ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結) 作:ファルメール
「ママ、発見しました。音紋照合……晴風です」
クリムゾンオルカのブリッジで、ヘッドホンを指で叩きながらリケが報告する。
「ビンゴ」
キャプテンシートに座るビッグママがぱちんと指を鳴らした。
「……予想通り……ですね、ママ」
と、ナイン。ビッグママも頷く。真雪校長から提供されたデータの中には晴風が逃走した方角と、訓練航海の全予定も含まれていた。このコースだと、晴風は第二合流地点として設定されている鳥島沖へと向かっていると推測される。逃走した晴風は位置情報やビーコンは勿論、個人用の通信機器も全て切ってしまっていて正確な位置が掴めない。故に手元にあるデータから進路を予測するしかなかったが……どうやら、当たりのようだった。
「しかし……当初予定された合流地点に向かっているって事はやはり反乱行為ってのは何かの間違いなのかしら?」
呟きつつロックはキーボードを叩くと、メインモニターに表示されたクリムゾンオルカを中心とした海図に晴風の現在位置を表示する。
「さてね……まずはそれを確認する所からが、あたし達の任務だ。いつも教えてるだろ? 思い込みは重大な危機を招くよ」
「はい!!」
「レッスン3ね」
「自分の眼と耳と、勘だけを信用しろ……ですよね、ママ」
「そういう事さ、ナイン」
晴風は依然進路・速度を変えずに航行中。未だこちらには気付いていない。
「しかし……反乱の意思の有無を確認すると言ってもどうやって?」
「簡単だよ、晴風を停船させてこっちから乗り込む。その上で、向こうのクルーと面と向かって話をするのさ」
「まぁ……それが一番手っ取り早いか」
「あのミケちゃんが反乱なんて99.9パーセントまで何かの間違いだと思うけど……」
「でも0.1パーセントの可能性が残っている。だからまずはそれを検証する……ですよね、ママ」
「そういうことだよ。総員戦闘配置!! 推進機関をプロペラから『レッドオクトーバー』に切り替え!! 一番二番魚雷発射準備!! 自動追尾プログラムは晴風のエンジン音にセットしな!! まずは最悪のケース……晴風が本当に反乱していると想定して、事に当たるよ」
「……?」
晴風の水測員兼ラッパ手である万里小路楓は、ヘッドホンから聞こえてくる音に僅かな違和感を覚えて音量を調整した。今までの訓練では聞いた事の無い音だ。鯨の声や海底を動くマグマの音かとも思ったが、どれとも違う。念の為登録されているあらゆる洋上艦・潜水艦の音紋とも照合したが、一致する艦艇は存在しなかった。
「艦長、後方の海中で何か妙な音が聞こえる……気がします。少しだけ、速度を落としていただけませんでしょうか?」
艦橋からの返事はすぐに来た。
<分かった。まろんちゃん、微速まで落として>
<合点でい!!>
速度が落ちた事でソナーの性能がより発揮できる状態となり、楓はこれまで以上に全神経を聴覚へと集中させる。
「……?」
やはり、何か違和感がある。何がどうとは説明できないが……何か、何かが妙だ。
+
+
「ママ、晴風の速度が落ちました」
クリムゾンオルカのブリッジではリケからの報告を受けて、ビッグママは「ほう」と感心した表情になっていた。
「乗員は全て入学したばかりの学生の筈だけど……少なくとも水測の子はとても優秀だね」
これは明らかに、何か妙な音が聞こえるから速力を落としてソナーの効力を高め、海中の様子を深く探ろうという動きだ。
「この艦が『レッドオクトーバー』を使っている今の状態で「妙だな」と感づけただけでも大したものだよ」
賞賛の言葉はそこまでだった。
「だが……ちょいと遅かったね。既に射程距離に入ってるよ!! 探信音撃て!! 同時に推進機関を再びプロペラに切り替え!! 浮上開始!!」
「「「アイマム!!」」」
+
+
晴風艦内にカーンと、独特の音が鳴り響いた。
「探信音波!?」
艦橋の全員が一瞬顔を見合わせてフリーズする中で、副長・宗谷ましろはいち早く我に返ると水測室へ通信を繋いだ。
「ソナー、今の探信音は何だ!?」
<後方距離1500、深度100の海中に潜水艦!! 浮上してきます!!>
「1500!? そんな距離に近付かれるまで気付かなかったのか!?」
<そ、それが……今の今までエンジン音もキャビテーションも無くいきなり現れまして……>
「そんなバカな……い、いやそれより拙いですよ艦長。後ろを取られてしかも探信音を撃ってきたという事は……」
