雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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というわけでここまで来てやっとリオとメルの生い立ちのお話です。

では、どうぞ。


閑話・従騎士達の生い立ち

 《星杯騎士団》所属、《守護騎士》第四位《雪弾》エル・ストレイが従騎士、《破城鎚》とも呼ばれるリオ・オフティシア――生まれた時の名はリオ・フィラリア=オフティシアという名だった女性は、七耀暦1183年アルテリア法国にて生を享けた。枢機卿の父グェンワ・オフティシアと名家の令嬢でおっとりとした母ネリア・フィラリア=オフティシアに囲まれた生活は、それなりに幸せだったと言えよう。――あの事実が判明するまでは。

 その事実が判明したのは、リオが十三歳の時。アルテリアに流れ始めていたある噂がきっかけだった。それはあることないことを付け加えた数人の枢機卿たちの醜聞である。その中には父グェンワの名も含まれていた。曰く、彼らは機会があればとある場所に赴き、女を食い物にしている。曰く、その女の中には年端もいかない少女が混じっている。曰く、それを担保にミラを横流しにしている――などなど。

 

「そんなこと、あるわけないじゃん」

 

 最初はリオも信じてはいなかった。噂を聞いただけで鼻で笑い、聞き飛ばしていたのだ。聞く価値などあるはずがないのだ。枢機卿たる父がそんなことをするはずがない。いつも忙しくて会えないだけで、そんないかがわしいことなどしてはいないはずなのだから。信じていたかったのかもしれない。彼女にとって、彼は父なのだから。

 《変態枢機卿》。《背信枢機卿》。《ハゲ変態》。《黒毛和豚》。さまざまな蔑称が父には付けられていた。そのどれもをリオは信じていなかった。厳しい父がそんなことに手を染めるわけがないと思っていたのだから。だから笑い飛ばしていた。そんな噂は事実無根で、父は立派な人物だと言い続けた。その主張は誰にも受け入れられることはなかったが、父が正しいことを彼女が知ってさえいれば良かったのだ。

 だが、噂というモノは非情なものだ。その矛先は妻たるネリアにも、無論娘たるリオにも向けられるようになった。

「見て、《変態の娘》よ」

「きっとあの子も……」

「あの《不義の子》と関わっちゃだめよ。きっとフィラリアの血なんて一滴も引いてないに違いないもの」

 

「――《黒毛和豚の娘》め!」

 

 たちまちリオはいじめのターゲットとなり、毎日が色を喪って行った。どこへ行くにも彼女は一人だった。そうでなければならなかったのだ。そうしなければ、誰かが傷ついてしまうから。孤立したリオに先生たちも声を掛けることはなかった。だからこそ、彼女は本当に孤立してしまった。誰も味方はいない。母もその内噂なんて消えるのだからと日和見るだけで彼女のことを気に掛けることはない。

 毎日繰り返される陰湿ないじめ。誰もが蔑んだ目でリオを見る。それが嫌になった。だから、リオは決意した。家を出よう、と。そのために必要なのは、実力。得意な実技を中心にリオは努力を重ねた。努力して、努力して、努力して。その内、実技で勝てる人物はいなくなった。筋力で勝てる人物もいなくなった。それを成したのは、彼女が十四歳の時だったというから彼女の異常さがよく分かるだろう。

 一度、リオは母を問い詰めたことがある。あんな噂を流されて悔しくないのかと。しかし、母はその噂を否定しなかったのだ。リオはこの時点で母も見放した。自分だけが父を信じているのだと思っていたのだ。自分だけが父の味方でいられるのだと。そう、信じて日々実力をつけるべく狂ったように修行に明け暮れる彼女を母は止めなかった。母もきっとリオを見放したのだと、彼女は思っていた。

 だが、ネリアは知っていた。実家から連れて来た使用人たちが泣きはらした顔で暇を告げていくのを。ネリアの父から再三怒りの手紙が届くことを。その理由さえ。知っていて、放置していたのだ。彼女にはどうすることも出来なかったのだから。ネリアとグェンワは政略結婚で、名家でありながらも没落したフィラリア家の血を絶やさぬため、また経済的に援助して貰うために結婚したのだから。文句など言えようはずもなかった。

 そして、どんどんリオ達は病んでいき、ネリアにいたっては寝たきりとなってしまった。それでも父は帰って来ない。リオは、噂の方を信じはじめていた。消しても消しても上書きされる落書きだらけの屋敷。日々放り込まれる罵詈雑言の手紙。そこにリオ達がいようがいまいが繰り広げられる恐らく尾ひれのつきまくった噂話。ここまで来れば、もうリオに信じられるものはなかった。

