ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

20 / 34
VOYAGE:20 帰ってきた女、ビッグママの艦隊

 

 RATtに操られた学生艦は、残るは武蔵一隻。

 

 しかしクリムゾンオルカの方も、残された攻撃力は魚雷が一本のみ。

 

 他の艦に行ったようにスクリューを破壊して航行能力を奪う戦法を実行するには、最低でも2本の魚雷が必要となる。かと言って通常炸薬を装填した魚雷を使おうにも、駆逐艦ならばいざ知らず武蔵ほどの大型艦では一発程度では大きなダメージとはならないだろう。

 

 となれば晴風に期待したい所ではあるが、単純な火力勝負では武蔵と晴風とでは話にならない。如何に広域に散布されたチャフによって艦砲射撃の精度が低下していると言っても『下手な鉄砲数打ちゃ当たる』の言葉もある。当たるのが十発中の一発でも、その一発が装甲の薄い晴風には致命的である。

 

 よってこれ以降の作戦は晴風メインに切り替えるとしても、援護は絶対に必要となる。しかし援護しようにも、クリムゾンオルカには魚雷が一発のみ。

 

 詰み、と言える。

 

「どうしますか、ママ?」

 

「そうだねぇ……」

 

 リケの言葉を受け、ビッグママはたぷたぷしたお腹を揉みほぐした。

 

『残念ながら残った攻撃力では、武蔵を完全に止める事は不可能。ここは武蔵を完全に止める事は諦めて、足止めや時間稼ぎに作戦を切り替えるべきか……?』

 

「ママ、ここは最後の一発で武蔵のスクリューの片方を破壊して航行能力を低下させるべきかと」

 

 ナインの意見も尤もだと、頷くビッグママ。自分の考えとも一致している。

 

 少なくとも武蔵以外の学生艦を行動不能に陥れる事は出来たし、十分な時間稼ぎは果たした。

 

 この先の海域には真雪校長が動かす戦艦形態へとシフトした横須賀女子海洋学校が控えている。

 

 相手が艦隊であれば抜かれる危険性も高いが、武蔵一隻ならば止められる目は十分ある。ならばここは武蔵のパフォーマンスを低下させて、真雪の負担を軽くしておくのが現実的な対応であろう。最善が実現不可能であれば、次善に切り替える事こそが結局は最善の一手であろう。

 

「ふむ……」

 

 ビッグママは一度、懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。

 

「……一応手は打っていたが……間に合わなかったかねぇ……とは言え、来るかどうか不確かなものを当てにする訳にも行かないか」

 

 ふう、と溜息を一つ。その後でぱちんと懐中時計の蓋を閉じた。

 

「よし。ロック、最後の魚雷を1番発射管に装填しな。狙いは武蔵の左舷スクリューだ。真っ直ぐ走れなくしてやる」

 

「了解、ママ」

 

 艦長の指示を受け、ロックは滑らかな手付きで計器を操作していく。それと連動して、機械音が艦の前部から伝わってくる。

 

 クリムゾンオルカの魚雷装填は油圧を利用したオートマチックによって行われる。そのスピードは他のどんな艦と比べても10秒は早いだろう。ほどなくして発射準備が完了した。

 

「ママ、魚雷の発射準備完了。データのインプットも終了しています」

 

「よし、発っ……」

 

「待って下さい、ママ!!」

 

 しかし発射命令を出そうとした一秒前に、リケの報告が入った。

 

「どうした!?」

 

「ソナー、後方に感あり!! 艦数6!! 艦隊が接近中です!!」

 

「ママ、これは……」

 

 振り返ったロックの視線を受けてビッグママはにんまりと、悪戯が上手く行った子供のような笑みを見せた。

 

「……どうやら、際どかったが間に合ったようだね。よし、浮上開始!! この戦い、これで勝った!!」

 

 

 

 同じものは、晴風のソナーでも捕捉されていた。

 

<後方から接近するエンジン音、数は6……速度や陣形はバラバラですが……洋上艦・潜水艦が接近中です!!>

 

 水測室の楓に続き、見張り台のマチコからも報告が入ってくる。

 

