雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧196話半ば~197話のリメイクです。


碧き過去

 碧い顔をしたティオを自室に戻して寝かせ、報告のために課長室を訪れたアルシェムを待っていたのはあの錠剤だった。目の前に見せつけられたその錠剤に少々ダメージを受けたアルシェムは軽くそれを差し出している人物を睨みつける。それでも話を切りだしたのは、先ほどレンが『説明する』と言ったダドリーである。彼もこれが一体なんなのかを知りたいのだ。

 故に問うた。

「それで、これは結局何なんだ?」

「――《グノーシス》。昔《D∴G教団》とかいうトチ狂った悪魔崇拝の宗教団体が使ってたヤバい薬だね」

「何だと!?」

 アルシェムがしれっと答えを発したことにダドリーは驚きを隠せなかった。その場にはロイド達もいたが、まず《教団》の概要からして彼らは知らないので何が何なのかは全く分かっていない。ただセルゲイだけはそれを知っていた。何せ、カルバード共和国にあった《拠点》――《アルタイル・ロッジ》に踏み込んだのはセルゲイとその部下たちだったのだから。当時そこに現れた少女《銀の吹雪》こそアルシェムであると、つい先日知ったばかりである。

 アルシェムはロイド達の理解を鑑みず話を続ける。

「もっとも、結構改良されてるっぽいから効力は当時よりも上なんだけど……」

「いや、アル、その……何でそんなことを知ってるんだ? というより、《D∴G教団》って……?」

 ロイドが疑問を投げかけて来たのでアルシェムはそれに適当に返事をしようとして――眉を顰めた。そこに誰かいる。いてもいなくてもどうでも良いが、話を聞かれて勘違いされても困る。ここにいる『アルシェム・シエル』はもう既に彼女の『家族』ではないのだから。――そう。セルゲイの背後に黒装束をまとい、気配を完全に消した《銀》が潜んでいるのだ。

 故にアルシェムは彼女を排除することにした。

「説明するけどさ……その、何? 一応不法侵入になるし身柄を確保されたくないんなら出てってくんないかなそこのヒト。今からする話にあんたは全く以て関係ないし、聞いてたってあんたの知りたい事実はそこにはないんだから」

「アル? 何を言って――窓が!?」

 いぶかしげに眉を顰めたロイド達の前でひとりでに窓が開き、《銀》がそこから脱出していった。彼女が本気になればその場に居続けられるだろうが、残念ながら《銀》にはまだクロスベルの法を犯したという事実を証明されては困るのだ。まだクロスベルに居続ける予定があるのだから。まだ、『エル』についての情報を全て絞り出せてはいないのだから。

 《銀》の気配が完全に消えたことを確認したアルシェムは、溜息を吐いて説明を始めた。

「さて、まずは《D∴G教団》からか……といっても、詳しいことを完全に知ってるわけでもないんだけどね」

「あ、ああ……」

「そもそも《教団》事態は結構昔からあったらしいよ。何を目的にしてたかは知らないけど、悪魔崇拝の宗教団体っていうのはまあ分かってる」

 むしろただの悪魔崇拝であればどれほど救われたか。悪魔を召喚し、使役する術は確かにこの世界にも存在している。それを彼らは知っていて、別のアプローチから悪魔をどうこうしようとしていた――ように見せかけていただけだ。本質は別。子供達に施されていた処置は全て《グノーシス》によって《D》に至るための手段に過ぎないのだから、悪魔崇拝よりも救われない。

 そこにエリィが突っ込みを入れた。

「悪魔崇拝をするための宗教団体なんだったら、当然悪魔を崇拝することが目的なんじゃないの?」

 エリィにとっての悪魔崇拝とは、《空の女神》を否定し地獄を跋扈する悪魔を崇拝することによって《空の女神》に救われなかった自分を救う、というものである。そのこと自体が信じられないことであるが、存在自体は知っていた。もっとも、お伽噺レベルの認識で本当に存在するものであるのかどうかについては懐疑的であったが。

