雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 リメイクというよりはリテイクになりつつある。


《碧き零の至宝》 (S1204/12/30)

 シズクが引きずって帰ってきたアリオスを《メルカバ》に収容し、一同はついに最奥へと至った。そこで待ち受けるは樹に埋まりし少女と欲望の黒き錬金術師。そして隠れるようにそこにいた一人の男性だった。男性――イアン・グリムウッドはそのすべてを理解できないまま、それでもなお過去を変えるためだけにそこにいた。朽ち果てた墓を消し去るために。隣に妻をよみがえらせるために。

 そのためになら、彼はなんだってできた。人を殺すことさえしてのけた。だから、ここで不可思議なことをマリアベル・クロイスがやったとしてもその結果妻がよみがえるのならばなんだってよかった。この手に愛する者が戻るのならば、悪魔にだって魂を売り払うことができる類の人物であったのだ。だからこそ彼は騙され、本人だけが知らぬままにいけにえの羊とされかけているのである。

 同志としてここに立っていてもおかしくない男が、目の前にいる。自分が殺した男の弟がそこにいる。だがイアンはうろたえない。あれは必要な犠牲だったのだから。仕方のないことだったのだから、うろたえてもどうしようもない。そして、最終的には生き返らせられるのだから、うろたえる必要すらない。その異常な思考に彼は気付くことができないでいた。

 その狂気極まる思考を持っているにもかかわらず、彼はこの中ではわき役に過ぎない。

「キーアっ!」

「ロイド……エリィ、ランディ、ティオ、ノエルも……」

 ロイドの心からキーアを案じる声は、確かにキーアの心を揺らしはするけれど。それでも止まりたいとは思わないのが今のキーアだった。こんなはずじゃなくて、自分がこんなふうでなければよかったと何度も思って、それでもその役目を果たせるのは自分しかいなかったから。だから、不本意ではあってもここにいるのだ。キーアでなければ救えない命だってあったのだから。

 だから、ここでキーアを止めようとするロイドたちは彼女にとって皮肉にも敵だった。助けに来てくれたはずの大切な人たちは、自分の願望を果たすためにはとてつもなく邪魔な存在だった。

 それを知ってか知らずか、マリアベルが一歩前に出る。

「あらあら、来てしまったのね、エリィ……できれば来てほしくはなかったのだけれど」

「来るに決まっているでしょう、ベル……貴女は私が止めるわ。私のために……貴女のために。そして、クロスベルのために」

 それに呼応するように一歩前に出るエリィ。そこにはすでに弱いままの彼女はいない。

「貴女のため、というのは理解するわ。でもねエリィ。私は欲望のままに生きるのが好きですわ。だから止められてもうれしくなどないの。それに、クロスベルのためになるかと言われると……賢い貴女になら分かるのではなくて? この絶対的な力さえあれば、クロスベルは安泰よ」

「――嘘ね。今は膠着状態だけど、明日は? 明後日は? 十年後は? 百年後は――? そんな保証、誰もしてくれるものじゃないわ。私が足掻くのは、よりよい明日への不安を打ち消すためよ。その結果がどうなっても後悔しないようにね」

 その決意はマリアベルにはひどくまぶしいものに見えて。だからこそ、彼女はそれを穢したくなるのだ。自分の知らないエリィなど必要ない。欲しいものは、自らの手の中で輝き続ける気高い女性なのだから。自分には到底体現できないその生きざまを穢したくなる。彼女はそれすらもはねのけて、輝き続けると知っているから。輝くと分かっている宝石を磨かない人間などいないのだ。

 だからといって素直な壁になりたいわけでもない。

「本当に……すてきね、エリィ。でも邪魔はさせませんわよ?」

 からめ手を使い、エリィをこの事態にかかわれなくする。それだけでどれほどの絶望を見せてくれるだろうか。あるいは、それにどう対処してくれるのか。それを考えるだけで楽しくて楽しくて仕方がない。もちろんそれを考えた時点で行動に移しているのは言うまでもなく、エリィの周りには黒いとげがまるで檻のように突き刺さる。それでいて彼女の肉体には一筋の傷もつけていないあたり、『らしい』というべきか。

 エリィはそれを避けることができなかった。

「ベルッ! これは……っ、冗談じゃないわよ……!」

 エリィのこぶしがそのとげを殴る。しかし、びくともしない。錬金術で作られたその黒いとげは、成人女性の膂力で打ち破れるほどもろくはないのだ。エリィは歯を食いしばり、そこから脱出するすべを探っている。

