ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

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VOYAGE:06 晴風の針路

 

「校長、海上安全整備局から通達が」

 

「読んで」

 

「はい、今回の晴風及び貴校所属艦が統制を離れ逃亡した一件、速やかに学内で処理できない場合は大規模反乱行為と認定する。その際、貴校所属艦は拿捕、それが出来ない場合は撃沈する……との事です」

 

 横須賀女子海洋学校の会議室、その上座に座る真雪は肘掛けをぎりっと握り締めつつ、椅子を回転させて背後に表示された大型モニターに向き直った。

 

 壁一面に埋め込まれた画面に映し出された海図には、学校に所属する艦艇の位置が表示されている。その中で正確な位置が把握できているブルーの輝点は半分ほどで、もう半分の輝点は赤く光って「LOST」と表示されていた。最初に反乱逃亡を行ったとされる「晴風」を初め、「武蔵」「五十鈴」「磯風」「比叡」「涼月」……これらの艦艇は晴風と同じでビーコンや位置情報を切ってしまっていて正確な位置が掴めず、表示されているのは最後に確認された位置だ。

 

 晴風一隻でも学生の反乱など信じられない所に、これほどの数の艦が行方不明になるなど前代未聞、横須賀女子海洋学校開校以来……どころかブルーマーメイドの歴史が始まって以来のとんでもない異常事態だ。

 

 だが……真雪は思ったより落ち着いている自分を自覚していた。

 

『ここまで全て……あなたの予想通りになりましたね、教官……』

 

 脳裏によぎるのは、ほんの二時間前に秘匿回線で交わしていた会話だ。

 

 

 

<ユキちゃん……何回でも言うけど、海上安全整備局が黒幕、ネズミが猿島やシュペーの暴走に絡んでいる。これらはあくまで状況から導き出したあたしの推理だ。勿論あたしは確信を持っているが、証拠は何一つ無い。だから真実は全く別物かも知れない。でも……もしも全てがあたしの考えている通りだとしたら、次に何が起こるかは予想できるよ>

 

「……教官は……何が、起きるとお考えですか?」

 

 モニターの向こうのビッグママは少し言い淀んで、居心地悪そうに隣の明乃をちらっと振り返った。

 

 これは何か言い辛い事があるのだろうと明乃は読み取ったらしい。「大丈夫ですよ、ママさん」と促した。

 

<もし……あたしの推理通りなら、そろそろ海上安全整備局が次の動きを見せる筈だ。晴風は当然猿島を撃沈した反乱艦として、他に学校の統制を離れた艦が出ていたらそれも晴風に同調した反乱分子として、全艦を武装解除もしくは拿捕……それが出来ないなら撃沈もやむなしってね……>

 

<そんな……!!>

 

<……おばさま、いくら何でも考えすぎでは? 確かに猿島が沈没して古庄教官から晴風が反乱したと連絡があったのは事実ですが……今はまだ事実関係を調査している段階です。拿捕や武装解除は兎も角、撃沈許可なんて性急な行動に及ぶとは……>

 

「待って、真霜…………教官、あなたは何故海上安全整備局がそのような強行に及ぶと思われるのですか?」

 

 この問いに、ビッグママは<あくまであたしの推理が全て正しいという前提の上での話だが>と再三前置きして話し始めた。

 

<猿島やシュペーの暴走の原因はネズミで、そのネズミを生み出したのは海上安全整備局、そして彼等は高い金払ってあたしらに依頼してまでこの事を公にはしたくなかった……つまりネズミは、そこまでして海上安全整備局が隠したがっている暗部の、物的証拠になり得る。外に漏れては困る訳だ。”一方通行お断り”のあたしらにそれを承知の上で事情を話さなかったのも、その為だろう……ここまで言えば、あんた達なら分かるんじゃあないかい?>

 

 ビッグママの言わんとしている事を理解した真雪は、十分前にネズミが本土で繁殖した場合のシミュレーションを脳内で行った時と同じぐらいか、それ以上のどす黒い気分を味わう事になった。噛み締めた歯がギ……と軋む。

