雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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旧62話~63話のリメイクです。
展開が変わっていたりするのはやっぱり仕様です。

では、どうぞ。


さようなら、ルーアン

 エステル達は、孤児院放火事件の黒幕たるモーリス・ダルモアを追い詰め、船までも駆使して無事に逮捕することが出来た。その逮捕の際には王室巡洋艦《アルセイユ》が出張り、あわや高飛びせんとしていたダルモアを阻止したらしい。マノリアで王国軍にギルバートたちを引き渡した際にその知らせを聞いたアルシェムは内心で盛大に眉を顰めながら溜息を吐いた。

 因みに、《レイヴン》達は取り調べを受けたものの罰を受けることはなかった。彼らも共に被害者であると認識されたからである。彼らは全身筋肉痛に悶えながらもルーアンに戻ってくることが出来ていた。

 アルシェムは彼らの引き渡しを終えると、マノリアからルーアンへと戻った。流石に本調子でもないので道中の魔獣は程々に狩り、ゆっくりとルーアンへと戻ったため、辿り着いた時には既に夕方になってしまっていた。

 因みにアルシェムは灯台の一件から一睡もしていない。それは、灯台で盛られたとある薬が原因である。アルシェムにとってあの薬は、忌まわしいものでありトラウマを作り上げた根元でもあるのだ。もしも眠ってしまえば――また、見たくもない悪夢を見てしまうような気がして。だからこそ、アルシェムは自身に眠ることを良しとしなかった。

 眠ることを拒否していたアルシェムだったが――しかし、それはエステルに看破されてしまっていて。遊撃士協会に帰り着き、エステルと顔を合わせた瞬間にアルシェムはベッドに叩き込まれてしまった。

 そして――案の定、悪夢がアルシェムを襲った。アルシェムの過去の夢と、恐らくは未来の光景が入り混じる。それが本当に起きることかどうか、アルシェムに判断するすべはない。

 血まみれの、小さな村で。慟哭しながら逃げ出すしかなかった忌まわしい記憶。今、その場所で生きている人間はただの一人としていない。一般人が立ち寄ることすらも――出来ない。その場所で、『アルシェム』になる前の彼女は自らも血にまみれて慟哭していた。

 顔を真っ赤に染めた全裸のエステルが全裸のヨシュアを投げ飛ばそうとして逆に投げ返され、恐らくは露天風呂の縁石で頭を打って血を流しているエステルの姿に、それに後悔したかのようにエステルを連れ去って山奥で自害するヨシュアの姿。

 つややかな声と煉獄の光景が入り混じる場所で。逃げることも出来ずただその合唱に声を連ねるだけしか出来なかった忌まわしい記憶。今、その場所で生きている人間はただの一人としていない。そこは既に廃墟と化している。その場所で、『アルシェム』になる前の彼女は啼きながら泣いていた。

 《紅蓮の塔》の上でアルバート・ラッセル博士が人質にとられ、突如現れた飛空艇が機関銃を乱射してエステル達を虐殺する光景。ヨシュアは間一髪で逃れるが、エステルを見た瞬間にラッセル博士のことを無視して黒装束の男達を惨殺していた。その夢は、最終的にヨシュアがレイストン要塞に突入し、死ぬまで兵士達を虐殺するという光景に続いていた。

 死体とミラが入り混じる世界で。何も感じずにただ殺すことしか出来なかった忌まわしい記憶。今、当時彼女と会った標的で生きている人間はただの一人としていない。ただの一人も、例外など出さなかった。その世界は、歪ではあったけれど小さな幸せが共に在った。

 カルデア鍾乳洞内部の一番奥の湖畔で、出現したオウサマペングーにエステル達が蹂躙されている姿。アルシェムはとある理由でオウサマペングーの性能を知っているのだが、それでもエステル達ならば対抗できるはずだった。しかし、エステル達はペングーたちにイワシまみれにされてオウサマペングーに弾き飛ばされ、湖の中で溺死した。

