雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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旧89話半ば~91話のリメイクです。

やっぱり若干展開が変わるという。

では、どうぞ。


《銀の吹雪》と《剣帝》・下

 リベール王国随一の巨大マーケットの上に、それはいた。悪く言えば上に人の乗った酷くシュールな爬虫類。格好よく言うとイケメンに使役された無駄に迫力のあるドラゴンである。言うまでもなくイケメンはレオンハルトであり、ドラゴンはレグナートである。

 アルシェムはレグナートには話が通じないと判断し、レオンハルトに向けて声を掛けた。

「取り敢えずこれ以上暴れさせんの止めて貰えるかなレオン兄。後でレグナートが気に病むから」

 その声を――正確にはその呼び名を――聞いたレオンハルトは顔を歪めてアルシェムを見下ろした。どこか記憶に残っている顔。彼が『シエル・アストレイ』だと思っている少女が、そこにいる。それだけで激昂しそうにもなるが、ここは街中。今はレグナートを御するだけで精いっぱいなのである。

 だが、言葉だけは返した。

「そう呼んでいいのはエルだけだ。貴様じゃない」

「あんたの言うエルなんて最初から存在しないんだけど、ま、言ってもしょーがないよね」

 アルシェムは煽るようにレオンハルトに向けて吐き捨てる。煽っているのはわざとで、注意をアルシェムのみ向けさせるため。確かにエステルは強くなっただろう。だが、今この状況で彼と対峙して無事に生き残れると思うほどアルシェムは彼女の強さを信じてはいない。

 そこに火に油を注ぐような行為をする人物がいる。それは、『執行者を捕縛ないし殺害する義務のある』リオだった。

「執行者No.Ⅱ《剣帝》レオンハルト、大人しくお縄についてよね! さもないと……ね?」

 すらり、と抜き放たれるのはエステル達ももう見慣れた大剣型の法剣。この距離でも十分レオンハルトに届くだろうことは、彼も十分理解していた。かつて彼は戦ったことがあるのだ。法剣の持ち主、《紅耀石》が従騎士《千の腕》ルフィナ・アルジェントと。

 その場の空気が切り替わる。戦闘に突入する直前のその空気に、エステル達はボースマーケットがレグナートによって押しつぶされかけていることを一瞬だけ忘れかけた。

 その空気にさらに火種を持ち込むのがアルシェムだ。今ここで、偽りの答えを吐くわけがないことをアルシェムは知っていて彼に問う。

「ねー、レオン兄。答えて」

「……何を答えろと言うのだ? お前如きに」

「あんたが今なお知ろうとしない真実に背を向けてまで執行者を続ける理由を」

 その瞬間――レオンハルトはその手に持っていた剣を一閃させた。吹きすさぶ嵐。しかし、アルシェムはそれを避けることなく受け切った。何故か全くの無傷で出て来たアルシェムは、それでもなおレオンハルトを見つめ続けた。

 そんな彼女を見てレオンハルトは言葉を吐き出す。

「……見極めるためだ。この世界が……誰かを犠牲にして成り立っているべきなのか」

 アルシェムはそのレオンハルトの答えを鼻で笑った。実際に誰かが犠牲になってしか成り立たない世界であるのは確実なのに、彼は一体何を言っているのだろうか。誰かの犠牲無くして人間は生きていけない。そんな当たり前のことが常識としてまかり通る世界を、見極めたいのかと。

 馬鹿にするようにアルシェムは言葉を吐く。それが彼にどう受け取られるのかもわかっていてなお、言葉を吐くのを止められない。

「そんなバカげたことにこれから先も命をかけていくって? あんた真性のバカだよ」

「貴様にだけは言われたくないな。カリンを殺した貴様にだけは――!」

 レオンハルトがレグナートの背中を蹴って飛び出そうとしたその瞬間。レグナートが炎を吐いた。どうやらギリギリまでは制御されていたようだが、レオンハルトが激昂したことで彼の制御下を一時的に離れてしまったようである。

 それに真っ先に反応したのは、この場で一番常識からかけ離れた技を使えるリオだった。

「それ冗談抜きでヤバいよお馬鹿! えーと、詠唱省略! グラールスフィア!」

 リオが展開した力場はレグナートの炎で焙られるはずだったエステル達の身体を見事に守ってみせた。――もっとも、背後の家屋ことレストランの前の壁は消し炭になったが。従業員たちは壁越しだったため、ぎりぎり火傷程度で済んだようである。

