雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧216話半ば~終わりまでのリメイクです。


《アルタイル・ロッジ》・下

 ロイド達が突入した先に、アーネスト・ライズとハルトマンはいた。何故かハルトマンは打ち棄てられているようにも見えたが、アルシェムにとって彼は至極どうでも良い人物だ。しいて言うならば死んでくれた方が精神衛生上良いというだけで、それ以外の興味を抱くことは一切できない。そんな興味を抱くほどの勝ちをハルトマンに見いだせないからだ。

 かつてハルトマンはアルシェムを犯し、レンを犯し、数多の少女達と自分の良心を食い物にして政治家として成功者の道を駆け上がったのだから。他のクロスベルで私腹を肥やした議員たちと同じように。否、それ以上に――思い通りに市民を操れるようになることを期待して、《D∴G教団》にミラを落とし続けていたのだから。弁護することすら不可能だ。

 ハルトマンを見、次いでアーネストを見たロイドは彼らに声をかけた。

「そこまでだ、アーネスト・ライズ!」

「……おや、もう追いついて来たのかね。全く……素早いというか執念深いというか」

 呆れたようにアーネストはそう返すが、残念ながらアーネストが他人のことを言えるはずがないのである。エリィに執着し続けたのはアーネストも同じことだ。エリィ・マクダエルという容姿も血筋も確かな血統書付きの美しい女性を、我がものにしたいがために動いた時期もあった彼には。だが、彼はそれを棚に上げているようである。

 アルシェムはそこで口を挟んだ。

「アーネスト・ライズ……懐に持っている《グノーシス》を置き、手を頭の上で組め。……ああ、そこのクズ野郎は別に構わん。死にたくなくばそこで黙って座っていろ」

 冷たく言い捨てるアルシェムにハルトマンは震えあがった。かつてその銀色の髪は見たことがある。その、後ろで束ねられた長い銀色の髪は。あの少女と同じ色だ。自分が酷く扱い、犯し、おもちゃのように使い捨てたあの少女と。他の少女と違ったのは、長く正気を保っていたからしばらく相手をさせ続けたことくらいか。あの髪に幾度となく欲望をぶちまけたハルトマンは、今でもそれと同じ色の銀髪の女性は苦手だ。いつかひどく詰られる気がして。

 そうとは知らず、ロイドがアルシェムに苦言を呈した。

「ストレイ卿、流石にクズ野郎は……」

「構わんだろう? 《楽園》で幼女を犯していたようなペドフィリアにはクズ野郎どころかクズでももったいない」

 その発言にロイド達の視線が厳しくなるのをハルトマンは見て取り、震えた。その程度で震えるくらいならばそんなことをしなければ良いだけの話なのだが、権力を持てば人が変わるのは当然のことだ。権力者の嗜みと言われてしまえば当時新参者だったハルトマンに断るすべはなく、快楽を覚えてしまえばそれに溺れてしまうのは必然ともいえた。

 舌の上でとろけるような甘い酒と、顔の整った少女達。それが自分の思い通りになることを知ってしまってからは、溺れることしか出来なかった。人間は快楽に逆らえないようにできている。たとえ逆らえたのだとしても、いつかどこかで歪みから崩壊してしまう。それを知っていたからこそ、ハルトマンは逆らわなかった。逆らうだけの精神的余裕もなかった。

 そこでアルシェムはハルトマンから目を離し、アーネストに向けて告げる。

「さて、アーネスト・ライズ。警告には従っていないようだが……貴様にはまだ選べる道がある。このまま投降するか、わたし達に斃されるかだ。戦う方を選ぶのは正直に言ってお勧めしないぞ?」

 一応は警告の体を取っているその言葉に、アーネストは嗤うことしか出来ない。何故なら、《グノーシス》を持つアーネストが負けるはずがないからだ。これさえあればアーネストに出来ないことは何もなかった。そう、これまでも、これからも――だからこそ、アルシェムの言葉に従うことなど有り得ないのである。負けるはずがないのだから。

