ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

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VOYAGE:14 シュペー救出作戦 Ⅰ

 

 晴風とクリムゾンオルカは現在、巡航速度でシュペーが目撃された海域へ向けて航行している。

 

 晴風内部の教室には、操舵を行う鈴や周囲の状況を把握する為に見張り員のマチコ・電測員の慧・水測を担当する楓、機関科の4人組を除いた晴風クルーとビッグママが集まっていた。次なる作戦に向けての、ブリーフィングを行う為である。会議の席には猫の五十六と、もう一匹、多聞丸の姿もあった。先の新橋商店街船の一件の際、飼い主夫婦の好意から譲られたのだ。

 

「……目撃情報によるシュペーの進路・速度から計算すると、晴風・クリムゾンオルカが現在の速度のままなら戦闘距離に達するのはおよそ3時間後。以前にミーナから得られた証言から考えて、シュペーにも間違いなくRATtが入り込んでいて乗員が操られていると想像できる……だが、報告によるとシュペーは単艦で行動中だ」

 

「ならば……」

 

「そうだよ」

 

 ましろの言いたい事を察して、頷くビッグママ。

 

 対潜用の駆逐艦も随伴していない戦艦一隻なら攻撃オプションが限られてくるので、潜水艦であるクリムゾンオルカが圧倒的に有利。この作戦は、シュペーを航行不能もしくは撃沈するだけならばビッグママ達には造作もない作業だ。

 

 しかしこの有利な状況だからこそ、やっておきたい事がある。

 

「この機会にRATtが動かす艦の行動パターンについて、採れるだけのデータを採っておきたいんだ」

 

「データ、ですか?」

 

「そう。あたしはかれこれ70年近く船に乗っているが、人間以外が動かす艦と戦った経験は無い。当たり前だがね」

 

 苦笑しながら語るビッグママ。これを受けて、少しだけ教室にも笑いが洩れた。しかし続く言葉ですぐ静かになる。

 

「それでデータ不足で突っ込んで、前回の武蔵救出作戦のような結果になった」

 

 全員の表情が引き締まった。ことに明乃は、やはり親友の事を思っているのだろう。より厳しい表情になってスカートをきゅっと掴んだ。隣に座るましろはそれが見えていたが、何も言えなかった。

 

「同じ失敗は二度繰り返さない。あたしは経験を頼りにはするが、経験に縛られるつもりはない」

 

 どんなベテランであろうと、初めて戦う相手に対しては只の初心者。ビッグママはその事実を正しく認識していた。彼女に、慢心は無い。

 

「シュペーとの戦闘データを得る事の意義は、この戦いだけに留まらない。武蔵を初め、今後ブルーマーメイドやホワイトドルフィンが他の行方不明艦を相手にする時、データがあると無いとでは作戦の難易度は天と地だろう。より多く、より正確なデータを得る為に晴風の協力を求めたい。だがこれは実戦だ。危険も伴う。あんた達の意思を無視して強制する事は出来ない。幸い、まだ時間はある。どう行動するか、この場でよく相談して決めてほしい」

 

 最後に軽く一礼して締め括ると、ビッグママは黒板前に用意された席にどっかり腰掛けて、明乃へと視線で合図する。ここから先は艦長である明乃が会議を進行し、決断しろと言っているのだ。

 

「……ミーちゃんは、どうしたい?」

 

「ワシか?」

 

 話を振った先は、シュペーの副長であるミーナだった。これは晴風の問題ではあるが、同時にシュペーの問題でもあるからだ。

 

 少しばかりの時間を置いて、ミーナの答えは。

 

「ワシは……テアを……シュペーの皆を助けたい。力を、貸してはくれぬか?」

 

 腰を90度曲げて、頭を下げるミーナ。

 

 しばらくの間は、誰も何も言わなかった。

 

 不安になって、上目遣い気味にミーナは顔を上げる。晴風クルー達に動きがあったのは、ほぼ同時だった。

 