 その間にも事態は進む。

「イアン先生……」

「それほどおかしなことではないだろう、ロイド君。君にもわかるはずだ。理不尽に肉親を奪われたものの苦しみというものはね」

 どうしても理解できないといった表情でイアンに声をかけたロイドは、感情の読めない瞳と言葉を向けられていた。確かにその苦しみはわかる。ロイドとて理不尽に兄ガイを殺されている身だ。その真相はここに至るまで明らかにされておらず、シズクより手渡された遺品のトンファーでさえ真実を明らかにはしてくれてはいない。当然、『犯人がアリオス・マクレインではない』という答えにはたどり着いてはいるものの、『誰が背後からガイを撃ったのか』は謎のままだ。

 ゆえにその真実を突き止めたのはロイドではない。

「どの口がそれを言うんですか、イアン・グリムウッド。ガイさんを殺したのは貴方のくせに――!」

 強い憤りをたぎらせて叫んだのはティオだった。彼女もまたガイの死の真相を知るためにここに来ていて、ここに至ってようやくその真実を突き止めた。銃使いに的は絞っていたものの、それが誰であるのかを探るのは本当に困難だったのだ。使われた銃も残されてはおらず、それを扱える人物を探し出すのも困難を極めた。警察官すべてが容疑者でもあった。

 しかし、ここまで来てしまえばわかる。アリオスと戦っているときにガイが死なねばならない理由だ。そもそも戦っていた理由が仲間になるならないの話だった時点で、あの天然の人たらしがたかがアリオス・マクレインごときを口説き落とせないわけがないのである。交渉は決裂してしまって、戦って、そして撃たれた。今まで彼が妙に引かなかったのも、ガイを殺して/見捨ててしまったからだったのだ。それならば腑に落ちる。

そしてその下手人は、アリオスが心情的に庇いたくなる人物だ。それは――同じような境遇にある人間のはずで。イアンはその容疑者の中の一人だった。今ここにいるという事実一つをとってみてもわかる。彼こそがガイ・バニングス殺害の犯人だった。そうでなければここに彼がいる説明がつけられないのだ。ただの非戦闘員がここにいるのは、それほどまでに後戻りできない何かをしでかしてしまっているということだから。

 わずかにうつむいたせいで、さらに表情の読めないイアンがティオに問う。

「……何故そう思うのかね?」

「では何故貴方はここにいるんですか? 死者を取り戻したいっていう願望だけでそこにいるのはおかしいんです」

「これは驚いた。君は……私が思っていた以上に事態を把握しているのだね」

 それを淡々というものだから、ロイドは危うく聞き流しそうになった。『死者を取り戻したい』? そんなことが本当に可能なのだろうか。

「ちょっと待ってくれティオ。そんなこと……不可能だろう?」

「出来ると思いますよ、キーアなら。現にシズクちゃんの視力だって回復してみせたじゃないですか。まるでシズクちゃんが遭った交通事故が『なかったこと』になったかのように」

 それでようやくロイドも腑に落ちた。確かにガイが生きていてくれたら、と思ったことは何度もある。それを『仕方のないことだ』と割り切れていたのは自分だけで、もし割り切れない人物がいたら。それは、おそらく悪魔に魂を売り渡してでも死者を取り戻したいと願うのだろう。だからこその暴挙で――そこまで考えて気付いた。ならば、それは。

 ロイドは思いついてしまったことを口走る。

「なら、貴方達はまさかここまでで何人死んでいてもよかったのか? どうせ生き返らせられるから――?」

「それは少々穿ち過ぎだろう。キーアにできることは巻き戻すことだけだ。そこで失われたものをピンポイントで『失われなかった』ことにするのはさぞ面倒で、労力のいる作業だろうとは思うがね」

 肩をすくめてそう付け加えたアルコーンは、自身の言葉を疑ってはいない。キーアにはその力があると、そう確信している様子だった。ティオも同じだ。どうしても信じたくないロイドはちらりと横を見て、ノエルも疑わしいものを見るような目で見ていることに気付いてほっとした。とはいえその向こうでランディもティオと同じように確証を持っている様子なのだが、ロイドはそれを見えなかったことにしている。その目には同行しているはずのリーシャとレンが映っていないが、それも気づいていないことにしていた。

