雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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解放のクロスベル(S1204/12/27)

 結界と国防軍から解放されたクロスベル市は沸いていた。ようやく救世主が現れたからだ。それが誰に似ていようが何の問題もなかった。彼女は約束したのだ。クロスベルを解放すると。未来をもたらしてくれるのだと信じた。刻一刻と迫るだろう戦争の気配を、彼らもまた感じ取っていたのである。いつ帝国と共和国が襲い掛かってくるかもしれない恐怖は、いくら結界に囲まれていたとはいえ消えるものでもなかったのである。

 外出禁止令が出されていて家の中にこもっていた市民たちは、市内に残されていたモニターに映像が映るのを見た。

『真昼間の外出禁止令は解除だ、解除。お待たせして本当に申し訳ない。つい先ほど――不用意にクロスベルを危機に陥らせたディーター・クロイス大統領を拘束した。市内を巡回している国防軍を排除した機械人形も見えただろうが、もう安心していい。行動の自由を制限しているものはなくなった』

 そう映像の中のアルコーンは言った。それを信じ、市民たちは鬱屈した生活から抜け出したことを謳歌するように次々に家から飛び出した。しかしそこにいたのは機械人形だった。もちろんそれにひるむ人間もいたのだが、その機械人形がしゃべり始めれば別だった。

「困っていること、頼りにしたいこと、言いたいこと。全部全部アルコーンに伝える。何かあれば自警団か私達《トーター》にどうぞ」

 それに対し、今までの不満やら何やらをぶつける人間もいた。機械人形に関する恐怖を語る人間もいた。これからの不安を語る人間も、未来への希望を語る人間もいた。それらすべての意見はアルコーンに届けられ、直接的にでも、間接的にでもそれに関する答えが返された。すべてを聞き届けるのは本来であれば無理だが、そこはアルコーンが自身のスペックをフル活用してどうにかしていた。

 今までの生活に関する不満に関しては解放が遅れたことへのお詫びと精神的なケアができる人間を派遣してくれた。機械人形が怖いと言えばそのニンゲンのいる範囲には自警団が派遣され、視界に機械人形が極力映らないようにしてくれた。これからの不安を語る人間には将来的な展望を語り、不安の種を解消していった。未来への希望を語る人間には、その希望がかなえられるよう最大限の努力をすることを約束した。

 勿論今までの《特務支援課》の活動を望む人間もいて、それらの対応にロイドたちは駆り出されることになった。必要なものすべてを用意することはできない。それでも、その希望を彼らの希望に沿うような形でできうる限り叶える。帝国や共和国の侵略行為に関しては、国防軍も含めすべて誰の目にも触れないよう《トーター》が処理していた。それでいて東西南北の主要地点にも《トーター》を派遣できたあたり、どれだけ張り切ってヨルグが増産していたか分かろうというものだ。

 とはいえそれだけをしていられるわけでもない。解放してから二日はその対応に追われていたが、三日目にようやく人心地付けた。

「さて、こうしている場合ではないと言いたげな顔を市民に晒しまわってくれた粗忽者のロイド・バニングス」

「その言い草はどうかと思うんだが……」

「ならば市民に不安を振りまくような不景気な顔をするな。市民からの陳情の二十七パーセントがお前を心配する内容だったぞ」

 うぐ、とロイドはひるんだような顔になった。しかし、それでも譲れないものがあるのだ。代わり映えのしない碧の大樹にキーアがいる。早く助けに行かなくては、心細くて泣いているかもしれない。不安で泣いているかもしれない。それはキーアの保護者となりたいロイドとしては許せることではなかった。早く守ってやりたいのだ。

 そしてアルコーンもあまり長い間キーアたちを放置しておく気はなかった。なぜなら、毎日不定期に悪寒が襲うのだ。歴史を改変しようとしているのは明白であり、それを止めるのにアルコーンが腐心し続けられるのもそう長くはない。押し切られる改変が全くないと言えば嘘になるくらい、彼らは過去を変えようとしているのである。

 だからこそ、アルコーンは動くことに決めた。

「しばらくの対応はレオンハルトとカリンに任せれば何とかなるだろう。自警団も《トーター》もおいていくからな」

「……じゃあ!」

「全員の準備が終われば来い。《メルカバ》で奴らのところへ乗り込む」

 ロイドは分かった、と返答して市民への対応へ当たっている《特務支援課》を集めにかかった。アルコーンもアルコーンで、従騎士たちを集めるために動くことにした。まずは市民たちの気分を上げるために辻興業をやっている《アルカンシェル》の一同のところへと向かうつもりだ。そこにリーシャとレンがいるはずである。