「カチコミです!! 助けに行きましょう!!」

 

 幸子が切り出すと同時に、楓は木製のナギナタを、美波は白衣の内側に仕込んだ抗体入り注射器を見せる。

 

「やってみましょう!!」「やろうやろう!!」

 

 これを皮切りとして賛成の声が、一気に上がる。

 

 と、洋美が挙手した。

 

「少し良い? 艦長……」

 

「何? クロちゃん」

 

「……私としても友好国の船を助けるのはやぶさかじゃないけど……一つだけ聞かせて。勝算は、あるのね?」

 

「うん。既にママさんとシロちゃんとで、大まかな作戦については話し合ってるの。校長先生にも見てもらってるから、行けると思う」

 

「補足するなら、最初にも言ったが攻撃の主体となるのはあくまでクリムゾンオルカ。晴風はシュペーの動きを観察する役目を主体として担ってもらうつもりでいるから、危険度は低いだろう」

 

 明乃とビッグママの説明を受け、洋美は頷いて明乃の方をじっと見詰めた。明乃は、視線は逸らさないが少し戸惑ったように首を傾げる。

 

 視線を外すタイミングを逃してしまったようで暫くは睨めっこのような状態が続いたが、やがて洋美の方が根負けしたのか「はぁ」と溜息混じりに目を伏せた。

 

「……分かったわよ。クルーは艦長がこうと決めたら艦長を信じるべき……だったわよね。新橋商店街船の時も、ムチャクチャやってるように見えてそれでちゃんとママさんと宗谷さんを助ける為の手を打ってた訳だし……クルーとして、艦長を信じるわ」

 

 そう言って、どかっと席に着く洋美。同時に「良く言ったクロちゃん!!」と隣の席の麻侖が抱き付いてきた。

 

 そんなやり取りを微笑しつつ眺めながら、明乃はビッグママへと振り返った。

 

「ママさん。クラス全員の同意が取れました」

 

「ああ」

 

 頷くと、ビッグママは「どっこいしょ」と立ち上がった。

 

「では、詳しい作戦内容を説明しよう……だが、その前に……みんな、集まっておくれ。輪を作って」

 

 大きく手を広げたビッグママに促され、起立した晴風クルー達は円陣を組んだ。

 

「よし、じゃあ次はみんな、手を出して。重ねるんだ」

 

 何をやりたいのか、分かり掛けてきた。少女達はそれぞれ頷き合って、重ね合う。ご丁寧に、抱っこされた五十六と多聞丸の前足も重ねられていた。満足げに頷くビッグママ。

 

「よーしよし。じゃあ、ミーナ。音頭はあんたが取れ」

 

「ワシが……ですか?」

 

「……あんたやココは、こんな時にどんな台詞を吐けばいいか……分かっている筈だが?」

 

 老艦長はニヤニヤ笑いながら、隻眼をウインクしてみせる。ミーナは知っている。これは……絶対に何かの悪ふざけをする時の顔だ。

 

 幸子はこの時点で察しがついたらしい。こちらは仕掛けた落とし穴に獲物が嵌るのを物陰から見守っている悪戯っ子のような顔になった。そしてややあって、ミーナも感付いた。「うむっ」と頷く。

 

「みんな……ワシに力を貸してくれるのなら……一緒に、こう言ってくれ」

 

 クルー達の重ねられた手の一番上に、ミーナの手が置かれた。

 

「悪いウィルスをやっつけよう!!!!」

 

「いいとも!!」「分かりました!!」「応さ!!」「やろうよ!!」

 

 クルー達が、口々に同意する。その後で一瞬だけ、全員の声が静まった。そして、

 

「「「「「一緒に悪いウィルスをやっつけよう!!!!」」」」」

 

 わっと、皆が肩を抱いて手と手を取り合って蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 

 この喧噪からは少し離れた所で、ましろは冷ややかな目をビッグママに向ける。

 

