雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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それが彼女だった (S1204/12/19)

 数日間の特訓ののち、一同は《ミシュラム》へ強襲をかけることにした。エリィ奪還のため、そしてマクダエル議長を奪還するために。全員が全力で向かう必要がある。もちろん《メルカバ》にも護衛が必要だが、それ以上にリスクを冒してでも全員で当たる必要があるのだ。この先の未来をつかみ取るためにマクダエル議長は欠かせない人物なのだから。

 まず、ツァイトが巨大化して正面で暴れる。そのすきにロイドとランディ、そしてノエルが《ミシュラム》内部に潜入し、エリィたちが軟禁されている迎賓館へと向かう。ティオとレン、カリンはこっそりティータから借り受けていたらしい衛星から場所を選んでの飛空艇の撃墜にあたる。ストレイとリーシャ、リオはテーマパーク方面から挟撃をかけ、レオンハルトは《メルカバ》の警護に当たるという寸法だ。

 時間はもちろん夜中だ。警戒が強くなるのはわかりきっているからこそ、できる限りの戦力をここでそいでおきたいのである。予定通りに始まった作戦が順調に進む。この先のことを考えれば慎重に進みたいが、目的を悟られれば警戒が厳しくなる。そのぎりぎりのラインを見極めながら動くのは存外に神経を使うものだった。それでも一度来たことのある場所だ。問題はなかった。

「……リーシャ」

「分かっています」

 ストレイが声をかければリーシャが《赤い星座》の猟兵たちを無力化し、ストレイもまた猟兵たちの腕を永遠に無力化していく。本来であれば残酷なことは避けるべきなのだろうが、すでに《赤い星座》は《星杯騎士団》にとって敵となっているため、抹殺したところで問題はない。それでも殺さないのは一応は慈悲である。もっとも、これから先猟兵としては生きられないだろうが。

 そのどこかで見たことのある残酷さに、通りすがりにロイドがストレイに告げた。

「何もここまでしなくてもいいだろ」

「奴らがこの先奪う命に比べれば安いものだ。生かしているだけマシだろう」

 そっけなく返すストレイは、ロイドを狙っていた男の腕を飛ばした。飛び散る血しぶき。表情を硬くするロイド。その顔に徐々に怒りが浮かんできて――

「おい、止まってる暇はないんだぞロイド!」

「ランディ、でも――」

「こいつらがやらかしたことを忘れたのか? 償いなんてこいつらはまともにやらねえぞ!」

 その叱咤に言いたいことを飲み込んだ。確かに彼らは腕を飛ばされるほどのことはしたかもしれない。街を燃やし、皆を不安に陥れ、今なお仲間を監禁している奴らだ。しかし、それでも裁かれるべき人間である。とはいえその裁きは一個人にゆだねられていいものではなかった。ロイドは胃の腑がぐらぐらと煮え立つような思いだった。

 感情を押し殺そうとして失敗したような声でロイドはストレイに告げる。

「……後で話がある」

「終わってからにしろ」

「言われなくてもそうするさ!」

 憤懣やるかたなし、といった風情でそう吐き捨てたロイドは迎賓館へと向かう。そこに仲間が待っているからだ。エリィを救い出し、マクダエル議長を連れ出してはじめてこの作戦は成功と呼べるのだ。ストレイの所業を責めるのはその後でもできる。そうならなければならないのだ。ここまでしてしまった以上後戻りなどできようはずもないのだから。

 彼らを縛り上げている間にロイドたちは目的を果たし、衰弱しているエリィとマクダエル議長、なぜかそこにいたヨナ・セイクリッドを連れて撤退していく。《赤い星座》の連中はしかしそれを認識しているだけの余裕はなかった。なぜなら、地上では巨大ツァイトと姿の見えない暗殺者に狙われ、飛空艇に逃げ込めば衛星からの砲撃で撃ち落とされるのだ。精神に余裕があるはずがなかった。

 ストレイたちはその場にいた猟兵たちの腕を落とし、律儀にも止血だけはして腕本体は湖に放り込んで処分した。そのうち魔獣が食らい尽くすだろう。そして《メルカバ》へと帰還した。

 

 ❖

 

「ロイド……っ!」

 その騒ぎの中で、囚われのエリィが最初に見たのはロイドだった。思うように動かない体を押して彼に抱き着く。その熱が失われていないことに安堵し、しがみついた。もう二度と離さない。離してしまえば死んでしまうかもしれないからだ。あの時のアルシェムと同じように、ばらばらの肉塊になって血の海に沈んでしまうかもしれないから。

