雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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夜間の回収(S1204/12/06)

 誰もが寝静まった深夜。当直だったセシルは、監視対象のティオから声をかけられた。

「……セシルさん」

 それはいつもの格好だった。今までここで監禁されていた時に着用させられていたパジャマではない。《特務支援課》として彼女が活動するときの戦闘服だったのである。それはつまり、彼女がここから出てどこかへ行ってしまうことを意味していた。セシルにとってはそんな人物は止めなくてはならない。あの時は彼女を止められなかったがために殺されてしまった。今回はそんなことを許すわけにはいかない。

 セシルはティオをにらみつけて制止する。

「ティオちゃん……その、大人しくしていて。私はアルシェムさんみたいに貴女を死なせたくないの」

「ロイドさんに会えるとしてもですか? ……私は、アルの遺志を継ぎます。継がなくてはいけないんです。だって、そうしないと何のためにアルが死んだのかわからないじゃないですか」

 セシルはついにティオが狂ったと思った。そんなことが彼女一人にできるはずがないからだ。彼女を落ち着かせようと笑顔を浮かべ、ティオの瞳を見て――悟った。どうしようもなく彼女は正気だったのだ。この瞳を彼女は知っている。ガイと同じ、止めても止まらない瞳だ。そして何かを必ずやり遂げる瞳でもある。止めても無駄だということくらい、彼女は嫌というほど知っている。

 だからこそ、セシルは彼女に約束させようとする。

「っ……約束して、ティオちゃん。絶対に……絶対に、生きて戻ってくるって」

「保証は出来ません。……その約束を破った人を知っていますから」

 その言葉にセシルは反射的に叫んだ。

「だったら!」

「それでも! ……それでも、ここで燻って用済みになって殺されるより、抗ったという証拠を残したいんです。私たちは意思なき人形ではないと、示さなくてはならないんです。他の誰のためでもない、私自身のために」

 止められない。わかってはいたが、一縷の望みをかけていた。それでも止められなかった。それはおそらくこのまま国防軍にティオのことを報告しても同じだろう。ティオのことを報告することが彼女の死につながることは明白であり、それをセシルが容認できるはずがなかった。たとえそれで患者すべてがさらに楽になるのだと知っていても。

 彼女は身内を監視するという裏切りをもって、この聖ウルスラ医科大学の患者すべてを守るための契約を結んでいる。クロスベル市内の通院患者たちへの薬を配達してもらい、止まってしまった流通を無理やりに動かしてもらって重篤患者を治療するための薬を得る。そのための裏切りだ。たった一人を守るためだけに動くことなどセシルにはできなかった。

 だから、これが落としどころとなる。

「……ティオちゃんは、狂ってしまったのね。今の病室を封鎖して面会謝絶にします。何人たりとも貴女には会わせたりしない……私以外は出入りも禁止にします」

「セシルさんッ!」

 自分の耳を疑ったティオが声を上げる。しかし、その声に応えたのはセシルではなかった。ましてやティオの知る限りこの場にいるはずのない人間の声でもある。それは女性にしては低く、男性にしてはわずかに高いアルトボイス。聞いたことがないわけではないが、あまり聞きなじみのない、それでいてティオには忘れられない声だ。

 その懐かしい声が、セシルの言葉を承諾した。

「――確かにその意思、受け取った」

「勘違いしないで。私は……誰にも死んでほしくない。もちろんアリオスさんも、大統領も……貴方にもね」

 その鋭い瞳は先ほどまで存在しなかったはずの神父服の人物を射抜いていた。それが誰であるのか知っていたティオはたまらず抱き着きそうになったが、視線で制されてそれを我慢する。そこにいたのは何よりも待ち望んだ救援であり、誰よりも生きていてほしいと願った人物であるはずのニンゲン。その人物が、セシルと相対していた。

