雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
今話より月三回、10日、20日、30日の投稿となります。
終焉の兆し
次の日。アルシェムは自室で目を醒まして起き上がろうとし――失敗した。どうやらまだ先日の戦闘やら精神的負担やらの影響で心身ともに疲れ切っているのが抜けていないようだ。彼女は何度か体を起こそうと試み、どうしても億劫になって起き上がれないことを確認すると大きく溜息を吐いた。どうすることも出来ないわけではないが、それをするのもまた億劫なのである。今は何もしたくない。そう思って――唐突に跳ね起きた。
それに気付いたレンがアルシェムをおしとどめた。
「ちょっと、何してるの、アル」
「……いや……何、してんだろう……おかしいな、起きられるような状態じゃないはずなのに……」
そう言いながらもアルシェムは服に袖を通そうとするので、レンは彼女を無理矢理ベッドに押し込んだ。どう見てもフラフラで顔色は蒼白である。押し込むときに触れた掌も冷たい。最早死人のようだ、と考えてレンはその思考を振り払った。そんなことがあってはならない。これ以上自分から奪われるのはもう嫌だ。歯を食いしばり、なおもベッドから出ようとするアルシェムの身体をおしとどめる。だが、止まらない。
自分の状態に困惑したような顔をしてアルシェムが呟く。
「レン」
「駄目よ。起こしてなんてあげないわ。……寝てなさい。お願いだから」
「……でも、多分こんな状態だってことは起きなくちゃいけないってことなんだと思うんだけど……」
そう言いながら起き上がろうとして、手を震わせる。よく見なくとも、誰が見ても彼女は起き上がっていていい状態ではなかった。それこそ自身でさえ自覚しているのだから大人しく寝ているべきなのだ。――もっとも、それを赦さない人物がいるからこそアルシェムはこうして起き上がることを余儀なくされ、下僕の如く働かせられようとしているのだが。
と、そこにノックの音が響いて扉が開かれた。
「アル? 大丈夫……じゃないな」
「ちょっとロイドお兄さん。レディの寝室に返事がある前に侵入して来るとかいろいろ疑われたいのかしらこの変態」
「そ、そんなわけないだろ!? ……その、ごめん」
ロイドは罰の悪そうな顔になってアルシェムに今日は休むように告げた。レンにも言われ、果てには駆け付けて来た支援課のメンバーたちからも言われる。『休め』というその言葉は、その場に駆け付けていたある少女によってアルシェムの状態が動けるものではないと認められるまでかけられ続けた。彼女が駆け付けなければ、アルシェムは何としてでも動き出そうとしただろう。自分の意志に反して。
だが、それはいとも簡単に覆される。動いてはいけない、誰もが彼女が動くことを望んでいないと知ったからこそ――アルシェムはベッドの上で倒れ込むことを赦されたのだ。ロイド達は情報収集に出かけ、動けないアルシェムは一人自室で眠りについていた。
次にロイド達がアルシェムの部屋を訪れた時――そこに、アルシェムの姿はなかった。
❖
彼は、協力者からの情報で操るに最も適した人物がいることを知り、彼女につけられている監視の目を外させてからその部屋に侵入した。本来であれば目を醒まし、即座に切りかかってくるだろう彼女はしかし意識を失ったままだ。全く以て都合がいい。彼はほくそ笑んで彼女の身体を掴み、人目につかないように注意しながらジオフロントまで彼女を運んだ。そこにはあるものがまだ残されているからだ。
