雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
仮眠を終え、夜闇に紛れてロイド、リーシャ、ストレイはマインツ近くまで降下していた。レンとティオは待機し、その間に次に降下できそうなポイントを絞り込んでいるのである。ロイドにはどこから行きたいか聞いていたが、それから探すよりはこちらから情報の密度がまばらなところを探した方が手っ取り早いのである。とはいえそろそろロイドの脱走もティオの脱走も気づかれているだろう。このあたりで一度国防軍の気を引くような何かをしておく必要もある。
もちろんあの『みっしぃ』はかなりの効果を上げていたのだが、ストレイはそれを知る由もない。今やウルスラ間道はみっしぃによる警戒警備によって魔獣の数を減らし、また微妙に国防軍の邪魔をしているので討伐対象にもなっているのだがそれはそれ。クロスベル市に施された結界を超えてまで討伐するほどの被害を上げているわけではないのでアリオスが出張ることもなく、ただ国防軍はそのみっしぃにかかわらないよう行動することしかできなくなっていた。
そんなこととは知らず再びその背に『聖痕』を閃かせたストレイに、ロイドは声をかけた。
「また、何か出すのか?」
その声色には咎める響きがある。確かにやっていることは『幻獣』と同じであるので彼が抵抗を覚えるのも間違いではないのだろう。しかし、今その手段を選ばずしてどうやって彼はキーアの元へとたどり着くつもりなのだろうか。使えるものはすべて使わなければ、届くものにも届かないだろう。ストレイはそう思っていた。
だからこそいらだたしげに返答するのだ。
「……言っておくがね、誰も傷つけずに革命モドキを起こすのは不可能なんだよロイド・バニングス。それにここらあたりで何か起こして国防軍どもの目を引き付けておかねば数を恃んでの大捜索網に引っ掛かりかねんし、ランディ・オルランドやエリィ・マクダエルがどういった境遇に置かれるかわからんだろう?」
「それは……そうかもしれないけど、でもあれは……」
渋るロイドの前に出現したのは、『みーしぇ』だ。『みーしぇ』はすばしっこく走っていき、そして破壊音を響かせた。ロイドとリーシャは顔を見合わせる。何をしでかしたのだろう、あのミシュラムのマスコットは、とでも言わんばかりである。もちろんストレイはそれが何を起こしたのかくらいはわかっている。国防軍の戦車の足を破壊したのだろう。
とはいえこの混乱に乗じて動く必要はあるわけで、ストレイは二人に声をかけた。
「行くぞ」
「あ、ああ……」
「あは、あははははは……」
リーシャはその目で見てしまっていた。何が起きているのかを。だからこそ笑いしか漏れない。あの光景はどう見てもファンシーすぎる。起きていることもことだ。まさかあの猫っぽいブツが戦車を破壊できるだけの力を持っているなど誰も想像もしたくなかっただろう。それでも起きていることは現実であり、『みーしぇ』とレジスタンスに蹂躙された国防軍は這う這うの体で逃げていった。
それを隠れてやり過ごした三人は、レジスタンスの一人に接触した。
「ミレイユ」
「あ……ストレイさん。お待ちしてました、マインツはお任せください」
接触したのはミレイユだ。彼女に敬礼を返され、そういう返答をされているということはストレイは何かしらの仕込みをしていたに違いない、とロイドは思う。ソーニャに話が通っているというならばわからなくもないが、この反応はどうもストレイに面識がありそうだ。いったい何をしたというのか。いつから何を見越していたのかと考えてロイドは空恐ろしくなった。
そんなロイドを差し置いて事態は進む。
「それは当然任せる気ではいる。あの『みーしぇ』は餞別だ、好きに使え」
「えっ、あんなの扱いきれる気しませんよ!?」
「安心しろ、お前の指示は聞くようにしてある」
