雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

97 / 192
 旧139話~140話のリメイクです。

 では、どうぞ。


《影の王》からのプレゼント

『――その通りさ』

 

 リースの言葉に呼応するように、とある人物が声を発した。それはこの場にはいなかったはずの人物。そして、この場に現れなくてはならなかった人物だ。その人物は――《影の王》。誰もがその到来を予期していたため、誰も驚くことはなかった。

 《影の王》はケビン達に告げる。

「よくぞここまで来た。ここより先は《第七星層》――私の生まれた場所にしてすべての星層の礎となる場所だ」

 アルシェムはそれを聞いて僅かに眉をしかめた。《影の王》がアルシェムが考えたとおりの人物ならば確かに入口がこの建物なのは理解出来る。だが、そうなれば説明のつかないことが出てきてしまうのだ。無論ここまでに語られてきたこと。ティオ・プラトーの存在だ。アルシェムつながりと言えば遠くないのかもしれないが、ケビンからはかなり遠い。ならば、《影の王》が純粋に『彼女』であることは有り得ないのだ。

 故に、『彼女』だけでなく誰かが混じった状態の彼女がそこに現れるはずなのだ。アルシェムに因縁があり、かつ心の奥底から畏れている人物が。それが誰なのか、アルシェムにはまだ確信はない。ただ、あのあたりの人物なのだろうと勝手に見当だけはつけていた。

 ケビンは《影の王》に向けてその名を告げる。皆を現実に帰すために。

 

「余計が御託はいらん。とっととその悪趣味な仮面を外せや、《影の王》――いや、ルフィナ・アルジェント!」

 

 その言葉にリースが息を呑む。一同は苦い顔をして《影の王》が仮面を外すのを待ち――そして、仮面の下から現れた彼女が確かに星杯騎士にして《千の腕》の異名を持つ第一位の従騎士ルフィナ・アルジェントであることを確認した。ただし、姿だけ。彼女らのほとんどの人物が彼女を『ルフィナ』だとは信じていなかったのだ。見れば分かる。彼女にあまり深くかかわっていなかった者ほど見えるその特徴。それは――いちばん深い印象を与える彼女の瞳だ。彼女の瞳にはいつだって慈愛が満ちている。しかし、目の前の『ルフィナ』には――張りぼてだけの偽善がありありと見て取れたのだ。

 『ルフィナ』のその顔を、その瞳を見たレオンハルトがケビンに向けて告げる。

「本人とはとても思えんが、ケビン・グラハム。本当にこの先に進むつもりなのか?」

「……当たり前やろ。そうすればこの件は解決や」

 ケビンの答えに一向は黙り込み、目配せして――レオンハルトがケビンを拘束した。このまま行かせる気はない。このままケビンを行かせれば、彼は生き地獄を味わうことになる。そうしたくないというのもあるが――実際は、第五位の《聖痕》を永久欠番にしないためだ。今欠けられても困る。特に、《守護騎士》には。故に、レオンハルトにケビンを拘束させた。

 ケビンは信じられないものを見るような眼でアルシェムを見る。

「何さすねん、アルちゃん!」

「言い訳だけは後で聞いてあげる。でもね――ケビン・グラハム。あんたにそんな権利があると思ってんの? その血と肉を七耀の理に、魂を女神に捧げたはずのあんたに? 勝手に生き地獄で魂を擦り減らすような権利がどこにあると?」

「それは……でも、そうせんと皆が帰れへんで?」

 ケビンの言葉にアルシェムは湧き上がってくる嗤いを抑えられなかった。ケビンがこのまま煉獄を模した場所にしばりつけられて、事態が果たして終息すると本当に思っているのだろうか。いいや、有り得ない。何故なら――聞いたではないか。このまま現実世界に侵食していく可能性があると。罰を受け続けたケビンが再び逃げないという保証が何処にあるというのか。ケビンが再び逃げに走ってしまったら――全てが侵食されるだろう。

 ケビン・グラハムを取り込んだことによって浸食される現実世界は、阿鼻叫喚の地獄と化すだろう。ただ周囲の人間達を罰するためだけの悪夢のような地獄。それが現実になるところをアルシェムは見たくなかった。

 アルシェムは『ルフィナ』を見てこう問うた。

「本当にあんたが『ルフィナ・アルジェント』ならば――こんなふうにケビンを甘やかしたりしない。苦しみ続けるのならば一人でではなく、皆の間で苦しみ続けろって言う。そーじゃない? 実妹のシスター・リース」