 ちょうど住宅街に彼女らはいた。

「リーシャ、レン」

「アルコーン!」

 喜色満面で振り返ったリーシャに苦笑したイリアは複雑な顔でつぶやいた。

「……行くのね」

「無事に返すから心配するな、イリア・プラティエ。市民たちの気分転換を請け負ってくれたことに感謝する」

「別にあんたのためじゃないのよ。あたしがやりたいからやってるの。これがあたしの戦いよ」

 そういう彼女の顔には誇りが浮かんでいた。その周囲に集まる役者たちも彼女の意思に共鳴して集まっており、同じ誇りを胸に抱いていた。そんな彼らの活躍で、今では家に閉じこもってばかりの人間を誘い出せるほどの効果を出している。どこでやるか分からない辻興業を見るために外に出れば、自然と交流が生まれる。話が聞ける。不満も、希望も、何もかも。それをアルコーンはすべて聞けるよう努力していた。

 だから、イリアの願いもアルコーンはかなえる。

「だから、リーシャをお願い。ウチの看板役者なのよ。帰ってこないなんて皆が許さないわ」

「分かっている。……リーシャを失うより前にわたしが死んでいるからそこは安心しろ」

 そう返せば、イリアはぺしっとアルコーンの頭をはたいた。

「バカじゃないの、そんなんで安心できるわけないでしょ。あんたも無事に帰ってくるのよ」

「……まったく、敵わんな。叶えてみせようその願い。任せろ」

 苦笑してアルコーンはその願いを聞き届けた。そしてリーシャとともに作業に没頭しているレンに近づく。レンはそれに気付いてはいたが、目の前の子供たちに話しかけることで精一杯のようだ。彼女は《結社》で得た技術を駆使して、いつでもどこでも演出ができる手品を子供たちに伝授したのである。もちろん悪用はさせないようにしているが。

「……よし、これでいいわね。覚えたでしょ? これであなたたちも未来の《アルカンシェル》スタッフよ!」

「わーい!」

「ようし、頑張るぞー!」

 はい解散、といったレンは子供たちの群れから抜け出してアルコーンに付き従った。いつでも準備は万端だったらしい。二人の間に言葉は必要なかった。いつでも行ける。それを知ったアルコーンはリオを探しに行くことにした。通信機を使ってもいいのだが、今は街の雰囲気を知るために少しでも歩いておきたかったのである。歩くたびにかけられる声を聞き、不安を解消し、未来に山積する課題について語り合う。それは『アルシェム・シエル』ではできなかったことだった。

 と、そこにいつの間にかリオが混ざっていた。

「準備は万端。いつでも行けるよ」

「では行こう。そろそろ懸念事項はなくしておきたいしな」

 リオもまた、準備は終わっていたようだった。おいていく面々には軽く声をかけ、ロイドたちと合流して《メルカバ》へと向かう。そのころにはすでに夕方になっていたがそれでも彼らは止まりたいとは言わなかった。キーアが待っているのだ。早く迎えに行ってやりたかったのである。

 と、全員が《メルカバ》に乗り込んだのを確認したところでロイドは一人多いことに気付いた。

「……あれ?」

「どうかした? ロイド」

「いや、見間違いかな。シズクちゃんがいた気がしたんだけど……」

 気のせいだ、で済ませるにははっきりと見えていた。しかもロイドが見ている彼女は前と違ってきちんと焦点を合わせ、力強い意志をその瞳に宿して刀を腰にさしている。そしていつものカーディガンにスカートといったいでたちでもなく、どこから調達したのか自警団のまとっていた青いコートを羽織っていた。そこまで確認してそれが気のせいでも何でもないことに気付く。

 シズクは苦笑してそれに返答した。

「気のせいじゃないですよ。私も行きます。父を止めたいですから」

「いや、でも……その、この先戻ってこられるか分からないのに」

「一応父の技は模倣できます。それに時間があるときはレオンハルトさんに鍛えてもらっていたので」

 その言葉に、レオンハルトの強さを知る面々は顔をひきつらせた。そもそも弱すぎる人間であればレオンハルトの鍛錬についていくことすらできない。打ち合うことすらできないはずだ。しかし、彼女はいま鍛えてもらっていたといった。つまり彼と渡り合えるだけの力はあるということで、彼女の身に起きたことを否が応でも自覚させられた。