ミレイユの顔が引きつる。しかし、断ることはしなかった。彼女はこれから戦力が足りなくなることを予見していたのである。だからこそ断らず、どう戦略に取り入れようか考える必要があるわけだ。『みーしぇ』をもらい受ける代わりに、ミレイユは仲間を一人送り出すのだから。ミレイユは近くにいた構成員に声をかけて『彼』を呼んでくるように伝えた。その構成員が駆けていき、近くには誰もいなくなる。
それ幸いとロイドがミレイユに声をかけた。
「あの、ミレイユさん……」
「ロイドさん。貴男がどういう立場でここにいるのかはわかりませんけど、ストレイさんと一緒にいるということは、クロスベルを救うために動いているということだと思っています」
「それはもちろん――って、ランディ!」
ストレイとどういう関係かを問おうとして、ロイドはその奥から駆けてくるランディに気付いた。ランディもロイドたちに気付き、手を振りながら合流する。
「よう、元気だったか?」
「ランディこそ……!」
「おいおい……俺を誰だと思ってるんだ」
本気で涙ぐみながら答えたロイドに若干ランディは引いた。しかし、警戒だけは怠っていない。そこにいるストレイが誰であるのか、なんとなくではあっても察してしまっていたからだ。死んだはずの人間は生き返ってなど来ない。ならば、そこにいる懐かしい気配の女はいったい誰であるというのか。それとも、あの時に死んだのは――
そこまで考えたところで、ランディはストレイから視線をそらされた。
「……わたしから言ったが、本当にいいのかミレイユ?」
視線の先のミレイユは、しかし寂しさすらにじませてはいなかった。そこにあったのは強い意志だ。クロスベルを今度こそ守るのだという強固たる意志。それをある意味利用する形になることにストレイは若干の罪悪感を覚えるが、それ以上の感情を抱くことはない。なぜならストレイには根本的に彼女に共感することなどできはしないからだ。
「勿論です。というより、これ以上戦力がいても無駄なだけですし、《特務支援課》に合流したがっていたランディをここにとどめておいて気もそぞろ状態になられても困りますからね」
そしてランディの背を押した。それは乱暴でもなんでもなく、温かく送り出そうとする意志そのものだ。ここにいればいつでも一緒にいられるかもしれない。しかし、ランディが望むのならば。それを拒否するだけの関係には、まだなれていない。ミレイユはランディが好きだ。しかし、それだけで止められるほどの男だとは思っていないのだ。
眉を寄せてその評価に異を唱えるランディ。
「おいミレイユ、さすがにそれは――」
「黙らっしゃい。隙あらば皆を探しに行こうとしてたくせに」
「うぐっ……」
その憎まれ口に恋心を隠して。ミレイユはランディを送り出した。絶対に帰ってくると信じた。自身の元へ、必ず、彼の思うすべてを連れて帰ってくると信じていた。そこにはすでに取りこぼされてしまったものがあると知っていながらも、これ以上は取りこぼすことなどないと信じたのだ。だからこそ送り出せた。もしその保証が一切ない状態であれば、ランディを送り出すことなどできなかっただろう。
ランディはその後いくつかミレイユと言葉をやり取りして、ストレイたちとともに《メルカバ》へと向かった。
「……にしても、ここで《星杯騎士》とはなぁ」
カリンに出されたコーヒーを飲み、ランディはそうつぶやいた。ストレイという存在について聞いたことはあっても、実際にこうして会うのは初めてだ。しかし、その手下が入り込んでいるのはわかっていた。どう見立ててもあの状態のキーアはアーティファクトだ。ならば、それについて何かしらを調べるための人間が入り込んでいるのは想像に難くない。そしてあまり知名度の高くなさそうな《星杯騎士》でクロスベルにかかわれそうな存在はストレイしかいなかった。
一応、アーネスト・ライズを捕縛したときに二人の《星杯騎士》がいたということは聞いている。しかし片方はあの悪名高い《外法狩り》だというではないか。ならば、クロスベルにかかわってくるのはそのうちの高名でない方――ストレイ、と名乗った神父だろう。そちらに関しての情報は、《赤い星座》にいた時代のランディでも聞いたことのないものだ。
