雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧232話のリメイクです。


~胎動・猛獣たちの謝肉祭~
蠢動


 クロスベル独立宣言から約一か月後。住民投票による宣言の後押しまであと十日ほどとなったある日のことだ。珍しくその日はアルシェムが端末を触って支援要請を確認していた。偽ブランド商の追跡、不審人物の調査。手配魔獣と、グルメレポートの依頼。相も変わらず個性的な中にしれっと手配魔獣を混ぜて来るあたり、まだまだ遊撃士協会も忙しいのだろう。ついでに呼び出しも掛けてくるあたり、昼までにどうしても仕事を終わらせる必要がありそうだ。

 それらを勘案した結果、本日の支援要請はノエルとレンで偽ブランド商の追跡を、人数が必要そうな不審人物の調査にロイドとエリィ、そしてティオを、手配魔獣をアルシェムとランディに割り振ることになった。それらが終わり次第、昼食がてらグルメレポートを書く、という流れである。誰もその割振りに異論を唱えることなく、各々が支援要請へと向かった。

 このパターンで導力車を使うのはロイド達だ。運転はロイドがする。基本的に運転手はノエルなのだが、偽ブランド商の追跡に導力車は必要ないのである。ならばエリィかティオとノエルを入れ替えれば良い話なのだが、どちらと変えるにせよ問題しかなかった。エリィとレンは折り合いがあまりよろしくなく、ティオとレンの組み合わせで行くとどちらも幼く見えてしまい、捜査官扱いされない可能性があるのだ。よってやむなくロイドが導力車を運転することになったのである。

 そんな事情とは知らず、アルシェムはランディと共に手配魔獣の支援要請のあった旧鉱山へと向かっていた。

「……にしても、立ち入り禁止にしてんのに何で支援要請が生えて来るんだか」

「遊撃士協会から回って来たんなら、その時に狩っててくれりゃあ良い話だからな……」

 そんなぼやきを漏らしつつも、その行程は呑気な会話につり合わないほどにハードである。ザイルを使って行程を短縮し、道中の危険そうな魔獣だけを処分していく様は皮肉にも猟兵によく似ていた。一撃、あるいは二撃で処分されていく魔獣たちを後目に、二人は旧鉱山を探索していく。そして手配魔獣と同じ特徴を持った魔獣を発見するや否や瞬殺し、クロスベル市内行きのバスに間に合うように昼食を取った。

 息を吐くように自然に手配魔獣を処分した彼女らは、故にどんなグロテスクな光景を見ても食欲に変わりはない。元々小食なアルシェムは微妙に食べられる量ではなかったのでその時点ではパスし、ランディだけが《赤レンガ亭》でステーキを賞味。ギリギリの時間になりつつもレポートを書きあげたランディはアルシェムと共にバスに乗ってクロスベル市内へと帰還した。

 その時点で十二時半だったのだから、アルシェムの食事が犠牲になりそうになるのは致し方ないことだろう。ただしそれを見逃すランディでもなかったので《モルジュ》でしっとりカツサンドを食べさせられてしまったのだが。遊撃士協会に向かいがてらレポートを書くアルシェムの顔色はあまりよろしくなく、また実際に本人は胃もたれを感じていたらしい。

 そうやって辿り着いた時には十二時四十五分。ただ、他のメンツはまだ辿り着いていなかったのでそこでランディが暴走した。

「……ちょっくらラーメン喰ってくる」

「えっ、まだ食べんの!?」

「時間前には戻ってくるから問題ないぜ。じゃ!」

 颯爽と去って行き、宣言通り彼は五分前に戻ってきた。どれだけ強靭な胃袋なんだろう、とアルシェムが現実逃避気味に思ったのも無理はない。そこでロイド達も合流して遊撃士協会の中へと入った。顔を見せるだけで二階に上がるよう促されたので、重要な話らしい。アルシェムはそう判断した。もっとも――一体何が起きているのかを知らないわけではなかったのだが。

 その異変――出現した『幻獣』について聞いたアルシェムは、眉を顰めながら零した。

「この一般市民も通る街道を《異界化》させて『幻獣』? ハッ……やらかした奴は正気じゃないね」

「へえ、アルシェムはこれを誰かの仕業だと思っているのかい?」

 そのぼやきに遊撃士リンが反応した。アルシェムの言葉は、どう聞いても『誰かが仕組んでそうした』ようにしか聞こえなかったのである。リンの言葉に遊撃士達もロイド達もアルシェムの反応を注視する。それほどまでに重要な情報だったのである。もしもこれをクロスベル市内で出来る人間が存在するというのなら、それはかなり危険なテロリストだということになるのだから。

