが完全に停まってエンジン音が消失する。

 

 間髪入れず魚雷発射管から囮魚雷が発射。その魚雷にはクリムゾンオルカのエンジン音を仕掛けたテープがセットされている。

 

 ホーミング魚雷は、囮魚雷をクリムゾンオルカと誤認してそちらを追走。迷走した挙げ句に食い付いて爆発を起こした。

 

 

 

 晴風の艦橋。

 

<艦長、後方の海中に爆発を確認!! 魚雷です!!>

 

 見張り台のマチコからの報告を受け、明乃は顔を青ざめさせた。

 

「ま、まさかママさん……やられちゃったんじゃ……」

 

<いえ、一分前に魚雷発射音が聞こえています。伊201の魚雷が命中したのは、クリムゾンオルカから発射された囮魚雷でしょう>

 

 水測室の楓からの報告を受け、ほっと胸を撫で下ろす。だが事態はまだ楽観を許すものではなかった。

 

「……しかし、撃たれたとなってはミス・ビッグママも黙ってはいない筈……撃ち返すんじゃ……」

 

 ましろの懸念は、すぐ現実のものとなった。

 

<クリムゾンオルカから魚雷発射音2!! 伊201へ向かっていきます!!>

 

「「!!」」

 

 とうとう魚雷戦が始まった。ブリッジクルー全員が、思わず息を呑む。

 

「伊201の動きは!?」

 

<面舵を切って転舵!! 回避行動に移ります!! 今……クリムゾンオルカの魚雷がターンしました!! 伊201を追尾していきます>

 

 これは先程のクリムゾンオルカと同じ操艦だ。恐らくは距離2000にまで引き付け、ノイズメーカーを使って魚雷をかわしに掛かるだろう。

 

 魚雷回避のお手本のような操艦だ。

 

「……何か、おかしくない?」

 

 疑問を口にしたのは、芽依だった。

 

「おかしいとは?」

 

「いやだって、囮魚雷で敵の魚雷を避けられるのは、おばあちゃんが実際にやってみせたじゃない? こうすれば魚雷をかわせるって。当然、伊201もクリムゾンオルカの動きを観察していたから、同じようにして魚雷を避けようとする筈……そんな無駄な事を、あのママさんがするかなぁ……?」

 

「oui(はい)」

 

「…………」

 

 確かにそうだ。ましろは頷き、顎に手をやって思考を回す。

 

 ましろの曾祖母のクルーであったビッグママは現役最古参、経験に於いては世界中のあらゆる船乗りの中でも最高峰のものがあるだろう。それほど老練の艦長が、そんな無駄な事をするとは信じがたい。何か、この魚雷には意味がある筈。だが一体どんな?

 

 それ以上は、ましろの思考も及ばなかった。そうしている間にも、海中での動きは続いている。

 

<魚雷と伊201の距離2000!! 伊201から魚雷発射音1、囮魚雷を発射しました!!>

 

 ここまでは、先程のビッグママの操艦をそのままトレースしたような動きだった。恐らく今頃は、エンジンを止めて魚雷のセンサーを狂わせに掛かっているのだろう。

 

 後は、クリムゾンオルカの魚雷が囮魚雷を追い掛ける筈だが……

 

<!? クリムゾンオルカからの魚雷、迷走しません!! まっすぐ、伊201に向かっています!!>

 

「な、何で!? 魚雷は伊201のエンジン音を追い掛けるようにセットされてたんじゃないの!? その証拠に、伊201が曲がった時に同じように曲がって……」

 

 芽依の疑問も当然だが、今はそれどころではなかった。

 

<魚雷2本、伊201へ突っ込んでいきます!! 伊201、エンジン再スタートしました。回避運動に入ります、機関増速中……!!>

 

「……あの魚雷は、ホーミングじゃなかった?」

 

<回避、間に合いません!! 距離30!! 2本とも、伊201に命中します!!>

 

「!! ママさん、ダメ!!」

 

 恩人が、自分達を助ける為に誰かを殺そうとしている。今まではどこか現実味が希薄だったその事実を眼前に突き付けられて、明乃が悲痛な声を上げる。

 

 自分達の為という事は分かっているが……でも明乃はそれが為されてしまったら、もう二度とビッグママの顔をまっすぐ見れないような気がした。

 

 だがもう、全ては手遅れ……!!

