ハイスクール・フリート PRIVATEER(完結)   作:ファルメール

1 / 34
VOYAGE:01 艦長ビッグママ

 

「もうすぐ通るよ、もかちゃん!!」

 

「うん!!」

 

 その日、岬明乃と知名もえかはとある岬へと走っていた。

 

 二人が森を抜け、視界が一気に開けたのと汽笛が鳴り響いたのはちょうど同じタイミングだった。顔を上げた少女達の視線の先には大和型一番艦『大和』の勇姿があった。

 

「おーい!! おーい!!」

 

 小さな体を目一杯背伸びして手を振る明乃だが、やはり距離が離れている事もあってか大和の乗員が気付いた様子はない。

 

 と、いきなり明乃ともえかの周りだけ暗くなった。

 

 雲が太陽にかかったのかと思ったが、今日は快晴、空は雲一つない蒼天である。陽光を遮るものは何も無い。

 

 するとむんずと首根っこを掴まれる感覚があって、二人は軽々と空中に持ち上げられていた。

 

「ひゃっ?」「わわっ?」

 

「そんなんじゃいくら手を振ったって見えやしないよ、ミケ」

 

 しわがれた声がして、明乃ともえかがそれぞれ振り返るとそこには一人の女性が立っていた。その女性は二人を片手で猫のように持ち上げていた。暗くなったのは、彼女の体が影になったせいだったのだ。

 

「ママさん!!」「ビッグママ」

 

 少女達は、嬉しそうな声を上げる。

 

 大きな、大きな女性だった。

 

 身長は男性と比べてもとても高く、190センチメートル以上はあるだろう。肩幅も広くがっしりとしていて、お腹には加齢と飽食による余分なものがたっぷりでっぷりと付いていた。

 

 体重は……160キロは軽く超えているだろう。年齢は70過ぎといった所だろうか、長い髪は黒と白が3対7ぐらいの割合で混ざっていて、日焼けして鷲鼻でそしてシワだらけの顔には左眉の上から45度の角度で大きな傷が走っており、右目は革製の眼帯で塞がっている。余分なものは顔にもしっかり付いていて、あごが肉に埋もれて消えかけていた。

 

 両腕は明乃やもえかの腰ぐらいの太さがあって、左右非対称だった。右手は生身だが、左手は肘から先がマジックハンドのような義手になっていた。

 

「ほうら、こうすれば分かるだろ」

 

 ビッグママ。

 

 もえかにそう呼ばれたその女性は二人の体を発泡スチロールで出来ているかのように持ち上げると、それぞれ自分の肩に座らせてやる。視界が一気に広くなって、明乃が「わぁ」と笑った。もえかは少し不安なのか、両手でビッグママの頭を掴んでいた。

 

「ほら、もっかいやってみな」

 

「はい、ママさん!! おーい!!」

 

 100メートル先から見ても一目で分かりそうなビッグママに抱えられているせいだろうか、今度は大和の甲板に立っていた女性士官も気付いたらしい。帽子を取って手を振り返す。気付いてくれたのが嬉しかったらしく、明乃の顔がぱぁっと明るくなった。

 

「もかちゃん!! 私達、絶対、ぜーーーったい、ブルーマーメイドになろうね!!」

 

「うん!!」

 

「海に生き!!」

 

「海を守り!!」

 

「「海を往く!! それが、ブルーマーメイド!!」」

 

「そうかいそうかい、二人はブルマーになるのかい。良い事だねぇ」

 

 肩に座る二人の会話を聞いて、ビッグママはにっこり微笑むと「ガハハ」と笑う。体が揺れるので、明乃ともえかは振り落とさそうになって思わず両手でビッグママの頭に掴まった。

 

「まぁ……どんな職に就いても良いさ。元気で、友達を大切にして、毎日歯を磨いて、煙草はやらずに……そして……」

 

「「そして?」」

 

「あたしみたいにならなきゃ、何になっても良いさ」

 

 

 

 

 

 

 

 9年後の4月、小笠原諸島の父島近辺を一隻の客船が航行していた。

 

 だが只の客船ではない。

 

 普通の客船と何が違うのか?