 故に余裕をかましてこう答えられる。

「おや、選択肢が足りないようだね? 君達を排除し、ハルトマン議長の権力を盾に返り咲くという選択肢はないのかな?」

「ないな。最早クロスベル議会にそのクズの席はない。あったのだとしても、周囲が必ず認めないだろう」

 徐々に高まって行く戦意。それを感じ、ノエルはサブマシンガンを握る手に力を込める。ロイドもトンファーを握り直し、アーネストへと集中した。その中でアルシェムだけが法剣を構えていない。まだ告げておくべきことがあるからだ。それは、全ての法律よりも優先されるもの。この大陸において唯一絶対の司法権を持ち、宗教で皆を縛る一員としての言葉だ。

 その言葉を、アルシェムはアーネストに告げた。

「それに、だ。一応告げておくが、貴様がその懐に隠し持っている《グノーシス》を呑めばもはや戻れん。こちらとしても外法として処理するしかなくなるからな。――呑んでくれるなよ? さもなくば必ず貴様を仕留めて帰らねばならん」

 それを、アーネストは警告として受け取ることはなかった。何故なら、そう言わなければ勝てないと思っている、ととらえてしまったからだ。故にアーネストは躊躇わない。むしろ、戻れなくなることなど百も承知だった。戻れなくてもアーネストにとっては支障はないのだから。もっとも、人外の姿になることも理解しているのにその姿のまま権力の座に返り咲けると思っているあたりがもう救えない。

 口角を上げ、アーネストは嗤う。

「それは、負け惜しみと取って良いのかな?」

「……そう思いたいのならそう思えば良いが、死にたいのだな?」

「偉大なるあの方と繋がれるのに、何を躊躇うことがあるのか教えてほしい、ねッ!」

 アーネストは懐から《グノーシス》を取り出し、一気に呷った。アルシェムもそれを止めることはなかった。別に『一度裏切ったクロスベル市民』など守るに値しないからだ。政治的に守れと頼まれれば守ってやるくらいのことはするかもしれないが、肉体的に救うことも精神的に救うこともアルシェムが実行する気はなかった。既に『クロスベルに仇なしている』のだから。

 《グノーシス》を呷ったアーネストは異形と化していく。それを見てアルシェムは呟いた。

「だから言ったのに……」

 大きく溜息を吐き、脱力したように見えるアルシェムにロイドが慌てた。あの姿の魔人はかなり強力な部類に入ることを知っているからだ。そのことをアルシェムが知らないはずはないのだろうが、敢えて今ここで脱力する必要などないだろう。あるいは、敢えて隙を見せて誘っているのかとも思えないこともなかったが、それにしては力が抜けすぎているように見えるため危険だ。

ロイドはそう思って警告を口にした。

「す、ストレイ卿、来ます!」

「ああ、来るな。だから何だというのだロイド・バニングス」

 ひゅん、と風切り音がした。《星杯騎士》達のうち、法剣を専攻しているものならば必ず習得するクラフト『インフィニティ』を自力で再現したアルシェムの攻撃が盾となり、襲撃してきていたその腕に無残な傷が刻まれていく。ミンチとまではいかないが、粗挽き状態である。そのあまりにグロテスクな光景に、ロイド達は顔をしかめた。

 そしてノエルがたまらず声を上げる。

「ストレイ卿!」

「今更手加減しても彼は救えん。ならば一切の容赦も慈悲もなく殺してやるべきだろう」

 そう冷たく言い捨てるアルシェムに、見捨てられたアーネストが声をあげた。

『本当ニ殺セルト思ウノカネ? コノ無限ノ――力ガ、繋ガラナイ!?』

 途中まで余裕を保っていたアーネストの声が変化したのは、繋がらなかったからだ。何に、と問われると困るが、かつてヨアヒム・ギュンターがつながってしまったモノだ。それにアーネストが繋がれなかったのは、ひとえにアルシェムが邪魔をしたことが大きい。力の源は同じなのだから、邪魔できないなんてことは有り得ないのだ。