その感慨深げな声にロイドは問いを投げかける。
「ランディ、知ってたのか?」
「ん? まあ、そりゃあ一時期は裏に身を置いてたからなあ。外法認定されれば終わり、くらいの認識はあるさ」
もちろん気を付けるという選択肢があるわけではなく、目をつけられれば終わりだという認識があっただけだ。シグムントであればその逆境も跳ね返した可能性もあるが、ランディはそこまで狂ってはいない。必要ないリスクは負わない主義なのだ。だからこそアーティファクトなどにかかわるような仕事は避けていた。たとえ猟兵であることから逃げた後であってもだ。
しかし、ロイドが言いたいのはそういうことではなかったらしい。歯切れが悪そうにロイドが言葉をつづけた。
「いや、そうじゃなく……ストレイが、《星杯騎士団》だってわかってたみたいだからさ」
「……あんまりこういうことは言いたかないがよ、ロイド……あの状態のキー坊を、《七耀教会》がどう見るかって考えればわかる」
「それでも! ……それでも、キーアは、キーアじゃないか」
そこにはキーアへの愛情があふれ出ていた。それに気づいてランディは苦笑する。確かにキーアはかわいい少女であり、かわいそうな境遇で守ってやらなくてはならない少女だ。その認識に間違いはない。しかし、彼女が普通でないことくらいランディはとっくに気付いている。ヨアヒム・ギュンターが狙い、謎の球体に収められた写真を見て、さらにマリアベル・クロイスのそばで見せたあの力。あれを普通だと称するおめでたい頭は持ち合わせてはいない。
それを納得していないであろうロイドに向け、ランディはあえて軽く聞こえるように返答した。
「俺たちにとってはそうだ。でもな、そう思わない奴は確かにいるってことだよ」
ちらりと視線を振られたカリンはことさら冷たく応える。
「いえ、彼女をアーティファクトとしてみることはありませんよ。《至宝》ですらなく、ただ力を与えられただけの哀れな存在です」
「……いや、その評価もどうかと思うんだが……」
「ただし、私は決して彼女を許しはしません。殺したいほど憎いとは思いませんが、一生分かり合おうとも思わないということだけはわかっていていただきたいですね」
淡々と告げるその瞳の奥には炎が宿っていた。彼女は彼女なりに知っているのだ。キーアが自身の主に何をしでかしたのかを。だからこそキーアのことは理解したくもなければ許す気もない。主は彼女のせいで生まれ、様々な暗い過去を押し付けられ、人身御供にされかけたのだ。そんなものを許すはずがないし、許せるはずもなかった。
その怒りに、ロイドとランディは顔を見合わせる。
「その、アストレイ代表、それって……」
「説明する気はありませんよ。したところでこの件に関して理解が得られるとも思えませんので」
その言い回しにロイドはぴんときた。つまり、アルシェムのことだと。こういう言い回しをされるのは彼女について何かかかわりがあるときだけだった。ロイドには理解できない。その言葉を使われるのは、たいていの場合においてアルシェムに関することだ。
しかしそれはそれでわからないこともある。
「意外ですね。貴女が許さないのはストレイ卿の方かと思っていましたけど」
アルシェムはカリンのことを家族だと言っていた。だからこそ、彼女を使いつぶしたであろうストレイを許さないのならわかる。家族を奪われたようなものだからだ。だが、なぜそこでキーアを許せないのかがわからない。キーアがアルシェムを殺させたはずがないのだから。あの優しい少女が、アルシェムを殺させるなどという指示が出せるわけがないのだ。
カリンはそれに謎めいた答えを返した。
「……私が許さないのは彼女で、私が許されたくないのがストレイ卿です」
「……え?」
カリンの答えにロイドは眉をひそめた。今何かとても大事なヒントが出された気がする。それなのに、その糸口がどうしてもつかめない。目の前に見えているのに信じられない答えがそこにあるかもしれず、その希望にすがりたくなる。けれどもそれを否定するのが脳裏にこびりついた鮮血だ。あれは決して嘘でも夢でもなかった。まぎれもなく現実だ。
