雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

189 / 192
《空の女神》伝説

エイドスという少女ははるか昔、とある研究者夫婦の娘として生を受けた。その研究者夫婦はいくつもの論文を発表し、人類の発展の大いに貢献した人物でもあった。皆が彼らをほめたたえ、皆がエイドスに期待をかけた。幼少の頃より英才教育を施されたエイドスに自由はなかった。しかし自由はなくとも困らなかった。エイドスは学びこそ人生のすべてだと思っていたからだ。

幼少期のおもちゃは父のノートで、それを読み解けるだけの頭をすでに有していた。それを知った両親は計算機代わりにとエイドスを使い、エイドスもまたその能力を万全に使ってそれに答えた。それが異常なことだと指摘できる人間はそこにはおらず、また止められていたとしても未来は一切変えることなどできやしなかっただろう。

エイドスは様々な知識を吸収し、美しい女性へと成長していった。結婚相手も決められてはいたが、エイドスには男女の機微は分からなかった。何せ、ずっと勉強漬けだったからである。知識として知ってはいるものの、壊滅的に人付き合いをすることがなかったために起きた弊害だった。とはいえエイドスがそれで困ることはある人物に出会うまではなかったのだが。

しかし、ある時転機が訪れる。というのも、結婚相手である男――名は、ウリエルと言った――が、エイドスに猛アタックを仕掛けて来たからである。事あるごとに付きまとい、エイドスの邪魔をし、邪険に扱われてもウリエルが諦めることはなかった。最初は研究結果を盗み取ってやろうという打算があったようだが、最後には愛情しか残らなかった。エイドスも少なからずそれを受け入れて行ったのである。

ようやくエイドスがウリエルを認め、愛するようになったのはエイドスが成人をとうに過ぎたころだった。その時には最初の婚約相手とはすっかり疎遠になり、ウリエルとばかりいるようになっていた。その件でウリエルは苦労していたらしいが、それをエイドスに明かすことはなかった。もっとも、明かしていたところで何かが変わるわけでもないが。

エイドスはウリエルと結ばれ、子を成した。子にはエリザベトと名をつけた。幸せの絶頂期だった。今ならば何も怖くないと。ウリエルと、エリザベトと。三人で幸せに生きていけると思っていた。ちなみに婚前交渉の上に結婚式の前に子供ができていることについては両親からこっぴどく怒られたが、エイドスは愛だけで乗り切っていた。

そこで再び転機が訪れる。エイドスとウリエルが出来ちゃった結婚を両親に明かし、そしてそれが認められて結婚式を行うとなったまさにその日のことだった。空から、七色に燃える隕石が降り注いだのだ。これまでの技術では隕石を破壊することなど容易かったはずである。しかし、その隕石は所謂一般的に隕石と呼ばれるものではなかったのだ。

美しい七色の光が降り注ぐ。人々は最初、それを神の恩寵だと思った。しかしそれらは人類の生活をことごとく破壊していったのである。大気圏に突入する際に砕けてはいたものの、それでも容易に人間を殺せるだけの威力のある石が降り注ぎ――そして人類を殺した。徹底的に。二度と立ち直れないのではないかと思うほどに。しかして、生き残った人物は一人だけだった。

その隕石の正体こそが、七耀石と現在では名づけられている物体である。七耀石で出来た隕石はエイドスの幸せを全て打ち砕いた。幸せに満ちた家族を殺し、降ってきた隕石からエイドスをかばったウリエルを殺し、そして自身は庇われていたはずなのにウリエルを貫いた七耀石がエイドスの腹をも貫いてエリザベトをも殺した。そして、エイドスは独りとなった。

エイドスは、隕石が降ってきてからというものの呆然として何も手に着くことがなかった。この惑星にいたはずの人類はエイドス以外誰も生き残ってはいなかったのである。誰もいないからこそ、エイドスは誰にも癒されることはなかった。エイドスは壊れ、やがて自らのうちに眠っていたもう一人の人格を呼び覚ますことになる。エイドスは彼女をエリザベトと名付け、狂気を膨らませていった。

ある日にはエイドスはエリザベトに話しかけ、エリザベトはそれにこたえる。エリザベトが問いかけることもあれば、エイドスが答えることもある。育まれる狂気。自罰的な感情も相まって、エイドスは見る見るうちにやせ衰えた。しかしどうしても死ぬことはできず、ただ生きる苦しみを味わうことしかできなかった。一人残された苦しみは、エイドスを確実に狂気に陥れていた。

