ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

16 / 34
VOYAGE:16 束の間の離別

 

 横須賀女子海洋学校・校長室。

 

 執務机に置かれたパソコンのモニターを見て、次女から送られてきたメールの内容を確認する真雪。

 

「そう……教官は、艦隊の指揮を執る事を了承してくれたのね」

 

 うん、と一つ頷く。

 

 依頼を受ける時に、ビッグママへと言った言葉は嘘ではない。彼女以上に頼りになる人物を、真雪は知らない。たとえ相手が艦隊であろうとこちらも五分以上の戦力を揃えている上に、今回は最高の将帥が指揮を執る。慢心は禁物だと日頃から心掛け、戒めてはいるがしかし「これで勝ったも同然」という感情が胸中に湧いてくるのを彼女は抑えられなかった。

 

 と、その時。パソコン画面の右下に新着メールの存在を教えるアイコンが表示される。

 

「? ……ダートマスから? 留学生艦の受け入れ要請?」

 

 こんなタイミングで? と首を捻る。既にRATtウィルスの影響で多数の学生艦が学校の統制を離れて暴走状態にあるのは、各国のブルーマーメイドが周知の筈。なのに留学生の受け入れを打診してくるなど空気が読めないというレベルではない。

 

 そんな思考を浮かべつつメールを開こうとすると、またしても別のメールの着信があった。

 

「ウラジオストック……アナポリス……高雄市からも?」

 

 目を通してみると、それらのメールはどれも各国の海洋学校からの留学生艦の受け入れ要請だった。

 

 1校だけならば兎も角として、これだけの数の学校が一斉にコンタクトを取ってくるのだ。絶対に偶然ではあり得ない。

 

 だが一つ一つ順番に目を通していくと、この疑問にも得心が行った。

 

 送られてきたメールには、全て同じ名前が記されていたからだ。

 

 くすっと、真雪は苦笑する。

 

「流石は教官……既にこのような手を打たれていたとは……抜かりはありませんね」

 

 

 

 

 

 

 

 晴風の艦橋。

 

「ママさん……行ってしまうんですね」

 

「そんな顔をするでないよ、ミケ」

 

 不安そうに顔を伏せる明乃を前にして、ビッグママは両手で頭を掴むとぐいっと自分に視線を合わさせた。明乃の首関節がごきっと鳴る。

 

「そりゃあこれは実戦で……あたしもいつ死んでもおかしくない身だけどさ……でも、敢えてこう言わせてもらうよ」

 

 ビッグママはにっ、と会心の笑みを浮かべる。

 

「またすぐに会えるさ。もかも、一緒にね」

 

 必ず助ける。老艦長はそう言っているのだ。これは無責任な気休めでは断じてない。自分の力で望む未来を絶対に実現させるという固い決意であった。

 

 十年来の付き合いである明乃に、それ以上の言葉は必要無かった。今まで、ビッグママに期待を裏切られた事や約束を破られた事は一度としてない。きっと今回もそうなる。確信が持てた。

 

「四海ばあちゃん、弁天は最寄りの海上都市までシュペーを曳航した後、集合地点に合流します。クリムゾンオルカは先に、集合地点へ向かって下さい」

 

「あ……」

 

「じゃあ、ミーちゃんは……」

 

「当然、我々と共に行く事になるが……」

 

 最後のはテアの発言である。しかしこれは正論だ。ミーナは元々シュペーの副長。RATtウィルスの蔓延によって一時は離艦し晴風に乗船する事となったが、その騒動が収まってシュペーに戻れる状態になったのなら、元の鞘に収まるのが当然ではある。

 

 幸子は内心のショックを隠せず、引き攣った顔になった。無理もない。趣味が共通している事もあって、晴風クルーで最もミーナと打ち解けていたのが彼女だったから。

 

 だが、ミーナは予想外の言葉を発した。

 

「……テア、いや艦長。お願いがあります。ワシは今暫く、晴風と共に行動したいのですが」

 

「……理由を、聞かせてくれるか?」

 

 単なる私情で言っているのでない事は、目と顔ですぐに分かった。

 

「……海に放流されたRATtの総数は未だ不明。もしかしたら、どこかの船に拾われて船から船へ、既に手の届かない所へ行ってしまった個体が存在するかも知れません。そしていつかその個体が繁殖して、我がドイツの艦を乗っ取るかも知れない。今回の救出作戦には、後方支援ながら晴風も参加します。ワシはその時に備えて、出来る限り対RATtのノウハウを学んでおきたいのです」

