雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
SCってFCより長くなかったっけ……短くなるんだけど(困惑)
では、どうぞ。
――あの時、彼女らは同じ罪を背負っていた。大切な人達を死に至らしめてしまった女と、大切な人達を護り切れなかった少女。似て非なるものではあっても、失うかもしれなかった対象はほぼ同じ。その女――ルシオラは後悔していた。アルシェムと同じように。想いを受け入れて貰えなかったことで罪に手を染めてしまった自分に対して。
そんな彼女らは、とある庭園でお茶をしていた。周囲に咲き乱れているのは色とりどりの薔薇。アルシェムの前にあるのは紅茶で、ルシオラの前にあるのは東方から伝わったジャスミン茶である。
「……ルシオラは紅茶、呑まないの?」
アルシェムは目の前のポットを持ち上げてルシオラに問う。しかし、ルシオラは黙ったまま急須からジャスミン茶を入れることで拒絶の意を示した。アルシェムは紅茶派で、ルシオラは東方系のジャスミンだとかプーアルだとかウーロンだかというお茶派なのである。
急須から注いだジャスミン茶を一口口に含んだルシオラは、それをゆっくりと嚥下してアルシェムに問う。
「シエルはジャスミン茶を呑まないのかしら?」
「や、嫌いじゃないけどせっかくいい茶葉が手に入ったし、今は紅茶を楽しんでたいなーって」
因みに、ここでアルシェムが呑んでいる紅茶の銘柄はディンブラという。薔薇の香りがする紅茶らしい。分かりやすく言うならば、午○の紅茶のストレートティー――断じておい○い無糖などではない――と同じ味だと言えば分かる人もいるのではないだろうか。
と、そこにとある人物が現れた。
「あ、美味しそうなお茶会してるんだね。混ぜてよ」
彼の名はカンパネルラ。言わずと知れた《道化師》である。そして、彼の登場とほぼ同時に、折角の紅茶とジャスミンの香りを台無しにする人物がやってくる。それは――
「や ら な い か」
と言いながら煙草を吹かして酷薄に嗤ったヴァルターだった。因みに彼がやろうと言っているのは模擬戦。ついこの間発覚したカンパネルラの謎の強靭さを買ってのガチンコ勝負である。
そこで、ルシオラは俯いて立ち上がった。アルシェムにはルシオラの顔が見えていたため、彼女がかなり怒っていることが分かっている。しかし、その顔が見えていないヴァルターとカンパネルラには分からない。それが、彼らの不幸だった。
ルシオラは肩を震わせながら声を漏らした。
「ふふ……うふふ、うふふふふふ………」
「え、あ、えーっと、ルシオラ?」
カンパネルラはルシオラの様子がおかしいことにここで気付いて撤退しようとする。しかし、ヴァルターに捕まっているため逃げることが出来ない。ここでカンパネルラがヴァルターを振り払って逃げてさえいれば巻き込まれなかったというのに、彼はその選択を誤った。
ルシオラはバッとその手に持った扇を広げた。
「折角の最高級の茶葉が……」
そして、その扇が振るわれると――彼らの視界には執事のような格好をした能面のレオンハルトが見えた。しかも、複数。その執事レオンハルトは手に持った剣を振りかぶって――
「天誅」
と口々に言いながら襲い掛かってくる。ヴァルターはひとまずカンパネルラから手を離して執事レオンハルトに立ち向かい始めた。カンパネルラは顔をひきつらせてその場から脱出し、事なきを得ているがヴァルターだけは違った。
「ちょっ……」
本来ならば拳の一振りで幻影を消すことなど容易だったはずのヴァルターは、ルシオラの怒りによって天元突破された幻影を解くことが出来ていない。不意打ちだっだというのもあるが、彼は根本的にこの幻影を消す気がなかった。彼の目的は強者と戦うことだからである。たとえそれが幻影であっても、レオンハルトよりも若干劣る性能しか持っていないとしても、ここでレオンハルトとやりあえるのは僥倖らしい。
ルシオラはふらふらとレオンハルトの幻影と戦っているヴァルターを後目に優雅にジャスミン茶を呑んだ。ヴァルターが暑苦しく戦う度にルシオラから遠ざかっていることに、彼はまだ気づいていない。
ルシオラはふう、と溜息を吐くと言葉を漏らした。
「全く……煙草なんて絶滅すればいいのに」
「ま、確かに香りは台無しだよねー……」
アルシェムも同意するように苦笑して紅茶を呑み終ると、席を立った。そろそろ休憩の時間も終わりにした方がよさそうだったからである。この後はまた訓練を再開するか、任務が入るかの違いはあっても体を動かすことには変わりない。
と、そこにルシオラがアルシェムに声を掛けた。
「シエル」
「何? ルシオラ」
「……また、一緒にお茶をしましょう」
アルシェムはその言葉に首肯し、その後も何度かルシオラとお茶会をすることになる。そこにレンが混ざることもしばしばあり、安らぎのひと時ともなっていたのであった。
――そんな、非日常の中の平穏。
❖
