ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

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VOYAGE:05 四海を臨む者

 

 シュペーから命からがら逃げ切り、レーダーや水測でも周囲に艦船の存在が確認できなくなった所で、晴風はクリムゾンオルカ及びヴィルヘルミーナを保護してきた明乃と合流した。

 

 その後はビッグママからましろへの要望に従い、晴風の会議室に乗員全員が(医務室でヴィルヘルミーナを看ている保健委員の鏑木美波を除く)集合してミーティングが行われる運びとなった。その間の周囲の警戒は、クリムゾンオルカのクルー達が行っている。

 

「ママさん、これで全員揃いました」

 

 愛用のタブレットで名簿をチェックしていた幸子の報告を受け、明乃に並ぶ形で上座に腰掛けていたビッグママは「うん」と頷く。ちらりと視線を動かすと、どら猫の五十六もちゃっかり机の上で丸まっていた。

 

「艦長、この集まりは一体何の会議なのですか?」

 

 挙手したのは、機関科・機関助手の黒木洋美だった。

 

「それについては、ママさんから説明が。ママさん、どうぞ」

 

 明乃に促され、ビッグママは立ち上がるとまずは全員を見渡して絶妙に間を置く。その上で話し始めた。

 

「既に、あたし達クリムゾンオルカが真雪校長の依頼を受けて、晴風とその生徒達を保護する為にやって来たのは聞いてると思う。で……だ、それとは別にもう一つ校長から依頼された仕事があるんだ」

 

「……西之島新島沖で、猿島が発砲してきた事の原因究明ですね」

 

 ましろの言葉を受け、「そう」とビッグママは首肯する。

 

「それなんだが、既に原因は分かってるんだ」

 

 この言葉は衝撃的だった。ざわっと会議室全体が一気に騒がしくなった。

 

「そ、それってどういう事です?」「やっぱり猿島に何か黒い秘密が!?」「何を掴んだんですか!?」

 

 めいめい勝手に騒ぎ立てるがそこは副長の面目躍如といった所か、ましろがパンパンと手を叩いて場を統制した。

 

「静粛に!! 質問は話を聞いてからだ。ミス・ビッグママ、失礼しました。先をどうぞ」

 

「ありがとうよ、シロちゃん。では話を続けるよ」

 

 そうして手元のパソコンを操作すると、正面のプロジェクターに数枚の写真が大写しになった。どの写真にも、ネズミやハムスターに似た動物が写っている。海上安全整備局からの依頼に伴い、提供された資料だった。

 

「これは……」「……可愛い」「ネズミ?」

 

「静粛に!! ミス・ビッグママ、続きを……」

 

「あぁ。実は少し前に、海上安全整備局からあたし達クリムゾンオルカに依頼があったんだ。このネズミもどきを回収してこいってね」

 

「海上安全整備局が?」「どうしてクリムゾンオルカにそんな仕事が?」

 

「あの、質問です!!」

 

 挙手したのは明乃だった。ビッグママは手を振って、発言を許可する。

 

「ママさん達は、そのお仕事を受けたんですか?」

 

「いや、断ったよ。海上安全整備局からは破格の報酬を払う代わりに「このネズミを回収してこい」の一点張りで事情や依頼するまでの経緯とかは全然教えてくれなかった。あたしらはそういう”一方通行”の依頼は受けない流儀だからね」

 

「……そう、なんですか?」

 

 意外そうに呟いたのは、右舷航海管制員の内田まゆみだった。

 

「あたしらみたいなヤクザ者は、金を受け取ったら何も聞かずにさっさと仕事に移るだけだと思っていたかい?」

 

 にやにや笑いながらそう返されて、まゆみは「いえ、そんなつもりじゃ……」とばつが悪そうになったが、ビッグママはすぐにカラカラと気持ちの良い笑い声を上げた。

 

「良いんだよ、大体合ってるからね。確かにあたしらは公には出来ないような物の輸送や護衛、危険な任務を請け負ったりする。それ自体は承知の上だし危険な目に遭う覚悟もしてるけど……けど、事情も話せないような依頼で捨て駒になってやるつもりは無いんだ。そーいう仕事は往々にして罠の可能性も高いしね」

 

 依頼を受ける時は必ず”相互通行”で行う。それはビッグママ海賊団の流儀であり、最低限の安全を確保する防衛策でもあるのだ。

 

