雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
いかにしてアルシェムがツァイスに留学することになったのか。
そして、いかにしてクルツがアルシェムに嫌われるようになったのか。
では、どうぞ。
時は暫しさかのぼる。
数年前、アルシェムがカシウス・ブライトに引き取られてから半年ほど経ったころだった。アルシェムはエステル達と上手くやってはいたのだが、決してエステルを姉だのヨシュアを兄だの呼びはしなかった。無論、カシウスを父とも呼びはしなかったのだが。それはともかく、アルシェムはエステル達以外に懐こうとはしなかったのである。エステルはアルシェムを遊びに連れ出そうとするが、アルシェムはカシウス監修のエステルの護身術の修行以外に外出に付き合うことはなかった。それ以外の時間、アルシェムはずっと屋根裏部屋で過ごしていたのである。
そもそも、アルシェムが屋根裏部屋で暮らすことに最初エステルは難色を示した。カシウスもそうだったが、エステルは特にアルシェムと同じ部屋で暮らしたがったのである。しかし、アルシェムはそれを拒否した。自分の部屋が欲しい、というのが建前であったが、そもそもエステルと同じ部屋で暮らすのは論外だったからでもある。アルシェムはカシウスの前に暗殺者として姿を現したのだから。カシウスは苦渋の決断を迫られ、結局は屋根裏部屋を片付けてアルシェムの部屋とすることになった。それからというものの、アルシェムはどこかしらに出かけては屋根裏部屋に籠るようになった。エステル達の遊びには付き合わず、である。エステルはアルシェムを見かねて虫をアルシェムに見せつけに行ったのだが、全力でアルシェムが拒否したために虫は断念。釣りもやることにはやるが、熱心にやるわけでもない。
当然である。その当時のアルシェムは忙しかったのだから。屋根裏部屋にはメル・コルティア及びリオ・オフティシアがたびたび訪れ、報告を兼ねつつ情報交換を繰り返す日々だったのだ。当然、何かをする余裕もなく、虫が好きなわけでも魚が好きなわけでもないアルシェムはエステルに付き合っている義理はなかった。
そんな時だった。アルシェムがカシウスからあるものを渡されたのは。
きっかけはカシウスが忘れたお弁当を遊撃士協会へと届けに行ったことである。アルシェムはエステル達と一緒に行ったその先で、通信機が故障してしまっているのを見てしまった。エステル達がカシウスにお弁当を手渡している間、アルシェムは通信機を直す老人メルダースの手つきをじっと見つめていた。そして、こう指摘したのである。
「あの、ここ……何か不思議なことになってませんか?」
驚くメルダースを背に、アルシェムはそのまま通信機の異常を瞬く間に直してしまった。そこから、アルシェムとメルダースの付き合いは始まったのだ。アルシェムは暇さえできれば工房に通いつめ、メルダースもそんなアルシェムを親戚の子供のようにかわいがった。そして、次第にアルシェムはオーブメントにのめり込んでいったのである。
そんなアルシェムにカシウスが渡したものは、ツァイスへの留学推薦状。推薦人は無論カシウス・ブライトである。それに慌てたのはアルシェム。そも、アルシェムがカシウスのもとに来たのはとある目的があるからであり、目を離すわけにはいかなかったのである。
しかし、アルシェムはそれを断りきることは出来なかった。何故ならば、ツァイスに行かなければならない理由が出来てしまったからである。それを受けて、アルシェムは数日を掛けて説得された体を装った。そして、アルシェムはツァイスへと1年留学することになったのである。それと時を同じくして、1人の少年がロレントを訪れることになった。その少年の存在がなければアルシェムはツァイスに留学することは出来なかった。その少年の名は、ワジ・ヘミスフィアという。彼はロレントに長期滞在しつつカシウスに張り付き、動向を伝えてくれたのだ。もっとも、巡回神父としてなのでカシウスにはバレていたかも知れないが。
おかげで後顧の憂いなくアルシェムはツァイスへと旅立つことが出来た。ツァイスには任務が待ち受けていたのだが。
ツァイスに到着したアルシェムは、空港で呆然としながら立ちすくむ羽目になった。それは――
「何てアホみたいなつくりしてんの、この空港……」
