雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
通信制限で重たい。
では、どうぞ。
七耀教会のシスター・メルと別れたエステル達は、遊撃士協会の方へと向かっていた。その途中、エステル達に近づいてくる一行があった。
「やあ、君はジェニス王立学園の生徒さんだね。こんなところで何をしているんだい?」
そう言って、空色の髪の青年はクローゼに話しかけた。しかし、クローゼの顔は冴えない。何度か顔を合わせているはずなのに、彼はすっかりクローゼの顔を忘れているらしかった。
クローゼはにっこり笑ってこう答えた。ただし目は笑っていない。
「……1年ぶりですね、ギルバート先輩。前年度の生徒の名簿は役立ちましたか?」
「あ、ああ! あの時の子か。見違えたよ、クローゼ君」
ギルバートは見るからに狼狽して言った。記憶の底から無理矢理に名前を引きずりださざるを得ないほどに、クローゼの顔が恐ろしかった。笑っているのに笑っていない女性はこれほどまでにコワいのかと、自覚した。
「えと、こちら準遊撃士のエステルさんとヨシュアさん、それにアルシェムさんです。こちらはギルバートさん。ジェニス王立学園のOBの方です」
そんなギルバートに、今度は心からの笑みを浮かべながらクローゼはエステル達を紹介した。ギルバートだけでなく、その背後にいる御仁にも。
少しばかり冴えない男は、それを聞いて自己紹介をした。
「おお、遊撃士の諸君かね。私はルーアン市長のダルモアという。以後お見知りおき願うよ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
ダルモアと名乗った男――本名モーリス・ダルモア、かつての大貴族の系譜であり、いまだに上流階級の代表者ともいわれている資産家でもある――はその後、エステル達と二言三言話した後、しばらく忙しいかも知れないがよろしく頼むと言って去っていった。エステル達はダルモアの言葉に首を傾げつつも遊撃士協会へと戻った。流石にこれ以上彷徨っているわけにもいかないからだ。
遊撃士協会に入ると、快活そうな男が声を掛けて来た。
「いらっしゃい、遊撃士協会へようこそ! ……って、クローゼ君じゃないか」
営業スマイルから一転、きょとんとした顔になった暫定受付の男はクローゼを見て意外そうな声を出した。それにクローゼは微笑みながら返した。
「こんにちは、ジャンさん。今日は依頼じゃなくてエステルさん達におつきあいさせてもらっているところなんです」
ここで主導権を握らなければ受付の男――ジャンが延々と話し続けることを知っているクローゼは、そう機先を制した。すると、ジャンはどうみても王立学園の生徒ではないエステル達を見て目を眇め、次いでこう叫んだ。
「もしかして、君達があのボースの空賊事件の立役者、ブライト三兄妹かい!?」
「まとめられ方がすっごく不本意だし、立役者じゃなくてお手伝いしただけだけど多分そうよ」
エステルは憮然とした顔でそう答えた。恐らく三姉弟と言われたかったのだろう。確かに誕生日的には正しい――ヨシュアがS1185/12/20、アルシェムが恐らくS1185/12/25、エステルがS1186/08/07に誕生している――のだが。
それを聞いてクローゼが驚いたようにエステル達に向き直り、次いでエステルの手を取った。
「そうだったんですか!? 私、《リベール通信》の最新号で読んだばかりなんです!」
あまりにもクローゼが目を輝かせて見つめてくるので、エステルは少しばかり赤面してしまった。そして、何やら言い訳をするかのように言葉を零す。
「ほ、ほんとに手伝いだけだってば。実際に空賊を逮捕したのは王国軍だし……それに、今思い返せば色々ギリギリだったって思うし」
「それでも凄いです! その若さでそこまでの活躍をなさるなんて……!」
「そうそう、謙遜しなくて良いよ。ルグラン爺さんも褒めてたしね。……さ、このルーアンでも活躍してくれることを期待してるから、その最初の一歩として書類にサインしてくれ。さあ早く!」
鼻息も荒く迫ってくるのがクローゼだけであったらエステルも耐えられたのだが、そこにジャンが加わると流石に引きつった顔を隠せなくなったようだった。誰も青年を脱しかけたオッサンに近寄られて嬉しいとは思わない。もし嬉しいと思う人物がいれば、それは対象者に惚れているかただの変態かのどちらかであろう。
