ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結) 作:ファルメール
その1
「そう言えば、一つお聞きしたかったのですが」
切っ掛けは、ましろのそんな一言だった。
「ん? どうしたね、シロちゃん」
晴風の食堂。
大きなマグカップ片手に、マジックハンド型義手で器用にスコーンを摘まんだビッグママが隻眼を向けてくる。
「ミス・ビッグママと曾祖母は……どんな風に出会われたのですか?」
ましろのこの質問を聞いて、食堂に集まっていた晴風クルー達の間にざわめきが広がった。
ビッグママこと潮崎四海は、現役最古参の船乗りにしてブルーマーメイド初代艦長のクルーでもあった伝説的人物である。
しかし、そのビッグママはどんな風に宗谷艦長と出会い、どんな任務に従事したのか? そうした事は今まで語られなかった。年若いブルーマーメイドの候補生としては、老練な大艦長の冒険譚・武勇伝の一つも聞きたいというのは自然な反応ではあるだろう。
「あ、それなら私も聞きたい!! ママさんが最初の艦長になった時って、どんな風だったんですか?」
「じゃあ私は……ママさんがその暗号名(コード・ネーム)……ビッグママって名乗り始めた時の事を聞きたいです」
芽依と幸子それぞれの申し出を受け、ビッグママはマグカップの中身を一息で空にすると、にんまりと笑う。80年以上も生きているにしては信じられないぐらいに子供っぽい、柔和で無邪気な笑顔だった。
「おいおい皆……そのように一遍に話されてはアドミラル・オーマーも困られて……」
「いや、良いさ……ミーナ……」
3個のスコーンを大きな口に放り込んで、むしゃむしゃしてゴクリと嚥下するとビッグママは座り直す。
「シロちゃん、メイちゃん、ココちゃん……話してあげよう。あんた達の望む話を」
潮崎四海が宗谷艦長と初めて出会った時の話。
潮崎四海が最初に艦長となった時の話。
潮崎四海が、ビッグママになった時の話。
その、物語を。
遠くを眺める時のように、ビッグママの隻眼が細められる。
「あれは……そう、今から……70年以上も前の話だ……あたしが、十歳の時……」
パゴパゴ島。
この日、フィージー共和国を構成する群島の一つであるこの島に訪れた定期船から、一人の日本人女性が降り立った。
年の頃は40を過ぎたぐらいだろうか。女性にしてはとても長身で、170センチは軽く超えているだろう。黒い瞳は彼女が内包する強靱な意志を反映しているかのように鋭い。美しい黒髪は流れるようで、腰までの長さがある。
彼女が海を主な活動圏とする人間である事は、真っ黒に日焼けした肌を見れば明らかだ。
一目見て、彼女の肉体は屈強な海の男と格闘戦をやらかしても決して引けを取る事はないでろうほどに鍛え抜かれているのが分かる。それに何かの武術の心得もあるのかも知れない。歩く姿には、体幹のブレが全く無い。
そしてその完璧な肉体を包んでいる白と青を基調とした衣装は世界中の女子の羨望の的である「ブルーマーメイド」の制服である。
総じて女性美と人間美を両立したような完璧な美しさを持った女性だった。
彼女は、道行く島の住人達に完璧なフィジー語で何度か同じ質問をすると、やがて目的地を見定めたのだろう。しっかりとした足取りで歩き始める。
そう広くもないこの島で、目当ての場所に辿り着くまでそう時間は掛からなかった。
ニッパ椰子で葺かれた簡素な作りの、この島では珍しくもない家だ。海に面していて、桟橋が延びている。
当然ながらそんな作りの家に呼び鈴などある訳もなく。
「ごめんください。どなたかおいでですか?」
フィジー語でそう尋ねると、家の中から「どうぞ、勝手にお入りよ」と、こちらも同じくフィジー語でしわがれた声が返ってきた。
「失礼します」
一礼して入室すると、目を引くのは一面の本だった。
壁沿いにずらりと並べられた大きな本棚にはギッチリと海洋学や民俗学の専門書が敷き詰められていて、床にも胸の高さにまで達する本の山がいくつも出来上がっていて足の踏み場も無い。いや、辛うじて足の踏み場はあるものの、それらは小島のように転々としていて、女性は飛び石を渡るように室内を移動せねばならなかった。
