雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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はい、文字通りです。
書いていたら筆が乗って一時間半くらいで書けた話。

では、どうぞ。


閑話・カンパネルラがギルバートを見初めたわけ

 時は少しばかり遡る。彼は必死に追手から逃げていた。ある時は草むらに伏せ、ある時は木々の合間を走り抜け、そしてある時は女装までして逃げ延びることにしていた。彼が逃げているのはリベール王国軍から。そして、彼が追われているのは彼が犯罪者だからである。

 青い髪。整った端正な顔立ち。理知的な表情。綺麗に決まるスーツ姿。しかし、それらは彼から強烈に漂う噛ませ犬臭が台無しにしていた。残念イケメンとでもいうべきだろうか。取り敢えず彼は悪く言ってしまえば顔だけ男だった。

 彼の名はギルバート・スタイン。元ルーアン市長モーリス・ダルモアの秘書だった人物である。そしてそんな彼の特技は――水泳だった。一応テニスも得意である。彼はたまに分身したり観客席まで選手をブッ飛ばすことも出来る――妄想の中でだけだが。

 水泳が得意とは言うが、彼が得意な泳ぎは一つしかない。そしてそれは潜水でも背泳ぎでも平泳ぎでもバタフライでもクロールでもないのである。彼が得意な泳ぎ方は、犬かきであった。たかが犬かきと侮ることなかれ。アレでも一応いろいろと便利な泳ぎ方なのだ、犬かきは。まず顔が出る。もがいているように見えるのでそのまま心優しい人に救出して貰える可能性がある。そして、何よりも重要なのは――

「来るなァァァッ!」

 ギルバートの叫びと共に吹っ飛ばされる王国軍兵士。犬かきのいいところは、バタ足などと違って追手を蹴りつけても前に進めることだ。実に有用である。特にこういうときには。

 追手から逃げるために彼がしたのは、王都から方向も定めずに夜のヴァレリア湖に飛び込むこと。これで暗闇に紛れて探しにくくなったことだろう。それに今はカノーネ達の捜索に大部分の兵士が割かれている。ギルバート一人を見つけるために大量の兵士が使われているとは思えない。だからこそ彼はそれを敢行したのである。

 このまま犯罪者として裁かれるくらいなら、逃げる。どこまでも逃げ続ける。それがギルバートの考えだった。逃げればどうにかなるとは考えていない。刹那的に今逃げられていれば問題ないと思っていたのだ。基本的にその一瞬さえよければ彼は良いのである。

「畜生……絶対、絶対に逃げ切ってやるぅぅっ!」

 夜闇に彼の絶叫が響き渡る。その絶叫を聞きつけて王国軍兵士が彼を追いかけて来るが、ギルバートは何とかして逃げ延びるつもりでいた。こんなはずじゃなかった。こんなふうにみじめに生きるくらいなら、いっそ犯罪者になってしまった方が良い――実際は今も普通に犯罪者なのだが、自分の手で重犯罪を起こすという意味である――と彼は思っていた。

 どうしてこうなってしまったのだろう。彼は自分の人生を思い返した。

 

 ❖

 

 もともと、ギルバート・スタインという人物は大した人物ではなかった。それを彼自身が痛いほどに理解していた。彼が変わろうと思ったのは、両親から勧められてジェニス王立学園を受験しようと思った時だった。何をやっても落ちこぼれで、周りの人たちからは生暖かい目で見られる。そんな自分から決別したかったのである。だから彼はジェニス王立学園に入学しようと必死に勉強した。

「そんなに勉強したって意味ないって」

「お前の頭でジェニスなんて受かる訳ないだろ」

 周囲の人間からはそう言われたし、ほぼ冗談で彼にそれを勧めた両親からも何度も止められた。しかし、彼はその意志を貫き通した。何故なら、変わりたいという願いがあったからだ。このままみじめなままで人生を終えたくない。だから、彼は必死に勉強した。その代償は、今まで多少なりとも他人から逃げることで鍛えられていた逃げ足が遅くなること。だが彼はそれを気にすることはなかった。何故なら、彼は今から変わるのだから。