 そのニンゲン――ストレイがセシルに告げる。

「約束通りだ。ゼムリア苔に各種薬草、ティアラの薬にセラスの薬。後は緊急で治療せねばならん人物がいるのならば治療するが?」

「いいえ。……ティオちゃんと、ロイドをお願い。これ以上誰かを死なせたら、私は貴方を許さない」

「わたしにとて限界はあるがね。とりあえず追加の報酬だけは先払いしておこうか」

 肩をすくめながら、ストレイが薬草の詰まった箱を運んできた男を引っ張り出す。その男は月明かりに照らされ――セシルの前に現れた。

 

「ロイドッ!」

 

 彼を視認した瞬間、セシルはロイドに抱き着いていた。どこかの留置所につかまっていたと聞いた。逃走したときに、傷を負わされたと聞いていた。それが五体満足でセシルの前にいる。彼を抱きしめないという選択肢は、セシルにはなかった。愛する男の面影を宿した青年は、セシルの知らない間にまた一回りたくましくなっていたようだ。

 そんな彼が、強い意思を込めて彼女の耳元で囁いた。

「セシル姉、俺――全部片を付けてくるから。それで、皆そろってちゃんと帰ってくるから。待っててくれ」

「ロイド……っ約束、破ったら承知しないから……!」

「ああ、もちろんだ。これ以上誰も死なせたりしない……!」

 そして力強く抱擁される。それだけでセシルはロイドを信じられた。この暖かさを胸に、セシルも戦わなければならない。彼女にしかできない戦いを。いざとなればここにいる国防軍全員を無力化しなければならない。そのための手段はもう授けられていた。要するに、鎮静剤を大量に使えばいいだけの話なのだ。それを手に入れるために、セシルはティオを狂ったことにするのだから。

 その決意を胸に、セシルはロイドを送り出した。後悔も恐怖もない。彼女は彼女にできる戦いをするだけだ。志半ばで散っていったガイ・バニングスのように。

 

 ――のちに彼女は、武力も持たない女性でありながらもウルスラ間道方面の『売国奴』たちを下した女傑として《榛の聖女》と呼ばれることになる。その傍らには、常に《神狼》が寄り添っていた――

 

 ❖

 

 聖ウルスラ医科大学から逃亡を果たしたティオは、ロイドが眠るのを待って甲板に出た。そこに彼女がいると確信していたからだ。話したいことがたくさんある。今までのこと、これからのこと、そして、『アルシェム・シエル』のこと。それらすべてをティオは彼女と共有すべきだと思い、それは彼女も同じ考えでいるだろうと思っていた。

 果たして甲板に彼女はいた。いつもとは違って変な仮面こそつけたままだったが、その気配をティオが間違えることはない。はっとするほど鋭いくせに、次の瞬間には溶けて消えてしまいそうなほどの薄く透き通った氷の刃のような気配。久々に見た髪の長さで、懐かしいとも思えるほどの安堵をもたらしたその姿に、ティオは駆け寄って抱き着いた。

「アル……っ!」

 それに対して彼女――ストレイは返答する。

「……悪いが、ティオ。既にいろいろと取り返しのつかないところまで来ている。アルシェム・シエルなどもういないのだ」

 どこまでも平坦な言葉はティオに突き刺さった。そんな話は教えてもらっていなかった。否、聞かないふりをしていた。キーアが嫌いな理由を聞いた時に、すでに聞いていたはずなのに。彼女かわいさに、ティオはそれを聞かなかったことにしていた。紛うことなき恩人と、たまたま拾ったかわいそうな境遇の幼女。どちらを信じるかと問われて後者を選ぶくらいには、ティオは洗脳されていた。

 それでもなおティオは問う。

「……うして、そんなこと……言うん、ですか……」

「必要のなくなった駒は処分する。そういう方針のようだからな。こちらから放棄してやったさ。……もう、戻れない。戻ってこない……」

 淡々とした言葉の最後は聞こえなかった。それでも、ティオは感じ取った。彼女はもう二度と戻れないものとして『アルシェム・シエル』を悼んでいるのだと。確かに自分のことであるはずなのに、他人であることにしなければならないという状況。普通の人間ではないことは知っていても、ここまでしなければ生き残ることすら許されないというのは異常だ。