 

「……晴風は事の真相を、その一部でも掴んでいる可能性がある……制御を離れた艦にはネズミが入り込んでいる可能性が高い……だからそれらの艦を先手を打って拿捕し、艦内のネズミを捕獲もしくは回収する。それが無理なら艦・乗員と共に全ての証拠を海に沈める……と?」

 

<そんな……いくら何でもそこまでやるでしょうか?>

 

<やらないと思うかい? 上の連中の頭の中にあるのは国民や生徒の安全なんかじゃあなく、保身と自分達の責任逃れだけさ。それはいの一番にあたしらみたいなヤクザ連中に依頼してきて、事実を隠蔽しようとした時点で証明されているだろ? 少なくとも「やる」と考えて対策を練っておくべきだ>

 

「確かに……」

 

 真雪は頷いた。実際にどうなるかはさておき、最悪の事態は想定しておくべきだろう。

 

「分かりました。では私はこれから国交省に働きかけて可能な限り時間を稼ぎます」

 

<その間に私がネズミについての情報を収集する訳ですね>

 

 と、真霜。ビッグママも自分の意図が完全に伝わったのが分かって「うむ」と頷いた。

 

<晴風の事は、あたしに任せときな。生徒達は必ず全員無事で、陸に帰すよ>

 

 

 

 

 

 

 

 晴風の艦橋では艦橋要員の他、機関科から柳原麻侖、主計科から等松美海が代表として集まっていた。そこには当然、ビッグママの姿もある。

 

「……と、状況の説明は以上になるよ。晴風を護衛するという任務はこのまま継続するが……その上で、晴風にあたしらへの協力を頼みたい」

 

 ビッグママの口から語られた内容は、にわかには信じられないものだった。集まったクルー達の顔も半信半疑といった感じで、狐につままれたといった感じだ。

 

「ほ……本当に私達、そんな陰謀に巻き込まれてたんですか?」

 

 幸子も流石にこの状況では、一人芝居に興じる余裕は無かった。今のこの状況は爆弾テロが失敗したから諦め半分でサンドイッチを食べていたらたまたま標的が通り掛かって暗殺が成功するとか、弾丸が有り得ないような軌道を描いて大統領の狙撃が成功するレベルでノンフィクションがフィクションを追い越してしまっている。事実は小説よりも奇なりとは、良く言ったものだ。

 

「しつこいが、これは推理だ。証拠は何も無い。だがこれまでに起こった出来事とあたしらが持っている情報を繋ぎ合わせるとその可能性が高いんだよ」

 

 キャンプチェアに腰掛けたビッグママは腕組みしてううむと唸った。

 

「む、無理ですよぅ……私達は学生で、そんな事……」

 

 涙目になって訴えるのは、操舵中の鈴であった。彼女の意見も尤もではある。

 

 只でさえ殆ど濡れ衣を着せられたに等しい反乱艦扱いで精神的に参っていたのだ。そこへ校長の依頼を受けたクリムゾンオルカが護衛にやってきてくれて一安心といった所で、今度は国とか世界とかスケールが大きすぎて実感が湧かないような事件に巻き込まれていると言われて、更にはその解決の手伝いを求められているのだ。拒否したいと思うのが当たり前だろう。

 

 ビッグママもそれは分かっていたので、怒ったり声を荒げたりはせず静かに頷いた。

 

「ああ、あたしも無理を言っているのは百も承知だ。だから断ってくれても構わない。無論、その場合も晴風護衛の任務は引き続き行わせてもらうよ」

 

「……艦長は、どうされたいのですか?」

 

 ましろが尋ねる。この問いを受けて明乃は少し言葉に詰まった。クリムゾンオルカの発令所では一も二もなく協力を申し出たが、あれは岬明乃という一個人としての話。ここでの彼女は晴風の艦長としての立場があり、艦と乗員の安全について責任ある身。軽々な発言は憚られた。

 

「私は……協力したい、と思ってる。これは沢山の人の安全に関わる事だから……」

 