「……本来なら受けた依頼に関わる情報には守秘義務があるんだが……あたしらの流儀を知った上で”一方通行”の依頼を掛けてくるような無礼者はクライアントとして不適格だし、そもそも依頼を引き受けてもいないからね。それに晴風はこの一件の当事者でもある。知っておく必要があると思ったから、こうして話しているんだよ」

 

「成る程……分かりました、ミス・ビッグママ。続きをお願いします」

 

「ああ、それで海上安全整備局からネズミを回収するよう言われた目的地が……西之島新島だったのさ」

 

「!! それは……」「それって、海洋実習の……」「最初の目的地点だよ!!」

 

 途端に、会議室が先程の倍ぐらい騒がしくなった。

 

 晴風のクルー達は中々察しが良いようだった。ビッグママの言わんとする事を、的確に読み取ったのだ。

 

「そう、海上安全整備局があたし等みたいな黒に限りなく近いグレーな連中に依頼してまでネズミもどきを回収しようとした目的地点が西之島新島。今年の横須賀女子海洋学校の訓練航海の目的地も西之島新島沖だった。そしてその西之島新島沖で、猿島が晴風に対して明らかに演習や訓練の域を逸脱した実弾射撃を行った。それだけじゃない、その猿島と同じ状況に、シュペーも陥っているようだった」

 

 順序立てて説明され、クルー達は先程の喧噪から一転、神妙な表情になった。

 

 海上安全整備局が指定した目的地と、訓練航海の目的地が同じだった。その一つだけなら偶然も有り得るだろう。

 

 だがそこで猿島が謎の発砲を行い、状況証拠だけだがシュペーにも同じ事が起こっていた。

 

「あ……そうか。レッスン2ですね、ママさん」

 

「そうだよ、ミケ。二つの偶然はない」

 

 と、部下や生徒に教えているビッグママであるが、実は彼女の経験では本当に二つの偶然が重なっただけで、何かの作為や陰謀があると決めてかかって結果的に取り越し苦労に終わったケースも少ないながらある。レッスン2はあくまで心構えの話。そうやって疑ってかかった方が、慌てる事が無いという話なのだ。

 

 だが今回は二つどころか三つの”偶然”が重なっている。これはもう絶対に”偶然”では有り得ない。

 

「……じゃあ……このネズミが、猿島やシュペーの異常に関わっている、と?」

 

「あたしはそう思ってる」

 

「……でも、ネズミが何をしたら船の乗員がいきなり撃ってくるようになるんですか?」

 

「さあ?」

 

「さあって……」

 

 あっけらかんとしたビッグママの返答に、ましろは拍子抜けしたようになる。てっきりここまで言い切るからには、何もかもお見通しだと思ったのに。

 

「ただ有り得ない話じゃない。例えばこのネズミもどきが興奮作用のあるフェロモンや麻薬成分を分泌しているとか……まぁ、真実は分からない。とにかくコイツもしくはコイツらが原因で猿島やシュペーの乗員がおかしくなった。ついでに艦の計器にも異常が起こっていた。今の所分かる情報はこんな所だね」

 

 物的な証拠は何も無いが、確かに偶然が重なったにしてはタイミングが良すぎる。ビッグママの推理にも一定の説得力はあった。晴風の乗員達も、隣に座った仲間と話したりして意見を交換している。与えられた情報を真剣に分析し、現状を把握しようと努めているのだ。

 

 だが、ここで話し合っていても結論が出る訳もない。議論が行き詰まった所を見計らってビッグママは先程のましろと同じようにぱんぱんと手を気持ちよく打ち鳴らした。

 

「……と、晴風のクルーにあたしらが掴んだ情報を共有してもらおうというのが、今回の議題だった訳さ」

 

「それじゃあママさん、今後の晴風の行動方針は……」

 

「……基本的には、これまでと同じ。戦闘行為を避けて学校へと帰る事。道中、やむを得ず戦闘行為に突入した場合は、あたしらが対応する。晴風は身を守る事を最優先に行動するように。会議を開いたのは今し方言った通り、あんた達は当事者として知っておく必要があると思ったからだよ」

 

「『君達は自分の身を守る事だけ考えていればいい、余計な事はするな』」

 