 それに対してアルシェムはこう返した。

「人為的じゃなかったらこんな唐突に『上位三属性アーツの方が効く魔獣』が湧くわけがない。人為的でなかったにしても、何かしらのアーティファクトの仕業にしては範囲が広すぎる」

「でも、テロを起こすとかだったら住宅地にやらないか?」

「発想が物騒だけどロイド、それで一体誰が得するわけ?」

 その問いに、ロイドは答えに窮した。確かに誰も得をすることはない。破壊活動だけを目的にする愉快犯的テロリストならば可能性はないわけではないが、今この状況のクロスベルでそれをやるのがどれほど危険なことなのか分かっていないはずがない。下手をすれば戦争が起き、自身を巻き込んだまま全てが破滅する可能性があるのだから。本物の狂人でもない限り、そんなリスキーなことはしないだろう。

 ただ、それを言えば街道に出現させる理由も分からない。故にロイドは問うた。

「じゃあ逆に聞くけど、街道に『幻獣』を出現させる意味はあるのか?」

「実験、という意味なら最適だろうね。何せ放っておけば遊撃士とかわたし達とかが狩ってくれる。どれほど手こずるかを見てから実戦に投入――なんて可能性もないわけじゃないと思うけど?」

 その言葉に眉を寄せた人物がいた。その仮定が正しいとして、《特務支援課》や遊撃士達が邪魔になる組織はいくらでもあるのだ。その力を削ぐためには何でもやる連中だって少なからずいるはずだ。そういう人物たちが怪しげな力に手を出していても、何らおかしなことではない。過日の《D∴G教団》のように、治安維持組織がうまく機能しないことを願う連中がいないわけではないのだから。

 ただ、そこまで一気に考えられていないロイドはアルシェムに問おうとする。

「その『実戦』って……」

「……ねえロイド。今の状況を忘れたわけじゃないでしょう。クロスベルが邪魔になる組織なんていくらでもあるもの。……そのうちの一つが過激すぎて、クロスベルの人たちを殲滅してそっくりそのまま乗っ取ろうだなんて考えている国があっても、私は驚かないわ」

 ロイドの言葉を遮り、そう返答したのはエリィだった。その言葉にその場にいた人物たちは凍りつく。確かに有り得ない話ではないのだが、それでもそれを最悪の場合だと考えてしまいたくないのである。普通に自然発生――もっとも、《異界化》事態が自然発生して良いものではない――したものであればどれほど良いだろうか。ただ、その可能性に気付いてしまった以上は動かなくてはならない。それも、可及的速やかに。

 シズクが目の手術を受けるため、この討伐には参加できないアリオスを敢えて『隠し玉』という形にして、遊撃士達と特務支援課、そして自警団は動き始めなければならなかった。五か所に出現している幻獣を一気に叩いた方が良いと思われる現状に対し、協議の結果人員のバランスを考えての混成チームが結成される。戦力の分散という意味では危険だが、放置するよりは即座に狩った方が良いとみてのことだ。

 Aチームにはロイドとエリィ、そしてスコットとヴェンツェル。Bチームにはランディとワジ達旧《テスタメンツ》。Cチームにはリンとアガット、エオリア、そして協力員としてティータ。Dチームにはヴァルド達旧《サーベルバイパー》とノエル。そしてEチームにはアルシェムとレン、そしてティオが当てられた。警備隊からも協力員が派遣されてきており、その人物はDチームに配属されることになる。

 そして、それぞれが指定された場所の幻獣を倒しに向かった。無論のことながらアルシェム達も現場に向かう。明らかに人数的な差があるようだが、それでもどのチームにも古代種の手配魔獣でも狩れる程度の戦力が当てられている。もっとも、Eチームに関してはそう言う意味では過剰戦力なのだろうが。ウルスラ間道に出現している幻獣を見て、アルシェムは現実逃避気味にそう思った。

 巨大な幻獣を目の前にして、ティオは周囲の解析を始める。案の定上位三属性が働いている状態――《異界化》していることを知り、即座に三人は動き始めた。

「本当に解析だけでいいんですか?」

 レンから指示されたティオはそう問い返す。ティオに与えられた役目はその場の観測だ。ただそれだけで、レンは観測に徹して貰うためにティオには戦闘に関しては巻き込まないことを決めていた。今この場で何が起きているのかを正確に把握する必要があるのだ。この異変が一体何を意味するのかを、レンは絶対に知らなければならないのだから。