 方針を述べはするが、語気も弱くなっている。

 

「……確かに、証拠が無いにせよミス・ビッグママの推理は筋が通っていますし、これは人道問題でもあります。私も協力する事にやぶさかではありません」

 

「じゃあ、シロちゃん……!!」

 

 顔を輝かせる明乃であったが、「しかし!!」とましろが一声強く言った。

 

「今の晴風は主砲やレーダーも損傷し、機関も十分な速度が出せる状態にはありません。まずは明石・間宮と合流して艦の修理と補給を行うのが先決かと」

 

「あたしも副長の意見に賛成でぃ。シュペーから逃げる時に機関を一杯に回したから、総点検が必要になってる。協力するにせよ断るにせよ、艦を万全の状態に持ってくのが第一だろ」

 

 と、麻侖。

 

「私も同意見です。まず晴風が完全な状態になってから、もう一度全員を集めて相談した方が良いかと」

 

 これは幸子の意見だ。

 

「そう、だね。確かにまずは体勢を整える必要がある、ね……」

 

 色々思う所があるようで明乃は歯切れが悪いが、しかし理性の部分でましろ達の意見が正しい事を理解している。彼女もましろの意見に賛成票を投じる事になった。

 

 このやり取りを少し遠巻きに見ていたビッグママは「まぁこんな所か」と頷きを一つ。

 

 彼女としても手放しで協力が得られるとは思っていなかった。寧ろそんな事態になったら、晴風のクルーは現実が見えていないという事になってかえって不安になりそうだった。学生である彼女達が初航海からこんな荒事に巻き込まれるのは、イレギュラー中のイレギュラーなのだ。鈴のような反応こそ自然だし、寧ろ艦が万全な状態になれば協力を前向きに検討するというましろの姿勢だけでも喜んで受け入れるべきなのだ。

 

「しかし、ママさん。協力するのは良いけどあたし達で役に立てるかな?」

 

 尋ねたのは芽依だった。

 

「と、言うと? メイちゃん」

 

「いやだって、晴風は新入生の中でも最底辺の成績の生徒が集められた艦だし……そんな私達だと、かえって足手纏いになるだけなんじゃ……」

 

「そうは思わないね。あんた達は自分で思っているよりもずっと優秀だよ。それはこのあたしが保証するさ」

 

「保証……って」

 

「言っておくが、これは気休めとか激励の類の話じゃない。確かな根拠があって言っている事だよ。例えば水測の子……楓ちゃんだったね。あの子はとても良い耳を持ってる」

 

「そう……なんですか? まりこうじさんが?」

 

 明乃の問いに、「ああ」とビッグママは深く頷いた。

 

「最初に晴風と接触する直前、あの子は何か、海中で妙な音がするとか言わなかったかい?」

 

「あ、はい。それなら確かにそう言ってましたが……」

 

 その後、水中聴音の為に艦の速度を落としたが、結局何の音かはっきりさせる事は出来ず、そのすぐ後に撃沈と同義の探信音を受ける事になってしまった。

 

「音を捉えられなかったのは恥じゃあないよ」

 

 ビッグママはそう言って、指を三つ立てた。

 

「あたしらの艦、クリムゾンオルカは伊201をベースとして改造を施した艦だけど、単純に可潜深度や速力を高めただけじゃない、他のどんな艦にも搭載されていない三つの特殊兵装を積んでるんだ」

 

「……三つの特殊兵装?」

 

「そう、『パウラ』『レッドオクトーバー』『ダンス・ウィズ・ハングリーウルブズ・インザシー』の三つ。その内の一つ『レッドオクトーバー』は詳細は省くけど、これまでの常識を覆す静粛性を持った水中航行を可能とするシステムなんだ」

 

「……だから、あの距離まで水測が気付かなかったのか……」

 

 と、ましろ。あの時、何故1500もの近距離に接近されるまで水測がクリムゾンオルカの存在に気付かなかったか不思議だったが……そんなものを積んでいたとしたならそれも合点が行く。