その言葉の意味を考えこもうとしたロイドは、だからこそ気づかなかった。ランディがひどく考え込んでいたことに。
❖
深夜――《メルカバ》のデッキで。
「……探したぜ、ストレイ卿」
相も変わらず月を見上げているストレイにランディは声をかけた。すると、仮面の下で苦笑しながらストレイが返答する。
「何だ、寝ていなくて良いのか? ランディ・オルランド」
「いちいちフルネームで呼ぶなっての。……でも、そっちで呼んでくるのは意外だったぜ」
そう、ランディにとってそれは本当に意外だった。ストレイが知っているとすれば《闘神の息子》ランドルフ・オルランドの方で、当然そう呼んでくるものだと思っていたからだ。それならばこの違和感も気のせいとして放置しておいたというのに、ストレイはランディと自身を呼んだ。だからこそ、かすかな希望にすがりたくなる。そもそもらしくないのだ。彼女が大人しく死を受け入れることなど。
だから。
「俺がそっちで呼ばれた方がいいんだって知ってたみたいだな?」
不敵に笑ってそう問うのだ。これで尻尾を出してくれるのならば楽なことはない。今ならばまだ、きっと取り返しはつくのだと信じたいのだ。ロイドとの関係も、皆との軋轢も。今、彼女と分かり合えたのならば、まだ取り返しはつくと。
しかしストレイはランディから視線をそらしてこう返す。
「呼んでほしければそう呼ぶが、元々わたしは名前にはこだわる方でね。わたしが呼ばれたくない名前では呼んでほしくないからそう呼ぶまでだ」
つまり、彼女にも呼ばれたくない名前があるということだ。それがどういう理由かはわからない。それでも、ランディは確信していた。ストレイはアルシェムだと。それを否定する材料はどこにもないのだと。だからこそ自分たちにまで隠す意味が分からない。仲間ではなかったのか、《特務支援課》は。この腐りはてた自分ですらロイドたちを仲間だと思っているのに。
だからこそ疑問が口をつく。
「何で呼ばれたくないんだ?」
「……それが、お前に関係あるのかランディ・オルランド」
「ランディって呼べ。いちいちそんな仰々しくオルランドなんて呼ぶなよ」
「ランディ」
言い直したその言葉の語気は強く、彼女の問いを無視させない。それでもランディはそこで会話が終わらなかったことに安堵していた。ここで会話を終わらせられてしまえばおそらく最後までうやむやにされてしまうだろう。そう思えたからだ。
「あるぜ。理由も知らずうっかり呼んじまった日には目も当てられない事態が起きるんじゃねえか?」
小さくその後にアルシェム、と呼べばストレイは感情を殺した。どうやら当たりだったらしいと思った瞬間――碧い光がストレイを包んだ。それに対して彼女は歯を食いしばり、必死に胸を押さえてその背に《聖痕》を浮かび上がらせる。仮面をつけたままのその顔に、冷や汗が流れるのをランディは確かに見た気がした。
驚愕に目を見開いてランディは声をかける。
「おい、アル――」
「違う。わたしは、アルシェム・シエルでは、ない……ッ、違う。アルシェム・シエル=デミウルゴスではないッ!」
その自身に言い聞かせるような宣言が、その碧い光を跳ね飛ばすように消し去った。ひゅう、と口から呼気が漏れる音がして、かちかちと彼女の歯が鳴る音をランディは聞いた。
「……今のは、なんだ」
「さてな。自分で考えろ……ふう……っ、もう寝る。お前も早く寝ておくんだな。次に探すべきはエリィ・マクダエルなんだろう? 彼女がいる場所へ向かうのならば過酷な状況を覚悟しなくてはならないからな」
そう言い訳のような言葉を口にして、ストレイはふらふらと《メルカバ》の中へと戻っていった。その小さな背にランディは何も声をかけることができない。今の現象が何を意味するのか、それを理解しなければならないからだ。
やがてその結論が出たとき――空は白み始めていて。
「……さすがにそれはないだろ……」
ランディはその妄想を斬って捨てた。そんなことを、キーアがするはずがないから。