前に来てからまだ一ヶ月しか経っていなかったな、と思いつつ彼はそこに残されていた施設に碧い液体を注ぎ込み、拘束した女をそこに沈めた。しかし彼女は溺れることもなくそこに満たされた液体を吸収していく。これほどの量を摂取し、それでもなおまだ人間の形を保っていられるのはやはり彼女が普通の人間ではないからか。そう考えたが、そう言えば《アルタイル・ロッジ》にもかつて同じような検体がいたはずだ。確か同じような銀髪の――
そこまで考えて男は目を見開き、思わず漏らした。
「そうか、この女が『シエル・マオ』、か」
それは《アルタイル・ロッジ》最高峰の傑作の名だ。《叡智》を吸収し、第六感を人間の限界以上の高められた検体。だというのに『彼女』と感応することなく他人との感応力だけが無駄に発達した検体だ。結果的には各国の重鎮から情報を抜き出すための駒として《楽園》に送られ、そこから行方不明になったはずだがこんなところで発見できるとは。
男は笑みを抑えきれず、彼女の意識にアクセスしようと準備を始めた。これだけ《叡智》を吸収していれば意識同士で直接会話することも可能だろう――もっとも、顔を合わせえて生身の肉体同士で語り合えば確実に殺されるからこそこういう迂遠な方法を取っているのだが。苦笑しながら準備を終えた男は、その手に持つ杖を媒介にして力を解放する。
そして男は彼女の精神世界に潜り込んだ。
「……これは……」
そこは、見渡す限り氷の世界だった。足元には分厚い氷の層。周囲にはキラキラと銀色に輝く雪が舞っている。空からは金色の光が降り注ぎ、男を照らしていた。その光景は確かに美しい。だが、そこには生きとし生けるものは存在しなかった――そう、この心象風景を作り出しているはずの彼女すらも。眉を顰め、女を探そうとして――唐突に彼の目の前に人間が現れる。
その人物は、男にこう告げた。
「そなたもあの子を苦しめるのか」
「……誰だ、お前は」
男はその人物――女性の異様な姿に眉を顰めた。まず彼女には色がない。髪も白い。虹彩も白い。肌も、唇ですら白い。血が通っているようにも見えない。よく言えば神秘的で、悪く言えば不気味。顔面は整っているが、首から下には傷跡しかなかった――むしろ全裸だった。といっても欲情を齎すような姿でもなく、見るだけでただ醜いとしか形容できない姿。
女性はしゃがれた声で男の問いにこう答えた。
「覚える必要はあるまい。わらわは既に表舞台からは消えた身故」
「ここはあの女――アルシェム・シエルとかいう女の精神の中のはずだが?」
男は女性にそう返すと、女性はコロコロと笑った。
「そなたは確かにあの子の精神におる。わらわも今はあの子の一部じゃからのう」
今は、と言ったところで遠い目をした女性に男は眉を顰めた。つまり二重人格だとかそういう話ではないということに気付いたからだ。そもそも彼女が主人格でアルシェム・シエルが従人格であれば、あまりの変容ぶりに周囲が必ず気づいていたはずだからだ。もっとも、男はそこまでアルシェム・シエルについて知っているわけではなかったが。
軽く息を吐き出した女性は、男に告げた。
「まあ、どうせこれっきり誰とも会えず消えるは必定。故に答えてやっても良い。わらわがかつて何と呼ばれておったのか――わらわが誰だったのか」
「僕にそれを聞くメリットがあるとでも?」
「ないじゃろうな。しかし――今しかない。あの子と、わらわが出会えるのはこれで最期じゃからの」
そして女性は男の背後に回って背を押しながら告げた。
「わらわはあの子の前任者。《星杯騎士》の《第四位》にして《雪の女王》ユキネ・テンクウ。そして――」
そのあまりの情報に男は振り向いて、どこか別の場所に移転させられかけている中で、見た。
「あ奴によってあの子のために生み出され、あ奴のせいであの子のために舞台に上がることすら赦されず、あ奴の干渉で誰にも名も知られぬままに消えゆく数多の命の集合体よ」
凄惨な笑みを浮かべる、醜い女の本性を。
