雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

39 / 192
というわけで、前作では語らなかった(と思う)クローゼ暗殺未遂事件です。

では、どうぞ。


閑話・クローディア姫暗殺未遂事件

 七耀暦1200年、とある場所にて――

 

「クローディア・フォン・アウスレーゼを暗殺してほしい」

 

 それが、長い銀髪の少女に告げられ、課された任務だった。丸眼鏡をかけ、どことなく禍々しい雰囲気のする男がそう告げたのである。その男は銀髪の少女の上司で、彼女は彼に逆らうことは出来なかった。ありていに言うならば、彼女は彼に人質を取られていたのである。銀髪の少女にとって、その人物たちが人質になり得るかと言われると、本当はそうではない。彼らが彼女を見捨てたその時に、彼女は彼らを見限ったのだ。何度も何度も信じてほしいと願ったのに、彼らは彼女を信じなかったのだから。

 

「分かった」

 

 しかし、それでも少女は逆らわなかった。少女にとって、この任務は渡りに船だったのだから。心残りはあるとはいえ、彼女はここから抜け出さなければならなかったのである。

 その理由を語るためには、二年ほど前までさかのぼる必要がある。そのころには既に少女は人を殺し、各地で暗躍する立場になっていた。その時に交わされた、別の人物たちとの契約によって――少女は、現状から脱却しなければならなかったのだ。もしも彼女がそのままその場所に留まり続けることを選べば――闇の世界は一大抗争に包まれただろう。それほどまでに、その人物たちは少女を重要視していた。

「……ごめん。ありがとう……さよなら」

 少女はその任務を受け、そして今までいた場所に小さく別れを告げて旅立った。そうすることしか出来なかった。心残りはあるが、その人物を連れてはいけないのだから。

 

 少女は旅立った。暗殺対象のいるリベール王国へと。

 

 リベール王国への潜入は、思いのほか簡単だった。同僚から教わった、人形を操るだけの技量を持ってさえいれば親子連れに見せかけることなど簡単なことだった。ただし、少女は自分の親という存在を見たことがない。故に――両親という存在をかたどった人形は、どこか浮世離れしたものになってしまっていた。

 リベール王国へとあっさりと潜入することに成功した少女は、とある人物に連絡を取った。その人物は少女を闇からさらに深い闇へと堕とそうとする人物でもあった。しかし、少女には彼女以外に頼れる人物などいない。だからこそ少女はその人物を頼るしかなかったのだ。

 少女はその人物と連絡を取り合い、決行の場所と時間を伝えた。その人物はからからと笑いながら告げた。

 

「ああ、分かった。何、心配することはない。思う存分に当たって砕けるが良いさ」

 

 少女はその言葉を信じた。そうして――クローディア・フォン・アウスレーゼの暗殺に及んだのである。入念な準備の上に、必ず失敗しようという気概を以て。流石に、少女には現状から抜け出すために何の罪もない女を殺すつもりはなかったのである。

 当時、クローディア姫は見識を広めるためにジェニス王立学園へと入学することを検討していた。そして、その視察のために彼女はルーアンへと訪れていたのである。クローディア姫はジェニス王立学園からルーアン市街、アイナ街道を歩いてエア=レッテンを見学し、その後街道外れの空き地から飛空艇に乗って王城に帰還するらしい。それを知っていたからこそ、少女はルーアンという土地で彼女を暗殺することにした。

 そうして――少女は念入りに計画を練って暗殺に向かう。時間帯としては、少々危険だっがルーアン市街からアイナ街道に出てエア=レッテンに向かう間が丁度いいだろうと見当をつけた。

 クローディア姫は予定通りにルーアン市街に出て、そしてエア=レッテンに向かうべくアイナ街道を何の疑いもなく歩いてきた。周囲には護衛もいるが、一人を除いて脅威になりそうな人物はいない。予定通りである。

 ただし、一つ付け加えるとするならば――少女の想定した強者は、そこにはいなかった。その代わりだろうか。クローディア姫には、どこにも隙のない栗色の髪の男性が付き従っていたのである。

「……作戦、開始」

 少女は、待機していた場所からそっと抜け出した。そして、あらかじめ用意しておいたキノコ――ホタル茸というキラキラと光るキノコである――を手に、走り出した。

 ホタル茸は、魔獣を引き寄せる性質を持つ。それは少女の中でも、少し腕利きの遊撃士たちでも知っていることであった。そういう意味では、とても危険なキノコであるともいえる。一時、このキノコを利用して魔獣の乱獲をしていた遊撃士もいたらしい。

 それはさておき、今回も例外はなく少女に魔獣が群がり始めた。少女の横から魔獣が迫りくる。それでも少女はキノコから手を離さない。キノコを手で隠しているため、前方からは全く魔獣は来ない。後方にも魔獣はいるが、これは少女が引きつけて逃走しているために横から襲ってきた魔獣が背後に迫る形になっているだけである。

