雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

161 / 192
 旧231話半ば~231話終わりまでのリメイクです。


銀色に輝く月の下で

 深夜。誰もが寝静まっているはずの、その時間に。起きているものがいた。一人は昼間から悶々としていたリーシャ・マオ。そして同じ部屋でそれを察していたアルシェムである。その他の部屋でもちらほらと起きている人物たちがいないではないが、ほとんどが疲れ切って眠りについていた。久々の休暇を満喫したらしいその姿は微笑ましくすらある。もっとも、休暇の楽しみ方は人それぞれであり、楽しめなかった者もいたのだが。

 誰もが寝ていると、分かっているからだろうか。リーシャがいつもとは違う行動を起こすことに躊躇いはなかった。窓の外には静かに輝く月。それは確かにリーシャの背を押してくれていた。誰も聞いていないから、聞けることがある。マリアベルから誘いを受けた時に頼み込んでまで同室にして貰ったのだ。それを聞くタイミングは今しかない。そう、思った。

 そう思ったのに――彼女は、いつの間にか消えていた。

「え……っ、今しか、ないのに……!」

 その焦燥が、『リーシャ・マオ』では出来ないことをさせる。軽く目を閉じて気配を探り、そこにいるはずのない人間の気配がすることを察知した。その場所はホテルの屋上だ。そこに、誰かがいる。部屋を出て行った時のように気配を消しているわけでもなく、どうやらぼんやりとしているようだ。それなら、もしかすると話してくれるかもしれない。

 その期待を胸に、リーシャは屋上へと上がった。歓楽街では見えない星に、息をのみそうになる。それでも目的は星空を見上げることではなく、月下の女に話しかけることだ。彼女もリーシャが来たことには気付いているのだろうが、それでも体は弛緩させたままだった。どうやら逃げる気はないらしい。リーシャはゆっくりと彼女――アルシェムに近づいた。

 すると、彼女は起き上がってリーシャを視認した。

「どったの、リーシャさん。こんなところで」

「……それはこっちのセリフです。起きたらアルシェムさんがいなくて吃驚したんですからね?」

 出来得る限りいつも通り、をリーシャは心がけたはずだった。しかし、アルシェムはそうは取らなかったようで、いつもの様子とは違う行動を起こす。いつもならばリーシャからは絶妙に視線を逸らしてくるのだ。ただ、今はリーシャを静かに見つめていた。その顔が、リーシャにはやはり『エル』とかぶって見えて仕方がない。彼女は半ば確信していることであるが、『アルシェム』はかつて『エル』だったのだから当然だ。

 その光景に、リーシャは思わず声を漏らす。

「……やっぱり、エル……」

 それをアルシェムは聞こえなかったことにした。今ここで認めたところで彼女が傷つくだけなのだから。『エル』は――『アルシェム・シエル=デミウルゴス』は死ぬ。だからこそ、ここでそれを明かしてしまうことは出来ない。たとえ彼女のことも『家族』だと思っていたのだとしても、否――思っているからこそ。いずれ死ぬ自身を『エル』だと認めるわけにはいかなかった。

 だからこそ、視線の代わりに話を逸らした。

「月が綺麗だね」

 それだけのはずだったのだが、リーシャは過剰に反応した。

「ブハッ、げっほ、ごほっ……な、ななな何を言ってるんですか!?」

「……うん、落ち着いて。何、どういう意味があんの東方では」

 アルシェムは知っていて問う。というよりも言ってから思い出したのだ。ここにいるのが別の男でなくて本当に良かったと思っている。流石に隠喩表現で『愛している』だなどと男に言う趣味はないのだ。女には言ってしまったが、うっかりしていなければ言うつもりもなかった。ただ、頭上の月が綺麗なのは事実だ。それを隠喩表現なしに伝える方法など、アルシェムには思いつかない。

 ただ、リーシャは真面目に返答してくれた。

「その……東方の国の一つで、愛の言葉を告げる外国語を直訳するのを良しとしない国がありまして……それで、『そこは月が綺麗だとでもしておきなさい』という逸話があるんです」

