雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
最近一話ずつのリメイクなのは仕様です。
では、どうぞ。
――あの時、彼女らは同じ世界で同じものを見ていた。アルシェムと、すみれ色の髪の少女。すみれ色の髪の少女の名は、レンという。十六番という番号を与えられた少女と十五番という番号を与えられた少女は――《銀の吹雪》と《殲滅天使》は、同じ場所で生まれ、そして同じく闇に堕ちた。
その闇の中でも、穏やかな時は流れるものである。アルテリア法国の七耀教会の総本部の御膝元で、彼女らは買い物をしていた。今日の名目はアルシェムの執行者就任祝い。実はレンの方が先に執行者になっており、アルシェムは彼女に対してお祝いもしていない――とある任務で《身喰らう蛇》を離れていた――ため、レンの執行者就任祝いを兼ねてもいるのである。
彼女らが訪れた店はゴスロリ風の服が多く取り扱われている専門店《イノセントメイデン》。そこで、レンがアルシェムを着せ替え人形にして服を選んでいた。ベタベタのピンクフリルから、シックな服まで。アルシェムにとっては残念なことに、フリルもしくはレースが一つもついていない服は存在しないのである。
何度も服に袖を通しながらアルシェムはレンに訴えかける。
「れ、レン~……も、もうちょっとフリル少な目で……」
しかし、レンはアルシェムの言葉をバッサリと切って捨てた。
「駄目よ、女の子は着飾らなくちゃ!」
そう言って手渡されたのは、茶色のジャンバースカート。既に買うブラウスはアルシェムが今身に着けている姫袖のもので決定しているため、それに合わせる服を模索しているのだ。因みにこのブラウスはこの店で一番フリルの少ないブラウスでもある。襟に控えめのレースがあしらわれていて、胸――と言ってもまな板だが――の下で切り替えられており、姫袖の起点の部分にもリボンがあしらわれているだけの比較的シンプルなデザインのものだ。
シャッ、と音を立ててアルシェムがそのジャンバースカートに着替えている間もレンは休むことはない。次に何を着せれば似合うかを考えつつ服を選ぶ。もし機会があれば、その服を着て執行者として活動してほしいとレンは思っていた。服は着なければただの布きれなのだから。
そして――レンは発見した。これならば文句はないだろうと思える一品を。そのスカートは、この店には珍しく細かいプリーツの入った紺色のスカートだった。裾からレースが見えているものの、それほど派手ではない。そして何より、膝よりも若干下までの長さがある。これならば文句はないだろう。そう判断して試着をしているアルシェムの元に戻った。
そこには、似合わないとは言わないがそこはかとなく違和感のあるアルシェムが待っていた。どうやら茶色は思いのほか似合わないようである。試着室のカーテンから姿を見せていたアルシェムはレンに向けてこう告げた。
「……ど、どう?」
「うーん……それでも良いけど、シエルの好みに合いそうなのがあったのよね」
そう言ってレンはその手に持ったスカートを差し出した。アルシェムはこれなら比較的足を晒さなくて済む、と思いつつ受け取って試着室のカーテンを閉めた。次に出て来た時にはそのスカートを穿いているだろうと思ったレンは着替えが終わるのを待つ。
そして、アルシェムは着替えを終えて出て来た。その姿を見てレンは頷くと、店員に向かってこう告げる。
「シエルが着ているのを一式、あと白のタイツとそこのショートの編上げブーツを買うわ。一括で」
「え、ちょっ……」
アルシェムが止めようとするのを店員は聞こうともせずにレンに向けてこう問うた。
「かしこまりました。お召しのままお帰りになりますか?」
「ええ、このままよ」