<まず……一番先頭を航行しているのはフランスの軽巡洋艦、エミール・ベルタンです!!>

 

「エミール・ベルタン!!」

 

「フランスの学生艦です!!」

 

 幸子がタブレットのデータを参照し、報告してくる。

 

<続いて……ロシア国籍グネフヌイ級駆逐艦・リョーフキイ!! アメリカのバージニア級戦艦・ニュージャージー!! 中国の軽巡洋艦・逸仙!! イギリス、アドミラルティⅤ級・ヴァンパイアも!! それに、東舞校の潜水艦、伊201も深度20を航行しつつ接近中です!!>

 

「全て……各国のブルーマーメイド・ホワイトドルフィン候補生の為に使われている学生艦です!!」

 

「し、しかし……どうして世界各国の学生艦がこのタイミングで集まってくるんだ?」

 

 ましろの疑問も当然だが……それにはミーナが答えた。

 

「それは簡単じゃ。誰かが、各国のブルーマーメイド・ホワイトドルフィンの養成校に連絡して援軍を要請したのじゃろ」

 

「援軍要請って誰が……あ!!」

 

 口にしかけた疑問を、しかし言い終える前にましろは理解する。

 

 世界各国のブルーマーメイド・ホワイトドルフィンに連絡を取って動かせるほどの人物などそうはいない。

 

 ましてこのRATt事件に関与している中でそのようなパワーを持った大物など、一人しか居ない。そう言えば彼女は、世界中に教え子が居ると言っていた。

 

「ママさんが……」

 

「だとすれば……」

 

 そう、だとすれば。この艦隊がビッグママが呼び寄せたものだとすれば、その目的は決まっている。

 

 エミール・ベルタン、リョーフキイの艦砲が動き、発砲。その先にあったのは……武蔵。直撃弾は無いが、周囲に水柱が上がる。

 

 これではっきりした。この場に集結した世界各国の学生艦は、RATt艦隊の上陸阻止及び晴風・クリムゾンオルカの援護の為に駆け付けたのだと。

 

「しかし……RATt艦隊の目的地が日本だと分かってから連絡を取っていたのでは間に合わなかった筈……つまり、アドミラル・オーマーはかなり前の段階からこの援軍を手配されていたのじゃ」

 

「そこまで読んでいたなんて……やっぱりママさんは凄いね……」

 

 畏敬の念を込めた声で、明乃が呟く。そして表情には隠し切れない喜びの色が滲み浮かんできていた。

 

 武蔵の上陸阻止は、晴風とクリムゾンオルカだけでは難しいと思っていたが……しかしこれなら、いける!!

 

 明乃は興奮気味に、伝声管の蓋を開けた。

 

「のまさん!! 各国の学生艦に連絡を!! これより晴風は武蔵に乗り込みます!! 援護求むと!!」

 

<了解!!>

 

 見張り台から気持ちの良い返事が返ってきた。

 

 確かに、これで戦力比は作戦開始当初2対5だったのが8対1になった。掛け値無しにこちらに分があると見て良いが、ましろの表情は些か暗い。

 

「どうしたの、シロちゃん?」

 

「いえ……確かに戦力は整いましたが……しかし、集まった学生艦の足並みが揃うかどうか……」

 

 「あ」と、幸子が声を上げる。今までは援軍が来てくれた高揚と歓喜で気付かなかったが確かにそれは問題点である。

 

 世界各国から駆け付けてきた学生艦は、速度や陣形がバラバラである事から分かるように所属する国も命令系統も違う、悪い言い方をすれば烏合の衆である。6艦全ての足並みが揃わなければ、持ち得る能力を十全に発揮する事は出来ない。

 

 全艦がうまく連携した艦隊行動を取ってくれるのなら、確実に武蔵を足止め出来るだろうが……

 

 その時、再び見張り台から報告が入った。

 

<……待って下さい、学生艦の艦隊中央に海面隆起……クリムゾンオルカが浮上します!!>

 

「クリムゾンオルカ……ミス・ビッグママが……?」

 

 ましろが、信じられないとでも言いたげな表情になった。

 

 潜水艦は本来、姿を隠して行動する事が鉄則。作戦行動中にも関わらず浮上航行を行うなどそのセオリーから逸脱した愚行と言える。

 

 無論、それが分からないビッグママでもあるまい。と、すればこの行動にも何らかの意図があっての事なのだろう。

 

 ならば、その意図とは?