「別に花が綺麗だでも空が綺麗だでも何でも良いんだけど……うん、迂闊だった、ゴメン」

 そこで沈黙が流れる。それは居心地の悪いものでもなく、ただ二人は空を見上げた。燦然と輝く月。役柄として《月の姫》を演じたリーシャには、本当に月が似合った。そしてリーシャも、アルシェムを見て『月が似合う』と思った。表舞台に立ちたがらない、不思議な女。本来であれば《特務支援課》の中でも屈指の実力者であるというのに、華々しく活躍するロイド達の陰に隠れてほとんど誰からもそう認識されていない。

 だから、問うてみようと思った。

「アルシェムさんは……月は、お好きですか?」

「嫌いじゃないよ。太陽よりは好きかな。……何より、昔のあの子みたいだから」

 その予想外の答えは、リーシャに動悸を引き起こさせた。昔のリーシャも――今もだが――よく、言われていたのだ。『月のようになれ』と。狂気を孕み、誰かの望みを叶え、その結果で世の中を照らす、そんな月のようになれと。うぬぼれるわけではないが、今この状況でアルシェムの口からその言葉が出たことに、らしくもなく期待してしまっていた。

 だが、その期待は裏切られた。

「……レンのことだよ。昔はずーっと、ああやって誰かから望まれたことを写し取ってた。そんなことをしたって本当に認められるってわけじゃないのにね」

「……レンさん、ですか……」

「ああ、もちろん今は違うよ? あの子は自分の足で歩き始めた。だから、あの子は今は月じゃなくて星なんだよ。誰から見えなくても、自分のために輝いてるんだから。そう言う意味ではリーシャさんも星なんじゃないかな、なんつってね。いきなり何言ってんだか……こりゃ月の魔力にでも当てられたかな」

 そう言って唐突に顔を赤らめ、リーシャから視線をそらしてしまう。それでもリーシャはその言葉に込められた意味を把握した。リーシャも、自分の意志で歩いているのだと。そう言ってくれたのだと。だが、それは否定しなくてはならない。家業を継ぎ、ここまで血塗られた道を歩いてきた。誰かから命じられるままに暗殺を繰り返してきた。そんな自分が、どうして自分の足で歩いていると言えようか。

 だから、思わず零してしまった。

「私は……月、ですよ。だって、だって、私……私は……」

 その動揺に、アルシェムは言葉を重ねた。

「《アルカンシェル》で踊ってるのは誰かから言われたから?」

「それは……イリアさんに、誘われて……」

「誘いを受けたのも、そのまま続けるって決めたのはリーシャさんでしょ。なら、きっかけはどうあれ自分の足で歩いてる。だから……そんなに、卑下しなくても良いんだよ」

 息をのみ、リーシャはアルシェムを見た。そこに浮かんでいるのは良く見る自分の表情と同じだった。それは恐らく、自虐の表情で。表の世界で活躍している彼女がそんな顔をする理由が全く分からなくてリーシャは混乱した。彼女は人殺しの自分よりももっと明るい道を歩んでいるはずで、だからこそそこで自虐する必要などないはずなのだ。

 だから、告げた。

「そんな……そんな顔して、言われても……アルシェムさんだって、自分の足で歩いているでしょう?」

「はっは、残念。わたしは一度も自分の足で歩いてないよ。歩くどころか、動くことすらできてない」

 月から目を逸らし、ある一点を睨みつけるようにしてアルシェムは呟いた。その視線の先には、ほの碧く光る小さな人影がある。つられてそれを見てしまったリーシャは、すわ物の怪の類かと身構える。しかし、その光は身構えた瞬間に消えた。気配すらもない。その有り得ない事態にリーシャは戦慄したように人影があったはずの場所を睨みつける。

 それに対し、アルシェムは《ENIGMAⅡ》を取り出していた。

「……何? こんな真夜中に……」

『アル、キーアを見てないか!? というか今どこにいるんだ!?』

 通話の相手はロイドだ。どうやら余程焦っているらしく、通信先の息の切れている様子まで分かる。アルシェムとしてはどうでも良いことなのだが、ロイドにとってはどうでも良いことではない。ロイドにとってキーアは守るべき少女であり、大切に慈しむべき被害者なのだから。故に焦り、少しでもキーアの情報を得るべくキーアを嫌っているアルシェムにも連絡をしてきたのだ。

