雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
カンパネルラさんが真っ黒なのは仕様だね。
では、どうぞ。
光を散らして爆散したワイスマンは、本来の姿を取り戻していた。と言っても五体満足なわけではない。服は所々敗れ、そこから血がにじんでいるようである。ワイスマンはぎり、と歯を食いしばった。このまま終わるわけにはいかない。
「……まだだ……このまま終わってなるものか……!」
ワイスマンから漏れ出た声にエステルが反応する。しかし、それはもう遅い。ワイスマンはあっという間に転移してその場から消えてしまったのである。エステル達は狼狽するが、それどころではない事態が起き始めた。一定の場所に鎮座されていた《輝く環》が移動してしまったことで崩壊が始まってしまったのである。もしくは再構築とでも呼ぶべきなのだろうが、今エステル達がいる場所が崩れることに変わりはない。
顔をひきつらせたアルシェムは声を漏らした。
「これ、まずいかも?」
「言ってる場合じゃないわよ! 皆、早く逃げないと……!」
エステルが先導し、その場から退避を始める一行。その中には――レオンハルトもカリンもいなかった。無論アルシェムもである。どうやらレオンハルトは物陰に隠れている最中にカリンからある程度事情を聴いたようで、協力してくれるらしい。これで任務の一つが片付くだろうとアルシェムが思ったのは言うまでもない。戦力増強万歳である。
長時間暗示に晒され続けたワイスマン――戦闘中にカリンがこっそり陰からかけていた――は、予想通りケビンのスタンバイしている場所に転移していた。そして、ケビンのボウガンから発された文字通り必殺の攻撃は、ワイスマンの不意を打つことに成功したのである。
「な……に!?」
狼狽するワイスマン。まさかこんなところで不意打ちを受けるとは思ってもみなかったというのもある。だが、それ以上に何故ここにこれほどまでに過剰戦力を集められたのかということに彼の意識は向いてしまっていた。彼の視線の先にはケビンとリオ、それにレオンハルトにカリンまでいたのである。
憤怒の表情でワイスマンはボウガンの矢が刺さったままでケビンに声を掛ける。
「……貴様か、星杯騎士……」
「いやー、流石にその状態で死んでないってのも哀れなもんやしここで死んどき、ワイスマン」
ケビンの声は明るい。しかし、その瞳の奥でわだかまっているのは無明の闇だ。このままワイスマンが死んでくれれば、ケビンはまた一つ罪を背負うことが出来る。そうすればいつか――報いを受けられると信じていた。真性のドMである。
「とっとと滅したいからちょっとぶちのめさせてね、ワイスマン?」
そこにケビンの補佐として付けられていたリオが現れてその手に持った大剣を振るう。その大剣の破片の乱舞がワイスマンを斬り裂き、無残な姿に変えていく。そこから逃れようとワイスマンが転移しようとするが――不意にその手から杖が落ちた。
「……何?」
手に力が入っていない。杖を拾い上げようにも体も動かない。一体自分の身体に何が起きているのかわからない。ワイスマンは理解出来ないことの連続に恐怖した。一体ケビンは、リオは、ワイスマンに何をしたというのだろうか。その答えは、ケビンからもたらされた。
「皮肉なもんやな。アンタの故郷を襲ったもんがアンタを破滅させることになるやなんて」
ケビンの言葉にワイスマンは眼を見開いた。彼の言葉が本当ならば――ワイスマンに打ち込まれたのは《塩の杭》。一部、いやほんのひとつまみであっても触れたものを塩に変えてしまう恐るべきアーティファクトだ。彼の故郷ノーザンブリアと同じように。
それを認識したワイスマンは思わず声を漏らす。
「な……《塩の杭》、だと……!?」