 ロイドもまたおぼろげながらレオンハルトの強さは知っており、この非常時に戦力は多い方がいいのでシズクを受け入れた。ただし危なくなれば返すという約束だけはしてある。その《メルカバ》の外はある意味では危険地帯だったのだが、それをロイドが知ることはなかった。

 碧の大樹にたどり着くまでに、《赤い星座》の飛空艇は《パテル=マテル》を筆頭とする《トーター》達機械人形に全滅させられていた。猟兵たちも同じように殲滅されていたが、それでも引かないあたりここで玉砕する覚悟を決めたか、あるいはシグムントに何らかの目的があったのだろう。捨て駒であることを理解してはいなさそうだったが、とにかく相手方の戦力をそぐことには成功していた。

 そしてたどり着いた先には一本の道と、それをふさぐように置いてある《門》があった。それが求めている人間しかくぐれないらしい。それが求めているのは――

『早く来ないかなあ。楽しみだよ……リーシャ。楽しみだよお姉さん。ねえ、楽しく遊ぼうよぉ!』

 シャーリィ・オルランドの求める強者のみ。一応《門》の外での警戒と《メルカバ》の警備のために人員を割くことにして、アルコーンは組み分けた。《メルカバ》の守護はレンとリオで。そして《門》の守護はロイドとエリィ、そしてノエルで。中に入るのはリーシャとランディ、シズク、アルコーン、ティオといった組み合わせだ。当然ではあるが、アルコーンはロイドを信用していない。ゆえに決して《メルカバ》の守護に《特務支援課》だけで当たらせることもないのである。

 そして五人はその《門》へと足を踏み入れた。

 

 ❖

 

 シャーリィ・オルランドは待ちわびていた。強い人間と戦いたいとずっと願い続けてきて、それが今ようやく叶うのだ。その機会を与えてくれたキーアには感謝している。しかもうまくいけばランディを取り戻せるのである。彼女にとって闘いとは生きることそのものである。それを得られるうまい機会を、彼女が逃すわけがなかった。

 彼女は生まれたときから闘争の中に身を置いていた。生まれ出づるそのときでさえ、彼女は戦場にいたのである。シグムントが選別した、強い母体から生まれた娘。いずれは伯父バルデルを超えて《闘神》となるべく育てられた鬼子。その異常な精神を培ったのも、情緒を与えたのも、彼女のすべてを形作るものは戦場の中にあったのだ。

 そもそもシャーリィの母親シャールは戦場でシグムントに出会っている。同じ猟兵として闘い、好敵手となり、そして好き合うようになった。強くなければ出会えなかったのだ。愛し合うこともなく殺し殺されていたはずだった。そしてその強さゆえに出産という弱いところを狙われ、殺された。シグムントに守れたのは生まれて間もないシャーリィだけだった。

 だから、シグムントは娘に強さこそ絶対だと教え込んだ。強くなければ興味を持てないように思考を誘導した。娘に死んでほしくなかったから。愛した女のように、殺されてほしくなかったからである。おかげで闘いこそすべてであり、強さこそが世界の絶対的な基準だと思い込んだ狂った娘が誕生した。それを異常だとシグムントは思わなかったし、むしろ好都合だと思っていた。

 そうして何よりも闘争を好む娘が出来上がり、無謀にも五人と戦うことになっている。

「うわあ、シズクも来たんだ。これは楽しみだよ!」

 喜色満面でそう告げたシャーリィに、シズクはいともあっさりとこう答えた。

「あ、別に私は今戦わないよ、シャーリィちゃん。弱い者いじめをしたいわけじゃないし」

「え?」

「そうだな。数の暴力はやめておいた方がいいもんなあ?」

 ランディがにやりと笑ってそう付け加えた。シャーリィは困惑することしかできない。もちろんこれも作戦のうちである。今から全力で戦っていては、今後に支障が出る可能性がある。ならば今は少しでも力を温存しつつ少ない労力で戦うべきなのだ。五人で入ってきたのは、サポートが必要になった時にすぐに手助けするためだ。今ここで戦うのは、シャーリィが執着しているリーシャだけである。

 にこりと笑ってリーシャはシャーリィに告げた。

「何でしたっけ。本気の私と戦いたいんでしたよね? どうぞお好きに。そうできるだけの強さが貴女にあるとも思いませんけどね」

 冷たい笑みだった。それで怖気づく――というわけでもなくシャーリィは怒りを覚えた。侮られている。それだけは、許してはおけないのだ。シャーリィは強くなくてはならない。そうでなければ、父はシャーリィを見てくれないのだから。