 それを思い出してしまって身体を震わせる。

「ロイド……無事で、よかった……!」

「エリィ……」

 エリィはその熱を確かめるようにぐいぐいと体を押し付けるが、押し付けられる側のロイドはたまったものではない。忘れてはいないだろうが、エリィの胸部はなかなかに立派なものなのである。おかげでランディからはうらやましがられ、ノエルからは苦笑されていたがそれはさておき。

 そこにいるとも思っていなかった人物から声がかかる。

「おい、とりあえず逃げられるんなら逃げようぜ! きっちり守ってくれよな!」

「ヨナ……相変わらずだな。マクダエル議長も、一緒に脱出しますよね?」

「ああ。君たちはストレイ卿と来たのだろう? ならば当然行くよ」

 そこには覚悟を決めた顔があって。だからこそこの時間のない時だというのにロイドは確かめてしまった。

「議長は……ストレイ卿と面識があるんですね」

「勿論だ。彼は本当にクロスベルのことを考えてくれている。ああいった立場でなかったのなら、ともに議会で弁論をしたかったと思うほどにね」

 かくしゃくとしたマクダエル議長の表情には、ストレイに対する全幅の信頼が見て取れた。だからこそ解せないのだ。ロイドにとってストレイは信頼に値する人間ではないというのに、会う人たちすべてが彼に対して一定の信頼を抱いている。それが理解できなくて、もやもやと胸のあたりでわだかまっているのだ。気に入らないのだ。どこかが。

 そんなロイドにマクダエル議長が声をかける。

「ロイド君。今は考え込んでいる場合ではないだろう?」

「それは……そうですが」

「何、ゆっくり話してみればわかるさ。彼は本当にクロスベルのために生きることを望んでいるのだからね」

 そういって笑ったマクダエル議長にランディが肩を貸した。ロイドから離れようとしないエリィはそのまま横抱きにし、ヨナはノエルが背負っている。そのまま戦闘はすべてストレイたちに任せて脱出した。この胸のうちのもやもやが晴れるときは、近いのかと自問しながら。

 

 ❖

 

 《メルカバ》に戻ったロイドたちは、体を休めるために仮眠室に向かわせた。ティオとヨナ、そしてレンは明日のためにのっとる放送の中継点の手前までクラッキングさせている。その場にはマクダエル議長だけを残し、クロスベル全土に向けて発する声明のために内容を詰めているのである。言わなければならないことと、しなければならないこと。それらを合わせて詰める二人。

 そこでぽつりとマクダエル議長が漏らした。

「……彼女のままでは、できなかったのかね」

「当然だ。アレは死んだのだから。……それに、全く人望もないからな」

 肩をすくめてそう返したストレイに、マクダエル議長は苦笑を浮かべながら返した。

「そう思っているのは君だけだよ。もっと周囲を信じてやりなさい。年寄りからの忠告だ」

「そんな環境にいたことはない。それに、悪いがわたしはお前よりもざっと千歳ほど年上だ」

「……笑えないジョークだ」

 ジョークじゃない、と大真面目にストレイが返答すれば、マクダエル議長は彼女の頭を撫でた。外見は本当にエリィほどの年頃に見える彼女に、少しでも安らぎを覚えてほしかったのだ。もちろんその返答は子ども扱いするな、という拒絶だったが。

 詰めるところまで詰めて、早めに休む。明日は正念場なのだ。間違っても倒れるなどということがあってはならなかった。ロイドたちは邪魔をしてこないように軟禁する必要があるな、とどこかで考え、やっていることはディーター・クロイスと似ていることに苦笑する。ただ、彼とは違ってつかみ取るべき未来は人間がつかみ取るべきなのだ。断じて《至宝》でもてあそぶべきものではない。

「……さて、覚悟は決めねばな」

 簡易ベッドの中で、ストレイはそうつぶやいて眠りに落ちた。

 

 ❖

 

 国防軍が声明を発表するために設置した大型モニターが、突如映像を映し出した。そこに映ったのは長らく姿を見せなかったヘンリー・マクダエル元議長である。長年クロスベルのために働き続けてきた彼の元気そうな姿に市民はまず安堵し、次にいぶかしんだ。なぜ今このタイミングで、どこからどうやって彼はその映像を流しているのか。