そうして、アルシェムの意見は封殺されたままその服はお買い上げとなり、先ほどまでアルシェムが着ていたもの一式はその店の紙袋に収納されることになったのであった。店員はにこにこ笑顔で紙袋を一つ余計に準備し、そして見送りまでしてくれる。
「ありがとうございました」
店を出たところで手渡された紙袋の数が多くても、レンは気にしなかった。それがアルシェムの荷物だと疑わなかったからだ。しかし、その紙袋の中身はアルシェムが買ったものである。元々アルシェムの荷物ではなかった。
アルシェムはレンと手を繋いで大通りを歩き始める。途中の露店でレンと揃いのリボンを買って、道の端っこでお互いの髪にリボンを結びあった。
「うふふ、お揃いね」
「そうだね……っと、これ」
そこで、アルシェムは先ほどの紙袋をレンに向けて差し出した。レンは不思議そうな顔でそれを見ていたが、服のお返しとお祝いだとアルシェムが告げると破顔して受け取ってくれる。その中に入っていたのは――
「わあ……」
レンが感嘆の声を上げる。彼女の視線の先にあったのは、すみれ色のケープだった。ちくりと頭が痛んだ気がしたが、それでも大切な人からの贈り物を貰えたことでレンは幸せの絶頂にいた。
しかし――空の女神は残酷だった。幸せの絶頂にいた彼女を、不幸のどん底まで陥れるのは簡単である。彼女の視線の先にいたのは、赤子を抱いて幸せそうに笑っている一組の家族だったのだ。赤毛の女性と、すみれ色の髪の男性。抱かれた赤子の毛は赤い。
その家族の、母親は告げる。残酷な言葉を。
「前の子はあんなことになってしまったけれど、でもよかった。女神様は私達をお見捨てにはならなかったのね」
結局、彼らの言葉を聞き終えてしまうまでレンはその場から動けなかった。彼女の闇は深い。容易には抜け出せないのは分かり切っていたことである。しかし、今この時にそんな言葉を聞かなくてはならないのかと、レンは空の女神を恨んだ。
――そんな、日常の中の悪夢。
❖
「久しぶりね、シエル」
「うん、久し振り、レン」
リベール王国、王都グランセル。エルベ周遊道から外れておくに入ったその場所で、アルシェムとレンは再会を果たしていた。数年ぶりの再会である。もっとも、アルシェムはこのまま《身喰らう蛇》に戻ることはないのでもしかすると最後の対面となるかも知れないのだが。
レンの目の前にはどこかで見た覚えのある人形たちと、巨大な紅の人形兵器がいた。あった、と表現するのは安直だろう。人形たちに関しては『あった』でも全く以て問題はない。しかし、紅の人形兵器――ゴルディアス級人形兵器《パテル=マテル》はレンのよりどころであり、微かにではあっても感情を持っているのだから。
レンは気になっていたことをアルシェムに問う。
「ねえ、シエル、ヨシュアは今どうしているのかしら? 帰ってくるって約束したのに一向に帰ってくる気配がないの」
その問いに、アルシェムは顔を曇らせて答えた。実際にヨシュアに《身喰らう蛇》に帰られても困るのだが、レンに嘘を吐くわけにもいかないのだ。レンは、アルシェムの大切な『妹』とでも呼ぶべき存在なのだから。
「ヨシュアは……ここ数年で大切な人が出来たみたいだよ」
「そうなの?」
「うん。ヨシュアを闇から救い出してくれた人がいたんだ。エステルって言う名前の、太陽みたいな娘だよ……まあでも、今はその人から離れて行動してるみたいだけど」
その言葉を聞いたレンは口をとがらせてむぅ、と唸った。ヨシュアが帰って来ないのはその人のせい。ヨシュアはその人とやらに情が移ってはいるが、その人の存在がなくなればレンの元へと帰ってきてくれるだろうと彼女は判断した。
ただ、自身だけの判断では怖いと思ったのかレンはアルシェムに問いかける。
「そのエステルって人を消せばヨシュアは帰ってきてくれるかしら?」
その問いに、アルシェムは即座に首を振った。縦にではない。横にである。エステルを消せば、ヨシュアは暴走特急ばりに《身喰らう蛇》に対して手段を選ばず襲撃を掛けるだろう。下手人に対してはどんな報復があるか分かったものではない。ヨシュアはヤンデレの上にエスコン――エステル・コンプレックスの略――なのである。
