雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
最初はシリアスなのに以下略という。
では、どうぞ。
レオンハルトがエステルに《ハーメル》の顛末を語り終えた瞬間。その場に人間が増えた。それに気付いたのは、レオンハルトだけだった。
「……何の用だ、シエル」
「何のって……ねえ? 決まってんじゃん、レーヴェ」
いぶかしげに問うてくるレオンハルトに、アルシェムは仮面の下で歪に嗤った。こんな滑稽なことはない。いくらレオンハルトの記憶が歪められているとはいえ、一般的な人間が分裂するわけがないことにくらい気付いてほしかった。
アルシェムはレオンハルトを冷たく見据えて告げた。
「その話、執行者になってから何回も聞いたけど一つ腑に落ちないことがあるんだよ」
「……何?」
レオンハルトの顔は硬い。彼女が一体何を言い出すのかが分からないからだろう。アルシェムが――『シエル・アストレイ』が、『《銀の吹雪》シエル』であることになどとうの昔に気付いていて無視している彼には分からない。
だから、アルシェムは彼に分かってもらおうとは思っていない。分かってもらうのではなく、分からせる。それが、彼女が取る最後の手段。
「エルシュア・アストレイとやらはどこに消えたの?」
その思考は、確かにレオンハルトの意識を凍りつかせた。今まで彼は頓着もしていなかったのだ。いずれ義妹になるかも知れなかった少女の行方など。それが一体何故なのかを彼は考えて――酷い頭痛に襲われる。
そして、それを見逃すアルシェムではなかった。アルシェムはエステルを引き寄せると、レオンハルトに向けてボールを投げつけた。そのボールの中には様々な香辛料が含まれており、レオンハルトは咄嗟に跳ねのけようとしてそのボールを破裂させてしまう。
必然的にボールの中身は飛散し、レオンハルトはそれを盛大に吸いこんでしまってむせ始めた。エステルの腕を掴んでその場から脱出したアルシェムは扉に細工をし、彼が無理に出て来ようものなら爆発する導力式のロックを掛けて逃走を始めた。
いきなりのことについて行けないエステルはアルシェムに問う。
「え、えっと、あの……」
「質問は後で受け付け……ないでもいいや。はい、装備。ついでにオーブメントもね」
アルシェムはエステルに向けて装備一式とオーブメント――全部同じ場所に固めてあったので回収しておいた――を渡すと、エステルは素直に受け取って素早く身に着けた。
そしてアルシェムに向かって礼を言う。
「あ、ありがと……じゃなくて! あなた、執行者なんじゃないの!?」
「だから? それがあんたを助けない理由になるわけ、エステル・ブライト」
アルシェムはエステルの腕を離して先行する。エステルは何も言わなくてもアルシェムについてきた。このまま何もしないよりはアルシェムについて逃げた方が勝算があると踏んでくれたのだろう。襲い来る人形兵器への対応もほぼ満点である。
数十体の人形兵器を薙ぎ倒して甲板に出ると、そこには一個小隊程度の構成員が待ち受けていた。
「あ……」
エステルが顔を引き締めて棒術具を構え、突破できるかと少しばかり不安になった顔をその部隊に向ける。すると、その部隊の中から青い髪の青年が歩み出て来て格好いいポーズを決め、告げた。
「フッフッフ……これでもう逃げられないぞ!」
「うわー……元市長秘書……何やってんの?」
アルシェムは複雑な顔をしてその人物――ギルバート・スタインに問う。すると、ギルバートはそこまで頼んでもいないのにここに来るまでの来歴を語ってくれた。グランセルの混乱に乗じて逃げ出し、そのまま《蛇》に拾われたらしい。ある意味とんでもない経歴である。どういうところに目をつけられたのかは分からないが、それなりに光るものがあると認められてのことなのだから。そうでなければ彼は《蛇》の構成員と接触した時点で死んでいるだろう。
アルシェムは知らぬことではあったが、ギルバートを拾ったのはカンパネルラである。彼はギルバートの芸人気質を買って暇つぶしに《身喰らう蛇》に勧誘したらしい。そういう意味では警戒する必要もなさそうだが、生憎アルシェム達はそれを知ることはない。