 虚言と理不尽が入り混じる世界で。必死に抜け出そうとして抗った懐かしい記憶。今、その場所がアルシェムの居場所となっている。本来、そこ以外にはアルシェムに居場所などない。その世界は、懐かしい幸せと共に『アルシェム』となった彼女にまとわりついていた。

 グランセル王城、女王宮のテラスで。エステルとクローゼ、そしてシェラザードはとある男に打ちのめされ、再起不能の重傷を負っていた。そこに駆け付けて来たヨシュアはそれを見て激昂。下手人を探し出すために暴走して――その男に殺されて、死ぬ。

 そして――アルシェムが、『アルシェム・ブライト』となった空間で。自らの全てをさらけ出すことの出来ないもどかしい記憶。今もなお、アルシェムは『ブライト』を裏切り続けている。ただ、自らの居場所を守るためだけに、アルシェムは戦っていた。

 そして――アルシェム自身も、見たことがないはずの場所で。巨大な人形兵器に蹂躙されて屍をさらすエステル達の光景。そこに、カシウスが駆け付けて来て――自らの無力さを嘆いて絶叫し、人形兵器と相打って死ぬ。

 どれもこれも、悪夢だった。アルシェムの夢の中では、ただエステル達が死んでいった。それを望んでいるはずなどないのに、夢の中でアルシェムは何度もエステル達が死ぬ様を見せつけられた。それと同時に、逃れ得ぬ過去も。

 アルシェムがうなされていたことを、エステル達は知らない。エステル達はアルシェムを寝かしつけると掲示板の依頼をこなしていたからである。三日三晩うなされ続け、しかしそれでもエステル達がそばにいるときはアルシェムのうめき声は発されなかった。その理由を、アルシェムが知ることは――ない。少なくとも、今のところは。

 そうして、アルシェムが目覚めて。掲示板の依頼もひと段落ついたらしいエステル達は、アルシェムを連れて次の地方へと向かうことにした。推薦状は先日発行されており、そこにはアルシェムの分もあったらしい。

 次に向かう地方の名は、ツァイス。アルシェムがカシウスに引き取られてから半年後、一年間留学していた地でもある。そして、アルシェムが一番赴きたくない都市でもあった。アルシェムはツァイス留学の際、到着直後のトラブルによって遊撃士協会の協力員として働いていたからである。その時には相当な無茶をしていたため、推薦状を貰うのは至難の業になりそうな地方なのだ。

 それはさておき、アルシェム達はラングランド大橋でクローゼを待っていた。孤児院放火事件の解決の際にクローゼがツァイスに旅立つ際は見送らせてほしいと申し出があったためである。そういうわけでラングランド大橋の上で待っているのだ。

そして――

 

「ピュイーッ!」

 

 クローゼが現れる先駆けとして、ジークが現れて。そして、アルシェムに突き刺さった。

「だーから突くの止めてって! もー、わたしは敵じゃないっての!」

 アルシェムが何を言っても突くのを止めないジーク。遠くから見ればじゃれているように見えるだろうが、実情は違う。ジークは割と本気でアルシェムを殺しに来ていた。

 それから目を逸らしたヨシュアはエステルにこう告げた。

「……き、来たみたいだね」

「そ、そうね……」

 エステルもジークから目を逸らしてそう応える。現実逃避でもしなければこの光景は受け入れられそうになかったのだ。

 クローゼは、すぐに現れた。ついでにジークを叱ってアルシェムを突かせないようにする。アルシェムは心の底からクローゼに感謝した。あのまま突かれ続けていれば、対処は出来ていたとはいえ重傷を負いかねなかったからである。

 そうして――エステル達は、クローゼを伴ってエア=レッテンへと向かった。それを越えればツァイス地方へと抜けることが出来るのである。途中の魔獣はお別れ代わりに殲滅して一行は進んだ。

 エア=レッテンに辿り着いた一行は、クローゼを除いて通行手続きを終えた。クローゼからの情報によると、ここからツァイスに抜けるにはカルデア隧道という街道を通る必要があるらしい。そして、その街道はトンネルなのだそうだ。

 アルシェムはカルデア隧道に何度も足を運んだことがあるため、近づくにつれて気が重くなっていることは誰も知らない。そんなアルシェムを放置して、エステル達はクローゼと別れを惜しんでいた。