 

「………………」

 

「…………」

 

「……?」

 

 5秒、10秒、20秒……時間が過ぎたが、しかし予想していた爆発音も水中衝撃波も伝わってこない。

 

「水測、何があったか分かるか?」

 

<……最後に、魚雷がドスンと何かにぶつかるような音が聞こえてきて……その後、伊201のスクリュー音が消えました……何が起こったのかは……>

 

「……爆発が無かったって事は……2本とも、不発だったんでしょうか?」

 

「違う、弾頭を外した魚雷を撃ったんじゃ」

 

 言いつつ艦橋にずかずか入ってきたのは、ドイツ海軍の制服を着こなした金髪の少女だった。アドミラルシュペーから小型艇で脱出して、明乃が救出した子だ。

 

「スクリュー音が消えたという事は、魚雷2本が敵潜のスクリューに命中して、プロペラが全て折れたんじゃろう」

 

「……では、囮魚雷に引っ掛からなかったのは?」

 

「キャビテーションやエンジン音を追尾するようにセットされていたんじゃなく、敵潜がどんな動きをするかを完璧に読み切って、あらかじめ決まったコースを魚雷にプログラムしておったのじゃ。2000メートル進んだら、30度ターンしろという具合にな」

 

「……そんな曲芸じみた真似がまぐれではなく、しかも実戦で出来ると言うのか?」

 

 あらかじめ針路を設定した魚雷を発射し、伊201が動いた先でしかもピンポイントでスクリューに2発とも命中させる。

 

 ありえない。信じられない。認めたくない。出来る訳がない。今までましろが学んできたあらゆる常識が、それを否定する。だがたった今起こった事は、そうでも考えなければ説明が付かない。

 

「話は保健委員から聞いておる。今、敵潜と戦っているのはアドミラル・オーマーなのじゃろ? あの方ならそれぐらいは朝飯前じゃ。演習では我がアドミラルシュペー含む20隻もの艦隊を、たった一隻の潜水艦で全艦撃沈したお方じゃぞ?」

 

 シュペーから来た少女が語るビッグママの武勇伝も、明乃の耳には入っていなかった。今の彼女の胸を占めているのは、たった一つの事実。

 

「ママさん……傷付けないでくれた……」

 

 偶然かも知れない。色々な事情があって、実弾を使う訳には行かなかっただけかも知れない。

 

 それでも明乃には、ビッグママが伊201を沈めずにいてくれたのがとても嬉しかった。

 

 

 

「ママ、伊201から国際救難信号の発信を確認しました。浮上していきます」

 

「よーし、ナイン。見事な照準だ、良くやった。警戒を通常値に戻せ」

 

 ビッグママはそう言うと、深々とキャプテンシートに体を沈めた。

 

「まぁ……高く付いたが良い授業だったろう」

 

「……確かに良い授業でしたが……絶対、学校へ帰港した後には退学者が続出しますよ? ママ……厳しすぎでは?」

 

「そうそう、沈めるよりエグイ事するわね」

 

 戦闘能力を奪われて、浮上を強制される。これは潜水艦乗りにとっては、撃沈以上の屈辱だ。

 

 しかもそれをやったのが無弾頭魚雷の命中だったから、これは伊201のクルー達にクリムゾンオルカが本気だったなら簡単に沈められていたという事実を突き付けたに等しい。精神的なショックは計り知れないだろう。

 

「良いんだよ。それで……その程度で潮気が抜けるなら……最初からホワイトドルフィンなんて目指さない方が良い……ですよね、ママ」

 

「そうさ、ナイン。ブルーマーメイドにしてもホワイトドルフィンにしても、その仕事は常に命懸け。艦と仲間と、自分の命を保証するのは艦長含め乗員全員の果断な即応……その為には練度を上げるしか手はない……と、あたしは艦長に教えられた……まだ、見習いの炊事委員だった頃にね。だからあたしは昔から、訓練に手を抜いた事は無い。自分にも、他人にも……今は伊201の子達が、この恥辱をバネにして良いサブマリナーになれる事を祈るとしようじゃないか」

 

 そう言って、ビッグママはシートから立ち上がる。

 

「ようし、進路変更!! 晴風と合流するよ!!」

 

「「「了解、ママ!!」」」

 


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