 それに対してなのか、彼は言葉をゆっくりと紡いだ。

「クロスベルの皆さん、長らく姿を見せられずご心配をおかけしました。ヘンリー・マクダエル、かつてはクロスベル自治州の議長を務めていた者です」

 その声に国防軍の兵士たちはざわめいたが、それもすぐに収まった。なぜなら議長が話し始めたからである。

「本日は皆さんにお伝えしたいことがあって、ある方にご協力を賜っております。その前に皆さんにご心配をおかけしたことに対してお詫びを申し上げるとともに、なぜそうなったのかという経緯を説明させていただきたく思います」

 そうだ。何故。どうして。その内なる疑問の声が誰にもこの放送を止めることができなかった。皆知っているのだ。彼がクロスベルのために何を犠牲にしてきたのか。心身を削り、暗殺の脅威にもさらされながらクロスベルのために身を粉にして働き続けていた彼が、どうしてあのクロスベル独立の宣言の時に姿を見せなかったのか。それを知りたかったから、放送は止められることなく続いた。

「クロイス大統領が独立を宣言した折、私は不当な手段によって軟禁されておりました。彼はクロスベルの合議制を無視し、一人であの独立宣言を行ったのです」

 飛び出す驚愕の真実に、誰もが言葉を失った。ディーター・クロイスの打ち出したあの宣言は確かに自分たちが求めていたものだった。しかし、それは十分な協議のうえで行われたものだと思っていたのだ。しかし、議長は違うという。確かに映像では登場しなかった上に声明すらもなかった。ならば本当に彼はディーターによる独立を認めてはいなかったのだろうか。

 どうして。その声に応えるように議長は続ける。

「当時、私には知り得ないことをクロイス大統領は知っておりました。かつてクロスベルは一つの国であったこと、そしてその国の王とも呼べる人物の血を受け継ぐ子孫が生き延びていたことを知っていたのです」

 一息置いて、議長は声を絞り出した。

「その人物がどのように生き延びていたのか、私は悔しいことに知ることはかないませんでした。しかしクロイス大統領もそれは同じです。なぜなら、その王の子孫の誘拐を知りながら見過ごしていたのですから。そして最近になってそれを知り、別の少女を助け出して『彼女がそうだ』と丸め込んで王にしようとしています。だからこそ、独断で独立を宣言できたのです」

 そんなことがあり得ることなのか、という問いはこの際関係なかった。時代考証も必要なかった。議長がおとぎ話を大真面目に語るような人物ではないことくらい、クロスベルの民たちは当然のように知っていることだからだ。だからこそそれは彼らの認識の中で事実として刷り込まれていく。そしてそれは多少の誇張表現が含まれてはいるが真実であった。

「幸い、私は不当な軟禁から解放されました。当の子孫がうわさを聞き付けたのか助けに来てくださったのです。その方はクロスベルの行き先を憂い、強引な独立によって起きる軋轢を憂いて私に相談してくださいました」

 議長の言葉で民たちは気付いた。今のこの危険な状況は、独立を宣言してしまったからこそ起きたものだと。その際に使われた手法はどうでもいい。だが、この先どうしてくれるのかという問いに対する答えは誰からも得られなかった。そう、クロイス大統領からも、彼を守る国防軍からも。街を襲ったくせにのうのうと居座り続ける《赤い星座》の連中からも。

「その結果を――私からではなく、その方から。皆さんに伝えていただこうと思います。そして、決めてください。大統領のやり方を選ぶのか、その方のやり方を選ぶのか。無理やりに選ばされるのではなく、自分たちの意思でもう一度、選んでいただければ幸いです」

 ふう、と一息ついたマクダエル議長は、横から差し出された椅子に座った。それを用意したのはよくわからない人物だった。正装とおぼしきスーツに身を包み、それでいてその顔には仮面が張り付いているのだ。素性のしれないという点では限りなく怪しいが、それでもその身分を保証したのはあの議長だった。だからこそ食い入るように画面を見つめ、耳を澄ます。

「――さて、今紹介のあった子孫だ。アルコーンという。この世界の片隅で細々と生きてきた。まあ、汚い世界は嫌というほど見てきている変な奴、程度の認識でいいだろう」

 その声は不思議とするりと意識の中に入ってきた。どこかで聞き覚えのあるような気のする声だが、その人物とは違って聞いているだけで違和感を覚えるなどということはない、普通の声だ。ただ男だというには高く、女だと断定するには低いアルトの声なので性別の判定ができなかった。色彩のない髪はやたらと長いから女だろうか。とはいえそんなことはどうでもいいことだ。彼、あるいは彼女が語ることが何であるのかが問題なのだから。