 思考が切り替わる。目の前の生意気な女を処分するために。

「ふーん。ナマイキ。じゃ、サクッと殺っちゃうね? 後悔しても知らないから」

 そしてシャーリィが襲い掛かったのは、その場で一番弱そうな人間だ。見た目にも貧弱なティオである。もちろんそれは間違いで、ティオは一瞬のうちに目の前に迫ったシャーリィに何もする必要を感じなかった。既に彼女は臨戦態勢だったからだ。虚空から機械の腕が生え、シャーリィを薙ぎ払う。彼女もまたそれを野性的なカンで避け、ティオの体があるはずの場所を薙いだ。

 しかし、その時にはすでにリーシャ以外の人間はシャーリィから離れた場所へと移動を終えていた。ティオもまた虚空からにじみ出た機械人形に搭乗し、飛翔してその場から離れていたのである。大きく薙ぎ払った影響で体勢が崩れたシャーリィにリーシャの鉤爪付きの鎖が巻き付き、リーシャの元へと引き寄せられる。

「うわあ、とってもずるい戦法! いいねえ! 楽しいよリーシャ!」

「戦いは楽しむものではありません。だからこそ――早めに終わらせてあげます」

 引っ張られる勢いに任せてシャーリィは体勢を立て直し、ブレードライフルを振りかぶる。しかしリーシャはそれを待ち構えることなく大きく避けた。鎖がたわみ、シャーリィは地面に足をつけてブレーキをかける。そこにリーシャは大剣を叩き込んだ。避けようのない一撃。もちろんシャーリィも油断することなくブレードライフルを自身に引き付けていて、その大剣を受ける。

 瞬間。

「爆雷符!」

 声とともに爆発が起き、地面を踏みしめてリーシャの大剣を防いでいたシャーリィはもろにその衝撃を食らった。軽く歯を食いしばってその衝撃に耐えるシャーリィ。しかし、その爆発とともに後ろに跳んでいたリーシャはまだぎりぎり巻き付いたままだった鎖を思い切り引っ張っていた。当然、体勢を崩したシャーリィにそれをどうにかするすべはない。

 鎖に振り回され、たまらずシャーリィは声を上げる。

「へあっ!?」

 そして目の前に迫るのは剣の柄だった。体勢を整える暇すらない。それが脳天に直撃して、シャーリィは後ろ向きに倒れた。頭蓋骨が割れるんじゃないかというほどの衝撃ではあったが、そこはプロである。衝撃だけを与えて脳みそをシェイクするだけにとどめたようだった。もちろんえげつない技であることは間違いない。生け捕りを目的とした技だった。

「安心してください、柄です」

 さらっというリーシャだったが、柄だからなんだというのか、とシャーリィは思った。この衝撃、この威力。一歩間違えば召されていたことは間違いない。むしろまだ死んでいないことにシャーリィは疑問を抱いていた。今の一撃なら、何もできないまま殺されていてもおかしくはない。今も動けないのだ。なぜリーシャは自分を殺さないのだろうか。

 朦朧とした意識の中でシャーリィは問う。

「何……で、殺さ……ないっ、の?」

「意味のない殺しはしないんです。ましてや、貴女のような可哀想な人間を殺すための手はもう持ち合わせていませんので」

 可哀想。その言葉が自分の中でリフレインして、シャーリィは唐突に怒りにとらわれた。そんなことを言われたのは初めてだった。憐れみを向けられたのは初めてで、その目は本気でシャーリィのことを案じていた。それが無性にいら立って仕方がない。憐れまれるようなことは一切ないと彼女は信じていた。ましてや、殺し屋風情にそんな目を向けられることなど想像もしていなかったのである。

 感情のままに、本能のままにシャーリィは立ち上がった。

「……せ」

「まだ立ちますか……」

「取り消せ……あたしは、可哀想なんかじゃない……生まれたときから殺しのことしか教えられてないあんたにだけは言われたくない……!」

 それはリーシャの琴線にも触れたようだった。しかし彼女は冷静なままだ。リーシャとシャーリィの境遇は、おそらくそうは変わらないはずで。だからこそ同族に憐れまれるのが一番いら立つのである。

 そして一撃。同じ衝撃を受けて、シャーリィの意識は闇に沈んだ。最後に聞こえた言葉には、何も反論できなかった。

「もし貴女もそうだとするなら、やはり可哀想ですよ。戦うよりも大事なものを、見つけられていないんですから」


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