雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
では、どうぞ。
旧校舎に突入した一行は、そこで思いがけない人物が待ち構えているのを見た。見た目は普通の老人だ。だが、彼を舐めてはいけない。彼の名は――フィリップ・ルナール。元王室親衛隊大隊長にして《剣狐》の異名をとる『鬼の大隊長』である。
「お待ちしておりました、殿下」
慇懃無礼に礼をしたフィリップには、しかしつけ入るすきがありそうもなかった。あるとすれば老齢で衰えているかも知れないという希望的観測のみなのだが、生憎フィリップの剣はどちらかといわれると剛ではなく柔。衰えはあまり関係がないのである。
クローディアは細剣を携えたフィリップの姿に瞠目し、次いで声を漏らす。
「フィリップさん!?」
「王太女殿下に刃を向けるなど万死に値しますが……そうせざるを得ないこの身の不徳をお許し下さい」
苦渋の表情で剣を抜いたフィリップに隙はない。あるとすれば多少の躊躇いだけである。クローディアにさえ傷をつけずに勝てるのならば、彼はその方法を取っただろう。だが、この場にいる『フィリップ』に命じられたのは『侵入者の排除および扉の守護』。故にクローディアが向かってくるならば刃を向けなければならない。あの時――クーデターの終盤、クローディアはデュナンに細剣は向けても傷つけはしなかった。なのに自分が剣を向けてはデュナンの叛逆が疑われてしまうかもしれないのだ。
彼が王室に仕えるのは、クローディアの父ユーディスと交流があったからだ。フィリップの息子がユーディスと同い年であり、乳飲み子として育ったためにその父たるフィリップもユーディスと交流があった。ユーディスとその息子もろともカルバードの客船《エテルナ号》が沈んだのは忘れられない苦い記憶である。その記憶からフィリップを必死に立ち直らせてくれたのが誰あろうデュナンだったのだ。
デュナンの兄ユーディスはあまりにも優秀で、デュナンがどれほど優秀になったとしても間違いなく国王になると目されていた。故に彼は少しばかりグレていたのだが、兄を害そうなどとは思っていなかった。むしろ兄が優秀なのを幸いと国中を見て歩いていたのである。そのうちに贅沢も女も覚えたのだが、そのあたりは女王直々にお叱りがあったそうだ。
そんな放蕩者だったデュナンは、ユーディスの死によって第一王位継承者となった。しかし、様々なことを兄に頼り過ぎていたことが災いする。彼は三倍以上に増えた政務をこなしきれなかったのだ。近くで落ち込んでいた護衛――親衛隊長を辞してそのまま城を去ろうとしていた初老の男である――を捕まえて政務を手伝わせなければとてもやっていられなかった。そして、その初老の男にとっては忙しいことこそが救いになったのである。その男こそ、デュナンの現在の護衛フィリップだ。
忙しく動き回るうち、苦い記憶も少しは薄れてきて。そのまま城を辞そうとしたフィリップは一日、また一日とデュナンに引き留められて政務を共にこなしていった。ただ何もせずにいるよりもこうして動いている方が良い。そう思ったフィリップは、女王の助言もあってデュナンの護衛に落ち着いた。
それから十数年。毎年ユーディスの命日にはあまり酒の飲めない女王を差し置いてフィリップがデュナンと呑み明かしていた。デュナンは驚くべきことに、年月を重ねてもユーディスを恨むことはなかった。優秀すぎた兄。だが、もう死んでいるのだからとやかく言っても仕方がない。明日からきっと頑張るから命日だけは呑ませてくれと懇願したデュナンを、フィリップは止めなかった。畏れ多いことではあるが、フィリップはユーディスも息子のように見ていたのだから。悼んでくれるというのなら、それを止める道理はない。
フィリップはデュナンの良き理解者であった。ただしあまり強く出ると姿を眩ませてしまう為、政務を滞らせないためにも諫言はあまりできてはいなかったのだが。そして、デュナンにとっても――フィリップは、良き理解者であったのだ。早くに父を亡くしたデュナンにとって、フィリップは父のような存在であった。だから甘えてしまっていたのである。ある意味共依存ではあるのだが、それを正せる人物はいなかった。