全身が痛みもなくただの無機物に置き換わって行くのを感じた。このまま死ぬしかないのだと。それは嫌だった。これでは何のために《身喰らう蛇》に入ったのかわからなくなるではないか。『超人』を作るため――そんなものは建前だったことをワイスマンは思い出す。そうだ。ワイスマンは、故郷に起きたあの事件をどうしても認められなかったのだ。あの早過ぎる女神の恩寵を乗り越えるために、彼は研究をつづけたのだ。自身が《塩の杭》を乗り越えるために。
眼下から煌めきが消えて。このまま死んでしまうのだと理解して。もしかすれば盟主に懇願すれば助かるかも知れないと思ったその時だった。ワイスマンの目の前に、盟主直属の異質な執行者、《道化師》カンパネルラが現れたのは。
軽い調子で、だが額に汗を浮かばせたカンパネルラがワイスマンに声を掛ける。
「え、ちょっと教授、こんなところで死ぬの?」
「カンパネルラか……!?」
ワイスマンは恥も外聞もなくこの年齢不詳の少年に縋ろうとした。だが、ワイスマンが一歩カンパネルラに近づいた瞬間に彼は大げさに跳び退る。どうやら、彼はワイスマンの状態を看破したようであった。
カンパネルラはおどけたようにワイスマンに告げる。
「触らないでよ教授」
「……何故だ……助け、て……」
「だーめ♡」
縋るような瞳をカンパネルラに向けていたワイスマンは、その表情を目の当たりにしてしまった。助けを求めているというのに、カンパネルラの顔に浮かぶのは満面の笑みなのである。それも、見る者を魅了するような蠱惑的な笑みだ。不覚にもワイスマンは一瞬だけ見惚れてしまった。その事実は墓場まで持って行くつもりだが。流石に見た目少年に欲情するような性癖は持っていない。
カンパネルラは、ワイスマンに最後の絶望を与えに来たのだ。これ以上生きていられても彼としては困るから。増長されて盟主の地位を脅かされてしまっては元も子もないのだ。盟主の『計画』に不確定要素はいらない。
カンパネルラは万人を魅了する笑顔を浮かべたままワイスマンに労いの言葉を告げた。
「お疲れ様、教授――使徒第三柱《白面》ゲオルグ・ワイスマン。冥府の底から見守っててよ、《身喰らう蛇》の『計画』の成就をね」
そうして、カンパネルラはワイスマンに向けて一礼した。辛うじて意識の残っていたワイスマンはその礼を魂に刻みつけて――塩となって崩れ落ち、風に吹かれて消滅した。
それを感じ取ったカンパネルラはワイスマンの傍に落ちていた杖を拾い上げ、ケビンに向けてにやりと嗤う。嫌な予感がしたケビンはカンパネルラに向けて今度は普通の矢を装填したボウガンで攻撃を加えるのだが、効かない。
矢が突き刺さったところに手を当てたカンパネルラは声を漏らす。
「痛いじゃないか、もう……」
「平気な顔で立ってるくせに何言うとんねん……」
ケビンは苦い顔をしながらそう告げた。どう見ても致命傷にはならないだろう。ここでカンパネルラを仕留められれば後々色々と楽になるのだろうが、そうは問屋が卸さないようだ。
ふとカンパネルラがケビンの隣にいるリオに視線を移した。
「あー、キミ、この間の。ねえ、僕のあげた二つ名は気に入ってくれたかな?」
「女の子に《破城鎚》はないと思うよ、《道化師》……大人しく投降する気はなさそうだからぶちのめして良いね?」
リオはとてもイイ笑顔でカンパネルラにそう返す。流石に女子として《破城鎚》は認められなかったようである。当時壁に穴をあけたり猟兵達をぶっとばしたりした彼女のやっていることはまんま破城鎚なのだが、そこは突っ込んではいけない。
カンパネルラは大げさに体を震わせて応える。
「怖い怖い。じゃ、僕はさっさとお暇するとしようかな」
カンパネルラは再び一礼し、指を鳴らして転移しようとして――その場にいた全員からの全力攻撃を受けながら消えた。そして、既に離脱を始めていたグロリアスに着地しようとしたのだが――そこに転移した瞬間、カンパネルラは身の危険を感じてもう一度転移したらしい。地上でグロリアスを見上げたカンパネルラは引き攣った顔で爆散するグロリアスを見る羽目になったそうな。
それはさておき、ケビンはリオと共にそこを脱出しようとして声を掛けられることになった。
