ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結) 作:ファルメール
「……これは……?」
晴風の水測室。
楓は、すぐ傍を潜航中であろうクリムゾンオルカから、妙な音を聞き取った。
データベース内の記録を参照し、パターンを解析する。一致する音を見付けるのに要した時間は数秒だった。
「艦長、クリムゾンオルカから魚雷の装填音。続いて発射管の注水音が聞こえますわ」
この報告を受け、艦橋にざわめきが走った。
「ママさん、いきなり魚雷を撃つ気かな!! 撃っちゃうのかな!!」
興奮気味な芽依を見てまた始まった、という顔で首を振る志摩を尻目に、明乃は顎に手をやって思考を回す。
「……まりこうじさん、装填された魚雷は何発か分かる?」
<……恐らくは、一発。あ、今、発射管外扉が開く音がしましたわ。魚雷が、発射されます!!>
ズン!!
距離が近い事もあって、ブリッジクルーにも発射音が聞こえた気がした。同時に、見張り台のマチコから報告が入る。
<クリムゾンオルカが魚雷を撃ちました。雷跡1!! 艦隊へと向かいます!!>
「ママさんが魚雷を撃ったぁ!!」
「……しかし、何故一発だけしか撃たないんでしょうか? 相手は5艦だぞ?」
ましろの疑問も当然である。
クリムゾンオルカの得意技であるスクリュー潰しで航行能力を完全に奪うには、最低でも2発の魚雷が必要となる。一発だけでも片舷のスクリューを破壊してまともに航行出来なくする事は出来るだろうが……
何か、しっくり来ない。
「アドミラル・オーマーは予想は裏切るが、意味の無い事をする方では断じてない。この魚雷には、必ず何かしらの意図がある筈じゃ」
教え子として、ミーナが分析する。
「一発だけの魚雷……? ダメージを与えるのが目的じゃない……?」
ぶつぶつ呟いていた明乃であったが……はっと、目を見開く。脳裏に、閃きが走った。
「まりこうじさん、ヘッドホンミュートに!! これは音響魚雷だよ。艦隊の手前で爆発する!!」
<は、はい!!>
考え、話している間にも魚雷は艦隊へと真っ直ぐ向かっていく。RATtに操られた艦隊は全艦が取り舵を切り、回避行動を取り始める。
だがこのタイミングでは艦が全速に達するよりも魚雷が艦とドッキングする方が余程早い。しかし一発だけの魚雷では、決定打にならない。
しかしそれで良い。この魚雷は艦隊に打撃を与える為のものではない。
魚雷と、艦隊を構成する艦の一つである摩耶との距離が300に達した瞬間、水柱が上がった。魚雷が、自爆したのだ。
同時に、海中へと巨大な音が撒き散らされる。最新型のソナーでは一定以上の音量は自動的にカットされるようになっているから、ヘッドホンを無音状態にしていなくても水測員が耳を壊されたりはしていないだろうが……
この一発の魚雷は、いわば煙幕。忍者が使う煙玉。
「まりこうじさん、クリムゾンオルカのエンジン音は? 聞こえる?」
<……それが、爆発の5秒前に音が消えましたわ>
やはり。頷く明乃。
魚雷が爆発する瞬間にエンジンを切って、無音航行に切り替えたのだ。
潜水艦は姿を隠してこそ。スーパーキャビテーション航法で伊豆半島沖へと駆け付けたは良いが、エンジンを全開で回した所為でクリムゾンオルカの位置は艦隊に知れてしまっている。ビッグママはまずは潜水艦操艦の基本へと立ち返り、姿を隠す為に音をバリアーとして使ったのだ。
「……艦長、我々はどうします?」
「……晴風だけじゃ、あの艦隊には太刀打ちできない」
まずは状況確認。
ボルジャーノンの意思によって完璧に統率された艦隊の連携は一糸も乱れず、まさに完璧と言って良い。統制が取れていない烏合の衆であればその指揮の乱れに付け込むという勝ち筋も考えられたが、その目は早々に潰された。