 

「……成る程」

 

 神妙な顔になったテアは頷くと、艦長帽を取って明乃へと向き直り、踵を揃えた。

 

「聞いての通りだ、岬艦長。今暫く、我が艦の副長が厄介になるが……構わないだろうか?」

 

「勿論!!」

 

 明乃は即答する。

 

「やったぁミーちゃん!!」

 

「もう暫く、よろしく頼むぞ。ココ、そしてみんな」

 

 感極まって抱き付いてくる幸子の背中をぽんぽんと叩きつつ、ミーナが言う。明乃やましろの他、ブリッジクルー達が一斉に彼女の周りへと集まっていく。

 

 そんなやり取りを尻目に、ビッグママと真冬は作戦についての打ち合わせを進めていた。

 

「で……四海ばあちゃん、作戦の詳細はこちらに」

 

「あぁ、分かったよフユちゃん」

 

 真冬から渡されたタブレットを覗き込むビッグママ。そこにはフィリピン近海に一つの輝点が表示されている。今回の作戦の概要はこの海域にブルーマーメイド・ホワイトドルフィンの戦力を集中して、RATtに操られた学生艦の艦隊を迎撃するというものだ。

 

 既にクリムゾンオルカと晴風が共同で行ったデータ収集によって、ノーマルタイプのRATtの行動パターンは裸にされている。故にいくら学生を殺傷する訳にはいかないという制約があるとしても、単艦ならば無力化する事は本職のブルーマーメイド・ホワイトドルフィンであれば難しくはない。

 

 しかしフィリピンへと向かっているのは現在まで確認されている全ての行方不明艦が集結した艦隊であり、しかもスペシャルタイプのRATtであるボルジャーノンによって統率されている。

 

 ボルジャーノンの行動パターンについてはデータが無い。しかもヤツが乗り込んでいると予想される武蔵は、非常に高い射撃精度と連射速度に加えて噴進魚雷に働きかけて軌道を狂わせるような芸当までやってのける事が以前の救出作戦の折に確認されている。更に不気味なのが、RATtに操られた艦が集まった時にどのような艦隊行動を取るのかが不明な点だ。

 

 今更ながら、敵が人間ではなく別種の知的生命体だという事を痛感する。

 

 相手がどんな戦法を使わないか分からないのは不気味であり、不安要素である。

 

 ならば確実を期す為に戦力を集中させ、物量で以て押し包む。それが武蔵を含む行方不明艦の救出を目的とした『パーシアス作戦』の肝であった。古今東西を通じて、物量に勝る作戦は存在しない。

 

 とは言え、かつてビッグママが演習にてクリムゾンオルカ単艦で20隻から成るドイツ海軍の艦隊を全艦撃沈した例もあり、大部隊には様々な問題が生じる事も事実。なればこそ最高の経験値を持ち、海戦を知り尽くしているビッグママに司令官の依頼が来たのだ。

 

「腕の見せ所というヤツだねぇ。艦隊の指揮など40年振りだが、期待に応えてみせようじゃないか」

 

 ビッグママの表情と言葉は自信たっぷりである。

 

 と、彼女はマイクを手に取って艦全体に放送を掛けた。キーンと、独特の音が鳴る。

 

<あー、あー……晴風の全乗員に告げる。こちら臨時教官の潮崎四海……ビッグママだ>

 

 この時、明乃は見えてはいないが晴風の全乗員が作業の手を止めて、ビッグママの言葉に耳を傾け始めたのが分かった気がした。

 

<知っての通り、あたしはパーシアス作戦に参加する為に晴風から離れる事になった。主力艦隊の指揮を執る為だ。晴風の指導を途中で切り上げねばならないのは残念だが……もう一つ、教えておこう>

 

 レッスン9だ、と前置きしてビッグママは話を続ける。

 

<レッスン9は……『仲間を信じ、頼れ』だ。基本中の基本ではあるが、一番大事な事だ>

 

 ましろはすぐ後ろにいたミーナを振り返った。シュペーの副長は、真剣な表情で頷いて返す。教え子である彼女は、当然この教えを受けていた。

 