 彼から見た王立学園の生徒はとても光り輝いていたのだ。あたかも彼らが特別な人間のように。その仲間入りをしたくて、彼は一心不乱に勉強して――そして、彼は果たした。ジェニス王立学園に入学できたのである。

「ここが、ジェニス王立学園か……!」

 入学当時の彼は光り輝いていた。ピカピカの一年生である。制服に袖を通して学園の正門をくぐった時、彼は本当にジェニス王立学園に入学することが出来たのだと実感できて思わず涙してしまったほどだ。ここから彼は憧れのジェニス王立学園生になって彼らのように光り輝く人間になるのだ。少なくとも、入学当初はそう思っていた。

 しかし、彼は変わることはなかった。ジェニス王立学園の生徒になっても彼は特別な人間になることは出来なかったのだ。当たり前だろう。環境が人を作るとはいえ、最初に醸成されたモノは簡単には変えられない。難しい授業に必死について行くが呑みこみは悪く、先生たちからもさじを投げられる始末。がんばればなんとかなる。その言葉が本当なのだと、彼は信じたかった。ずっと信じ続けていようと思っていたものが、折れた。

「……何とかして、何とかして頑張らないと……!」

 別に特別な人間になんてならなくても良いんだ。そう思えれば一番良かったのだろう。しかし、彼はそうは思えなかった。特別な人間にならなければ皆から見捨てられる。だから彼は王立学園でも模範生であろうとし、勉学に関しても同室の男子に迷惑がられながらも必死で頑張った。何度かカンニングもした。先生にばれないかと冷や冷やで逆に成績が下がったのでやめたが。

 それが報われたのは――本当に最後だった。彼の成績は下の下だったのだが、最後だけは何が起きたのか上の下くらいまで上がっていたのである。それをもろ手を上げて彼は喜んだし、彼の成長っぷりを見た先生たちもいつになく喜んだ。

「これで……これでやっと――!」

 感涙を落としながら、彼は確信した。変われる。みじめなギルバート・スタインではなく誰から見ても非の打ちどころのないギルバート・スタインになれると。そう信じた。だが、本当にそれだけだった。彼はむくわれこそしたものの、自分が変われたとは微塵も思えなかったのだ。変われるとは確かに思ったが、変われたとは思わなかったのだ。

 

 そこで彼は諦めるべきだったのだ。変わろうなどと思わず、普通に一般的な男性として生きて行こうと思うのなら。商才がなくとも、農業が出来なくとも、ただそこで生きていようと思うのなら。

 

 しかし、彼は諦めなかった。変わりたかったのだ。その強固な思いは彼の心を焼き焦がし、爛れさせる。王立学園を卒業した彼は相応の野心家へと育っていった。官僚になろうとグランセルまで赴いては何度も試験に落ち、実家の貯金がなくなっていこうとも彼は気にしなかった。たった一つの願いを胸に、彼は官僚への道へと向かっていたのである。

 彼の願いは、思わぬことで叶った。グランセル勤めの官僚ではなく、足しげくグランセルに通っていることで顔見知りになったモーリス・ダルモアとの縁が出来たのである。まじめで熱心な男性であるとダルモアはギルバートを評し、秘書になってくれないかと頼み込んできたのである。

「いいん……ですか? 僕なんかで」

「勿論だとも!」

 ギルバートはそれを即座に受けた。そこまで評価して貰えることが純粋にうれしかったからでもあるし、自分が変わるきっかけにもなると思ったからである。そして、それは様々な意味で当たっていた。彼が一般市民から市長秘書にクラスチェンジした瞬間であり、後の犯罪の黒幕にクラスチェンジするフラグにもなったという意味では。

 ギルバートはようやく本当の意味で変われると確信した。ダルモアの秘書になって、どんな雑用を言いつけられても必死にこなした。いつの間にかそれらは彼にとって苦も無く出来ることに変わっていった。これで――変わったのだと確信出来たのである。

 

 だが、彼の意志を打ち砕く事件が起きてしまったのだ。彼の全てを全否定するような、そんな事件が。

 