ならば、この状況で晴風が執るべき戦術オプションは……
「……うん、晴風はこのままの距離を保ったまま待機。ママさんなら必ず、艦隊の指揮を乱してくれる筈。そうして指揮が乱れた所で晴風もクリムゾンオルカを援護する。そのチャンスを待とう」
「……分かりました。ミス・ビッグママを信じましょう」
「アドミラル・オーマーなら必ず、やってくださる」
クリムゾンオルカの発令所。
「ママ、レッドオクトーバーは問題無く作動中。後30秒で、涼月の航跡に入ります」
リケの報告を聞きながら、ビッグママは正面モニターを睨んでいる。そこにはRATt艦隊の動きがディスプレイされていた。
現在、RATt艦隊は武蔵を中心とした輪形陣を取っていて、航行する方向を前として最後尾に涼月が配置されている。
音響魚雷で身を隠したクリムゾンオルカはエンジンストップと同時に無音航行システム”レッドオクトーバー”を作動させ、無音のままで少しずつ艦隊へと近付いている。
「涼月の航跡……バッフルズに入りました。何も聞こえません。ソナーの効力が失われます」
艦の航跡に発生するキャビテーションの中では騒音と気泡によってそこへと入った艦の存在が捉えられなくなる。正体不明(バッフルズ)と呼ばれるソナーの死角だ。ただしそこでは自らのソナーも役に立たないので、潜水艦にとっては殆ど盲目状態で航行する事になる。よほどカンが鋭くなければ衝突事故に繋がりかねない危険な場所だ。
だが百戦錬磨のクルーを率いる万戦錬磨のビッグママは、その危険地帯をも活用した戦術をいくつも心得ていた。今回使っているのもその一つ。
「RATtの親玉……ボルジャーノンが乗り込んでいるのは武蔵であると推測されていたが……これで確定だね。100パーセント、ヤツは武蔵に居る。そこから全ての艦に乗り込んだネズミ共、そしてウィルスに感染した生徒達を操っている」
武蔵を中心とした輪形陣を見れば、問わず語りというものだ。最も守りが堅く最も安全な中心の艦に、最も守られるべきもの、つまり、指揮官が居る。
「いいかい、お前達。クリムゾンオルカはこのまま涼月にべったりと貼り付いて、そしてタイミングを見計らって離脱し、武蔵のバッフルズへと入るよ」
これは単艦で艦隊を相手にする際の戦術である。
集団戦闘に於けるセオリーは、まず優秀な敵もしくはリーダーから叩く事。今回の場合は、艦隊を統制しているボルジャーノンが乗り込んでいる武蔵がこれに当たる。だが武蔵は前後左右を随伴艦によってがっちりガードされていて、迂闊には近付けない。いくら超静粛航行を可能とするレッドオクトーバーを使っているとは言え、距離があまりにも近ければ看破される可能性はゼロではない。
そこで今回の作戦だった。
まずは周囲を固める艦のバッフルズに入って姿を隠し、機を見て離脱、武蔵のバッフルズへと飛び移る。巡回している見張り兵士の背中にぴったりとくっついて、警戒厳重な基地へと潜入する忍者のように。
そうして武蔵の背後という絶好のアタックポジションを確保した所で、お得意のスクリュー潰しで足を奪う。
今の所は、この作戦プランは順調に運んでいると言える。
そう、順調に。
『それは結構だが……しかし順調過ぎる気もするなぁ。こーいう時は、得てして落とし穴があるもんだ……』
根拠は無い。論理的でもない。しかし長年の経験と直感から、ビッグママは嫌な予感を覚えていた。そして嫌な予感ほど良く当たる。
具体的に何が起こるのか? そこまでは分からないが……しかし不測の事態が発生しても即応できるよう、一度深呼吸して気を引き締め直す。
「よし……確認するが三番と四番発射管の状態は?」
「先程の爆発音が響いている間に、既に魚雷の装填は完了。発射管の注水も済んでます」