だから彼はデュナンを庇ってばかりいたのだ。今この時でさえ、恩人たるデュナンを護るためにクローディアに許しを乞うている。その事実を知らないクローディアは、しかしこの場の特異性を理解していたためにそれを赦した。
目を少しばかり開いたフィリップは、そこにいる人物たちを見回す。すると、見覚えのない人物も存在するが手ごわい相手も交じっていることに気付いた。その相手と目を合わせると、彼女は好戦的な笑みを浮かべる。
彼女――レンはフィリップにこう告げた。
「ふふっ、細目のオジサン、お久し振りね。今度こそちゃんとレンの相手をして貰うんだから、覚悟しなさい?」
「お嬢様は……いつぞやの。いやはや……お気に召すと良いのですが」
そう言いながらもフィリップは剣先をぶれさせることはない。既に精神は戦闘モードに切り替えられているようである。左手を振り、何やら人形兵器のようなものを召喚したフィリップは一度瞑目した。
そして、カッと目を見開いて宣言した。
「元王室親衛隊大隊長、《剣狐》フィリップ・ルナール。第一の守護者の門番としてお相手致します」
その宣言が終わるや否や、フィリップは飛び掛かってきた。彼が目指す先にいるのは一番落としやすいと見たのであろうメル。彼女は武装はしているもののどちらかといわれれば後方支援型に見えたのだろう。事実、彼女の得意技はアーツであり、武器はボウガンである。支援を得意とするであろうと思われる以上、真っ先に落とすべき人物であるのは間違いない。
しかし、フィリップが支援から断とうと動き始めたその進路にアガットが割り込んだ。後方支援を落とされては勝てないのは道理である。故に、割り込んだ。フィリップの振るう剣の重さに、思わずアガットが言葉を漏らす。
「お、おいおい……サバ読んでねえだろうな!?」
彼が言葉を漏らすまでに、その剣は重かったのだ。本当にこの剣を振るっているのは老人なのかとアガットは戦慄する。伊達に《剣狐》などと名乗っていないと思った。か弱そうな老人姿で惑わせているのかと。
だが、フィリップが《剣狐》と呼ばれているのは若いころからだ。年を取ってからそう呼ばれるようになったのではない。彼がそう呼ばれているのは――若い頃、それはそれは甘い顔をした二枚目だったからだ。ただのチャラそうな男に見えて、彼はとんでもなく強かった。故に、見かけで騙して返り討ちにするから《剣狐》。今の外見では全く似合わないだろうが、言葉を通じて相手を翻弄する術も心得ているのだ。
アガットと切り結びながらフィリップはじりじりと機を計る。そして、アガットが最高潮にフィリップに意識を向けたと思った瞬間――
「老け顔とは言われたことがありますな」
しれっと真顔でそう返したフィリップ。その言葉に多少動揺したアガットは、フィリップをそのまま留めておくことが出来なかった。彼は一瞬の隙を突かれて懐を抜けられてしまったのである。アガットが動揺して意識に隙が出来たからこそ成し得たことだ。素の状態でも十分強いが、敢えてフィリップは策を弄することを選んだ。そこに、付け入って貰える隙が出来ると判断して。
そんなフィリップの行動にアガットは瞠目したものの、後続で迫ってきた人形兵器の対応で彼を止めることが出来ない。アガットはしばらく人形兵器たちを相手に立ち回ることになってしまった。
そうしてメルに迫るフィリップ。だが、肝心の彼女は無表情のままボウガンを構えているだけだった。そこから矢が発射されることは、ない。何故なら、今メルが撃つと味方を誤射してしまう可能性が高いからである。事実、そうなるようにフィリップは誘導していた。彼女が撃てば、フィリップは避けただろう。その先には絶対に誰かがいるように仕向けたのだ。
それを止めたのはフィリップに向けて駆け出していたレン。彼女は不敵な笑みを浮かべつつ横合いからフィリップに襲い掛かる。