 そこでようやくレグナートの制御を取り戻したレオンハルトが舌打ちをしてボースから移動させ始める。彼らが向かう方角には村があることは知っているはずなのだが、それでも彼は移動する気のようだ。そちらの方が被害が少なくなると見て。ただし、そこに住んでいるはずの人間個人個人にまではもう気が回っていない。被害を少なくしたところで、傷つく人間がいるのは確かなのだが。

 レグナートの飛び去る方角を見たアガットはその場から駆け出した。ラヴェンヌ村はアガットの故郷なのである。その故郷にあの巨体が降り立てば――間違いなく、被害は甚大なものになるだろう。それだけはさせてはならない。

 アルシェムはゆっくりと溜息を吐いてエステルに告げた。

「……アガットさんはわたしが。エステル達はボースマーケットの中の人たちの救助を」

「……無茶だけはしないでよね。アル、単独行動取ると大抵酷い目に遭うし」

「否定は出来ないってのが何ともねー……りょーかい」

 エステルは多少逡巡しているようだったが、アルシェムは強引に押し切ってその場から駆け出した。このまま何もなければいい。だが、このまま何も起きないとは楽観視できなかった。

 アガットを追い、ラヴェンヌ山道からラヴェンヌ村、次いで廃鉱方面へとアルシェムは急ぐ。このままアガットとレグナートが対峙することよりも、レオンハルトと対峙されることの方が危険だと思ったのだ。特に精神的に追い込んだのはアルシェムなのだから、少しばかり責任を感じるのも無理はない。

「流石に死ぬまではやんないだろーけど……万が一ってのがあるから困るよね」

 露天掘りになった場所に、恐らく彼らはいるのだろう。アガットはともかく、珍しくレオンハルトまで気配を消していないのだから流石に分かる。レグナートの唸り声も聞こえるため、そこに彼らがいるのはほぼ確実だ。

 アルシェムがその場に飛び込んで見たのは、レオンハルトとアガットが対峙している様子だった。思ったよりも最悪の状況である。今のアガットではレオンハルトには勝てない。そもそも個人で挑めるような人物ではないのだ、レオンハルトという男は。実際に挑んだ者達もいるが、その人物たちも色々な意味で規格外であるため判断基準とはなりえないだろう。

「……来たか」

 レオンハルトがアガットから目を離さないままにそうつぶやいた。アガットはその言葉に横目で廃鉱からの出口を見やると、そこには準遊撃士でもなくなったアルシェムがいる。何故ここまで一人で追いかけて来たのかを問う前に、彼女は口を開いた。

「さーてレオン兄。すっごい気になることがあって聞きに来たんだけど勿論質問には答えてくれるよね?」

 彼女の顔には、笑みが浮かんでいた。酷く歪な笑み。無理やり自分を鼓舞して笑顔を見せつけようと必死に努力したけれど失敗したような引き攣った笑みがそこにあった。その顔に、アガットは何も言えなくなった。先ほどまで感じていた怒り――彼はレオンハルトがレグナートにラヴェンヌ村を燃やさせたと思っていた――が生ぬるく感じられるほどに、恐らく彼女は怒っている。

 レオンハルトはアルシェムの言葉にこう答えた。

「貴様がカリンと村の皆に詫び、その場で死ぬというなら聞いてやっても良いが」

 彼はアルシェムを――『シエル・アストレイ』だった彼女を赦すつもりなど毛頭ないのである。出来ようはずもなかった。彼の愛する女性を死に至らしめ、平穏な生活をぶち壊した彼女を赦すことなど。

 しかし、アルシェムは告げる。彼の怒りなど知ったことではないとでも言わんばかりに。

「何でわたしがカリン姉と《ハーメル》の皆を殺したことになってるのか聞きたいんだよね」

 その問いは、しかしレオンハルトを激昂させるだけだった。彼女は冤罪だと主張しているのである。だが、レオンハルトは忘れていない。彼女が予言した後、本当に猟兵達が襲ってきたことを。その手に血塗られた剣を握りしめて村を駆けていた彼女を。

 だから彼は叫んだ。

「貴様が奴らを手引きしたんだろうが!」

 彼女が猟兵達を手引きしなければ今でもとは断言できないが幸せに暮らしていただろう。カリンも死なず、ヨシュアも壊れずに生きていたに違いない。そう思うからこそレオンハルトはそう吠えた。

 その前提からして間違っていることを、アルシェムは知っている。アルシェムが手引きなどしなくとも――それどころか、彼女が存在しなくとも――猟兵達はハーメルという名の村を襲撃していたことを。彼女は『何が起こ』ろうとも『《ハーメル》という名の村が襲撃される/された』ことを『知って』いた。