不意打ち気味に部隊を全滅させてもそれは同じだった。カンパネルラはここにはいないのだから。その代わりに現れたのは――彼らと同じ紅装束に身を包んだ少年だった。
その少年を見たアルシェムは呆れたように言葉を吐く。
「……もう顔を隠す必要はないんじゃない? つーか、とっとと顔を見せてあげなよヨシュア・『ブライト』」
「え……」
その言葉にエステルが瞠目し、その少年に近づく。すると、少年――ヨシュアは被り物を脱ぎ捨て、驚くほど冷たい目をしたままアルシェムに告げる。
「君にだけは言われたくないな。いい加減、全部エステルに明かすべきなんじゃないのかい?」
「それ、あんたがわたしを警戒してるだけでしょーが。まーでも、誓ってあげるよヨシュア。『空の女神とカリン・アストレイに誓って《銀の吹雪》はエステルに危害を加えない』って」
ヨシュアは瞠目し、一瞬で間を詰めてアルシェムの首筋に双剣を突き付ける。アルシェムはそれに動じることなくポケットから導力銃を取り出し、振り向きざまにエステルを狙っていた銃を狙撃した。その狙撃は過たずすべての銃口に突き刺さり、彼らの導力機関銃を機能不全に追い込む。そして、その直後ヨシュアがその構成員達に襲い掛かって手足の腱を斬り、物理的に動けなくする。
そしてヨシュアはアルシェムの目を見て問うた。
「……信じて、良いんだね?」
「むしろそこまで信頼されてないのはショックというか何というか。取り敢えず足止めは任されてあげるから愛の逃避行でもしてなって」
アルシェムは苦笑してそう答えた。足止めと告げたのは、気付いたからだ。無事にロックを解除して脱出してきたレオンハルトが追いついてきたことに。アルシェムはその背からひと振りの剣を抜く。その動作で何かに気付いたエステルはアルシェムに何かを告げようとするがもう遅い。
ヨシュアはエステルを引っ張って駆け出した。エステルはヨシュアに何か言いたげにしているが、今は逃げるしかないと分かったのだろう。納得した後は後ろを振り返ることなくかけていく。
それを横目で見送ったアルシェムは、目の前に現れたレオンハルトに問うた。
「……行かせてよかったの?」
「立ち向かってくることを予想していたが……当てが外れたとでも言うべきか」
レオンハルトは感情をうかがわせぬ顔でそう返した。もしエステルがここで彼に立ち向かってくるようであれば。もしヨシュアが姿を現さずエステルの補佐をしていれば。レオンハルトはその選択を受け入れるつもりでいた。きっと、その選択は――価値のあるものだから。
しかし、彼らは逃げ去った。レオンハルトにさえ立ち向かえないようでは、この先が思いやられる。彼らならばよもや、と思っただけにそれは残念だった。――代わりにアルシェムがここに残っているのが彼にとっては意外なことではあったのだが。
レオンハルトの言葉に苦笑したアルシェムは懐からとあるものを取り出してレオンハルトに見せる。
「いや、でも立ち向かってはいるみたいだよ? ほーらこれ」
それを見たレオンハルトの顔色が、確かに変わった。それは――爆弾だったのである。信管はぬかれているようだが、それだけだ。あまり複雑なつくりでもないが、一つ見つかったということは複数個ある可能性がある。この爆弾の作り方はヨシュアだ。レオンハルトはそれを確信して踵を返す。そうしなければ、最悪グロリアスが墜落させられてしまう可能性があるからだ。
そうして、アルシェムはレオンハルトと戦うことなくその場を後にした。エステル達に追いつくべく進むその先には、破壊された人形兵器の群れ。エステル達が破壊していったのだろうそれを辿って行くと、格納庫のあたりでエステル達に追いつくことが出来た。
「シエル! レーヴェは!?」
「爆発物の処理をしなくちゃって駆けてった。取り敢えず脱出したほーがいい」
「……分かった」
釈然としない様子のヨシュアは、それでも先に進むことを優先した。とにかくエステルをここから無事に地上まで送り届けなければならない。こんなところでエステルを喪うなんてヨシュアの心が耐えきれそうもないからだ。
