ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

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VOYAGE:15 シュペー救出作戦 Ⅱ

 

「シュペーの様子は?」

 

「……晴風のみんなが上手く引き付けてくれてくれてるようじゃ。まだ、こっちに気付いた様子は無い」

 

 海面を高速疾走するスキッパー上で、波飛沫を肌で感じながらミーナが手にした双眼鏡を覗く。

 

 シュペーの主砲・副砲は、接近中の二台のスキッパーからは全く見当外れの方向を向いてひっきりなしに動いている。これは先程までのテストで得られたRATtの行動パターンに基づいた、晴風の陽動によるものだ。

 

 ノーマルタイプのRATtは、先制攻撃を受けない限りは一定距離に接近する外敵を排除しようとする行動しか取らない事は既に証明されている。それも突然撃ってくる訳ではなく、まずは砲塔を標的に向けて照準を合わせるという威嚇にも似た行動を取る。

 

 これらのデータを活かして、晴風は攻撃は行わずにRATtが警戒して威嚇行動を取る”危険距離”ギリギリを出たり入ったりしてオチョクるように、シュペーの意識を引き付けているのだ。その甲斐あってかシュペーは明乃達を気にも留めていない、どころか存在にすら気付いていないかも知れない。旋回する砲口の先は晴風と繋がっているが如く動くが、針路や速度には依然として変化が無い。こちらの存在に気付いているのなら、いくら少人数とは言え迎撃なり回避なり何かしらの反応はあっても良い筈なのに。

 

 この事で、もう一つデータが得られた。

 

 RATt達はスキッパーのように小型で接近するものは探知できない。

 

「これなら……いけるか?」

 

 ミーナのすぐ隣で、美波が呟いた。

 

「行くしかないぞな!!」

 

「今こそが、千載一遇の好機!!」

 

 聡子とマチコの言葉に、スキッパー上の全員が頷く。

 

 シュペーに十分接近した所で、マチコがワイヤーガンを発射した。

 

 射出された先端部分は、見事にシュペーの手摺りに引っ掛かって巻き取り機構によってマチコを引っ張り上げていく。

 

 抜群の運動神経によって宙返りを打ち、シュペーの甲板へと降り立つマチコ。

 

 ここまでは抵抗無しで来られたが、流石に本丸に乗り込んでからはそこまで甘い話もないだろうと、これはブリーフィング時のビッグママの予想であった。

 

 老練な女艦長の予想は的中し、ミーナが所属する海洋学校の制服を着た少女達がぞるっと現れた。

 

 ミーナの証言通り、全員目が正気ではない。今にも飛び掛かってきそうだ。

 

「……」

 

 しかしマチコは少しも慌てず、ガンベルトに入れていた二丁拳銃を抜き放った。これはビッグママ達から提供された麻酔銃だ。弾丸は注射器状になっていて、着弾の衝撃によって充填された麻酔薬が注入される仕組みになっている。今回は麻酔薬の代わりに、美波が開発したウィルスへの抗体が仕込まれていた。

 

 パン、パン、パン!!

 

 意外と地味な発砲音が鳴って、麻酔弾がシュペーの生徒達に命中する。

 

 ウィルスに感染してからある程度時間が経った対象への投与は初めてであり、どの程度の効果があるかは未知数・神のみぞ知るという所ではあったが……

 

 しかし、今回は運があったらしい。撃たれた生徒達はぐらりと崩れ落ちて動きを止めた。

 

「効いた?」

 

 ワイヤーをよじ登ってきた美波が尋ねてくる。

 

「……恐らく」

 

 倒れた生徒達の首筋に手を当てていたマチコが応じる。指先は、規則正しいリズムを感じている。脈拍は正常。命に別状は無いようだ。

 

 味方がやられて、シュペーの生徒達は少し驚いたらしい。たじろぐように後退る。

 

 二歩、後ろに下がった所でその背中がどん、と何か大きな物にぶつかった。

 

「?」

 

 こんな所に壁は無かった筈。そう思って振り返った所でその生徒は世界が一秒以内に何回転もして重力の方向がひっきりなしに変わる感覚に襲われた。

 

 次の瞬間、襲ってくる衝撃。声も上げられずに意識を失う。

 

「アドミラル・オーマー、来てくれたのですね」

 

「教え子達のピンチだからね。あたしも黙って見ている訳には行かないさ」

 