「や、ケビン。お疲れ」
「何や……アルシェムちゃんかいな。それで、確保はしてくれたんか?」
「とーぜん。じゃ、わたしとケビン以外は肆号機で脱出ね。はい行動開始!」
アルシェムはさらっと言葉を吐くと、その場にいた人物たち――実はリオだけではなく、カリンとレオンハルトもいた――はリオに先導されて別の方向へと駆けて行った。アルシェムもケビンと連れ立ってエステル達と合流する。しれっと混ざったのでどこに行っていたのかは問われなかったのが重畳だろう。
本来ならばアルシェムもリオ達と一緒に脱出すればいいのだが、そうしなかったのは『アルシェム・シエルが消えた』という事実をよりエステル達に認識させるためである。恐らくエステル達はアルシェムがそのまま消えても探さない――あくまでアルシェムがそう思っているだけ――だろうが、念のために。
「不良神父、何かあったらエステルとヨシュアを担いでってね」
「何かって……分かった。流石にオレもまだカシウス・ブライトには睨まれとうないし」
ケビンは苦笑しつつそう返す。その懸念が現実となる時は、近い。何故なら、アルシェムの懐に《輝く環》があるというのに崩壊が止まらないからだ。再構築されているのかもしれないと思ったアルシェムの予測は外れたらしかった。予想外にワイスマンの接続は《輝く環》を狂わせてしまったようである。
そして、その時は来た。念のために殿を務めていたアルシェムは目の前の橋の異変に気付いたのである。このままでは崩れる――そう判断したアルシェムの行動は早かった。ヨシュアを掴んで橋の向こうへと投げ、それを唖然とした顔で見ていたエステルをも同じように投げたのである。
「アル!?」
エステルの狼狽したような声は――しかし、アルシェムには届かなかった。エステル達の後ろを走っていたケビンが駆け抜けた後から橋が崩れていくのだ。アルシェムは橋を飛び越えようとして――やめた。流石にこんなところで墜落死だけは避けたいのである。
次々と崩壊する床を見て、アルシェムは乾いた声を漏らした。
「うわー……」
引き攣った顔で前方を見たアルシェムは、流石に飛び越えられないことを悟る。どこかに鋼糸を引っかければいいのだが、ひっかけた場所が崩れないとも限らないのだ。
エステルがアルシェムに向けて声を上げる。
「アル、大丈夫!?」
「うん、崩落には巻き込まれてな……ういっ!?」
アルシェムが返事をした瞬間、彼女の身体が傾ぐ。エステルが悲鳴を上げるが、アルシェムは何とか体勢を立て直してみせた。墜落死は出来ない。ここには《輝く環》があるのだから。
アルシェムの今の状態は――柱状の構造体の上に立っているだけ、である。その背後にあったはずの道も崩落してしまっていた。つまり彼女は既に孤立してしまっていたのだ。その状況を打破する手段は、ない。少なくともエステル達にはそう見えた。
だからエステルは声を限りに叫ぶ。
「アルッ!」
「先行っててエステル、ヨシュアも。ここでエステル達が死んだら元も子もないし、何とかしてみるから」
「でも……っ!」
このまま別れればもう会えないとでも思っているかのようにエステルが体を震わせる。このまま進んでくれなくては困る。エステル達は、カシウス・ブライトという鬼札を無理やり押さえ込める存在なのだから。それ以外にも僅かに理由はあったのだろうが、アルシェムは敢えてそういう考え方をした。
だからこそ、アルシェムはその場に残っていたケビンに告げる。
「ケビン・グラハム……エステル達を、お願い」
「……任せとき」
ケビンは瞬く間にエステル達を抱え上げると、その場から駆け出した。どんな力持ちなんだと言われても仕方がないが、抵抗しているのはエステルだけだったので彼にとっては楽な仕事でもあった。
それを見えなくなるまで見送ったアルシェムは、鋼糸を取り出して来た方向に投げる。エステル達と鉢合わせするわけにはいかないのだ。別の方向から《メルカバ》に向かうのは必定だった。