「『ママさんはやっぱり私達を軽く見てる。私達だって成長してるんだ。敵をやっつける事は出来るんだ』」

 

「「『ああー、ごめんなさい!! 私達は自分で利口ぶっているだけの最低のマヌケだった!!』」」

 

 またしても幸子の妄想が始まって、ビッグママも少女のような裏声でそれに合わせる。最後の声はちゃんとハモっていて、どうやら二人はこれまでの数回で完全に互いの呼吸を掴んだらしい。不敵な笑みを交わし合って、ピシガシグッグッとタッチした。ましろはやれやれと肩を竦め、明乃は「あはは」と苦笑い。芽依と志摩は「面白いおばあちゃんだね」「oui(はい)」といつも通りのやり取りを交わす。

 

 同時に、会議室全体がどっと笑いの渦に包まれた。艦橋での時でもそうだったが、幸子とのやり取りは良い感じに緊張感を取り除く事に成功していた。

 

 こうした一幕を経て会議は終了、クルー達は解散してそれぞれの持ち場に戻る事になった。

 

「ミケ!!」

 

「はい、ママさん」

 

「これから、あんたには少しばかりクリムゾンオルカに移ってもらいたいのだけど。海洋学校に途中経過を報告するのでね。あんたにも晴風の艦長として、立ち合ってもらいたいんだ」

 

「分かりました。じゃあシロちゃん、私が向こうにいる間、晴風の指揮をお願い」

 

「了解しました、艦長」

 

 ましろは明乃から差し出された艦長帽を受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 明乃とビッグママは十年来の付き合いであるが、クリムゾンオルカに通されたのはこれが初めてだった。ビッグママは明乃やもえかにはそのコードネーム同様、母親のように接してはいたが闇の仕事に従事するクリムゾンオルカへは決して巻き込まないようにという姿勢を一貫していたからだ。

 

 この艦のあらゆる機能が集中している発令所は晴風のものと比べてもずっとシンプルで、しかしそれは無骨だとか古臭いといったものではなく、寧ろ機能を洗練し尽くしていった結果、余計な物が削ぎ落とされて必要最低限の計器のみになったという印象を明乃は持った。ビッグママを除けばたった3名のクルーで艦の全機能を統括するのだから、いくらリケやロックが優秀でもここまで自動化が進んでいないと操艦がおぼつかないのだろう。

 

「お久し振りね、ミケちゃん」「大きくなったなぁ」

 

「イワさん、エンさん!! お久し振りです」

 

 ビッグママとナインの二人に連れられてクリムゾンオルカに乗り込んできた明乃が、元気よく挨拶する。イワとエンというのは、それぞれロックとリケのあだ名だ。ロックのコードネームは『Te:Rock』。Rockだから岩、だからイワさん。同じようにリケのコードネームは『サークル・リケ』サークルだから円。だからエンさんなのだ。

 

 ナインこと『スレイヴ9』が席に着き、ビッグママも彼女専用に大きく作られたキャプテンシートにどっかりと腰を下ろした。明乃はそのすぐ傍らに用意されたゲスト用の席に座っていたが、落ち着かなさそうでそわそわと体を動かしていた。

 

「リケ、秘匿回線を横須賀女子海洋学校に繋いでくれ。ユキちゃんにこれまでの調査結果を報告する。同時に、海上安全整備局安全監督室にも連絡を入れな。シモちゃんにもこの話の内容は伝えておきたい。ロック、お前は作成した報告書を二人へ送信してくれ」

 

「「了解、ママ」」

 

 訓練されたクルーが時計の針のように滑らかな動きでキーボードを叩くと、数十秒ほどで回線が繋がって真っ正面の一番大きなモニターとそのすぐ横の二番目に大きなモニターに、海洋学校長の制服を身に着けた妙齢の女性と、ブルーマーメイドの制服を着た女性がそれぞれバストアップで表示される。明乃は、どちらの女性も知っていた。

 

 一人は横須賀女子海洋学校の現校長である宗谷真雪。入学式での挨拶が印象に残っている。

 

 もう一人は海上安全整備局・安全監督室室長の宗谷真霜。彼女は現在、全ブルーマーメイドを統括する立場にあり、ニュースにも度々出ている。

 

<こうして教官から連絡があるという事は……事態に何かしらの進展があったと思って良いのですよね?>

 