そして、だからこそ男はその女性の笑みに恐慌状態になった。そう――男のせいで真碧に染まったその世界で、容赦なく彼女の精神を壊しにかかるくらいには。それでも彼女――アルシェム・シエルの精神は頑強で。彼女が男に屈服したのは、その次の日のことだった。
❖
アルシェムが消えた。特務支援課の一同は彼女を探し回ったが、どこにも痕跡は残されていない。裏の世界にいたレンですらその痕跡を見つけられず、何故消えてしまったのか全く以てわからない。しかし、彼らの前には常に答えが落ちている。もっとも、それが答えであると彼らが認識できるかどうかは別であるが。それでも、彼らがそれに気付いたのは、《ルバーチェ》に乗っ取られた聖ウルスラ医科大学を解放した後だった。
それに最初に気付いたのはロイドである。
「ちょっと待てよ……消えた人たちの皆が皆一回不自然な成功を収めているってことは、まさか……」
「まさか、じゃないわ。……まさかこんなところに影響するだなんて思わなかった。こんなことになるならどんな手を使ってでも止めたのに……」
次にレンがロイドの言葉で確証を得、言葉を漏らした。そう――クロスベル市内から消えた人物たちは、恐らく皆が《グノーシス》を服用しその影響下にあったのだろう。自室から消えていたアルシェムも例外ではない。それにまだ解決できていない問題もある。――その人物がどうやって、それだけの研究を行えるミラを手にしていたのか、だ。
そんな中、血の気の引いた顔をしたまま黙り込んでいるティオは思案していた。確かに最初に言っていたのだ。『《D∴G教団》の首魁と、それを隠れ蓑にしている人物たちを追っている』と。ならば失踪は偽装で犯人を追いかけているのかと思っていた。だが、ロイドの言葉が正しいのならばアルシェムは――すでに敵の手に堕ちていることになりやしないだろうか。
最悪の場合、《ルバーチェ》構成員と同じようにアルシェムが操られて《星杯騎士》としての力を十全に振るいながら襲い掛かってくる、などという状況もあり得る。そんな状況になった場合は全滅も必至。むしろ死なない方がオカシイ。だが、アルシェムには操られるような兆候もなかったうえに簡単に操られるとも思えない。ならばやっぱり潜入か、と考えつつティオの脳内が煮詰まっていく。
やはり、アルシェムがどんな立場に置かれることになってでも話すべきだ。そう判断したティオは口を開いた。
「あの――」
その瞬間。
「全員伏せろッ!」
滅多に聞かないセルゲイの焦った叫びが聞こえ、ティオは咄嗟にその場に伏せた。すると頭上を何かが通り過ぎていくのを感じる。それと、規則的に響く音も。この音は何の音だっただろうか。嫌な予感がして、ティオは顔を上げようとしてランディに抑え込まれる。
「伏せてろティオすけ、機関銃だ!」
「な――ッ!」
一度止んだ、と思いきやもう一度一斉掃射するオマケつきで課長室は銃弾の嵐に蹂躙された。それが止むまで必死に蹲っていた一同は、ようやく止まった銃撃に体を起こしてこの場にはいない子供達――聖ウルスラ医科大学で保護したアリオス・マクレインの娘シズクも現在支援課ビルにいるのである――を救出しに向かい、何故か部屋には傷一つないことに首をかしげながら支援課ビルを飛び出した。
外に出て、あまりの光景にエリィが声を上げる。
「な、こんな、こんな……何で警備隊がッ!?」
その声に反応したのか、警備隊員がわらわらと集まって来たので慌てて一同は逃げ出した。クロスベル市内のどこを駆け回っても追いかけてくる警備隊員。それを振り払いつつ、徐々に戦闘不能状態に追い込みながら進む支援課とダドリー。キーアとシズクはツァイトの背に乗って駆け、とにかくクロスベル市内から脱出しようとタングラム門方面へと出ようとして――前方に回り込んでくる戦車が。
