雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

6 / 192
今話は旧7話の半ば~8話までのリメイクです。

では、どうぞ。


義父出発前夜

 エステルの絶叫がブライト家に木霊して、消えた。その後、ヨシュアがカシウスに問うた。否、問うというよりは確認だろうか。

「さっきの手紙だね……何か事件でも?」

「なに……単なる調査だ。色々な場所を回るから1ヶ月くらいはかかるだろう。留守は頼んだぞ」

「何が『留守は頼んだぞ』よ! まったくもう……この不良中年は……」

 快活に笑うカシウスにエステルは食って掛かった。エステルはそこまで考えてはいないかもしれないが、1ヶ月もの間ロレントに釘づけにされるということでもある。それほど早く遊撃士になるための推薦状を貰えるとは思ってもいないが、少し長い間ではあった。

 ふくれるエステルを宥めたのは勿論ヨシュアだった。宥めるというよりは窘めると言った方が意味合い的には正しいのだが、ヨシュアが言うと暴れ牛を宥めているように聞こえるのである。

「仕方ないよエステル。頼まれたらそれに応えるのが遊撃士の仕事なんだから」

「分かってるけど……ね、父さん。ロレントの仕事はどうするの?」

「それについて考えたんだが…お前達、俺の代わりに幾つか依頼を受けてみないか?」

 エステルに仕事のことについて聞かれたカシウスは、そう提案した。次いで、絶句して黙り込むエステルに向けて追い打ちをかけるかのように言葉を続ける。

「新米のお前達でもやれそうな仕事を回す。難しいのはシェラザードに頼むことにする。どうだ?」

 その問いにエステルは若干後ろ向きに答えた。それは今日の事件がまだ少しだけ尾を引いているせいであり、遊撃士という仕事の重さを実感したともいえた。

 カシウスはそんなエステルに強制はしないと告げたが、エステルはヨシュア達に相談するとあっさりと前言を撤回した。やってみる前から怖気づくのは性に合わないからである。

 その後、ヨシュアは明日出発する時間をカシウスから聞きだした。それに合わせて明日は早起きすることとなり、夕食後のおしゃべりは早めに切り上げて休むこととなった。

 

 ❖

 

 深夜、エステルが眠ってしまった頃。自室の外でカシウスは晩酌を楽しんでいた。何と言っても大きな事件になりかねない話が舞い込んできたのである。自分ならば大丈夫であるという慢心は出来ず、一応は別れの準備として自らの愛した妻と娘が住むこの家を記憶に残しておきたかった。既にカシウスは慢心を捨てた後ではあるが、最近そうした大事件が起こっていないために少しだけ油断はあるかも知れない。そう思って敢えて自分を追い込んでいたのである。

 その光景を、アルシェムは気配を消しながらテラスで見ていた。別に自室で聞いていても良かったのだが、今はその自室に別の人間が着替えているために気まずくていられないのだ。女同士ではあるが。

 と、そこにヨシュアが現れた。ヨシュアは眠っておらず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()葉が服についていた。ヨシュアはカシウスに声を掛ける。

「父さん、あんまり呑みすぎるとまたエステルに叱られるよ?」

「何、旅立ち前の景気づけさ。どうだ、付き合わんか?」

 ヨシュアの言葉を静かな笑みで流すと、カシウスはヨシュアに向けて酒瓶を差し出した。しかし、ヨシュアは複雑な顔をしてそれを固辞する。

「未成年に酒を勧めないでよ……シェラさんじゃないんだから」

 ヨシュアの言葉ももっともである。未成年に酒を与えるのは健康に害が出ると言われているからだ。もっとも、ヨシュアは判断能力を鈍らせたくないから呑まないだけだが。

 そこで、アルシェムの自室から気配を消した女が出て来た。黒髪を後ろで無造作に束ねた女だ。アルシェムはその女の姿を認めると小さく首を縦に振った。その女も紫色の瞳をカシウスに向けて盗聴を始めた。

 ヨシュア達はエステルについて他愛ない話をした後、ヨシュア自身のことについて話し始めた。

「……ヨシュア、あの時の言葉……まだ撤回するつもりはないか?」

 そのカシウスの言葉に、ヨシュアは瞑目した。そして、ゆっくりとかぶりを振る。アルシェムはヨシュアがカシウスに何と言ったかは知らなかったが、その言葉は恐らく過去に関わることであろうと推測した。ヨシュアがアルシェムよりも前にブライト家にいた以上、それは推測にしかなりえないが。