首を振るだけではなく、アルシェムは言葉を付け加えた。
「無理。そんなことしたらヨシュアに嫌われるどころか五寸刻みにされてもおかしくないと思うよ」
「そ、そう……」
そう言ってレンは思考を巡らせ始めた。どうすればヨシュアがレンの元へと帰ってくるのかを。
一つ目は、エステルを《身喰らう蛇》に入れること。危害を加えてしまえばヨシュアから何をされるか分からないが、《身喰らう蛇》に招けばヨシュアもついてくるかもしれない。ただし、デメリットとしてはエステル本人が承認しないことには《身喰らう蛇》に入れられないこと、そしてもし彼女の意志に反して入れたのならばヨシュアに嫌われたうえで《身喰らう蛇》が壊滅しかねない。
二つ目は、《身喰らう蛇》に関係なくエステルを誘拐すること。どこかの山奥にでも隠れ家を見つけてエステルを監禁し、ヨシュアをおびき寄せて穏やかに暮らすというのも悪くないかもしれない。しかし、デメリットも当然ある。まず、大人しくエステルが監禁されない可能性がある。そして、ヨシュアがエステルを監禁したことに何も言わないとは思えないことだ。これもまず却下である。
三つ目は――レン自身が、《身喰らう蛇》から脱退すること。そうすればヨシュアのいるところにいても何の問題もない。ただし、もしもレンがヨシュアに嫌われていればと考えると怖くて動けない。
結局、レンは動けない。失うのは怖いのだ。自分の全てが否定されてしまう気がして、怖い。その感情は数年前に一度味わったことがあるからこそ、もう二度とあんな思いはしたくないと思っているのだ。
そんなレンを見かねてアルシェムは告げた。
「もし、レンが――表に戻る勇気が出たら、わたしと一緒に暮らさない?」
その言葉は、アルシェムが星杯騎士となった時から抱いていた思いだった。間違いなくずっと《身喰らう蛇》に居続けることは出来ないと彼女は知っていた。そう――『シエル』が執行者となるその前から。執行者となる前から、アルシェムは守護騎士だったのだから。
アルシェムの言葉にレンは動揺する。
「え、で、でも……」
「今すぐはちょっと無理だけど、七耀教会の方に根回しできる人を知ってるんだ。《パテル=マテル》についてはちょっとイロイロ手続きはあるだろうけど、七耀教会の後ろ盾があれば《身喰らう蛇》も手出しは出来ない。頑張れば抜け出せないこともないよ」
そのアルシェムの誘いを聞いて、レンは眼を閉じる。その誘いは正直に言って本当にうれしい。本当に何のリスクもないのだとすれば、その手を取ってしまいそうだ。だが、《パテル=マテル》が本当に七耀教会に認められるとは到底思えない。分解されて終わりというオチとて有り得る。それだけは許容できなかった。
だからこそ、レンはアルシェムの申し出にこう回答した。
「シエルの言葉はとっても嬉しいわ。でも……レンね、《パテル=マテル》がいなくなったら生きていけない。《パテル=マテル》が絶対に分解されないっていう保証がない限り、レンはそっちにはいけないわ」
その言葉を聞いたアルシェムは少しばかり落ち込んだような顔をした。ただしその脳内ではいかにして《パテル=マテル》を認めさせるかという問題について考え始めていた。
もう少し《パテル=マテル》が小さくて軽ければ問題はなかった。最悪の場合、《メルカバ》に積みさえすればいいのだから。アインにさえ根回しできれば何の問題もなかった。しかし、彼の巨大さでは《メルカバ》に搭載するのはとても無理である。何よりも機密保持が護れない。アルシェムはレンを従騎士にするつもりなど毛頭ないのだから。
「そっか……」
しんみりとした空気が二人の間に流れた。それを察したのか、レンが話題を変えようと試みる。