 最後だけはリースに問いかける形になったが、概ね言いたいことは言えた。目の前の『ルフィナ』は絶対に別人だ。それに身近な人々が気付けるか――それだけの問題なのだ。近すぎても見えないものがある。故に、アルシェムは改めて言葉にしてリースに問うたのだ。

 リースはアルシェムの言葉を受けて顔をあげた。

 

「――当然です。あなたは姉様なんかじゃない……! 姉様は、苦しくても生きろって言う! 苦しみを吐き出してでも盛大に苦しみ抜いても、どうなったって皆と一緒に生きろっていうもの……!」

 

 それは、かつてルフィナが孤独の淵からケビンを掬い出したこと。ただ一人で孤独に消えていかないように、繋ぎ止めたこと。生きてさえいればどんなことだって出来ると、そう伝えたかったのだと、リースは信じたかった。故に、目の前の『ルフィナ』を彼女は否定する。安易に孤独な逃避に走らせるようなことを、リースの知るルフィナはしない。

 そのことに、ケビンはようやく気付けたのだ。ケビンの知るルフィナは、こんなに甘い人ではなかった。死にたかったのに生き延びさせて。もう大事な人を作るつもりもなかったのに大切な人になってくれて。死なせたくなかったのにその身を犠牲にして。いつだって、ルフィナはケビンの望む形には生きさせてくれない人だった。それでもその底にあったのは、慈愛なのだと信じたい。

 故に、ケビンは足掻けるだけ足掻くことにした。そうして、どう頑張ってもそこにしか道がないというのならば――甘んじて受ける。でも、今はその時ではない。何故なら、ケビンはまだ満身創痍でもなければ一応頼りに出来るだろう守護騎士ももう一人いる。ならば、まだどうにかする道はあるはずだ。道があるのならば、足掻かないという手段をとることは赦されない。

 そう思ってケビンが『ルフィナ』を睨み据えると――突如、『ルフィナ』が姿を変えた。

「な……」

「……成程。そう来たか……」

 そこにいたのは――既に『ルフィナ』ではなく。別人の少女だった。波打つ銀色の髪の、どこか悲しそうな瞳をした少女だ。神々しく見えるだけであって、別に神とかそういう類の人物ではないことだけは分かる。何故なら、彼女が本当に神だとすればただ一人にだけ憐憫の色を見せることなど有り得ないからだ。全ての人物に等しいのが神であって、ただ一人に執着するような神はとうの昔に破滅しているだろう。

 彼女はアルシェムにこう告げた。

「わたしなら、貴女の願いを叶えられる」

「必要ない。それに……あんたの姿を見て大体わかった。要するに、願いをかなえてくれる=死でしょうが」

 その言葉に彼女は悲しそうな顔をして首を横に振る。となると、永遠に幻影の中を彷徨わせられるか。アルシェムはそう思った。彼女の心の奥底の願いは、絶対に叶うことはないと知っているのだ。ならば願うだけ無駄というもの。叶わない願いなら永遠に胸の中に沈めておけばいい。どうせかなうことのない願いならいっそ深く沈めて。

 少女はアルシェムに向かってこう返す。

「他人の好意は素直に受け取っておいた方が良いよ。そうじゃないと――」

 言葉の途中で少女は姿を変え、『ルフィナ』の形をとって――告げた。

 

「こうなるのよ」

 

 にこりと花開くように嗤った『ルフィナ』は手を振るって――そして、全員がその場から落下し始めた。驚愕に目を見開く一同。しかし、この事態に対抗する術を持つのはアルシェムのみ。それ以外の面々に出来ることはと言えばケビンがリースを、レオンハルトがカリンを捕まえることだけだった。アルシェムはというと、《聖痕》を発動させて氷の円盤をつくりだし、一同を回収する。

 一応氷の円盤に降り立てたケビンは中央で円盤を維持しているアルシェムに声をかける。

「アルちゃん、これ大丈夫なんか!?」

 すると、渋面を作ったアルシェムがこう返す。

「保証はしない。っつーか、正直に言って衝撃を和らげられるかどうか五分五分だと思うから一応衝撃に備えてて」

「お、おう……」

 複雑な顔で手伝えることがないことを悟ったケビンはリースと共に衝撃に備えた体勢をつくり、その様子を見ていたレオンハルト達も同じく似た体勢を作る。そうして――最初はパリ、という小さな音。それに連続して連鎖的に響き渡る破砕音。減速して、傾いて、そしてケビン達は辛うじて道の上に投げ出された。少しでもずれていれば下にまっさかさまである。