 それに対してアルシェムは普通に返答した。

「あーゴメン、今ホテルの屋上で月見てた。で、あのクソガキ?」

『キーアだ! この緊急事態に何でそんな……!』

「喧しい耳元で怒鳴るな。そいつかどうかは分かんないけど、今さっき怪奇現象は見た。ミシュラム・ワンダーランド方面だよ」

 しかし、アルシェムの返答がロイドにはお気に召さなかったようだ。もういい、と叫んで通話を終わらせてしまったのだから。アルシェムは嘆息して《ENIGMAⅡ》をしまうと、リーシャを見た。そこには先ほどまでの自虐の感情も、リーシャと会話していた時の感傷めいた色も残ってはいない。どうやら完全に切り替えたようだ、とリーシャは感じた。

 アルシェムはリーシャに告げる。

「どうやらあのクソガキが行方不明みたいだから、ちょっと探してくる。ロイドにはさっきの怪奇現象について教えてやって。どーせわたしからじゃ信じて貰えないから」

「それは、構いませんけど……あの、何でそんなにキーアちゃんのことが嫌いなんですか?」

「……月はね、太陽がないと見えないからだよ」

 その答えを聞いたリーシャは、どういうことかと問おうとする。しかし、その時には既にアルシェムはそこにはいなかった。今度は怪奇現象でもなんでもない。ただ屋上から飛び降りただけの話だ。リーシャはそれに対して何も突っ込むことはなく、とにかく急いでアルシェムから言われたことを実行しようとホテルの屋上から屋内へと入って行った。

 それを気配で感じ取ったアルシェムは、音もなく着地してミシュラム・ワンダーランドへと急ぐ。そこにいるはずだからだ。無論キーアが、でもあるが、それだけでもない。もう一つ辛うじてアルシェムの探索に引っかかった気配が、そこで待ち受けている。それが分かったからこそ急いでいた。ロイド達にはまだ《道化師》の相手は荷が重い。

 だというのに、だ。異様な風景を醸し出している《道化師》の目的は《特務支援課》だったようで、殺気満々のアルシェムの前には姿を現すことはなかった。

「ちょっと、シエル。その気配ちょっと緩めてくれない? 小心者の僕としては怖いんだけど?」

「ならさっさとしっぽ巻いて帰れば良いじゃん」

「それが出来れば苦労しないんだよねえ」

 はあ、と溜息を吐くカンパネルラ。なお、声だけを出しているのでアルシェムは気配のある場所に向けて石ころを投げることしか出来ない。流石にキーアが何処にいるか分からない状況で発砲するわけにはいかないのである。そのある意味では滑稽な光景に、ロイド達が滑り込んでくるのである。どこからどう見てもシュールであった。

 臨戦態勢のままロイドはアルシェムに怒鳴る。

「アル!」

「うっさい聞こえてる。……ッチ、《特務支援課》も目的ってかUMA」

 言葉の途中で姿を現したカンパネルラにアルシェムは舌打ちをした。滅多にないその様子に、ロイド達はカンパネルラに対する警戒を高めようとして――出来なかった。どう見てもカンパネルラがただの少年にしか見えなかったのだ。アルシェムが警戒するほどの実力があるようにも、ましてやこの怪しい雰囲気のミシュラム・ワンダーランドにいて良い人間であるようにも見えなかった。

 その侮るような視線に気付いたのか、カンパネルラは口角を吊り上げる。そして、名乗った。

「ああ、まだ自己紹介をしてなかったけ、《特務支援課》の諸君。僕は《身喰らう蛇》の《執行者》No.0《道化師》カンパネルラ。以後お見知りおき願うよ」

「《結社》の……」

 ロイドが警戒を高めるのに対し、その脅威にあまり触れて来なかったノエルが声をあげた。

「ねえ、君、そんなところにいたら危ないよ。それに、そんな犯罪組織に君みたいな子がいるのって、変だよ……もしかして脅されてるの?」

 そのあまりの衝撃に、カンパネルラは吹き出して笑い始めた。その理由が分からなくてノエルは困惑する。彼女には何故彼が笑い始めたのか理解出来ないのだ。そして、何故いきなり自分が後ろに引きずられたのかも。バランスを崩したそのすぐわきを、薔薇の花が通り過ぎていく。それを視認した瞬間、その軌道とは逆向きに何かがカンパネルラに向けて飛んでいくのが見えた。