そんなとき、宇宙探索船団が帰還して故郷の惨状を見た。船団の長はエイドスに食って掛かり、罵声を浴びせ、罰を与え、そしてエイドスの尊厳を踏みにじった。そうして、宇宙探索船団のメンバーは別の星に移住すべく旅立ってしまったのである。罰として開発の末に出来上がっていた不老不死の薬を飲まされてしまったエイドスと、船団の長の間違いの種を残して。

生まれて来た子を見てエイドスは彼女らに縋りついた。エイドスが生んだのは男女の双子。男はウリエルに、女はエイドスに瓜二つだったのである。エイドスは男児にアダムと、女児にリリスと名付けた。昔あった聖書からとった名である。もっとも、エイドスはその名の意味を知らないのだが。アダムとリリスはすくすくと育ち、多数の子を成し、人類を生み増やしていった。

今現在ゼムリア大陸にすむ人間は、すべてこのアダム、リリス、エイドスの誰かの血を引いている。大本をたどれば皆エイドスの子孫だということにもなる。人類の母、すなわち彼女はなるべくして神と崇め奉られるようになるのだ。それを彼女が望んでいるかどうかは別にして、彼女こそがこの星を代表するにふさわしい人間だった。

アダムはエイドスとも交わり、子を増やすのに大いに貢献した。アダムとリリスが死んだあとは、ネズミ算式に勝手に子供達は増えていった。それでも、かつての繁栄には足りない。そう思ったエイドスは古代文明の叡智――後に《七の至宝》と呼ばれることになる高度な知識を持って創り出された機械――を復活させ、自身の血を継いだ人造人間を作り出していった。

そうして、世界は出来上がっていったのである。エイドスは死ぬことも出来ず、また子供達に神とあがめられるようになりながらも道を模索した。どうすれば罪を償えるのかと。どうすればもう一度ウリエルに会えるのかと。そんな時に、時をさかのぼる装置のことを思い出した。それさえあれば、ウリエルに会いに行けるはずだと。しかし、それだけが行方不明になっていたのである。

エイドスは考えた。知恵熱が出て寝込むまで考えた。考えて、考えて、考えて――ついに、結論を出した。自分だけで見つけられないのならば、子供達にも探して貰えば良い。アレは危険なものだから、回収させて貰う。回収して、利用できるものは利用して、それでウリエルの下へと帰ろう。ウリエルの下に帰ったならば、あの七耀石の隕石をどうにかして消滅させるのだ。そうすれば過ぎた力を使って傷つけあう人類を止めることが出来る。

そうして、再び古代文明の叡智に支配された世界へと戻すのだ。そうすれば誰も不幸になる人間なんて出なくて済むのだから。エイドスの研究にはそれだけの力がある。そう信じて。

 

 ❖

 

長い話を終えて、エイドスは満足そうに溜息を吐いた。そして、自信満々にアルコーンを見る。これで信頼してくれるだろうと。これで、協力してくれるに違いないと。少なくともエイドスにとってはそれだけの価値のある話であったし、実質その話にひかれなかった人間がいないわけでもなかった。特に時をさかのぼれるというところに魅力を感じた者は多かったはずだ。

しかし、アルコーンの答えは違った。当然だろう。その時を戻すという禁忌に似た行為に手を染めた人間がいたからこそ彼女は生まれ、苦しみ、ここまで歩んできたのだから。これ以上自身と同じ人間を生み出すことを許容できるはずがなかった。因果律のゆがみによって生み出される不幸な子供たちを出すことなど、決して許せることではないのだから。

だからこそ地の底から響くような声でエイドスを威圧する。

「……戯言は、それで終わりだな?」

「……え?」

 アルコーンの言葉に呆けたエイドスは、次の行動に反応することが出来なかった。話についていけなくなっていたリーシャ達は既に抜刀しており、アルコーンの出した合図でエイドスを切り裂いていたのだ。いかな不老不死であろうと、エイドスが人間であることに変わりはない。血を喪えば少しの間は動けなくなること請け合いだった。そして、次に鳴り響いたのは発砲音。そこに装てんされていたのは《塩の杭》製の銃弾だった。

エイドスは一度塩となり、そして人間に戻ろうとする。それこそがエイドス自身が開発した不老不死の薬の効果である。元々不老不死の薬とは、罪人に用いるものであったのだ。罪人はいかなる拷問を受けても止む無しとされていた古代文明では、罪人にその薬を飲ませて繰り返し拷問を行い、心を折る。そして、心が完全に折れた罪人はそのまま輸血や臓器移植のためのパーツとされて刑を執行される。つまりは、死刑である。

