雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧189話及びインターミッション編のリメイクです。


閑話・インターミッションあるいは女の戦い

 《黒の競売会》の破滅から一週間。特務支援課の一同は謹慎を命じられていた。と言っても罰ではない。下手に外出すれば危害を加えられる可能性があったからだ。《ルバーチェ》をはじめとする裏社会の人間達に、《黒の競売会》の報復と称して。もっとも、化粧した姿でしか姿をさらしていないアルシェムやここ一週間の間に正式に特務支援課所属となったレンは別であるが。

 特に報復に気を遣わなくて良いレンが買い出しを担当し、一応特務支援課の一員として顔が売れてしまっているアルシェムに関しては遊撃士たちが対応しきれない手配魔獣を深夜に狩りに行く生活を続けていた。しかし、外に出られる分アルシェムにストレスがたまらないかと言われればそれはまた別の話で――

 現実逃避を止めたアルシェムは、うんざりとした顔で腰のあたりに抱き着いている少女を睨みつけて洩らした。

「……いい加減うざいんだけど、このクソガキ」

「えーっ、キーアもコーヒー飲む!」

 そういうことが言いたいんじゃねえよ、とでも言いたげにアルシェムは久々に自作した全自動コーヒー淹れ機と全自動紅茶淹れ機の前で溜息を吐いた。ところ構わず抱き着いてくる少女――キーアに辟易としていたのである。確かに最初から相容れないだろうと分かってはいた。アルシェムが我慢すれば丸く収まる話だとも思っていた。それがどうだ。

 無邪気に笑いながら熱湯を持っているアルシェムに抱き着くキーア。今から料理を始めようとするレンにまとわりつくキーア。今から出かけるというのに涙目になって引き留めようとするキーア。どこに行ってもキーア。支援課ビルの中では常にキーアの声が響いていると言っていい。正直に言って子供に怖がられることに定評のあるアルシェムでは、対応しきれるものではなかったのである。

 いくら無邪気な子供を装っているとはいえ、これはひどい。というよりも鬱陶しい。そしてそれをロイド達が赦しているということ自体に気持ち悪さすら感じるのだ。何をしても怒らない。何をしてもデレデレととろけた顔で面倒を見る。何をするにも、どこにいようがキーアが優先される。その事実に嫉妬しているわけではないが、違和感を覚えることだけは確かである。

 子供だから何をしても良い、というのは嘘だ。アルシェムはそれをよく知っている。子供でも他人を殺すのはよくない。他人に危害を加えるのもいけない。他人に迷惑をかけてもいけないし、我が儘だけを言って困らせて良いわけでもない。ものには限度があるのである。その限度を知って、子供は大人へと成長していくのだ。――もっとも、その限度を思い知り過ぎた子供がまともな大人になれるかと言われると答えは否であるが。

 それはそうとしても、我が儘をそのまま赦すのはどうか。しかし現にアルシェムは、エリィから小言を言われているのである。

「もう、アル! キーアちゃんは子供なのよ?」

 腰に手を当てて怒るエリィは、まるで保護者のようだ。確かに保護責任者ではあるのだが、キーアについての責任を全て負っているわけではない。現にキーアがやらかしたことに対してはただ甘やかすだけ。怒ることもなく、注意すら怠っているのである。その内注意くらいはするようになるのだろうが、子供の言い分を全て信じ込むあたり保護者としては適当ではない。

 故にアルシェムはこう返した。

「だからって熱湯をコップに入れた時点で抱き着いてくる危険物に気を遣う気はねーよ」

 危険だ、とアルシェムが返せばエリィはヒステリックに返答する。

「そこはアルが気を付ければ良い話でしょう?」

 いや、それが出来るのは一部の人間だけだから、とはアルシェムは言わないでおいた。こういう面倒な説教が始まった場合、言い返した時点で負けなのだ。黙ってお説教が終わるまで大人しくしておくに限る。そうすれば全てが丸く収まるのだから。そう、しなければならないのだから。アルシェムには、それに対して何かアクションを起こすことなど認められていない。たとえ起こしたところで説教の時間が長くなるだけなのだ。それをアルシェムはよく知っていた。

 要約すれば、こうだ。アルシェムはいい年をした大人なのだから、キーアに気を遣うべきだと。キーアはまだ子供なのだから見守るべきなのだと。人身売買に遭うところだった少女を甘やかして何が悪いのだと。アルシェムにしてみればそれがどうした、である。確かにいい年をした大人――エリィが思っているより千数年ほど年上――ではある。だが、それと危険な行為をする子供を叱らないのとは別の話だ。