 故にアルシェムから別の返答があるとは思ってもみなかった。

「それだったら普通に邪法とか使って悪魔を召喚すれば良いだけの話だよ。何の罪もない子供達に薬を盛る必要はどこにもない」

「そ、その薬で悪魔と交感するとか――」

 エリィはその言葉を言い切ることが出来なかった。アルシェムが物凄い顔でエリィを見たからだ。確かにそういう意味では『悪魔』と交感していたと言えよう。アルシェムは、レンは、その薬によって各国の高官という『悪魔』から情報を抜き取って行ったのだから。普通の男性と少女とでは有り得ないより深いつながりを強制的に求められながら。

 そうだ。アルシェムは、レンは、《グノーシス》によって『悪魔』とでも呼称すべき権力者どもと交感していた。彼らの目論見を知り、弱みを握り、時には甘い顔をしながら必要な情報を抜き取っていたのだ。それを研究者がまとめ、バラバラになったピースを繋ぎ合わせてさらに弱みを握れる人物たちを増やしていく。ネズミ算式に権力者どもは子供達のとりことなっていった。

 その事実を鼻で笑いながらアルシェムは答えた。

「ハルトマン議長にヤられながら情報を抜き取ることを悪魔と交感すると表現するならそーなるんじゃない?」

 そのある意味衝撃的な言葉に重い沈黙が降りた。その言葉の意味を理解出来ないものはこの場にはいない。ロイドは苦い顔をして黙り込み、ランディも似た顔をしながらも納得していた。むさい男に近寄られたくないのはそういうことか、と。エリィはあまりの言葉の衝撃に動けず、ダドリーとセルゲイは額を押さえてあまりの事態の広がり方に頭を悩ませた。

 そこに溜息が一つ、響いて。レンが言葉を発した。

「……アル」

「……大丈夫。レンは――辛かったら」

「大丈夫よ。こんな状態のアルを放置していくほどレンは非道じゃないわ」

 そのレンに握られている手は冷たく、震えている。まだトラウマを克服したわけでもないと知っているから、この話を始めた時点でレンはアルシェムの手を握っていた。どんなにひどい状態になっても止められるように。アルシェムが後悔しないように、レンがストッパーとなるために。流石にしないとは思うが、本当に初期のアルシェムは酷かったのだ。主に夢見が悪すぎたせいで周囲の人間に危害を加えることがあったという意味で。

 そんなアルシェム達を見て少々平静を取り戻したのか、ランディが問う。

「……それで、目的がまあソレじゃなかったとしてだ。そいつらがこの碧い薬を開発してばらまいてるってことか?」

「まあ、そーなるけど……一回は壊滅させてるはずなんだよね、その《教団》」

「そうなのか!? ……いや、もしかして、それに兄貴が?」

 瞠目してアルシェムの言葉に反応したロイドは、しかし言葉を継ぎなおした。そうでなければティオと兄ガイとのつながりが理解出来ないのだ。ティオがガイに助けてもらって、恩を感じていて。なおかつリアルタイムでガイの死を知ることが出来なかった理由。ちょうどその時期にガイは外国に行ったことがある。それはつまり、ティオを実家に送り届けるためだったということだ。クロスベルにいなければ当然、リアルタイムでガイの死を知ることなど出来はしなかったのだから。

 ロイドの言葉にアルシェムは平然とこう返した。

「そう。当時児童連続誘拐事件――《教団》が子供達を集めるためにやらかしてたのを解決するために各国から集められて、証拠を隠滅させないためにしがらみにとらわれないような捜査方法が取られた。ティオが捕まってた《アルタイル・ロッジ》に乗り込んだのは当時クロスベル警察の刑事だったセルゲイ・ロゥとガイ・バニングス。そして――アリオス・マクレイン」

「あとお前な。今だから聞くが、何であの時《結社》にいたはずのお前があそこにいたんだ?」

 セルゲイのその言葉にロイドは瞠目した。つまりアルシェムは当時からガイと面識があったということになる。そんなことは一言も聞いていなかった上に、ガイのことについてロイドには触れて来なかったので全く知らなかった。しかしそこでアルシェムがティオと知り合ったにしては親密すぎる気もする。むしろ少々気まずくなるくらいがちょうどいいのではないのだろうか。聖ウルスラ医科大学のマーサ師長とティオの時のように。