 混乱するアーネストは唯一この場で繋がってしまっているアルシェムに詰め寄る。

『何故! 何故ダ! 何故アノ方デハナク――』

「何故かと、貴様に問われてもな」

『貴様、貴様ガ――貴様ハ――貴女様ハ――何、デスカ』

 何、と問われてアルシェムは失笑するしかなかった。そんなことは自分だって知りたかったからだ。何のために生まれて、何のために殺されるのかはっきりと理解している人間など最早奴隷だ。それを人間とは呼ばない。だからこそアルシェムは人間に成るために足掻いているのだから。このクソッタレな現実を、自分の意志で塗り替えるために。

 もう一人の《星杯騎士》がここに来るまでアルシェムは時間を稼がねばならない。何故なら、『歴史はそうなっているから』。『アーネスト・ライズはケビン・グラハムとロイド・バニングスによって救われる』ことになっているからこそ、アルシェムはここで時間稼ぎをすることしか赦されてはいない。ただ、どう時間稼ぎをするのかは自由だ。

 故にアルシェムはアーネストの問いに勿体をつけて答えてやることにした。

「何、と問われてもな。貴様にそれを理解出来るとは到底思えんが……?」

『アリエナイ……デモ、貴女様ハ――!』

「わたしはな、アーネスト・ライズ。そんな、様だなんてつけられるような大層な『ニンゲン』ではないよ。たった一人の『ニンゲン』すら守れないような、そんな矮小な存在さ」

 自分自身すら守ることが出来ずして、何故誰かを守ることが出来ようか。自分を捨ててまで誰かを守ることしか出来ないアルシェムは既に人間として欠陥品だと言っても良い。たとえそれを強要されていたのだとしても、既にそう在れかしと自身を定めてしまったアルシェムはもう戻れない。戻るつもりもない。戻ったところで、そこに居場所などない。

 だからこそ、狂気の狭間にあったのだとしてもそこに居場所のあるアーネスト――今まさに居場所を奪おうとしているわけだが――のことは、アルシェムにとって羨望の対象でしかない。

「だからな、羨ましいよアーネスト・ライズ。貴様にはそこまでして得たいモノがあるのだろう? それが世間一般的に許容できないものだとしても、だ。それを望めるというだけで羨ましくて仕方がない」

 その本心から出ているように聞こえる言葉に、ロイドは困惑した。こんなことを考える/考えてしまう《星杯騎士》とは一体なんなのかと。ストレイとはいったい何者であるのかと。ここにいるのは本当に先ほどまで余裕をかましていたストレイ本人なのかと。どこかで見たことのあるようで、見たことのないような気持ち悪さを感じるこの男は一体誰だと。

 故にその困惑が口に出てしまう。

「ストレイ卿……?」

『貴女様ニ何ヲ望メナイコトガアルト仰ルノカ! 全テヲ! 何モカモヲ、手ニ出来ル貴女様ニ!』

 その困惑を放置して話は進む。誰にも理解されないまま、誰も理解しようとはしないままに。誰かに理解されたいとアルシェムは望まない。誰かに理解させようとは、□□□も思ってはいない。使い捨ての駒が何を考えようが□□□にとってはどうでも良いことなのだ。『アルシェム・シエル』がロイド達を守っていればそれで何の問題もないのだから。

 アルシェムはアーネストの問いに答えた。

 

「全てを。わたしに望めない全てを、望む。未来を。過去を。現在を。今ここに在ることを。明日どこかに在ることを。昨日までの彼方に在れたことを。わたしという全てを、望む」

 

 それは抽象的で、誰にも理解されない望み。人間という根幹から出来上がっていないからこその望みを、誰もが理解しえない。そんな当然のことをアルシェムが望んだところで、誰もそれを理解することなどないのだ。『そんな当たり前のことを望んだって何の意味もない』から。『それが成り立っていないのならば今は生きてなどいない』のだから。

 その意味不明な言葉を、アーネストもまた理解することはなかった。

『ソレホドノ力ヲ持チナガラ、望メナイコトナド――!』

「貴様には分からんよ。そも、誰かに理解して貰おうとも思わん」

 そう言って嗤ったアルシェムは、ようやく感じることの出来た気配を捉えられたために力を抜いた。これ以上時間を稼ぐ必要はなくなったからだ。それに、ケビンが来たのならば出来ることが増える。敢えて遅刻させたが、ここで辿り着いてくれたので僥倖だ。