 アルコーンの言葉に苦々しげに返したのは当のキーアだった。

「大変だった。でも……助かる人がいるって、わかってるのにどうして邪魔をしたの? アル」

「アルではない。わたしはアルコーンだクソガキ。その代わりに失われたものが何なのか、それすらも知らないくせによく言う」

「そんなの――」

「何かを成すときには必ず犠牲が伴うものだ。シズク・マクレインを改変した代償がどこに出たのか、お前は知ろうとすらしていないだろう?」

 その言葉は不吉にキーアに響き、彼女の顔を不安でゆがませる。その様子を見たロイドはここにきてなおアルコーンを横目でにらんだ。不確かな事実でキーアを揺らがせる輩をロイドは許さない。それがロイドの知る事実ではないのなら、いくらでも無責任に糾弾できる。

「そんなこと、キーアにできるはずがないだろう! いい加減にしろよ、アル!」

「……はずがない。その言葉で誰が死んだのか覚えていないようだな。誰がどれだけ傷つき、クロスベルの民がどれだけ蹂躙されたか忘れきっているらしい」

「それはあんたが死んだって言い張ってるだけじゃないか!」

 敵の目前ですらその言い合いが始まりそうになってしまって、あきれたようにランディが口をはさんだ。

「不毛な言い合いはやめろってロイド。それどころじゃねえだろ。そんな話はこの件が終わってからいくらでもすればいい。今はそれよりもキー坊をあそこから出すのが先決だろ?」

 な? とランディが促すころにはすでに一人の捕縛が済んでいた。

「……え?」

「手間をかけさせないでください。全く……必要なくなった駒が処分されるのは分かり切ったことですが、気を抜きすぎですね。悪役なら悪役らしく気を抜かないでほしいんですが」

 ため息を吐くリーシャの傍らには鎖で拘束されたイアンがいる。どうやら殺されそうになっていたらしいが、ロイドは全く気づいてはいなかった。憤りのままにアルコーンをにらみつけていたからだ。周囲など見えてはいなかったのである。マリアベルもマリアベルで全員の注意が逸れたすきを狙ってイアンを始末しようとしていたのだが、闇に身を置き続けている人間がそれを見逃すはずがなかった。

「言うわね、リーシャお姉さん……ううん、リーシャ。このおじさんはまだまだ闇に片足しか突っ込んでないからよ。そんな発想なんてできるはずないじゃない。思考はもっと柔軟にしないとね?」

 そして次に向き直っているのはキーアに対してだった。それに愕然としてロイドが声を上げる。

「リーシャ、レン! 何で――」

「やめておけ。そっちはわたしの管轄だ。下手に手を出せば『消される』ぞ」

 ロイドの声を遮るように告げられた言葉に、ロイドは信じられないものを見るかのような目でアルコーンを見た。彼女の正気を疑っていたのだ。しかし、彼は気付いていない。最初からアルコーンなど信じてはいなかったことに。だからやることなすことすべてが気に食わず、反抗してしまうのだ。信じられないものを無条件に受け入れることなど、ロイドにはできないのだから。

「あんたは――そこまでキーアが嫌いなのか!? そこまでして陥れるほど、キーアが嫌いなのか!?」

「陥れてはいないが、嫌いだ。だがな、ロイド。わたししかいないらしい。彼女の願望をかなえてやれるのは――この、どうしようもなくキーアが嫌いなわたししか」

「な……え?」

 ロイドにはその理由がわからない。ただ、その理由に気付いたらしいマリアベルがキーアに向けて攻撃を放ったことで我に返り、彼女をかばった。そこから、本格的な戦闘が始まる。ロイドが、ランディが、ティオが、キーアを守るために戦って。エリィはまだ檻から脱出できず、リーシャに守られるままで。レンは気配を消して潜み、隙を狙っていて。

 だというのにキーアとアルコーンは見つめ合ったままだった。

「……どういうことなの? アル……キーアの願望って……」

「『普通の女の子になりたかった』のだろう? ほら、お前の代わりになれるニンゲンはここにいる。その役目は放棄してもいいものだ――」

 その言葉とともに、アルコーンはその身に秘めていた――もとい、制限していた力を解放した。背に咲く蒼銀の《聖痕》。それとは微妙に異なる色合いの、碧いオーラ。その姿はキーアに似ていて――しかし、その瞳だけが汚濁にまみれながらも蓮のように凜と輝いていた。その姿は否応なしにキーアに理解させてくれる。アルコーンはキーアと同じものだと。

 キーアの体が震えた。

「――ぁ」

「だから、お前はもうそこにいる必要はない。こんないびつなニンゲンに仕立て上げてくれたことについては一生許さんが、そのちっぽけな願望位は叶えてやってもいいさ」

「あ、ぁ」

 そこに罪があった。ちらりと視界に映り込んだシズクに、自分が犯した罪が見えた。キーアとアルコーン、二人の同じ力が共鳴し、今までに行われた膨大な数の因果律の操作が脳裏に映し出される。いったいどうして。誰が、どのようにして。アルコーンという存在を生んでしまったのはキーアで。しかしながら彼女にはその自覚はなく。それでも理解してしまった。彼女がいるのは自身が望んだせいだと。