幅を取らないためなのか、下から生えてくる飛行船を見てしまったからだ。確かに合理的ではあるのだろうが、誰もやろうとはしないだろう。そもそも、思いつきもしない。まさか、空港の立地的に土地が広く取れないがために、停泊した飛行船を別の機械で動かして先に飛ぶはずの別の飛行船に入れ替えるなど。その飛行船《ライプニッツ号》は、そのまま荷物を積んで飛び去っていった。
呆然とするアルシェムに声を掛けたのは青い髪でつなぎを着た壮年の男性だった。
「よう、嬢ちゃん。ここの造りに興味があるのか?」
「ええ、まー……でも、よく思いつきましたね、こんなアホみたいなこと……」
「ああ、そりゃあラッセルの爺さんだからな」
遠回しにこの男、ラッセルの爺さん――アルバート・ラッセルを貶している気もするが、変人の発想をしているという意味では褒め言葉なのかもしれない。男はアルシェムにこう告げた。
「それより嬢ちゃん、アルシェム・ブライトって女の子知らないか?」
「わたしですけど」
「そうか、よかったよかった。俺はグスタフ。整備長をやってる。工房長に頼まれてあんたを迎えに来たんだ」
そして、アルシェムは男――グスタフ整備長に連れられて工房長の元へと向かうことになった。途中、好奇の視線がアルシェムに幾度も突き刺さったが、アルシェムは気にしないことにした。どうせここでのアルシェムはヨソモノなのである。すぐになじむことは出来ないだろうが、この視線も今だけだろう。どうせ1年はこの場所で暮らすのだから。
グスタフはアルシェムを気遣いながら進み、ツァイス中央工房へとアルシェムを案内する。その合間にもアルシェムはツァイスの構造――特に動く階段――について質問し、グスタフはそれに応えていった。やがて工房長室へとたどり着くと、グスタフはアルシェムの背を押して中に入るよう促した。
「案内してくれてありがとーございます」
「いやいや、どうってことないさ」
グスタフは頑張れよ、とだけアルシェムに告げて去っていった。なお、恰好を付けすぎたため工房長の元へ連れてくること、というお願いを工房長室の前までで叶えなかったたために後で叱責されることになるのだが、それは余談である。
それはさておき、アルシェムは工房長室の扉をノックした。
「失礼します」
「どうぞ」
中から聞こえたのは壮年の男性の声。アルシェムは軽く息を吸って工房長室へと足を踏み入れた。アルシェムが少しばかり緊張しているのは、初めて会う人だから――ではなかった。
アルシェムは震えそうになる声を押しとどめながら腹に力を入れて工房長を見据え、告げる。
「初めまして、マードック工房長。カシウス・ブライト氏より紹介されましたアルシェムと申します。よろしくお願い申し上げます」
「初めまして、アルシェム君。話はカシウスさんから聞いているよ。存分に学んでいくと良い」
「ありがとーございます」
アルシェムは感謝の意を表すために軽く頭を下げた。マードックはそれを微笑ましいものでも見るかのように見ている。
アルシェムから見て、マードックは柔和そうな男性だった。しかし、あくまでも柔和そう、というだけで本当に柔和な人物かどうかは分からないのだ。今のところ邪なことを考えている様子はない。もし一般的にアルシェムが怖くないと思える人物と比べるとするならば、少しばかり疲れているくらいか。
マードックはアルシェムに向けて優しく笑うと、ちょっと待っていて、と声を掛けて通信機に手を伸ばした。
「もしもし、ヘイゼル君? ……ああ、うん。ティータ君だが……そうか、ありがとう」
それだけ話したマードックは通信機の受話器を置き、アルシェムに向きなおった。
「今から君がホームステイすることになるご家族の方に来てもらうんだ。きっと仲良くなれると思うよ」
にこにこと笑いながらそう告げたマードックは本気でそう言っているようだった。これだけでは判断しきれないが、ひとまずは良い人なのだろう、とアルシェムは思う。警戒を解くことはないが、それでもうわべだけでも打ち解けるべき人物であろう。彼はこのZOFの最高責任者なのだから。
ややあって、工房長室の扉が叩かれた。外から響くのは甲高い少女、というよりも幼女の声。マードックが許可の意を告げると、幼女は勢いよく工房長室へと飛び込んできた。
「おはようございます、工房長さん! それで、それで今日から家に来る人ってこの人ですか?」
「ああ、そうだよ」
