雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧126話の半ばまでのリメイクです。
 
 題からわかるとおり、キリカさんのお話。

 では、どうぞ。


活人の道、殺人の道

 襲いかかってきたキリカを一同に任せたアルシェムは、まずキリカが召喚した獣を排除することに努めた。といっても、大したことはしていない。生物である以上、どうしても急所となる場所はいくらでも存在するからだ。撃ち抜くのは目でも胸元でも良い。何なら首を飛ばしてしまえば間違いなく戦闘不能には出来るだろう――ヨシュアのトラウマさえ考えなければ、だが。

 今ここでヨシュアを使い物にならなくするのはまずいため、アルシェムは獣の目を撃ち抜くことに決めた。ある意味グロい光景が広がるが、致し方ないことだろう。スピードを重視すればソレが一番早かったのだ。胸元を撃ち抜いても死ぬまでにタイムラグがあるのだが、目を通して脳をぶち抜いてやれば信号が行かないので動かなくなる。

 そして獣を葬ったアルシェムは気配を消す。彼女が獣を狩る僅かな時間の間に、エステル達はキリカを順調に追い詰めていた。当然のことながらジンとアネラスが前衛である。珍しくエステルがヨシュアと共に遊撃に回り、ジンの巨体の陰から飛び出して攻撃を仕掛けていた。シェラザードとケビンは後衛に徹しているようである。それを見て、アルシェムは後衛に回った。といっても攻撃するわけではない。シェラザード達と同じく補助と回復に徹するだけである。キリカに向かって無闇に撃てば、間違いなく誘導されて味方に当てられてしまうからだ。

 と、そこで不意にアルシェムは背から剣を抜いてシェラザードの前に飛び出し、剣を振るった。気付いたのだ。何かが視界の端から飛来してシェラザードを狙っていたことに。アルシェムが振るった剣から甲高い音がして弾かれていくその物体を視認することにアルシェムは努めた。その物体の正体はキリカの偃月輪。本気でやる気満々である。

 その偃月輪が通過してからシェラザードは反応した。

「えっ!?」

「アレ、飛び道具にもなるみたいだから気を付けてシェラさん」

「あ、ありがと……」

 あのスピードではシェラザードには捉えられなかったようである。いちいちこちらの死角を突いてから襲撃してくるので当然と言えば当然なのだが。アルシェムは援護をいったん止めてシェラザードとケビンにすべて任せ、偃月輪を叩き落とすことに全神経を傾ける。そうしなければ援護できなくなって総崩れになる可能性があるからだ。

 偃月輪を弾くこと自体は簡単なのだ。ただ剣を振り回していれば当たるのだから。だが、高速で回転しながら飛来する偃月輪を叩き落とすのは至難の業になる。剣を当てれば間違いなく回転に邪魔をされて偃月輪は弾き飛ばされていってしまうのだ。しかもたまに二つ飛んでくる。これに対応するためには、どちらか一つでも偃月輪を封じる必要がありそうだった。

 遊撃として頑張っているエステルは、思わず声を漏らす。

「う~っ、せめて武器が何とかなれば……」

「流石は《飛燕紅児》……」

 エステルとヨシュアは背後から戻ってくる偃月輪に悩まされていた。攻撃を加えようとした瞬間に戻ってくるのだ。それを避けても時間差でもう一つが滑り込んで冷や冷やすることなどざらだ。ならば偃月輪を持っている間に攻撃すれば良いだけの話なのだが、キリカは得物を持たせればヴァルターより強いとジンに称されるだけあって簡単にいなされてしまう。ヨシュアの隠形からの攻撃でも半ばカンで反応されてしまうあたりたちが悪い。

 どうにかしてキリカに偃月輪を完全に手放させなければならない。エステルの考えはそこにいたった。だが、どうやればキリカから武器を奪えるだろうか。ジンに弾き飛ばして貰う――却下。出来るものならもう終わっている。ヨシュアに頑張ってもらう――却下。以下同文。かといってエステルにもアネラスにも恐らく対応は出来ない。

 一瞬だけシェラザードの鞭で絡め取ってもらおうかと考えたが、そうする前に鞭の方が切断されそうである。これも却下だ。この先何があるかもわからないのにシェラザードの武器が欠損するのはよろしくない。ケビンにも恐らくどうにもできないし、先ほどから弾いているアルシェムにもアレが精いっぱいなのだろう。弾いているだけマシだともいえる。