しかし、それを邪魔するのが執行者クオリティである。目の前に現れた新たな執行者がエステル達の道を阻む。その執行者とは――
「やあ、遅かったね? ヨシュアにシエル」
「カンパネルラ……!」
「わー、宇宙人だUMAだ母星に帰れー」
うty……カンパネルラだった。彼は指を鳴らして人形兵器を召喚すると、高みの見物を決め込んだ。人形兵器に邪魔をさせるだけで地上に返さない気はないらしい。アルシェムはカンパネルラの甘さを鼻で笑うと人形兵器を完膚なきまでに破壊した。
「……え、も、もうちょっと保たせる予定だったんだけど……」
「善は急げってやつだよ」
アルシェムは半笑いになりながら慌てて襲い掛かってこようとするカンパネルラを完封し、エステル達を先に行かせる。だが――彼女にとって誤算だったのは、エステル達がアルシェムを放置したまま脱出しなかったことだ。いつまでたっても聞こえてこないエンジン音にアルシェムは業を煮やした。
「何で先に行かないの!?」
その怒鳴り声はエステル達の元まで届いたようで、エステルの怒鳴り声が返ってくる。
「あんたを置いて行けるわけないでしょ!? いいからとっとと来なさいってば!」
置いて行けばいいのに、と毒づくアルシェムを見たカンパネルラは周囲の状況を見て時間稼ぎは十分に出来たと判断した。構成員達が近づいてきたのだ。カンパネルラはアルシェムの前から転移して消え、アルシェムは舌打ちをして一番近くの飛空艇から機銃をひったくって駆け出した。
目指すはエステル達のいる飛空艇。一番奥にあるのは分かっていたため、周囲の飛空艇を破壊しながら進む。そして――アルシェムはエステル達の元に辿り着いて。手に持った機銃に驚愕されつつも《紅の方舟》グロリアスから脱出することが出来たのである。
やいのやいの騒ぐエステルを中に押し込めたアルシェムは機銃を構え、追ってくる飛空艇に攻撃を加え始める。結社製だけあって生半な銃撃では墜落しないのだが、どんな物体にも弱い場所はあるもので。アルシェムはそこを狙って狙撃を続けた。反動は凄いが、死ぬほどではない。
やがて、追ってくる飛空艇に一隻の色違いの飛空艇が混ざった。その飛空艇にはアルシェムも見覚えがある。あれは――《山猫号》だ。つまり、《カプア一家》がヨシュアを救うべく動き始めていてくれたのである。
その援護もあって、全飛空艇を撃墜したアルシェム。何度か《山猫号》までアクロバットワイヤー飛行をする羽目にはなったが無事に全てを撃墜できて重畳である。最終的に捕まっていたのは《山猫号》だったため、地上にだけ降ろして貰えるように交渉して――そもそも彼らはヨシュアの無事を確認するために着陸する気だった――無事にアルシェムは地上に降り立ったのである。
そこからアルシェムはそっと逃げ出そうとしたのだが――失敗した。というのも、笑顔のヨシュアに腕を掴まれたのである。
「どこに行く気なんだい、シエル?」
「別にどこだって良いでしょーに。ヨシュアには関係ない」
アルシェムがそう告げてヨシュアの腕を振りほどこうとすると、反対の腕をエステルに捕まれた。こちらも超絶笑顔。何というか、大層お怒りの様子である。アルシェムは内心で面倒だと舌打ちをしながらエステルに告げる。
「離してくれるかな、エステル・ブライト」
「離したら行っちゃうんでしょ? アル」
そのエステルの言葉で《銀の吹雪》と『アルシェム』が同一人物だと気付かれたとアルシェムは判断した。ということはこれから先はこの姿は使えないということになる。得られたものは大きいが、失ったアドバンテージの大きさもさるものだった。
ふう、と溜息を吐いたアルシェムは、エステルとヨシュアの隙をついてその場から逃げ出した。
「あ、こら待ちなさいってば!」
「逃げない方が身のためだよ?」
すると即座にエステル達はアルシェムを追ってくる。どうやら本気でアルシェムを逃がす気はなさそうであった。エステルはアルシェムから事情を聴きだすために、ヨシュアは余計なことをエステルに話さないよう口封じのためにアルシェムを追う。
