雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
一話には、まとまらないのでした。
では、どうぞ。
――あの時、彼女らは同じ場所で穏やかな時を過ごしていた。少なくとも、彼女がいなければ。彼らはそう信じていた。穏やかな顔で笑いあう象牙色の髪の青年と黒髪の姉弟。彼らの中にいたはずの銀色の少女は、彼らの記憶の中にはいなかった。象牙色の髪の青年の名はレオンハルト。そして黒髪の姉弟の名はカリンとヨシュア。銀色の少女は言うまでもなくアルシェムである。
彼らの記憶の中に生きる少女達の名は、シエルとエルシュア。無愛想な少女と、人懐っこい少女。非日常の象徴と日常の象徴。彼女らとともに、彼らは生きていた。シエル達は捨て子であり、カリンが拾ったのである。
「レオン兄、レオン兄、今日も勝負しよう?」
そう無邪気にレオンハルトに語りかけるのはエルシュア。彼女はレオンハルトと共に遊撃士を目指す同志であった。同じ得物を使い、同じようにけいこをし、たまに模擬戦を行う。基本的にはレオンハルトが勝利するのだが、たまにエルシュアが勝利することもあった。
「ああ。手加減はしないぞ?」
「望むところだよっ!」
はたから見ていても微笑ましい光景。ただし、その剣戟は微笑ましいでは済まされない。レオンハルトには剣の天稟があったし、エルシュアもレオンハルトには及ばないものの中々の才があった。
そうして勝負は終わり、そこにカリンとヨシュア、そしてシエルが現れる。カリンの手には飲み物が、シエルの手にはおやつが入っていると思しきバスケットがあった。それを見てエルシュアは歓声を上げ、カリンに向かって駆け出す。
「カリン姉、来てくれたの?」
「ええ。そろそろ終わるころだと思ってね」
カリンは木陰に腰をおろし、一同もそれに倣った。カリンの入れてくれたハーブティーを呑みながら、レオンハルトとエルシュアは体を休める。それを見たカリンは懐から取り出したハーモニカを吹き始めた。それに合わせてシエルも歌い始める。
穏やかな時間。誰もが幸せで、何もかもが光り輝いていた時だった。無論、そんな時がずっと続くわけもない。終わりの時は徐々に近づいて来ていた。それを誰もが望んでいなくとも。
きっかけは、シエル。彼女が血相を変えて村の外から飛び込んできた時だった。
「大変だよ、村の外に猟兵みたいな人たちがいて、ここを襲うって!」
その情報を誰も信じることはなかった。何故なら、シエルという少女は嘘を吐く癖があるのだ。エルシュアの方が可愛がられているからと言って、妬んでいるのである。少なくともレオンハルトはそう思っていた。
ただ、いつもと違ったのはシエルが皆にその情報を吹聴して回った時の態度だった。本当に必死に彼女はその嘘を訴えかけていて、もしかしたら本当のことではないかと思わされた人物もいた。
しかし、村の外から帰ってきた村人がそんな人物たちを見ていないことを証言すると、いつものようにシエルが嘘を吐いているのだと判断される。それが分かっていてなおシエルはその嘘を吹聴して回った。それまで以上に必死に。
シエルの嘘をいい加減腹に据えかねていた村長がシエルを村から追放するまでそれは続いた。しかし、流石に追放されてからは村に現れることはなかったのである。何故かその時からエルシュアも姿を見せなくなっていたが、不思議なことに誰も彼女を探そうとはしなかった。
そうして――運命の日は、来る。
目の前に広がるのは焼けていく家屋、退廃的な光景。逃げ惑う村人たちは、無残に殺されていく。それを見たレオンハルトは、部屋の隅にかけてあったお下がりの剣を持って駆けだした。
カリン達を救わなければ。レオンハルトの脳内にはそれしかなかった。近づいてくる猟兵達を一刀両断にし、駆ける。愛しい幼馴染の元へと。そして、彼は見た。彼女に覆いかぶさる猟兵と、蹲るヨシュア。そして、その猟兵の首が宙を舞うのを。
その猟兵を殺したのは――シエルだった。何故かカリン達にはその剣を向けてはいないが、血で濡れたそれは既に幾人もの人間を斬っているに違いない。だからこそ、レオンハルトは彼女を糾弾した。
「お前がこいつらを招き入れたんじゃないのか!?」
彼女はそれに上手く応えられないようだった。それがますます彼女への疑念を膨らませる。本当に彼女は村人たちを売ったのではないか。その服についている血は村人たちのモノではないのか。
レオンハルトが彼女を詰って。だが、そんなことをしている場合ではなかったのだ。丁度、カリンとレオンハルト達を引き離すようにダイナマイトが投げ込まれたのである。
その時のことを思い出すと、レオンハルトは未だに葛藤を余儀なくされる。何故、レオンハルトはカリンではなくヨシュアを護ってしまったのか。少しでもダイナマイトに近かったからとはいえ、何故自分がカリンを護ろうとしなかったのか。ヨシュアを救えたことは確かに嬉しかった。しかし、レオンハルトが真に護りたいと願っていたのはカリンではなかっただろうか。