リベール王国、ロレント地方。ミストヴァルトのセルべの大木の下で。自然物では有り得ない椅子と机の上に、高級感の漂うポットと薫り高いお茶が用意されていた。無論、その椅子には二人の人物が座っており、片方の人物はどこかの露出狂遊撃士のような格好をしていた。もう片方は言うまでもなくアルシェムである。
「……お茶菓子はないのかしら?」
そう問うたのはシェラザードばりに露出の多い女性――ルシオラだった。アルシェムは苦笑して手に持った紙袋をテーブル――ルシオラが幻術で変化させているだけで、実際には切株である――の上に置く。
その紙袋を開くと、そこにはマカロンとクッキーが入っていた。ハンカチを開いたアルシェムはその上にざらりとそれらを滑り落とし、ルシオラに勧める。ルシオラはそれを手に取ってさくりとかじった。
「あら……もしかしてこれって」
「そ。リンゴ味のマカロン。こっちはオレンジ味ね」
アルシェムの説明を聞きながらルシオラはマカロンをかじった。本日のお茶は東方のお茶ではなく紅茶。銘柄はヌワラエリア。今回に限って、紅茶はルシオラが用意していた。唐突に紅茶が呑みたくなったとルシオラは言っていたが、恐らくアルシェムが来るのを予測していたのだろう。
アルシェムも自作のマカロンをかじりながら紅茶を楽しんだ。今日の紅茶にはレモンを入れたくなるが、今ここにはレモンはないためオレンジ味のマカロンで我慢する。
まるで敵対していることなど忘れてしまったかのような光景であるが、そもそもルシオラにはシエルが裏切っていることなど伝わっていない。執行者同士で久しぶりに顔合わせをしているのだろうとしか思っていなかった。
ルシオラは穏やかな時を過ごしながら茶飲み話としてこう切り出す。
「そう言えば、シエル。ブルブランが最近面白いことになったのを聞いていて?」
「や、聞いてはないけど……何かやらかしたの? あの変態紳士」
首を傾げてアルシェムはそう問い返す。全く以て心当たりがない、とでも言いたげな顔をしているが、内心では違う。この間やらかしたいたずらが功を奏したのかもしれないと期待してルシオラの話を聞こうと思っていた。
ルシオラは肩を震わせながらこう告げる。
「彼、この間ルーアンのカジノの景品になったそうよ」
「……は?」
いたずら成功について聞きたかったというのに、その答えは流石に予想の斜め上過ぎた。ルシオラから詳しく聞くと、彼女は快く語ってくれる。何でも、ブルブランはカジノで一儲けしてから別の場所へと移動しようとしていたらしい。しかし、カジノまでもう一歩というところで体が動かなくなったそうだ。そして、カジノの主人がよくできた人形だと勘違いしてカジノに運び入れ、麻痺が解けて逃げ出そうと思った矢先に景品として出されたらしい。
つまり、ブルブランへのいたずらは物凄い形で成功してしまったようである。まさか麻痺毒如きでそれほど動けなくなるとは思ってもみなかった。アルシェムは顔をひきつらせながらクッキーをかじる。
紅茶でクッキーを流し込み、アルシェムはルシオラに問う。
「それで、そこからあの変態紳士はどうやって脱出したの?」
「……持ち帰られて倉庫に入れられた後、こっそり抜け出したらしいわ」
「そ、そっかー……」
アルシェムは遠い目をした。流石にその事態は想定していなかった。しかし、それで終わりではなかったらしいのだ。何と、もう一度体が動かなくなり、怪奇現象だなんだと言われながらもう一度倉庫に戻されたらしい。
災難だ、とは思ったが、別に同情するつもりもなかったアルシェムはカップを傾けて紅茶を呑む。そして、次に話題になったのは――
「……えっと、もー一回」
「だからね、シエル。あの煙草男、変質者として指名手配されたらしいわよ」
ヴァルターのことだった。多分その評価はおかしい、とアルシェムは思う。確かに言っていることは変態的に聞こえないこともない。しかし、彼が言いたいのは強い人間と戦いたいということだけで、他意はないはずなのだ。あってたまるか。
ルシオラはクッキーに手を伸ばしながらアルシェムに告げる。
「特徴がこれまた傑作なのよ。黒塗りの眼鏡に額には肉って書いてある筋肉ダルマなんですって」
危うく口の中のものを吹き出しそうだったアルシェムは、何とか耐えた。おかげで鼻の奥が痛くなったがそれを気にしている場合ではない。ヴァルターは気づかなかったのか。煙草の箱に細工がされていたことに。
曰く、彼が指名手配されることになったのは、ツァイス市街で大道芸を始めたことに端を発するらしい。恐らくはアルシェムがミラを物理的に消滅させたことで文無しとなったためだろう。何となくその光景を見てみたい気にもなったが、そこはかとなく笑いの予感がしたので想像するのは止めておいた。
瓦を割り、丸太を砕く大道芸人のうわさはすぐに広がったらしい。額に肉と書かれているのを除けばあからさまに一般人ではないのだが、娯楽は娯楽である。たちまちミラが集まり、ほくほく顔でツァイスを脱出しようとして――見てしまったらしいのだ。強い男を。しかもツァイス市街で。