 

「本職のブルーマーメイドでも、レッドオクトーバーの『音の無い音』を聞き分けられる耳を持った子はざらには居ない。しかもそれは、艦が完全に停止していた場合の話。例え微速であろうとエンジンが動いている状態で聞き分けられるのは5人いるかどうかって所だろう。それを「妙だな」と感付けただけでも大したものだよ」

 

「はぁ……万里小路の奴は凄いんだなぁ……」

 

「凄いのはあんた達もだよ、マロンちゃん」

 

「あ、あたし達?」

 

 この褒め言葉は予想外だったのか、麻侖は素っ頓狂な声を上げた。

 

「そうさ、あんたの他、この船の機関科の子達は皆良い腕をしてる」

 

「そ、そんなお世辞は要らねぇよ……大体あんたは機関室には入ってもいないのに……」

 

 麻侖の言葉から感じられる感情は嬉しさ半分、穏やかな怒りが半分といった所だ。褒められて悪い気はしないが、おべっかを使われるのは江戸っ子気質な彼女としては、尻の据わりが悪いのだろう。

 

「……あたしはかれこれ70年近く海で生活して、色んな船に乗ってきた。だからエンジンの音を聞けば、整備の善し悪しは分かる。いい音させてるよ、この晴風は」

 

「……わ、分かってるじゃねぇかぃ……」

 

 麻侖は顔を赤くして、ぽりぽりと頭を掻く。今度は嬉しさと照れくささによるものだ。

 

「……まぁ、そういう事さ。この船の子達は皆とても良い才能を持っている。猫の手も借りたいということわざがあって、実際に今はそういう状況だが……しかしあたしが晴風に望むのは猫の手じゃない。あんた達の才能と能力を評価した上で、その力を貸して欲しいと思っている。無理を言っているのは自覚しているし、学生でしかないあんた達にこんな事を頼むのは筋違いなのも百も承知だ。だが、それでも敢えて頼む……この戦いに、力を貸してはくれないかね」

 

「クリムゾンオルカの戦いですか?」

 

 まゆみの問いに、ビッグママは首を横に振る。

 

「あたし達だけの戦いじゃない。日本だけの戦いでもない。これは海と、陸に生きる全ての人の未来を懸けた戦いなんだ。だからあたし達は、何としても勝たねばならない。助けが欲しいんだ」

 

「「「…………」」」

 

 艦橋に集まったクルー達は、どう返事したものか言葉に詰まってそれぞれ顔を見合わせたり俯いたりした。

 

「どうか……お願いする!!」

 

 立ち上がったビッグママは、姿勢を正すと深々と頭を下げた。ざわっと、艦橋がどよめく。

 

 確かにこの状況はビッグママが晴風にお願いしている立場ではあるが……5倍以上も年上の相手に頭を下げられると、受けるかどうかの迷いよりも驚きの方が先立つというもの。明乃がいち早く我に返って「マ、ママさん……頭を上げて下さい」と肩を掴んだ。

 

「……と、兎に角……ひとまずは明石・間宮との合流を目指す……その間に各科のメンバーにも話を通して、乗員の総意を確認する。そうして補給と修理が完了した後にもう一度乗員全員で相談して結論を出す……今の所は、それで良いんじゃないでしょうか、艦長」

 

「そうだね、シロちゃん。ママさんも、それで良いですか?」

 

「ああ、十分だよ。ここまで言っておいてなんだが、あたしは無理強いするつもりはない。皆とよく相談して……」

 

 顔を上げたビッグママが言い掛けた、その時だった。艦橋に、通信が入った事を知らせるベルが鳴った。

 

「!! 非常通信回線!!」

 

 一番近くに立っていた明乃が、受話器を取った。

 

「音声をスピーカーに!!」

 

「は、はい!!」

 

 ビッグママの指示を受けた幸子が素早く機器を操作して、通信がブリッジの全員に聞こえるようにする。

 

<こちら武蔵、こちら武蔵……非常事態発生……!!>

 