エステル達は転属の手続きを終えてから先ほどダルモアが言っていた『忙しくなるかもしれない』という情報についてジャンに尋ねた。すると――
「え、王族の偉い人が来るの!? もしかして女王様とか!?」
「いや、エステル。女王陛下がいらっしゃるんだったら間違いなくここまで情報は降りてこないし他の支部から遊撃士をじゃんじゃん借りて来てカシウスさんにどうにか渡りをつけたうえで引きずり戻してると思うけど」
テンションを上げたエステルに、アルシェムは立て板に水を流したように返した。その答えに苦笑しつつジャンが応える。
「はは、流石にそこまではしないと思うけど……うん。女王陛下じゃないことだけは確かだよ。何でも、ルーアン市の視察にいらっしゃったんだってさ」
そこでアルシェムは内心で首を傾げた。ルーアン市の視察に来ている王族になら確かに心当たりはある。そしてその人物には既に十分な護衛がついており、それ以上護衛を増やせばお忍びでいる意味がなくなってしまう。つまり、その人物ではないのである。
ということは、消去法でもう1人の王族の人間ということになる。
「ジャンさん、ジャンさん、もしかしなくてもその人、公爵閣下?」
「……どうしてそう思うんだい?」
「親衛隊をつけられるのは王族直系の王孫女殿下だけだし、それ以上の警備の強化はしなくて良いからです。もし警備が必要になるとしたら公爵閣下のほーかなって」
ジャンは頭を押さえて溜息を吐いた。無駄に察しが良すぎるのも考え物である。一応部外者がいるからここまでぼかしてきたのに、無駄になってしまった。クローゼに知られても何ら問題はないとは思うのだが、念のために情報は秘匿しておくべきだろうと思っていた矢先にこれである。
遠い目をしながらジャンはこう告げた。
「アルシェム君、アルシェム君、守秘義務って知ってるかい?」
「問題ないですジャンさん、多分公爵閣下ならやらか……ごふん、派手……げふん、えと、ルーアン市に多大なる影響を与えて下さると思うのですぐに露見しますから」
「誤魔化せてないよアルシェム君!」
ジャンの抗弁を、アルシェムは苦笑しながら聞いていた。本来ならば部外者に聞かれるべきでない情報ではあるが、クローゼにバレる程度ならば問題ないのである。むしろ、クローゼは知っておくべきだと思ったのでこうしてあっさりバラしたのであった。
その後、エステル達はもう夕方になるということで依頼を受けるのは次の日にすることにし、寝床の確保のために遊撃士協会から出た。と、そこでエステルがふと何かに気付いてアルシェムの首元を見た。
それに気付いたアルシェムはエステルに問いかける。
「どーかした? エステル」
エステルは先ほどから何か引っかかっている気がしたことがようやく氷解したようにすっきりした顔でアルシェムに指摘した。
「アル、チョーカーは?」
その指摘に、アルシェムは首元に手をやって――顔を青ざめさせた。いつもつけている雪の紋章のチョーカーが、ない。バタバタと荷物を探り、そこにないことを確認するとどこで落としてしまったのかを考え始めた。あのチョーカーはアルシェムにとって二重の意味で大切なものなのである。
焦っているのを見て取ったのか、ヨシュアが口を挟んだ。
「マノリアに着いた時はまだつけてたと思うよ」
「……探してくる」
「え、アル! もう夕方だし、魔獣が……!」
引き留めるエステルの声も無視して、アルシェムは走り出そうとした。しかし、ヨシュアに腕を掴まれる。それを勢いよく振りほどこうとして――思いとどまった。心を乱してはいけない。今、心を乱してしまえば――大変なことになってしまう。アルシェムは浅くなりがちだった呼吸を少しずつ元に戻していった。
それを見て取ったヨシュアは、アルシェムの腕を握る手から力を抜いてアルシェムに問いかけた。
「大切なものなんだね?」
「多分昔からずっとつけてたって言えば分かってくれる?」
「……分かった。一緒に探した方が良いかい?」
しかし、アルシェムはそれを断った。少し冷静になって考えてみれば、チョーカーを落としたであろう場所は明白だったからだ。やはりアルシェムにとってジークは凶兆の星らしい。ジークに突かれたあの時に落としたのだろう。
「目星はついたから、先にホテル取ってて。日が暮れても戻って来なかったら遊撃士協会に泊まってるから」
「分かったわ。気を付けてね?」