「よーし、では始めようか。涼月のバッフルズから出て、武蔵のバッフルズへと飛び移る。面舵50度!!」
「面舵50度、アイ!!」
ビッグママの命令に従い、ナインが舵を切ってクリムゾンオルカの進路を変更した、その時だった。
異常事態が、起きた。
「……?」
水中聴音に違和感を覚えたリケが、ヘッドホンに手を当ててソナーの感度を調節する。10秒ばかりその操作を行った所で、彼は明確にその異常を認めた。
「ママ!! まだバッフルズの中です!! 涼風が本艦と同じ方向へと転舵しました!!」
「何!?」「バカな……!!」
ナインとロックの二人も、信じられないという顔になる。一方、ビッグママは無言で厳しい顔のまま、がちんと煙管を噛み締めた。
偶然、クリムゾンオルカが面舵50度を切ったのと同じタイミングで、涼月も面舵50度で転舵したと言うのか? それこそ「バカな」だ。
「……だが、まずは偶然か否か、そこんとこはっきりさせようか。取舵50度!!」
「アイマム!!」
ナインが先程とは逆方向に舵を切った。
さて、どうなるのか……? 期待と不安が半々という視線がリケへと集まるが……彼は首を横に振って応じた。
「ダメです、ママ。まだバッフルズの中です。涼月が取舵50度で転舵しました」
これで確定。二度の偶然は無い。
どういう手段なのか? そこまでは不明だが……間違いなく、RATt達はクリムゾンオルカの位置を正確に把握している。
「……ロック、確認するがレッドオクトーバーはキチンと作動しているね?」
「はい、ママ。全ての機器を再チェックしましたが診断はオールグリーン。異常はどこにも見当たりません」
「……装置の故障ではない」
ほぼ無音で航行するクリムゾンオルカが、しかもソナーが効かないバッフルズの中に入っている。つまり、音で探知している訳ではない。アクティブソナーが打たれた様子も無かった。そして涼月だけではなく艦隊が装備しているセンサー類では、今のクリムゾンオルカを発見する事は不可能な筈。
ならば考えられる可能性は、一つだ。
『……ネズミ共には、まだあたし等が解いていない謎があるという事か』
ぎりっ。
歯軋りの音が、妙に大きく発令所に響いた。
艦の性能を活かして上手く立ち回ったつもりがその実、まんまとネズミの罠に嵌った形になった。
「ネズミを駆除するつもりが……この状況、狩られているのはあたし達の方かも知れないねぇ……差し詰め蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶々って所か」
だが、繰り言はそこまでだった。こういう時こそ、冷静にならなければ負ける。
「ママ、どうしますか? この状況は……」
「ああ、ロック。たった今、あたしは蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶々って言ったが……じゃあ、巣に蝶々を引っ掛けた蜘蛛は……次にどうすると思う?」
「どうって……」「そりゃ……」
「獲物を食べる為に近付いてくる……かしら? ママ」
「あぁ、その通りだねぇ。より正確にはまずは噛んで毒を注入し、動けなくしてから食べる訳だが……」
ここまで話されたら、クルー達にもビッグママの言わんとする事が理解出来た。
噛んで、毒を注入してくる。……つまり、盲目状態にして動きを封じた状態のクリムゾンオルカを、何らかの手段で攻撃してくるという事だ。
「じゃあ、ママ。ここは一旦レッドオクトーバーを止めて離れますか?」
「向こうはそれを待っているんだ」
「は……?」
「方法や探知範囲までは分からないが、とにかくネズミ共にはこっちの位置が分かるんだ。とすれば、離れたとしてもこっちの位置は把握出来るか、仮に有効な索敵範囲からロストしたとしてもそのロストした状況から、大雑把な位置は逆算出来る筈。動きを止めたら、その一帯を狙って対潜弾や魚雷が何十ダースも雨あられと降ってくるよ」