 

「決まってるよ、シロちゃん」

 

 

 

 同時刻、同じ状況が本土にある海洋安全整備局・安全監督室、本作戦の総指揮を執る真霜からもモニター出来ていた。

 

 そして遠く離れた場所に居る妹のそれと同じ懸念を、彼女も抱いていた。

 

『かなり早期の段階でこの事態までも想定し、援軍を手配していた手腕は見事の一言に尽きます。流石はおばさま……でも……』

 

 各国の学生艦が、ちゃんとした連携行動を取れるのだろうかと。

 

 その時、部下から報告が入る。

 

「近海を監視中の飛行船のカメラから映像が入りました!! モニターに映します!!」

 

 艦の現在位置を示す輝点と地形を映し出していたモニターの一部を切り取って、リアルタイム映像が表示される。

 

 武蔵へ向けて接近中の各国の学生艦、そしてその艦隊中央を航行するクリムゾンオルカ。

 

「……あれは……!!」

 

 真霜が、くわっと目を見開いた。

 

「画像、クリムゾンオルカの……艦橋部分を最大に拡大して!!」

 

「はい!!」

 

 オペレーターが返事と同時にキーボードを叩き、5秒と経たずにクリムゾンオルカの艦橋部分がアップになる。しかしまだ解像度の荒いドット絵のような画像である。だがそれも束の間、数秒と経たずに鮮明な映像へと差し替わっていく。

 

 そうしてクリムゾンオルカのブリッジが今、どうなっているのか。それがはっきり分かるようになった。

 

「あれは、やっぱり……!!」

 

 我知らず、真霜はぐっと拳を握っていた。

 

「帰ってきた……」

 

「は?」

 

 隣に座る部下は、まだ状況を把握出来ていないようだ。そんな彼女に、真霜はにいっと笑みを見せる。

 

「ブルーマーメイドの百年に渡る歴史の中で、たった一人だけ特例として特等監察官の地位を与えられた人……現役の船乗りの中で、ブルーマーメイド初代艦長のクルーであった最後の一人。潮崎四海……」

 

 今の浮上航行するクリムゾンオルカの艦橋には、ビッグママが姿を見せていた。

 

 その手には、旗が握られていた。

 

 ブルーマーメイドの紋章が描かれた旗が。

 

「最高のブルーマーメイドが、帰ってきた」

 

 

 

<艦長、各国連合艦隊に動きあり……速度が揃い、陣形が整い始めました……!!>

 

 晴風では、マチコからの報告が入っていた。

 

「艦長、これは……」

 

「うん!!」

 

 ましろ対し、明乃も頷く。

 

「ママさんが、やってくれたんだよ!!」

 

 

 

 クリムゾンオルカの艦橋。

 

 潮風を肌に感じつつ、ブルーマーメイドの旗を手にしたビッグママは周囲を航行中の各国学生艦をそれぞれ見渡していく。

 

「陸は海で……海は陸で繋がっている……みんな……よくぞ……よくぞ来てくれた……!!」

 

 これは先輩のブルーマーメイドとして、また教官として、彼女が後輩やブルーマーメイド・ホワイトドルフィンの候補生に教えていた事でもある。

 

 人生の大半を、海で生きてきた自分が至った境地。

 

 海は一つ、そして殆どの国へ繋がっている。だから一人の危機を万人の危機と捉え、その助けとなるべく力を尽くす事。遠い国の出来事を対岸の火事と思わず、自分に出来る事を全うする事。そうした”海からの視座”を持つ事が大切だと説いてきた。

 

 指導を受けた者の何人かは、今では真雪のように後進を指導する立場や各国のブルーマーメイド・ホワイトドルフィンで輝かしい地位に就いている。

 

 自分一人の力では、ここまでの戦力を集める事は出来なかったろう。これは彼等が自分の教えを忘れず、力を貸してくれたからこそ実現出来た奇跡と言って良い。

 