 少女はそのまま何度も転倒し、いかにも必死に逃げていますといった様相でクローディア姫に近づいて行った。

「あ……!」

「む、魔獣か! カシウス殿、魔獣をお願いします。私は姫を!」

 少女に気付いたクローディア姫が声を上げ、それとほぼ同時にそれに気付いた女性士官がクローディア姫に張り付く。そして、栗色の髪の男性――カシウスと呼ばれた壮年の男性である――が魔獣を殲滅すべく飛び出した。

 少女はカシウスとすれ違い、女性士官の前まで転がり出る。女性士官は魔獣に向けてレイピアを構えたまま少女にこう告げた。

「もう大丈夫だ。カシウス殿は強いからな」

 それを、少女は俯いたままで聞き――カシウスが魔獣を殲滅して戻って来られるだろうというタイミングで懐からナイフを抜いた。そして、長い髪をひるがえしながら女性士官の方を向き、吹き飛ばす。

「な……ガッ!?」

「ユリアさんッ!?」

 クローディア姫の悲鳴が聞こえる。吹き飛ばされた女性士官――ユリアという名らしい――は必死の形相で立ち上がろうとする。しかし、立ち上がれない。それほどまでに強烈な一撃を受けたのだ。もう、ユリアは間に合わない。間に合うはずがない。既に少女はクローディア姫の眼前にいるのだから。彼女はクローディア姫の死をその目で見ることになるだろう――少女が、本当にその気であれば。

 少女は他の護衛もユリアと同じように吹き飛ばし、クローディア姫に向けてナイフを振り上げて――そして。

 

「……え?」

 

 少女は、ナイフの切っ先をクローディア姫の目の前で止めていた。手は震え、先ほどまで感情を見せなかった青い瞳は潤んでいる。唇が震え、歯が鳴り、そして彼女は声を絞り出す。

 

「……に……にげ、て……」

 

 その言葉に、クローディア姫は瞠目して硬直した。眼前にはナイフ。そして、それを構えている少女は一筋の涙をこぼしながらふるえている。何をどうすれば良いのか、クローディア姫には分からなかったのだ。

 それを見て、内心で舌打ちをしながら少女は繰り返す。

「……逃げて……はや、く……!」

 しかし、クローディア姫は動けなかった。純粋に恐怖が勝っていたのだ。クローディア姫には、これまで暗殺者が差し向けられたという実感の湧く襲撃はなかったのだ。だからこそ――今、目の前でナイフを向ける少女に対応することが出来なかった。逃げることが、出来なかった。

 クローディア姫は恐怖で固まっているが、少女は焦燥を感じて固まっている。とっとと少女を止めに来なければ、クローディア姫は死んでしまう。なのに――カシウスは、少女を止めに来ないのだ。

 じりじりと堪え、少女はカシウスが戻ってくるのを待って――そして、その時は来た。

 

「殿下!」

 

 カシウスが、少女に向けて棒術具を振るう。少女はそれをナイフで受け止めた。カシウスはじりじりと円を描いて動き、少女と立ち位置を入れ替える。そうすることで、カシウスはクローディア姫と少女の間に入ることに成功した。

 カシウスは少女を睨みつけたままクローディア姫とユリアに向けて言った。

「お下がりを、殿下。シュバルツ少尉、殿下を!」

「は、はい!」

 ユリアがクローディア姫をつれて下がり、少女の射程圏内にはカシウスのみが残された。といっても、少女にしてみればカシウスさえ抜ければ容易に暗殺をこなすことが出来る。相手がカシウスでなければ――かの、カシウス・ブライトでなければ、焼け石に水だっただろう。しかし、現実に彼はそこにいた。

 少女は既に瞳から感情を消してカシウスに襲い掛かった。少女の持ち味は、どちらかと言えば敏捷性にある。打撃力もそこそこ強い方ではあるが、それはカシウスに対応できないほどではない。しかし、対応できないほどではないだけで、少女の膂力は十分に彼の予想を裏切っていた。

「……何だ、この力は……!」

 カシウスが思わず声を漏らすが、少女はそれに応えることはない。一応、少女は今操られていることになっている設定なのである。

 数合、カシウスと少女は打ち合った。力は互角。カシウスは力を受け流しているが、少女は全く力を受け流さずに力任せにナイフを振るっていた。恐らくこのままカシウスと少女が戦い続ければ、先に力尽きるのは少女のはずである。

 しかし――カシウスは油断しなかった。らちが明かないと思ったカシウスは少女から隙を引き出すべく敢えて棒術具をわずかに下げる。一応実力の上ではカシウスの方が上であるため、敢えて少女のとる手段を絞り込むために隙を作ったのである。

 案の定、少女はカシウスの懐に飛び込んでくる。そして、そのままナイフを握った右腕を――

 

 振るうことが出来なかった。

 

 右腕よりも数瞬遅れて閃いた左手が、右腕を止めていたからである。思い切り、痣になりそうなほどに右腕を握りしめながら少女はその瞳に感情を戻してカシウスに告げた。

「……と、めて……」

 カシウスは、それで少女が操られているらしいということを悟ったようである。険しい顔でカシウスは少女にこう告げた。

「――分かった」

 その言葉と共に棒術具が閃き――少女は、意識を刈り取られた。

 