 エステルは対応策を考えるのに集中したくてアルシェムに向けて叫んだ。

「アル、代わって!」

「あいあい。でも後ろでも気を付けて。結構な頻度で飛んでくるから」

 さらりと返され、取り敢えずは考える時間を確保したエステルはケビンとシェラザードに断りを入れて彼らの背後で考え始めた。武術の腕では恐らくここにいる誰もが敵わない。なら、それ以外でどうすれば良いのか。クラフトを使う――その暇も与えずに偃月輪は飛んでくる。せめてヨシュアのクラフト・魔眼を発動させるだけのわずかな時間を稼げれば何とかなるかも知れない。だがその隙は一体どうやって与えるのか。

 と、そこでエステルは一つ思い出したことがあった。現実世界で何度もお世話になったSクラフトを。その使い手が、ここにいることに。そのSクラフト――グラールスフィアを使えば、どれだけ強烈なアーツを放っても防げるはず。なら、誰にアーツを放ってもらうのか。この中で一番アーツの適性が高いのは――多分、シェラザードだ。

 エステルはシェラザードに向けて問う。

「シェラ姉、今一番殺傷性の高い攻撃アーツ何が使える?」

「……他に条件は?」

 シェラザードはエステルの問いに回復アーツを飛ばしながら答えた。何かを思いついたのだろうが、あまりにも物騒な質問だ。今現在シェラザードが使える威力の高いアーツはと聞かれると、恐らくシャドウスピアになるのだが――それを使っても避けられてしまう可能性が高い。故に、エステルに問い直したのだ。絶対に当てる必要があるのか、それとも単純に威力の高いアーツで良いのか。

 エステルはその問いにこう答えた。

「範囲は広くて良いから、確実に当てられるアーツでお願い」

「……それなら、ダークマターのアーツね。あたしが使える中で一番効果範囲が広いわ」

 それを聞いたエステルは、一体どんなアーツだったのかを思い出して決めた。ダークマターは空属性のアーツで、ある一点を指定してそこに生物を引き寄せるアーツだ。それなら、一旦ヨシュアにはキリカから離れて貰った方が良い。離れて貰って偃月輪を取られる前に魔眼を発動して貰えれば問題ないはずだ。偃月輪が何処まで飛ぶのかも問題だが、キリカのいた位置にエステルが滑り込んで弾けば落とせると信じたい。

 エステルは覚悟を決めてケビンに向けて告げる。

「ケビンさん、今から全体にあの攻撃が通らないSクラフト使って。それでシェラ姉にダークマターのアーツでその場から引き離して貰うわ」

「……成程な。任せとき」

 そう言ってケビンが詠唱を開始する。ここから先はタイミングが重要になるのだ。ギリギリまでキリカには悟られない方が良い。悟られて対応されてしまえば、また新しい策を考えなければならないのだから。詠唱の間は、長く感じた。この策を成功させる。成功させて、皆で帰るのだ――そう思いつつエステルはその間の回復を担い、ケビンの詠唱が終わると同時に駆けだした。

「ヨシュア離れて!」

「ああ!」

 ヨシュアはエステルの叫びに応えてその場から飛び退る。すると、間一髪で飛び退こうとしたキリカとジン、そしてアネラスがアーツに引っ張られていく。どうやら成功しそうだ。アルシェムはギリギリ効果範囲から外れた位置にいたので巻き込まれはしなかったようである。その場から少しばかり離れた場所でエステルの行動を見つつキリカに警戒していた。

「――止めるッ!」

 エステルは気合いを入れ、キリカのいた位置と寸分たがわぬ場所に滑り込んで戻ってきた偃月輪に棒術具を思い切りたたきつけた。だが、回転は止まらない。キリカのいる方角からは確かにそれたのだが、それだけだ。弾かれた方向が読めなかったせいで地面すれすれを這いながら偃月輪はキリカの元へとまっすぐ向かう。このままではキリカの手に偃月輪が渡ってしまう――

 そう思った時だった。

「一人で足りないなら二人でやりゃーいーのよ」

 エステルの行動を認識し、何をしようとしたのかを悟った瞬間に猛スピードでその場から駆け出していたアルシェムは、手に持っていた剣を投げつけて偃月輪を止めていた。嫌な音を数秒立てた偃月輪は、そのまま徐々に回転を弱めて――止まった。その偃月輪に追いついたアルシェムが剣を抜いて奪取し、急いでケビンの元まで駆けて地面に突き立てる。