「勿論。……あ、ついでと言ったらアレだけど、クローゼさん。王立学園まで送ろーか?」
アルシェムの提案にクローゼは頷き、クローゼはしっかりとエステル達に学園祭の宣伝をしてから彼女らと別れた。はね上げの終わったラングランド大橋を越え、メーヴェ海道へと向かうアルシェム達。
ルーアン市街から少しばかり離れたところで、アルシェムは立ち止まった。クローゼはそれに首を傾げてアルシェムに問うた。
「どうかしたんですか、アルシェムさん」
「……言っておかないといけないことがありまして」
精神状態は不安定なままであるが、それ以上にアルシェムはクローゼに――否、クローゼと名乗る目の前の少女に伝えておかなければならないことがあった。2年前、まだ『アルシェム・ブライト』となる前の彼女が犯した罪を謝罪するために。その時は、対面で謝罪することを赦されていなかったから。
「あの時は――本当に、申し訳ありませんでした」
アルシェムはクローゼと名乗る少女に向きなおって頭を下げた。そうするだけの理由があった。そして、クローゼと名乗る少女――リベール王国王孫女クローディア・フォン・アウスレーゼにも、それを聞く権利があった。
クローディアは瞠目してその謝罪を聞き――そして、何かを堪えるように瞑目してから静かにこう告げた。
「頭を、上げて下さい」
アルシェムはクローディアの言葉に従い、ゆっくりと頭を上げる。そして、クローディアの言葉を待った。
クローディアは、ゆっくりと告げた。
「あの時の記憶は――貴女にはないのでしょう? ですから、謝る必要はありません。悪いのは貴女を操っていた人です」
その瞳には毅然とした色が浮かんでおり――そして、何も疑っていないことが見て取れた。だからこそアルシェムは謝罪するのである。その時に吐かざるを得なかった、嘘を暴いて。
「いいえ。わたしは操られてなんかいませんでした」
「……え……?」
クローディアが硬直する。ずっと、クローディアは祖母からこう聞かされていた。彼女を襲った刺客は、記憶を奪われて悪い人に操られていたのだと。しかし、当の本人は違うという。ならば、一体どういうことなのか――
アルシェムはクローディアの困惑を見越していた。その困惑に答えるようにアルシェムは本当のことを吐きだしていく。
「わたしは――あそこから、抜けなければならなかったんです。万が一何かを間違ってあなたを殺してしまわないように最高の護衛を頼んで――それで、わたしはあなたを暗殺する振りをしに行きました。あなたを利用したんです」
2年前。『アルシェム・ブライト』となる前の彼女は――とある組織に属する暗殺者だった。大人も、子供も、老人も、女も、男も、そうでない人間も――精神的に殺して、社会的に殺して、肉体的に殺して回る暗殺者だったのだ。そして、上司から受けた任務が――クローディア・フォン・アウスレーゼの暗殺。目的は聞かされていなかった。当たり前だろう。その上司にとって、アルシェムは人形だったのだから。
そして、上司からその任務を受ける前に――アルシェムはとある人物から別の依頼を受けていた。命令と言い換えても良いだろう。とにかく何かしらの偽装工作を行い、その組織から抜け出すように要請されていた。とある事件の影響で、アルシェムはとある人物の子飼いとなっていたからである。結果――アルシェムはクローディアを殺すことなく、任務に失敗したことにして上手くその組織から抜け出した。カシウス・ブライトという後ろ盾を得て。
アルシェムはもう一度頭を下げた。
「だから、申し訳ありませんでした」
クローディアは黙考して――そして、答えを模索した。アルシェムに対する裁決を。自分にその権利はないと知りながら、赦しを求めているアルシェムのために。本当ならば、このまま殺すべきなのだろう。王族を狙ったのだから間違いなく死罪が確定する。しかし、虚偽の理由により情状酌量の余地はあった。記憶と意志を奪われた状態だったということが加味されたのだ。その罰が、カシウス・ブライトに見張られること。甘い罰でもあったし、途中から恩赦が出て自由にもなっていた。
しかし、本来の理由が明らかになってしまっては――その情状酌量は認められなくなってしまっていた。つまり、クローディアはアルシェムに死罪を言い渡す必要があるのだ。