「……今度は、何が元ネタですか?」

 

 諦めたように、苦笑いしながら尋ねる。しかし決して不快には思っていない目をしていた。仕掛けが上手く行ったビッグママは、大きな体を揺らしながらくっくっと喉を鳴らした。

 

「今度、シロちゃんにも見せてあげよう。あたしは色んな映画を観たが、あれは最高だ。今のは、個人的にその映画のハイライトシーンなんだよ」

 

 

 

 

 

 

 そして、3時間後。ほぼ予測通りのランデブー時間・地点にてシュペーの姿が確認された。晴風はシュペーを後方から追尾する形となっている。

 

「まりこうじさん、めぐちゃん、周囲に他の艦艇が居ないかどうか、もう一度確認して!!」

 

<晴風の周囲100キロ圏内において、レーダーに感無し。水上艦の存在は、認められません!!>

 

<海中も同じですわ。クリムゾンオルカ以外のスクリュー音は聞こえません>

 

 電測室・水測室からの報告が伝声管から返ってきた。

 

 つまりこの海域にはシュペーだけ。武蔵や他の不明艦の横槍が入る心配は無い。これで、作戦の前提条件が完全に満たされた事になる。明乃とましろは頷き合った。

 

「ママさん、準備完了です」

 

<分かった、ミケ。では晴風は手筈通り動いて、シュペーの動きを調べてくれ。その間に、クリムゾンオルカは有利なアタックポジションを確保する。ただ……これだけは覚えておくように>

 

「レッスン7。『予想外の事が起こったら撤退しろ』ですよね、ママさん」

 

<……>

 

 機先を制するような明乃の言葉を受け、ほんの少しだけスピーカーが沈黙する。その後で息を吐いたような音が聞こえてきた。

 

<よろしい。ちゃんと学んでいるね。優秀な生徒を持って、あたしは教師冥利に尽きるというものだよ>

 

 心なしか、ビッグママの声は弾んでいるように聞こえる。しかし、すぐ落ち着いた声に戻った。

 

<……ミーナ、もう一度確認するよ。あんたには悪いが晴風が沈んだらテアやシュペーの子達を助けるどころじゃない。その場合は一度退却して、作戦を練り直す。これは譲れない一線だ、異存は無いね?>

 

「……は。アドミラル・オーマー。分かっております」

 

 僅かな間を置いて、答えたその声は重く沈んでいた。幸子が視線を落とすと、ミーナの両手は固く握りしめられて震えていた。頭ではそうするのが最善だと理解してはいるが、感情面で承伏しかねる所がある。それが今のミーナの偽らざる心境だろう。

 

<……まぁ、そう悲観的になるもんじゃあないよ>

 

 通信機越しではあるが、まるでミーナの顔が見えているようにビッグママが言ってきた。

 

<あくまで人命が最優先だ。それはシュペーの子達だって例外じゃない>

 

 ここで、ビッグママは一度言葉を切った。そして意を決しようとするように、すうっと息を吸う微かな音が聞こえてきた。

 

<言いにくい事だが……ウィルスに感染した子達がいつまでも無事でいる保証はどこにも無いからね>

 

 これは先の武蔵救出作戦の折、永瀬校長が真霜による情報収集の完了を待たずに作戦決行に踏み切った理由と同じだ。

 

 RATtそれ自体もそうだが、奴等が媒介するウィルスに関しても謎は依然多い。

 

 最悪の場合、ウィルスに感染した人間が感染源に操られるようになるのは実は初期症状に当たるものであり、感染した状態がずっと続くとやがては死に至る……などという事態が発生する危険も多分にある。それを避ける為にも、早期の抗体投与は絶対に必要な措置である。

 

<……だから、予想外の事態が起きたら撤退という姿勢自体は変えないが、ギリギリまでの努力はする。ベストを尽くす。それは約束しよう>

 