あまりの非道さに倫理観を以て訴える政治家はいたものの、一般的に出来る臓器移植よりもよほどコストがかからず罪人も処分できるとあればその薬を廃棄することなど出来ない。ゆえにこそ重宝されており、ゆえにこそエイドスは特別視されていたのだ。研究結果を盗み取って不老不死になりたい人物など腐るほどいたのだから。倫理的な問題をクリアできる人間はいなかったようだが。

そして、アルコーンは仕上げとばかりに人間に戻ろうとしたエイドスを氷漬けにした。こうなってしまえばエイドスは動くことは出来ず、言葉を発することは出来ない。それは皮肉にも、古代の死刑の方法とあまりにも似通っていた。そこに臓器と血液が残されているだけまだ慈悲があるともいえるだろう。古代の罪人はそのどちらも抜かれ、石化させられて破砕処理されていたのだから。

そんな状態のエイドスに、アルコーンは告げた。

「驕るな、エイドス。過去を変えてどうなる? また新たな『わたし』を生むか? ……冗談じゃない。そのまま眠っていろ、永遠にな」

 あまりの光景に、誰もが言葉を喪っていたところにアルコーンの言葉は響いた。最初に我に返ったのは流石というべきか、アインだった。アインはアルコーンの行為を認識して、理解すると同時にアルコーンに襲い掛かろうとする。仮にもアインにとっては敬うべき教皇だったのだ。だからこそそれを害する人間を放置することなどできようはずがない。

しかし、それはアリアンロードに止められた。

「いきなり襲いかかるのは感心しませんよ? 《紅耀石》」

「……ふざけるな、何の悪い夢だ……」

 アインはこの状況を理解はしていたが、納得は出来なかったのだ。ただ、分かっているのは昔自分を取り立ててくれた教皇が死んでしまったという事実だけ。アインの行動を見て、他の星杯騎士も我に返ったかのように動き始めた。そして、その中にいるはずのない人物がいることには誰も気づかなかった。とはいえそれ以上のインパクトのある人間が紛れ込んでいたからでもあるが。

 彼は母を殺されたことに呆然としていた。エイドスとアダムという近親相姦から生まれたもっとも不死に近い人物は、エイドスと同じく金色の髪を肩口でそろえた少年だった。母に愛され、母を愛し、世界を愛し、しかしながら世界には愛されていなかった少年だった。近すぎる血は異能を生み、彼にドッペルゲンガーを生み出させてしまったのである。

そんな彼は、ふと我に返って――アルコーンに向かって攻撃を仕掛けた。

「お前は……」

「一応さ、あんなんでもママだったんだよね。だから……死んでよ、アルコーン」

 アルコーンはその少年の姿を見たことがあった。教皇の息子ジョバンニ。そして、アルコーンはその少年が一体何であったのかを半ば反射的に掴んでいた。

「もう終わったんだ、大人しく死んでおけ――カンパネルラ」

 アルコーンはジョバンニを氷漬けにした。彼もまたエイドスと同じく不死性を持つ者。故に、アルコーンは無意識のうちに同じ処置を施していた。そうしなければ復活してしまっただろう。母を望み、母を無残な姿にしたアルコーンを一生追い続けただろう。そんな人生を送らせる必要はもうない。そう感じたからこそ、アルコーンはその処置を施したのである。

 そして――大方の騎士たちは何も出来ずにアルコーンの氷に拘束された。しかし、拘束できたのは全員ではなかった。それを逃れたのはアインを筆頭とする守護騎士達。この場にいた守護騎士はアインとケビン、それに後ろの方にいて顔が見えなかったワジである。それと、もう一人逃れたものがいた。彼は前方へと歩み寄ってきた。その手にトンファーを携えて。

 その顔に目いっぱいの嫌悪を浮かべ、ロイドは問う。

「アル、一体これは……」

 しかしアルコーンはそれどころではなかった。ロイドは法衣を着て潜入していたのだが、それが恐ろしいくらいに似合わないのだ。タキシードよりも似合わない。いつもの服を着て登場された方がまだマシだっただろう。ロイド・バニングスという人間には、型にはまった制服は恐ろしいほど似合わないのだ。その性格と同じで、型にはめられないのである。

 思わずアルコーンは突っ込んでしまった。

「ロイド、お前、法衣が恐ろしいくらいに似合わないな」

「はぐらかさないでくれ……! 一体、どうしてこんなことを!?」

 ロイドはアルコーンに詰め寄ろうとする。それを問う権利がロイドに存在するかどうかはまた別の話であり、今ここでロイドが口を挟めるような問題でもなかった。とはいえ彼の本質は警察官であり、目の前で人間が無残に打ち砕かれた光景を見て黙っていることなどできなかったのである。義憤を目に浮かべ、にらみつけるロイド。