結局、レオンハルトは足手纏いなヨシュアを近くの村まで運び、戻った時には全てが終わっていた。そこにはただの一人も生者はいなかった。村人たちは無残な屍を晒し、猟兵達もまた胴体から首が泣き別れしていた。
その村の中心で、レオンハルトは慟哭する。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
その慟哭は――誰にも届かない。救いたいと願った大切な女性にも。救った弟分にも。近くにいるのならば救わなければならなかった妹分にも。猟兵達を村に招き入れた憎い少女にも。
――そんな、地獄。
❖
リベール王国、ボース市。霧降り峡谷の奥深くにて。本来ならば道もなくたどり着けないようなその場所に、アルシェムは潜入していた。本当ならば姿を隠す必要などないのだ。そこにいる存在とアルシェムとは面識があるのだから。以前準遊撃士としてボースを訪れた際、間違ってそこに迷い込み、その存在との面識を得たのである。
その存在の名は――
「レグナートに何してんの? 《剣帝》」
レグナート。リベールの聖獣である。そしてその前に立っていたのは《剣帝》ことレオンハルト。人呼んでレーヴェである。彼をレーヴェと呼ばないのはアルシェムと使徒の第二柱《深淵》くらいのものである。
レオンハルトは顔をしかめると、アルシェムに向きなおって応えた。
「……シエルか。教授に言われて《ゴスペル》の実験をしている」
そう言ってレオンハルトはレグナートに向きなおった。まるで『シエル』には興味がないと言わんばかりのその態度は、それ以上のことを答えるつもりはないと示しているようだ。
アルシェムは苦笑しながらこう返した。
「実験するのはいーんだけどさ、何でレグナート?」
「計画に関わっていない貴様には関係のない話だ」
にべもなくそう返すレオンハルト。以前から嫌われているのは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。彼からしてみれば当然の話なのだが、アルシェムは彼にそこまで嫌われるようなことをした覚えはない。どちらかの記憶が食い違っているのである。そして、この場合間違っているのはレオンハルトの方だった。
アルシェムは溜息を吐いてその場から立ち去ることにした。このままここにいても身のある話など望めそうもなかったのだから。ゆっくりと背を向けて立ち去るアルシェムに、レオンハルトは声を掛けることはなかった。
レグナートと話し合うという目的を果たせなかったアルシェムは、霧降り峡谷から脱出して隠形で姿を隠した。これより先はどの姿で動こうが関係ないと思えたのだから。執行者の姿で動いても何ら問題はない。執行者でなくとも問題はないのだ。――星杯騎士でさえなければ。
だからこそ、おおっぴらに動ける格好をアルシェムが選んだのは必然だった。隠れ動くよりもしがらみは多いが、その分出来ることが増えるのである。その出来ることの中には、レオンハルトとの対峙もあった。
よって、アルシェムは変装を解き、以前までと同じ格好に着替えなおしてボース市街へと足を踏み入れた。その先には恐らくエステル達もいるだろう。そう考えると実に気が重かったが、アルシェムはそれでも進んだ。リオがいればレオンハルトとは戦えるだろうが、勝てるとは言えないのだから。
アルシェムがボース市街を散策していると、久し振りにメイベル市長達と顔を合わせることになった。メイドのリラを連れて歩くさまはまさにお嬢様なのだが、メイベルはただのお嬢様ではない。ボース市を一手に支える敏腕市長なのである。
メイベルはアルシェムに声を掛けた。
「あら、そこにいるのは……アルシェムさんではありませんか?」
「あ、お久し振りです、メイベル市長。ご機嫌いかがですか」
アルシェムはそつなくメイベルに返すと、メイベルは苦笑して応えた。
「あまりよろしくありませんわね」
そして、メイベルはアルシェムに問われるままに応えた。最近ボース市で発生している異様な数の手配魔獣の情報を。アルシェムはその情報を聞いて顔をしかめた。この後に持ち出される話が一体何なのか想定できてしまったからである。
メイベルはアルシェムの想定通り、こう切り出してきた。
「貴女は以前遊撃士協会の協力員で、《氷刹》という二つ名まで与えられたのでしょう? 協力しては頂けないかしら」
「お断りします。わたしはもう遊撃士協会とはかかわりのない人間なので」
アルシェムは淡々とそう答えた。アルシェムはもう遊撃士ではない。そして、協力員でもないのだ。悪く言えばただのプー太郎なわけだが、働く気もないのである。既に収入源はあるのだから。
メイベルはたじろいでアルシェムの言葉に答える。