「……エステルさん、ヨシュアさん、アルシェムさんも……修行の旅、頑張ってくださいね。お父様の行方が分かることもお祈りしています」

「うん……ありがと、クローゼ」

「君達も元気でね」

 エステルとヨシュアはクローゼに手を振った。しかし、アルシェムは動かない。まだツァイス地方へ行きたくないという感情もあるのだが、それ以上に気になることがあったからである。具体的に言えば、気配を感じたのだ。

 アルシェムの様子を訝しんだエステルが問う。

「アル?」

「……ちょっと先行ってて、エステル、ヨシュア」

「え、それは別に良いけど……どうかしたの?」

 エステルの問いに、アルシェムはこう答えた。

「クローゼとちょっとばかし話すことがあってさ。内緒のお話したいから」

「僕達は聞かない方が良いのかい?」

 ヨシュアの問いに、アルシェムはイイ笑顔でこう告げた

「うんマズい。具体的にはヨシュアってエステルのことがす」

「分かった分かったから取り敢えずその口閉じようかアル」

 ヨシュアはアルシェムに全てを言わせずにそう返した。どうやらエステルには知られたくないようである。若干顔が赤くなっているあたり、まだまだ初心――演技でもなく、心の底から本当に恥ずかしいらしい――である。その隣でエステルは頭の上にはてなマークを飛び散らせていた。

「と、取り敢えず行こうエステル」

「え、あ、うん……早く追いついて来なさいよね、アル」

「はいはい」

 そうして、アルシェムはエステル達を見送った。クローゼは若干顔を曇らせながらそれを見送り、完全に見えなくなってからアルシェムに問うた。

「……それで、お話とは?」

「出来ればシュバルツ中尉にも伝えたいんですが」

 アルシェムは、『クローゼ』にではなくクローディアにそう告げた。それを理解したクローゼは顔を引き締め、後ろを振り仰いでシュバルツ中尉――クローディアにつけられた親衛隊の隊長ユリア・シュバルツのことである――を見た。

 途端に彼女はクローゼに近づき、彼女を半ば庇うようにしてアルシェムの前に立った。どうやら、アルシェムのことを信頼していないらしい。

 ユリアはアルシェムに問うた。

「……何用だ、『アルシェム・ブライト』」

「一応、ご忠告をと思いまして」

 アルシェムはただただ冷淡な目をユリアに向けた。ユリアからの視線も同じように冷淡であるため、どこからどう見ても敵対しているように見える。実際、ユリアの中ではアルシェムと敵対していることになっている。

 ユリアは知っていた。『アルシェム・ブライト』となった彼女が、自らの守るべき主を殺害しようとしたことを。もしも再び『アルシェム・ブライト』が主に接近し、害を成そうとすれば即座に切り捨てるつもりだった。その許可も、リベールで一番高貴なる女性から頂いていた。

 ユリアは警戒を解かずにアルシェムに問うた。

「殿下はご存じでしょう。あの黒装束たち――彼らの正体を、わたしは今回の件で知ることが出来ました」

「な……!?」

 クローゼの目が見開かれた。ならば何故、アルシェムは誰にもその事実を告げなかったのか。クローゼにすらも明かさなかったその事実を、何故今になって明かすのか。彼女には分からなかった。

 だからこそ、クローゼは問うた。

「何故、今になってそれを……? エステルさん達には聞かせられないことなんですか?」

「エステル達には、まだ過去のことなんて話してませんからね。彼らの正体を語ろうにも、情報源を明かせないなら話したって怪しまれるだけですし」

 アルシェムは飄々とそう言って笑った。アルシェムの情報源――というよりも、彼らのクセににじみ出るとある人物――を明かそうとすれば何故知っているのかをエステル達に伝えなければならない。そして、それを伝えることは出来ないのだ。『ヨシュア・ブライト』が存在する以上。情報の漏えいという意味でも、彼自身の心を守るためにも――アルシェムは、それを告げることが出来なかった。