 ぎり、と歯を食いしばって問う。

「誰の……方針、ですか……」

「『□□□』」

 端的に告げたその言葉が聞こえなくて。その口の動きが何を意味しているのかティオは嫌というほど知っていて。それでも信じることができなくて。その答えがどれほどまでに残酷なことなのかを分かっていてなお、その真実を彼女は信じられなかった。ずっと訴えていたはずなのだ。それでも聞き入れなかったのはティオたちの方だった。

 それを信じたくなくて、ティオは問い返す。

「――え。あの、よく……聞こえなくて。あの……今、なんて」

「……『□□□』、だ」

 その蒼い瞳に浮かぶ感情が何だったのか。ティオは理解を放棄した。そんな権利などないことを思い知ったからだ。もう一度問い返さない代わりに、ティオは最後まで信じることにした。その口の動きが示す人物が、ほんとうにそんなことをするはずがないのだと。誰よりも優しく無垢な彼女が、よりによって『アルシェム・シエル』を死に至らしめたなどという現実など認められないと。

 それを察してストレイは淡く微笑んだ。

「済まない。……せめて、忘れていろ。それをティオが望んでいないのだとしても――わたしは、それしかできないから」

 その背が淡く光り輝いて。ティオはその場に崩れ落ちた。本来であればストレイには不可能な所業だが、このところますます力の強くなった《聖痕》はそれを可能にした。それが《至宝》として完成していく証なのかどうかはストレイ本人にもわからない。ただ、今のこの土壇場においての強化はむしろ望ましい。この先に待つ決着に向けて、力はないよりもあった方がいいのだから。

 崩れ落ちたティオをベッドに寝かせて、ストレイはつぶやいた。

「こんな風じゃなければ、わたしも……アルシェム・シエルも……普通の人間でいられたのかもしれないのにね」

 それがあり得ないことだと知りつつも、彼女はそうつぶやくのだ。そうしなければやっていられなかったから。

 

 ❖

 

 夜が明け、ティオの協力を仰ぎつつも彼らは仲間探しを続けていた。ティオによれば、聖ウルスラ医科大学には彼女以外のめぼしい仲間はとどまっていないとのことだ。捜査二課のドノバンやフランはいたらしいが、彼らまで行方不明にするわけにもいかない。ゆえにその場に据え置くことになった。彼らにも彼らの戦いがあるのだ。それを邪魔することははばかられた。

 そして、次に捜索する方面はロイドの方針でアルモリカ村方面へと決まった。そちら方面であれば《古戦場》というある意味ダンジョンが広がっているため、万が一見つかっても脱出が容易だと考えたためだ。もしかすればそこに何かしらの勢力が潜んでいる可能性もある。それに接触できればさらに力になってもらえる可能性もありそうだった。

 そうやって先日故意に発生させたみっしぃ型幻獣をけしかけつつ国防軍を半減させ、またしても夜半に侵入してみれば――

 

「あら、ティオ。スカートの下のガードはきつくしておいた方がいいわよ? あの草、《眼》なんだもの。丸見えよ?」

 

 月明かりの蓮華畑にたたずむレンがいた。幻想的な光景ではあるが、言っている内容が内容過ぎて見とれる暇すらなかった。ストレイは神父服なのでパンツが見える可能性はなかったが、ティオはスカートである。しかもミニ。その映像が誰にどう共有されているかわからないこの状況で見せ続けるのはリスキーだった。とはいえさすがにそれをオーバルカメラに収めて売りさばくような変態はいないだろうが。

「……レンさん。その表現はちょっと……って眼、ですか?」

 困惑したようにティオがそう返せば、レンはくすくすと笑った。おそらくこのヒントだけでティオは真実に近づくと分かっている。だからこそレンはそれを口に出したのだ。ティオが思考を巡らせているのを見て取り、レンは満足そうに微笑む。ついでにロイドの顔を見てみれば、首をかしげていた。どうやら彼には情報が足りなさ過ぎたらしい。