 シュペーの生徒を投げ飛ばしたのは余人に非ず、ビッグママその人であった。彼女も乗り込んできていたのだ。

 

「さて、ここからは……」

 

 乗り込んできた突入班へビッグママが言い掛けたその時、またしても操られた生徒が4人現れた。

 

 マチコが麻酔銃を構えるが、ビッグママは大きな手で銃を押さえて下げさせた。

 

「……潮崎教官?」

 

「大して多くもない弾を、バラバラ無駄遣いするんじゃあないよ。ここはあたしに任せな」

 

 そう言ったビッグママは左手の義手の根本を掴み、引っ張る。するとキュポンと空気の抜けるような音がして、その下からは生身の手が現れた。

 

「えっ?」

 

 外した義手を、ぽいと投げ渡すビッグママ。反射的にキャッチした美海は、目をぱちくりさせて義手とビッグママを交互に見やる。自分も義手に手を突っ込んで中にあった引き金を引っ張ってみると、マジックハンドのようになった先端部分が動いてガチンガチンと音を立てた。

 

「えっと……その左手って、怪我してたとかじゃ……」

 

「キャラ付け、ファッションだよ。あたしは海賊だからね。海賊の手は義手だと、昔から決まっているだろ?」

 

 と、左手をニギニギしながら、ビッグママが応じる。

 

「キ、キャラ付け……」

 

「それにソイツには色々ギミックを仕込んでるからね。何かと役に立つんだ。新橋商店街船からの脱出時みたいにね。しかし今回は白兵戦だ」

 

 ビッグママは拳をボキボキと鳴らした。

 

「両手が自由に使える方が、メリットが大きい」

 

 ビッグママは今度は眼帯を外して、美海へと渡した。久し振りに空気に触れたであろうそこには、やはり生身の右目が健在だった。

 

「それに目もね。格闘に遠近感は大切だ……ん?」

 

 美海がちらちらと視線を向けてくるのを見て、少しだけ不思議そうな顔になるビッグママ。しかし流石の洞察力か、すぐに視線の意味に気付いた。

 

「……まさかミミちゃん、あたしの背中にファスナーが付いていて、それを下ろしたら中から美少女が出てくるんじゃ……なんて思っているのではあるまいね?」

 

「え? イヤーソンナマサカー」

 

「……思っていたのかい」

 

 あからさまな棒読みに対し、くっくっと肩を揺らしてビッグママは苦笑する。

 

「残念だがこの体は自前さ。年を取って、すっかり太っちまったよ。今度あたしの昔の写真見せようか? きっと驚くよ」

 

「ア、アドミラル・オーマー!! 後ろ!!」

 

 ミーナが叫ぶ。シュペーの生徒が飛び掛かってきていた。

 

 しかしビッグママは「ふん」と鼻を鳴らして信じられないほど低く身を屈めると、自分の体を使って足を引っ掛けるようにして生徒を転ばせてしまった。

 

 続いて向かってきた生徒の腕を取ると、空いている手で足を掬って飛び掛かってきた勢いをそのまま利用するかのように一回転させ、背中から甲板に叩き付けた。

 

 三人目。手首を取ってドアノブを捻るように回して、連動させるように体全体を回して倒す。

 

 四人目。一度腕を掴んでぐいっと引き、生徒が反射的に引き戻そうと反対方向に体重を掛けた瞬間を狙って、その力を利用して投げ飛ばす。

 

 この間、ものの10秒足らず。いくら体格や筋力に差があるとは言え、4人を軽く倒してしまった。

 

「お見事です、アドミラル・オーマー」

 

「柔道と……それに合気道もですわね。どちらもかなりの腕前ですわ」

 

「ああ、そうだよ楓ちゃん。柔道は5歳の頃から始めて八段。合気道は五段を持ってる。こっちは昔、アメリカ海軍の戦艦「ミズーリ」に研修で乗っていた時、そこのコック長から教えてもらったんだ。あいつは強かったなぁ……あたしも任務の失敗や負け戦は沢山経験したが……男だろうが女だろうがタイマンで負けたのは、80年以上生きてきて後にも先にもあいつだけだ。そんで艦長の誕生日パーティーが行われる日に……」

 

「……潮崎先生、また出てきた」

 

「ん!!」

 

 ついつい昔話に熱が入ってしまっていたビッグママであったが、美波の声を受けてすぐに真面目な顔になる。

 