<当たり前の事だが、船は一人では動かない。自分の役割を全うし、そして仲間を信じる事。相手への信頼が、唯一つ勝利を生む。そしてそれは家族でも同じだ。海の仲間は、みんな家族……仲間として、家族として、同じ船に乗る皆を信じる事。それを忘れるな。何があっても>

 

 以上(オーバー)と締め括って、ビッグママはマイクを切った。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして合流地点へと移動したクリムゾンオルカ。

 

 その海域には、既にブルーマーメイド・ホワイトドルフィンの主力艦が集結していた。その中には艦隊の再編に成功した東舞校の教員艦の姿もあった。

 

「ママ、東舞校教員艦から通信が入っているわ。繋ぐわね」

 

 ロックがそう言いながら計器を操作し、一番大きなモニターにはこの数週間で何度か見た顔が映った。東舞校の、永瀬鉄平校長である。

 

<お久し振りです、潮崎先生>

 

「テッちゃんか。あんたもこの作戦に参加するのかい?」

 

<ええ、これは日本どころか掛け値無しに人類の存亡を懸けた戦いですからな。ワシの権限で動かせるホワイトドルフィンは全て動員しました。ブルーマーメイドも同様に、最低限の守備隊を除いて全ての戦力がこの海域に集中しています>

 

 別のモニターには、集結している艦の名称と艦種、それに取っている陣形が表示された。

 

「結構。これなら行けそうだ。後、生徒にウィルスの抗体を打ち込む為に白兵戦に突入する可能性もある。その準備は?」

 

<抜かりありません。弾頭に抗体を装填した麻酔銃も十分な数を揃えていますし、抗体それ自体もたっぷり用意してあります。無論、突入部隊も既に編成済みでスキッパーも準備してあります>

 

「よろしい。では……命令系統の確認を……」

 

 しかしこうして作戦の必要事項を確認しつつ数十分ばかりが過ぎた所で、思いも寄らぬ報告が入った。送信元は海洋安全整備局の安全監督室。真霜からだ。

 

<富士の観測台から連絡が入りました!! 行方不明艦の艦隊は二手に分かれました。比叡と磯風の二艦が想定された針路のままフィリピンへ向かっており、武蔵を初めとする残りの艦は、日本へと針路を取っています!!>

 

 血相を変えた真霜の顔がモニターに大映しになって、彼女が感じているであろう動揺が艦隊にも伝播したようだった。通信を聞く全員の顔が強張る。

 

 このパーシアス作戦はRATtに操られた艦がひとかたまりになってフィリピンを目指す動きを見せていた事から、こちらも戦力を集中して行方不明艦の艦隊を一斉に無力化・拿捕する事を目的として立案されている。しかしこの動きは、作戦の前提条件を根底から覆すものであった。

 

 一箇所に戦力を集中するという事は必然、他の箇所の守りが疎かになる。完全に策が裏目に出た形となってしまった。

 

「シモちゃん、日本へ向かう艦隊を迎撃できる戦力は?」

 

<九州沖に福内さん達の艦隊を、守備隊として配置してあります。今から動いて間に合うのは彼女達と、それに位置と速力の関係から後方に配置した晴風ぐらいのものです……>

 

 送られてきたデータに目を通したビッグママは、ぎりっと奥歯を鳴らした。

 

 守備隊の戦力はインディペンデンス級沿海域戦闘艦「御蔵」「三宅」「神津」「八丈」の4艦。動かすのが本職のブルーマーメイドである事もあって、まともな戦いなら五分以上に渡り合えるだろうが、学生を殺傷する訳にはいかない(正確にはするとしてもいよいよ追い詰められた時の最後の手段であり、最初からそれに踏み切れない)という縛りがあるこちらと違って、行方不明艦側は最初からこちらを殺す気で実弾をガンガンぶっ放してくる。

 

 しかも、艦隊の中で少なくとも武蔵は東舞校の艦隊に対して恐るべき射撃精度と連射速度を見せていた。もし……ボルジャーノンに指揮される事で他のノーマルタイプRATtが操る艦も同程度の攻撃力を発揮するとしたら……?