しかし、それを止める者達がいた。言わずもがなリーシャ達である。そうして、この場は硬直状態に陥った。

アインは部外者で手を出さないはずではなかったのかという視線をロイドに送りつつも警戒を解かない。ここにロイドを連れてきたのはアインだが、ここでしゃしゃり出るとは思ってもみなかったのである。事態を把握していないその他大勢は誰コイツ、と思っている。もしくは何故ここに、誰がこの機密情報満載のところに連れ込んだ、などと考えていた。

そんな空気を打ち砕いたのは問われたアルコーンだった。

「どうして、と言われてもだな。これがクロスベル独立をリベールから認めてもらう条件だったのだから仕方がないだろう」

 その言葉にロイドは少しく瞠目する。

「どういう、ことだ」

 返答次第によっては、ロイドはここでアルコーンを止める気でいた。人を殺して得られる国など、ろくな国ではないからだ。他の誰が認めようともロイドは認めたくなかった。どの国も流血の上に成り立っていると理性ではわかっていても、いざ目の前にしてみれば認めたくないのである。それを成したのがかつての仲間であったのだから余計にだ。

 その内心を慮ることができないアルコーンは揶揄するように返答する。

 

「畏れ多くもリベールのアリシアⅡ世陛下はな、アイン。『《身喰らう蛇》を潰せば国として認めて』下さるそうだ」

 

 その言葉を聞いてアインは直近のリベール担当ケビン・グラハムを睨みつける。しかしケビンは真面目な顔で首を横に振った。ケビンはその情報を掴んではいなかったからである。無論、アルコーンもケビンには掴ませないようにはしていた。そんな面倒なことを知られれば確実に上に報告されてしまう。その点、《比翼》として二人をリベールに置けたことは大きかっただろう。なおロイドは絶句していて言葉を紡げない様子だ。

この中で知っていたとすれば、それは――

「え、君、そんな無茶な条件呑んでたの? 僕それ聞いてない」

 そうのんきに答えるワジだけだ。多少はアルコーンも彼には情報を明かしてはいたが、本当に些末な情報のみだ。最終的に彼の飼える場所はここにしかないのだから当然であり、密告されても面倒だったのである。そういう点ではアルコーンも仲間という仲間を軒並み信頼していなかったと言えるだろう。ある意味では彼女にも悪い点はあったということだ。

 しかしアルコーンはそれをしれっと棚に上げてワジを自陣へと引き込もうとする。

「聞かれていないからな、ワジ。愛しの彼が待ってるぞ、こちらへきたらどうだ?」

 それを聞いたワジは力なく笑った。

「あはは、無理だよ。……どうしたって、もう光の側には戻れないんだから」

 そしてそう、つぶやいた。ワジはわずかに視線をそらしてヴァルドを見るが、それだけだ。彼のことは心の底から好いていたし、今でも好きだがそれとこれとは別だ。自分の居場所を奪うような輩を放置しておくことはできない。強く目を閉じて何かを断ち切るように首を振り、拳を構えるあたりは流石守護騎士と言ったところか。とはいえまだこぶしはぶれていたので平常ではないらしい。

 そんなワジを見てヴァルドが一歩進み出た。その顔にはかつて荒れていた不良の名残はない。そこにいたのは、一人の漢だった。法衣というかなりふざけた格好はしているものの、その目に迷いはない。ヴァルドは高級釘バットを構えてワジと向かい合った。それにかすかに動揺するワジ。この時点で心持が違い過ぎるのだからこの先に起きることも当然のことと言えば当然のことか。

 平坦な声でヴァルドは問う。

「……テメェ、ワジ。何で何も言わずにいなくなりやがった」

 その視線は熱く、まっすぐにワジを捉えている。しかしワジの方はその視線をわずかに逸らし、その目を直視しないようにしていた。見てしまえば終わるとなんとなくわかっていたからだ。

 あえて冷たく突き放すようにワジは言った。

「ヴァルドには関係のないことだよ。というか、何でここにいるの君?」

「何で、だと?」

 ヴァルドは目を細めてワジを見た。ワジは一瞬怯みそうになったが、それでもじっとその目を見返した。数秒だけ見つめ合ったものの、ワジから目を逸らすことにはなったが。やはり後ろめたさはあるのだろう。ヴァルドは更に言葉をつづけた。

 

「テメェに会いに来たんだよ。俺の居場所はワジの隣だからな」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。