 それは――彼が偶然ダルモアの裏帳簿を見つけたことに端を発する。そこに書かれていたのはとんでもない額の負債。ダルモアが共和国で先物買いをして手痛くすった負債である。それだけを見てダルモアを糾弾すれば良かったのだ。しかし彼はそうしなかった。どこからそのミラが出ているのかを確認してから追及すべきだと思ったのである。そして、その負債をどこから返済したのかを確認してしまった。その負債は、ルーアン市の予算から返済されていたのである。

 それを、ギルバートはダルモアに追及した。

「どういうことですか、市長!」

 しかし、彼の正義感めいた追及が彼にトドメを刺すことになった。彼の問いに絶句していたダルモアは、不意に昏く嗤いはじめるとこう告げたのである。

 

「……君は一体どういうしつけをされていたのかね。勝手に他人の家の中を探るなど……育ちが知れるというものだよ」

 

ガツンと頭を殴られたような衝撃があった。ダルモアにしてみれば苦し紛れの一言であったのだが、ギルバートにとってはこれまでの人生すべてを否定されたように受け取れてしまったのである。

 

 だから、ギルバート・スタインという人間はここで一度『死んだ』。

 

 ダルモアはギルバートに口止めをし、失職または全ての罪をギルバートに被せると脅して彼を服従させた。実際、その時のことをギルバートはほとんど覚えていない。ただ言われるがままになっていたからだ。自分を全否定されて。今までの努力は無駄だったのだと気付かされて。呆然自失だったのである。

 その時から、ギルバートは努力するのを止めた。変わろうとするのを止めた。そんなことをしても意味がないからだ。これからの彼は自分の楽なように生きる。当時のギルバートが取れる一番楽な道は、ダルモアに従うことだった。少なくとも彼はそう思っていた。そう思わされていたと言い換えても良い。その時には既にとある人物がダルモアに接触していたのだから。

 ここで明かそう。彼、ギルバート・スタインは一度壊れた。そしてそれを再構築したのは彼だけの力ではなかったのだ。この時から実は彼は《身喰らう蛇》と関わっているのだが、そのことはとある人物以外誰も知らない。その人物とは、言わずもがな《白面》ワイスマンである。

 ワイスマンはあまりにもダルモアが簡単に暗示にかかったので暇つぶしにギルバートを改造したのである。妙に意志が薄弱になっていたところを付け込まれたと言い換えても良いだろう。とにかく、リベール各地に散っている《身喰らう蛇》の情報提供者たちの一人としてギルバートは生まれ変わったのである。

 ギルバートはワイスマンに改造されたときに一つの贈り物をもらった。それは今まで絶対に持つことの出来なかったものであり、これから先も一生手に入るはずのなかったもの。

 

 それは――絶大なる自信だった。

 

 そもそも彼自身には自信がなかった。自信を持てるような経験がなかったのである。もしあったとしても、ダルモアに全てをぶち壊されたギルバートからは失われているだろうものだ。

 考えてみてほしい。落ちこぼれと蔑まれ、変わろうと努力しても報われず、努力そのものを否定されて。それで自信を持つことが出来るのだろうか。出来るはずがない。ギルバートの少し前の発言を思い出すと分かるように、彼は自身ですらも蔑んでいるのだから。『僕なんか』。これは自分の可能性をおしとどめる悪い言葉だと誰かが言ったが、そもそも可能性なんてあるわけがないと思っている人間に対してその言葉を告げる意味はあったのか。

 ともあれ、自信を手に入れたギルバートは精力的に動き始めた。彼は、マーシア孤児院放火事件に関わり、ダルモアに代わってその指示を実行する人形と化したのである。孤児院を放火させ、黒装束の男達と取引をして。危ない橋は全てギルバートが渡った。そうやってすべてが上手く行くと思っていた。妙な自信がそれを後押ししていたのも大きい。

 彼らを止めたのは、年若い遊撃士たち。言わずと知れたエステル・ブライトとヨシュア・ブライト、アルシェム・ブライト。そしてギルバートは正体を知らないが、お忍びで王立学園に通っていたクローディア・フォン・アウスレーゼ。彼らのせいで、計画は全て水の泡。ダルモアと共にギルバートは捕縛されることになったのである。