「……十分です。アドミラル・オーマー」

 

 はっきりとした事はビッグママにも言えなかったが、しかしベストを尽くすというその言葉だけで、ミーナには十分だった。教え子である彼女は、ビッグママが言う「ベスト」という言葉の意味を良く分かっているのだ。

 

<……では、作戦開始だ。ここからはクリムゾンオルカは潜航するから、通信も出来なくなる。以降はミケ、あんたの判断で動くんだ。良いね?>

 

「……はい、ママさん!!」

 

 「うむっ」と頷くような声が聞こえてくる。

 

<良い声だ。頼りにしているよ>

 

 ブツッという音がして、通信が切れた。ここからはもう、ビッグママに助言を求める事は出来ない。そう思うと心細くもあったが、明乃はすうっと深呼吸すると艦長帽を被り直して気合いを入れ直した。頼りにしているという言葉。ビッグママは今、自分達を庇護の対象としてではなく、仲間として対等に信頼してくれている。その気持ちに、応えねばならない。

 

「まろんちゃん、機関半速!! まずはシュペーの主砲の射程ギリギリの距離にまで付けて反応を見る。のまさん、シュペーの動き、特に主砲の角度や旋回に注意して!!」

 

<合点でい!!><承知しました>

 

 晴風は徐々に加速し、シュペーへと近付いていく。

 

 舵を握る鈴の手に、力が入った。シュペーが次の瞬間にも撃ってくるかも知れない。そうなったらすぐに舵を切って回避行動に入らなくては。彼女は口の中がカラカラになっているのに、やっと気付いた。

 

「艦長……後、10秒でシュペーの主砲の射程に入ります」

 

 腕時計の秒針とシュペーの船体を交互に見ながら、緊張した面持ちのましろがカウントダウンする。

 

「5……4……3……」

 

 ましろ以外には、もう誰も咳一つ発さなかった。

 

 そしてシュペーの主砲の射程距離に、入った。

 

「……っ!!」

 

「……?」

 

 ぎゅっと目を瞑っていた幸子だったが、何秒かが経過しても発砲音が聞こえず衝撃も襲ってこないので恐る恐る目を開ける。

 

「のまさん、シュペーの様子は?」

 

<砲に仰角が掛かったり、旋回する様子は見られません>

 

 この距離ならRATtの生体電流の影響でレーダー等電子機器が使えないにしても、晴風は既に視界に入っている。だから撃沈もしくは撃退しようとするならすぐに撃ってくる筈だ。しかし実際にはその準備に掛かる気配すらも見せない。敢えて無視しているようにも思える。

 

「……これは主砲の射程に入りながらもシュペーが撃ってこず砲台にも動きが見られない場合だから……パターンCですね、艦長」

 

「そうだね。まず晴風からは攻撃せずに、シュペーの動きに何らかの変化が見られるまでは少しずつ距離を詰めていくよ。まろんちゃん、速度このまま。のまさん、引き続き注意よろしく!! りんちゃん、何かあったらすぐ逃げるから一瞬も気を抜かないで!!」

 

<応っ!!><承知!!>「ほいいっ!!」

 

 明乃の指示に、三者がそれぞれ応える。

 

 ましろは双眼鏡から徐々に大きくなってくるシュペーを睨んでいたが……ややあってその目が細められた。

 

「んっ!!」

 

 ほぼ同時に、伝声管からマチコの声が聞こえてきた。

 

<シュペーに動きあり!! 主砲・副砲がこちらを向きます!!>

 

「!! 来たか!!」

 

「まろんちゃん、機関減速!! このままの距離を保って!!」

 

<了解!!>

 

 素早い明乃の指示によって、晴風の速度が落ちる。一方でシュペーだが、砲口はぴったり晴風を向いていて仰角も掛かっているが目立った動きはそれきりで、撃ってくる気配は見られない。

 