まなじりを下げて応対しているのを見るに、恐らくマードックは子供に甘いのだろうとアルシェムは判断した。もっとも、一般的な人間は子供に甘いことが多いので参考にもならないが。少なくともアブない人物ではないようだ。
アルシェムは幼女の目を見て挨拶をした。
「初めまして、本日よりお世話になりますアルシェムと申します。一年間よろしくお願いします」
「あっ、は、初めまして! わたし、ティータ・ラッセルっていいます! 今日から一年、よろしくお願いしますね!」
ティータ、と名乗った幼女は好奇心を抑えきれずにそわそわしつつそう返した。どう見ても年下の少女である。カシウスは行けばわかる、と言ってホームステイ先のことを何一つとして言わなかったのだが、ティータが姓を告げてくれたおかげで大体のことが分かった。
恐らく、アルシェムがホームステイすることになるのはラッセル家。あの、導力革命の父アルバート・ラッセルの実家なのだろうと推測出来た。報告によると一家そろって同じ家に住んでいるため、別の家に住むということはないだろう。それに、現在ではエリカ・ラッセルやダン・ラッセルが各地を放浪しているという報告もあったためにツァイスにはいないはずだ。ティータを独りにしないため、という名目もあるのだろうが、流石に迂闊すぎやしないだろうか、とアルシェムは思った。
と、そこでティータは急激にテンションを下げた。何かしらを思い出したらしい。マードックに向けてティータはこう問うた。
「あ、その……おじいちゃんはどこですか? アルシェムさんに会いに行くって言ってたのにいなくなっちゃって……」
「そういえば……ああ、そうだ、実験中のモノがあるからって朝から籠ってたはず……まさか」
「あう……多分、忘れちゃってるんだと思います。実験室、行って来ても良いですか?」
顔を青くするマードックにつられてティータの顔も暗くなる。恐らくは身内の不始末、とでもいうべき事態に焦っているのだろう。ティータは出来たお子さんである。アルシェムはそんなティータを見かねて声を掛けた。
「あの、一緒に行ってもいーですか? ほら、やっぱりこちらから挨拶した方がいーでしょーし」
「で、でもアルシェムさんはお客さんですし、えっと、その……」
ティータは困ったような顔をアルシェムに向け、胸の前で握り拳を作って小刻みに振っていた。何だこの可愛い小動物は。アルシェムはそう思った。
そんな小動物なティータを困らせるわけにはいかない。とある人物という例があるにもかかわらず、アルシェムはティータに対する警戒を完全に解いてしまった。目を伏せ、申し訳なさそうにアルシェムはティータに告げる。
「あ、ごめんなさい。入っちゃいけない場所でしたか……」
「ち、違いますよ! 本当だったらおじいちゃんが挨拶に出て来なくちゃいけなかったんですし、アルシェムさんにわざわざ足を運んでもらうのもなって思って……」
そんなティータとアルシェムの様子を見かねたのか、マードックが再び通信機を手に取った。そして小声で受付のヘイゼル、という名の女性に何かしらを告げていた。もっとも、アルシェムには丸聞こえだったために、その通信がアルシェムとティータを実験室につれて行くことを伝える旨であることは分かっていたが。
その後、アルシェムはマードックに連れられて実験室へと向かうこととなり、そのまま流れで実験にも付き合うことになった。その日実験していたのは導力砲及び導力銃の小型化の試作品の試射。前者は思いっきり個人的な理由でティータの護身用に使うためのものだったが、後者は市販するためのものだ。そして、この場にいる人間で実際に使う人間と年齢が近いのはアルシェムしかいない。よって――
「撃ってみんかね? アルシェム」
「え、いーんですか?」
「勿論じゃ」
そして、アルシェムが試射した結果。装填数は100で、的に空いた穴は1つ。しかし、アルシェムの手元は全くと言って良いほどにぶれていなかった。そのことを鑑みたラッセル博士が的の裏を見て、その事実は露見した。
「えーと……」
「こういうのを、ワンホールショット、とか言うんじゃなかったかの?」
「ふええ~っ……」
苦笑しながらラッセル博士が見ているのは的の裏にめり込んだ金属片。それは、異様な光景だった。金属片が金属片に食い込んで一部の隙もなく背後の壁を穿っている。当然、穴は1つしかないためにそれ以外の場所には当たっていない。
「……どこぞのへっぽこ遊撃士に頼むよりかは余程適任かも知れんの」
「博士、そういうのは内心だけにとどめておいてください……」