 

 ❖

 

 ギルバートは悪態をつきながら必死に泳いでいた。どこへ向かっているのかは彼自身も知らない。そこに霧が漂って来ようが、あるはずのない施設が見えようが関係なかった。逃げ延びられればそれで問題ないのである。逃げればまた栄光への道が開けるはずだと彼は信じていた。

 泳いで、泳いで――そして、彼は力尽きる。湖岸にまで辿り着けたギルバートは、意識を失うことだけはなかった。荒く息を吐いてその場に寝転がり、息を整える。まだここは間違いなくリベール国内。逃げるにはここからまた姿を眩ませなければならない。だが、彼は今すぐには動けなかった。

 幸運というべきなのだろうか。不運というべきなのだろうか。あるはずのない施設から出て来た少女がギルバートを見下ろしている。万事休すか、とギルバートは思ったが、違った。

「……ふぅん。中々面白い人ね」

 そう言った少女はギルバートの目の前から走り去っていった。誰か大人を呼びに行って、そのまま通報されて人生は終わるのだろう。彼はそう思った。しかし、少女に連れられてその施設から出て来たのは少年だった。

「ね、面白そうでしょう?」

 得意げに笑う少女は少年にそう話しかける。少女が何かしらを言う前からプルプル震えていたその少年は、恐怖のあまりふるえているのではなかった。それは勿論――

 

「あははははははっ、レン、キミよくこんな面白いの見つけたねえ!? あひゃひゃひゃははっ!」

 

 おかしくて笑っているのだ。何がオカシイのだ、とギルバートは思う。もしかしたら大の大人がこんな場所で力尽きているのをおかしいと思われたのかもしれない。だが、どうやらそうではなさそうだった。

 少年が腹を抱えながら言葉を続ける。

「く、くくく靴にシヴァス……! ネクタイがカサギン……!」

 ギルバートには全く意味が分からなかったが、取り敢えず彼の声を聴いて目線だけで足を見る。すると、何故気づかなかったのかわからないが靴がシヴァスだった。何を言っているのかわからないとは思うが、靴がシヴァスであることには変わりない。端的に言うならば、履いていた囚人用の靴がなくなってシヴァスに足を喰われていると言えば良いだろうか。

 そこまで認識したギルバートは絶叫した。

 

「ななな、なんじゃこりゃあああ――――――――――――――――――――――ッ!?」

 

 その声を聴いて胸元でぴちぴち暴れ出すカサギンは容赦なく大口を開けたギルバートに吶喊してくる。流石に生でカサギンは不味い気もするのだが、ギルバートに止めるすべはない。全身が筋肉痛でもう動けないのだ。

 少年はゲラゲラ笑いながらギルバートのことを笑う。しかし、何故だかソレが不快にはならなかった。単純に面白いから彼は笑っているだけなのだろう。そう思うと、ギルバートもなんだかおかしくなってきて少年と一緒に笑い始めた。

「ふはは、あははははは……」

「はー、はー、キミ最高……! いひひひひひひひ……ひー、ひー……」

 その笑いは何故だか暖かくて。だからこそ、ギルバートはその後の申し出を断らなかったのかもしれない。その時は本当に自分を認めて貰えたと思えたのだから。あくまでその時限定だったが。

 

「ねえ、キミ。僕と一緒に来ない?」

 

 その申し出を受けたギルバートは、数週間後には後悔することになっているとも知らず快くそれを受けた。そして、その数週間後までに彼がやったことはと言えば、筋力トレーニング、射撃、潜入工作の基礎などなど。どれも落ちこぼれだったが、それでも少年――カンパネルラは笑って許してくれた。少なくともギルバートはそう思っていた。あの一言を聞くまでは。

 

「もー、キミって最高の暇つぶしだよね!」

 

 ギルバートはその言葉を聞いて物凄く渋い顔をしたという。だが、不思議とそれは嫌ではなかった。だから彼はそこに留まり、その後もカンパネルラに弄られ続けることになったのであった。これが、ギルバートが《身喰らう蛇》入りした顛末である。




ホント自分で何を書いているんだろうと思った。

では、また。

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