 じわっと目に浮かんできた涙を、老艦長はぐっと拭い去った。

 

<ママ、集結した全艦から発光信号による返信を確認。各艦共に、本艦の指揮下に入る事を同意しました!!>

 

「よーし、分かった。これより本艦は、6ヶ国学生艦連合艦隊の旗艦として、行動を開始する!!」

 

 風向きが変わって旗が翻り、ブルーマーメイドの紋章がはっきりと見えるようになった。

 

 今のクリムゾンオルカは単なる一潜水艦ではない。現役最古参にして最強のブルーマーメイドが指揮を執る、ホワイトドルフィン・ブルーマーメイドや国の垣根をも越えた、連合艦隊のフラッグシップであった。

 

「ロック、晴風に通信を。ココちゃんに言って、この一帯の海流データを送るように。あの子なら、色んなデータを収集してるだろ。あたしの手元にも一時間前のデータはあるが、最新情報を今一度知りたい」

 

<了解!!>

 

 ロックの返事から数分経って、ビッグママが手にするタブレット端末にメールが送られてきた。晴風の、幸子からだ。

 

 添付されていたファイルを開くと、この伊豆半島沖一帯の海図に、無数の矢印が描かれた画像が表示された。矢印は海流の流れを表示していて、しかも赤や青に色分けされている。これはそれぞれの海流の深度を表していた。

 

 ビッグママは「うむ」と頷く。

 

「良い仕事するねぇ。流石はココちゃんだ」

 

 晴風は入試で最底辺の成績を取った生徒が集められた艦だと芽依は言っていたが、やはり実際には一芸に秀でるなど尖った能力を持った子達を集めた特殊枠だったのだろう。これほどのデータを収集するだけではなく短時間でしかも分かり易く整理するなど、簡単に出来る事ではない。

 

 これで、作戦の成功率は更に上がった。

 

「よし!! エミール・ベルタンとニュージャージーは右、リョーフキイ、逸仙、ヴァンパイアは左翼へ!! 両側から武蔵に砲撃を浴びせ、針路3-1-0へ追い立てろ!! 伊201はこれより当艦が指定するポジションへ移動し、待機するよう発光信号で伝えるんだ!!」

 

<了解、ママ!!>

 

 クリムゾンオルカの潜望鏡のライトが点滅し、ビッグママの命令内容を各艦へと伝えていく。

 

 6隻の学生艦はそれぞれその指示通りに動き、5艦は左右へ別れる。伊201も露頂させていた潜望鏡を収納して、姿を消す。

 

 後方には旗艦であるクリムゾンオルカただ一隻が残される形となった。

 

 ビッグママは晴風に視線をやる。マチコが手旗信号で「援護求む」と連絡してきていた。

 

「ああ、了解だ。晴風に返信を。これより各艦で武蔵の動きを止める。晴風はそこを狙って武蔵に殴り込みを掛けろとね!!」

 

 

 

<……との、事です。艦長>

 

「了解、と返信して」

 

 マチコからの報告を受け、明乃はそう指示するとブリッジの全員へと向き直った。そして、マイクを取って艦全体に放送を掛ける。

 

「みんな、これから最も危険な操艦に入るよ!! ママさんがやってくれると言ったからには、必ず武蔵の足を止めてくれる!! 晴風は武蔵の砲撃を回避出来るギリギリの距離を保ちつつ、隙を見付けたらすかさず接近して接舷します!! 全員にこの航海の中で最高の能力の発揮を期待します!!」

 

「うむ!!」「了解!!」

 

「前進一杯!!」

 

<前進一杯でぃ!!>

 

 晴風も高速艦の性能を遺憾なく発揮し、こちらは武蔵のほぼ真後ろから接近を開始していく。

 

 先程とは違って、今は左右に5艦が展開しているので武蔵の標的もバラけていて、砲火も先程より弱まったのがはっきりと分かる。

 

「こ、これなら行けるかも……何とか、避けられます!!」

 

 涙を堪えつつも、鈴はしっかり舵を握って晴風の動きを制御していく。

 