「あらあら、よそ見は駄目よ? オジサン」
「多対一の際は後衛から潰すと決めておりますので」
むしろそんな想定をしていることを口に出すのは下策であるのだが、フィリップはそれすらも自らの力に変える。そうやって意識を誘導すれば必ずどこかに隙が出来るものだ。レンと数合打ち合い、彼女自身の力も利用してレンを吹き飛ばしたフィリップはメルに向かうと見せかけてその前に立ちふさがっているケビンに狙いを定めた。
狙いを定めたのは良いのだが、ふと引っかかることが出来てしまった。先ほどから視認できていた中にいたはずの人物が消えている。その人物が一体何をしているのかが気になったのだ。その人物が昔クローディアの暗殺を企てたものであると知っているがゆえに。その警戒が、フィリップを救った。
「……うっそ対応しちゃうそれ!?」
横合いから繰り出された風を切る音に細剣を向けると、派手な音がして何かが弾かれる。ちらりと横目で見てみれば、そこにいたのはアルシェムで握られていた棒術具が跳ねあげられていた。気配を断つのが得意なのだろう、とフィリップは判断して頭の中にとどめ置く。彼女がクローディアにさえ害をなさなければ放置しても良いと判断したのだ。
実際、今の不意打ちに対応出来たからフィリップはそう思ったのであって、実際は放置してはならない人物だったりする。アルシェムは今本気で気配を消していたわけではないからだ。どこまで気付くかというギリギリのラインで気配を消そうとアルシェムが画策していたからこそフィリップは対応出来たのである。カンと風圧だけで避けられるものではない。
と、そこにフィリップが意図的に意識の中から消していた人物から攻撃が加えられる。
「アクアブリード!」
クローディアはアーツでフィリップを狙い撃つが、フィリップはそれをひらりとかわして迫ってきていたジークを躱す。その先でジークに突かれている人物がいることなどお構いなしだ。むしろ好都合ともいえた。その人物――アルシェムが一瞬であっても身動きが取れない状況というのは。身動きが取れないということは、気配を消そうともその場にいることが分かるからだ。
ケビンから狙いを移したフィリップはジークに襲われているアルシェムに一撃を――入れられなかった。彼女は有り得ない方向に体を曲げながらくねくねと変態軌道で避け始めたのである。
フィリップは裂帛の気迫を込めてアルシェムに攻撃を加える。
「ふっ!」
それと同時にジークがアルシェムに襲い掛かるのだが、彼女はそれをも避けて見せた。幾度も繰り返されるイタチごっこ。なまじ避けられてしまっているからフィリップは気づかない。ジークを止めるであろうクローディアが、何も言ってこないことに。
「実はてめぇらグルだろぎゃーやめてー」
アルシェムはそれに気付かせないためにジークの独断専行だと思わせるべく言葉を吐く。実際は恐らくグルではないはずである。いくらジークがアルシェムを殺したいほど憎んでいたとしても、今ここで脱出する機会を逃すかもしれない状況で攻撃してくるほど愚かではない。もっとも、ジーク本人(鳥)は嬉々として攻撃を加えているように見えるのだが、きっと気のせいに違いない。
そんなふうにのらりくらりと剣とジークを避けられているフィリップは内心穏やかではない。誰か一人でも落とさなければまず勝ち目はないのだから当然だろう。むしろ勝つ気はさらさらないのである意味好都合といえば好都合なのだが、個人的にはアルシェムにはお礼参りをしておきたいところである。
そのアルシェムに対する執着が、フィリップの隙となった。
「アルシェムさん、ごめんなさい!」
クローディアの叫びを聞いたアルシェムは一瞬眉を寄せ、フィリップの攻撃を避けるのを止めて動きを止めにかかった。ある意味下策ではあるのだが、アルシェム達としても手詰まりだったからである。
そして――繰り出されるのは、高位アーツ群。メルとクローディアの水属性アーツ。レンとケビンの時属性アーツ。その四者のアーツがアルシェムに動きを封じられたフィリップに襲い掛かる。