 ヨシュアは苦しそうに言葉を吐き出す。

「……僕にとって最後の一線だから。それすら守れなかったら……僕は……自分が許せなくなるから。だから……ゴメンなさい」

 ヨシュアはこういったことに関しては妙に頑固であるため、恐らくは引き下がるつもりはないのだろう。カシウスもそれを理解していて言った。それでも、カシウスはヨシュアの心変わりを切に願っていた。カシウスはそんなヨシュアにこう告げた。

「……謝る必要はない。だがな、これだけは覚えておけ。お前がどんな道を選ぼうがこの5年間を消すことは出来ん。俺もエステルも、アルシェムもお前の家族だ。どんなことがあろうとな」

 そのカシウスの言葉をヨシュアは噛み締めるようにして呑みこんだ。ヨシュアは感謝の意を述べ、そしてカシウスに就寝の意を伝えると自室へと戻っていった。

 ヨシュアが自室へと戻り、眠る気配をも察知したカシウスは苦笑しながら階上を見上げた。そして、まっすぐにアルシェムを見据えて言う。

「……良い機会だから、そろそろお前の目的を教えてくれないか、アルシェム。……横にいるお嬢さんのことも含めてな」

 カシウスはアルシェムの横にいる女を睨みつけた。ビクッと女は震える。歴戦の戦士である女だが、流石にカシウスの眼光には勝てなかった。アルシェムは女を引き連れてテラスから飛び降りる。

「いつからバレてたんです?」

「そのお嬢さんが出て来てからだ。お前に比べてあまりにもお粗末な隠形だったものでな」

 その言葉にアルシェムは女を睨む。女は引き攣った顔でアルシェムに謝罪した。そもそも、一般人ならば気付かないような些細な気配しか発していなかったのである。バレると思わなかったのはその女の落ち度であった。

「……はー、そっか。それで……帝国、行く気なんですか?」

「ああ。それがどうかしたか?」

「ちょっとした伝手があって。……今の帝国に行くなら気を付けたほーがいーですよ」

 カシウスはアルシェムのその言葉に眉をひそめた。カシウスを以てしても聞こえてこなかった情報を、何故アルシェムが知っているのかわからなかったからだ。隣に立つ黒髪の女の服装を見ておおよその見当はついたものの、アルシェムがその地位に甘んじている理由が分からない。カシウスは話を促すために言葉を発した。

「何故そう言える?」

 カシウスの疑問に、アルシェムはあっさりと答えた。

「王国軍の中に蛇が紛れ込んでるからです」

「……そうか。お前は俺が動けばそいつが動き出すと考えているんだな?」

「はい。何をしでかす気かは分かりませんけど」

 その言葉を聞いてカシウスは暫し黙考した。もしも今アルシェムの言う蛇――秘密結社《身喰らう蛇(ウロボロス)》の構成員のことである――が動き始めれば、カシウス以外に対処できそうな人物は少ない。カシウスはシェラザードを信頼しているが、まだ彼女には敵対させるには早いと思っている。他にもルーアンの元不良やA級遊撃士など頼れそうな人間はいるが、前者はともかく後者とは今連絡がつかないのだ。

 カシウスはリベール王国内がきな臭くなっているのは以前から感じていた。そのためにA級遊撃士に頼んで探ってもらっていたのだが、今、彼が何をしているのか皆目見当もつかない。となれば、他国から頼れる遊撃士を呼び寄せる必要がある。リベール王国の問題にかかわらせるにはどうにも気が進まないが、かといって他国の頼れる遊撃士はカルバード共和国の遊撃士である。彼をエレボニア帝国に送り込むわけにはいかないことも分かっていた。カルバード共和国とエレボニア帝国は犬猿の仲だからである。

 一瞬でそこまで考えた後、カシウスはやはりエレボニア帝国には自分が行くべきだと判断した。そして、リベール王国内における対策をどうするべきかはもう決まっていた。

「……ふむ。ならアルシェム、推薦状が取れ次第各地を回るようにしてくれないか?」

「……もし何かあった時の要員にするつもりですか。でも、それには多分エステル達も付いて来ますよ?」

「分かっている。これも経験の内だが……無茶をしそうになったら止めてやって欲しい」

 カシウスはアルシェムにそう告げて、黒髪の女に向き直った。黒髪の女は顔をひきつらせたが、それでもカシウスの視線を真っ向から受け止めた。カシウスはそんな女を見て言った。