 エステルはそれを見て言葉を漏らす。

「後一個……」

 後一個奪えば、キリカは無手になる。それで間違いなく勝てるかといわれれば首を傾げるのだが、今武器を握られているよりはましだ。だが、そのエステルのつぶやきでキリカに彼女の策がバレた。キリカは読唇術も使えるらしい、とどうでも良いことをアルシェムは思う。

「なるほどね。武器を奪えばどうにかなるとでも思ったのかしら?」

 キリカはそう告げると、敢えて偃月輪を地面に突き立ててジンに向かい合う。偃月輪をいつでもとれる場所に置いておくのは保険だが、無手ならばなんとかなると思われたのは心外だ。これでも泰斗流の門下生なのである。彼女の父の流派は、そこまで甘くない。

 そのことを知っているジンはキリカに向けてこう告げる。

「ああ、お前はそんなに甘くない。だがな……忘れたのか? ここにいるのは俺だけじゃない。あれからどれだけ鍛えたかも鈍ったのかもわからんが……あのころよりも少し強い程度だ。それなら今の俺に倒せないわけがない」

「なら、見せてみなさいジン!」

 その応酬の間に、ヨシュアがこっそり偃月輪を奪取してケビンのいる場所に突き立てていたのをキリカは知らない。――もっとも、視認していたとしても全く以て関係なかったのだが。キリカとジンの本気の打ち合いにエステル達は混ざれなかったからだ。

 偃月輪の守護に回ったエステルは遠い目でジン達の応酬を見ながらヨシュアに声を掛ける。

「……ね、ヨシュア」

「言わないでエステル。多分ジンさんが恥も外聞も棄てて素手でやろうぜって最初から言ってればそれで済んだ話だなんて言わないで」

「それ自分で言ってるわよヨシュア……」

 呆然と技の応酬を見ているエステル達は、取り敢えずキリカとジンから離れていた。どうせ混ざれないのならば観察しておこうという腹である。ただ、シェラザードだけは空気を読まずにジンに補助アーツを掛けていたりしたのだが、それはまた余談である。

 結局――その後、数十分の間ジンとキリカは打ち合っていたのだが、お互い満身創痍になって戦いを止めた。その顔には好戦的な笑みが浮かんでいるのだが、これ以上は《影の王》が許してくれないようである。キリカの姿が透け始めた。

「あら、もう終わりなのね」

「いや、もう終わろうぜキリカ……流石に疲れた」

 辛うじてへたり込むのを堪えていたジンはそう溜息と共に零す。これ以上続けられても困るのだ。主にオーバーユースしすぎた筋肉が大変なことになってしまうから。ヴァルターと戦って以来久し振りに泰斗流の門下生と戦ったのだが、ここまで神経を使うものだっただろうか。

 キリカの姿が徐々に透けて、消えそうになって――そこで突如異変が起きる。そのまま消えるはずだったキリカが実体を取り戻したのだ。だが、だからといって戦わなければならないというわけではないようだ。

「……成程。未練があるからとはいえ、手合せできるほどには残れないのね」

「いやいやいやいや、キリカお前何を……」

 本当にキリカが襲い掛かって来ないと確証できないジンは狼狽した。再び戦えと言われても流石にもう無理だ。手合せできるほどには残れないという言葉を信じれば、もう戦う気はないのだろうが。

 キリカはアルシェムに視線を向けて問う。

「どうしても気になったのよ、アルシェム。……何故、私の選んだ道が犠牲を生む道だと?」

 彼女は戦いの途中どうしても気になってしまっていたのだ。そうでなければエステル達など数分も保たなかった。だが、彼女の思考をその言葉が占めていたせいで彼女らにも勝機が訪れたのである。

 キリカが選んだ道は、祖国カルバードに戻って情報機関《ロックスミス機関》の室長として動く道。彼女のさじ加減ひとつで、より少ない犠牲で外交も内政も進められるはずなのだ。それなのに、アルシェムは彼女の選んだ道を多大なる犠牲を生む道だと言った。その理由がどうしても知りたかったのだ。

 アルシェムはキリカの問いにこう答える。

「あんたが選んだ道は、共和国人しか守れない道だからだよ。より多くの共和国人を護って、その分だけ多くの帝国人やリベール人、クロスベルの住民まで犠牲にする」

 そう。キリカはより多くの共和国民を救い、また守るための道しか選んではいないのだ。いくら彼女が奮闘しようとも、絶対に帝国臣民もリベールの民も、共和国を宗主国と仰ぐクロスベルの民も守ることは出来ない。彼女のさじ加減ひとつで、死ななくても良かった人物が死ぬことになる。代わりに死ぬはずだった人間が助かるのかもしれないが、犠牲が出ることに変わりはない。そして、助かってしまう死ぬはずだった人間は善良だとは言い切れないのだ。