<おばさま、ご無沙汰しております。母が晴風や猿島の調査を依頼した件は聞いています>

 

 ゲストシートに座る明乃は、驚いた顔ですぐ隣のビッグママを見た。真雪はかつてブルーマーメイドの総旗艦である『大和』の艦長を務めたほどの大物で、真霜は現役のブルーマーメイドのリーダーである。まだ学生である彼女にとってはどちらも遥かな雲上人なのだ。

 

 その雲上人二人から、ビッグママは明らかに敬意を払って接されている。確かに70年近く船に乗っていて、ブルーマーメイドの初代艦長のクルーだったと言うから百戦錬磨という言葉も霞むほどのとんでもない大ベテランには違いないが、それだけとも思えない。まだまだビッグママには自分の知らない秘密がありそうだと、明乃は直感した。

 

「ああ、分かった事もあったし、ひとまずこれまでの経過を報告しようと思ってね。それとこの報告にはこの子にも立ち合ってもらうことにしたよ」

 

「は、晴風艦長の、岬明乃です!!」

 

 校長とブルーマーメイドのトップが相手とあって、緊張した様子で起立した明乃が敬礼する。動きはどこかぎこちなくて、声も上擦っていた。

 

<……無事で良かった。岬さん、まずはリラックスして……落ち着いて、その上で話を聞かせてもらいます>

 

「は、はい」

 

 明乃が着席した所で、ビッグママは体を揺すって姿勢を整えると話し始めた。

 

「まずは結論から話すけど……晴風が反乱したというのは絶対に何かの間違いだ。あたしも直に会って色々と話してみたが、艦長以下乗員全員に反乱の意思など無い事がはっきり分かった」

 

 この報告を受け、真雪と真霜は目に見えて安堵した様子だった。特に真雪は校長として生徒達を信じてはいるが、やはり一抹の不安はあったのだろう。それが取り除かれたことでほっとしたようだった。

 

「で……だ、詳細は送信した報告書を読んでおくれ」

 

 モニターの中で、真雪と真霜がそれぞれ視線を動かす。二人はどちらも自分のオフィスに居る筈だから、メールに添付されていた中間報告書に目を通しているのだろう。

 

 そうして数十秒ほどの間を置いて、モニターの中の真雪がビッグママと明乃に向き直った。

 

<では教官……この、ネズミのような動物が一連の騒動の元凶だと?>

 

「あたしはそう確信している。報告書に書いた通り物的証拠などは何も無く、状況からの推測だけだがね。そして間違いなく、海上安全整備局の一部が関わっている……」

 

 ここでビッグママは一度言葉を切り、少し体を乗り出す姿勢になった。

 

「ユキちゃん、一つ聞きたいのだけど……この航海実習に関連する事で、海上安全整備局から何か言ってきたりしなかったかい? 例えば適当な理由を付けて、自分達の息の掛かった人間を猿島に乗船させてほしいとか、西之島新島沖まで道中の護衛を頼みたいとか……」

 

<……!! それなら、あります。ちょうど訓練航海の前日に……西之島新島沖で海洋生物の研究をしたいので研究員を猿島に同乗させてほしいと……>

 

<母さんは、それを認めたの?>

 

<ええ、急な話だったけど提出された書類は正式な物だったし、断る理由も無かったから……>

 

「ふーむ」

 

 ビッグママは消えかけたあごに手をやって唸り声を一つ上げると、尋ねる。

 

「ユキちゃん、その申し出があったのはいつだい?」

 

<3月31日の……13時頃です>

 

「あたし達に依頼があった、ちょうど次の日か……」

 

<母さん、おばさま。それなら解けますよ。恐らく時系列はこうです>

 

 

 

 ① 西之島新島で、ネズミもどきが発見される。

 

 ② 海上安全整備局はなるべく事を秘密裏に済ませたいので、自分達の関係者を動かしたくない。そこでビッグママ海賊団に依頼が入る。

 

 ③ ビッグママは依頼を拒否する。

 

 ④ 仕方がないので海上安全整備局が自分達のスタッフを動かす。スタッフは猿島に同乗し、西之島新島へ。

 

 ⑤ 到着したスタッフはネズミもどきを回収しようとする。だがそこで何かのトラブルが発生し、猿島及びその乗員に異常が発生する。

 

 ⑥ 異常な状態の猿島が、晴風に発砲する。

 