「な……」
「遅えっ! 喰らいやがれ!」
そこで怯んだフィリップはアルシェムに憑りつかれたままアガットのSクラフトをまともに受ける。無論アルシェムもまともに受けるのだが、彼女にはダメージは全く入っていなかった。何故なら――フィリップの死角でオーブメントを駆動させ、補助アーツを身にまとっていたのだから。
だが、その後は離脱を余儀なくされる事態が起きる。まさかここでソレを明かすとは思ってもみなかったアルシェムは、メルから放たれた水属性アーツをまともに受けかけてそれに気付く。メルは――アルシェムに改造されたオーブメントを使っていないのだ。
その事実に次に気付いたのはケビンだった。星杯騎士団中でもある意味極秘にしなければならない『異能モドキ』をいかんなく発揮してしまっているメルに向けて小声で怒鳴るという器用なことをしてのける。
「何しとんねんメルちゃん!」
「この程度であの御仁が終わるとは思えないんです!」
メルの言葉通り――フィリップは立ち上がった。見た目は満身創痍だが、その剣筋にぶれはない。まだまだ戦う気満々のようである。狙いはまだ変えられず、アルシェム。今の攻撃で彼女も弱っているだろうと思ってのことである。故に彼は気づかない。アガットがSクラフトを発動させたその意味を。
そう。アガットはレンの協力を得て既に人形兵器を殲滅させていたのである。故に、一同が取る行動はフィリップへの集中攻撃。しかも強力な攻撃を叩き込むという手法を以てフィリップを倒しにかかる。
フィリップはなかなか当たらない攻撃に思わず声を漏らしてしまう。
「ちょこまかと……!」
「いや、避けないと危ないからね? フィリップさんも以下同文」
そう返したアルシェムはフィリップの背後に誰もいなくなったのを確認すると、棒術具を投げあげて導力銃を構えた。彼女のSクラフトが発動したのである。銃弾の嵐がまき散らされ、フィリップは必死に叩き落とす。しかし、銃弾のあまりの数に捌ききれなくなる――と思った瞬間に銃弾の嵐は止まり、落下してきた棒術具を受け止めるついでに導力銃を投げあげたアルシェムが突っ込んでくる。
「く……っ」
「取り敢えず、沈めってーの!」
アルシェムの気迫に押されて繰り出される連撃を受け切れなくなるフィリップ。彼の身体に打撲痕が広がっていくが、まだ致命傷にはならない。そして、そこに鬼のような所業を成す少女が残酷な言葉を告げた。
「来て、《パテル=マテル》!」
それは、鋼鉄の巨大人形兵器を呼んだ。それを横目で確認してしまったフィリップはアルシェムの連撃を受けるのを覚悟で遮二無二跳び退る。その場所に留まれば間違いなく蹂躙されると本能が告げていたからだ。
しかし、フィリップは跳び退ろうが跳び退るまいが運命を変えることは出来なかった。何故なら、彼の仕える主の姪がフィリップの立ち位置を調整すべくSクラフトを発動させていたのだから。
「ごめんなさい、フィリップさん! サンクタスノヴァ!」
空の女神の力を借りて起こされた爆発は、フィリップを強引に《パテル=マテル》の射線上に押し戻す。そしてトドメが――
「ダブルバスターキャノン!」
レンの合図と共に繰り出された二門の砲撃が、最後に反撃せんとSクラフトを発動させていたフィリップを狙い撃った。フィリップはそれでも最後の気合いだけでSクラフトを発動させ――
「で、ででで出鱈目だわ……」
「全くです……」
二人の戦闘不能者を出した。レンとメルである。クローディアに当てなかったのは王室に仕える者としての矜持か。とにかく、治療の余地を残してしまったのは確かである。
故に、勝ったのはケビン達だった。
「祈りも悔悟も果たせぬまま……千の棘を以てその身に絶望を刻み、塵となって無明の闇に消えるが良い!」
《聖痕》を発動させたケビンの一斉掃射が、フィリップを薙ぎ払う。そして――ようやく、フィリップは膝を付いた。
原作がこんな穴だらけ設定の訳がないですね。フィリップ氏つおい。
では、また。