「艦長、これは……」

 

「うん、シロちゃん。多分この距離が、ネズミの”間合い”なんだと思う」

 

 番犬などに言えるが、見知らぬ人間が視界に入ってもごろりと寝転がってリラックスしている事がある。しかしある一定の距離にまで近付くとすくっと立ち上がって警戒する態勢を取り、それでも近付いたら唸り声を上げ始め、最後には吼えて招かれざる客を追い払おうとしてくる。

 

 これは、番犬が不審者が相手でもある一定の距離を越えてこられない限りは危険は無いと考えているからの行動だ。RATtがシュペーの主砲の射程距離内にも関わらず晴風を撃たないのも、同じ理屈と考えて良いだろう。

 

 この距離は主砲の射程圏内ではあるが副砲からは射程圏外というどうにも中途半端な位置。そんな所でいきなり晴風の迎撃態勢に入るのは、人間が指揮している動きとは考えにくい。

 

 人間が操艦を行っているのなら、砲の射程距離に入るずっと前に敵性艦の接近を確認・その時点で進路を変更したり艦を回頭したりして逃げようとするか迎撃態勢を整えるだろうし、撃つ前に通信なり手旗信号なりで警告も行うだろう。それ以上近付いたら撃つぞと。そしてそれでも敵艦が距離を詰めてきたなら、主砲の射程に入った時点で撃ってくる。こうした動きを行うのが自然だし効率的だ。

 

 しかし実際にはシュペーは晴風の接近が確認されても針路・速度共に全く変更せず、主砲の射程に入っても晴風の存在など無きが如くに航行を続けていた。そしてある一定の距離に達した所で、思い出したかのように迎撃態勢を取ってきた。これは操艦を行っているのが人間ではなく、彼女達を操っているネズミだからこその事象であろう。

 

「今まで無反応だったのがいきなり主砲が動くという事は……これ以上近付いたら警告無しで撃ってくると見るべきですよね」

 

「そうだね、ココちゃん。次は……」

 

「艦長、この状況は想定されていた中ではパターンC-2です。次は離れた時にシュペーがどう動くかを確認しましょう」

 

「うん、そうだねシロちゃん。まろんちゃん、速度を3分の1にまで減速。一旦シュペーから距離を取って」

 

 いつも通り<合点>と威勢の良い声が返ってきて、晴風の速度が落ちていく。それまでは一定だったシュペーとの距離が、徐々に開いていく。シュペーは速度に変更はなく、相変わらず撃ってくる様子は見られない。

 

<砲の仰角・向きは、先程晴風に向けられた時のままです。射角を修正する様子は見えません>

 

 見張り台のマチコから連絡が入る。明乃とましろは、それぞれ顔を見合わせる。

 

 やはり、先程のシュペーの射撃準備が晴風が間合いに入りかけたからだという推理は正しかったようだ。晴風が間合いの外へと出て行ったから、不審者が屋敷から離れていったのを確認して昼寝を再開する番犬のように、それ以上は何もしないという事だろう。

 

 念の為、離れてからもう一度角度を変えて接近してみると、やはり先程と同じ距離に達した時点でシュペーの砲が動き、晴風への攻撃準備態勢を取った。そして離れてみると、それ以上は何の反応も示してはこない。

 

「……やはりシュペーに乗り込んでいるネズミは一定距離に接近する外敵を排除するという動きしかしないようじゃな」

 

 と、ミーナ。これは非常に動物的な反応と言える。最初に晴風と遭遇した時に撃ってきたのは、進路上の障害物を蹴散らすような感覚だったのだろう。今回の晴風は針路を塞いでいる訳ではないから、危険距離を越えて接近してきたり向こうから攻撃してきたりしない限りは、何もしてこないという事だろう。

 

「よしっ……ひとまず晴風側のデータ収集は完了……作戦を第二段階に移すよ。まりこうじさん、アクティブソナーを打って!! ママさんに合図を!!」

 