「……!!」
ごくりと、リケは苦い唾を呑んで喉を鳴らした。
「では、ママ……それなら連中はどんな手段でこっちを攻撃してくると思いますか?」
「それだね……」
頬杖付くビッグママ。
ネズミ相手に人間の思考がどれほど通用するかは未知数だが……
涼月諸共クリムゾンオルカを沈める気なら、他の艦から魚雷や砲弾をガンガン撃ってくるだろう。クリムゾンオルカを仕留めるだけならこれが最も確実だ。特にRATt達は哺乳類のクセにボルジャーノンを頂点としてアリや蜂のような真社会生物の特徴を持っているから、極端な話ボルジャーノン一匹だけを確実に生存させられるならば他は全て捨て石として消費するような戦術だって平気で使ってくるだろう。
しかしそれなら、とっくに攻撃が始まっていていい筈。それをしてこないというのは、ボルジャーノンにはそれをするつもりがないという事だ。
『……まだ戦力を温存したがっているな』
陽動作戦で主力をフィリピン沖に引き付けたとは言え、人間側にどれほどの防衛戦力が残っているか、それはボルジャーノンにも不明という事だろう。
ビッグママは考える。仮に自分がボルジャーノンの立場にあったとして、この伊豆半島沖を抜かれたら人間側にはもう、戦艦形態へと移行した横須賀女子海洋学校ぐらいしか防衛戦力が残っていないのを知っていたとしたら、涼月ごとクリムゾンオルカを確実に沈めるというオプションを選択するだろう。その状況なら今更5艦が4艦になった所で大きな変化は生じ得ない。
逆にそれを知らないのなら、戦力を出来るだけ減らしたくはないだろう。ここを突破したら、またしても守備艦隊が待ち構えているかも知れないのだから。
つまり次の攻撃には涼月に被害を与えない、与えたとしても軽微なものですむような、そんな方法が選ばれる。
『……と、すればその攻撃オプションは……!!』
推理から敵の攻撃方法にアタリを付けて、ビッグママは目をきゅっと細めた。
「リケ、涼月の動きに注意するんだ。左か右、どちらかに転舵してバッフルズが晴れると同時に、魚雷が飛んでくるよ。推進力をレッドオクトーバーからプロペラに切り替え!! 向こうにこちらの位置が分かる以上、音を控える意味は無い。静粛性よりも加速力・トップスピードを重視で行く!!」
晴風の艦橋。
現在、晴風は艦隊から付かず離れずという距離を保ちながら状況の監視に終始している。そしてRATt艦隊は晴風にはもう興味をなくしたかのように、突然艦隊全体が面舵を切ったり取舵を切ったりと目的が不明な航行を繰り返している。
晴風を攻撃しようとはしてこないし、かといって真っ直ぐ日本へ向かおうともしていない。ビッグママ達が何かしているのは分かるが……それが何なのか? そしてどうなっているのか? さっぱり分からない。
「ママさん……」
明乃はさっきから、ひっきりなしに爪を噛んでいた。もう爪先はギザギザだ。
以前にビッグママは話した事がある。「20艦掻き集めただけの烏合の衆よりも、統制がしっかり取れた5、6隻の艦隊の方が自分にとってはよっぽど脅威だ」と。RATt艦隊はまさにその「統制の取れた5隻の艦からなる艦隊」である。ビッグママに限って万一は有り得ないと信じているが、それでも「まさか、いやひょっとして」と考えてしまって、心臓がバクバクいっているのが分かる。
その時だった。伝声管が、見張り台にいるマチコの声を伝えてくる。
<艦隊に動きがあります!! 輪形陣の先頭を進んでいた摩耶が転進します!! これは……魚雷の発射位置を確保しているようですが……>
「「!!」」
報告を受け、ブリッジクルーの表情が引き攣る。魚雷の発射準備? どこを狙っている? まさかこの晴風を?