<!! 各国の学生艦が、噴進弾を撃ちました!! 武蔵へと向かっていきます!!>

 

「!!」

 

 マチコの報告を受けた明乃が窓にへばりつくようにして見ると、確かに各艦から噴煙の軌跡が武蔵へ向けて飛んでいくのが見えた。

 

 それらの噴進弾は武蔵めがけて落ちていくのかと思われたが、実際には違っていた。

 

 全弾が武蔵のほぼ真上の空中へと達した瞬間、自爆。

 

 空間に、銀色に輝く紙片が撒き散らされる。

 

 先程のクリムゾンオルカの攻撃と同じ、チャフだ。

 

 チャフ(アルミ箔)が撒き散らされた空間内では電波が乱反射する。そしてRATtがウィルスに感染した生物に命令を下せる原理は、生体電流を応用した送受信によるもの。故に電波状況をジャミングする事で、RATt達及びその親玉であるボルジャーノンが生徒達を操る精度を低下させる事が出来るのだ。

 

 そしてチャフが散布された空間内へ、学生艦は次々に突入していく。

 

 この時代の艦船は高度に自動化されて最小限の人数でも動かせるようになっているので、それらの機能が麻痺してしまうと途端に艦のパフォーマンスが低下してしまう。

 

 特に武蔵の場合、当然ながらRATtに艦の計器は直接操作出来ないので生徒を操って艦の計器を操作させる訳だが、現在はチャフの大量散布によって『生徒を操る精度』と『計器の精度』、その双方が大幅に低下してしまっている。武蔵救出作戦の際、東舞校の教員艦に初弾を命中させた恐るべき射撃精度は見る影もない。

 

 闇雲に発射された砲弾は、全てまるで狙いのズレた海面に水柱を立てるだけに終わった。

 

 チャフによる影響は、当然ながら武蔵以外の艦も受ける。

 

 だが各国学生艦は、何の支障も無いかのように至近弾を連発して武蔵を追い立てている。

 

「これは……」

 

「恐らく、この場に集まった全ての艦には、アドミラル・オーマーから指導されたクルー達が乗っているのじゃろう」

 

 と、ミーナ。「我がシュペーのクルーも、正常であればあれぐらいは手動で出来るぞ」と付け加えた。

 

「確かに……今のあたし達でもあそこまでとは行かないにせよ、近いレベルの芸当は出来るからね」「Oui」

 

 と、これは芽依と志摩のコメントである。実際に先程まで晴風はチャフの影響下で、見事な操艦を見せている。各国の学生艦は短期コースの晴風クルーとは異なり完全な形でビッグママからの教導を修了しているので、チャフなど関係無いとばかりに艦を動かせているのだろう。

 

 左右両方からの砲撃を受け、何発かは直撃弾もあるがしかし弾頭が外されている事もあって武蔵は未だに健在。それどころかスピードを更に上げている。これはもう、多少の損害はやむを得ないから一刻も早く本土へ到着して勝利条件を達成してしまおうという動きだ。

 

 これは、拙いかも知れない。そう考えたましろが明乃に詰め寄った。

 

「艦長、どうしますか? 武蔵の勢いは止まりません。このままでは致命打が武蔵に入るよりも、この海域を抜けられる方が早いかも……今からでも接舷しますか?」

 

「いや……」

 

 ましろの意見を受け、明乃はこの時は明確に却下する。

 

「予定変更の作戦じゃ、武蔵を止める事は出来ない。ママさんは、ママさんなら必ずやってくれる。それを信じて!!」

 

「艦長……はい、分かりました」

 

 ましろもまだ完全に納得した訳ではないが、しかし今までのビッグママの実績に裏付けられた信頼が、明乃の意見を認めさせる。

 

「……頼みますよ、ミス・ビッグママ」

 

 

 

 クリムゾンオルカの艦橋で、ビッグママは双眼鏡を下ろした。

 

「やはり武蔵の針路は3-1-0。そう、本土へ上陸しようとすればそれが最短コースだからね」

 

 にたり。意地悪そうに、口角を上げる。

 