 またもや、RATtに操られたシュペーの生徒が現れた。

 

「武勇伝はまた今度だね」

 

 ごきり、と首を鳴らす。

 

「ミーナ、あたしは派手に暴れて連中の注意を引き付けつつ、遠回りしつつ艦橋を目指す。陽動だね。あんたはその隙に皆を連れて、最短コースで艦橋へ行くんだ」

 

「は……しかしいくらアドミラル・オーマーでもお一人では……」

 

「あたしを誰だと思っているんだい? 心配要らない。それより、早くお行き。テアが待ってる」

 

 ミーナにはまだ迷いはあったが、しかし『テア』の名前が背中を押した。

 

「……御武運を。こっちじゃ」

 

 晴風のクルー達がこの場を離れるのを見届けると、ビッグママは「さて……」とシュペーの生徒達へと向き直った。

 

「さっきの話の続きだが……友人だったミズーリの艦長の誕生日の日に、テロリストが襲ってきてねぇ……コック長と一緒にそいつらを、千切っては投げ千切っては投げしてやったものさ……ククク……昔を思い出すよ」

 

 ぐるぐると、腕を回す。ビッグママは気合い十分である。

 

「……正気に戻った時、ちょっと体の節々が痛んでるかも知れないが……それは許しておくれよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「こっちじゃ!! 艦橋はこの先!!」

 

 万里小路流の薙刀術を振るう楓や、体を張って足止めしてくれた美海の助けもあって、ミーナや美波はシュペーの艦橋にまで辿り着いていた。既に、連れてきた五十六は艦内に放っている。今頃はRATt達を追い掛けてシュペー中を走り回っているだろう。

 

 そうして艦橋へと飛び込んだ一行を待っていたのは、ドイツ海軍の将校服の上にマントを羽織った少女だった。彼女こそがこのアドミラルシュペー艦長、テア・クロイツェルである。振り返って目が合ったミーナは、思わず息を呑んだ。予想はしていたが、やはりテアの目は正気ではない。彼女も、RATtのウィルスに感染して操られている。

 

 獲物を狙う猫科動物のように腰を落として今にも襲い掛かってきそうなテア。それを見たミーナ達もそれぞれ身構える。

 

 一触即発。

 

 しかし、ふとミーナはおかしな事に気付いた。

 

 急に、テアの周りだけが暗くなったのだ。

 

「……?」

 

 上に何か太陽を遮るようなものでもあったか? と、ミーナは顔を上げて……

 

「!!」

 

 そしてそこにとんでもない物を発見した。

 

 ビッグママが、上から落ちてきていたのだ。

 

 ミーナや美波、楓は反射的に後ろに跳んで無事だったが、操られていて反応の鈍いテアはそうは行かなかった。飛来した巨体の下敷きになって、姿が見えなくなった。申し訳程度にビッグママのお腹の下から、両足だけが伸びていた。

 

「よっ、と……」

 

 フライングボディプレスでテアを押し潰したビッグママは、何事もなく立ち上がった。80を越える老人のものとはとても思えない頑丈な肉体である。押し潰されたテアは当然と言うべきか目を回してノビてしまっていた。

 

「な……な……」

 

 度肝を抜かれた状態のミーナと晴風クルー達に、ビッグママは顎をしゃくって合図する。

 

「ほれ、美波ちゃん。早くテアにも抗体を打っておやり」

 

「……そ、そうだった」

 

 自分の役目を思い出した美波は慌てて白衣から注射器を取り出すと、着衣の上からテアに注射した。ちなみにこれは火傷の時などに行われる処置である。

 

「う、うーん……」

 

 少しの間を置くと目をしばしばさせて、テアが目を覚ました。ミーナが気遣わしげに覗き込む。

 

「艦長、ご無事で……」

 

「ミーナか……何か……悪い魔女になった夢を見ていた気がするが……」

 

「「「……分かる気がする……」」」

 

 マチコ、楓、美波の視線が一斉にビッグママへと向いた。ドロシーの家の代わりをした老婆はコホンと咳払いする。

 

「さ、美波ちゃん……あたしがぶっ倒したシュペーの子達にも抗体の投与が必要だ。こっちへ来ておくれ」

 

「は、はい……」

 

 いたたまれなくなったのか逃げ出すようにそそくさ動いたビッグママに案内された美波は、移動したその先で絶句する事になった。

 