「先生。父の噂は……どこまで真実なのでしょうか」

 ある日リオはそう神学校の教師に問うた。教師は何も気にしないようにと諭そうとして――やめた。彼女をここで突き放せば完全に壊れてしまうことが分かったからだ。座学はともかく、実技においては他の生徒達の群を抜くほどに優秀な彼女をこんなところで壊してしまっては、後で何を言われるか分かったものではない。

だからこそ、彼女はリオにこう告げた。

「少しだけ待っていなさい。本部に問い合わせ、事実確認をしますから。ですが一つだけ――心に留めておいてほしいことがあります」

「なん、ですか」

「どんな真実が出て来ようとも、受け止めなさい。いくら時間がかかっても構わないから……絶対に、受け止められるようになりなさい」

 教師はそう言って七耀教会本部へとその足で赴いた。その結果――リオは、噂が概ね真実であることを知った。噂を聞いてその気になって父を見れば、使用人の女性たちを追いかけているのが丸わかりだった。物陰でおやめくださいお館様! と言っているのにやめないのも見たことがある。それを見ないようにして、リオは神学校に通っていた。

 その内、実技だけで見れば神学校一であるリオの実力を買ったアイン・セルナートは彼女の望み通り星杯騎士団へと彼女を引き抜いた。そこは実力主義で。くだらない噂に振り回される人物などどこにもいなかったのである。夢のような環境に連れて来てくれたアインをリオは崇拝した。アインはリオにとってまさに救世主であったのだ。

 アインはリオに名を改めることさえ赦してくれた。『フィラリア』の名と『オフティシア』の名。彼女は両方とも棄てたかったのだが、それは出来なかった。人名にも限りがあり、ただのリオとなることは教会本部から赦されなかったのだ。どちらかを残さなければならない。そして、彼女が選んだのは――祖父母の実家からの圧力もあった――『オフティシア』の方だった。かの《変態枢機卿》の娘が『フィラリア』を名乗ってくれるな、これを機に縁を切るとまで言われたのだ。ただ、リオは縁が切れてせいせいするとは思っていたのだが。

 そして、彼女にとってもう一つの救いとなるだろう情報が入団と前後するように入ってきた。それは――グェンワ・オフティシアの消息不明。リオはその時点で彼が死んでいるだろうと思っていた。女に刺されて死ぬのなら本望だろうとまで思っていた。実際には男に豚め、と罵られつつ殺されたことなど知るはずもない。だが、確かにリオは昏い喜びに身を任せそうになったのだ。すぐにそれは打ち消したが。

 アインの従騎士候補として毎日精進し、いつか本当に彼女の従騎士になることを夢見た。だが、その夢はかなわない。リオ・オフティシアという女性はアイン・セルナートの従騎士にはなれなかったのである。

 彼女は新しく代替わりした《守護騎士》第四位に仕えることになったと、ある日聞かされた。

 彼が死んだことを知ったのは、リオが仕えることになると引き合わされた新しい《守護騎士》からだった。彼女が騎士団入りしたのは父の消息不明を聞いた数か月後だったのだが、諸般の事情によって顔合わせは出来ていなかったのである。その《守護騎士》はリオよりも二歳年下の少女だった。シエル・アストレイというのが当時の名だったのだが、そのままではマズいということで改名され、エル・ストレイとなった彼女からリオは父の死を知らされた。

 

 父の死だけではない。父の醜聞が噂よりもさらにひどいことを思い知らされたのである。

 

 彼女は言った。《楽園》なる《拠点》に、《黒毛和豚》と自ら名乗った聖職者がいたことを。その聖職者はアッシュブロンドの男に斬り殺されたのだと。そして――積極的に少年と幼女を、性的に襲っていたのだと。

 リオがそれを聞いて思ったのは、ああやっぱりね、という淡白な感想だけだった。もう父には期待しないと決めていたのだ。父にも、母にも期待はしない。恐らく目の前の少女とて《黒毛和豚》の娘だと見て来るだろうから、彼女にも期待しない。任務で使い潰されて死ねばいいや、とまで彼女は思っていた。そうすれば楽になれるから。

 だが、それは間違いだった。彼女はリオにこう告げたのだ。

 

『それが何か関係ある? 父親が何かやらかしたからってあんたもそうだとは、わたしは思わない』

 

 その後に彼女はあんたにそういうケがあるなら別だけど、と付け加えたが、リオは即座に否定した。アレと一緒にされたくはない。あらゆる感情が湧きだしそうになる中でそこだけ理性が働いたのは僥倖だっただろう。リオは生涯で二人目の信頼できる人物を見つけたのだ。彼女に仕えられることに、リオは感謝した。こんな人はきっともう出て来ないと思ったのだ。