<承りましたわ>

 

 

 

 

 

 

 

 クリムゾンオルカの発令所。

 

 カーン、カーン、カーンと三連発のアクティブソナー音が響いてくる。現在クリムゾンオルカはシュペーの後方深度100に、絶好の射撃位置を確保していた。

 

「ママ、晴風からの合図が来ました。予定していたデータ収集が完了したようです」

 

「分かった。では、今度はこちらのデータ取りだね」

 

 キャプテンシートにふんぞり返ったビッグママは組んでいた足を解いて、ガチンと義手を鳴らした。

 

「よし、まずは有線誘導を試してみよう。1番2番、発射用意」

 

「了解、ママ」

 

 指示通りコンソールを叩き、20秒ほどの間を置いて発射管の注水音と発射管外扉の開口音が聞こえてくる。

 

「ママ、発射準備が整ったわ」

 

「よし、発射だ」

 

 ズンという重い音と同時に艦に発射の衝撃が伝わってきて揺れが走った。

 

「リケ、本艦と魚雷、そしてシュペーの現在位置をモニターしてくれ」

 

「分かりました、5秒ください」

 

 言葉が終わってからきっかり5秒で、正面の大型モニターに輝点と針路を示す点線だけで構成されたシンプルな図が現れた。画面の中心の大きな輝点がクリムゾンオルカで、点線を引きながら素早く移動していく小さな二つの光点が発射された魚雷、そしてその進行方向の大きな輝点がシュペーだ。

 

 有線による魚雷誘導は、魚雷に接続されたコイルを通して針路の情報を送って動きをコントロールする。その性質上、ノイズメーカーのようなジャミングを受けにくい点が最大のメリットであると言える。魚雷の燃料が尽きるか誘導コイルの長さが限界に達しない限り、命中するまでクリムゾンオルカがコントロールする事が出来る。一方で角度によっては潜舵にコイルが引っ掛かる危険があるのがデメリットだが、今回はシュペーとの位置関係からその心配は無いと言って良かった。

 

「このままの速度・針路だと本艦の魚雷は後3分でシュペーとドッキングします」

 

「よし……ではロック、二本とも大きく左から回り込むような動きを取らせて、シュペーの艦底を取舵から面舵へと抜けさせるようなコースを取るんだ。そしてその後は再び左にターンするようにコントロールしてくれ」

 

「了解、ママ」

 

 ロックの美しく毛の生えていない女のような指が、ピアノのようにキーボードを叩いていく。

 

 モニターでは、それまでは直線コースを取っていた魚雷が左に逸れて、後方斜め左からシュペーに向かっていくような軌道に移っていた。

 

「針路の修正完了、このままだと1分50秒後にシュペーとすれ違います」

 

「よし……お前達、シュペーと魚雷がどのような動きをするのか、よーく観察するんだ。シュペーは接近する魚雷に対してどんな動きを取るのか、魚雷がこちらのコントロールを受け付けなくなるのはどれぐらいの距離にまで近付いた時か。どんな細かなものでも良い、行動パターンをしっかり記録するんだ」

 

「「「イエス・マム!!」」」

 

 話している間にも、モニターされる魚雷二本とシュペーとの距離はみるみる縮まっていく。

 

 距離500……シュペーに回避しようとする動きはなく、魚雷も二本とも迷走などはせずに真っ直ぐ進んでいく。

 

 距離300……依然シュペーに動きはなく、魚雷にも異常は無し。

 

 200……100……50……距離はどんどんと縮まっていくが、シュペーは未だ何事も無いかのように同じ針路・速度で進んでいる。魚雷の方も依然クリムゾンオルカのコントロール内にある。

 

 40……30……

 

「ママ!! 今……本艦の魚雷がシュペーの艦底をすり抜けます!!」

 

「コントロールは!?」

 

