雪の軌跡・リメイク 作:玻璃
では、どうぞ。
「……言っておくけどレン、パパ達が思ってるほど『綺麗』な『子供』じゃないわよ」
突き放す方を、選んだ。突き放される方が本当にそれで離れてくれるとは限らない。しかし、レンはその選択しか出来なかった。この場で殺しても良かった。無視したってよかった。和解する必要なんてどこにもなかった。言葉を掛ける必要すらないはずだった。彼らは最早レンとは関係のない人物だ。それなのに、レンが選んだのは完全なる拒絶ですらなかった。
荒ぶる心に従い、激情のままにレンは《殲滅天使》として鎌を構える。そして勢いよく振りかぶり――振り下ろした。何度も、何度も、ハロルドとソフィアを切り刻むかのように。ただ、それは一度たりとも彼らを傷つけることはなかった。当たっていない――否、心の奥底では当てる気が全くないのだから、当たるはずがない。それこそがレンの答えだ。
そして、それに対するヘイワース夫妻の答えは――
「……何で、避けないのよ」
「避ける必要なんてないのよ、レン。だって私達はレンにそれだけのことをしたんだもの」
ソフィアはそう返すが、しかしレンをそそのかすことだけはしなかった。何故、当てないのかと。それだけのことをレンにした。殺されてもおかしくないほどの経験のきっかけを作ったのは間違いなくソフィアたちなのだから、殺されても当然だった。コリンのことは心残りでもあるが、レンは彼を救ってくれた。ならば殺されることはないだろうと思っている。
そしてそれはある意味正しかった。レンに彼らへの殺意はないのだから。故にアルシェムにも止める気はない。これは必要なことなのだと分かるからだ。故に手出しはしない。レンに殺意がないことなど、アルシェムには手に取るように分かっているのだから。
レンが鎌を振り上げようが、ハロルド達は逃げようともしない。それを理解して、レンは震える声を吐き出した。
「……卑怯よ。そんなことされちゃったら……期待なんてしないって決めてたのに、台無しじゃない」
その声と共に一筋の涙が流れ落ちる。そして手に持っていた鎌も――床に転がっていた。そんなレンを見たハロルド達は、ゆっくりとレンを抱きしめた。我が子を寒さから守るかのように。離れていた間の分を埋めるかのように。そして、レンもハロルド達の抱擁を受け入れ、抱き返した。それこそが答え。レンがかつて『レン・ヘイワース』として生きていたことを認めたという証左だった。
そんなレンに、ハロルド達は声を掛けた。
「生きていてくれて……いいや、生まれてきてくれてありがとう、レン」
「もう一度会えてよかった、だなんて口が裂けても言えないけれど……愛してるわ、レン」
その言葉に応えはなかった。必要なかったのだ。何故ならレンはハロルドとソフィアに――否、自らの両親の抱擁を受け入れ、抱き返したのだから。それこそが雄弁に物語っている。彼女もまた、両親を愛しているのだと。レンを置いて行ったことは確かに恨んでいる。だが、殺したいほどに憎んでいるわけではない。両親にやむを得ない事情があり、精神的な余裕もなかったが故に起きたこと。
だからこそ、レンは伝えることにした。『レン・ヘイワース』が死んだ物語を。どれだけ時間がかかっても良い。ただ、自分の言葉で全てを伝えるために。ただしそれは今でなくともいい。今彼女がしなければならないことは、今後の自らの身の振り方を決めることだった。
「レンも愛してるわ、だなんて言わない。どこかでけじめはつけなくちゃいけないもの。だから――そのけじめをつけるために、必要な人達がいるの」
呼んでくれる? とレンはアルシェムに向かって言った。アルシェムはそれに首肯し、《ENIGMA》を取り出して通話を始めた。レンの求める人物たちが誰なのか、本能的に察したからだ。恐らく最後まで追いかけているであろうあの二人をこの場に呼ばないという選択肢はどこにもなかった。
「もしもし、こちらアルシェム・シエル――」
『アル! あんた今誰と一緒にいるの!? レンは――』
「うるさいエステル。ヨシュア連れてとっとと支援課のビルに来て。話は通しとくから」
そう一方的に告げたアルシェムは、すぐさま通話を切って階下にいるロイドに向けて通話を始め、エステル達を通すように話をつけた。そして、絶対に覗くなとも釘を刺した。込み入った状況になるのは目に見えているからだ。レンがどういう選択をするのかによって、誰がどのように動くのかが変わる。もしかすればレンは『レン・ヘイワース』に戻るのかもしれないし、『レン・ブライト』になるのかもしれないからだ。どちらにせよロイド達が救われればそれでいい。