 エリィからの小一時間の説教を聞き流したアルシェムは、料理を終えて運び終えたレンにみられているのを感じた。どうやら食事の始まりを待たれていたらしい。今日のメニューはスコーンと紅茶もしくはコーヒー。付け合せのジャムはエリィ手製のものもあれば、レンが新しく作り直したものもあるようだ。先に食べておけばいいのに、と思えば彼女から声がかかった。

 ただし、その声が向いているのはアルシェムではない。エリィだ。

「エリィお姉さん、折角の紅茶とスコーンが冷めちゃったんだけど」

 その冷たい声にエリィは我に返った。自分の説教のせいで折角レンが手作りしてくれたスコーンが冷めてしまっている。怒らせたのはアルシェムで、悪いのもアルシェムなのでエリィ自身が悪いわけではない。しかしレンの作ってくれたスコーンにはそんなことは関係ないのである。食べ物には罪はないのだ。たとえキーアを毛嫌いしかけているレンが作ったのだとしても。

 レンに対して罪悪感を覚えたエリィは素直に謝った。

「あ、ご、ごめんなさい……」

「……まあ、良いわ。温め直してくるから、それまでにそのくだらない会話を終わらせておいてね」

 くだらないって何よ、とエリィは言い直そうとして呑みこんだ。何故ならこの会話はことあるごとに繰り返されているからだ。もう何度も繰り返した会話であり、いつも結論は同じ場所へとたどり着く。アルシェムが、キーアに自分から関わらないでいれば良い、と。そう言って居間から出て行ってそのまま部屋へと籠ってしまうのだ。むしろ今まで食事の時になれば居間に戻ってきていたのも奇跡のようなものである。

 アルシェムのせいでここ数日の特務支援課の雰囲気は最悪だった。少なくとも、エリィはそう思っている。キーアにも非はあるのかもしれないが、アルシェムの方が年上なのである。そこは譲ってあげるべきなのではないだろうか。もしくは優しく諭してあげる、だとか。幼少のとき、あまり構って貰えなかったエリィとしてはキーアくらいの年ごろの子供を見れば甘やかしたくなるのである。

 それはもしかすると、ロイド達も同じであったのかもしれない。警察官としての職務があったためにあまり頻繁には兄ガイに構って貰えなかったロイド。忌まわしき《D∴G教団》のせいで素直に両親に甘えられなくなり、家を飛び出すようにしてクロスベルに来たティオ。そもそも猟兵生活をしていたせいで殺伐としており、甘えが許される世界にはいなかったランディ。彼らもまた、自分が甘やかされなかった分キーアを甘やかしてやりたかったのかもしれない。

 それぞれが思うところのある気まずい空気の中、口論の間待っていたロイド達――もっとも、ただ待っていたわけではなく存分に口ははさんでいたわけだが――は食事を始めた。キーアに関すること以外では、誰も口を開くことはない。ただ、記憶喪失だというキーアのために出来ることをという会話をしたのみだ。そろそろ外出しても危険は少なくなっているだろうというセルゲイの判断の下、キーアを連れて病院やクロスベル大聖堂を当たるということで話はまとまった。

 そこでアルシェムは口を挟んだ。

「――ま、それはどうでもいいとして」

「どうでも良いって何だよ!?」

 ロイドの気色ばんだ様子に言葉選びを失敗したことを悟ったアルシェムは、内心で溜息を吐いてつづけた。

「……あーはいはい、重要なことね。それはそれ、これはこれ。そろそろ遊撃士の方が手が回らなくなってるらしいし、そんなぞろぞろいらないでしょ、付添いなんて」

 正直に言ってどうでも良い。アルシェムにとってのキーアなどどうでも良いことだ。たかが子供――ただの子供ではないにせよ――のためだけに、クロスベル市民を蔑ろには出来ない。遊撃士の人手が足りないというのは前々からわかっていたことで、いくらリベールの若手二人が加わろうがそれを完全に解消できたわけでもない。一応《黒の競売会》でのエステル達の面が割れていないので多少は楽なはずだが、それでも苦しいことに変わりはない。

 故にそれを手伝う、と言っているのだが、ロイドはそれを額面通りに受け取ることはなかった。

「……正直に、キーアと一緒にいたくないって言ったらどうなんだ、アル」

 ロイドの厳しい視線に、アルシェムは色々と諦めた。どうせ言ったところで言い訳にしかならないと分かってしまったからだ。

「……もー、面倒だからそーゆーことにしとけばいーよ……」

 盛大に溜息を吐き、アルシェムは装備を整えに自室に戻った。その間にロイド達はキーアを連れてクロスベル大聖堂へと向かったらしい。セルゲイからそう聞かされたアルシェムは興味なさそうにふーん、とだけ洩らして外に出る。レンはロイド達について行った――などということはなく、アルシェムの隣でただ黙ってついて来ていた。レンはキーアの正体が分からない限り近づく気もなかったのである。故にアルシェムの近くにいることを選んだ。