 セルゲイの問いにアルシェムは目を閉じて答えた。

「最初に連れて行かれたのがあそこで、どうしても自分で潰したかったから、かな」

「まあ、アルがその時情報をリークしまくってたから警察や軍が行けたっていうのはあるわね」

 皮肉げに笑いながらレンはそう付け足す。アルシェムの情報がなければ潰せなかったロッジは確かにある。もっとも、救出できた子供の数が増えたわけではないが、七耀教会からの援護――物理的に子供達を送り込んで場所を特定していた――もあったために比較的多数のロッジを制圧できたのだ。そのことを無駄だと思ったことはないし、今同じ状況に置かれても同じことをした自信がある。

 そこで得心したようにエリィが声を漏らした。

「……だから《グノーシス》の副作用を知ってたのね……《教団》に捕まってたことがあるから」

「……そーゆーこと」

 肩をすくめてそう返したアルシェムは、大きく溜息を吐いた。これ以上緊張し詰めでいれば少々危険だったからだ。既に精神的に不安定な状態にあるというのに、これ以上無理に緊張することもない。無理をしすぎて暴走、など笑えないのである。

 リラックスのために溜息を吐いたアルシェムに今度はダドリーが問う。

「……それで、シエル。お前は一体どういう経歴でここまで来た? 執行者と準遊撃士、児童連続誘拐事件の被害者であることは流石に両立しないと思うが」

「それが全部成り立っちゃうんだよねー……ほんっと、誰が仕組んでくれやがったのやら」

 そういって肩をすくめて誤魔化そうとしたアルシェムだったが、ダドリーの視線に負けた。流石に説明しないという道はなさそうである――主に命の危険があるという意味で。ダドリーの手は既に懐に伸びているのだ。完全に身分詐称を疑われているあたりどうしようもないのかもしれないが、一応すべてが成り立っている上に本当はまだ身分が上乗せされるのである。信じて貰えそうもないが、説明するしかないだろう。

 握られているレンの手に力が加わり、アルシェムは自身の経歴について隠さなくて良いところを説明する。

「……成り立つってば。ちょっとした事情で共和国に住んでてね。そこで誘拐されて救出された先が《身喰らう蛇》だった。そんでそっからイロイロあって執行者の身分を手に入れて《アルタイル・ロッジ》に乗り込んで、《結社》から抜けるのに暗殺未遂起こしてカシウス・ブライトに引き取られたの。そんでエステル達と一緒に準遊撃士になったんだけど……この説明でも納得できない?」

 その説明を聞いて一同は頭を抱えた。色々な意味で波乱万丈な人生過ぎる。確かにこうまとめられれば誰に仕組まれたのかと考えたくもなるだろう。誰が誘拐されたうえで犯罪者の一員になって正義側の人間に成れるような神経をしているというのか。もっとも、彼らがそれを成立させうる真実を知るのはそう遠くない未来のことであるが。

 渋い顔をしたままダドリーは声を漏らした。

「いや、むしろ聞きたいことの方が増えるんだが……今は止めておく。それよりも《グノーシス》の話だ」

 そしてダドリーはアルシェムに問うた。

「お前は誰が首謀者なのか分かっているのか?」

「……誰が、っていうのが分かってるわけじゃないけど……絞り込みくらいなら出来るよ。ロイドでもわかるんじゃない?」

「えっ!?」

 そう話を振られたロイドは目を泳がせながら考えた。《グノーシス》を使って何かをしようとしている首謀者が誰なのかを絞り込める、というところがどういう意味か分からない――と、考えたところで気付いた。そもそも《教団》が一度壊滅している時点で《グノーシス》の在庫がどれだけあったかというのも問題だが、先ほどアルシェムは言ったではないか。結構改良されている、と。

 つまり、《グノーシス》という薬を改良できるだけの技術を持つ人物が首謀者ないしその近くにいる人物だということになる。ああいう摂取方法――そもそも薬を摂取した人間に接触して吸い取るということ自体が意味不明である――を以てしても改良されていると感じるのならば、《グノーシス》を研究できる立場にいる人物が関わっているということしかありえない。