アルシェムはそのままジェニス王立学園方面の林へと突っ込んで逃亡する。《山猫号》が着陸したのはどうやらルーアンの浜辺だったようなのだ。林に突っ込めば少なくともエステルは撒ける。アルシェムはそう判断した。判断したのだが――
「待ちなさーい!」
「いやいやいや、いきなり何でそんなタフなわけ!?」
エステルはぴったりとアルシェムに追随していた。普段のエステルの力量なら簡単に撒けたのだが、今は違う。今のエステルはヨシュアを繋ぎ止めておくことに成功したことと両想いだったことが分かって乙女パワーが全開なのだ。今なら何でもできるらしい。
「止まらないとアーツ撃つわよ!」
「いや、それ何かダメなやつだからー!?」
撃つわよ、と宣言している割に既にアーツを発動しているあたり、どうやら見境はなさそうである。ただ人間に向けてファイアボルトを撃つのはどうかと思う。今は林の中に入っていたから良いとはいえ、街中でやると明らかに事案だ。
林では撒けなかったアルシェムは仕方なく建物を利用して死角に入ることを思いつき、ルーアンの街区に特攻する。この街で一番死角をつくりやすくて近い建物は遊撃士協会。三階まで引きつけて飛び降りれば撒けるだろう。きっと。多分。あまり自信はなくなっているのだが、今捕まると色々吐かされそうで怖いのである。逃げるしかない。
遊撃士協会に突入したアルシェムは驚愕したジャンを後目に三階まで駆け上がる。エステル達も続いて突入したため、ジャンは眼を回してしまった。有り得ないことが立て続けに起こったことで脳の処理限界を超えてしまったようである。
三階まで追いつめられたように見えたアルシェムは、エステル達が追えないだろうと判断してひらりと窓から飛び降りる。しかし、エステル達もあろうことか窓から飛び降りて華麗に着地し、アルシェムに追いすがる。
「うそーん……」
「いい加減止まりなさいってば!」
エステルの叫びをアルシェムは聞き入れない。捕まった時のことを考えた方が良いかも知れないと思いつつアルシェムはアイナ街道に出てツァイス方面へと向かう。ツァイスならばルーアンよりも町が複雑なためだ。撒け――そうもないのは確かだが、足掻かないという手はない。
逃げるアルシェム。追うエステル達。追いつかれるのは時間の問題なのだろう。ただ逃げ続けるのは、説明が面倒だからというだけではなかった。――怖かったのだ。アルシェムは。彼女自身は気づいていなくとも、怖かった。恐れていたと言っても良い。
アルシェムは、ここまでして追ってきてくれるような存在に出会ったことがない。色々やらかして、特にヨシュアにとっては仇のような人間を追ってくるとは思ってもみなかったのだ。放っておかれると思っていた。そこまで――想われているとは思わなかった。
だから、求められているという事実からもアルシェムは逃げていたのだ。その逃避が最終的に大量の質問攻めという未来を生むと分かってはいても。それでも逃げざるを得ない。
アルシェムは人間を信じていない。信じては裏切られを繰り返してきたからだ。人間の本質はきっと善なのだとは信じていない。絶対に他人は裏切るのだとアルシェムは思っていた。『家族』でさえ、彼女の言葉を信じることはなかったのだから。まだアルシェムが幼女だったころも。幼女から少女となりつつあるときも。天使から執行者へと生まれ変わる課程であっても。どの段階にあっても、アルシェムは裏切られ続け、裏切り続けていたのだから。
途中で追跡にシードが加わりつつもツァイスを抜け、グランセルまで走るアルシェム。この時点で相当な時間が経っているのだが、アルシェムは気にした様子もない。エステル達の形相がどんどん怖くなっているのも知る気はなかった。
途中から目的がすり替わってご飯を食べろになっていたことにもアルシェムは気づかず、アーネンベルクを飛び越えてグランセルをひた走る。しかし、この逃走劇が長く続くわけもなく――
「いい加減にしろ――鳳凰烈波ァ!」
「ゴファ!?」
ジャンから連絡を受け取ったカシウス・ブライトに吹き飛ばされたアルシェムは、そのまま拘束されてグランセル王城へと連行されていくのであった。
次回は閑話です。それをやる必要は本当にあるのか的な蛇足お話です。
では、また。