<あ……摩耶の動きが止まりました。この角度だと……発射可能角度の先にあるのは……涼月です!!>
「み、味方を撃つ気か!? どうして?」
「……もしや、涼月のバッフルズにクリムゾンオルカが居るのでは……」
ミーナが言い掛けた瞬間、再び伝声管が鳴った。
<今……摩耶が魚雷を撃ちました!! 雷跡2!! 涼月へ向かいます!! あ……!! 涼月が面舵を切りました!! 魚雷の命中コースから外れていきます!!>
同時に、水測室から通信が入る。
<こちらソナー!! クリムゾンオルカのエンジン音を感知しました!! 先程までの、涼月の航跡(ウエーキ)の中に居られますわ!!>
「「!!?」」
先程に倍してクルー達の表情が引き攣り、凍り付いた。
涼月はたった今、面舵を切って魚雷の命中コースから離れた。その、涼月の航跡の中にクリムゾンオルカが居るという事は……!!
「!! ママさん、避けて!!」「エンジンを止めて下さい!! ミス・ビッグママ、この魚雷はクリムゾンオルカのエンジン音にセットされてます!!」「いや浮上じゃ!! 急いで!!」「それより急速潜航だよぉ!!」「エンジン全開で避けて下さい!! ママさん!!」
「!! 来やがった」
クリムゾンオルカの発令所。
「ちっ」と舌打ちして、リケが毒突いた。
「ママ、お客さんです。魚雷2本接近!! 面舵転舵した涼月の左舷を掠めるようにして向かってきます!! 距離300!!」
「ママ!!」
この状況では、一瞬の判断の遅れが命取りだ。考えている時間は、無い。
ビッグママの決断は早かった。
「機関全速!! 面舵一杯回避!!」
「ママ、こいつらはエンジン音セット……」
「涼月の航跡(ウエーキ)の中、バッフルズに入っていたクリムゾンオルカのエンジン音は捕捉できない。魚雷はただ、直線で来る!! エンジンは全開で回せ!! 舵は目一杯切れ!! 急げ!!」
「「「アイマム!!!!」」」
クルー達はそれ以上は意見を挟まず、艦長に従った。この辺りは、クルー達のビッグママへの信頼が為せる業と言える。
「涼月、全速で離脱します!!」
これは、魚雷がクリムゾンオルカに命中した際の爆発に巻き込まれまいとする動きだ。やはりボルジャーノンは犠牲止む無しの大火力による飽和攻撃でなく、ピンポイントの魚雷攻撃でクリムゾンオルカを仕留める戦法を執ってきた。
「距離180!! 魚雷、突っ込んできます!!」
「ナイン!!」
「一瞬も力を緩めるな、舵から手を離すな、切り続けろ!! ですよね、ママ!!」
「ああ、その通りだ!!」
こんなやりとりをかわしている間にも、魚雷は接近を続けている。
「距離50!! 30……!!」
リケはヘッドホンを外そうとはしなかった。ビッグママならば、この魚雷はかわす。彼はその確信を持っていた。
「距離10……!!」
ビッグママも含め、全てのクルーがモニターに表示される音源を、瞬きもせずに睨んでいた。
「魚雷、左舷20メートルを通過!! 外れました!!」
人間で言えば、弾丸が耳を掠っていったような超至近距離だった。
もしビッグママの指示が1秒でも遅れていたら、もしくはクルー達が即応出来なかったのなら、間違いなく命中していたであろうギリギリのタイミングだった。あるいは推進システムをレッドオクトーバーのままにしていても当たっていた。加速力と最高速に分があるプロペラ推進に切り替えていたのが功を奏した形だ。