クローディアは、しかしそれをしていいものかと迷っていた。アルシェムを殺すのは、実は簡単である。要はジークを止めなければ良いのだ。ただ、クローディアは将来国を背負って立つ可能性のある人間である。簡単に判断して良いことではないのだけは確かだった。今、クローディアは命を握っているのだから。
そして――クローディアは結論を出した。目を開け、胸を張って告げた。
「顔を、上げてください――アルシェムさん」
アルシェムは再び顔を上げる。聞かなければならない。自分の犯した罪の、その採決を。そして――クローディアは。
「一度だけ。一度だけ――私を助けて下さい。それがどんな些細なことであっても」
甘い、甘い裁決を下した。それだけで、クローディアは赦すつもりだった。そのことにアルシェムは瞠目し、応えた。
「一度だけと言わず、何度でも。わたしが『アルシェム・ブライト』である限り」
そうして、クローディアに向けて膝を付いた。『アルシェム・ブライト』である限り、アルシェムはクローディアを助けることを誓った。たとえいつか『アルシェム・ブライト』でなくなると知っていたとしても。アルシェムはそのまま持ってきてしまっていた荷物からレイピアを取り出し、クローディアに捧げた。
クローディアはそれを受けた。そうしなければ、アルシェムは赦されないのだから。剣をささげるということは、騎士とするということ。そこまで堅苦しくするつもりもなければ縛り付ける気もさらさらなかったのだが、クローディアは受けた。
そうして――渡したレイピアをそのままクローディアに押し付けたアルシェムは、彼女を王立学園まで送り届けることになった。その道中で、クローディアは裁決の内容を詰めた。
『アルシェム・ブライトはクローディア・フォン・アウスレーゼが望むときのみ傍に侍り、その力を振るう』というのがクローディアの出した条件。それにアルシェムはこう付け加えた。『その力が、誰かを傷つけることになると覚悟して』と。
そして、クローゼ――ジェニス王立学園の制服を着ているときはそう呼ぶようにと命じられた――を送り届けた後、アルシェムはマーシア孤児院へと向かった。道中の魔獣は全て一撃で狩り殺し、孤児院に辿り着いたころには――夜になってしまっていた。
そのころには憔悴しきっていたアルシェムは、辿り着くなり孤児院の扉を思い切りたたいた。すると、すぐに扉が開いた。
無論、出て来たのはテレサである。テレサは少しばかり不安げな顔をして外を見た。
「はい、どちらさま……って、貴女は」
「あの、このあたりに黒いリボンのチョーカー落ちてませんでしたか」
アルシェムはテレサの言葉を遮るようにそう言った。これ以上精神安定剤を欠いた状態であったら、色んな意味で不味いからである。がたがたと震える身体。カチカチとなる歯。精神的にはとてもヤバい状況である。どこからどう見ても。アルシェムとしては流石にまだ怪事件の発端になる気もないので、余計にあせっていた。
テレサはアルシェムの様子を見てただ事ではないと察し、そう言えばマリィが落し物を見つけたと言って差し出してくれたことを思い出した。ポケットを探り、目当てのものを取り出す。そして、アルシェムに手渡した。
「これですよね?」
「あった……よ、良かった……」
アルシェムはそのチョーカーを握りしめると、その場にへたり込んだ。本当に無くしたくないものだったからである。それならばチョーカーとして付けておくのもどうかと思うのだが、とある制約があるために首元に巻いているのが一番無くしにくいのだ。
テレサはへたりこんだアルシェムを見てこのままにはしておけないと感じ、アルシェムを孤児院の中へと招き入れた。そして、昼間の残りのアップルティーを温め、アルシェムに差し出した。
アルシェムは一瞬だけ躊躇して受け取り、口をつける。甘い香りが漂い、少しばかり気分が落ち着くとテレサにお礼を言った。
「……ありがとうございます」
「構いませんよ。すぐに気付いて差し上げれば良かったのだけど……」
「いえ、わたしもさっき気付いたばかりで……本当に、ありがとうございました。どうしてもなくしたくないものだったので」
その後――テレサはアルシェムに泊まっていくようにすすめ、アルシェムは恐縮しつつもそれを受けた。子供達からは少しばかり遠巻きに見られていたものの、テレサの勧めもあって一緒に遊んでいると打ち解けてくれる。
そして、夜が更けた――
不穏な空気を漂わせながら、でも今回はここまで。
では、また。