 そして、急速に信頼できる人物を増やした彼女は水を得た魚のように活気のある女性となった。これまでは死んだ魚のようだったのに、とアインから散々からかわれても良かった。信頼できる人物がいるというのは本当にいいものだと思った。

 たった一言で、そしてその後の行動でリオ・オフティシアはエル・ストレイに――アルシェム・シエルに仕えることを決めた。その忠誠は、一生涯続くことだろう。アルシェムがそれを望んでいるかどうかは知らずとも。

 

 ❖

 

 《星杯騎士団》所属、《守護騎士》第四位《雪弾》エル・ストレイが従騎士、メル・コルティアという名の女性は七耀暦1182年にアルテリアにて生を享けた。父は亡く、母は七耀教会で働いていると教えられて――実際には死んでいる――いた彼女は立派なシスターになるのが夢だった。それが最初から叶わぬ夢であることなど知らずに。

 正確には、彼女の母はただの母体だった。『メル』という存在を生み出すための母体。そして、七耀教会にとって使い勝手のいい存在として彼女は生を享けたのだ。法術、アーツに特に親和性の高い男女を掛け合わせて創り出された彼女は、ある意味七耀教会の闇でもあった。それゆえに彼女は疎まれていたのである。ただ、彼女はそんなことなど知ることもなく彼女にとってはごく普通の生活を送っていた。

 メルの日課は、アーツを発動させてその結果を報告すること。そして、毎日法術を使えるように努力することである。その結果、メルは十歳になるまでに《星杯騎士団》に内定が決まっていた。法術は七耀教会にいれば使える人物はいくらでもいる。だが、メル程強力な効果を持つ法術・アーツを扱える人物はそう多くはなかったからだ。そんな毎日でもメルは笑っていた。頑張っていればそのうち母に会えると信じていたからだ。

 それが崩れたのは彼女が十五歳の時だった。その年にしては体が未成熟で小柄かつ童顔だったことが決め手となったのだ。《楽園》という名の《拠点》が何者かによって襲撃され、《D∴G教団》の存在が七耀教会内で明らかになったのである。そこに入り浸っていた異端の枢機卿たちを殺してくれたことには感謝していたが、教会のミラを横流しされて資金源とされていたことだけは本部は赦さなかったのだ。

 七耀教会本部は、そのあたりから流れ始めた《拠点》の情報を集めつつその情報を確実にするためにある一手を打つことを決めた。それは、ある程度の実力を持つ子供達を《拠点》に実験体として送り込み、内部から情報を流させること。その裏の目的は《D∴G教団》の使っている手法を七耀教会に持ち帰ることではあったが、とにかく《拠点》を破壊すべく情報が必要だったのだ。それに、メルは選ばれた。

 表向きには《D∴G教団》に囚われて救出された『生存者』はレミフェリア出身の少女だけだとされている。だが、実際には『生存者』はかなりの数に上ったのだ。ただ、彼ら彼女らが自力で脱出していたために頭数に入らなかっただけのこと。外道だという意見も出たが、その意見は封殺されていた。それだけ七耀教会は裏に通じていなければならなかったからである。

 故に、メル達は居場所が正確ではないがそのあたりに《拠点》があるだろうという場所付近でうろついて捕獲されるために送り出された。メルはそれに何の疑いも持っていなかった。これが終われば母に会える、と本部から言われていたのだから。まだ一度も会ったことのない母に会うために、メルは喜んでその身をささげたのである。

 

 それが、自らの人生を決定的に狂わせてしまうとは知らずに。

 

 メルが潜入したのは帝国の《拠点》。小さな孤島にあるらしいという情報をもとに、海を泳いで漂着したと偽装していたメルはすぐさま研究者たちに捕獲され、連れて行かれた。その中で繰り広げられていたのは阿鼻叫喚の地獄。毎日が実験で、毎日が死と隣り合わせだった。

 その《拠点》はかなり変わった拠点だった。その《拠点》では薬を注入されるだけではなかったのだ。《拠点》の中央には小さな水球が浮かんでいて、そこには小柄な妖精が囚われているのである。メルはそんな《拠点》でただひたすら実験に耐えた。逃げ出す隙がなかったのである。

 

「《楽園》をもう一度」

 

 それがその《拠点》――《失われた楽園》のスローガンだった。朝起きるときも、夜寝るときも必ず唱和されたその言葉をメルは次第に嫌悪していった。理由は何故だかは分からない。だが、どんどん引き上げられていく感受性が何かを受け取ったとしても不思議ではなかった。