「うん」
艦長・岬明乃も厳しい顔で頷く。学生とは言え名門である横須賀女子海洋学校の門をくぐる事を許された身である。今の状況は理解している。
演習に於いて潜水艦が洋上艦をロックして撃沈できるぞと合図する時、魚雷の代わりに探信音を使用する。つまりこの探信音を撃ってきたのがどこの潜水艦にせよ、その艦が本気なら晴風は既に撃沈されているという事だ。これはチェスや将棋で言えば王手詰み(チェックメイト)を宣言されたに等しい。
今、やるべき事は……
「まりこうじさん、浮上中の潜水艦、艦種分かる?」
<は、はい!! 音紋照合……これは……クリムゾンオルカです!!>
「クリムゾンオルカ……って……ココちゃん!!」
記録員兼書記の納沙幸子を振り返る明乃。幸子は頷くと手にしたタブレットを素早く操作して、呼び出したデータを読み上げていく。
「クリムゾンオルカ……伊201型潜水艦をベースとして独自の改造が施されたカスタム艦で、詳細なデータは公式の記録に存在しません。クリムゾンオルカ制度が制定された時、最初にそれに登録された七つの組織の一つ「ビッグママ海賊団」が保有する潜水艦で、同制度の名前の由来ともなったフラッグシップ……そして現存する唯一のクリムゾンオルカ所属艦です」
「!! ビッグママ海賊団……!!」
幸子の報告が終わるのと前後して、再び探信音が今度は激しく何度も発信されてくる。
<艦長、これはモールスです!!>
「まりこうじさん、解読できる?」
<は、はい!!>
”クリムゾンオルカ所属ビッグママ海賊団「クリムゾンオルカ」より航洋艦「晴風」へ。現在貴艦には反乱逃亡の容疑が掛けられている。本艦の魚雷管には既に晴風のデータをインプットした魚雷が装填され発射準備を完了している。晴風に戦闘の意思が無いと言うのなら、速やかに機関停止してこの場に停船せよ。その場合は、晴風全乗員の身の安全は保証する。言うまでもないがそれ以外の行動を取る気配が見えた場合は即座に魚雷を発射・撃沈する”
解読したモールスの内容は、以上のようなものだった。
「どうしますか艦長……状況は本艦が圧倒的に不利……と言うよりも殆ど死刑宣告されたようなものですが……」
「この状況じゃこっちが撃つ前にあっちから撃たれるよね……」
トリガーハッピーの気がある水雷長・西崎芽依も流石にこの状況では気弱な発言が飛び出した。
これを受けて、明乃の判断は……
「……まろんちゃん、機関停止!! 現海域で完全停船して!!」
<りょ、了解……>
「……確かに、現状執り得る選択肢はそれしかないだろうが……信用できるのか? いくら立場上は国家に帰属しているとは言え、相手は海賊だぞ? 約束を守るかどうか……」
「大丈夫!!」
ましろの危惧に、明乃は自信たっぷりに返す。
「向こうの艦長……ママさんの事は知ってるの。ママさんは嘘吐く人じゃないよ」
+
+
「ママ、晴風が停止しました」
「素直に停まるって事は……やはり反乱は何かの間違いだったのかしら? それとも単純に観念しただけなのか……」
「それをこれから確認しに行く……ですよね、ママ」
ナインの言葉を受け、ビッグママは頷いてシートから立ち上がった。
「浮上後すぐに出るよ、あたしのスキッパーを用意しな!! ナイン、あんたはあたしに同行、リケとロックは留守番を頼むよ。もしあたし達の身に何かあったと判断したら、その時は躊躇せずどてっ腹に魚雷をぶち込むんだ!!」
こうして、ビッグママとナインが晴風へと乗り込んできた。専用のスキッパーを横付けして、甲板に上がった二人を出迎えたのは明乃とましろであった。
「ママさん」
「ああ、ミケ……しばらく会わない内に大きくなったものだねぇ……抱っこしてやったのがついこないだのように思えるよ」
そう言ったビッグママは明乃の両脇に手を入れると、ひょいっと持ち上げて抱っこしてしまう。ここだけ見ると完全に久し振りに会ったおばあちゃんと孫の構図である。
「艦長はミス・ビッグママとお知り合いなのですか?」
と、ましろ。確かに明乃は、ビッグママについて何か知っている口振りだった。
「うん、ママさんは私が昔お世話になった施設の経営者で、子供の頃から色々良くしてもらったんだよ」
「お前さんは……」
「申し遅れました、晴風副長・宗谷ましろです」
「ん? ああ、ああ。そうかシロちゃんだね。そうかそうか、あのシロちゃんか。一瞬分からなかったよ。ミケもそうだが、すっかり大きくなったものだね……時が経つのは早いものだよ」