 

 大きさ? 否。確かに小さな島のように大きいが、同じぐらいの豪華客船は世界に何隻かはあるだろう。

 

 船内設備? 否。確かにプールにカジノ、ショッピングモール、病院、サーカス、エトセトラエトセトラ……色々あるがそれでも同じぐらいの設備を備えた船は世界に何隻かはあるだろう。

 

 他の船との違いは、ずばり船体である。この客船は上はアンテナから下は船底まで、一面金色。シャワー室からトイレ、機関室の内部からスクリューに至るまで全てキンキラキン。眼が眩むような内装だったのである。

 

 一体全体どれだけの財産を注ぎ込めばこんな船が出来上がるのか。ちょっと想像も出来ない。恐らくだがこの客船を質に入れれば小さな国なら一つや二つ買えるのではあるまいか。

 

 と、こんな具合に成金趣味全開な『シャイニングホエール号』。この船で旅行する事は金持ちのステイタスであり、予約は7年先までビッシリだ。このように金はある所にはあると労働意欲を根こそぎ奪うような豪華客船の船長室では、一人の女性が椅子に腰掛けて机に脚を投げ出し、イビキを掻いていた。

 

 ビッグママだ。

 

 髪はもうすっかり真っ白になっていて、体型は9年前よりも一段と太ったようだった。

 

「むにゃむにゃ……もう食べられないよ……むにゃむにゃ……」

 

 テンプレートな寝言を呟いたのと同じぐらいにドアがノックされる。

 

「大変だ、ママ!! 入ります!!」

 

 ドアが勢い良く開け放たれて、3人の中年男が駆け込んでくる。一人は2メートルはありそうな長身で針金のように痩せていて、一人は160センチぐらいで玉乗りボールのように太っていて、一人はスマートで女性のように美しかった。

 

「むにゃ……どうしたんだいお前達」

 

 ビッグママは夢から覚めると、左目だけをこすりながら三人の男へと向き直る。

 

「海上安全整備局から依頼が入りました!!」

 

「内容は?」

 

「西之島新島へ行って、コイツを回収してこいって事です」

 

 ビッグママは痩せぎすの男が持っていた書類を受け取ると、ぱらぱらとめくっていく。写真が何枚か添付されていて、そこには白と茶色のまだら模様をしたハムスターのような動物が映っていた。

 

「このネズミを? 理由は? まさかお偉いさんのペットでもあるまいに」

 

「それが……こちらからの質問には一切応じないと。その分、報酬は多くそれも全額前金で払うって……」

 

 太った男が答える。それを受けてビッグママの表情が眼に見えて険しくなった。

 

「話にならないねぇ。あたし達が”一方通行”の仕事はしないのはお偉いさんも承知の筈だろ?」

 

「でもママ、この仕事の報酬は10億と破格よ。引き受ける価値はある……か……と……」

 

 美しい男が反論しかけるが、ビッグママの隻眼に睨まれて押し黙るしかなかった。

 

「お前達……気を付けぃ!!」

 

「「「!!」」」

 

 一喝され、3人はびくっと体を震わせると一列に並んで、一斉に背筋をピンと伸ばして気を付けの姿勢を取った。

 

 椅子から立ち上がったビッグママは三人の前まで歩いてくると、まず痩せた男の左頬にビンタ!! 気持ちのいい音が鳴る。

 

 続いて太った男の左頬にビンタ!!

 

 更に美しい男の左頬にビンタ!! そしてこいつにだけ返す刀で右頬にもう一発ビンタをお見舞いした。

 

「休めぃっ!!」

 

 声が掛かって、3人はシンクロナイズドスイミングのように完璧なタイミングで、「休め」の姿勢になった。

 

「お前達!! あたしら『ビッグママ海賊団』鉄の掟三箇条を言ってみな!! まずはリケ、お前からだ!!」

 

「は、はいママ!! 一つ、堅気の方には手を出さぬ事!!」

 

 痩せた男が答える。

 

「よし、次はナイン!!」

 

「一つ、事情を話さない奴からの依頼は引き受けぬ事!!」

 

 太った男が答えた。

 

「ロック!!」

 

「一つ、人と麻薬と誇りは売らぬ事!!」

 

 美しい男が答えた。

 

「よーし、良くできた!!」

 

 ビッグママは顔をほころばせて、右手で順番に男達の頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。

 

「お前達、いつも口を酸っぱくして言っているよね? いくら贅沢な暮らしをして、いくら美味いものを食って、いくら国家公認であろうがあたし等は所詮は海賊、海のクズさ。けどね、いくらクズであろうとそれでも最低限の誇りだけは無くしちゃあいけないよ。それを忘れたら、あたし達はホントにクズの中のクズ、燃やすとダイオキシンが出る最低のゴミに成り下がっちまうからね。お前達もいつかはあたしの後を継ぐんだから、それを忘れちゃあいけないよ……分かるね?」

 

 噛み含めるように、ビッグママは諭していく。決して怒鳴りつけたりはせずに、優しく、穏やかに。

 

「は……はい、良く分かりましたママ」

 

「肝に銘じます」

 

「目先の欲に眩んだ自分が情けないわ、私……」

 

 三者からの反省の弁を受け、満足げに頷くビッグママ。

 

「よーし、分かれば良いのさ。それじゃあ、今から西之島新島沖へと向かうよ!!」

 

「「「はっ?」」」

 

 予想も付かない言葉に、三人は眼を丸くする。

 

