昼間の蝉たちの喧騒も収まり、名を知らぬ虫の鳴き声が変わりに夜を奏で、人々が寝静まる頃、ここ博麗神社の住人たちも例外なく床に就いていた。
神社の二人の少女たちは風の通りの良い一室に二人仲良く布団を並べすーすーと気持ちの良さそうな寝息を立てている。どこの家にでもあるようなそんな平和な夜の時間。
しかし、片方の少女は急に右肩を抑え声を殺して苦しそうに呻き始めた。
「ーーーーいっ!?」
強烈な痛みが走りいきなり眠りから叩き起こされた。目覚めたばかりの心地の良いまどろみとか、夢とうつつの狭間にいる感覚とか吹っ飛ばして鋭い痛みが意識を覚醒させる。
あまりの痛みに声が漏れそうになるがダメだ。霊夢が寝てる。心配させるわけにはいかない。
「っつぅぅ…」
痛みの源の右肩を抑えてうずくまってもまったく痛みがひかない。それどころかその右肩の痛みが身体中に広がっていくような錯覚を起こした。
「また、か…」
…とにかくこのままじゃ我慢し切れないな。痛む体を引きずって俺は台所へむかった。
「はぁっ、はぁっ、薬っ、どこ置いたっけ?」
家の中を少し歩いただけでこのざまだ。息が切れ、汗がふきだしてきた。じっとりとした体に、寝巻きがうっとおしくベッタリとくっついている。この汗は寝汗かそれとも。
「あ、あった」
痛みに慣れ始めた頃にやっと見つけた、人里の薬屋で買った痛み止め。あの日以来、今も古傷となって俺の肩に残る怪我は未だにこうして時折、激しく痛む。
普通に暮らすには大丈夫だが、俺の体はもう激しく動くことは難しいらしい。
だから、霊夢や魔理沙がやってる遊びの弾幕ごっこもただ眺めることしかできない。まあ、眺めるだけでも十分楽しいけどね。
ゴクリ、と喉を鳴らして水とともに薬を飲み込んだ。
「まっずぅ…」
飲んだ水の量が少ないのか、粉薬特有の水に溶けきらなくてドロドロになったあの感じ。ザラザラでドロドロの最悪の物体が俺の舌の上で苦味を拡散させ続けていた。
「にがいし…」
その後俺は口の苦味を消すために水を何杯も飲み続けた。
「っつ、薬飲んでもすぐには効かない、か」
まだ薬の効いた様子もなく痛みは続いている、なるべく音をたてない歩き方をしているせいでうつむき気味の顔を上げると寝ていたはずの霊夢が寝室の前に立っていた。
霊夢は俺を見つけるや否や心配そうな顔で駆け寄ってきた。…起こしちゃったか。
「蓮夢大丈夫?まだ、痛むの?」
痛みを隠してなんでもない、という風に肩を竦めて答えてやる。
「大丈夫、霊夢。心配無用よ」
「でも…」
「大丈夫だって、薬飲んだし、寝るだけだし」
「…」
いつもそうだ霊夢は。他人にはそこまで気遣う様子を見せないくせに俺のことは自分のことのように心配してくる。
この怪我は俺が勝手にしただけなのにな。
無言で何かを訴えてくる目線を無視して笑かけてやる。
「まだまだ夜は続くからもう寝よ?霊夢。先に私は布団に行ってるわね」
「おやすみ」
廊下のすれ違い越しに同じ高さにある頭を撫でてやって俺は布団に飛び込んだ。
そうしてすぐに俺は意識を、手放した。
「先に布団に行ってるわね」
そう笑う私の大事な家族の笑顔は軽く引きつっていた。痛むのだろう、彼女の首筋には多量の脂汗が浮かんでいた。
「おやすみ」
そう言ってくしゃりと私の頭を撫でたあと蓮夢は寝室に戻っていった。
…なによ、口ではああ言ってるけど嘘なのがバレバレよ。全然大丈夫そうに見えないじゃない。
あの日以来蓮夢は時々傷が痛むのか辛そうな顔を見せる。
私の前では態度に出そうとしないけどあの傷だ、痛いに決まってるわよ。それに蓮夢はわかりやすいし。
あの怪我のせいで蓮夢は激しく動くのが難しくなってしまった。昼間、魔理沙が弾幕ごっこに誘おうとしていたが弾幕ごっこすら蓮夢はできない。魔理沙もそれを知っているはずなのにあの発言だ。だから昼間は痛い目を見てもらった。
それにしても蓮夢をあんな目に合わせた奴はどこのどいつなのかしら?蓮夢に聞いても、危ないからダメって言って教えてくれないし。見つけたらとっちめてやるんだから。
…まあ今は考えても無駄か。私は台所に言って口を湿らす程度に水を含んで蓮夢の隣に寝転がった。
もうすでに寝ているらしい彼女の頬に触れても反応を示さない。
「…蓮夢」
呼びかけても返事は無くまだ痛むのか時折不安定になる呼吸だけがある。
「私はあなたと弾幕ごっこがしたいわ。いつかその怪我が治ったらしましょう?」
絵空事だ。人里の医者を二人で探し回ったけど完全に治すことができないと言われた。紫や藍にも治し方はよくわからないと言われた。だから、蓮夢の傷は治らない。わかってはいる。けれど私はただ、蓮夢と遊びたかった。
「…それまで私が護るから」
もしもあの時、私がちゃんと止めていれば。止めていれば蓮夢は怪我なんてしなかった。
だから蓮夢が怪我したのは私のせいでもある。だから、護る。蓮夢を。
他の誰でもない自分自身に誓う。
強く固い意志を胸に抱いて。
ピィーッ!ピィーッ!!
甲高い鳥の鳴き声が聞こえる。けたたましいそれは俺の体に朝を伝える。肩に触れても痛みは無い。夕べの痛みはどうやら引いてくれたようだ。
隣で寝ている霊夢を起こさないように立ち上がり縁側から外に出て朝の新鮮な空気を吸って空を見ると早く起きすぎたのか東の空が白み始めたばかりだ。
「ふぁ〜あ、よく寝た」
軽く伸びをする。朝は夏でも涼しくて好きだ。ひんやりとした空気が脳を気持ち良く目覚めさせてくれる。
こういう早起きをした日は自分でも驚くくらい機嫌が良い。
面倒くさい境内の掃除も自然とする気になった。
無意識に箒を片手に賽銭箱の前を掃いている自分がいる。
「♪〜〜♪〜」
鼻唄なんて歌いながら賽銭箱の前から丁寧に。徐々に入り口の階段の辺りにまで近づいて最後に階段から見える景色が俺は好きだった。高い場所に建っているこの神社からは見下ろせば人里が一望できるのだ。
自分で空を飛んで見下ろすのとは違う景色が見えると思う。だからここから見る景色は好きだ。
「よーし、仕上げっ!」
箒を掃くペースを上げて階段から朝の景色を一望!
「…あれ?」
…とは今日はいかなかった。人里を見下ろすともやがかかったように霧に包まれた人里が見える。
朝もやなんて良くあることだろうが色がいけない。異常だった。
「…赤ぁ」
これは後に紅霧異変と言われる日の朝のこと。
ようやく原作の時間軸と重なってきました。