そして、その場には間違いなくアルシェムは必要ない。故に彼女はレンに向けて告げた。
「レン……もう、大丈夫?」
「何言ってるのよアル。アルもここにいてくれなくちゃ困るわ。……関係ないだなんて言ったら怒るわよ?」
離されようとしたアルシェムの手をより強く握り返して捕まえたレンは、そう言って頬を膨らませた。それが今日はじめて見せた子供らしいしぐさで。ハロルド達はくすりと笑いを零した。それを生み出せたのが自分達でないことに嫉妬もした。それほどまでに――レンにとってアルシェムという存在は大きいのだと分かってしまったからだ。
そんな微笑ましい光景をぶち壊すのが最大限に焦ってここまで駆けつけた人物である。
「レン!」
「あらエステル。ちょっと急ぎ過ぎじゃない? 大丈夫? 誰か二、三人撥ねてないでしょうね?」
「は、撥ねるわけないでしょ!? そこまでそそっかしいわけ、じゃ……」
レンにそう言いかえしたエステルは視界の端に入った夫婦を見て凍りついた。何故今ここにこの夫婦がいて、レンが平然と言葉を返してきているのだと。ぎぎぎ、と壊れた機械のようにヨシュアを振り向けば、ヨシュアもまた笑顔で硬直していた。どうやら情報が処理しきれていないらしい。ぎこちなく顔を室内に向けてみれば、アルシェムまでいるではないか。
エステルはアルシェムに詰め寄って説明を求めた。
「あああああアル! こ、これどういう状況!?」
「レンはヘイワース夫妻の事情を知って、ヘイワース夫妻はレンの事情を多少なりとも知った。そーいうことだよ」
その言葉を聞いたエステルは驚愕に目を見開き、そして――ゆっくりとその事実を受け入れた。レンは愛されていなかったわけではないと知ってくれたのだと。ヘイワース夫妻がしたことでレンがどんな目に遭わされたのかを彼らが知ってくれたのだと。じわじわとそれを理解して――そして崩れ落ちた。
それに少なからず衝撃を受けたレンが問いを発する。
「ちょっと、エステル!? どうしてエステルがそこまで……」
「……だって、言ったじゃない。レンの家族になりたいって。あたしは、レンが愛されてなかったわけじゃないって知ってくれて……良かったと思う」
そしてエステルは感極まったかのように涙をこぼし始めた。それをあやすようにヨシュアが背を叩き、彼女を宥める。このバカップルが! とアルシェムは叫びそうになったが、ふと隣を見ればもらい泣きをしているヘイワース夫妻も同じような光景を見せつけてくれていたので遠い目をしてやり過ごすしかなかった。
と、その空気を断ち切るかのようにレンが手を叩いた。
「ほら、何のためにエステル達を呼んでもらったか分からないでしょう? ……話をしましょう。レンが、これからどうするのかをね」
それを聞いたエステルは微かに息を呑んだ。そこにエステル達が介入する余地が残されていないように感じられたからだ。レンに『愛されること』を覚えなおしてほしいと思っているエステルは、当然彼女と一緒に住むという選択肢を望んでいる。だが、何故かレンはその選択肢を選ばない気がしていた。いくらエステルがそう望もうともレンは恐らくその選択肢を選ばない。そんな確信があった。
故にエステルは畏れた。そのレンの選択を耳にすることを。レンが口を開くことさえ。それでもレンは選択する。そうでなければならないからだ。『ロイド・バニングスたちの救出役』という役目を果たすためには、何も選択せずそこに留まることは赦されていない。エステルはヨシュアの手を握り、ヨシュアはエステルの手の冷たさに内心驚きつつも彼女の手を握り返す。
そしてレンは告げた。
「あのね、パパ、ママ。レンは……まだ、おうちには帰れないわ」
その言葉にハロルド達は衝撃を受けたようだが、それでも帰ってきてほしいと言える立場ではないことを理解していたので首肯した。分かっていたことだ。レンに対してしてしまったことが、輝かしいレンの八年間を奪ってしまったことなど。それを捨て置いてさあ一緒に暮らそうなどとは口が裂けても言えるはずがなかった。そんなこと、赦されるわけがない。
故にハロルドは震える声で続きを促す。
「……そう、なのか」
「だってね、まだレンは清算を終わらせてないんだもの。ちゃんと罪は償わなくちゃいけないわ。レンは『悪い子』だけど、それくらいちゃんと分かってる」
「でもそれは――」
「レンのせいじゃない? そんなことないわ。だって、レンは自分でやったんだもの。パパとママにやらされたわけじゃない」