合点が行ったという顔で眼を細め、にっこり笑うビッグママ。この物言いを受け、ましろは首を傾げる。まるで以前に会った事があるかのような口振りだが、彼女は覚えがなかった。
「……失礼ですが、どこかでお会いしましたでしょうか?」
「ああ、シロちゃんは覚えていないだろうね。昔……あんたが赤ん坊の頃に何度か会った事があるだけだからね」
そう言ったビッグママは懐からスマートフォンを取り出し、保存してあった写真が表示された状態にするとましろへと渡す。明乃もましろの肩越しに表示された写真を覗き込んだ。
「これは……」
そこには、今より幾分年若いビッグママが赤ん坊を抱いていて、その周りにはブルーマーメイドの制服を着た女性と、女の子が二人写っていた。
「可愛い。この赤ちゃんがシロちゃん?」
「え、ええ……一緒に写っているのが母と姉達で……母とお知り合いなのですか?」
「ユキちゃんと……って言うよりも宗谷家と、って言う方が正しいかね。あたしはシロちゃんのひいおばあちゃんが艦長を務めていた艦のクルーで、おばあちゃんの先輩で、ユキちゃん……シロちゃんのお母さんだけど、その教官を務めていたんだよ」
「ほえー……ママさんって、凄い人だったんですね」
「そ、曾祖母のクルー……」
純粋に感心したという顔の明乃に対して、ましろは圧倒されたという感じだ。彼女の実家である宗谷家は代々ブルーマーメイドを輩出する家柄であり、曾祖母と言えばブルーマーメイドの初代艦長を務めた伝説的人物である。目の前の老婆がそのクルーだとは……歴史の生き字引のような存在が眼前に立っているのだと理解して、彼女は思わず唾を呑んだ。
「さて、昔話はこれぐらいにして……あたし達がどうしてやって来たのかを説明しなくちゃならないね」
ビッグママはましろからスマートフォンを受け取ると、今度はビデオのアプリを立ち上げた。真雪校長との通信記録が再生される。
<正直……入学したばかりの学生が初航海でいきなり反乱したなど……私には信じられません。何かの事故や偶然が重なった結果である可能性も十分にあると思っています。だからクリムゾンオルカには他に先んじて事態の究明に動いてもらいたいと……>
「校長先生」
「お母さん……」
艦長副長共に表情が眼に見えて明るくなった。これは当然の反応と言える。何かの行き違いから反乱艦扱いされて逃亡者となって精神的に追い詰められていた所に、校長は自分達を信じているという情報が入ってきたのである。嬉しさも一入というヤツだ。
「聞いての通り、あたしらはユキちゃんから依頼を受けてあんた達を保護する為に来たんだ。学生艦やブルーマーメイドを動かすにしても、まずは晴風反乱の情報を流している海上安全整備局の連中を説得・牽制しなくてはならないからね」
「そこでいち早く事態に対応する為、フットワークの軽い俺達クリムゾンオルカに依頼が来た……ですよね、ママ」
「そういう事だね」
「キュウさん!!」
「久し振りだな、ミケちゃん。今じゃ艦長か。立派になって」
「艦長、こちらの方は……」
「あたしの艦のクルーで、コードネームは『スレイヴ9』。あたしらはナインって呼んでるがね」
「成る程、ナインだからキュウさんですか……」
「他に二人、ガリガリの『サークル・リケ』ってのとオカマみたいな『Te:Rock』が居る。あたしらはそれぞれリケとロックって呼んでる。後でまた紹介するよ」
「事情は分かりましたが……ならば何故、最初に探信音を撃ったり魚雷を撃つと言ってきたのですか? 一歩間違えば晴風と戦闘になっていた可能性も……」
ましろの疑問も尤もである。これにはビッグママが答えた。
「低くはあるけど、晴風が本当に反乱した可能性もあったからね。まずはこっちが圧倒的有利な状況を作って、無理矢理にでも話し合いのテーブルに着かせる必要があったからさ」
「むう……」
感情面で完全に納得はしていないが、理屈は分かったのでましろは矛先を納め、話題の切り替えに掛かる。
「それで今後の方針ですが……」
空気が変わろうとしているのを読み取って、ビッグママ達も表情を変えた。
「ああ、既に晴風が反乱したって情報は流れてしまっているから……あたしらが晴風を拿捕したって事にする。それで学校側に引き渡す為に横須賀まで連れて行くというシナリオさね」
「成る程」
頷くましろ。反乱艦という事になっている晴風だが、クリムゾンオルカとぴたりランデブーなら攻撃を受ける可能性も減るだろう。