 そして、当のアルシェムはというと円盤の真ん中から滑り落ちて転がっていった。幸いなことにそのまま道の半ばで止まったのだが、どうしたのか動き始める様子がない。それを見たレオンハルトとカリンは顔を見合わせ、慌ててアルシェムに駆け寄って抱き起こす。

「大丈夫、アルシェム?」

「……悪いけど、しばらくは動けないかな」

 カリンに声を掛けられたアルシェムは、本当に珍しくそう応えた。アルシェムはそもそもあまり弱音を吐くことはない。弱みを誰にも握られたくないからだ。だから強がってずっと生きて来た。今になってこう答えたのは、単純に動けなかったからだ。《聖痕》は、精神を喰らう。容赦なく神経まで犯した《聖痕》は、身体に痛みを生じさせるのである。アルシェムとしてはもう一歩も動きたくなかったし、何よりも節々に幻痛が走っていて立ち上がることさえままならなかった。

 それを察したのか、カリンがアルシェムを抱え上げた。とにかく対策を考えなければ――そう思ってカリン達はケビンのいる場所まで戻ろうとして――気付く。何かが邪魔をして先に進めない。そこに透明な壁があるかのように、カリン達はケビン達と分断されてしまった。愕然とした表情で壁を殴り、レオンハルトが剣で切りつけようともその壁は動こうともしなかった。

「これは……!」

「分断されたか……そっちは大丈夫そうか?」

「アルシェムは――ストレイ卿は動けそうにありませんが、とにかく先に何があるかだけは確かめておくことにします。だから、気を付けて――ケビン君」

 アルシェムの代わりにそう応えたカリンは、アルシェムを背負ったままレオンハルトと共に別の道へと進み始めた。ケビン達も少々遅れて別の道を歩み始めたようである。しばらくは魔獣のような何かが出るだけで何とかなった。あまり強くもなく、レオンハルトの一撃だけで倒れるのが多かった。アルシェムとしてはずっとそうであればいいと思っていた。苦戦などしない方がいいのだから。

 しかし、しばらくして辿り着いた小さな広場では、無数の泥人形のような魔獣がたむろしていた。それらはアルシェムを視認すると怨嗟の声を上げ始める。

「オ前サエイナケレバ良カッタ……」

「私タチハ幸セニ暮ラシテイタノニ、アナタガ来タセイデ……!」

「オ前サエイナケレバ、村人達ハ皆生キテイタダロウニ……!」

 その言葉で、大体のところを察した。彼らは――恐らく、《ハーメル》の住民たちだろう。死してなお煉獄の炎の中で踊り狂う彼らは、アルシェムから聞いたことを全く生かせなかったその罪で業火に焼かれている。他人を信じず、死してなお呪っている彼らには罪があるのだ。無論、彼らの言い分もある意味では正当ではあるのだが。アルシェムさえいなければ、《ハーメル》が襲われる確率はわずかではあれども下がるのだから。

 そんな事実を知らないカリンとレオンハルトは眉を顰め、何も言うことなくかつての村人たちを滅し始めた。そこにはどんな感情が含まれていただろう。ただ、何かを押し殺すような顔でカリンとレオンハルトはその村人たちをきっちりと殺し終えた。その中には猟兵も交じっていたのだが、そのことに彼女らは気づいていない。ただ、この先に進まなければ帰れないという事実を知っているから邪魔ものを排除しただけだ。

 複雑な顔をして黙り込んでしまったカリンにレオンハルトが声をかける。

「……割り切れ、カリン。彼らは――もう、生きてはいない」

「分かっている……分かっているわ、レーヴェ」

 カリンはそれでも他に何かできなかったのかと自問自答しながらアルシェムを抱えて進む。こんな光景は、誰も望んでいなかった。アルシェムも望んではいない。ただ、恐らくはケビンの願望に引きずられているのだろうということだけは分かった。そのため、後でカリンとレオンハルトはケビンを叩きのめすつもりである。立場はケビンの方が上なのだが、それは敢えて見ないことにした。