 

「無理だね。止められない」

 

 手持ちの情報を総合的に分析し、ビッグママは断じた。

 

「しかしだからと言って何もしない訳には行かないだろう。シモちゃん、守備隊を迎撃に向かわせるんだ。それと晴風にも指示を。自艦の安全を最優先に、武蔵を初めとする艦隊を捕捉し続けろとね!!」

 

<分かりました、おばさま!!>

 

<先生、とにかくここは急いで救援に向かいましょう!! 守備隊は止められないまでも、時間稼ぎはしてくれる筈。その時間を使って、何とか追い付くのです!!>

 

「それが出来ないように、ネズミ共は全艦で日本に向かうのではなく比叡と磯風だけは、変わらずこっちへ向かわせているんだ」

 

<!!>

 

 冷静に返され、永瀬校長もビッグママの言わんとする事を察したらしい。先程までは少し浮き足立っていたが、表情に落ち着きが戻った。大きく深呼吸を一つする。

 

 この戦いでRATt側の勝利条件は、自分達の乗った艦がどこかの海上都市か陸地に寄港・上陸する事。つまり、人類側としては行方不明艦を一艦たりとも陸地へ上げる訳には行かないのだ。よって、このパーシアス作戦では全艦を確実に制圧できるよう十分以上の戦力を集めていた。

 

 フィリピン沖の戦力を大幅に振り分けて日本に回せば、別働隊である比叡と磯風が手薄になったここを破ってフィリピンへと上陸を果たす可能性がある。故に戦力を割くとしてもあまり多くの艦を動かす事は出来ない。

 

 敵の狙いが分かっていても、そうせざるを得ない。これは典型的な陽動作戦だと言える。

 

<……つまり、こういう事ですか? ワシらは、ネズ公共にしてやられた、と?>

 

「……そうなるね。あたしもまだ侮っていた。親玉の頭が良いのは分かっていたが、戦術レベルを飛び越えてこんな戦略レベルの思考が出来るなんてね」

 

 しかしそう語るビッグママの眼光は、鋭い。敵の脅威評価を大きく上方に修正しつつも、彼女はまだ少しも諦めてはいなかった。

 

「……テッちゃん、現時刻を以て、この艦隊の指揮権をあんたへと委譲する。ここの艦隊を使って、比叡と磯風を止めるんだ」

 

<は!! しかし、先生はどうされるので?>

 

 モニターの中のビッグママは「分かり切った事を聞くでないよ」と不敵な笑みで返した。

 

「クリムゾンオルカはこれより、日本へ向かう!!」

 

「「「!!」」」

 

 この宣言を受け、発令所の3名のクルーの表情に緊張が走る。

 

<確かに……先生が操るクリムゾンオルカはこの艦隊の中でも間違いなく最強戦力。それを本命にぶつけて、他の艦で別働隊を迎撃する。作戦上間違いではないでしょうが……いくら先生の船でも、今から行って間に合うでしょうか?>

 

 データによればクリムゾンオルカの最高速力は45ノット。ボルジャーノン艦隊の航行速度と彼我の距離から考えて、奴等が日本に上陸する迄に追い付けるかは疑問が残る。守備隊がどれだけ時間を稼いでくれるか、一か八かの勝負だとも言える。

 

 だが、ビッグママには確信があるようだった。

 

「大丈夫だ。絶対に間に合う」

 

<は……>

 

 永瀬校長も、それ以上は何も言わなかった。教え子である彼には、ビッグママがいいかげんな事を言う人物ではないのが良く分かっていた。

 

「それよりテッちゃん、これより先はあんたが艦隊の指揮を執るんだ。ちゃんとやれるね?」

 

 問いを受けて、モニターの中の壮漢はふんと鼻を鳴らした。にぃっと自信の笑みを浮かべる。

 

<ワシは先生に一人前にしてもらったんじゃ。何だって、させてもらいますぞ>

 

「その意気だ」

 

 うむうむと、ビッグママは満足そうに笑って何度も頷いてみせた。

 

「自信を持って事に当たるんだ、テッちゃん。ユキちゃんもそうだが、あたしに出来てあんたらに出来ない事は、何一つとて無い筈だ。あたしは、そのようにあんた達を指導した」

 

<レッスン8『実戦は真剣に、しかし頑張るな』ですな、先生。分かっちょります、全ては訓練通りに>

 

「よろしい。ではこれより、クリムゾンオルカは日本へ向かう。潜航開始、深度50!!」

 

「はい、ママ。潜航開始します!! タンク開け、注水!!」

 

 永瀬校長との通信を切り、ビッグママの指示を受けてクリムゾンオルカが艦体を海の中へと沈め始める。

 