 故にレンは余裕を持った表情でティオにこう返答した。

「構わないわよ、ティオ。だってこの程度なんでしょ? ……レーヴェとヨシュアを同時に相手取るよりは楽ね。だって大きいだけだもの。こんなの――レンの敵じゃないわ」

 そう言って大鎌を振るうレン。確かにその一撃は幻獣にダメージを与えている。これが一切ダメージが入らないというのならばまた考えなくてはならないが、攻撃が効くのならば、どれほどの犠牲を払おうが倒せる相手なのだ。その思考に突っ込みを入れる人物はここにはいないのでその危うさに気付く者もまたいないのだが。レンはたった一人で前衛を支え、アルシェムには後衛で援護を頼んでいた。

 その理由は、最初にティオが解析した結果にもあった。

「……確かに、数値化すれば幻属性のアーツが一番効きますね。こんなの普通にはありえないのに……」

「あら、《影の国》ではこれが普通だったでしょう?」

「それは、そうなんですけど……」

 困惑した様子のティオは、そもそもの《異界化》について疑問を覚え始めていた。一体『異界』とは何であるのかと。一体どこにその『異界』があるのかと。あの時、この現象に名を付けたのは警察本部だ。ただ、適切な言葉を探しているうちに七耀教会から届けられた言葉だったらしい、というのは聞かされている。それは文字通り『異なる世界』なのかそれとももっと別の『異界』であるのか、それをティオは考え始めてしまったのだ。

 確かに、《空の女神》がそう定めたから、と思考を逃避させるのは簡単なことだ。ただ、それだけでは説明がつかないような気もするのである。たとえばそれが『自身がいる世界とは異なる世界』であれば、ここにはもう一つ世界が重なっていることになる。何かを鍵として、ここに重なっている異なる世界が露出しているのだとすれば。

 その、異端の思考をティオは口に出してしまっていた。

「じゃあ、《異界化》っていうのはもしかして――《空の女神》の、世界?」

「それ以上考えない方が良いよティオ。それを確かめる術は確かにあるけど、それを求めた時点で元には戻れなくなる」

 恐ろしいほどに淡々としたアルシェムの言葉は、思っていたよりも近くで聞こえた。それはまるで何かからティオを守るかのような位置で、彼女はようやく今幻獣と戦っているところだったことを思い出した。ティオはそれを考えるあまり、今の状態を把握することをすべて放棄してしまっていたのである。気付けば目の前にいたはずの巨大な幻獣は消えており、そこに碧い草だけが残されていた。

 その見覚えのある色にティオは眉を顰める。

「この色は……」

「思いっきり怪しいでしょ、これ。原因がコレなのは確定として、むしりとる必要があるわけなんだけど……って素手で行っちゃう?」

 アルシェムの躊躇う様子に、ティオはその草を手づかみでむしり取った。引っこ抜ける直前に微妙に光が強まった気もするのだが、抜けた瞬間にそれも収まったので恐らく気のせいだったのだろう。ティオはそう判断してそれを懐にしまい込んだ。その頃には既に光は消え、ただの猫じゃらしのような物体に成り下がっていたのだが、それをティオが気にすることはなかった。

 そのままティオはロイド達に連絡を取った。この草をどうするのか、また別の場所でも存在したのかどうかを知るためだ。その結果として、全ての場所でこの草が確認されたそうだ。協議の結果、その草は警察本部と遊撃士協会に二つ、クロスベル大聖堂に一つ、そしてサンプル用に聖ウルスラ医大に二つ振り分けることになった。アルシェム達は、位置的にも近いので新鮮なうちに聖ウルスラ医大のセイランド教授にその草の解析を依頼しに向かうことになる。

 そして、辿り着いて帰ろうとした矢先にティオが思い出したように呟いた。

「そう言えばシズクちゃん、午前で手術終わったらしいですよ」

「……ああ、アリオス・マクレインの娘ね。気になるなら見舞って帰る? ティオ」

「ええ。キーアにも結果を教えてあげたいですし」

 そう言ってティオはシズクの病室へと足を運んだ。アルシェムは見舞いに行く必要もなかったので病室を覚えてはいなかったのだが、それを悟らせないようにティオについて行く。そして見たのは――『眼が見えるようになった』とは到底言い難いシズク・マクレインの姿だった。目は確かに開いている。しかし、その焦点はあらぬところに合わされており、はっきりと何かを視認できるような状態ではなかったのだ。