 そうして彼女らは先に進み――そして、また小さな広場に出た。そこでたむろしていた泥人形は、先ほどよりも幾分か小さい。それに、どこか幼い雰囲気を醸し出していた。

 彼ら彼女らもまた、怨嗟の声を漏らす。

「ドウシテ……ドウシテ、君達ダケガ助カッタノ?」

「痛イ……熱イ、苦シイ……」

「助ケテ……アタシモ連レテイッテ……ジャナキャ、代ワッテ……」

 そのどこか聞き覚えのある声に、アルシェムは顔を曇らせた。あの時の、子供達の声だ。同じように囚われ、同じように実験されていた――子供達の。彼らが死してなお煉獄の炎に焼かれなければならないのは、その魂を歪められたからだ。正しく清らかな魂は天上の苑へと行けるが、歪んだ醜い魂は煉獄に墜ちて焼かれる。彼らには何の罪もない。ただ、彼らを歪めて回った人物がいるだけだ。

 顔を悲しみにゆがめたカリンはぽつりとレオンハルトに声を漏らす。

「……レーヴェ」

「分かっている。楽にしてやるのがせめてもの……」

 レオンハルトも渋面を作ったまま手に持った剣を振るった。なるべく苦しまないように、一撃で葬って。アルシェムは本格的に辛くなってきた。こんな光景をこのまま見せられ続けるのなら――立ち止まってしまっても良いかと思えるほどに。だが、それは出来ない。どれほどの苦しみが待ち受けていようとも、アルシェムは戻らなければならない。

 再びカリンとレオンハルトは進む。その先に小さな広場が見えてしまうことが苦痛だった。そこに待ち受けている屍人が誰なのかと考えるのが嫌だった。それでも、先に進まなければ帰れない。カリンはレオンハルトとアルシェムと共に戻るのだと誓った。レオンハルトはカリンとアルシェムだけは返すと誓った。アルシェムは、最悪の場合には自分を犠牲にしてでも全員を帰還させると誓った。改めて誓わなければもう一歩も進めなかったからだ。

 そして、また小さな広場に辿り着く。そこで待ち受けていたのは――細剣を握った、泥人形だった。これまでのように多数たむろしているということはなく、ただ一人だけ佇んでいた。

彼女は――何故かアルシェムにはそれが彼女だと分かった――アルシェムに向けて告げる。

「アナタサエ、助ケヨウトシナケレバ……ワタシハ、生キテ帰レタカモ知レナイノニ……」

 一瞬だけ見えた幻影に見覚えはなかった。その声に聴き覚えはなかった。ここまで生きて来て、全く知らない人物のはずだった。だが、アルシェムは――心のどこかで認めていた。アルシェム・シエルは彼女を知っている。それも、こうして覚醒する前に。となると彼女は――

「ユーリィ・E・シュバルツ……?」

 アルシェムが呆然と声を漏らす。こんなところで邂逅するとは思わなかった。むしろ、死んでからなら恨み言を言われる時も来ると思っていた。だが、今ここで出会ってしまった以上はその声を聴く義務がある。彼女は、アルシェムのために死んだようなものだから。

「後悔ハシテイナイケレド……ワタシノ分マデ、生キテ足掻キナサイ……苦シンデ、苦シンデ、煉獄ニ来ナサイ……」

「さーね。どこまで生きていられるかなんてわたしの知ったこっちゃない。ただ、最後の望みだけは叶うと思うよ――わたしは大悪党だから」

 アルシェムはそう彼女に返して、カリンの背から導力銃で彼女を撃つ。彼女はゆっくりと倒れ――そして、消えた。アルシェムは小さな声でカリンを急かし、彼女らは進んだ。先へ――未来へと。

 そうして、終点に辿り着くと待ち受けていたのは巨大な禍々しい門だった。そこには他に誰もいない。ただ、遠くを透かし見てみればケビン達が向かう先もここに通じていることが分かった。待っていれば合流できるだろう。

 それを三人とも察したところで、カリンがレオンハルトに向けて言った。

「レーヴェ、周辺の警戒をお願いね」

「ああ。任せておけ」

 レオンハルトが鷹揚に頷くのを見ると、カリンはアルシェムの死角でオーブメントを駆動させてアルシェムを眠らせにかかった。そうしなければ考え込みすぎて壊れてしまうかもしれないと思ったのだ。

 そして、アルシェムは一時の安らぎを得た――ケビン達が、そこに辿り着くまでの短い間だけだが。




 何か前には出てこなかった人もいますが、気にする必要はありません。察せられる人は察せられるでしょう。

 では、また。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。