 レンはアルシェムに向けて口を開く。

「……支援要請が一件。手配魔獣だけど……アルに任せましょうか?」

 心底心配そうなレンの顔に、アルシェムは毒気を抜かれたように苦笑した。レンに心配されるほどに自分に余裕がなくなっていることに気付いたからだ。余裕がないのは分かっていたが、心配を掛ける程だとは思っていなかった。

 ばつが悪そうにアルシェムはレンに返す。

「いや、その……うん。ちょっと、イラついてるから狩ってくる。ついでによるところがあるから待っててくれると嬉しいかな」

「そう、分かったわ。なら、レンは街の様子を見ながら困ってる人がいないか探すわね」

 そう言ってレンは支援課ビルから離れて行った。それを幸いとレンに八つ当たりしたくなかったアルシェムは手配魔獣のいるジオフロントへと足を向ける。手配魔獣自体はどうでも良いのだが、それ以外にも確認しなければならないことがあるからだ。前回確認しに行った時には何も異常はなかったが、念のためである。その場所とは――以前、アーネスト・ライズがねぐらとしていたあの部屋である。

 部屋の中をぐるりと見回して、アルシェムは一言つぶやいた。

「……増えた?」

 アルシェムの目の前に広がる光景には、何ら変わりはない。しかしアルシェムの感覚は、確かにそこにあの薬の気配を感じ取っていた。既に薬風呂は中身を含めて処分してあるはずなのに、である。しかもその所在地は上の方であり、この部屋の中には存在しないことを示している。しかも複数だ。眉を顰め、それがどういうことなのかを考えて――アルシェムは目を見開いた。そんな、まさか。

 目をかっぴらいたまま、アルシェムは自分の感覚を信じられなくなって叫んだ。

「嘘だろオイ!?」

 思わず荒い口調になってしまったのも無理はない。以前まで彼女が把握していた分の気配だけではなくなっていたのだ。ジオフロント内の端末室へと駆けこみ――その途中にいた手配魔獣は粉砕された――その端末を利用してクロスベル自治州内の全ての情報を読み解く。それはただの電子上の情報だけではない。そこにいる人間の気配を無理やりに読み取って――猛烈な頭痛と共に、アルシェムはそれを確認した。

 

 そこらじゅうに広がる、《真なる叡智》の気配を。

 

 薄く、広範囲にわたって在るその気配。《真なる叡智》と呼ばれたその薬の、気配。それが――まるで蜘蛛の巣を張り巡らせているかのように散らばっていたのだ。それも数人という規模ではない。数百人、否、もしかすると千人はくだらないかも知れない規模で広がっている。その理由をアルシェムは見逃していた。否――分かっていて、否定していた。そんなことをするはずがないと。

 否定しようがしまいが現実は変わらない。問題は、何故クロスベル自治州民全体に《真なる叡智》が蔓延しているか、だ。だが、アルシェムはその分かりきった理由を否定したくてたまらなかった。そんな外道がいるわけがないと。《D∴G教団》はどう考えても外道の集団だったというのに。平和で安穏とした空気に浸かり過ぎたのか、それを否定したくてたまらなかったのだ。

 自らの感覚を否定するために、アルシェムはその場から跳び出して森へと向かった。《メルカバ》の置いてある森だ。あの端末よりも数倍性能のいい端末を使えばそれが分かるはずだ。《叡智》に侵された人間が、クロスベルにどれだけいるのかを。そして――それを、確認した。

 アルシェムは自虐的にそれを口にする。

「はは……知らぬは観光客ばかりなり、とか……ないわー……」

 そうだ。当然なのだ。ここクロスベルにおける病院は一つしかない。小さな診療所ならば数か所程度はあるかも知れないとは思うが、それもできて応急手当だけ。オーブメントなどという便利なシロモノが普及している今、それで小さな怪我程度を治せるのに診療所が必要となるわけがなかった。故に病気の治療はと言えば聖ウルスラ医科大学病院で。そこで出される薬の中に少しずつそれが紛れ込んでいるのならば、クロスベル自治州民全員に多少はあってしかるべきだったのだ。

 無論、程度はある。基本的には『その』効果を実感できるほど摂取している人間はいない。むしろ抜けていることの方が多い。だが、クロスベルにはかつてより『不幸な』事故が多く起きていた。つまりはその被害者は多いのである。そう――大手術を行わなければならなかった人間や、投薬による治療を続けている人間。つまりは、大量に薬を使うことのある人間だ。それらの人間が、どうして《叡智》の影響下にないと言えよう。