「うっ!!」
リケが、悲鳴じみた声を上げた。
「ママ!! 第二波攻撃が来ます。魚雷2本、距離300!! 今のに気を取られている間に発射されていました!!」
「ふん……しつこい男は嫌われるわよ!!」
「エンジン停止、無音航行!! 海のモズク……じゃなくて藻屑になりたくなけりゃ、10秒で止めるんだ!!」
「ア……アイマム!! エンジン停止!!」
驚きながらも、流石にビッグママに鍛えられた精鋭である。体はしっかり訓練通りに動き、敏速に作業をこなしていく。みるみる内に、発令所内に響く騒音が小さくなっていった。
「ママ……これは……」
「バッフルズが切れた所を、エンジン音セットの魚雷で襲う。二段構えの攻撃だよ、これは」
ピン……ピン……ピン……
エンジンを止めて聴音状況が良くなった事で、魚雷が発信するアクティブソナーが聞こえるようになる。
ピン、ピン、ピン……
発令所では誰も咳一つせず、自分の心拍音すらが五月蠅く思えてくる。
ピピピピピ……
衝撃は無い。爆発音も無い。探信音は、徐々に小さくなっていく。
エンジン音にセットされていた魚雷は目標を見失って迷走し、沈降。外れたのだ。
「ぶはあっ……」
リケが、肺に溜まった二酸化炭素を吐き出した。これで取り敢えずは、一息……
「……!?」
吐けなかった。
ヘッドホンに手を当てる。聞きたくもない音が、また聞こえてきた。
「ママーーーっ!! またまた来ます!! 第三波攻撃!! 魚雷4本接近中。距離950!!」
屈強な海の男も、流石に涙目になって報告する。
「き、き、きぃぃぃーーーーーっ!! 何てしつこいヤツ!!!!」
ロックが、頭を掻き毟りながら叫んだ。
「泣き言なんて聞きたくないね、しっかりおし!!」
「マ、ママ!! この魚雷のセットは!?」
直線か、それともクリムゾンオルカのエンジン音にセットされているのか。
「両方だ!!」
「両……」「方!?」
「ああ、4発の内、2つは直線セットでもう2つはエンジン音セット。二段構えどころか、三段構えだった訳だ!! 避けなければ直線で命中する。だが避けようと動けば、エンジン音セットの魚雷がホーミングで食い付いてくる!!」
詰み、である。
「……この状況、昔読んだラノベを思い出すよ。滅んでしまった国に、そうとは知らずに帰ってきた男の話だね」
ただしそれは普通の艦の場合。乗っているのが普通の艦長であった場合に限った話である。
この艦はクリムゾンオルカ。それを駆るは最高の艦長であるビッグママ。老艦長にはまだまだ余裕があった。
「確かに、完璧な作戦だ。教官をやっていた頃のあたしなら、100点……いや、180点をあげても良い」
この作戦を立てているのが本当にネズミかと、信じられない気分だ。人間でも、ここまで徹底的にしかも執念深く慎重に仕掛けてくるヤツはそうは居ない。
「だが……あたしの息子達は全員300点で、あたし自身は500点だ。相手が悪かったね。さっきラノベの話をしたが……この状況をどう打破すれば良いか? それもそのラノベに書いてあるんだよね。どんな本でも読んでおくものだよ」
くっくっ、とビッグママは肩を揺らして、そして真顔に立ち戻る。
「ロック、3番4番魚雷発射!!」
「アイマム!! 魚雷発射!!」
ズズン!!