 それが彼をすり抜けてノエルの隣で止まる。どうやらそれは鎌だったようだ。ノエルを無理やり後ろに回し、最大限に警戒しながらレンが漏らす。

「……レン、ノエルお姉さんが馬鹿だと思ったの初めてだわ。まさかカンパネルラを煽るだなんてね」

「な、え……」

「良かったわね、レンがいて。ノエルお姉さん、死ぬところだったわよ」

 その言葉の意味がつかめなくてノエルは更に困惑する。今死ぬところだったと言われると、まるで先ほどの薔薇の花がノエルを殺しにかかってきていたみたいではないか。もっとも、それは事実でありあの薔薇には毒が塗ってあったのだが、それはノエルのあずかり知らぬところだ。その薔薇が何度投擲されても、ノエルにはその脅威が理解出来なかった。

 ノエルにとってはただの少年。だからこそ――

「なっ……!」

 彼とその周囲がいきなり燃え始めても彼の心配をしてしまうのだ。その炎はカンパネルラを舐めつくすようにしつこく纏わりつき、生き物のようにカンパネルラを喰らい尽くす。もっとも、その炎を操っている人間はカンパネルラがその程度で死ぬことなどないと知っているからこそやっている。カンパネルラに痛手を与えることすらできていないことも理解していた。

 その人物は、ゆっくりとロイド達の後ろから現れる。

「……逃がしたわね」

「今のは……貴女が?」

「ああ、流石に警察官の前で殺しなんてやらないわよ。この場からあの変人を退去させるにはあれが一番手っ取り早かっただけの話だから」

 そのあまりの言葉にロイドはその人物――ルシオラを警戒するが、彼は気づくべきだった。彼女がいなければ、カンパネルラは一筋縄ではいかなかった相手なのだと。今の炎が現実にあったものではないことすらもロイドには分かっていない。当然だろう。彼らは上位三属性の働く《異界化》には直面していても幻術をかけてくる相手とは相対したことがないのだから。

 その警戒を解くかのように、ルシオラの後ろからシェラザードが顔を覗かせてロイドに声をかけた。

「ルシオラ姐さんはちょっと過激にやりすぎなの。で、ロイド君だっけ。とっととあの先に行きなさい。あの変人が足止めしてた以上、あの先に何かあるのは確実なんだから」

「貴女は……さっきの酔っぱらいの」

「遊撃士よ。シェラザード・ハーヴェイ。さっきのカンパネルラとも戦ったことがあるから保証するわ。あんなのでアイツは死なないし、傷一つ負わないでしょうね。それをわかっててルシオラ姐さんはああしたのよ。暴行にも傷害罪にも問えないわ。分かったんならとっとと行きなさい」

 シェラザードの言葉に、ロイドは納得しないままに先に進むことにしたようだ。ランディやティオもそれに続き、アルシェムとレンだけがその場に残る。流石にこんな真夜中にわざわざキーアを探しに行くだけのメリットを感じなかったのである。それよりも、アルシェム達はシェラザードたちと会話する方を選んだ。その方がよほど有意義だと感じたからだ。

 そして――ロイド達とアルシェムとの間に確かなしこりを残して、今回の慰安旅行は終わりを告げた。

 

 ❖

 

 ――数年後。混乱を収め、全てが解決したエレボニアにて。

「あ、あの、シェラ君?」

「あによぅ」

「流石にペースが速くないかい……?」

 冷や汗を流すその男性はタキシードを身にまとっている。それと遂になるような純白のドレスに身を包んだシェラザード・ハーヴェイ――否。シェラサード・レンハイム・ライゼ・アルノールはお世辞にも上品とは言えないハイペースでワインを呑んでいた。隣にはやけに露出の高いメイド服を着たルシオラがいる。

「だあってぇ、今は何にも気にしないで呑めるんだもん。呑まなきゃ損よ、オリビエ。……ううん、ダーリン」

「はは……これは参ったねぇ」

「諦めなさい、放蕩皇子。シェラザードは昔からこうなんだから」

 ――そんな、幸せな欠片。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。