 ロイドは少々引っ掛かりを覚えたまま答えを口に出した。

「……つまり、薬を改良できる人が近くにいるか、その本人かだってことか?」

「ちょっと待てロイド、その結論だと――俺達が薬を預けたあの先生も怪しいってことになるぞ?」

「え、でもヨアヒム先生は《グノーシス》の噂を知っていたくらいであの薬は初見っぽかったけど……」

 他に何か見落としていることがあるはずだ。ロイドにはそう思えてならなかった。何を見落としているのか。まずは、何のために、誰が。それを知りたいのだ。Why、Whoは後回し。何を、Whatは《グノーシス》。When……そもそも、いつから《グノーシス》が広がり始めたのか。存在自体はアルシェムの言うように結構昔からあるもので、改良が進められてきたものだ。今回所持していたガンツが帰っていないのは三日ほど。つまり三日前には既に広がっていた。Where、どこで、というのは当然クロスベルに、である。ならばHow――どうやって実現するのか。それもそもそも何を実現したいのかが分からない。

 

 よって――何かのために、誰かが結構前から《グノーシス》を使って何かを実現しようとしている、ということになる。

 

 そこまで思考が至って、ロイドは疑問を口にした。

「……《グノーシス》で何か誰かにとって必要なことが果たして達成できるのか?」

「……ちょっと待って。ねえ、ロイド……《グノーシス》の副作用で良いことなんてないって思ってたけど……たとえば《ルバーチェ》とかが怪物になった人を戦闘力として欲しがっている、なんてことは……ないわよね?」

 エリィが悶々と考えすぎてそんなことを口に出した。しかも有り得そうな想定である。しかし、そうなれば《ルバーチェ》の中に《教団》の手の者が混ざっていることになり、もっと昔から《グノーシス》を利用して戦力にしていないというのが解せない。そもそも不良同士の喧嘩にしても魔獣に襲撃された件にしても戦力を欲しがっていたのは確かだ。ならば、その後ということになるのだろうか。

 そこまで考えた時、ランディが否定の言葉を吐いた。

「……いや、もし怪物になっても統制が効かないんじゃあ意味がない。味方に損害を与えるような怪物なんて必要ない」

「とれるよ、統制」

「何だと!?」

 ランディは自分の言葉を否定されるとは思っていなかった。そんな薬が昔からあるのならば猟兵連中に広がっていないのはおかしいと思っているからだ。そんな、ミラになりそうな薬が猟兵に出回っていないというのが解せない。たかが宗教団体ごときに薬を独占できるような力があるはずがないのだ。否――もしくは、その力を以て独自の猟兵団を作っていたのかもしれない。

 だが、ランディの言葉を否定したアルシェムはその言葉に裏付けの証言をしてみせる。

「そうでなきゃ、リベールで盛られたときに『洗脳の薬』だっていうふれこみで使われてた意味が分からない」

「ちょっと待てシエル、お前リベールで一体何をやっていた!?」

 思わずアルシェムの言葉に突っ込んだダドリーは突っ込むところを間違えた。本来であれば何故リベールにその薬が流れていたのか、というところを問うべきもしくは《グノーシス》がやってきたのはリベールからなのかというところを問うべきなのだろう。だが、ダドリーは《グノーシス》が《教団》産でかつクロスベル産であることを疑っていなかった。

 ダドリーのツッコミにアルシェムは頭を押さえて答えた。

「《リベールの異変》の一環でそのー……クーデター側にちょっと捕まって公爵暗殺未遂させられるところだったというか何というか」

「アルってば……そこまで人生波乱万丈じゃなくて良いのよ?」

「好きで捕まったんじゃないやい。むしろ耐性があったから大事にしなくて済んだんだって」

 むくれながらそう返すアルシェム。実際アルシェムは捕まりたくて捕まったわけでもなく、薬を盛られたくて盛られたわけでもない。ただ――それが必要なことだっただけで。今ならば分かる。アレは必要なことだったのだ。今ここに立っているために。そして――この先、道しるべとして道の先を指し、彼らがそれをいとも簡単に乗り越えて踏みしだかれるために。

 そこで今得られる情報が出尽くしたと思ったセルゲイが声を発した。

「取り敢えず、情報収集だな。もっとも、上層部のヤバいところを抉り出す可能性は高いが……その覚悟があるなら、この件は今のうちに解決しておいた方が良いだろう」

「下手に長引かせるよりは今のうちにけりをつけた方が被害は少ない、ということですか……」

「そういうことだ。ま、せいぜい気を引き締めてかかるんだな」

 そう言って、セルゲイは煙草をふかした。今はどれほどの被害が出始めているのかを把握するところから始めなければ。ロイドはそう感じ、そして動き始めるのだった。


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