「わたしはあなた方に問う。これまでエレボニアやカルバードに搾取され続ける生活を送り続けてきた忍耐あるあなた方の心に問いたいのだ。本当にこれでいいのかと」

 どきりとした。内心を言い当てられたような気がしたのだ。漠然とした不安に突き動かされてここまで道を選んできた。しかし、本当にそれでよかったのかと。

「今隣にいる人に聞いてみてほしい。今の行動を制限されている生活と、昔の両国から搾取されていた生活のいったいどこが違うのかと」

 小さなざわめきが聞こえた。何が違う? 心持ちが違う。帝国と共和国に搾取され続ける生活はもうごめんだ。でも、生活って変わった? いいや、むしろ不便になった。そこかしこを国防軍が歩いていて息苦しい。持病が悪化しても申請しなければ聖ウルスラ医科大学に行くことすらできない。マインツの友達と連絡が取りあえない。アルモリカ村のはちみつが……ざわめきが大きくなる。

「どちらにせよ不自由だ。違うか? ……違わないだろう。それは、クロイス大統領にとって都合のいいようにしか『独立』できていないからだ。古代の力に頼り、アルテリアから睨まれてもなお護り切れるという傲慢な考えがそうさせているのだ。実際にはそれに頼らなければ瞬く間に消える風前の灯火なのだ」

 それに、民たちは不可思議な結界のことを想った。確かにアレのおかげで守られているのかもしれないが、同時に自分たちを監禁するための檻なのだ。今までよりも自由になるはずだった生活は、息苦しい不自由なものだった。本当にこれでいいのか。それはいつだって誰かの心の底に燻り続けていた。否、今でも。今もうすでに燃え盛り始めていた。

「彼らはそれがなくてもエレボニアやカルバードの財布を握っているから大丈夫だ、などと勘違いをしているのかもしれんが、どのみちこのままではクロスベルは長くない。列車砲を破壊しようが、彼らにはまだまだ兵器が残されている。人間が機械をまとって襲って来ればどうなる? 大量の戦車が襲って来れば? 本当に対処しきれるのか? あなたたちには指一本触れずに溶けて消えるのか?」

 そんなはずない! と誰かが叫んだ。そうだ。そんなはずはない。帝国や共和国は貪欲な獣なのだ。いずれクロスベルを食いちぎり、血肉とし、自分たちの屍の上に繁栄を築くだろう。その礎のことなど考えもしないはずだ。

「――そうだ。そんなことなどあり得ないのだ。だからこそ、わたしはこうして起つのだ。先祖なぞ知らん、関係ない。ただ、クロスベルという場所を愛しているから――」

 それは真実だろう。そう思えた。なぜならアルコーンはすでにその覚悟を決め、こうして姿をさらしている。酔狂でこんなことをやればすぐに殺されるに違いないこの情勢で、と考えたところで凍り付いた。なんだこの思考は。そんな非道なことをクロイス大統領がするのか、と。しかし実際にしたのだ。《特務支援課》のあの女は殺されたではないか。たかが抵抗しただけで!

 映像がかすかにぶれて、その瞳の色が晒される。それは高く澄んだ空の色。あの女と同じ色で――

「わたしは、あなた方の手となりエレボニアと手をつなごう。カルバードと手をつなごう。無用な戦を起こさないために、あなた方を守るために!」

 その宣言はきれいごとだった。だが、これ以上無残に人が死ぬのは見たくなかった。人々の心が一つの方向を向いていく。

「必要ならばこの手に剣を取り、盾を取り、あなた方のために戦おう! あなた方のためにこの命をささげよう! それがわたしの生まれた意味だ!」

 そんなことはしなくていい。ただ、生きて導いてほしい。その意思はうねりとなって周囲の人間をも巻き込んだ。マクダエル議長が保証したから、という理由ではなかった。もはや、彼らは信じる気になっていたのである。

 その手が翻り、仮面が剥がされる。そして――その姿が、さらされた。

 

「今一度名乗ろう。わたしはアルコーン・ストレイ=デミウルゴス。あなた方の意思の代弁者となる者。そして――あなた方をそこから解放する者だ!」

 




 なお手を取り合おうとする相手に関してはすでに手を加えている模様。マッチポンプ具合はこっちの方が外道。

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