 この動きは、東舞校教員艦の旗艦からも確認できていた。

 

 その艦橋では今回、副長として乗り込んでいた教頭が怪訝な顔を見せていた。

 

「校長、潮崎艦長は何をする気でしょうか? 状況から考えると、すぐにでも全速で日本へ向かうべきでしょうが……」

 

「まぁ……見とれ。先生は確信の無い言葉を口にするお人じゃない。何か、とっておきの”奥の手”があるんじゃろ」

 

 その時、伝声管を通して水測室から報告が入った。

 

<潜航したクリムゾンオルカの周囲に、おびただしい気泡の破裂音を確認。どうやらマスカーを作動させているようです>

 

「マスカーを?」

 

 教頭は首を捻る。

 

 マスカーとは、魚雷が向かってきた時にそのセンサーを狂わせる為に、気泡を発生させる装置だ。実際に第一次武蔵救出作戦の際にも、クリムゾンオルカはマスカー装置によって接近する魚雷を見事にかわしてみせた。また、艦全体を気泡ですっぽりと覆えばアクティブソナーの探信音波を吸収して自艦の位置を隠すのにも使える。

 

 しかし現在、周囲に敵艦の存在は確認できず魚雷がいきなり飛んでくるような事態などあり得る訳もない。アクティブソナーを警戒する必要性も皆無。

 

 ならば何故、こんな所でいきなりマスカーを使うのだ? 狙いが読めない。

 

 一方で永瀬校長は、些かの心当たりがあるようだった。報告を受けてからしばらくの間は顎に手をやって考えていたが、やがてはっと何かに思い至ったような表情になった。

 

「もしや……あれをやる気か?」

 

 

 

 

 

「マスカーは順調に作動中。間もなく、本艦全体が気泡によって完全にコーティングされます」

 

 クリムゾンオルカの発令所では、リケが報告を行っていた。彼のすぐ前にあるモニターには、クリムゾンオルカの艦体が線によって描かれた画像がディスプレイされており、その周囲を囲むように小さな丸が無数に描かれている。この丸印が、マスカーによって発生させられた気泡だ。艦表面の状態が、リアルタイムで映し出されている。

 

「……テストと訓練は飽きるぐらい入念に行ったけど……やはり本番となると緊張するわね」

 

 ロックが、一筋だけ頬に伝っていた冷や汗を拭う。

 

「訓練で乗員は自信を獲得し、指揮官は可能性を確認する。”奥の手”を使う事もまた、既に我々の戦術マニュアルには組み込まれている……ですよね、ママ」

 

「その通りさ、ナイン。30秒後に発進する!! 機関は10秒で最大戦速に達せよ!! ここからは日本までノンストップさ!! お前達、振り落とされるんじゃあないよ!!」

 

「「「イエス・マム!!!!」」」

 

 指示を出しながら、ビッグママはシートベルトを装着する。3名のクルーもまた、倣うようにしてシートベルトを付けた。

 

 そして、30秒があっという間に経過し、キャビテーション・コーティングの完了とエンジン出力が臨界に達した報告が入った。ビッグママは「うむ」と頷くと、深呼吸を一つ。そして、高らかに命令する。

 

「発っ進っ!!!!」

 

 

 

 

 

<ウオ!!>

 

 東舞校教員艦、その旗艦のブリッジでは伝声管からソナー員の泡食った声が聞こえてきた。

 

「どうした、ソナー。状況を報告せよ」

 

<は、はい……クリムゾンオルカが始動しました!! 凄い速度で遠ざかります。見た事もない加速性能です!! し……しかしこの速度は……速い……い、いや!! 速過ぎる!! 現在40ノット……50ノット……60……65……たった今70ノットに達しました!! し、しかもまだ加速を続けています!!>

 

「バカな!! 水中で70ノットも出る潜水艦など、理論上有り得ん!! 何かの間違いだろう!!」

 

 教頭は否定するが、永瀬校長は「成る程ォ……」と納得の溜息の後、どかっと艦長席に身を沈めた。

 

「流石は潮崎先生。既にアレの実用化に至っていたとは……これなら確実に間に合いますな」

 

 苦笑しつつ、帽子を被り直す。

 

「教頭!!」

 

「は、校長!!」

 

「日本の事は潮崎先生と守備隊、それに晴風に任せる。ワシらは比叡と磯風の迎撃に当たる!! 各艦に戦闘準備をさせよ!!」

 

「ハッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 伊豆半島沖。

 

 武蔵を中心とする行方不明艦によって編成されたRATtが操る艦隊とブルーマーメイドの守備隊による艦隊戦は、ビッグママが予想した通りの展開を見せていた。

 

 ブルーマーメイドの装備は最新鋭のものがあり、あくまで練習艦である武蔵以下学生艦に決して劣るものではない。それどころか大きく上回っている。乗員の練度にしても、本職VSその見習いですらない今年海洋学校に入ったばかりの学生。比べるべくもない。

 

 しかし、やはり学生を殺傷する訳には行かず、実弾を使用できない縛りが大きく響いていた。ブルーマーメイド側は、攻撃力が圧倒的に劣っている。

 

 対して武蔵を先頭に単縦陣を敷いた艦隊は、恐ろしく正確な射撃をしかも連射で撃ち込んでくる。武蔵は当然の事、鳥海、摩耶、五十鈴、涼月といった各艦は本職のブルーマーメイドが真っ青になりそうな、さながらシンクロナイズドスイミングのような完璧な艦隊行動を見せて、効果的な攻撃を仕掛けてくる。

 

 艦隊が戦闘力を奪われ、退避もままならず全艦が航行不能に陥れられるまで、長い時間は掛からなかった。

 

 この様子は、駆け付けた晴風の艦橋からも見えていた。

 

「そんな……ブルマーが……」

 

 双眼鏡から目を外した芽依の声は、震えていた。

 

 ブルーマーメイド艦隊の戦力が、劣っている訳ではない。寧ろ、学生である自分達では到底真似できないであろう操艦や射撃・連携を随所に見せて、卓越した技量を示している。しかしRATtに、否、ボルジャーノンに統率された学生艦の艦隊は”連携”という言葉を通り越して、まるで一つの意思が艦隊の全てをコントロールしているようだった。

 

 いや、”まるで”ではなく”まさに”なのだろう。RATtが媒介するウィルスは生体電流に影響を及ぼし、感染した生物を一つの意思の元に統率する。今や武蔵は勿論の事、学生艦の、それに乗り込んでいるRATtと感染した学生の全てが命令の系統樹の頂点に位置するボルジャーノンの意思によって操られているのだろう。

 

<艦長、ブルマーから通信が。晴風は至急退避するようにと!!>

 

「退避……!!」

 

 明乃は逡巡を見せた。

 

 やっと、武蔵を捉えた。親友を助けるチャンスが、再び巡ってきたと言うのに。

 

 しかし今の自分は一個人の岬明乃ではなく、晴風の艦長であると繰り返し言い聞かせる。自分の私情で、クルー全員を危険に晒す事は出来ない。

 

 あるいは以前のように武蔵が単艦だけなら危険と知りつつも救出に踏み切ったかも知れない。しかし、眼前に展開されているのは信じられないような練度で完璧に統率された艦隊。1パーセントの勝機があるならそれに賭ける手もあるだろうが、向こう岸に着地できる可能性が絶無と知りつつ崖から飛ぶのは、それは只の自殺である。

 

「艦長……残念ですが、私もここは退避に賛成します。晴風の戦力では、到底あの艦隊には対抗できません」

 

 ましろの意見は極めて正論であった。あるいは卓越した技量を持った指揮官が居ればまだ何とかなるかも知れないが、学生である自分達にそんな能力など望むべくもなく、無い物ねだりと諦める他は無かった。

 

「そう……だね、シロちゃん。晴風はこれよりたい……」

 

 退避をと、そう言い掛けた瞬間だった。

 

<待って下さい、艦長!! 後方から、物凄い速度で接近する音が一つ……この速度は……ま、まさか?>

 

 楓の、慌てて上擦った声が伝声管を通してブリッジに響いた。

 

「水測、報告は正確に!!」

 

 ましろが、少しだけ声を強くして注意する。

 

<は、はい……接近中の音は、潜水艦のエンジン音です。速度は……信じられませんが……計器の故障でなければ105ノットと出ておりますわ>

 

「ひゃ……105ノットだと!? バカな!!」

 

 高速を誇る晴風の最大戦速が37ノットなので、3倍近い速度が出ている計算になる。しかも水の抵抗をより大きく受ける水中で。

 