室内には幾本もの紐が張り巡らされていて、そこには部屋干しの洗濯物のように、無数のメモが洗濯バサミで止められていた。
メモの内容は女性には分からないものも多いが、分かるものも幾つかはあった。海洋生物の生態に関する研究資料のようだった。
部屋の中央には、揺り椅子に腰掛けた白髪の老婆がいた。
肌は強い日差しで焼けていて分かりにくいが、顔の造形には日本人の特徴がある。
ブルーマーメイドのその女性は、彼女が自分の探し人であると確信する。
「潮崎博士ですね? 私は……」
名刺を取り出そうとして、老婆に「ああ、ああ」と制される。
「この島に日本人のお客さんとは珍しい。観光かね? それで、土産話にこの島の昔話をと……」
「いや、私は……」
「まず、この島の伝承として代表的なものは海の守り神が……」
「潮崎博士!!」
女性が少し強い口調になって、老婆はぴくりと体を竦ませたようだった。
「残念ながら私はこの島の伝説を聞く為に来た訳ではないのです……」
「しかし、それでは……」
老婆は、戸惑ったように視線を揺らがせる。
ブルーマーメイドの女性は、手にした鞄から一枚のプリントを取り出した。
「潮崎四海……二年前から海洋生物や民俗学について刺激的な論文を幾つも発表するも……学会からの評価は……はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児……と、まぁ……散々な言われようですね……」
女性は鞄の中から、今度は少し分厚い書類の束を取り出した。
「実は、あなたが一月前に発表されたこの論文について……お話を伺いたいのですが」
「……」
老婆は、それを聞いて神妙な顔つきになった。のっそりと揺り椅子から立ち上がる。
「付いておいで」
「は、はぁ……」
言われるままに女性は老婆の後を付いて進み……
二人は桟橋に出た。
足下の海は透明度が高く、泳ぐ魚や水底までもくっきりと見える。
「よつみ!! よーつみー!!」
海に向けて、老婆が大声で怒鳴る。
その声は海に響いてやがて聞こえなくなる。
「……?」
意図を掴みかねたように、女性はキョロキョロと周囲を見渡す。
しばらくして、ざばっと近くの海面に水飛沫が上がった。
そして海を割って背びれが姿を見せて、まっすぐこちらへと向かってくる。
「サメ……? いや……」
凄いスピードで近づいてくるその背びれが、桟橋まで5メートルにまで迫った時だった。
ざばあっ!!
水飛沫が上がって、全体が水上に姿を現す。
サメではない。
大きく海面から飛び跳ねて、桟橋の遙か上を飛んでいくのはシャチだった。
そしてそのシャチのジャンプがアーチの頂点に達した時、
「でいっ!!」
可愛らしい声が響いて、小さな人影が飛び出してきた。恐らくは、シャチの背中に乗っていたのだろう。
その人影は、空中で見事に一回転すると両膝と左手を使って桟橋に見事な三点着地を決めた。
そうして、すくっと立ち上がる。
年齢は顔立ちから推定して十歳ぐらいだろうか。身長は150センチあるかないか。この年頃の少女としてはかなり高い部類に入る。肌は、女性がここに来るまでに出会った島の住人達よりずっと日焼けして真っ黒になっていて、長い黒髪をポニーテールに結っていた。
ほっそりとした体にフィットした水着姿で、腰には魚籠を付けて右手に持った銛には仕留めたばかりなのだろう、先端に刺さった魚がじたばたと動いていた。
「ふうっ」
少女は大きく息を吐くと、水中ゴーグルを外して頭を振る。海水の飛沫が飛び散って、陽光を反射してきらきらと輝いた。
「四海、あんたにお客さんだ」
「……それでは、おばあさん、あなたは……」
「あたしは身代わりだよ。”潮崎博士”を訪ねてきた相手に、適当な土産話を聞かせて帰ってもらう為のね。仮にも博士の正体が、こんな子供じゃまずいだろう?」
ブルーマーメイドの女性は、丸くした目を二三度しばたいた。
「……では、あなたが?」
「ええ、そうです」
日本語で、少女は返事する。
「私が四海。潮崎四海です」
魚が刺さったままの銛を置き、手を差し出す四海。
その手を、ブルーマーメイドの女性は握り返した。
「四海ちゃん……いえ、潮崎博士……私は六花。宗谷六花です」