「そ、そうですか……じゃあ、エステルさん達に頼みますけれど本気なんですの?」
「本気ですよ。エステル達に任せておけばいーんです」
冷たくそう言い放ったアルシェムはでは、と言ってその場から立ち去った。そういう依頼は遊撃士にすればいいのだ。アルシェムが関わろうと思っているのは《身喰らう蛇》であり、手配魔獣などではないのだから。
そして足早にメイベル達から遠ざかろうとして――失敗した。横から飛び出してきた女が、アルシェムに抱き着いたからである。その女の髪は栗色をしていた――無論、エステルである。彼女らはロレントでの試練を超えてここまで来たのであった。
「アル……!」
「エステル、苦しい離してぎゃー」
アルシェムは棒読みでそう返しながらエステルを引きはがしにかかる。エステルの腕力では圧死することはないが、痛いのは嫌なのである。しかし、エステルはアルシェムを離そうとはしなかった。
しかも、それに追随するようにくっついてくる少女がもう一人。アルシェムの腕をつかんで離さないその少女は――ティータだった。腕を握りしめたままじっと見上げて来るティータを見てアルシェムは遠い目をする。
そんなアルシェムの遠い目を止めたのはシェラザードだった。
「その目は止めなさい」
「痛いですシェラさんのばーか」
「……もっと痛くしてあげても良いのよ?」
シェラザードは鞭を取り出してアルシェムを半眼で見た。無論この場合の正答は素直に謝ることである。慈悲はない。アルシェムは眼を元に戻してエステル達を強引に振りほどいた。
「取り敢えず邪魔」
「じゃ、邪魔って何よぅ! し、心配してたんだからね……!」
「心配しなくても問題ないのに……」
ふう、と溜息を吐くと、エステルは憤慨しながら説教の体勢に入ろうとする。流石に道端で説教をされては敵わないと判断したシェラザードに首根っこをひっつかまれ、アルシェムはもう踏み入れるまいと思っていた遊撃士協会に連行されていった。メイベルたちもびっくりである。
遊撃士協会に叩き込まれたアルシェムは、エステル達が依頼終了の報告を見ていても良いのかと思いつつ大人しくしていた。大人しくしていないとティータが涙目で睨んでくるのである。これにはさすがに参ってしまったようだ。因みに彼女らが受けていた依頼は様子のオカシイ手配魔獣の討伐だったそうだ。メイベルの依頼は少しばかり遅かったようである。
アルシェムはエステルの報告が終わって話が途切れるころを見計らった。ぜひとも耳に入れておいた方がよさそうな情報を伝えるためだ。ただ、痛い子だと思われそうなのは必至だが。
そして、話が切れる。アルシェムはルグランに向けてこう告げた。
「あ、そーいえばこの間の少尉殿、見たよ」
そうアルシェムが発して一拍の後。一同は思い思いに声を上げた。それが誰なのかを彼女らは知っていたからである。ロランス・ベルガーという偽名を使っていた男。それが、アルシェムの言う少尉殿である。
エステルがアルシェムの方を掴んでがくがくと揺らしながら問い詰めて来る。
「ど、どこで見たのよ!?」
「霧降り峡谷の上の方。ただし古代竜に《ゴスペル》っていうオマケつき」
無論、そこまで聞いたエステルが言う言葉は一つしかない。久々の死語である。
「あ、あんですってー!?」
その後は質問攻めに遭うしかなかった。レグナートと友達だと言えばエステル達には可哀想なものを見る目で見られたが、それ以外に説明しようもないのだ。一体どう説明すれば良かったというのか――彼が、そもそもアルシェム・シエルという存在を知っていたということを。
だからと言って寂しい子扱いはない。アルシェムに友人がいなかったわけではないのだ、と主張しかけて止めた。そう言えばアルシェム、ボッチである。エステルの友人は知り合い扱いであるし、彼女以外を経由して友人になれる人物がいたわけでもない。クローディアはどうかと言われると、友人ではなく王族だと答えるしかない。ティータは留学先の子供であるし、それ以外に友人はと言われると――いなかった。《身喰らう蛇》連中は論外。レンはどちらかと言われると手のかからない妹程度の認識だ。そう言えば昔とある場所で友人になった水色の少女がいた気もするが、そもそも今の立場になった時点で友達と言えるかどうかは謎である。
質問攻めの中で一応初対面ということになっているリオとも自己紹介を済ませたころ。アルシェムは不意に背後を振り向いた。勿論そこに誰かがいるわけでもなく、建物の先に強い気配を感じたのだ。
「どうしたの、アル?」
「なーんか嫌な予感するんだよねー……」
複雑な顔をしたアルシェムは、怪訝そうにアルシェムの背後を見やる一同を放置して遊撃士協会から飛び出した。そして、彼女がそこで見たモノは――
「……わーい、そりゃねーよ、レオン兄……」
竜の背にまたがる無駄に格好いいレオンハルトだった。
レオンハルトから見たハーメルの一件はこんな感じ。
では、また。