 左右両側から砲撃を加える事で、武蔵がそのコースを選択するように上手く誘導した。武蔵を操るボルジャーノンは状況が不利と見て勝利条件を達成する為、本土までの最短距離を自分が選択したかのように思っている事であろう。

 

 しかし実際には、ビッグママが指揮する学生艦艦隊の攻撃によって、それ以外の選択肢を封じられてそのコースへと誘導されていたのだ。

 

「そして……」

 

 ビッグママは今一度、手元のタブレットに視線を落とす。

 

 幸子から送られてきたデータによれば、海流は北西から南東へ向けて3ノット。

 

 これで作戦の達成条件は、全て整った。

 

「ロック、もう少ししたら武蔵の動きが不安定になる筈だ!! そこが、狙い時だ。一瞬も気を抜くな!!」

 

<イエス・マム!!>

 

 各国学生艦の砲撃を受けながらも武蔵は未だ航行を続けている。

 

 ビッグママは艦橋に据え付けられたヘッドホンを取ると、艦内のソナーと繋いだ。これでリケが聞いているのと同じ音が、彼女にも聞こえるようになる。

 

 爆発音や、各艦のエンジン音、破泡音と、様々な音が混然となって耳に入ってきた。

 

「そろそろか……」

 

 ビッグママがそう呟いた、まさにその瞬間だった。

 

 ガガガガガガガッ!!!!

 

 けたたましい金属音が響いてきて、思わずヘッドホンを放り投げた。

 

<マ、ママ!! 今のは……!!>

 

 リケも同じ音を聞いたのだろう。悲鳴じみた声が上がってきた。

 

 これを受けてビッグママは、見事なドヤ顔を見せる。

 

「これは名付けて、サソリの尾作戦だよ」

 

「サソリの尾……?」

 

「そう、洋上艦5艦による左右からの砲撃は、武蔵の針路を限定させてこちらの想定通りのコースを選択させる狙いもあったが、それ以上にネズ公共の意識を洋上へと向けさせ、海中をノーマークにさせる事にあったのさ」

 

 洋上には5艦が展開して晴風が後方から追尾、しかも左右の艦は絶え間なく砲撃を繰り出してきている状況。更に武蔵は一刻も早く本土へ上陸すべくエンジンを全開にしている。確かにこの状況では海中にまで注意が及ばなくても仕方無いし、仮に海中の動きに警戒していたとしても、海が掻き混ぜられているのでソナーが役に立たず、満足な情報は得られなかっただろう。

 

 ビッグママはその間隙を縫うようにして、伊201を動かしていたのだ。

 

 出していた指令の内容は、こうだ。

 

『海上で砲撃が始まったら全速力で指定されたポイントへ急行し、到着後はエンジンを切って無音航行、ワイヤーアンテナを伸ばして潮流にたなびかせた状態で待機せよ』

 

 武蔵の針路は3-1-0つまり北西。そして潮流は北西から南東へ3ノット、伊201はワイヤーアンテナをその海流に乗せて待機している。

 

 ならば、その状態で伊201の上を武蔵が通過するとどうなるか?

 

<当然……回転するスクリューがワイヤーを吸い込んで、絡みついて……そうか、ママはこれを狙っていたのですね!!>

 

「ああ、そういうこった。まぁ、実戦では中々ここまで綺麗には決まらないが今回はこちらの数的有利や相手の勝利条件がはっきり分かっていたから、上手くこちらの狙い通りに誘導する事が出来た」

 

 策は、見事に当たった。

 

 今の伊201の働きで、武蔵は左右どちらかのスクリューにワイヤーが絡みついて動かなくなった筈だ。問題は、どちらのスクリューが機能を失ったかだが……

 

 じっ、と隻眼で彼方の武蔵を睨むビッグママ。

 

 巨艦の針路が、右へぶれた。

 

 それはほんの僅かな時間、すぐに軌道の修正が行われたが、ビッグママは見逃さなかった。

 

 針路が右に逸れるという事は、右舷のスクリューが作動していないという事だ。

 

 ならば。

 

「ロック、狙いは武蔵の左舷スクリューだ!! 魚雷発射!!」

 

<イエス、マム!!>

 

 ズン!!