「え? でもママ……たった今依頼は断るって言ったばかりじゃ……」

 

 ロックと呼ばれた美しい男の疑問も当然である。これを受けてビッグママはニヤリと意地悪く口角を上げた。

 

「ああ、依頼は断る……その上でこのネズミ……こいつをあたし等が確保する。そうして、金をガッポリせしめるのさ」

 

 後ろ暗い所が何も無いなら、ブルーマーメイドなりホワイトドルフィンなりが動くだろう。それをせずにヤクザ者に依頼するという事は、何か公になって困るものがあるという事だ。それが何なのかまでは分からないが……手にすれば口止め料として莫大な額が期待できる。10億円など目じゃないだろう。

 

 ロックは、苦笑いを浮かべた。

 

 海上安全整備局の背広組は重大なミスを犯した。『ビッグママ海賊団』へ依頼する時は、事情や背景の説明を絶対に欠かしてはならなかったのだ。それは礼を欠いた行為である。彼等はこの教訓の為に、恐ろしく高い授業料を払う事となるだろう。

 

 クローゼットから取り出した金色の肩章付きコートをばさっと羽織り、海賊帽を被ったビッグママは椅子に深々と腰掛けると、肘掛けの裏側に付けられたスイッチを押す。

 

 すると椅子の支柱を中心として床が円形に開いて、ビッグママは椅子と共にくるくる回りながら穴の中へと消えていく。彼女の巨体がすっかり見えなくなると、床に空いていた穴はシュッと空気が洩れるような音と共に閉じた。

 

 それを見届けると、リケ、ナイン、ロックの3名もそれぞれダストシュート、掛け軸の裏側の穴、そして忍者屋敷のような回転式の壁の裏側へと姿を消して、ものの十秒で船長室からは誰も居なくなった。

 

 

 

 そこは、まるでビルの屋上から眺める夜景のような場所だった。

 

 暗闇の中に赤、青、緑……様々な色の、大小無数の光がチカチカと瞬いていた。

 

 グォォォン、という機械音が響いたかと思うとにわかにその場所はライトアップされ、近代的な内装が分かるようになる。この時代の艦船は少人数でも運用が可能なよう高度に自動化が進められているが、それらの船と比較してもこの空間の機器は数世代先を行っているように見えた。

 

 空間の天井が開いて、椅子に座ったままのビッグママが回転しながら降りてくる。船長室の椅子は、そのままキャプテンシートとなった。

 

「ママ、既に計器のチェックは済んでいます、システムオールグリーン!! いつでも行けます!!」

 

「機関始動、推進各部起動まで40秒」

 

「シャイニングホエール号の底部ハッチ開口を1分後にセットしたわ」

 

 既にそれぞれの指定席へと着いていた男達は、モニターに表示されてめまぐるしく切り替わっていく情報を残らず読み取って、艦長・ビッグママへと伝えていく。

 

「よーし、よし」

 

 ビッグママは頷くと、咥えていた煙管を手に取ってくるくる回し、さっと前方を指し示した。

 

「クリムゾンオルカ……発進!!」

 

 重々しい機械音と共に、水音が聞こえてくる。

 

 世界一の豪華客船『シャイニング・ホエール号』。しかし、海上の煌びやかな部分など所詮は見せ掛け、ただのガワ、卵の殻でしかない。少なくともこの空間に居る4人にとってはそうだ。そもそも『シャイニング・ホエール号』は実は客船ですらない。潜水艦用の自走式浮きドックなのだ。

 

 そして今、船底部のハッチが開いて格納されていた潜水艦『クリムゾンオルカ』が海へと漕ぎ出していく。『シャイニング・ホエール号』の豪華さに目を奪われた乗客達は一人として気付いていない。そうして海賊船は、西之島新島へ向けて海中を進んでいく。

 

 しかしビッグママ達にとっては金目当てで始まったこの航海が、世界の命運を懸けた旅になるとは……この時は、まだ誰も知る由もなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 今からおよそ100年前、日露戦争後の日本はプレートの歪みやメタンハイドレートの採掘などが原因で国土の多くを失った。

 

 その結果、海上都市が増えそれらを結ぶ海上交通の増大により日本は海運大国へと発展を遂げた。その過程でかつての軍艦は民間用に転用され、戦争に使わないという象徴として艦長は女性が務める事となった。これが海の治安を守る「ブルーマーメイド」の始まりである。

 

 今では「ブルーマーメイド」は女子の憧れの職業となり、同じように海の治安を守る男性の部隊は「ホワイトドルフィン」と呼ばれている。

 

 そしてもう一つ……広大な海を跋扈する悪への抑止力として、無法者からの海賊行為を国家から許された者達が居た。

 

 人は彼等を、「クリムゾンオルカ」と呼ぶ。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。