 30人近いシュペーの生徒達が、通路に所狭しと転がっていたのである。ビッグママはたった一人でこの人数を制圧し、しかも遠回りなコースを通って最短コースの自分達より早く艦橋にまでやって来て、更には170キロ超の体重で誰にも気付かれず高所によじ登っていたのである。恐るべき手練れと言える。

 

「……死屍累々……」

 

「失敬な。あたしは力加減を誤るほど未熟ではないよ。一人も殺したりしてないさ」

 

 その後でぼそりと「腰を痛めたりとかはしてるかもだけど」と小声で付け加えた。

 

 驚きつつも手際良く、美波は自作抗体を注射していく。ビッグママは昏倒させたシュペーのクルーがいつ起き上がってきても対応できるよう油断無く目を光らせていたが……ふと、足下に何か動く気配があるのに気付いた。

 

「ん」

 

「ああ、五十六……あなたですか」

 

 かがむと、どら猫の頭をポンと撫でてやる。五十六は捕まえてきたRATtを床に放した。RATtは追いかけ回されて消耗したのか、ぐったりとしていた。

 

「大変かとは思いますが……よろしくお願いしますね」

 

「ん」

 

 小さく鳴いて返事すると五十六はまた、新しいRATtを捜して走り出していった。

 

 ひとまずは、これでシュペー救出作戦は成功したと見て良いだろう。RATtによって操られていた生徒達は全員が抗体を投与されるか気絶している。そしてシュペーは両舷のスクリューを破壊された状態。火器も使えず身動きも取れない。戦闘力を完全に奪った形である。

 

 ビッグママは懐から通信機を取り出すと、晴風へと周波数を合わせる。

 

「こちらビッグママ。晴風応答せよ」

 

 数秒ほどのノイズの後、回線が繋がる音がした。

 

<こちら晴風。宗谷ましろです。ミス・ビッグママ、そちらの状況はどうですか?>

 

「こっちは乗員の制圧が完了し、順番に抗体の投与を行っている段階だ。今のシュペーになら、近付いても危険は無い」

 

 この報告を受けて、通信機の向こう側の晴風では「おおっ」と歓声が上がるのがバックミュージックとして聞こえてきた。

 

「それで、シロちゃん……シュペーは現在スクリューが壊れているから航行不能だ。だから修理の為に別の艦が近くの港まで曳航せねばな訳で……ブルーマーメイドかホワイトドルフィンに来てもらうべきだが、近隣を航行中の艦は居るかい?」

 

<……>

 

 少しだけ、言い淀んだような沈黙が降りる。

 

「? どうした、シロちゃん」

 

<は、はい……最も近くだと……ブルーマーメイド所属艦・インデペンデンス級沿海域戦闘艦「弁天」です。連絡を取った所……すぐに向かうと返事がありました>

 

 ぴくっと、ビッグママの片眉が動いた。

 

「……弁天って言うと……確か……」

 

 

 

 

 

 

 

 およそ一時間後、やってきた弁天は晴風のすぐ横で停船した。

 

 そして弁天の甲板から新体操の選手のように軽やかな身のこなしで一人の女性が飛び出してきて、晴風へと降り立った。ブルーマーメイドの制服の上にマントを羽織っており、艦長帽子を含めたそれらの装いを全て黒で統一していた。短く切り揃えた髪から、中性的で凛とした印象を受ける。

 

 応対に出て来たのは明乃、ましろ、幸子、テア、ミーナ、そしてビッグママの6名だ。シュペーの乗員達は今は医務室に担ぎ込まれていた。それなりに手加減されていたとは言えビッグママの投げ技はやはり強烈で、彼女達には少し安静が必要だと、美波の診断であった。

 

「ブルーマーメイドの宗谷真冬だ。後は任せろ……お!!」

 

 真冬は、出迎えに来た面々の中で何故か顔を背けていたましろに目を付けた。

 

「シロじゃねーか!! 久し振りだな、おい」

 

「ちょっと姉さん、やめてよ、もう!!」

 

「何だ何だ縮こまりやがって!! 久し振りに姉ちゃんが根性を注入してやろうか?」

 

 こんなやりとりが繰り広げられて、どうにも一同は反応に困った顔になる。幸子が、くいっとビッグママの袖を引いた。

 

「ママさん、あの真冬艦長って……」

 