 レンは一緒に降り立っていたロイドの懐に滑り込んでささやいた。

「ロイドお兄さんはやっぱり気づかなかったのね。流石鈍感弟貴族」

「はあ……?」

 疑問を顔に浮かべて見せてもレンはロイドにその言葉の意味を伝えることはしなかった。伝えたところで理解してもらえないと思ったのだ。信じる者は己の観た者だけ。そして、この件についてすべてを説明したところでロイドは理解しない。おそらく誰も理解できないだろう。レンも理解はしていないし、納得もしていない。ただ、彼女がそう望むからそれを尊重しているだけの話だ。

 誰が信じるだろうか。対外的には天真爛漫で無垢な少女がこれだけのことを引き起こしたなどと。誰が信じるだろうか。その運命を別の人物に押し付けようと画策したことなど。そして、その運命を押し付けようとした相手を必要なくなったからと処分したことなど、誰が信じてくれるというのだろうか。もちろん誰も信じはしない。ただの妄想だと一蹴されるのが関の山だ。当事者同士にしかわからないものがそこにはある。

 レンはそれを説明する代わりにストレイに向けて報告を始める。

「帝国の方は万事オッケーよ、ストレイ卿。《鉄血宰相》も消えたし、《帝国解放戦線》も焚きつけたわ。しばらくこっちに手出しする余裕なんてないでしょうね」

 微笑みながら報告しているが、内容は笑えない。できれば消してきてほしいとは頼んだが、彼女の口ぶりではおそらく《鉄血宰相》は死んでいる。そして、《帝国解放戦線》も大暴れし始めるだろう。報告の限りでは《鉄血宰相》の暴虐に耐えかねて結成された組織であるからにして、彼の影響を完全に払しょくするために勝手に《鉄血の子供たち》を殺して回ってくれるだろうから。

 彼女はいまだあずかり知らぬことながら、その予想は当たっている。《Ⅶ組》から完全に離脱したクロウ・アームブラストを中心にしてすでに動き始めているのだ。《氷の乙女》をはじめとして帝国国内の《鉄血宰相》の息のかかった場所はほとんど破滅させられていた。なお、情状酌量の余地があるとしてミリアム・オライオンは見逃されている。いまだ発見されていないのはおそらくクロスベルに潜伏している《かかし男》や誰かにかくまわれているとおぼしき《黒兎》くらいである。

 ストレイはレンの頭をなでながら返答した。

「よくやった、レン。とりあえずこのまま合流――」

「するけど、もう一人入れてほしいのよね。戦力的には最高峰だもの。ちょっとリスキーだけど……説得の段階で間違えなければ間違いなく力になってくれるわよ」

 そういってその人物がいる場所をストレイに伝えた。古戦場前の私有地。そこにある倉庫の中に潜伏している人物がいる、と。そしてストレイにはそれが一体誰であるのか想像がついていた。だからこそ思うのだ。今ではなく、一度レンを回収してねぎらってからにしたいと。間違いなくその人物はストレイに襲い掛かってくるだろうからだ。

 しかし、その心配の必要はないようだった。既に手遅れだったからだ。そこにもう一人いる。それを察知したストレイは微妙に顔を引きつらせ、レンの目を見る。すると、彼女も気づいたのか肩をすくめた。

 とはいえここで時間をつぶすのは得策ではない。ストレイはレンに声をかけた。

「……まあ、とりあえずは《メルカバ》に戻るぞ」

 レンはその意図に気付いていた。ここで派手にやらかすよりも、機密を守りやすい《メルカバ》の中でやりあう方が後々面倒ではないからだ。どうせいつかは襲撃されるというのならば、そのタイミングはこちらで選べる方が望ましい。そして、いずれ来る戦いのためにも彼女をこちら側に引き込むことに、もはやためらいはなかった。

 だからこそその意思に同意する。

「……そうね。一回休憩しておいた方がいいものね」

 二人の様子が一変したのを見てティオとロイドはいぶかしげな顔をしたものの、それでもそれに従うことにした。なんだかんだ言ってティオはともかくロイドはその言葉に従うことが最善だと本能が悟っているのである。何がその正しさを証明しているのかがわからないまま、ロイドは《メルカバ》のメインルームまで戻り――そして、ようやく一人多いことに気付いたのであった。


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