 そんな速度を出せる潜水艦など、世界中のどの国でも開発されていない。公式に存在する水中航行速度のワールドレコードが、パパ級原子力潜水艦の44.7ノットであった筈だ。その倍以上も速い艦など、存在し得る訳がない。

 

 しかし現実に、晴風のソナーはその艦の存在を捉えている。

 

 明乃はいち早く頭を切り換えた。今はスピードにブッ魂消ている場合ではない。重要な事は。

 

「まりこうじさん、接近中の潜水艦の艦種は識別できる!?」

 

 重要な事は、接近中の艦が敵か味方か。まずはそれである。

 

<はい……音紋照合……これは……クリムゾンオルカですわ、艦長!!>

 

「ママさん!!」「ミス・ビッグママが!?」「アドミラル・オーマー!!」

 

 一瞬でブリッジ全体、それどころか晴風全体の空気が変わったようだった。

 

 胸中の暗雲が一気にぶっ飛ぶような爽快感を、今の明乃は味わっていた。暗い部屋に閉じ込められていて、一週間目にやっと光が差し込んだ時はこんな気分なのだろうかと思った。

 

「し、しかし……一体どうやって105ノットもの高速を……?」

 

「恐らく、スーパーキャビテーション航法じゃ」

 

 ミーナが発言する。

 

「ミーちゃん、それって?」

 

「我がドイツ海軍でも、研究が進められている技術で……簡単に言えば、水中を動く物体の周囲をキャビテーションで包む事によって、水の抵抗を極限にまで減らす技術の事じゃ。理論上、この技術を実装した魚雷は最早砲弾と言っても良い速度で水中を進むらしい。しかし各国の海軍でも未だ実験段階にある筈の技術を、既に魚雷どころか潜水艦に実用化していたとは……」

 

 この超高速航行技術こそが三つの秘密兵器をも凌ぐクリムゾンオルカの”奥の手”であり、ビッグママはこれを使う事でフィリピン沖から伊豆半島沖まで有り得ないほどの短時間で移動し、埋まる筈がない時差を埋めてきたのだ。

 

<今……!! クリムゾンオルカの速力が急激に低下します。現在、30ノットにまで落ちました!!>

 

 無論、リスクやデメリットもある。スーパーキャビテーション航法は静粛性や攻撃力を度外視し、ただひたすらに速度だけを重視して魚雷を振り切ったり戦闘海域から確実に離脱する事を目的とした技術。使用中は当然ながらクリムゾンオルカの魚雷は使用不可能となるし、性質上エンジンを全開で回さねばそもそも使う意味がないので周囲にコンサートでもやっているかのような騒音を撒き散らし、姿を隠す筈の潜水艦が存在をアピールする事になる。当然、艦内がそんなライブハウス状態ではソナーの効力も著しく低下する。

 

 ビッグママは戦闘海域に入った事で、潜水艦本来の戦い方に戻るべくスーパーキャビテーション航法を解除したのだ。

 

<!! ……海面にクリムゾンオルカの潜望鏡が露頂しました!! 発光信号を確認、読み上げます>

 

『これより、武蔵を初めとする学生艦の救出作戦を開始する。晴風には、本艦の援護を求む』

 

「艦長!!」

 

「うん、シロちゃん!!」

 

 先程とは打って変わった表情で、ましろが詰め寄ってくる。明乃も、強く頷いた。

 

「ママさんが来てくれたなら、やれるよ!! 晴風はこれより、武蔵以下学生艦の救出に向かいます!! 各員戦闘態勢!!」

 

<了解!!><分かりました><承りましたわ><合点!!>

 

 次々と、気持ちの良い声が返ってくる。

 

「のまさん、クリムゾンオルカへ手旗信号を!!」

 

 

 

 

 

 

 

「リョ・ウ・カ・イ・キ・カ・ン・ヲ・エ・ン・ゴ・ス・ル……と」

 

 その隻眼で潜望鏡を覗き込んできたビッグママは、見張り台のマチコの動きを読み取って「よーし」と深い頷きを一つ。

 

 潜望鏡を収納して、キャプテンシートに腰を下ろす。

 

「本当にすぐ再会する事になったが……さぁ、お前達……そしてミケ……腹を括りなよ……!!」

 

 その言葉はクルー達と、自分自身にも言い聞かせるものであった。

 

「これが、最後の戦いだ!!」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。