「未だ有効、1番2番共に本艦の制御下よ。指示通り動いてるわ!!」

 

 モニター内で小さな二つの光点が、シュペーを示す光点と重なって、そして右側へと抜けた。更にそのまま左へとターンして、シュペーの艦首前方を通り過ぎていく。これは全て、ビッグママが事前に指示していた通りの動きだ。つまり二本の魚雷はシュペーに最接近しても、最後までコントロールを失わずにクリムゾンオルカの制御下にあった事になる。

 

「ママ……これは、どういう事でしょう?」

 

「……まだデータ取りの途中だよ、リケ。コイルをカット、次は事前にコースを与えた魚雷を試す。3番4番発射準備。コースは今の1番2番のものをトレースするように、シュペーの針路と速度、そして雷速とを計算するんだ」

 

「はい、ママ。任せて」

 

 標的の動きに合わせてその都度針路を修正できる有線誘導と違って、あらかじめ針路を設定した魚雷は当然のことながらプログラミングされた通りの針路しか取る事は出来ない。故に、コース入力の難易度は有線誘導とは比べ物にはならないが、しかしビッグママのクルーであるロックは鼻歌交じりにキーボードを叩くと、ものの10秒で全てのプログラミングを完了した。

 

「ママ、発射準備完了です」

 

「よーし、ぐずぐずするな発射だ」

 

「3番4番発射、アイ!!」

 

 再びズズンという音と衝撃が伝わってきて、モニターには二つの小光点が表示される。

 

 魚雷2本は先程の有線誘導だった1番2番と同じで、まず左にターンしてその後右に反転、左後方からシュペーへと向かっていく軌道を取る。

 

「距離500……シュペーに回避行動は見られません。魚雷も真っ直ぐ進んでいます。迷走したりする様子は見られません」

 

「引き続き、モニターを続けるんだ」

 

 距離300……200……100……先程の焼き直しのように、シュペーは悠然と進んでいて魚雷もそのまま突っ込んでいく。

 

 シュペーに近付いていく際の晴風のように、クリムゾンオルカ内でもこの時だけは静まり返って誰も何も言わなかった。

 

「距離50……シュペーに動き無し、我が方の魚雷にも異常無し!!」

 

 モニター内の3つの輝点が一つになって、そしてまた3つになった。小さな二つの輝点は、今度は左へとターンする。全てプログラム通りの動き。そのままシュペーの艦首前方を通り過ぎていって、やがて燃料切れで沈降していった。

 

 ビッグママは先程の有線誘導魚雷と同じコースをトレースするように指示を出していたが、シュペーの動きまで含めて第一弾の焼き直しのようになった。

 

「ママ、これは……」

 

 シートをくるりと回して、リケがビッグママを振り返った。

 

 生身の手でこめかみをトントンと叩いていたビッグママは、煙管を手に取るとふうっと紫煙を吐き出した。紫煙は換気扇に吸い込まれて、すぐ発令所からは消えた。ナイン達に受動喫煙の心配は無さそうである。

 

「……予想は出来ていた事だね。晴風は猿島に魚雷を一発だけ当てて、動きが鈍った所で逃げ出したと報告にあったろ」

 

「魚雷を当てて……そうか」

 

「成る程……もしネズミが魚雷のセンサーを狂わせたり回避行動を取ったりするなら、猿島は回避して魚雷を避けるなり、晴風の魚雷を迷走させるなりして被弾を避けた筈。演習用の模擬弾頭だったから良かったようなものの、実弾だったかも知れない訳ですからね」

 

 まぁ、それでも結果的には乗員が操られた状態でダメージコントロールが出来なかったから猿島は沈没する羽目になった訳だが。

 

「つまり……RATtには魚雷のセンサーを誤作動させるような事は出来ないし、そいつらに操られた艦は魚雷を避けたりするような動きは取れない……ですよね、ママ」

 

「その通りだが……」

 