 そして、彼女の最大の罪はアルコーンを生み出したこと――だとは思っていない。彼女自身が最も重い罪だと感じているのは、シズクに行ってしまった改変だった。彼女は数あるIFの世界線から最も強い彼女を重ね合わせてしまって生み出された『因果律の集合体』のようになってしまっている。この先も強く生き抜けるようにと、どこかで願ってしまっていたらしい。そしてそれを戻すことはできないのだ。キーアにはそんな機能は備わっていないのだから。

 時を超え、因果律を操作する。それが『キーア』に備えられた機能だ。クロイス家がその叡智を結集させ、失ってしまった《デミウルゴス》の代わりになれるような機能を持たせたホムンクルス。人造生命体であるが故に、普通の人間には備えられない機能をいくらでも付け加えられる。今度は失わないように、自身を守れるだけの機能を持たせることも可能だった。

しかし、いくら時を超えようが因果律を操作しようが、どれほどその力が万能に見えようが、やってしまったことはもう元には戻せないのだ。覆水盆に返らず。零れたミルクは元には戻らない。割れたグラスも元に戻ることは絶対にない。そのくらい当然のことだ。だからこそシズク・マクレインはいびつな『少女』ですらなくなりかけている。

 交通事故に遭って眼の光を失った少女。それがシズク・マクレインである。それは大方の世界線では共通事項だ。しかし、彼女にはそうならない可能性もまた存在した。交通事故に遭わず、普通の少女として生きる世界。刀を握り、父の跡を継ぐ遊撃士になる世界。盲目のままでさえ彼女は最強の剣士の名をほしいままにする世界すらある。それらすべてを束ね合わせた彼女は、もはや人間ではない。

 そのキメラを作り上げたのはキーアで、たちの悪いことにそれを直す手段はどこにもないのだ。

「シズ、ク……」

「……満足した? キーアちゃん。キーアちゃんの自己満足のために、私は人生の全部をかき回されちゃったよ」

「うぁ、あ……っ!」

 もう駄目だった。シズクのすべてがキーアを嫌悪していた。そこには目が見えるようになった喜びも、キーアへの感謝も、何もない。ただ憎悪だけが詰まった言葉だった。そんなものを望んでシズクを改変したわけではなかった。ただ、シズクが喜んでくれると思ったからこそそうしたのに。

「私の目のために頑張ってくれた人たちを、全部否定してくれたんだよ、キーアちゃんは。見えてうれしい、とは思う。そうしてくれたのは確かにうれしかったよ。だけどね、キーアちゃん。私……そんなこと、一度だって誰にだって願ったことはないんだよ」

「や……っ」

「私はお父さんと一緒に生きていければよかった。ぼんやり見える程度でだってよかったの。経済的な負担を考えればこれ以上治療はしてほしくないし、なんなら最初から治してもらわなくたってよかったの。私はお母さんとは違って生きてるから」

 シズクにしてみれば、自分が死んで母が生き返るのならばそうして欲しかった。腫物を触るように、アリオスは積極的に親子の時間を作ってくれたわけではなかったから。自分が母に似ているからだとは知っていたから、本当は目が見えるようにはなりたくなかった。目が見えないから娘のままでいられるのだと思ったからだ。目が見えるようになってしまえば、大人になるにつれてアリオスはサヤの面影に苦しんだだろう。

 だが、もう起こってしまったことは変わらない。目が見えるようになった代償に苦しむ人たちに思い当たるシズクは、この奇蹟を誰にも適用できないことに苦しみ続けるしかないのだ。これに純粋に感謝などしてしまっては、自分がとんでもなく卑怯な人間になってしまう。他の人たちは願っても叶わない奇蹟を一身に受けてしまったから。だから、シズクはその奇蹟を誰かのために使わなくてはならないと思っていた。

「でもね、キーアちゃんを憎めないの。嫌いになれない。私のためにそうしてくれたんだって分かってるから。いっそ憎めたら楽になるのに――私、おかしいのかな」

 その自罰的で自己犠牲的な少女を生み出したのはキーアだ。その少女から自身を憎む権利すら奪ってしまったのはキーアだ。そういう機能が備わっていることを知りながら距離を置こうとしなかったキーアの罪だ。

その事実を、キーアは――

 

「うぁああっ……うわあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 どうしても、認めることは、できなかった。


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