 

 既に装填済みだった魚雷が発射された振動が、艦橋へと伝わってきてビッグママのたっぷりついた腹の肉をぶるぶる揺らす。

 

 最後の魚雷が航跡を引き、真っ直ぐに武蔵へと向かっていく。

 

「……命中だ。これで、あたしらの役目は終わり。後は任せるよ、ミケ」

 

 

 

<聞こえましたわ!! クリムゾンオルカから魚雷発射音1!! 武蔵へ向かっていきます!!>

 

 晴風の艦橋。

 

 楓の報告が、伝声管から響いてくる。

 

「ママさんが魚雷を撃ったあっ!!」

 

「艦長、これは……!!」

 

「うん、恐らくこれが……クリムゾンオルカに残された魚雷の、最後の一本」

 

 これまでの状況証拠から、明乃とましろはクリムゾンオルカの残存戦力をしっかりと把握する事が出来ていた。

 

「外したらもう一度は無いという事か……!!」

 

「大丈夫だよ!!」

 

 ましろの危惧を受け、しかしこれに明るい声で返したのは芽依であった。

 

「ママさんなら絶対に当てるよ!! 外す訳ないって!!」

 

「……まぁ、それには同意見じゃな。アドミラル・オーマーの射撃は常に一発必中で百発百中。必ず、当たる筈じゃ」

 

 と、ミーナ。

 

 そうしている間にも、たった一本の魚雷は海に航跡を引いて、武蔵へ向かう軌道を取っている。

 

「距離0まで……後……5秒!!」

 

 ミーナが、今し方自信たっぷりに言ったもののやはり実際に当たるかどうかの瀬戸際となると緊張してきてごくりと唾を呑んだ。

 

「4」

 

 志摩が、祈るように両手を合わせた。

 

「3」

 

 ましろは、魚雷の航跡と武蔵の動きを双眼鏡で追い続ける。

 

「2」

 

 明乃が、懐中時計をぐっと握り締めた。

 

「当たれ!!」

 

 芽依が叫んで、ワンテンポ遅れて武蔵の艦尾に一本の水柱が立つ。

 

 同時に、水測室・楓のヘッドホンには金属がひしゃげるようなけたたましい音が聞こえてきた。これは今や聞き慣れた音だった。

 

<命中!! スクリューが粉々に砕けたようですわ!!>

 

 わっ、と晴風中に歓声が上がった。

 

 明乃達も、流石にワイヤーアンテナが絡みついた事は分かっていないが、武蔵のスクリューに何かが起こった事は楓が音を拾って把握している。そして今、もう一方のスクリューが魚雷攻撃によって吹っ飛んだ。

 

 ならば必然……!!

 

<艦長、武蔵の動きが……止まりますわ!! 速力が落ちていきます!!>

 

「うん、こちらからも見えてるよ!!」

 

 武蔵の航行スピードが目に見えて低下していき、やがては完全に停止した。

 

 武蔵の動きは止まった。ビッグママの宣言は、確かに履行されたのだ。

 

「艦長!!」

 

「うん、今がチャンス!! 晴風はこれより武蔵に乗り込みます!! 救出部隊、突入準備を!!」

 

「ね、ね!! ママさんなら当てるって言ったでしょ!? あは……はははっ!!」

 

 興奮してテンションがおかしな事になっている芽依の肩に、志摩がポンと手を当てる。

 

 ビッグママが率いるクリムゾンオルカ。

 

 世界各国のブルーマーメイド・ホワイトドルフィン候補生。

 

 RATtの情報を調べた宗谷真霜一等監察官。

 

 防衛線を敷き、陽動部隊として動いた比叡・磯風を相手してくれているブルーマーメイド・ホワイトドルフィンの面々、東舞校の永瀬校長。

 

 晴風を信頼してくれた真雪校長。

 

 全ての人の努力があったから、ここまで来れた。

 

 皆の希望と、世界の命運が今、自分達に託されている。

 

 その重い事実を認識した明乃は、すうっと深呼吸を一つ。そして強い瞳で武蔵を睨み据える。

 

「さぁ……行こう、みんな!!」

 

<<<「「「了解!!!!」」」>>>

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。