「ああ、シロちゃんのお姉さんさ。名字が同じだろう?」

 

 ひそひそ話している間に、またしても別の動きがあった。

 

「根性……あの、お願いして良いですか?」

 

 明乃が、そう申し出たのである。ましろが「バカ!! 止め……」と制止するも、真冬に黙らされた。

 

「よし……!! では、後ろを向け」

 

「は、はい!!」

 

 くるっと180度回れ右して背中を見せる明乃。すると真冬はぎらりとした目付きになって、両手をわきわきと動かす。

 

「行くぜ……!! 根性注入~~~っ!!!!」

 

 伸ばされた手が明乃の尻に届こうとして……割り込んだましろの尻に阻まれた。真冬は思うさま、妹の尻を揉みしだく。

 

「根性、根性、根性……あれ? シロ」

 

「こんな辱めは、身内で留めておかないと……」

 

 羞恥で顔を真っ赤にしながらましろが言うが、そこで横合いからビッグママの声が掛かった。

 

「残念だがシロちゃん……その台詞は、70年ほど言うのが遅いねぇ……」

 

「あ!! 四海ばあちゃん!!」

 

「ミ、ミス・ビッグママ……70年って……ま、まさか……」

 

 色んな意味で嫌な予感がして、ましろの頬を冷や汗が伝った。

 

「あたしも艦長にやられた。今のシロちゃんより、ずっと小さい頃にね」

 

 ブルーマーメイドの初代艦長。宗谷家の祖。

 

 自分の中にあった曽祖母の偶像がガラガラと崩れていくようで、ましろはくらっと目眩を感じて頭を押さえた。

 

 と、ビッグママに向き直った真冬の顔がこれまでのおちゃらけたものから真剣な、ブルーマーメイドの艦長として相応しいものへと変わった。脱帽の後、一礼する。

 

「四海ばあちゃん……あ、いえ、潮崎特等監察官。ご無沙汰しております!!」

 

「元、ね。元特等監察官だ。あたしがブルーマーメイドだったのは、もう30年も前の事さね」

 

 世間話のような会話だが、しかしそこに含まれる意味をビッグママは正確に読み取っていた。真冬は自分の事を、特等監察官と呼んだ。つまり単純な旧知の仲であったりクリムゾンオルカとしての自分ではなく、元ブルーマーメイドとしての自分に、何かしらの用があるという事だ。

 

 目線で「話しな」と合図する。この意図は真冬にも伝わったらしい。首肯を一つすると、本題を切り出す。

 

「数時間前、武蔵及び他の行方不明艦の所在が確認されました」

 

「「「!!」」」

 

 根性注入によって和んだ空気から一転、全員の表情が強張った。特に明乃はそれが顕著であった。それも当然、武蔵には親友のもえかが乗っている。彼女の無事を信じたいが……しかしウィルスが蔓延し、正気を失った生徒が徘徊する艦内では正直それも望み薄であろう。加えてビッグママが危惧していた、ウィルスの感染が長時間続いた場合に感染者の体に何が起こるか分からないという懸念もある。

 

 まだ若い、幼いと言って良いかも知れない明乃は、そんな心中の動揺を隠す術を身に付けてはいなかった。

 

「武蔵の他、比叡、鳥海、摩耶、五十鈴、磯風、涼月……これらの艦が一固まりになってウルシー南方から針路を西へ、フィリピン方面に向かう動きを見せています。これに対し我々は、ブルーマーメイド・ホワイトドルフィン合同で戦力を集中させ、上陸の阻止、及び生徒を救出する作戦を立案しており……艦隊の指揮を潮崎元特等監察官。あなたに任せたいと……これは横須賀女子海洋学校・宗谷真雪校長、東舞鶴男子海洋学校・永瀬鉄平校長が連名での依頼です」

 

「ほう……」

 

 普段のどこかふざけた調子でもない、作戦の遂行時に見せる凛とした表情でもない。凪の海のように、静かで一切の感情が読み取れない無表情で、ビッグママは相槌を一つ。だが、思考に要した時間はそう長くはなかった。

 

「良いだろう。その依頼、受けると伝えておくれ」

 

「ママさん!!」

 

 思わず詰め寄ってくる明乃の頭にぽんと手を乗せ、ビッグママは頷く。

 

「ミケ、フユちゃんの台詞じゃあないが、根性を入れるんだ。次が、最後の作戦になるよ」

 


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