 だからこそアルシェムは冷酷な声で告げられる。淡々と、ともすれば暴発しそうな感情を押さえつけて。

「何でわたしがカリン姉と《ハーメル》を襲撃させるために誰かを手引きしなくちゃいけないわけ?」

「貴様はエルを恨んでいたはずだ……! 皆に愛されるエルを! だから彼女も殺したんだろう!?」

 話についていけていないアガットだけが気付いた。アルシェムの手が限界までにぎりこまれていることに。それに、レオンハルトは気づいてはいない。気付くはずもない。彼が見ているのはアルシェムの顔だけであり、手にまでは注意を払っていないのだから。

 アルシェムは体を震わせるレオンハルトに向けて告げる。

「それは物理的に無理なんだけど……ま、『エル』のことは置いておいて。レオン兄はカリン姉の死体を見たの?」

 その答えは、レオンハルトの剣戟だった。アルシェムは即座に背から剣を抜いてその剣を受け止める。レオンハルトの剣には強烈な力が加えられていたが、アルシェムはそれに普通に拮抗してみせた。いつもならば後退するかいなして避けるのだが、今日に限っては違う。

 アルシェムもまた、怒り狂っていたのだ。彼女は確かに人殺しである。何人もの人間を殺し、時には罪なき人間をもその手にかけて来た。しかし――彼女が犯した原初の罪の中に、無辜の村人は含まれていないのだ。彼女が殺したのは猟兵だけ。村を護るために剣を取り、ほとんどの人間を護り切れずに逃げ出した。故に、レオンハルトの言葉は前提からして間違っている。

 しかし、レオンハルトはそんなことなど知る由もない。彼の記憶では、『シエル・アストレイ』が村に猟兵を手引きし、村人たちを虐殺して回った《ハーメルの首狩り》なのだから。

「貴様が……貴様がカリンを吹き飛ばしたのだろうが……」

 故に、矛盾だと薄々は気づいていつつも彼はそう告げるしかない。カリン・アストレイは『爆殺された』。それが彼の中での真実なのだから。死体が残っていなくともおかしくはないのだ。少なくとも、レオンハルトはそう判断していた。

 ギリギリのところで拮抗を保ちつつ、アルシェムがそのレオンハルトの言葉に返す。

「アレでカリン姉が粉々になったって言うなら、何でレオン兄もヨシュアも生きてたわけ?」

「あれはカリンがダイナマイトに覆いかぶさってくれたからで……!」

 そんな事実はない。あの場に投げ込まれたダイナマイトは、少しでも猟兵達の楽しみを増やすために殺傷力を極限まで減らしてあったのだ。そこまでアルシェムは知らなかったが、彼女はカリンと共に吹き飛ばされたのだ。そして、『最期になるであろう言葉』を受け取ってその場から逃げた。それが真相だ。

 だが、その場にレオンハルトがいなかった以上何を言っても通じないことくらいは分かっていた。たとえ、アルシェムがダイナマイトを手に入れる術がなかったと主張しても同じだろう。彼はアルシェムの言葉など何一つ信用する気がないのだから。

 だから彼女は――思考を放棄した。分かり合おうとはもう思わなかった。どうせ記憶を改ざんでもされているのだと、諦めた。それでもアルシェムは一縷の望みは捨てきれなかった。何故なら、レオンハルトも――かつての、『家族』だったのだから。

 力を抜いて背後に飛んだアルシェムに向けて、レオンハルトが剣を構える。しかし、アルシェムは剣を収納した。ただ一つのことを聞く為だけに、アルシェムは言葉を紡ぐ。

 

「さて問題です。『エル』は――一体誰だったでしょうか?」

 

 酷く歪な笑み。しかし、今回に限ってはアガットにはそれが泣き笑いに見えていた。そんなアルシェムの問いにレオンハルトは律儀に答える。それが、真実であると信じて。

 

「エルは――エルシュア・アストレイは、貴様の双子の妹だ」

 

 それを聞いた瞬間。アルシェムは壊れたように嗤いはじめた。それがレオンハルトには真実を指摘されて壊れたように見えて、ますます怒りを高ぶらせてくる。そこに誰かが現れようが関係なかった。そこにいる全ての元凶を――斬る。

 駆け出すレオンハルト。無防備なまま嗤い続けるアルシェム。それを見て止めようと駆け出すアガット。だが、それ以外にこの場に現れた人物たち――エステル達のことである――は動けない。目の当たりにしたアルシェムの狂気に動けないでいたのだ。