「!! この声は……!!」

 

「もかちゃん!? あたし明乃!! どうかした!? 何があったの!?」

 

 武蔵からの通信という事でブリッジの全員に緊張が走るが、特に幼馴染みの明乃と幼い頃から面倒を見てきたビッグママはそれが顕著だった。

 

<本艦の現在位置は……至急救援を……至急救援を……!!>

 

 そこまで言った所で、耳障りなノイズと共に通信が切れた。艦橋に、先程とはちがったざわめきが走る。電波状態が良くないのか雑音混じりであったが、もえかの声は明らかに動揺していて、震えていた。非常事態と言っていたが、本当に尋常ではない事態が起こったのだとこの場の全員にすぐ伝わった。

 

 だが、一大事はこれだけでは留まらなかった。

 

<艦長、大変です!!>

 

 伝声管を通して、先程のもえか程ではないにせよ慌てて早口な声が聞こえてくる。電信員の八木鶫だ。

 

<海上安全委員会の広域通信を傍受しました!! 艦橋にプリントアウトして送ります!!>

 

 十秒ほどの間を置いて、電文の内容が記された紙が送られてきた。明乃がそれを受け取って、左隣にましろが、右隣にビッグママが立って内容を覗き込む形になる。

 

「現在、横須賀女子海洋学校の艦艇が逸脱行為をしており、同校全ての艦の寄港を一切認めないものとする。また、以下の艦は抵抗するようなら撃沈しても構わない……」

 

 その後は、「五十鈴」「磯風」「比叡」と艦艇の名前がずらずらと並べられており。一番上には「航洋艦・晴風」と記されていた。

 

 がちん、と金属音が鳴る。ビッグママが咥えていた煙管を噛み締めた音だ。純銀製の高級品だが、くっきりと歯形が付いてしまった。

 

「……腐っていやがる」

 

 晴風のクルーには聞こえないように吐き捨てる。

 

 予想はしていたが、それが全て当たる形になった。

 

「撃つのは好きだけど、撃たれるのはやだぁ~!!」

 

「私達完全にお尋ね者になってるよぉ!!」

 

「……もしかしたら、武蔵も同じ状況なのかも。だから非常通信を……」

 

「恐らく、それで間違いないだろう。乗員が猿島やシュペーと同じ状況で、もかだけが正気を保っていて、それで救援を求めてきた……って線が一番濃厚だね」

 

 明乃の意見を、ビッグママが補足する。

 

「だが武蔵はこっちと違って、簡単に沈む船じゃない」

 

「でも、助けを求めてた!! だから……!!」

 

「今はこっちの方が助けが必要だろう!!」

 

 語気を強めたましろに一喝されて、明乃は怯んだようになる。縋るようにビッグママを見やるが、老艦長は神妙な顔でじっと見返した。

 

「……もかを助けたいのはあたしも同じだが……これについてはあたしもシロちゃんと同意見だねぇ。小破している晴風では助けに行けないだろう。あたしらも、護衛対象を放っては動けない。まずは明石・間宮と合流して補給を受け、晴風を万全の状態に持っていく事が最優先だ」

 

「でも……」

 

「ミケ!!」

 

 それでも食い下がろうとする明乃であったが、ビッグママは威圧するようなものではないにせよ少しだけ声を大きくして、じっと彼女を見据えて言った。

 

「レッスン6……言ってみな。これはブルーマーメイドを目指すなら、一番大事な事だと繰り返し教えた筈だよ?」

 

「う……」

 

 その内容に思い至ったのだろう。明乃は少しだけ言葉に詰まって、そして答えた。

 

「レッスン6……『人を助けるのには、大きな船が必要』」

 

 ビッグママは「そう」と頷く。

 

「自分の事さえおぼつかないような”小さな船”では、人を助けられない。溺れている人を助けようと引き上げても、その重みで転覆してしまって助けようとした人どころか自分すらも死なせてしまう。人を助けるには、最低限自分と要救助者の重みを受け止められるような”大きな船”が必要だ。自分さえ助けられないのに、誰かを助ける事など出来ない。ましてミケ、今のあんたは艦長だ。自分の判断で自分一人だけ死ぬならいざ知らず、乗員を巻き添えにする訳には行かない……分かるね?」