 

 そう――クロスベル自治州は、とうの昔に《真なる叡智》に侵されてしまっていたのだ。

 

 そう考えれば、イロイロとつじつまの合うことは多い。何故クロスベルでネットワークなどというモノが広がったのか。金融関係の支社がクロスベルに出来ているのはなぜか。たかが自治州の銀行なのに諸外国からの預金が集まっているのは何故なのか。クロスベル自治州民の商談が、大きな損害を被るほどに破談になったことがないのはなぜか。

 要は、情報なのだ。情報さえあれば、それらすべてを第六感が導いてくれる。こうすれば上手く行く気がする、という予感と共に成功を収めることができる。たとえ失敗したとしても、生存本能が最低限のラインで破滅しないようにフル回転する。不幸な事故は確かに多い。だが、その分の『幸せ』――もっとも、それを何と呼ぶのかは人それぞれだが――がもたらされていることは間違いないのだ。

 それを因果応報、と東方の言葉でいうらしい。だが、その因果は作られたもので、引き寄せられたものだ。不幸な目に遭っただけ『幸せ』あるいは『成功』が舞い込んでくる。不幸な記憶の方が印象に残りやすいが故に露見しない真実。それはつまり、クロスベルの全てが《真なる叡智》によって支えられているという現状。それが果たして正しいことなのか、アルシェムには判断することが出来ない。

 それでも――彼女は立ち止まることを赦されてはいない。ただ先に進み、その果てに□□となることを望まれている。ただ、それだけのために生きるしかない。それが嫌で、叛逆するために足掻いて――それでも、まだ、彼女にはその道から抜け出すことは出来ていないのだ。抜け出すことが果たして正解なのかどうかすら、分かっていない。

 だが、アルシェムは決めた。

 

 たとえ何が起ころうとも――全てを、零になどさせはしないと。

 

 ❖

 

 ――邂逅した。自らの運命を変えるための駒に。全く以て気が合う気もせず、自らの持つ『□□□□』能力も効かず、□□□が□□であろうとも手加減することはない。ただ、計画のために必要なものが何故自分と『合わない』のかが全く以て理解出来ない。彼女の感情が、彼女の意志が、彼女の思惑が分からない。何もかもが分からないことばかりだ。

 それでも、□□□は彼女の意志など切って捨てる。それは□□□の幸せには必要のないものだからだ。ただの代替人形。それに感情も意志も思惑も必要ない。ただ道具でさえあればいいのだ。最終的に□□□が幸せになるために。何かを犠牲にしなければ幸せになれないことなど、分かりきったことだからだ。誰かの幸せは誰かの不幸せの上にしか成り立たない。ならば、□□□は彼女の不幸せの上で幸せになる。切り捨てられるのは自らが作った道具と関係のない人たちだけでいい。

 □□□はそっと呟いた。

「……大丈夫。今度こそ、失敗なんてしない」

 数多の世界で、数多の好きな人達が死んでいった。それを救おうとして失敗したのは恐らく、誰も犠牲にしたくなかったからだ。犠牲さえ受け入れれば結果はついてくるというのに。それでも誰も犠牲にしたくなんかなくて、だからこそ□□□は彼女を造った。自らと同じようにただのツクリモノとしてではなく、数多の□□□の願いを束ねて。

 

 彼女を――《□の□》□□□□□・□□□=□□□□□□を、造った。

 

 それは確かに□□□の所有物であり、人形であった。故に□□□の自由にしていいものなのだ。□□□□□・□□□□も言っていたではないか。お人形さんを好きにして何が悪い、と。□□□は悪くない。悪いのは、□□□に不幸せを押し付けてくる世界の方なのだ。だから□□□が悪いなどということはあるわけがない。理不尽に苦しめられているのは□□□なのだから。

 □□□がいたからロイド・バニングスは、エリィ・マクダエルは、ティオ・プラトーは、ランディ・オルランドは殺される。尊厳を奪われ、無残に刻まれ、名誉を地に堕とされ、あるいは撃たれ、殴られ、蹴られ、轢かれ、潰され、突き落とされて。原形をとどめていないことなど珍しい。いつもいつも、誰だか分からないほど無残な状態になって殺される。それは□□□のせいで、□□□を守ったからこそそうなった。それが嫌だから□□□はやり直した。

 何度も何度も繰り返して。やっとわかったからこそ□□□は彼女を造った。だから、今度こそ幸せになれるはずなのだ。たったひとりの、ただの女の子として。《□と□の□□》、《□の□□》□□□としてではなく、ただの女の子として。

 

それが、彼女の望んでいること。

 


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