「それで、アルシェム。こちらの御嬢さんは?」

「……リオ、自己紹介して。守秘義務は忘れずにね」

「分かってるよ、全く……」

 アルシェムにリオと呼ばれた女はカシウスの方を見て一度深呼吸をした。そして、まっすぐカシウスを見据えてこう告げた。

「巡回シスターのリオ・オフティシアです。以後お見知りおきを、ブライト卿」

「カシウス・ブライトだ。しかし……まさかお前が星杯騎士とはな……」

 カシウスは巡回シスターおよび巡回神父の言葉の真の意味を知っていた。その言葉で呼ばれる人間はほとんどの場合が七耀教会に所属する裏の組織《星杯騎士団(グラールリッター)》の構成員である。そして、リオも例外ではなく、彼女の《星杯騎士団》内での地位は従騎士となっていた。この場における従騎士とは一般的に外法を狩り、自由に動けるメンバーを指すことが多い。星杯騎士団の部隊長とでも呼ぶべき守護騎士(ドミニオン)の手下として各地を飛び回るのだ。

 アルシェムは自分の立場を誤認させるためにカシウスにこう告げた。

「あの時に勧誘されたんですよ。一応恩もあったから……」

「あまり良いやり方だとは思わんがな。……それで、彼女は今フリーか?」

 カシウスはリオを見てそう聞いた。アルシェムはそれにこう応えた。

「はい。でも、リベール国内はわたしに任せてリオは帝国に行けとさっきお達しがあったので……」

「つまりは戦力ということか。分かった。よろしく頼むぞ、リオ」

「はい、精一杯精進します」

 リオは若干緊張気味にそう答えた。カシウスはある意味英雄であり、そもそも一般人が太刀打ちできるような人間でもないと知っていたからである。リオも腕に覚えはあるもののカシウスに敵う気がしないために緊張していた。

 そんなリオにカシウスはまだ残っていた酒を持ちながらこう言った。

「まあ、そんなに緊張しなくても良い。何なら一杯やるか?」

「アタシは未成年です。……呑めないこともないけど」

 リオは顔をしかめてそう言った。そのリオの言葉にやはり、と思ったのかどうかは知らないがカシウスが複雑な顔をした。呑めるなら呑もうじゃないか、と言わなかったのは大人としての矜持があるからか。

 カシウスはやれやれ、と嘆息しながらこう漏らした。

「全く……洗脳でもされてるんじゃないだろうな?」

「されてませんよ。……どっかの破戒僧でもあるまいし」

「……《白面》とやらか。そういえばお前、記憶の方はどうなってるんだ?」

 カシウスは暗い顔でそう聞いた。カシウスの言う記憶とは、アルシェムの記憶のことである。アルシェムはブライト家に引き取られる前の記憶をすべて失っていることになっていた。実際はとある部分を除いてすべて覚えているのだが。アルシェムはこの際その事実をカシウスに伝えておくことにした。

「名前以外は全部戻ってますよ」

「お前ねえ、そう言うことはもっと早く言いなさい」

「名前が思い出せないと問題だから言わなかったんです。……姿かたちは分かるのに名前だけわからないからタチが悪い」

 それも、名前さえ聞けばすべて思い出せる。実際にヨシュアのことも思い出すことが出来たし、それ以外の人間も名前さえ聞けば思い出せるはずだ。もっとも、愛称などは思い出せるのでそれもあまり意味をなしていないような気もするのだが。

 カシウスはそんなアルシェムに質問を投げかけた。

「もし帝国で出て来るとすればどの執行者が出て来る?」

「……帝国ですぐに動けそうなのは《死線》。それと、多分出しゃばりのUMA……じゃなくて、《道化師》かな? 目的がカシウスさんを釣り出すだけなら彼女達だけだと思います」

 カシウスはその答えを聞いてふむ、と唸った。カシウスは《死線》という名に心当たりはなかったが、《道化師》という名前には心当たりがあった。幻術などを扱う少年だったはずだ。アルシェムの言葉をうのみにするわけにもいかないし、何よりも《死線》の実力が分からない。実際に戦うところを見なければわからないが、リオだけでは恐らく対処しきれないだろう。

「因みに、本格的に帝国から遊撃士協会を撤退させるためなら増えるか?」

「はい、恐らくは《変態紳士》……じゃなかった、《怪盗紳士》ですかね。流石にあからさまな共和国人を使うと収拾がつかなくなると思うので《変態狼》……じゃない、《痩せ狼》は出て来ないでしょーが……最悪の場合は使徒の《鋼の聖女》が動くことを覚悟しておいてもらえると」