 

 今のビッグママの口調は決して怒ったり威圧するようなものではなく、噛み含めて諭すように穏やかだった。

 

「繰り返すが今できる最善は、艦・乗員共に晴風を完全な状態へと持って行く事だ。その上で、対応を考えるべきだろ」

 

「……分かりました。シロちゃんやママさんの言う通りです」

 

 明乃の決断を受け、ビッグママは内心ほっとしていた。最悪指揮権をましろに委譲して一人だけスキッパーで飛び出していくという事態も想定していただけに(その時はひっぱたいてでも止めるつもりだった)、そうならなくて一安心だった。

 

「晴風はこのまま、校長先生から指定されたポイントへ向かい、明石・間宮との合流を目指します。それじゃあ、私が艦橋にいるからみんなは休んで……」

 

「今夜の当直は私とりんちゃんです」

 

「正しい指揮をするには、休息も必要だ」

 

「私なら大丈夫だから……」

 

「ココちゃん」

 

 パチンと、ビッグママが指を鳴らす。それを合図として幸子が、どこから取り出したのか丸いサングラスを掛けると目一杯低くした声でいつもの一人芝居を始めた。

 

「『徹夜はするな。睡眠不足は良い仕事の敵だ。美容にも良くない』」

 

「う、うん……分かったよ、ココちゃん」

 

 効果は覿面。良く分からないが兎に角シブさに圧された明乃はブリッジから出て行った。その背中を見送りつつ、幸子とビッグママはグッと親指を立てた。

 

「それじゃあ、あたしも一度クリムゾンオルカに戻るよ」

 

 

 

 

 

 

 

 それから数時間後の真夜中、事態は動きを見せた。

 

「ママ、水中に音源!! 潜水艦です!!」

 

 クリムゾンオルカの発令所にて愛読書の「イーグル」を読んでいたビッグママであったが、リケの報告を受けてすぐに意識を戦闘モードに切り替える。

 

「艦種は!?」

 

「音紋照合……東舞鶴校所属の伊201です!!」

 

 報告を受け、ビッグママは「ほう」と息を吐いた。

 

「この艦のオリジナルか」

 

 恐らくは近海で訓練中だったのが海上安全委員会の広域通信を受け、晴風を拿捕する為にやって来たのだろうが……

 

 そんな風に思考を回していると、今度はコーンというアクティブソナー特有の音が聞こえてきた。

 

「リケ、今のは伊201からかい?」

 

「いえ、ママ。晴風からです。この長・短の変則探信音は……モールスですね。解読します……所属と艦名、それに戦闘の意思は無い事を伝えていますが……」

 

 しかし伊201は、進路を変更して深度を増していった。どうやらソナーマンが解読出来なかったようだ。

 

「……向こうの水測はあまり耳が良くなかったみたいね」

 

「しかしだとすると、伊201のクルーは単純にアクティブソナーを受けたと思っている訳ですから……これは晴風の方から先制攻撃を行ったに等しい行為と受け止めている……ですよねママ」

 

「ああ、その通りさナイン。ロック、晴風に通信を繋ぎな」

 

 受話器を取るビッグママ。明乃は、数秒の間も置かずに通話に出た。

 

<ママさん!!>

 

「ミケか。状況は把握してるよ。伊201に敵対してると思われたみたいだね」

 

<すいません、私のせいで……>

 

「反省は後!! 今はこの状況をどうするかが先決だろ? 晴風はまだ戦闘には耐えられない。操艦は逃げる事を最優先に心掛けるんだ」

 

<分かりました。ママさんは?>

 

 ビッグママは一度言葉を切って、にやっと口角を上げる。

 

「昨日今日潜水艦に乗り始めたボーヤ達と遊んでやる。過去の海戦史に無い戦術を、見せてやるさ」

 


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