 

 

「ああ……多分、シモちゃんの考えている通りで間違いないだろうね。しかし恐ろしい事は別にあるよ」

 

 そう言うビッグママの顔は、真剣そのものだった。隣に座る明乃は、思わずごくっと喉を鳴らした。

 

「ママさん、恐ろしい事って……?」

 

<ドイツのアドミラルシュペーに猿島と同じ異常が発生していた事ですね>

 

「そう……シュペーは西之島新島へは近付いていないにも関わらず、だ」

 

 写真で見る限り、ネズミとハムスターの合いの子のようなこの動物はとても島から島までの距離を泳ぎ切れるような体の構造はしていない。なのに遠く離れた海域を航行していたシュペーは、問答無用の攻撃や電子機器の異常など猿島と同じ状態にあるようだった。

 

 つまり……

 

<……何らかの手段で、この生物が海に出ている?>

 

 ビッグママの言わんとしている事、危惧している内容を読み取った真霜の顔は、心なしか蒼くなっていた。

 

「勿論、こんなネズミみたいなのが長距離を泳げる訳もないし泳げたとしてもサメのエサになるだけだろうから、生身って訳じゃないんだろう。そうだね……多分、防水性のケージみたいなのに入れられて、漂流している所をシュペーが拾ったんじゃないかね? それでシュペーの艦内にネズミの被害が広がったんだと思う」

 

 ここまで言うと、事の重大さが明乃にも伝わった。

 

「ま、待ってくださいママさん……それじゃあ……」

 

<あなたの考えている通りですよ、岬さん。このネズミが全部で何匹居るかは計り知れませんが、海に出たもしくは出されたのがたった一匹だけと考えるのは現実的ではありません。むしろ、何匹か何十匹かが一斉に放流されていて、その内の一匹がシュペーに拾われたと考えるのが自然……!!>

 

<……つまりこの先、どの船や海上都市にでも猿島やシュペーと同じ事態が発生する危険があるという事ね>

 

「そんな……!! じゃあ、どうすれば……!!」

 

 悲痛な声を上げる明乃だったが、ビッグママがぽんとその肩に手を置いた。それだけで明乃は、根拠は何も無いが凄く安心できる気分になった。

 

「だから、ユキちゃんとシモちゃんに連絡したんだよ。この通信は任務の中間報告でもあるが、同時にブルーマーメイドに協力を要請する為のものでもあるんだ。この事態は既に、クリムゾンオルカだけで収束させる事は不可能だ」

 

 クリムゾンオルカがブルーマーメイドに秀でる点は、国に帰属しつつも半民間的な立場であるが故のフットワークの軽さ、即応性だ。何か事故や事件が起こってからでないと動けないブルーマーメイドと違って、究極的には艦長の一存でどこへでも自由に移動できるクリムゾンオルカは隠密行動や迅速さを求められる任務には非常に適している。

 

 逆に組織の規模や動かせる人員の数に於いてはそもそも勝負にすらなりはしない。クリムゾンオルカ制度が全盛の頃ですら、構成員はブルーマーメイドの十分の一にも満たなかった。ましてや現在、クリムゾンオルカの資格を持つのはビッグママ海賊団の一団体4名一隻のみ。今回のように広範囲を同時にカバーする任務は物理的に遂行が不可能なのだ。

 

<……分かりました、教官。では、具体的にどう動くべきでしょうか?>

 

「……まず海上安全整備局に探りを入れる必要があるね。ネズミもどきが単に自然発生した危険生物というだけなら、クリムゾンオルカに依頼する必要は無い。自分達のスタッフを動かすだけで十分だった筈だ。なのに高い金払ってあたしらを雇おうとしたって事は、公にしたくない”裏”があるって事だからね」

 

「ママさん、その裏って……」

 

「……このネズミは自然に生まれた生き物じゃなくて、品種改良や人工交配、遺伝子操作などで人為的に生み出された生き物の可能性があるって事。それの糸を引いていたのが海上安全整備局だとすれば……彼等がこのネズミの事を知っていたのにも説明が付く。だからそこを調べれば、このネズミがどういう原理で人を異常な状態にするのか、機械を狂わせるのか? そのカラクリが分かるかも知れない。あわよくばその解決方法も見付かるかも」

 