 毎日の苦痛なんて耐えてさえいれば終わる。皆だって痛い思いを、苦しい思いをしているんだから自分だって耐えなくちゃだめだ。皆は自分よりも年下なんだから。自分が皆を護らなくちゃ。メルが自分にそう言い聞かせ続けて、数か月が経った。そうやって耐えていなければ今にも逃げだしてしまいそうだったからだ。ここを暴くために来ていても、戻って彼らにそれがばれてしまえば皆が死んでしまう。そんなことなんて赦されるわけがない。

 ギリギリのところで心を壊されることなく耐えていたメルに救いが現れたのは、そんな時だった。その日は月蝕の日だったことをメルは後に知った。そして、その月蝕は――普通のモノではなかったのだ。

《拠点》中央の小さな水球が割れる。それだけで――その中にいた彼女は目覚めたのだ。そして、叫んだ。

 

「取り敢えず……やっぱり人間なんて嫌いなのッ!」

 

 そう言った彼女はメルの理解出来ない攻撃で周囲に群がっていた白衣の研究者たちを薙ぎ倒した。光が乱舞し、金属の塊が蹂躙し、加害者たちが死んでいく。それを見て――メルは思った。今しかない。今動かないと皆が死んでしまう――!

 そして、メルは隠し持っていたオーブメントを発動させた。発動、させてしまったのだ。それが何を引き起こすのかも知らずに。

「ファイアボルト――!」

 アーツの発動のトリガーはそれだけ。だが、その言葉が引き起こした事態はメルの想像を超えていた。突然、アーツが暴走して火属性アーツを周囲にばらまき始めたのだ。しかも、無差別に。辛うじて息をしているだけの子供達にも。

「あ……あ……」

 メルは震えた。自分が引き起こしていることに。自分の行為が――この場所にいるすべての人物を焼き尽くすつもりだと分かってしまったからだ。なのにオーブメントが手から離れない。手から離そうとしてもこわばったまま開かないのだ。このままではいけない。皆を殺してしまう。それだけはしてはいけないのに。

 結局、オーブメントが止まったのは全てを焼き尽くした後だった。妖精もその場から飛び去って行き、そこに残されたのは灰になった研究者たちと子供達とその施設だけだった。救いたかった子供達も。持ち出さなければならなかったサンプルも。全てが灰になってしまった。母に会えないことよりも、自分がやらかしてしまったことに恐怖した。

 そこに現れたのがメルが帰還しないことを知らされ、本部の立てた外道作戦にガチギレして飛び出してきていたアイン・セルナートだった。恐らく外道作戦が実行されたのは封聖省あたりからの圧力がかかったのだろうとアインは思っている。その被害者を救出しに来てみれば、そこに残されていたのは彼女と灰だけだったのだから驚いて当然だろう。

 がたがたと震えながら必死に手からオーブメントを引きはがそうとしているメルにアインは告げる。

 

「済まなかった。よく――生き延びてくれた。感謝する」

 

 彼女の言葉は、メルには届かなかった。ただ、誰かが来たと思って顔をあげただけだ。オーブメントから集中が逸れたのを見て取ったアインはすぐさまメルからオーブメントを奪い、無言でメルを連れてその島から立ち去った。

 そしてアインは全ての真実をメルに告げる。ここで告げて本部とは縁を切らせなければ間違いなくメルは使い潰されて死ぬだろうから。もしくは蜥蜴のしっぽ切りよろしく外法認定されて殺されるだろう。アインの見た光景はそれを助長する材料にしかならない。《D∴G教団》は、メルに異能モドキを身につけさせてしまったのである。それを知られては、メルは死ぬしかない。それを防ぐために《騎士団》入りさせようとしたのだ。

 メルは流されるままに返事をし、流されるままに《星杯騎士》となった。何度も自殺を図ったが、死ねなかった。彼女が殺してしまった子供達の分まで生きなければならない。それが、償いになると信じて。

 メルに多少なりとも救いを与えたのは、彼女の主となったアルシェムだった。彼女はメルのためにオーブメントを開発し、EPが続く限りアーツを発動させ続けてしまうという異能モドキをオーブメントの方から対処してみせたのだ。これで、もう同じことを繰り返さないで済む。それは少しであっても彼女の心に平穏を与えた。

 彼女はアルシェムに忠誠を誓ってはいない。ただ、形式的にそうしているだけだ。だが、いずれ彼女を取り巻く環境が変わる。その環境が――メルに救いと安息を齎すことを、彼女だけが知らない。




思ったより重い話になって困惑してるでござる。

次回から3rdに入ります。
そして、3rdでは閑話は入れません。

では、また。

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