 ユリアとクローゼは、顔をしかめてアルシェムの言葉を聞いていた。つまり、『アルシェム・ブライト』の過去に関係のある人物が関わっている可能性があると言われているのだ。そのくらいのことは分かった。

「……色々な伝手から情報を集めて分かったんですけどね。あの黒装束たち――もっと言えば、彼らの上層部。それは、情報部です」

 だからこそ――アルシェムからそう告げられた時、彼女らはそれを容易に信じることが出来なかった。アルシェムの過去に関わる人物ではなかったのか。もしくは、その過去に情報部が関わっているのか。前者の疑問は正しいが、後者の疑念は全く以て正しくはない。情報部が設立されたのは、アルシェムが『アルシェム・ブライト』となってからのことだ。

 ユリアは疑念を口に出した。

「どういうことだ。貴様の過去が関わっているのではないのか?」

「関わってますよ。情報部に、とある人物が潜入しているんです」

 そのアルシェムの言葉に、クローゼ達は絶句した。情報部といえば、アラン・リシャール率いる一派のことである。副官にカノーネ・アマルティアというユリアの軍学校時代の同輩がおり、少数精鋭の特殊部隊だったはずだ。当然、王国軍では軍人として採用する前に身元の確認を行う。情報部ならばなおさらである。そんな中で――王国軍に潜入できる輩などいるはずがないのだ。たとえ情報部が独自の採用方法を取っていようが、リシャールがそれを赦すはずがない。

 アルシェムは、クローゼ達にこう付け加えた。

「えーと、そんな顔されても困るんですけど……ま、記憶を云々できる人材があそこにはいますし、潜入自体は簡単ですよ。要は危険人物でないと思い込ませればいいだけの話ですから」

「だ、だが先日貴様はクローゼに記憶の話は嘘だと……!」

「いろいろ説明するのが面倒だったのでそーいう表現になりましたけど、思い出せないモノだってあるんですよ」

 へらへらと笑いながらアルシェムはそう告げる。アルシェムにとって思い出せないものはただ一つを除いてどうでも良い。ただ一人の大切な少女の名さえ取り戻せればそれで構わないのだ。そこに大切だったはずの家族の名が含まれていようが、最早どうでも良い。大切だったはずの家族は、『アルシェム』となる前の彼女の心を殺したのだから。

 ユリアはアルシェムの表情にいら立って声を荒らげる。

「そういうことはきちんと説明して差し上げろ!」

「シュバルツ中尉声おーきい。静かに、ここ公共の場所だから」

「誰のせいだと思っている、誰の!」

 がう、とでも言わんばかりに噛みついてくるユリアに内心辟易としつつ、アルシェムは本題に入った。

「ま、それはどーでも良くて。今回《アルセイユ》を動かしたそうですね?」

「あ、ああ……」

「……はい、私がお願いしました。どうしても……どうしても、捕まえたかったので」

 クローゼは何かを堪えるような表情でそう言った。実際、もしも高飛びされていたらと思うと、今でもクローゼは怒りで我を忘れそうになる。それほどまでに、ダルモアはクローゼにとって赦されざることを成した敵であったのだ。

 だからどうした、とアルシェムは思う。もっと重要なことを、敵かも知れない人物たちに教えてしまったことが問題なのだ。

 アルシェムは溜息を吐いてこう告げた。

「それで、もしリシャール大佐が何かしら悪事を企んでいれば貴女の正体という重要なカードを握られたことになるんですが、そのあたりは理解していらっしゃる?」

 その言葉に、今度こそクローゼ達は絶句した。確かに、彼らが黒幕だというならば――クローゼとユリアの関係を匂わせるような行動は慎むべきだったのだ。

「で、でもどうして情報部が……!」

「往々にして高い忠誠心は利用されやすいということですよ。……失礼、そろそろエステル達と合流しなければなりませんので」

 まだ何かを聞きたそうにしているクローゼを放置し、アルシェムは踵を返した。空には、暗雲が垂れ込めている。それが、リベールの未来を暗示しているようで、アルシェムは少しばかり気分が悪くなった。




さて、次は閑話です。

では、また。

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