<では、その役目は私に任せて下さい。今の私なら、色々と顔が利きますからね>

 

 サブモニターの中の真霜が、自信に満ちた笑みを見せた。

 

「次にユキちゃん、あんたは西之島新島を中心とした海流の動きや速さを計算して、そこから出た漂流物が流れ着く可能性のある島・海上都市・沿岸およびその周辺の海域を通過するあらゆる船舶に通達するんだ。『このネズミに似た生き物は危険な病原菌を持っていますから、見付けた場合は絶対に触らずに、ブルーマーメイドに連絡を入れて下さい』ってね」

 

<分かりました>

 

「……それとユキちゃん、これはあたしの予想だがね。多分この先、ネズミの被害に遭うのは猿島やシュペーだけでは済まないだろう。学生艦・教官艦の区別無く、相当数の艦艇が命令に無い行動を取って、所在不明になると思うよ。このネズミは、結構な数が居るだろうからね……」

 

<……ぞっとしますね>

 

「違う」

 

<ハ?>

 

 ビッグママの顔は先程よりもずっと険しくて、切り株のような顔に年輪が増えていく。

 

「こんなのはまだ序の口さ。寧ろ今の段階だからこそ、被害がこの程度で済んでいると見るべきだろう」

 

<……それは、どういう意味ですか? おばさま>

 

「確かにネズミもどきはそれなりの数が居るとは予想できるが……逆に千や万といったとんでもない数は居ない筈だ」

 

<何故そう言いきれるのですか、教官?>

 

「仮にそれほど居るとしたら、海上安全整備局はもっと大規模なチームを動かして捕獲もしくは駆除に当たるだろう。でも実際には猿島に研究員が同乗する程度の規模の人員しか動かさなかった……だろ? ユキちゃん」

 

<そうです。総勢6名の……研究チームとの事でした……書類の上ではね>

 

 実際には最初からネズミを回収するつもりの、対バイオハザードチームだったのだろう。

 

「連中は秘密裏に事を済ませたかった筈だから、その人数で全てのネズミを回収する心算だったんだろ。つまり、十名足らずの人員で回収仕切れる数しか居ないって事だ……まだ、ね」

 

<……まだ?>

 

<!! おばさま、それって……!!>

 

「マ、ママさん……まさか……!!」

 

 奥歯に物が挟まったような言い方だったが、しかしビッグママの言いたい事は確かに伝わっていたようだ。真雪、真霜、明乃の顔色が蒼白へと変化した。

 

「……ネズミもどきが何故人間や機械を狂わせるのか? 何かのウィルスかフェロモンなのか……それは謎だが……こいつらは数十から百程度の数しか居ないから、今はまだこの程度の被害で治まっているんだ。だがこの先もそうとは限らない……!!」

 

<……子ネズミを生む、という事ですか……!!>

 

 その意味する所を理解して、真雪は祈るように両手を固く握りしめた。

 

「こいつらが流れ着いた船や沿岸都市から本土に上陸して、日本中に縄張りを移されたらもう何もかもが手遅れだ。今は現場が海上だから暴走するのは影響を受けた船員及びその人間が乗っている艦船に留まってるけど……それが日本中の人間になったら? そしてその手に刃物が握られていたとしたら……どうなる?」

 

<<…………!!>>

 

 地獄絵図としか形容の出来ない光景が脳裏に浮かんで、真雪と真霜が息を呑むのがモニター越しの明乃にもはっきり分かった。

 

「ネズミの妊娠期間は種によってある程度の違いはあるが、大体が二週間から二十日といった所。よって誤差を含めて考えれば、デッドラインはおよそ十日。それまでに何としてもこのネズミの謎を解き明かし、抗体なりワクチンなりの対策を用意しない限り、日本……いや世界が終わる。知っての通り今やこの国は世界中のあらゆる国家に所属する船が訪れる海運大国だからね。汚染が他国に広がったら、歯止めが利かなくなる」

 

<十日間……!!>

 

 想像以上に事態は深刻でありそして切迫している事が分かって、真雪の表情も娘である真霜が見た事もないぐらい険しいものになった。

 

<分かりました、おばさま。時間は物凄く少ないんですね。早速調査を始めます!!>

 

<私も各方面に連絡と、海上安全整備局の説得を行います>

 