「そう言えば、シエル。シエルは今回の計画に関わるつもりはあるの?」
レンの問いを幸いとばかりにアルシェムはそれに応えた。こればかりは本音で、である。ただし余計なことは言わないように簡潔に言うことにはしたのだが。本音を言えば立場的に《身喰らう蛇》に戻るわけにはいかないことを説明しなければならないので省いたのである。
「いや。だってわたし、教授嫌いだし」
「わからなくもないけれど、今が楽しければそれでいいじゃない?」
アルシェムはレンの言葉に曖昧な笑みを浮かべることで答えに代えた。今が楽しいだけでは生きられないのだ。先の先まで予測したうえで動かなければ、しがらみに足を取られて死にかねない。
これ以上ぼろを出さないよう、アルシェムはレンに別れを告げた。
「そろそろ行くね、レン」
「そうなの? 折角だからお茶会を見ていけば良いのに」
「ごめんね。あんまり時間がないんだ。本当は見てたいんだけど……」
レンにはアルシェムが少しばかり焦っているように見えたため、あっさりと別れを告げた。しかし、実際はアルシェムは焦ってはいない。ただとある人物と接触を持たないわけにはいかないだけである。
アルシェムはレンと別れると、隠形で身を隠したままグランセル大聖堂に入った。そしてヒーナを呼び出し、今現在確実にリベールに干渉しようとしている執行者について情報の共有を行うように告げる。
今現在動いていることが分かっている執行者は4人。《剣帝》に《痩せ狼》、《怪盗紳士》に《殲滅天使》である。もしかすると《幻惑の鈴》と《道化師》も出張ってくる可能性もあるが、まだ確証はない。《幻惑の鈴》に関しては関係者が遊撃士の中にいることが確認できているため、ほぼ確実には来るのだろうが。《道化師》の気まぐれだけはどうも読めないのである。
ヒーナと別れ、レンが配置しているだろう役者が『誰』であるか探るために一端ボースに寄ったアルシェムはそこにいる人物の組み合わせに顔をしかめた。そこにいたのは物陰に隠れているシェラザード・ハーヴェイとアネラス・エルフィード、そして――
「……そこにいるのはシエル、かな?」
そう声を掛けて来たのは、緑色の髪の少年――もといカンパネルラだった。どうやら彼も関わる気満々のようである。アルシェムは溜息を吐いたうえで能面になって言葉を吐き出した。
「えーとそこにいる遊撃士二人に告ぐ。早くお茶会に招待されないとグランセルが大変なことになりましてそーろー。関係資料等はそのあたりから勝手に探りやがってくだせーな」
酷く棒読みの言葉にシェラザードとアネラスは動揺してしまったようである。いるのが気配でバレバレだ。シェラザードとアネラスは油断せずに武器を構えてゆっくりと現れる。
口を開いたのは、シェラザードだった。
「悪いけど、あんた達を放置するわけにもいかないのよね。素直に捕まって目的云々語ってくれる気はないかしら?」
「そんなことを言われると捕まる気にも言う気にならないんだけどなぁ……」
カンパネルラがぼやくが、アルシェムは違った。その場から全速力で逃げに徹したのである。カンパネルラなど知ったことではない。
「え、あ、待ちなよシエル! このか弱い僕を置いて行く気!?」
「うん。つーか、あんたならすぐ抜け出せるでしょ。遊撃士さん達、テントの中をとっとと調べるんだね。じゃ、ばいなーらー」
ひらりと手を振ってアルシェムはその場から飛び出し、山を越えて逃げおおせるのだった。背後で「何でYAAAAAAAAAA!」と叫ぶネギ神父などアルシェムは知らない。知らないったら知らないのである。
その後、シェラザードとアネラスはテントの中を調べて全力でグランセルへと向かったようである。そして予定通りにお茶会は進んだようだ。伝聞でしかないものの、アルシェムは事態について驚くほど詳しく把握できていたことをここに明記しておく。
執行者の格好のイメージはそんな感じ。
では、また。