その戦車はロイド達に砲門を向け、弾丸を撃とうとする。
「ちょっ……」
それを阻止しようと、ランディが一人戦車に向けて吶喊しようとして――
「この、アホンダラどもがぁぁぁぁぁぁっ!」
目の前で戦車が真横に吹き飛ばされるのを見た。その代わりに戦車の前に立っているのはリオ・コルティア軍曹。スタンハルバードを振り抜いた状態で視界に入った彼女は、そのまま戦車に追撃をかました。砲口を物理的に叩き潰し、コックピットを歪ませて中にいる隊員を容易には出られないようにしたのだ。その手際にロイド達は盛大に引いた。
そんなロイド達にリオは声をかける。
「ちょっと、ロイド君達! 呆けてないでとっとと進ん――うええっ!?」
早く行け、と言おうとしたリオに、クロスベル市内から砲弾が撃ち込まれた。まさかの出オチにロイド達は顔を引きつらせる中、警備隊員が追いかけてきたのを見て取ったロイド達は急いでタングラム門へと向かおうとするがそれは出来なかった。道なき道を迂回したらしい警備隊員がタングラム門方面から現れたからだ。万事休す――と思いきや唐突に滑り込んでくる一台の導力車がいた。
その導力車の窓が開き、中に乗っている人物が叫ぶ。
「乗りたまえ、支援課の諸君!」
それはIBCのディーター・クロイスだった。ひとまずロイド達はその車の中で一息つき、ディーターの提案によって一時IBCに立てこもることになる。強力な合金で出来た門ならば容易に破られないと踏んだのだ。もっとも、それを楽観視していないレンとティオはネットワーク上でのセキュリティを万全にすべく地下へと向かい、ランディはIBCに避難してきていたとある人物から本来の武器を手に入れ、ロイドとエリィは一時の休息を得た。
その休息の時が終わったのを知ったのは、窓の外に信じがたいものを見たからだ。正確には、門の外。こぞってIBCの正門を爆薬で破壊せんとしていた警備隊員たちを薙ぎ倒したにも拘らず、その門を破壊した人物がいるのだ。その人物は短い銀色の髪をしていて、その位置からまっすぐとロイドを見据えた。その瞬間ロイドは悟る。アレはアルシェムであってアルシェムではないと。
すぐに全員に声をかけ、IBCの玄関でアルシェムを迎え撃つ。
「アル……!」
『……襲撃を止めたければ、今すぐにキーア様を渡したまえ』
「違う、ヨアヒム・ギュンター……!」
アルシェムでは絶対に出来ない
そして弾丸を止めたランディは周囲の人間が心底震えあがりそうになるほど冷たく昏い声で告げる。
「……ふざけんな。とっととソイツから出て行け……さもないとどんな手を使ってでもテメェを滅ぼすぜ」
「同感です。アルは……私の恩人なんです。貴男なんかが乗っ取って良い人じゃない……!」
「うふふ、楽に死ねるとは思わないことね」
敵意をあらわにするランディたちに一瞬『ヨアヒム』の手が緩む。そこに遅れてロイド達も声をあげた。
「仲間の身体……返してもらうぞ!」
「アルから出ていきなさい、この変態!」
しかし、その答えは『ヨアヒム』を喜ばせるだけだ。襲撃を止めるよりも何よりも、今自分が操っている体を人質にすれば良いだけの話なのだから。先ほどよりもよほど交渉しやすい。狂気の笑みを浮かべ、導力銃をアルシェムのこめかみに突き付けて――
『さあ、選びたまえ。キーア様か、この女か――』
「選ぶ必要はない。太陽の神殿――古戦場の奥へ。そこに本体がいる」
本来の身体の持ち主の声でとんでもない情報を吐いた。それに驚愕したのか戦力を増やすためなのか、『ヨアヒム』は撤退を余儀なくされたのだった。
この先絶対出せない前任者さんにちょっとだけ出張って貰いました。リメイクする前は名前も決まっていなかった人で、ここで出る予定すらなかった可哀想な人。