「……で、だ。あんたらの保護ともう一つ、事態の究明もあたしらが受けた依頼に含まれている訳だが……猿島とランデブーした時に何が起こったのか……聞かせてもらえるかね?」
+
+
このようにして事情聴取が始まった訳だが、明乃とましろの口から語られたのは耳を疑うような内容だった。
「……つまりこういう事かい? 遅刻して西之島新島沖に着いたらいきなり猿島に砲撃された。釈明しようとしたが無線は応答が無く、手旗信号を送っても代わりに実弾が飛んでくる。それで艦と乗員の安全の為、やむを得ず演習用の模擬弾を発射、猿島に命中した隙に離脱したと……」
ビッグママとナインは顔を見合わせる。二人とも信じられないという表情だ。無理も無いが。
「……ミケ、あんたの事は信じてるが確認は必要だ。本当に本当なんだね?」
「はい、本当なんです。信じて下さい!!」
「艦長の証言に、間違いはありません」
目線でビッグママから補足を求められ、ましろが答える。「ふむ」と腕組みするビッグママ。
「あたしもかれこれ70年近く船に乗ってるが、学生艦相手に遅刻程度でしかも警告も無しに実弾をぶっ放すなんて話は聞いた事がない。何か……尋常じゃない事態が起こっていると考えるべきか……」
「気になる事はもう一つ。模擬弾一発が当たったくらいで、教官艦が沈んだ事もだ。乗員全員がサボタージュしてダメージコントロールを怠りでもしない限り、そんな事態は避けられた筈なのに……ですよねママ」
「…………」
冗談を交えつついつもの調子でビッグママに同意を求めるナインだったが、当のビッグママは相槌を打たずにぽかんと口を開けたままだった。
「……ママ?」
「……ナイン、今何て言った?」
「はっ?」
「だから、今何て言ったかって聞いてんのさ!!」
凄みながら尋ねるビッグママ。ナインは思わず数歩後退った。
「模擬弾一発で教官艦が沈んだのが……」
「違う、その後!!」
「……乗員全員がサボタージュしてダメージコントロールを怠りでもしない限り……」
「…………それ、あるかも知れないよ?」
「へっ?」
「ママさん、いくらなんでもそれは……突拍子もなさ過ぎるんじゃ」
「そうです、乗員全員がサボタージュって一体全体どういう状況ですかそれは」
突拍子も無いビッグママの推理に、ナイン・明乃・ましろの全員が「ありえない」という顔になるが……当のビッグママは真剣な表情で考え込んでいた。
「突拍子もない、ありえないって言うならそれこそ遅刻程度で教官艦が撃ってくる時点で”ありえない”だろ? しかも使われたのは実弾……もし晴風に命中していたら死人が出ていてもおかしくなかった。これは演習とか懲罰で片付けられる域を遥かに逸脱してる。仮に艦長がそんな命令を下したとしても、あたしが副長だったらまず艦長が精神錯乱を起こしたと思って、力尽くでも指揮権を剥奪して艦長室に閉じ込めるよ? ミケ、シロちゃん、お前達はどうだい? 仮に二人が猿島のブリッジクルーだったとして、いきなり遅刻してきた晴風を実弾で撃てと言われて、はい分かりましたと撃つかい?」
晴風の艦長副長は顔を見合わせて……答えはすぐに出た。
「いえ……それは撃たないと思います。いくら何でもやり過ぎだって、艦長を止めると思います」
「……それについては私も同意見です。少なくとも、まずは晴風と通信を繋いで状況を確認しようとするでしょう」
「だろうねぇ。だがもしその時、猿島の乗員が丸ごと正気を失っていたとしたら? サボタージュでないにしても、例えば極度の興奮状態で眼に映るもの全てが敵というような状態で、正常な判断力を失っていたとしたら? それなら……問答無用で撃ってきた事も、模擬弾で沈没した事も説明が付く」
これがこの一件に対する、ビッグママの推理だった。
「……ありえない」
ましろの反応は、至極真っ当なものだった。百歩譲って仮に猿島艦内がそんな状況だったとして、何が原因でそうなったと言うのだ? 全てが荒唐無稽に過ぎる。
「ああ、あたしもそう思うよ」
推理したビッグママ本人もそれは自覚している事だった。苦笑して応じる。
「けど、長いことブルーマーメイドやクリムゾンオルカをやってると、あらゆる可能性について考えるのがクセになってしまってね」
「そうか……レッスン4ですよね、ママさん!!」
「あ……」
明乃がぽんと手を叩いてそう言った。お株を奪われたナインは、少し悔しそうな顔になった。
「ミス・ビッグママ……レッスン4……とは?」
「先入観を捨てろ。ありえないなんて事はありえない。実戦では何が起こっても不思議じゃない。そして何でも後から意味が付けられる……って事さ」