 モニターの向こうで、真雪と真霜が立ち上がった。そしてクリムゾンオルカの発令所でも、起立した者が一人。

 

「あの!! 私達にも手伝わせて下さい!!」

 

<岬さん……>「ミケ……」

 

<無理よ、気持ちは分かるけど、あなた達はまだ学生なのよ?>

 

 真霜の意見は大人としては、至極真っ当なものだ。同じ気持ちは、真雪やビッグママも持っている。だが今の状況は、猫の手も借りたい非常時である事も確かだ。

 

「ミケ、あんた達を衛るのが、ユキちゃんから受けたあたしらの任務だ」

 

「でも、ママさん……!!」

 

 だが、ビッグママの言葉には続きがあった。

 

「だから、あんた達はあたしらが絶対に衛る。その上で、あたしらの仕事に協力してもらいたい」

 

<おばさま!!>

 

<待ちなさい、真霜……教官、あなたは晴風を、それを動かす生徒達をどう見ますか?>

 

 真雪の問いは、どこか試すような響きがあった。それを受けてビッグママはニンマリと、不敵に笑った。

 

「メイちゃんは晴風は新入生の中でも最底辺が集められた落ちこぼれ……なんて言っていったけど、とんでもないねぇ。あたしが見た限りお世辞抜きにみんなとても優秀だよ。ここには尖った才能を持った子を集めたんじゃないかね? 野球で例えるなら、打てない・守備がザル・足が遅い・肩が弱い・リードがヘタクソでも、150キロのナックルボールを捕球できるキャッチャーが居たらそれは間違いなく天才だ。そんなタイプの子ばっかり集めた特殊枠なんだろ? え?」

 

<…………>

 

 意地悪そうで楽しげな顔をしたビッグママのこの問いに、真雪は答えなかった。代わりに、迷いを振り切った顔になって明乃に向かい合う。

 

<岬さん、後ほど、晴風の被害状況を報告して下さい、明石・間宮を動かして補給を取り付けます。あなたは乗員の皆とよく相談して、それで同意が得られたのなら教官の指示に従って、この事件の解決に協力するように。ただしあなた達はあくまで学生、艦と乗員の安全を最優先にする事。良いわね?>

 

「はい!!」

 

 気持ちの良い返事と共に、敬礼を返す明乃。ほんの十数分前のものよりずっと様になっているように、真雪には見えた。

 

「海の仲間はみんな家族、だからね……家族は必ず衛るさ。どんな事があっても」

 

「ママさん……!!」

 

 明乃は思わず、涙がこぼれそうになった。

 

「ミケ、そしてユキちゃん、シモちゃんも。よく聞きな。この言葉はあたしの艦長からの受け売りだが……あたしはもう一つ、この言葉について別の解釈をしている」

 

<……聞かせて下さい、おばさま>

 

「どんな陸地も、四海に囲まれている。だから海の仲間を家族と想い、衛る事は同時に……陸に生きる人達みんなを友として慈しみ、衛る事なんだってね……」

 

<<…………>>

 

「…………」

 

「ミケ、ユキちゃん、シモちゃん。あんた達はブルーマーメイドやその候補生で、あたしはそこから袂を分かってクリムゾンオルカになった人間だ。船を戦いに使わないという、その禁を破ってね……だが人魚だろうがシャチだろうが、公務員だろうが海賊だろうが、深い所で共通するものをあたし達は持っている筈だ」

 

<……ご教授下さい、教官>

 

 真雪の要望を受け、ビッグママは真剣な顔で頷くと、真霜と明乃をそれぞれ見てから、言葉を続けた。

 

「それはあたし達は皆船乗り……四海を臨む者であるという事。静かで平和な海の為に、力を合わせようじゃないか」

 

 海洋学校校長と、ブルーマーメイドのリーダーと、学生艦の艦長。3名の顔がそれぞれ我が意を得たりとばかりに輝いた。

 

「はい、ママさん!! 私、精一杯協力します!!」

 

<私もです、おばさま。早速調査に当たります!!>

 

<……あなた以上に頼りになる人を、私は知りません。晴風の事、よろしくお願いします。教官……いえ……>

 

 真雪は一度言葉を切って、畏敬の念と共に言い直す。

 

<元ブルーマーメイド艦隊総司令、潮崎四海(しおざきよつみ)特等監察官……!!>

 


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