だから償わなくてはならない、とレンは言った。誰に対して、どうやって、とは彼女は言わない。誰を殺したかなんて覚えているわけでもないし、どこに行ったところで裁かれるはずもない。レンはまだ未成年で、かつ過去に起きたことから情状酌量の余地があると判断されるだろうとは容易に想像できたからだ。悪くても短期間の懲役刑程度。ならば、自分で償うしかない。自分が帰属するべきクロスベルのために。
リベールで犯した罪はリベールで償う。エレボニアで犯した罪はエレボニアで償う。カルバードで犯した罪はカルバードで償う。いつかどこかで犯した罪は、その場所に赴いて償う。そして《身喰らう蛇》とは完全に決別する。そうしなければレンは帰れない。過去が追ってきて、両親と弟を危険にさらしてしまうかもしれないことを考えれば、そのくらい当然やってしかるべきだった。
そして、レンがまずやるべきことは《身喰らう蛇》との決別だった。そして、それが出来る場所はここしかない。今計画が進行中のこのクロスベルにおいて、完全に《身喰らう蛇》と敵対する。そのために出来ることは、何だってする。たとえもう一度闇に堕ちることになろうとも――最後に光の側で笑っていれば良い。闇から帰れない彼女のためにも、光側の止まり木にくらいはなりたいのだ。
故に――レンは、訣別のための一歩を踏み出した。
「だから、しばらくはここにいるわ。この場所で、レンに武器をくれた人たちにお別れするためにね」
その言葉の意味を最初に理解したのはヨシュアだった。レンはここで《身喰らう蛇》と敵対し二度と戻れないようにするつもりなのだと。つまり、このクロスベルで《身喰らう蛇》に敵対できてしまうような何かが起こりつつあるのだと。しばらくはやはりクロスベルにいなければならない、と判断しつつヨシュアはレンに問いかけた。
「ここに……って、どういうことかな、レン」
レンの真意を問うたヨシュアは、半ばその答えを予想していた。エステルと一緒に暮らすという選択肢はもうないのだと分かっていたが、『ここ』がどこを指すのかによって色々と動き方が変わるからだ。特務支援課を指すのならばまだ良い。だが、アルシェムの隣を指すのだとすれば――それは、選ばせてはならない道だった。二度と光の当たる道に戻れないだろうことは、アルシェムが証明している。
ヨシュアの問いにレンは答えた。
「だって、遊撃士になれるのは十六からでしょう? まだ流石にレンには早いし、あんまり向いてないわ。だからここなのよ」
「つまり、特務支援課にいる、ってこと?」
エステルはレンの言葉にそう問い返した。レンはそれを首肯することで返し、明言することは避けた。何故ならレンが最終的に目指す場所は今いる場所――アルシェムの隣なのだから。誰かへの償いを終えて、レンがおとなになったら彼女はアルシェムと共に生きるつもりなのだ。恐らくそれが最後に償うべきことなのだろうから。
レンには分かっていたのだ。『アルシェム・シエル』が《身喰らう蛇》に堕ちたのは――恐らく、レンのせいなのだと。
恐らく『レン』『ヨシュア』というパーツがなければ『アルシェム』はそこにはいなかった。それが本能で分かっているからこそ、彼女を《身喰らう蛇》に堕とした責任を取らなければならないと判断している。故に、最後はどうなろうがレンはアルシェムの隣にいるつもりだった。両親への償いは、レンがおとなになってハロルド達が子離れをするまでの期間でいい。
わずかに顔に苦い色を浮かばせたレンは静かに言葉を吐きだした。
「……それに、特務支援課でなら万が一があっても安心でしょう?」
「……それは……でも、レン。ご両親のことはどうするんだい?」
レンの思考が少しなりとも理解出来るヨシュアはそう問い返す。レンが特務支援課にいるだけではマズいだろう。公的機関に所属する以上、レンは姓を名乗る必要がある。そしてレンの本当の名を知っている人物は、《身喰らう蛇》の中には数えるほどしかいない。強いてあげるのならば既に死んだワイスマン、盟主、そして第七柱くらいか。そんな中でクロスベルに暮らす人間と同じ姓を名乗れば、軽率な輩にすら関係を疑われかねない。
そういう意味でレンを引き取りたいという思惑もあったヨシュアの問いは、しかしレンには通じなかった。
「大丈夫よ。偽造戸籍に一人分名前が増えるくらい、誰も気にしやしないわ」
「ぎ、偽造戸籍って……レン?」
