ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結) 作:ファルメール
「へぇ……これが、戦艦大和か……」
普段は大人顔負けの行動力や冷静沈着さを見せる四海であったが、今日この時ばかりは興奮と好奇心を隠そうともせず、大和の内装に目を輝かせて見入っていた。そんな少女学者に、この艦の長である六花はぽいとタオルを投げ渡した。
「見学も良いけど、四海ちゃん。体を拭いて服を着替えなさい。それと食事も用意させるから……」
「はい、六花さん……」
こんなやり取りを経て、着替えた四海は大和の艦橋へと通された。
ブリッジでは、ブルーマーメイドの制服に身を包んだ女性達がびしっと整列して二人を出迎えた。全員、背中に一本の棒でも入っているのかと思うほどに背筋がぴんと伸びていて動きもきびきびしている。ブルーマーメイド総旗艦のクルーだけあって高度に訓練されている事が、素人である四海にも良く分かった。
しかしブルーマーメイド達の視線は、全員が一カ所に注がれている。四海の胸に抱かれたプレシオザウルス、ブランへと。
「えっと……それ、ぬいぐるみじゃないよね?」「ほ、本物?」「触っても良い?」
こんなやり取りが交わされていると、通信機器が音を立てた。早速、士官の一人が計器を操作してヘッドフォンに手をやる。ブランに気を取られてはいても、そこは訓練された反射的な動きだった。
「艦長、トリトン号から通信が入りました」
「内容は?」
カツカレーを頬張りながら、六花が尋ねる。
「はい、当艦がフランスの領海を侵犯しており、即刻退去するようにと……それから艦長とそちらの……」
「四海です、潮崎四海」
「はい、四海ちゃんがトリトン号に侵入して艦のクルーや同乗しているグーバッカー博士に暴行を働いた件についての謝罪と賠償責任についての説明を行う事と、盗み出した研究資料の即時返還を求めています」
「断った場合は?」
「これを国際問題として、日本政府に正式に抗議すると……」
「ふん……」
カツを二切れまとめて口の中に入れてしまうと、六花は鼻を鳴らした。傍らで同じようにカツカレーを食べていた四海も似たような反応だった。
「自分達こそ、私の元からこの子……ブランを盗み出したクセに……盗っ人猛々しいとはこの事ですね……」
六花の手が、四海の肩へと置かれた。
「大丈夫よ、四海ちゃん……絶対にブランは渡さないから」
「艦長、返事はどのように?」
「バカメ。よ」
「は?」
「バカメと、そう言ってやりなさい」
「分かりました、大和よりトリトン号へ。バカメ、バカメ。どうぞ」
すると、トリトン号のクルーが激怒して怒鳴っているのが、漏れ出てくる雑音からヘッドフォン越しにも分かった。
「艦長、向こうが怒ったようです」
「まぁ、そうでしょうね」
大盛りのカツカレーを平らげた六花が、空の皿を机に投げ出して応じる。
「しかし艦長、真面目な話どうしますか? このままでは本当に国際問題になるかも……私達ではその責任を取るのは……」
「責任は全て私が取るわ。それに……」
六花は立ち上がると、水を張った大きな金タライに入れられているブランへと歩み寄って手を伸ばす。ブランは首を伸ばして、六花の指先をぺろりと舐めた。クルー達から、驚きや羨望の声が上がる。
「もし、本当にこの海域にプレシオザウルスが群生しているとしたら……私達はブルーマーメイド……海に生き、海を守り、海を征く者として……間違っても核実験など、させる訳には行かないでしょう?」
「それは、そうですが……」
副長の視線が、四海と彼女が抱えるブランへと動いた。
「確かにこうして生きた首長竜の子供が居る以上、頭から否定する事も出来ませんが……しかし、プレシオザウルスの子供一匹が生きているだけでも奇跡的……いえ、奇跡そのものと言って良いでしょう。ましてや、群れが生きているなど……」
その時だった、伝声管が鳴る。六花が蓋を開いて対応した。
「こちらブリッジ、何かあったのかしら?」
<水測よりブリッジへ!! 本艦周辺に、多数の潜水艦が接近中です!!>
「潜水艦? バカな、この時期、この海域に他国の潜水艦など居る訳が……」
「どこの国の潜水艦なの? 国籍の特定は出来るかしら?」
<そ、それが……音紋を取ろうにも該当する艦種が存在せず……そもそもスクリュー音らしいものが殆ど聞こえないのです>