何度か瓦礫が崩れてあわや墜落死という事態にもなったが、一応アルシェムはもう一度太陽の光を浴びることが出来た。《アクシスピラー》を見つつ方角を確認して《メルカバ》へと駆ける。途中で何故かルシオラを担いだレオンハルトと合流することにもなったがおおむね順調である。
ようやく《メルカバ》へとアルシェムが滑り込んだと思えば、着陸していた場所が崩れ始めた。最後まで油断はさせてくれないらしい。アルシェムはメルに命じて《メルカバ》を光学迷彩で隠したまま離陸させた。
「……で、レオン兄。何でルシオラ?」
「知らんが……あのまま置いておくわけにもいくまい」
レオンハルトは頬に紅葉のかたをつけたままこう答えた。まさか女連れで戻ってくるとは思わなかったカリンがレオンハルトの頬を張ったのである。思いっきり平手で。相当痛いだろうが、治療してやるつもりは毛頭ない。よりによって執行者を連れてきてしまったのだ。
アルシェムは溜息を吐いてリオに告げる。
「ルシオラに睡眠薬を。しばらく寝かせておくつもりだから栄養剤を点滴しておいて」
「承知」
リオは苦笑いをしながらそう答え、今の命令をこなすべくデッキから出て行った。そこに残されたのは操縦しているメルとカリン達。今から始まることを鑑みればメルにも席を外して貰うべきなのだろうが、そうしてしまえば会話が面倒なことになってしまう。故に、残した。
無意識に深呼吸したアルシェムはレオンハルトに問うた。
「ねえ、レオン兄……わたしに付いて来てくれる気はある?」
「ないとは言わない。もう一度……カリンと会わせてくれたからな」
レオンハルトの瞳には罪悪感が浮かんでいた。無理もないだろう。先ほどまでカリンの仇だと思って激しく憎んでいた人物が、実は惨劇を防ぐべく動いていたことを知ったのだから。そして、彼はその忠告を聞かなかった。それゆえにとまでは言わないだろうが、結果として《ハーメル》は滅んだのだ。罪悪感を抱かないわけがなかった。
アルシェムは更に問いを重ねる。
「とあることを条件に、カリン姉とずっと一緒にいられるとしたら?」
「条件など関係ない。もう、一生離すつもりはない」
「レーヴェ……」
頬を染めながらカリンがレオンハルトを見つめているが、アルシェムはそんなことを気にすることはなかった。もう離れたくないというならば、その気持ちを盛大利用させて貰おう。そのための策は考えてあるのだから。
「じゃ、レオン兄はこのままわたしの従騎士になってもらって、後は手筈通りに」
「ええ」
カリンはそう答えたが、まだためらっているようだった。リベールへの楔としてこのまま配されるのであれば、アルシェム達とは別れることになる。第一線で戦うことも恐らくなくなるだろう。自分達だけ安全な場所にいて良いのか、とカリンは思っていた。
と、そこでレオンハルトが口を挟む。
「お前……守護騎士だったのか!?」
「何かイロイロあってね。こーんなあほ臭いほど肩書を持ってるのってわたし位じゃない?」
乾いた笑みを浮かべたアルシェムに、レオンハルトは問いを重ねられなかった。確かに彼女は驚くまでの肩書を持っていた。執行者。元準遊撃士。伝説の遊撃士協会の協力員《氷刹》。守護騎士。カシウス・ブライトの元養女。改めて考えてみれば思いつくだけでもそれだけある。驚くべきことを通り越して最早異常だ。この先もまだ増えそうな予感がするあたり空の女神には好かれていそうである、とレオンハルトは思った。
《メルカバ》は飛翔する。アルテリアに向けて。生きていることを知られては困る人物たちを乗せて。なお、途中でレオンハルトは着替えさせられたのだが、そこにあったのは女性用の修道服しかなかったため女装でアルテリア入りすることになったことをここに記しておく。おかげで彼を紹介されたアインが大爆笑したのは言うまでもない。
エステル達と別れるタイミングがまた変わったりして。あんまり意味はない。
次回は閑話です。誰得なお話とだけ。
では、また。