唐突に飛び出す物凄い言葉にソフィアが困惑したように声を漏らす。戸籍を偽造することは確かに出来るらしいと聞いたことはある。だが、今なぜそれが出て来るのかわからなかったからだ。普通にヘイワース籍に戻れば良いだけの話ではないのか、と思っていたソフィアにとっては理解しがたいことだった。
だが、その驚きをレンは別のものと勘違いした。
「あっ……えっと、そのー……」
目を泳がせながらちらりとアルシェムを見るレンに、アルシェムは事態を理解して遠い目をした。つまりレンはこう言っているのだ。既に偽造されているであろう『アルシェム・シエル』の戸籍にレンの名前をぶち込めと。
しれっと自分の戸籍が偽造したものであることがばれるが仕方がない、とアルシェムは思いつつ悪あがきをする。
「別に、それは構わないけど……レン、エステル達のところじゃなくて良いの? カシウス・ブライトの後ろ盾って結構効くよ?」
「そんなのがあっても困るだけだわ。それに……エステル達に期待を持たせたくないもの」
「あたしは! ……あたしは、レンが幸せでいてくれたらそれでいいんだもん……幸せで、いてくれたら……十分だもん」
震える声でそう返したエステルに不思議そうな顔をするハロルド達。何故そこでこの二人が出て来るのかというのが理解出来なかったからだ。いぶかしげな顔をする二人にヨシュアが手短に説明をした。エステルはレンと出会って、レンの全てを受け入れて愛してあげたいと思ったのだと。ハロルド達と家族に戻れないのなら、新しく自分達が家族になってあげたかったのだと。
だが、レンが幸せでいてくれるのならば。エステルはそれで良かったのだ。そう思わなければやっていられなかった。レンと家族になるために、ここまで来た。それが拒否されて平然としていられるほどエステルの精神は強くない。
それが分かっているからこそ、レンは言葉を贈った。
「……ありがとう、エステル。でも、ごめんなさい。エステル達と暮らすのは確かに魅力的ではあるけど、それじゃあレンは満足できないの。レンはレンの我が儘のためにここに住んで、レンの我が儘のためにアルと同じ姓を名乗るわ。アルがどういう存在かなんて関係ない。アルはレンの過去で、現在で、未来なのよ」
「ちょっと待ってレンそれ何か口説かれてるっぽいというか本気で誤解生みそうなんだけど」
「口説いてるわけじゃないわよバカ」
茶化すように口を挟んだアルシェムの言葉をレンはそっぽを向きながら否定した。それはどう見ても照れ隠しのようであって。はたから見れば完全に同性愛者に見える光景でもあった。アルシェムとしてはそういう関係を望まれたとしても否定することはないのだが、世の中の偏見というモノは往々にして他人に普通であることを強いるものだ。故に茶化して誤魔化すしかない。
レンの言葉に不安をあおられた夫妻に向きなおり、レンは更に言葉を紡いだ。
「帰らないわけじゃないわ。でも、まだけじめをつけ終えてない。それさえ終わったら――レンは、『レン・ヘイワース』はパパとママのところに帰るわ。その時になったら――きちんというから。だから、まだ『ただいま』って言わない」
「……レン」
「その代わり、もう一回始めましょう? 親子として、もう一度『家族』になるために。パパ達にはレンのいない間のことを教えてほしい。レンはその代わり、パパ達のいない間のことを伝えるから。だからそれが全部終わって、レンのけじめがつけられたら、その時は――」
「……ああ。そのときになったら、『お帰り』と。そう、レンに返すよ」
そしてヘイワース夫妻とレンは再び抱き合った。その光景が奇蹟のようで、エステル達は泣いた。アルシェムはその光景をどこか複雑そうな顔で見ていて、故に気付いた。この光景を作り出したのは紛れもなく自分なのだと。そうでなければレンは両親と面と向かって和解など出来なかった。エステル達と暮らし、そして緩やかにヘイワース家へと戻れただろう。
だが、現実は違う。レンは恐らく実家に戻らない道を選んだ。実家に戻らず、ただ戦い続ける道に誘い込んだのはアルシェムだ。その選択をさせたのも、そういうふうに仕向けたのもアルシェムだ。それを悟って、アルシェムは胃の奥からこみあげてくるものを必死にこらえた。これは自分の罪だと。たとえ何者かがそうなるように仕向けていたのだとしても、それは自分の罪なのだと理解した。
そうして――レンは。『レン・シエル』としてクロスベルに残る道を選んだ。
綺麗な和解ではないですし、ご都合主義も満々ですけどこういう解決方法しか思いつかなかったので赦してつかあさい。
では、また。