 その状態をきちんと把握しているアリオスとシズクは、どう見ても無理をしている。それを敏感に感じ取れてしまうアルシェム達は、故に彼らに対してフォローする必要性を感じた。このまま放置すれば思い詰めて何をしでかすか分からない、というのもあるが、単純に見ていられなかったのだ。だからこそ三人で目配せをし合うと、ティオを病室に残してアルシェムとレンはアリオスを街道に引きずり出した。

 すると、アリオスは憮然とした様子で問う。

「……もう少しシズクの傍にいてやりたかったのだが?」

「その憔悴した状態で? シズク嬢にはそれも察知されてたのに?」

「……それは……」

 アリオスは途方に暮れたような表情をした。もちろんそれはかなり珍しいことで。だからこそ、アルシェム達が付け入る隙もあるのだ。彼を『こちら側』に引き込むのは不可能だと知っていてもなお、アルシェム達はここでアリオスに恩を売っておくべきなのだ。それは勿論シズクを治療することではなく、思いつめたままのこの男の思考を多少正の方向に誘導することだ。

 そして、その方法は――

 

「だからさ、模擬戦しよう」

 

 アルシェムのその脳みそが筋肉でできているような思考に、アリオスは目を細めた。それを馬鹿げていると笑い飛ばせるほどの余裕が今の彼にはないのだ。本来であればこの程度追い詰められたところで切り抜けられるのだが、他ならぬただ一人の愛娘のことが気がかり過ぎて上手い返答が見つからなかった。戦ったからといってシズクが治るわけではないのだから。

 故にアリオスは淡々と返答する。

「生憎だが、今俺にそんな余裕は――」

「ないからこそ、だよ。余裕がないのをシズク嬢に察知されたまま、彼女を追い詰めてどうするの? 取り返しがつかなくなる前にあんた自身がガス抜きしとくべきだと思わない?」

 取り返しがつかなくなる、と言ったところでアリオスが微妙に表情を変えたのを、レンもアルシェムも見逃さなかった。その可能性に考えが至っていなかったというわけではない。ただ、それを考えることすらしたくなかったのだ。『シズク・マクレインの目が完全に見えるようになるためには『奇蹟』にすがるしかない』と聞かされている彼には。その前にシズクが思い詰めて自殺する、などということになるのは流石の彼とて怖い。

 アリオスとて迷ったのだ。『奇蹟』に縋らなくてもどうにかできるように、今回はミラに糸目をつけずに手術させた。最高の設備と最高の医師をそろえ、シズクを納得させて手術に挑んだのだ。これで見えるようになれば『奇蹟』になど縋るつもりはなかった。それがどうだ。手術の結果、シズクの目は完全に見えるようにはならなかった。そして、この先も見えるようになる保証は出来ないと言われた。

 

 ならば、『奇蹟』に頼るしかシズクの目が見えるようになる方法はないではないか。

 

 その『奇蹟』に付随する事柄からくる恐怖を振り払うために何が出来るか、とアリオスは改めて考えた。恐らくいつものように過ごすだけではその思考から逃げることは出来ないだろう。ならば、彼女らの言うように模擬戦をすればどうなるか。少なくとも、力量が同じ程度かそれ以上であればそんな恐怖を考えている暇もないだろう。一種の現実逃避ではあるが、確かに有効な手段ではあった。

 故にアリオスは軽く溜息を吐いてこう返答する。

「……それは、そうだな。悪いがお願いするとしよう。――本気で来なければ、叩きのめすかもしれんがな」

「いやー、それはこっちのセリフだと思うんだ。全てを出しきるつもりできてくんないと、やる意味ないし――それに、迷いを抱えたままの今のあんた如きでわたしを超えられるとでも?」

 お互いに喧嘩を売り合い、すっかりその気になったところで二人はおもむろに剣を抜いた。そして対峙し合う。それを見てレンは下手に介入する必要もないと判断した。あの程度ならば、レオンハルトと互角に戦えるアルシェムの敵ではないのだ。少なくとも今のアリオスは迷いと恐怖で剣先が鈍っている。そこに付け入れば、いくらでも殺す隙など見付かるだろう。

 

 もっとも、今死なれても面倒なことになるのは分かっているのでそんなことはしないが。

 

 そして――日が暮れて、最終のバスが出るころまで。アルシェムとアリオスは思う存分剣を振るったのだった。街道はなかなかに酷い様相を呈していたが、それも気にならないくらいにアリオスは充実して疲れ切り、眠りについたのだった。

 


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