「……ふむ?」
「か、艦長!! 外を見てください!!」
ブリッジクルーの一人が、声を上げた。
彼女の指さす方向へと視線を動かすと、海面の隆起が見えた。それも一つや二つではなく、大和やトリトン号の周囲に、無数に。
やがて海を割って、巨大なものが姿を見せた。
古代より海の伝説に語られるUMA(未確認動物)シーサーペントかと思われたが……しかし、違っていた。
現れた巨大な影は、全てブランをそのまま大きくしたような姿をしていた。プレシオザウルスだ。間違いない。
図鑑の中でしか見られなかった筈の絶滅動物が、現実に生きて、次々に浮上してきていた。
「し、信じられない!! 艦長、プレシオザウルスですよ!! 夢じゃないですよね!! これ、夢じゃないですよね!!」
「こ、こうしちゃいられないわ!!」
興奮した副長が、伝声管を開いて全艦放送を掛けた。
<手の空いている者は前後左右どちらでも良いから見なさい!! 手が空いていなくても見なさい!! プレシオザウルスの群れよ!!>
「フィルムに撮っておきます!!」
「よろしい、許可するわ。艦内のフィルムを全て使い切っても構わない。撮れるだけの映像と写真を撮影するのよ。彼らを背景にしての記念写真を撮影しても良いわよ」
この指示を受けて、大和の艦内が「わっ」と湧いた。クルー達は我先にと甲板へと駆け出し、写真の撮影をそれでなくとも生きたプレシオザウルスを一目見ようと詰め掛けている。感極まって海に飛び込もうとする者さえ居たが、流石に危険なので他のクルーに止められていた。
ブルーマーメイド総旗艦のクルーとは到底思えないような狂態・乱痴気騒ぎではあるが……それも無理はあるまい。生きた首長竜を、しかも百匹単位で目の当たりにしたのだから。誰でも興奮し、忘我状態となるだろう。
それに、六花の指示も満更乗員へのサービスだけの為ではない。稀少海洋生物の保護というブルーマーメイドの任務に照らし合わせるのなら、ここで一枚でも多くの写真を撮って記録を残しておく事には、大きな意味がある。
これで、この海域にプレシオザウルスの生き残りが群生している事は確実になった。もしフランス政府がこれでもこの海域で核実験を強行したのなら、彼らは稀少などという言葉では到底言い表せない恐竜の生き残りが生息している事を承知の上で、彼らが本当に絶滅しても構わないと世界中にその行動で表明した事になる。
そんな喧噪からやや離れた位置に居る者が一人。
四海だった。名残惜しそうに、ブランの体を撫でている。
六花にも、他ならぬ彼女自身が話していた事だった。ブランが、どんなに学術的に価値のある研究資料だろうと自分は彼を水族館で見世物にするつもりも、研究所のプールで一生を終えさせるつもりも無い。大きくなったら、必ず海へ還してやるのだと。
本当なら、魚を獲れるようになるぐらいまでは自分の手で育てたかった。
思っていたよりも少し早かったが……その時が、訪れたのだ。
四海の肩に手が置かれた。六花だ。
無言で自分を見る笑顔に、四海は頷いて返す。
二人はタラップを降りると、ゴムボートに乗り換えて海へ出た。
集まったプレシオザウルス達の中の、取り分け大きな一匹が何かを語りかけるように首を伸ばしてくる。同じように四海に抱えられたブランも、まだ彼らとは比べものにならない小さな体を精一杯使って、首を伸ばす。
四海は、そっとブランを海へと放した。
ブランはすうっと海中を泳いでいって……そして海面に顔を出して、群れと、そして四海とを代わる代わる見やる。
まるで、どちらの側に行くかを決めかねているかのように。
「ブ……」
四海が名前を言い掛けて……止めた。
最初から、分かっていた事だった。
いつか必ず来る日が、今、来たのだ。それだけの事だ。
四海はそれ以上は何も言わず、ぷいっとブランに背を向けた。
六花も、同じように無言でボートを大和へと戻す。
ブランは、視線を四海から群れへと動かして……そして、群れの方へ向かって泳ぎ始めた。彼が、本来居るべき所へと。
「……!!」
四海が、ばっと振り返る。その時だった。
海面に、ブランが飛び出した。
上り始めた太陽を背景に、濡れてきらめく姿。
それが、四海がブランを見た最後だった。
そして、七十余年を経て後も、彼女の目に焼き付き続ける姿だった。