 交錯する剣と大剣。辛うじて拮抗するものの、そもそも地力が違う。すぐにアガットが押し込まれ、思わず背後を確認したアガットはそこに誰もいなくなったことを確認して受け流すように下がった。

 そこにいたはずのアルシェムはどこに行ったのか。アガットはそう考えるが、今は目の前の敵をどうにかすることの方が先だ。もう一度の剣戟。鍔競り合いになり、ギリギリと押し込まれながらもアガットは退かない。

「……退け。貴様には関係のないことだろう……!」

「関係ならあるさ。《百日戦役》前に山崩れに襲われたはずのハーメルの話なら尚更な……!」

 余裕のないレオンハルトの言葉にも、アガットは返答することが出来た。先ほどからのおぼろげな会話で気付いたことがある。《ハーメル》という村は、昔ラヴェンヌ村と交流のあったあの村は既に滅んでいるのだろう。《百日戦役》後にはもう既に交流はなかったのだから、その前に。山崩れなどではなく、猟兵に襲われて。そこまでわかれば十分だった。《百日戦役》前に国境近くの村で惨劇が起きたとすれば? ――当然、戦争の火種になりかねない。そして、その戦争でアガットは大切なものを喪った。

 恨むべきはアルシェムなのかもしれない。だが、不思議とアガットはアルシェムを恨む気にはなれなかった。確かに彼女は気に喰わない。気には喰わないが、嬉々として他人を害する人間には見えないのだ。だからこそ、事情を聴くべくアガットはアルシェムを護った。背後にはいないとしても、目の前の男はアルシェムを狙っていることに変わりはないのだから。

 そして、アガットの背後から消えたアルシェムは何をしているのかというと。レオンハルトの横に回り込んで強烈な蹴りを放っていた。

「対応できないとでも思うか?」

「別に対応出来ないでほしいとか思ってないけど、今は多分それどころじゃなくなるしね」

 レオンハルトはアルシェムの蹴りをいなしていたが、彼はそれを受け止めておくべきだったかもしれない。何故なら、彼女が次に起こした行動は――常軌を逸したものだったのだから。

 アルシェムの気配が一気に変わる。濃密なまでの死の気配。それを感じ取ったレオンハルトは剣を握りしめたまま一度距離を取る。一体彼女が何を考えているのかわからなかったからだ。そして、レグナートの隣まで下がった時――彼は悟った。アルシェムが何を狙っていたのかを。

「GYUOOOOOOOOOO!」

 レグナートが、恐慌状態に陥っていたのである。その場で暴れはじめたレグナートを、レオンハルトは抑えるしかなかった。これ以上被害を出させてはならないのだから。そのまま飛び去ったレグナートとレオンハルトを後目に、アルシェムは意識を手放す。流石に精神的な疲労が強すぎたのだ。それを受け止めたのは、アガットだった。それだけを確認したアルシェムは闇に意識を任せるのだった。

 

 ❖

 

 空に飛び去ったレグナートは《アルセイユ》によって追い詰められ、大量の催眠弾を撃たれてヴァレリア湖に墜落した。しかし、《ゴスペル》を取り外そうとした瞬間、突如レグナートは目を醒まして飛び去ってしまう。それを追って辿り着いたのは霧降り峡谷だった、らしい。

 らしい、というのは後で聞いたからである。アルシェムはその作戦に参加できるほど精神に余裕がなかった。ドクターストップならぬシスターストップもかかっていたため、最初から参加するという手もない。結局取り逃がしたことを聞いたアルシェムはレグナートの住処について情報を出して再び遊撃士協会に軟禁されることになった。

 アガット達がレグナートの住処に旅立った後、残されたクローディアやジン達から何故遊撃士を止めたのかと詰問を喰らいそうになるのだが、アルシェムはそれを華麗にスルー。少しばかりヨシュアの気配がしたためにそれを追って一度姿を眩ませた。

 そして手に入れた情報はと言えば、ヨシュアが《紅の方舟》グロリアス――《身喰らう蛇》の保有する巨大飛空艇――を爆破するというクレイジーな情報のみ。アルシェムは頭を押さえながらこれから先の方針を考えるのだった。

 因みに、エステル達は無事にレグナートを解放することが出来たそうな。その際、伝言らしきものを受け取ってきていたエステル達はそれを本人に伝え、アルシェムは能面になってその伝言を受け取った。




エルシュア誰だよって思った方。覚える必要はないです。

では、また。

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