彼は言った。『や ら な い か』と。至極真面目なその男――マクシミリアン・シードは拳を構えるその男が模擬戦を申し込んでいると思い、それに真顔で応えてしまったらしい。『ああ』――その、シードの言葉が終わる前に街の女子――ただし腐っている――はふおおおっ! と歓声を上げたそうだ。そして、シードに聞こえる範囲で言ってしまったのだ。
『濡れ場よ!』という言葉を発した女性は、生涯そのことを後悔することになる。何せ、目の前でシードがブチ切れたからだ。真面目なシードでも濡れ場の意味は知っているのである。『この街中で婦女子にそんなことを口走らせるとは何事だ! 不埒ものめ、連行する!』と叫んだシードは、ヴァルターの望み通り死合いを始めた。
そして、最終的にはヴァルターは這う這うの体で逃げ出したそうだ。そして、シードはその場にいたらしい奥さんに正座させられて説教されたとか。誰が一番哀れなのかは言うまでもない。
それを悶絶しながら聞いていたアルシェムはプルプル震えながら顔を上げた。すると、思い出し笑いをしているルシオラが見えた。ここは笑いどころで間違いないらしい。
ひとしきり笑い終わった後、ルシオラはアルシェムに問うた。
「貴女も何か面白いお話はないの?」
アルシェムはその言葉に応えて面白い話――というよりも、半ば謎かけのような言葉を口にする。
「じゃ、救われないと思っているけど他の人から見れば救われてる女の話でもしよーか」
それは、ルシオラに打ち込む楔のようなものだった。たとえ聞き流していようが、絶対にルシオラは聞き流せない話だ。アルシェムはゆっくりと語り始めた――とある女の話を。
彼女は孤児だった。孤児院に入れられて、そこから里親に引き取られた。その里親はとても優しい人で、他にも子供がいるにも拘らずその女にも優しくしてくれる。そんな親に――特に父親に、女は惚れてしまった。
しかし、その想いを告げられると思うほど女はおめでたい頭をしていなかった。彼女がその恋心を父に告げれば家庭は崩壊する。分かっていて、言えなくて数年が経って――女は少女から女性になっていた。
その頃からだった。彼女に記憶の欠落が見られ始めたのは。ふと気が付けば、別の場所にいる。それが怖くなって父に相談するけれども父は真面目に取り合おうとはせず、曖昧に言葉を濁すのだ。それが何故なのか、女は分からなくて苦しんだ。
そしてその日はやってくる。父は女にお見合いの相手を連れて来たのだ。顔合わせをした瞬間からの記憶は、彼女にはない。彼女が気付いた時、父は彼女の目の前で崖から飛び降りていた。そして悟った。――父を殺したのは自分だと。
そこから女は家から逃げ出し、紆余曲折あって人殺しの集団に拾われた。だが、彼女は優しすぎて。殺せと言われた標的を催眠術でマインドコントロールして操る術を手に入れ、人殺しの集団はそれを容認した。そして、女は人を殺すことなく生きているのである。
――それを聞き終わったルシオラは、眉をひそめてアルシェムの顔を見た。一体何が言いたいのかわからなかったのだ。何かしらが琴線に触れて来て、何だか癪に障る話。その真意を聞くべく、ルシオラはアルシェムに問うた。
「それで……彼女はどうして救われていると思うのかしら?」
「だって、彼女は自分の意志ではただの一人も人間を殺してないんだよ?」
そう言われて、ルシオラは気づいた。確かに彼女が手を掛けたという父親は勝手に目の前から飛び降りたともいえる。そうだ、勝手に自分で――そこで思考にノイズが入る。でもルシオラ・ハーヴェイだった自分は想いを告げて自分で団長を殺さなかったか。そうに違いない。団長はこのまま一緒にはいられないとルシオラに告げたから。それを容認することなんて到底できなくて。だから。ルシオラ・ハーヴェイだった自分は団長の背を――その映像がぶれる。
一瞬だけ垣間見えた映像には、優しく微笑みながらルシオラの方を振り向いた団長の姿が映っていた。そうだ。ルシオラ・ハーヴェイだった自分はそんな優しい団長を――
そこまで考えたルシオラは、中身もないのにカップを傾けている自分に気付いた。無意識に飲み干していたことに気付かなかったらしい。ルシオラは罰の悪そうな顔でカップをソーサーにおいた。
そこで、アルシェムは薄く笑いながらネタをばらす。
「ま、実際その女は誰も殺してなんかいないんだけどね。父親は義娘の気持ち悪さに辟易して自殺したんだし」
そしてアルシェムはカップに残っていた紅茶を飲み干して立ち上がった。余ったお菓子は回収するつもりもなかったため、そのまま置いて行くつもりである。あまり食べると太るのだ。
来る時よりはお菓子の分身軽になったアルシェムはルシオラに告げる。
「じゃ、またね」
「……ええ……」
呆然としたままのルシオラを放置して、アルシェムはその場を去る。そこには、思索にふけるルシオラがただ一人残されていた。
しいて言うなら嫌がらせの結果。
では、また。