振動が、伝わってくる。
「魚雷2本航走中!! 向こうの魚雷と交差するまで、後15秒!!」
「よし、今だ!! 急速潜航、ベント開け!! 機関最大稼働、10秒突っ走れ!!」
「ベント開口アイ!! 注水開始!! 機関最大!!」
「交差まで……後9秒!!」
「ダウントリム一杯!!」
「アイマム!! 潜舵ダウン一杯!!」
急速に艦が前傾して、全員が手近な物を掴んで体を固定する。
「ママ……魚雷が交差するまで、後7秒!!」
「ネガティブブロー、縦舵面舵一杯、艦回頭120度!!」
「ネガティブブロー、縦舵面舵一杯、艦回頭120度、アイ!!」
「5……4……3……!!」
「エンジンストップ!!」
「エンジン停止、アイ!!」
よしっ、とビッグママは無意識の内に拳を握っていた。ギリギリだったが、全ての作業が間に合った。自慢のクルー達が、間に合わせてくれた。
「よーし、総員、ショック対応姿勢!! ちなみに、あたしはとっくに対ショックだよ!!」
こんな時でも、ビッグママの余裕は健在である。クルー達はそれに奇妙な安心感を覚えつつ、襲ってくる衝撃を覚悟して全身に力を込めた。
1秒後に巨大な衝撃が襲ってきて、リケやナインは缶を振られるビールやコーラの気持ちが分かった気がした。
爆発は、晴風のブリッジからも観測できていた。
巨大な水柱が上がるのが見える。誘爆も含めた都合6発分の魚雷の、一斉爆発だ。
<魚雷爆発!! クリムゾンオルカから発射された2発が、摩耶から発射された4発とすれ違う瞬間に自爆、全て巻き込んで誘爆させましたわ!!>
「やったぁ!! 凄いよママさん凄すぎるぅ!!!!」
芽依が興奮して捲し立てる。トリガーハッピーの気があり、魚雷にかけては五月蠅い彼女だからこそ、今の攻防の凄さが分かる。
既に先の第一波、第二波攻撃の時点で、クリムゾンオルカはスピードや進行のズレなど、魚雷のデータを全て記録していたのだ。そのデータを、既に装填済みであった自艦の魚雷に入力。向かってくる魚雷をめがけてピタリと航走させ、交差の瞬間に信管を作動させる。
……と口で言うのは簡単だが、魚雷の速度は物にもよるが50ノットは出るから、相対速度100ノット(およそ時速185.2km)で接近する中で、許容される誤差はほんの数メートル。時間にして約0.07秒である。ビッグママ達はそんな針の穴を通すような芸当を、しかも波状攻撃に晒されながらやってのけた事になる。
「で、でも……あんな至近距離で魚雷が爆発したんじゃ……クリムゾンオルカは大きなダメージを受けたんじゃ……」
魚雷爆発の安全距離は、およそ1500から2000メートル。対してクリムゾンオルカは魚雷6本の爆発地点から、1000メートルも離れていなかった。直撃ではないから沈没は免れたにせよ、かなり大きなダメージを受けたと考えるのが自然だ。
「ソナー、浸水音や艦体破壊音は聞こえるか?」
<いえ……爆発音で不明瞭ですが、聞こえませんわ>
「これは……」
「……確か、爆発の直前にクリムゾンオルカは急速潜航したとの事だったな?」
ミーナが尋ねてくる。水測室の楓から<その通りですわ>と返ってきた。
「……急速潜航と転舵によって爆破の圧力をかわし、同時に爆発音を利用して艦隊から姿を隠す。アドミラルオーマーなら、やるじゃろう」
「……そんな操艦が人間に出来ると思うのか? 潜水艦はジェットコースターじゃないんだぞ?」
「じゃが、至近距離での爆発による艦の損傷を避けるにはそれしかない。クリムゾンオルカが沈んでいないとすれば……可能性はそれだけじゃ」
向かってくる魚雷を魚雷で迎撃・誘爆させるだけでも凄まじい練度であるが、更に神業的な操艦によって爆圧さえもやり過ごす。
これがクリムゾンオルカ。これが、ビッグママ。
ましろは今、自分が帽子を被っていたなら間違いなく脱いでいたろうと思った。
「……」
一方で明乃はこうした会話に加わらず、じっと前方を睨んでいた。
「艦長? どうされたのですか?」
「シロちゃん、気付かなかった? 摩耶の動き……あれは明らかに、涼月のバッフルズに隠れていた、クリムゾンオルカを捕捉してた」
「……!! 確かに」
涼月がクリムゾンオルカをバッフルズに釘付けにして、摩耶がそこを狙い撃つ。これは、クリムゾンオルカの位置がはっきり分かっていなければ出来ない作戦行動だった。
「人を操ったり、電子機器を狂わせるだけじゃない……RATtには何か……私達の知らない謎が、まだあるんだよ」