 ❖

 

 意識を失った少女を、カシウスは拘束した。そして、単独犯でない可能性を考慮して視察を切り上げ、飛空艇でグランセル王城までクローディア姫を護衛した。無論、少女も共にそこに乗せられている。

 本来であれば、王族を狙ったものは死、あるのみ。しかし、カシウスの懇願によって少女は辛うじて生を繋ぐことが出来ていた。というのも、少女が操られていたようにカシウスには見えていたからである。実際に少女は操られてはいないのだが、暗殺する意思がなかったことだけは確かだ。

 事が事だけに、カシウスは女王と協議のうえで女王宮にて少女の尋問を行うことにした。軍部に引き渡せば即処刑、かといって遊撃士協会に引き渡したところで処分は変わらないだろうからである。

 少女は、女王宮の片隅で寝かされていた。と言っても、床ではない。ベッドは流石に使わせられないとユリアが強硬に反対したため、ソファに寝かされているのである。

 そうして――半日ほど経ったころだろうか。少女が目を醒ました。ゆっくりと瞼を開き、眼を瞬かせて――そして、こう言った。

「……知らない、天井……? というか、何か夢でも見てるみたいに豪華すぎるけどここ天国?」

「目が醒めたか」

 少女の言葉に苦笑しかけたカシウスが表情を戻してそう言った。すると、少女はびくっと跳ね上がって起き上がった。どうやら怯えているらしい、とカシウスは判断して警戒を解くように笑顔を向けた。

 しかし、少女の身体はそのまま震えはじめ、その目には警戒の色が色濃く浮かんでいた。ようやく絞り出した言葉は――これだった。

「ここは、どこですか。あなたは誰ですか。どうしてわたしはここにいるんですか」

 その問いに、カシウスはこう答えた。

「ここはグランセルだ。俺はカシウス・ブライトという遊撃士だよ。最後の問いについてはまだ答えられん」

 その言葉に、少女は眉を寄せた。何かおかしなことでも聞いたかのような顔である。カシウスは少女の言葉を待った。

 そして――少女は、こうのたまった。

「グランセルって、リベール王国の、ですよね? 何でさっきまで東方人街で逃げてたはずなのにグランセルにいるんですか、わたし」

 少女の言葉にカシウスは盛大に眉を寄せた。もしもこの少女の言うことが本当のことなら、彼女に先ほどまでの意識はなかったことになる。つまり、本格的に操られていたかも知れない可能性が浮上してきたのだ。しかも、なかなかに不穏な言葉が混ざっている。逃げていた、というのは一体何からだろうか。

 カシウスは問うた。

「さっきまで東方人街で逃げていた、というのはどういう意味だ?」

「え、そのままの意味ですけど……こう、物語とかに出て来る魔物っているじゃないですか。アレが丁度人間っぽい形になって襲ってきたので逃げてたんですけど……」

 そこで少女の顔色が急激に悪くなっていった。瞳孔は開き、先ほどまでの会話で一端は解けていた緊張がぶり返してきたかのように体を固くする。

 そして、震える声で続けた。

「あれ? ……おかしい、ですね……だって、背中がとっても熱くて……それで、血がいっぱい出て……でも、でもここは死んだあとの世界じゃなさそうで……え……?」

 一言一言、口から滑り出るたびに少女の震えは大きくなっていく。声までも震え、瞳が揺れる。カシウスは一端ここで止めるべきかとも悩んだ。しかし――少女の方が、結論を出すのが早かった。

 

「じゃ、じゃあ……アレは、夢じゃなかった……? わたしは、人を、殺した……?」

 

 そう言い終わると同時に、少女は頭を抱えて蹲り、カシウスを見ないように顔を伏せた。それを見たカシウスは、これはいけないと思い少女に駆け寄る。しかし、結論から言うならばカシウスのその行動は間違いであった。

「お、おい、しっかり……」

 カシウスが少女に手を差しのばした瞬間。

 

「いや、いやああああああああああああああああああああっ! こ、来ないでええええええええええええええええっ!」

 

 少女は、絶叫してカシウスを拒んだ。その声に驚いたユリアと女王が室内に飛び込んでくるが、少女にはそれが見えていない。長い銀髪を振り乱し、頭を抱えて叫びながらソファから逃げ出して部屋の隅へと這いずる。

 これは、尋常な怖がり方ではない。そう思ったカシウスはすぐさまユリアに七耀教会に行かせ、シスターを呼んだ。女王には退席して貰い、カシウス自身は少しばかり離れた場所でそれを見守る。

 結局――少女はそのまま駆け付けた七耀教会のシスター・アイン・セルナートに引き取られて本格的に精神の治療を施すべくアルテリア法国へと送られた。そして、少女が七耀教会から戻って来た時――カシウスは、少女がアルシェムという名以外の全てを喪っていたことを知った。




というわけで、こんな感じでアルシェムはブライト家に転がり込んだのでした。

では、また。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。