「……なら、やはり行かなくてはならないようだな……」

 カシウスは頭を抑えながらそう言った。アルシェムの情報は有益ではあるが、可能性だけを追っていると手に負えない人物がごろごろ出て来る気がするのでこれ以上聞くと精神衛生上よくない気がしたのだ。

 そのため、カシウスは気付かなかった。アルシェムが意図的に情報を流さなかった人物がいることに。その人物はカルバード共和国人でもエレボニア帝国人でもない。ましてや、アルテリア法国人でも有り得ない。その人物の素性が割れれば混乱が起きかねないため、その人物が動くことはないのだろうが、それでも意図的に隠したのは確かである。因みにこの時点で忘れ去られている人物がいるようだが、それは割愛しておく。

「気を付けて行って来て下さいね? エステル達が泣くよーな真似だけはしないで下さい」

「ああ、それは分かっている。……最後にもう1つだけ聞いても良いか?」

「はい、何ですか?」

 カシウスは少しためらってから口を開いた。

「ヨシュアのことだ。……どう思う?」

「どうって……多分、わたしと同じようにあの破戒僧に記憶を弄られてるとしか分からないですけど」

「それ以外だ。もしもヨシュアに何かされていたとしたらエステルが哀しむからな……」

 良くも悪くも子煩悩な発言に、アルシェムは黙考した。ヨシュアに何かしら――特に洗脳――されていれば、哀しむのは少なからず心を寄せているエステルである。もしも洗脳されていて《白面》に良いように操られていたとすればヨシュア自身も傷つくのだ。そのことを理解しているアルシェムは、ヨシュアについて分かっていることを断片的にカシウスに伝えることにした。

「……さっきヨシュアが外に出てたのは気付いてましたよね?」

「ああ、それもあって聞いているんだが」

「アレが魔獣を狩りに行っているのでなければ誰かに情報を流している可能性はあります。……無論、無意識に、でしょうが」

 それを聞いてカシウスは苦虫をかみつぶしたかのような顔をした。あの時のヨシュアの格好はただ森の中を突っ切ったようにしか見えなかった。つまりは、アルシェムの予測が当たる可能性があるということだ。ヨシュアに浮ついた話はないし、連続殺人鬼が出るといったうわさも聞かないことから、可能性はかなり高い。

 そんな思考を走らせているカシウスにアルシェムは更に追い打ちをかけるように言葉を吐いた。

「後、わたしがあの場所にいた時に聞いたことがあるんです。……ヨシュア・アストレイは文字通り《白面》の人形だって」

「……成程な、ヨシュア自身が自覚していなくても《白面》の思い通りに動かされている可能性は拭いきれないということか……」

「はい、残念ながら。……出来るだけヨシュアに情報を集めさせないよーにするわけにもいきませんし……」

 もしそんなことをしてしまえば、《白面》は気付かれたのだと悟るだろう。最悪の場合はその場でヨシュアを処分されかねない。よって、カシウスとアルシェムはヨシュアを泳がせておくことに決めた。もっとも、エステルに危害を加えるようであれば容赦なく叩き潰すのだが。

 それに、アルシェムは知らないことであるが、ヨシュアは過去が追って来ればブライト家には関わらないようにする、とカシウスに宣言しているのだ。その過去とは《身喰らう蛇》に所属していたという事実であり、忌まわしい真実である。既に過去が追いついていることにも気づいていないヨシュアがそのことに気付いてしまえば、黙って姿を消しかねない。今ははっきりとヨシュアが情報を流していると言い切れないので伝えられない。

 カシウスが黙り込んでしまったのでアルシェムも合わせて黙り込んだ。すると、しばらく沈黙した後にカシウスがおもむろに口を開いた。

「……そういえば、アルシェム。お前にも言っておかないといけないことを忘れていたよ」

「何ですか、カシウスさん?」

「朝も言ったような気がするが……俺はお前も家族だと思っている。受け入れる気があるのなら、考えておいてほしい」

 その後、カシウスはアルシェムに早く寝るようにと宣言してカシウス自身も自室へと戻っていった。リオも何処かへと姿をけし、アルシェムも自室へと戻っていた。アルシェムは自室の簡易ベッドに腰掛けて深く溜息を吐いた。

「……家族、ねー……そんなの、いるわけないのに」

 アルシェムは小さく溜息を吐いてベッドに寝転がった。その夜はなかなか寝つけず、しかも悪夢を見たためにアルシェムは早朝に起きてしまって寝不足になった。




ルビ振ったら文章の隙間が……
うん、こんなもんですよね。

では、また。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。