 キリカは眉をひそめて反論する。

「そうとは限らないわ。より円滑に交渉を動かせば――」

「それ、交渉のテーブルにすら着けない人間は数だけを見た最小限の犠牲の中で死ねってことだね?」

 アルシェムの身もふたもない言葉にキリカは絶句した。そんな暴論をいきなり叩きつけてどうしてほしいというのか。確かに、救えない人物は少なからず出るだろう。その覚悟は出来ている。その罪を背負う覚悟も、いつか罰を受ける覚悟も出来ている。その覚悟を、アルシェムは崩したいのだろうか。

「そんなことを言ってるのではないわ」

「言ってるんだってば。直接自分の手の届かない場所にいる人間を、本当の意味で守れるとでも思ってんの?」

 珍しくらしくないことを言うアルシェムに違和感を覚えたのはケビンだけだった。アルシェムはこんな殊勝なことを言う人物ではなかったはずだ。どちらかといえばキリカの言い分になら納得してしまうような――他人を数でみられるような人間だと思っていた。

 キリカはアルシェムの言葉にこう答える。

「――守れる、ではないのよ。守るの」

「それで? あんたが交渉の末にその人たちを守ったとして――それで、あんたは犠牲をゼロに抑えられるって?」

 有り得ない。そう言ってアルシェムは嗤った。全ての物事には犠牲がつきものだ。誰かが『何の犠牲もなく事件は解決しました』といってもそれは絶対に真実ではない。たとえば、αがβに人質にされたとする。キリカがそのαを怪我をさせることなく救出したとしても、そこには犠牲になったものがあるのだ。それはαの恐怖と時間。αは恐怖と時間という犠牲を支払って解放されたのだ。そこに怪我や死がついて来ないだけマシだという意見もあるだろう。だが、αが感じた恐怖も人質にされていた時間も取り消すことは出来ないのだ。そういう意味では、犠牲を出さないという言い方は間違っていると言えないだろうか。

 アルシェムは言葉を紡ぐ。

「誰も怪我をしなかったから犠牲がない? 誰も死ななかったから問題ない? 有り得ないってそんなの」

「そんなことを言っていたらきりが――」

「それをフォローしないで、何が最小限の犠牲に抑えるって? 遠くからほら守ってあげたでしょって言って、心のケアも何もしないでいるのはただの偽善者でしょ」

 キリカの言葉をぶった切ってアルシェムはそう言い終えた。そのままブーメランで自分に突き刺さる言葉でもあるのだが、それはそれ。アルシェムは犠牲を最小限に抑えようなどと考えてはいない。彼女が歩む道は、『アルテリアに最大限に益がある』道。それに『彼女の想う人物をできるだけ護る』という条件を付け加えたものだ。それ以上のことはもう考えられない。故に、本来ならば偉そうに説教できる立場ではないのだ。

 だが、キリカはそれを知らない。だからアルシェムは彼女に厚顔無恥にも説教できるのだ。キリカを説得することが『アルテリアに益を齎す』から。彼女をアルテリアに引き抜けば共和国の力をも削ぐことが出来るのだ。それが彼女の選んだ道だから。

「……それは」

 キリカは脳内で言葉をまとめようとするが、出て来ない。アルシェムの考え方ではどう足掻こうが犠牲者が出るのだから。そこまでは知ったことではないと言ってしまえば終わりだった。だが、それを言うのは躊躇われたのだ。この道は、本当に活人の道なのかと疑ってしまったから。

 アルシェムは、キリカに最後の言葉を投げつけた。

 

「人間を肉体的に殺したら人殺しになる。でも、人間を精神的に殺しても人殺しになるとは思わない?」

 

 その言葉に、キリカは完全に揺らいでしまった。故にその場にとどまることが出来なくなってしまう。そのまま、何も言うことが出来ずにキリカは消えて行った。求める答えと違う爆弾を抱えさせられて。

 一行は重い空気の中次の扉を探し当て、メンバーを変えて挑まなくてはならないことを確認するといったん拠点へと戻っていった。次の扉に必要なのは、『音楽家、音楽家に付き従う騎士、大いなる銀の鍵』。該当するのはオリヴァルトとミュラー、そしてアルシェムだった。




 もっといいたとえがあれば良かったんですけどねえ。

 では、また。

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