「さて、アーネスト・ライズ。最後に問おう――救われたいか? その姿で知り得た全てから。貴様もまた操られていたにすぎないという事実から」

『ア……』

 アーネストの巨体が震えた。『こう』なってから知り得たことは、全て悪夢のようなことしかなかった。ヨアヒムも、自分も、目の前で男装している女も。全てが誰かの駒でしかないというその事実。この状況すらも誰かが望んだもので、自分の将来には破滅しか待ち受けていないという事実も。何もかもを受け入れられない。何もかもを、捨て去りたい。

 だが、それが赦されることかと問われると、今の問答で多少クリアになった思考では否と応えるしかなかった。その答えをアルシェムは思考で受け取った。赦されることではない。罰を受けねばならない。そう思えたからこそ。『クロスベルに仇なす存在ではなくなった』からこそ、アルシェムはアーネストに救いの手を差し伸べられる。

故に、そこに駆け付けて来た三人の影に向かって殺気を叩きつけ、怒鳴るのだ。

「遅い!」

「す、済まん、手間取ってな……」

「喧しい! ストレイ卿、後でアイツの喰った分半額払えやボケェ!」

 恐縮するダドリーの言葉を喰い気味に半ギレで告げたのはケビンだ。ようやく到着したようなのだが、最早やけくそで笑っているようにしか見えない。実際、ケビンはやけくそになるしかなかったのだが、アルシェムにとってはどうでも良いことだ。ただ、純然たる興味だけは湧いた。食欲大魔神と呼ばれることもあるリースがどれだけ食べたのか気になったのである。

 そしてそれを聞いたのが運の尽きだ。

「……ちなみに総額何ミラ食べたんだ?」

「店ごと買い占めようとしたんを止めるのにどんだけ苦労したと思っとるん? そこんとこオレに詳しく言うてみ?」

「何か……うん。正直済まん。後で送金しておく……」

 どうやら、予想額の倍額以上は食べたようである。経費では落とせない娯楽費であるため、ケビンの懐はほぼ素寒貧である。アインからもリースの食費だけは別会計だと言われているため、予算は多少取られているもののそれだけでは無論足りない。焼け石に水どころの話ではないのである。大量の水に塩を一粒入れた程度だ。高級志向でなくてどれだけ良かったと思っていることか。

 それはさておき、ここでやるべきことはと問われるとアーネストを救うことだ。

「さて、グラハム卿? 法術は頼んだ」

「相っ変わらずやな……本気で訓練してくれへん?」

「そんな時間が取れるくらいならとっくに訓練漬けになっている。悪いが代替手段があるだけマシだと思え」

 軽口をたたき合いながらも準備は整う。そして――ケビンの法術とアルシェムの《聖痕》が効果を表した。ケビンは暗示をかけ、強制的に《グノーシス》を排出させようとする。アルシェムはそれをもとに《グノーシス》だけを吸収して凍結していく。空中に煌めく碧い氷の結晶ができるころには、アーネストは元の人間の姿に戻っていた。

 それを見てノエルが思わず声を漏らす。

「綺麗……」

「ノエル・シーカー。アレが綺麗だというのなら、世の中のモノは須らく美しいよ。アレは醜悪な薬の塊――人間どころか魔獣までも狂わせるモノなのだから」

 全てが終わり、アルシェムはケビンにもろもろのことを引き継いだ。そもそも下心はあったとはいえ、この任務は本来ケビンが請け負ったものだ。報告も当然んケビンが行わなくてはならないのであり、アルシェムから報告するなどということは有り得ないのである。それについてケビンはぶつくさ言っていたのだが、後で報告書の中身を送り付けることを確約することで納得してもらった。

 そして、報告を引き継ぐことでロイドたちよりも早くクロスベルに帰着したアルシェムは、変装を解いてロイド達を出迎えるのだった。


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