マードックは疲れたように言葉を零す。つまり、マードックの疲れの原因は大部分がラッセル博士ということになる、とアルシェムは判断した。というのも、マードックがラッセル博士に合流して以来、マードックの疲れが目に見えて増したからである。
と、その時だった。甲高い音が室内に響き渡ったのは。
「な、何じゃあ!?」
「こ、これは……!」
マードックが顔をしかめる。それだけで、アルシェムは緊急事態だと察した。警報の後に流れたアナウンスにより、カルデア隧道から魔獣が襲撃してきたことが周知される。
アルシェムはラッセル博士に向けて手を差し出し、こう告げた。
「取り敢えず、誰もいなかった時のために食い止めるくらいはします。だから、弾倉を貰えませんか?」
「し、しかし……」
「マードック、この娘っこはカシウスの養子じゃぞ? 魔獣くらいどうともせんわい」
その言葉で、マードックも吹っ切れたようだった。アルシェムにカルデア隧道への出口の防衛を任せると、マードックはそのまま遊撃士協会へと向かったようだった。アルシェムはカルデア隧道へ向かう出口へと向かい、そして文字通り湧いてくる魔獣を撃ち殺していった。一撃も外すことなく。際限なく湧いてくる魔獣は、アルシェムがツァイスに来る理由を作った原因なのである。アルシェムはあくまでも冷静に魔獣を屠っていった。
途中、試行錯誤しつつとある方法で魔獣の無限湧きを止めたアルシェムは、異常な魔獣がオーブメント灯を破壊してしまったことにより襲ってくる普通の魔獣の相手をする羽目になっていた。そもそも誰かに連絡して直して貰おうにも誰もおらず、また自分で直そうにもそんな暇がない。このままではまずい、とアルシェムが思った瞬間だった。
「方術・儚きこと夢幻の如し」
若い男の声が響き、周囲の魔獣が殲滅された。ようやくの救援である。恐らくは遊撃士だろう。アルシェムはそう判断した。
そして、アルシェムは周囲への警戒を緩めずに背後を振り返ろうとして――出来なかった。アルシェムの背に槍と思しき刃が触れていたからだ。
「動くな」
厳しい声だった。恐らくは、背後の男はその声の通りに厳しい顔をしているのだろう。アルシェムはゆっくりと手を上げた。すると、男はアルシェムに再び声を掛けた。
「銃を捨てろ」
「えーと、これ借り物なんで置いてもいーですか?」
しかし、男はそれを良しとしなかったので仕方なくアルシェムは片手で安全装置を掛けて――流石にそれは見逃してくれた――銃から手を放した。少しでも自分から遠ざかるように。
次いで、男はアルシェムに問いかける。
「貴様は何者だ」
アルシェムはその問いに懇切丁寧に答える必要性を感じなかった。この場合、魔獣を食い止めていたアルシェムは怪しい人物であるわけがなく、非があるのはいきなり刃を突き付けて来た男にあると思ったからだ。
「アルシェム・ブライトです。カシウス・ブライ……」
「嘘だな。カシウスさんに娘はいるが貴様ではない」
しかし、この場合は適切ではなかったようだった。アルシェムの言葉が終わらないうちに、刃がアルシェムの背に僅かに食い込んだ。そこでアルシェムは気付いた。恐らくここにいる男はカシウスの知り合いである、と。そして、エステルのことも知っているのだと。それが分かったからといってこの窮地から脱せるわけではないのだが。
「誤解です、わたしはカシウスさんの娘ではないですけど……」
「ようやく尻尾を表したか」
アルシェムの背に明確に刃が突き刺さった。ここまですれば逃げるとでも思ったのだろうか。しかし、アルシェムは動かなかった。微かな違和感が、アルシェムにそれを赦さなかったのだ。
そして、沢山のことが一度に起きた。男の横から魔獣が現れて男に襲い掛かる。アルシェムがその魔獣を排除すべく動き出す。男は突如動き始めたアルシェムに穂先を合わせなおす。そして――
「何故、避けなかった……!?」
アルシェムは男の槍の穂先に右肩を貫かれた。そして、辛うじてアルシェムに蹴り殺された魔獣はセピスをまき散らしながら消滅した。
それ以来、駆けつけた巡回シスターにより右肩のけがを直して貰ったアルシェムはこの遊撃士――クルツ・ナルダン――を半眼で睨みつつ恨むようになったのである。
リメイク前に想定していた話では右肩でなく右胸を貫かれていたという。
流石に重傷になりすぎるので右肩に変更。
この章は今話を以て終了。
次話から次章に入ります。
では、また。