 ナインの同意を求める言葉に対して、今回のビッグママは珍しく言葉を濁した。これにはナイン以外の二人のクルーも穏やかな驚きを見せた。

 

「……これはあくまでノーマルタイプ相手の話だ。武蔵に乗っているボルジャーノンは噴進魚雷の軌道を狂わせて狙いを外すような芸当までしてみせた。同じような真似が出来るヤツがそうそう居る訳じゃないってのは立証されたが……今回のテストは単独行動中のシュペーが相手だからね」

 

 尤も、だからこそこの実戦テストに踏み切った訳だが。

 

「……ボルジャーノンの指揮下にあるノーマルタイプは、どんな動きをするのか? それが観察できないのが不安だが……」

 

 とは言え、無い物ねだりをしても仕方がない。情報とは予算と同じで、不如意なものだ。あるもので何とかするしかない。

 

「まぁ、今のシュペーから得られるデータはこんなトコか」

 

 手の中で、煙管をくるりと回すビッグママ。

 

「よし、作戦を第三段階に移行する。データ収集は終わりだ。1番2番に無弾頭魚雷を装填するんだ。シュペーの足を止める!!」

 

「1番2番装填、アイ!!」「針路をプログラムするわ」「シュペーの針路・速度を再度チェックします」

 

 3名のクルーは艦長の意図を正確に理解し、それぞれの役割を果たしていく。25秒で全ての準備は完了した。

 

「ママ、1番2番発射準備完了。撃てます!!」

 

「よし、発射!!」

 

 三度目の魚雷発射。モニターに再び光点が二つ現れ、先程のものとは違って今度は真っ直ぐシュペーに向かっていく。

 

 距離はどんどんと縮まっていき……やはり、シュペーは回避に動かない。

 

 そして、距離はゼロに。

 

 爆発はない。

 

 代わりに、金属がひしゃげるようなけたたましい音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

<水測からブリッジへ。クリムゾンオルカからの魚雷が、シュペーに命中!! 爆発音は聞こえませんがシュペーの推進音が消えました!!>

 

「ああ、こちらからも見えている。シュペーの動きが止まった。ミス・ビッグママがやってくれたらしい。円を描くように動く様子も無いから、二発とも正確にスクリューに当たってプロペラが折れたみたいだ」

 

 伊401との戦いでも見せたクリムゾンオルカの絶技・スクリュー潰しだ。しかも以前は回避運動を取り更には三次元航行する潜水艦のスクリューに、未来予知が出来るかの如く当ててみせたのである。魚雷を避けようともせず、しかも二次元の動きしか出来ない洋上艦に当てる事など、ビッグママ達には朝飯前を通り越して晩酌前の芸当だったに違いない。

 

「ホントママさんは凄いねぇ……水雷長として、憧れちゃうよ」

 

 と、芽依。

 

「では、これからスキッパーでシュペーへの乗り込み作戦を開始します!! 突入部隊は私とミーちゃん、まりこうじさんとみなみさん、のまさん、モモちゃん、サトちゃん、ミミちゃん。そして五十六で!! 晴風は危険距離ギリギリから、シュペーの注意を引き付けて!!」

 

「Ja(分かった)」

 

 ミーナはシュペーの艦長帽を被ると、五十六を抱っこしてブリッジから退出していく。

 

 明乃は自分もブリッジから出ようとするが、その前にましろへと向き直った。ましろも、副長として姿勢を正して艦長と相対する。

 

「宗谷ましろ、私達が戻るまでの間、晴風の指揮権を委譲します。以後は貴女の判断で、当艦の指揮をお願いします」

 

 差し出された艦長帽を、ましろはしっかりと握り、受け取った。

 

「分かりました」

 

「じゃあ……行ってくるね!!」

 

 そうして明乃は走り出すが……

 

「艦長!!」

 

 ましろに呼び止められて振り返った。

 

「……お気を付けて」

 


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